💖7)─1─日本人軍国主義者は、シベリアのロシア人戦災児童約800人をロシア人共産主義者から救出した。~No.30 @ 

風刺漫画で日本近代史がわかる本

風刺漫画で日本近代史がわかる本

  • 作者:湯本 豪一
  • 発売日: 2011/11/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 ロシア人も、中国人と同様に恩を仇で返す。
 ロシアは、不法占拠した日本領土北方領土の四島一括返還を拒絶している。
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 戦争成金の日本人軍国主義者は、金にもならないのに、危険を覚悟でロシア人児童約800人を共産主義者の魔の手から独力で救出した。   
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 本当の軍国主義者は、命を大事にするお人好しであり、惻隠の情として女性や子供は何とか助けようとした。
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 1917年 ロシアで10月革命が起き、ロマノフ王朝が崩壊して、ロシア全土が無政府状態に陥り内戦が発生した。
 マルクス主義者は、プロレタリ独裁の新しい社会主義体制は築く為には、専制君主体制を灰燼にきす必要があるとして暴動と殺戮を煽った。
 暴徒は、王宮や貴族の邸宅はもちろん富豪及び知識人などの住宅を襲撃し、貴金属はもちろん調度品を略奪し、止める使用人等に暴行を加え殺害し、女とみれば少女から老人まで強姦して殺害し、奪う物がなくなれば放火した。
 首都サンクトペテルブルは、無法地帯となり、阿鼻叫喚の地獄となった。
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 1918年5月 親を殺されたり親からはぐれたりした上流階級の3〜15才の子供達は、助け合い、庇い合いながらサンクトペテルブルグを出発し、内戦がまだ穏やかなウラル地方まで逃げてきた。
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 共産主義陣営でも反革命陣営でも、ロシア人はユダヤ人10万人以上を、女子供に関係なく虐殺した。
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 1919年夏 ウラル地方近くに避難していたロシア人児童約800人は、シベリアに遠征して来た連合軍に保護して貰うべく、シベリア鉄道で極東シベリア沿岸部まで逃げ延びた。
 ウラジオストクアメリ赤十字社派遣部隊は、ロシア人児童と婦女を含む約900人を収容所に保護した。
 頼みとした連合軍は、シベリアから撤退し始めた。
 ロシア共産党政府は、アメリ赤十字社が匿っているロシア人児童は敵対勢力の子供は、将来、敵となる危険分子と見なして国外脱出を認めず、アメリカ政府に即時引き渡しを求めた。
 アメリ赤十字社は、ロシア人児童を現地で保護することは不可能と判断して、連合国各国軍司令部に安全地帯までの移送を懇願した。
 各国軍は、軍の輸送船は兵士輸送を優先し、自国民でもない他国の子供の保護を拒絶した。
 自国民保護する為に他国民を見捨て、保護を求めて来た難民が女子供でも絶対保護しないのが、世界常識である。
 世界常識とは、非情である。
 国民を守るのはその国家の責任であり、例え同盟国であっても他国をあてにしてはならない。
 大陸の戦争では、敵と見なせば女子供であっても容赦なく皆殺しにした。
 共産主義者が行う虐殺の徹底ぶりは、他に類がない程に残虐であった。
 もし、ロシア人児童約800人が共産主義者に引き渡されたら、12歳以上の子供は反革命分子として処刑され、それ以下の子供は革命兵士として洗脳され戦場に送り出されて殺された事であろう。
 事実。共産主義者による陰惨な事例は世界中で数多く存在する。
 軍国日本は、共産主義の陰惨な攻撃から祭祀王・天皇を守り、日本を含むアジア全体に共産主義の地獄が拡大しないように一国で戦っていた。
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 シベリアの極寒の地で戦い戦死した日本兵達は、中国や韓国・北朝鮮アメリカが非難する靖国神社に祭神として祀られている。
 靖国神社に祀られている日本兵士達は、ポーランド人孤児やロシア人児童、そして多くのユダヤ人難民を助けて戦死した。
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 1920年 日本軍は、援軍がない中で、ウラジオストック赤軍共産主義パルチザン反日朝鮮人テロリストの猛攻撃から守っていた。
 アメリ赤十字社は、最後の望みを日本に賭けて、ロシア人児童約800人をフランスへ移送する事を日本の船会社に傭船を依頼した。
 日本政府と日本軍は、戦場となっているシベリア各地からポーランド人孤児とユダヤ人難民の救出に低一杯で、ロシア人児童どころではなかった。
 日本軍部にとっては、将来の対ソ戦略・共産主義封じ込め戦略から、ポーランド人に恩を売る意味はあったが、亡国の民となったロシア人を助ける意義はうすかった。
 日本の民間船会社は、ウラジオストック港湾入り口には機雷が敷設され船を出す事は危険が伴い、危険手当が保障されないとあっては二の足を踏み、さらに助ける相手が日本人ではなくロシア人とあっては辞退した。
 その窮状を見かねた勝田汽船社長の勝田銀次郎は、困っている者は見捨ててはおけないという大和心で、危険と採算が合わないのを承知でアメリ赤十字社傭船を快諾し、貨物船「陽明丸」(1万675トン)をその任務に当たる事を申し出た。
 勝田銀次郎の勇気ある行動に賛同した日本人は寄附金を送り、銀次郎は個人としても寄附をし、ロシア人児童達を受け入れて長期航海に耐えられるように急いで貨物船を客船仕様に改造した。
 勝田銀次郎は、船長に茅原基治を指名し、陽明丸のメインマストに掲げられていた勝田汽船社旗をアメリカ国旗と赤十字旗に取り替え、船尾にのみ大日章旗を掲げた。
 さらに、煙突に赤十字のマークを入れ、舷側に「アメリカン・デットクロス」と大きくペイントした。
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 勝田銀次郎は、勝田商会の創業者で、戦争で大儲けした山下亀三郎内田信也と並ぶ「三大船成金」の一人であった。
 政治家として軍部と繋がりを持ち、政界で活躍し利益を得た政商でもある。
 勝田銀次郎は、ある意味、戦争太りした軍国主義者であった。
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 7月9日 陽明丸(船長:茅原基治と乗組員 60余人。)は、ウラジオストック港に入港した。
 陽明丸は、ロシア人難民(男児・428人。女児・351人。婦人・87人)、ロシア軍に捕らえられていたドイツ兵捕虜77人、アメリ赤十字社関係者(隊長アレン中佐以下16人、アメリカYMCA派遣員1人)、を収容した。
 7月13日 陽明丸は、食糧・水・日用品を積み込みウラジオストック港を出港した。
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 7月14日 陽明丸は、積み込んだ食糧に不良品が混じり新鮮な物に取り替えるべく室蘭に入港した。
て25頭分と野菜類の買入の必要になった。
 ロシア人児童達は、日本の土地に上陸する事を希望した。
 茅原基治船長は、食糧等の積み荷が終わるまで上陸できるように室蘭水上薯にかけった。
 室蘭水上署は、思想問題や講和条約未批准未了の理由でアメリカ人以外の上陸を許可しなかった。
 芦原基治船長は、赤軍から命辛々逃げてきた子供達に共産主義があるはずがないと力説し、船長であ自分が全責任を負う事でやっと許可してもらった。
 室蘭市役所は、上陸したロシア人児童達を迎える為に官吏数名を派遣した。
 ロシア人児童達は、近くの小学校で地元の学童と交流し、銃剣道試合を観戦し、一緒に茶菓子を食べ、絵葉書を記念に貰い、言葉が通じなくとも楽しい一時を過ごし、市内を一巡して帰船した。
 7月15日 話を聞いた児童数十名は、菓子や果物を携えて陽明丸に乗船し、言葉が分からなくともロシア人児童達と遊び戯れた。
 7月16日 陽明丸は、長期航海の準備が整い室蘭港を、市民や学童等の見送りを受けて出港した。
 ロシア人児童にはインド洋の熱さは耐えられないと判断して、サンフランシスコに向かいパナマ運河を経由してフランスへ向かう航路を選んだ。
 航海日数は、約3か月という計画であった。
 茅原基治船長等は、ロシア人児童達が長い船旅に飽きないようにする為に趣向を凝らし、愉しませた。
 同時に。何時災難が訪れても良いように、大きな子供達に救命ボートの降ろし方や操練や救命浮環の使用法等を教えた。
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 8月1日 陽明丸は、無事にサンフランシスコ港に入港した。
 アメリ赤十字社社員やサンフランシスコ市長が出迎えた。
 大勢の市民や記者達が陽明丸が係留されている桟橋を埋め尽くし、大量の慰問品が運び込まれた。
 ロシア人児童は、サンフランシスコの大都会に度胆を抜かれた。
 8月5日 陽明丸は、室蘭出港とは比べもにならない程の見送りを受けてパナマ運河に向かった。
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 8月18日 陽明丸は、太平洋の東端パナマ運河に到着し、淡水を補給した。
 葦原船長と乗組員達は、上陸できないロシア人児童達に代わって、上陸して希望を聞いて絵葉書や果物等を買い込んで帰船した。
 8月19日 話を聞いた地元の篤志家は、果物や絵葉書を寄贈した。
 午前6時運河に向け出港し、午後8時頃にパナマ運河を抜けカリブ海側に出て、ニューヨークに向かって航行を続けた。た。
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 8月28日 陽明丸は、アメリ東海岸沿いに北航してニューヨーク港に到着した。
 ロシア人児童は、再出港の準備が整うまでの約2週間、アメリカ側が用意した米軍兵舎に移動する事になったが、50日間の居住した陽明丸を離れる事を嫌がった。
 アメリ赤十字社幹部は、ぐずるロシア人児童を何とか説得して移動させた。
 アメリカ側は、ロシア人児童を熱烈歓迎した。
 在米日本社会は冷淡で、在米日本人の義援金は僅か50ドル足らずであった。
 ニューヨークの日本領事館も、日本企業のニューヨーク支店も、日本赤十字社ニューヨーク支部も、会えば国際親善を口にしながら如何なる行道も取らなかった。
 陽明丸の快挙が報道されても、遂に日本領事館、日本赤十字社ニューヨーク支部、日本の一流会社は一円の義援金も出さないばかりか、日本の船がロシア人児童を乗せていると事を非難する者もいた。
 茅原基治「こんな外交官が日米親善とか外交振興を求むるは木に登って魚を求めると同様・・・」
 日本の官僚や企業家の意識は、昔も今も余り変わりはない。
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 日本人は自分が認識する以上に、惻隠の情は薄く、自分に関係がない他人に冷淡で薄情である。
 反日的日本人が告発する通り、日本人には善人は少なく、むしろ悪人の方が遙かに多いのかもしれない。
 そうであるのならば、日本を嫌う反日的日本人が主張するように日本人は許しがたく救いようがない極悪人である。
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 9月14日 陽明丸は、ニューヨークを出港した。
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 9月27日 陽明丸は、フランスのブレストに到着し、28日に出発した。
 フランス当局は、マルクス主義過激派の活動を阻止する為に、日本人以外の上陸と面会を禁止し、陽明丸を武装兵で厳重に監視した。
 アメリ赤十字社フランス支部は、ロシア人児童の保護者をフランスに亡命している白色ロシア人達の間で捜したが2名しかった。
 ウクライナ方面に帰還する4名と2名は、陽明丸を降りた。
 9月28日  陽明丸は、フランス海軍から燃料と飲料水の提供を受けデンマークキール運河を目指して出港した。
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 9月31日 陽明丸は、エルベ川を上りキール運河の南端港プロンスヒュートに到着した。
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 第一次世界大戦時。ドイツ軍とロシア軍は、バルチック海からフィンランド湾一帯に夥しい数の機雷を敷設していたが、大戦が終結しても両国は掃海する事なく放置していた。 この機雷水域を航行する事は、自殺行為であった。
 10月10日 陽明丸は、現地の水先案内人を雇いエストニア西岸諸島を迂回しレベル港から真北に直進してヘルシンキホルス港に到着した。
 10月13日 陽明丸は、フィンランドのコイビスト港(現ロシア・レニングラード州プリモルスク港)に入港し、翌14日にかけて積み荷の全てを陸揚げして、ドイツ人を除くロシア人児童達を上陸させた。
 ロシア人児童を運ぶという、約3ヶ月にも及んだ陽明丸の任務は終了した。
 ロシア人児童は、無事に故郷のペトログラード(現サンクトペテルブルク)へ帰還した。
 10月28日 陽明丸は、最後に残っていたドイツ人兵士捕虜を首都コペンハーゲンに上陸させ、難民輸送船から貨物船に復帰して、星条旗赤十字のマーク消し、勝田汽船の社旗をメインマストに掲げて帰国の途に就いた。
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 2015年4月18日 産経ニュース「交渉を止めているのは日本 ロシア外務省、岸田氏に反発 北方領土で応酬
 ロシア外務省は17日、岸田文雄外相の「日ロ平和条約締結交渉を日本側が止めているという事実は全くない」との発言に対し、日本側は日露間で合意した岸田氏の訪露さえ「1年以上決断できていない」と反発する声明を発表し、交渉を止めているのは日本だとの認識を重ねて強調した。
 北方領土交渉は日本側の理由で「事実上止まっている」とする16日のプーチン大統領発言は両国の応酬に発展した。
 今年2月にモスクワで開催した日露外務次官級協議に関して岸田氏が「日本側から積極的に平和条約締結問題を提起し、議論した」と語ったことをめぐっても、ロシア外務省は「平和交渉のテーマで中身のある協議はなかった」と主張した。
 岸田氏に対し「ご自身の公的発言には、もっと注意深くなる必要があるのでは」と皮肉った。(共同)」
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 2015年4月23日 産経ニュース「ロシア軍が北方領土などで演習 5000人規模
 ロシア軍東部軍管区(司令部ハバロフスク)は23日、極東サハリンと北方領土を含む千島列島(クリール諸島)で、5000人規模の上陸阻止演習を開始したと発表した。インタファクス通信などが伝えた。
 軍管区によると、演習は冬季訓練の一環。敵部隊の上陸を想定し、空陸からの攻撃に対し警戒、対処する。サハリンの演習場での戦車を使用した訓練なども含まれているという。(共同)
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 『口語 新約聖書日本聖書協会、1954年
 ルカによる福音書
 第16章
 16:1 イエスはまた、弟子たちに言われた、「ある金持のところにひとりの家令がいたが、彼は主人の財産を浪費していると、告げ口をする者があった。
 16:2  そこで主人は彼を呼んで言った、『あなたについて聞いていることがあるが、あれはどうなのか。あなたの会計報告を出しなさい。もう家令をさせて置くわけにはいかないから』。
 16:3 この家令は心の中で思った、『どうしようか。主人がわたしの職を取り上げようとしている。土を掘るには力がないし、物ごいするのは恥ずかしい。
 16:4 そうだ、わかった。こうしておけば、職をやめさせられる場合、人々がわたしをその家に迎えてくれるだろう』。
 16:5 それから彼は、主人の負債者をひとりびとり呼び出して、初めの人に、『あなたは、わたしの主人にどれだけ負債がありますか』と尋ねた。
 16:6 『油百樽です』と答えた。そこで家令が言った、『ここにあなたの証書がある。すぐそこにすわって、五十樽と書き変えなさい』。
 16:7 次に、もうひとりに、『あなたの負債はどれだけですか』と尋ねると、『麦百石です』と答えた。これに対して、『ここに、あなたの証書があるが、八十石と書き変えなさい』と言った。
 16:8 ところが主人は、この不正な家令の利口なやり方をほめた。この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である。
 16:9 またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。
 16:10 小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。
 16:11 だから、もしあなたがたが不正の富について忠実でなかったら、だれが真の富を任せるだろうか。
 16:12 また、もしほかの人のものについて忠実でなかったら、だれがあなたがたのものを与えてくれようか。
 16:13 どの僕でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。
 16:14 欲の深いパリサイ人たちが、すべてこれらの言葉を聞いて、イエスをあざ笑った。
 16:15 そこで彼らにむかって言われた、「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである。しかし、神はあなたがたの心をご存じである。人々の間で尊ばれるものは、神のみまえでは忌みきらわれる。
 16:16 律法と預言者とはヨハネの時までのものである。それ以来、神の国が宣べ伝えられ、人々は皆これに突入している。
 16:17 しかし、律法の一画が落ちるよりは、天地の滅びる方が、もっとたやすい。
 16:18 すべて自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行うものであり、また、夫から出された女をめとる者も、姦淫を行うものである。
 16:19 ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。
 16:20 ところが、ラザロという貧乏人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、
 16:21 その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。
 16:22 この貧乏人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。
 16:23 そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。
 16:24 そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。
 16:25 アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。
 16:26 そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。
 16:27 そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。
 16:28 わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。
 16:29 アブラハムは言った、『彼らにはモーセ預言者とがある。それに聞くがよかろう』。
 16:30 金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。
 16:31 アブラハムは言った、『もし彼らがモーセ預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。
 第17章
 17:1 イエスは弟子たちに言われた、「罪の誘惑が来ることは避けられない。しかし、それをきたらせる者は、わざわいである。
 17:2 これらの小さい者のひとりを罪に誘惑するよりは、むしろ、ひきうすを首にかけられて海に投げ入れられた方が、ましである。
 17:3 あなたがたは、自分で注意していなさい。もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼をいさめなさい。そして悔い改めたら、ゆるしてやりなさい。
 17:4 もしあなたに対して一日に七度罪を犯し、そして七度『悔い改めます』と言ってあなたのところへ帰ってくれば、ゆるしてやるがよい」。
 17:5 使徒たちは主に「わたしたちの信仰を増してください」と言った。
 17:6 そこで主が言われた、「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう。
 17:7 あなたがたのうちのだれかに、耕作か牧畜かをする僕があるとする。その僕が畑から帰って来たとき、彼に『すぐきて、食卓につきなさい』と言うだろうか。
 17:8 かえって、『夕食の用意をしてくれ。そしてわたしが飲み食いをするあいだ、帯をしめて給仕をしなさい。そのあとで、飲み食いをするがよい』と、言うではないか。
 17:9 僕が命じられたことをしたからといって、主人は彼に感謝するだろうか。
 17:10 同様にあなたがたも、命じられたことを皆してしまったとき、『わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません』と言いなさい」。


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