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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
無宗教の国家神道。
宗教性なき道徳教育としての教育勅語。
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1890年 明治天皇は、国民道徳の基本原理を示す為に『教育勅語』を公布した。
国家神道は、宗教・政治・教育を一体のものとした宗教色の薄い疑似宗教で、如何なる宗教・宗派も拒否される事なく自由に参拝・礼拝ができた。
キリスト教の聖書に対抗する為に、教育勅語を教典とした皇国教育を始めた。
井上毅と儒学者元田永孚らは、皇室神道に陽明学を加え、忠君愛国、滅私奉公、忠孝一致、一億一心、神州不滅、武運長久などの標語で国民を臣民に教化しようとしたのである。
不敬事件。第一高等中学嘱託教員の内村鑑三は、キリスト教の信仰から、天皇を神として讃えるような教育勅語は拝礼できないとして拒否した。
キリスト教会は、「領主の宗教は、領民の宗教」を布教における基本方針として、異教国日本をキリスト教国にするべく神の裔・明治天皇に洗礼を行おうとしたが失敗した。
普遍宗教・キリスト教は、内心は民族宗教・神道を滅ぼすべき悪魔教としながらも、表面的には信者を増やす為ににこやかに振る舞った。
キリスト教会は、絶対神への信仰から、神の裔・天皇の神性を認めない。
敬虔なキリスト教徒は、神社への参拝を拒否した。
現代において。彼等は、靖国神社や伊勢神宮などを否定している。
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ラフカディオ・ハーンは、英語教師として島根県尋常中学校(松江市)に赴任した。
アイルランド生まれのラフカディオ・ハーンは、中世のキリスト教布教で衰退した妖精的精霊崇拝に惹かれ、自然や精霊の信仰を宿す『古事記』に魅了されて来日して住みついた。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)「神道には哲学はない。体系的な倫理も、抽象的な教理もない。しかし、そのまさしく『ない』ことによって、西洋の宗教思想の侵略に対抗できた」(『杵築大社』。杵築大社とは出雲大社)
小泉凡(小泉八雲の曾孫)「当時、横浜に欧米の日本研究者の会があって、ハーンはついに参加しませんでした。彼らはどうしてもキリスト教中心主義的目線で日本を見てるんですよ。『神道は宗教ではない』としました。聖書やコーランのような経典もなく、戒律もないためです。しかし、ハーンは『そこがいいんだ』という。神道は生活習慣と深く結びつき、民族の道徳基盤一切を統合したようなものとしています。物の本質はハーンのほうが見ていたんじゃないかと思うんです」
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西洋礼賛派日本人は、文明開化と共にキリスト教的西洋文化及び高度な教養を受け入れ、神道的道徳・精神や日本の伝統文化を未開の野蛮として破壊していた。
明治天皇は、神代からの「日本の心」を失わない為に、修身・道徳教育の重要性を痛感し、日本人の胸襟を正す為にどう教えるかの方法を議論させた。
文部省は、敬虔なキリスト教徒である女子高等師範学校学長・中村正直が作成したキリスト教精神に基づいた勅語案を提出した。
「忠孝の心は天を畏るるの心に出で、天を畏るるの心は人々固有の性に生ず。されば天を畏るるの心は即ち神を敬ふの心にして……」
法制局長官・井上毅は、道徳に特定の宗教教義や哲学・思想・主義の理論を盛り込み、政治的表現を持ちうる事は不適当で、上から目線で諫め諭す様な説教調は子供の心に弊害を生じる危険性があるとして反対し、明治天皇の「国民に寄り添おうとする」御心に沿った勅語に書き直す事を主張した。
明治天皇は、井上毅と元田永孚に「教育勅語」の起案を命じた。
井上毅は、フランスに留学した経験から、教育勅語が思想や宗教の自由を侵さないようにする事を重視した。
教育勅語は、明治天皇ご自身が国民に親しく語られるお言葉であり、国務に関する詔勅に該当しないものとして、国務大臣の副署を付けない勅語として発布された。
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1月 神武天皇を祭主とする橿原神宮が完成し、3月に社号が決まった。
幕末の頃まで、古墳もない神武天皇は直接の祖先と見做されず、忘れられていた。
新たな聖地として整備され、
皇紀2600年にあたる1940年の参拝者は、正月3が日だけで125万人、2月11日の紀元節には70万人が参拝した。
6月 芳川顕正文相の下、法制局長官井上毅と元田永孚が中心となって宗教・政治・思想・主義を排除した純然とした道徳一色の教育勅語草案を作成した。
10月30日 教育に関する勅語(教育勅語)は、山県有朋内閣の閣議決定を経て、明治天皇の裁可をえて発布された。
欧米列強の教育関係者は、宗教性なき道徳教育としての「教育勅語」を絶讃した。
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1891年・92年 ロシア帝国で飢饉が発生し、37万5,000人が餓死した。
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1891年 日本は、小笠原諸島に続いて硫黄島を日本領土に編入した。
海洋帝国スペインは、アジア近海の交通権をイギリスに奪われた為に、太平洋海域の覇権を維持する為に異を唱えた。
もし。軍事小国日本が、植民地帝国スペインの強力な海軍力に屈して硫黄島をスペイン領と認めれば、日本近海の全ての島は欧米列強に奪われていた。
道義を持って穏便な話し合いで平和解決できるほど、現実の国際外交は甘くはなかった。
所詮。国際法・万国公法は、全ての国家や全ての国民の権利を保障すると宣言していても、実質的には欧米列強の有利なる様にねじ曲げられて運用されていた。
当時の日本は、外圧に弱く尖閣諸島・北方領土・竹島などの領土問題を解決できない現代日本とは、雲泥の差で、戦争覚悟で領土を守っていた。
これこそが、開国による明治維新の真の姿である。
そして、日本が軍国主義化した真の原因である。
それゆえに、欧米列強は軍国日本を憎み滅ぼそうとしたのである。
キリスト教会は、平和を愛する絶対神への信仰ゆえに、神国日本を滅ぼすべく軍国主義打倒に協力した。
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発展途上国日本は、神の裔・天皇を国家元首として軍事国家に急成長しなければ、生きて行けなかった。
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ロシア帝国は、世界戦略からフランスと露仏同盟を締結した。
この同盟締結により、国際情勢は大きく変化した。
欧米列強諸国は、少しでも自国に有利な地位をえ、新たな植民地を獲得するべく、新たな陣営造りとして同盟締結を急いだ。
新興国日本の国土防衛戦略は、帝国主義に伴う国際情勢の変化に翻弄され、あるいは列強間の力関係を巧みに利用して行われた。
日清戦争は、清国・中国との、琉球・沖縄の領有とその周辺海域の支配権をめぐる戦争であった。
日露戦争は、ロシア帝国との、蝦夷地・北海道の領有と日本海の支配権をめぐる戦争であった。
5月 大津事件。日本の司法は、日本とロシア帝国が判決によって戦争になろうとも、三権分離の原則に則って判決を言い渡した。
これまた。尖閣諸島漁船追突事件を中国との友好関係を優先して有耶無耶に解決した外圧に弱い現代日本とは違って、厳然として法律による筋目を通した。
だが。現代日本の反戦平和市民諸団体と中国貿易で利益を得ている日本人経営者は、国益が損なわれようとも、公務執行妨害で逮捕されていた中国人船長の釈放を歓迎した。
12月 田中正造は、議会で足尾銅山鉱毒問題を訴えた。
軍国日本は、危機意識から焦って軍国主義諸政策による近代化で軍事力強化を急いだ為に、各地で環境破壊などの問題を起こしていた。
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1892年 久米邦武筆禍事件。帝国大学教授久米邦武は、学術論文「神道は祭天の古俗」を発表した。
オーストリア=ハンガリー帝国の駐日代理大使ハインリッヒ・クーデンホーフ=カーレルギー伯爵と骨董屋の娘青山光子は、両方の家族・親族の猛反対を説き伏せて結婚した。
日本に於ける、国際結婚第一号である。
映画「カサブランカ」の中で、イングリッド・バーグマンがハンフリー・ボガートにアメリカへの亡命を依頼する登場人物のモデルになったリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯は、次男で、日本名を栄次郎という。
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1893年 学校行事として、陛下の御真影への最敬礼、両陛下の万歳奉祝、教育勅語の奉読、校長の訓話などの基本形式が整えられた。
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1894年 学校行事として、天皇陛下の御真影(写真)への最敬礼、天皇皇后両陛下の万歳奉祝、教育勅語の奉読、校長の訓話などの基本形式が整えられた。
学校は、天皇の御真影や勅語を奉安殿に祀り、全ての教諭や生徒に臣民として最敬礼する事を強制した。
だが。内村鑑三らキリスト教徒や一部の仏教徒は、天皇の御真影や教育勅語の拝礼を拒否して問題となった。世にいう、不敬事件である。
国家は、神の裔・天皇の権威を守る為に教育勅語重視の訓令を追加した。
そして、昭和期に入るや児童・生徒に暗唱を義務付けた。
キリスト教徒は、絶対神への信仰から反発して、神道を否定し、神社への参拝を拒否した。
地球上にあった多くの民族宗教や土着信仰は、キリスト教国欧米列強の植民地となるや消滅した。
日清戦争勃発。
11月16日 漢詩人の逍遙(しょうよう)中野重太郎が、急性肺炎で27歳の若さで死去した。
中野は、漢詩の世界では恋愛詩は軟弱として異端視されて所に、西洋の詩歌・恋愛詩を積極的取り込んで新しい漢詩を確立した。
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新『教育勅語』のすすめ―戦前、品格ある国家と日本人を創った源泉
- 作者:清水 馨八郎
- 発売日: 2007/09/01
- メディア: 単行本