✨15)─5─昭和天皇は、原爆による一般市民大虐殺を抗議した。軍部の皇統護持計画。1945年8月12日~No.62No.63No.64 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 第二次世界大戦は、総力戦であった。
 アメリカ軍は、日本人全てを敵と見なし、男はもちろん、女も子供も殺すべき対象であると全軍に命じていた。
 アメリカ軍兵士は、上官の命令を疑わず、日本人は女子供も容赦なく殺した。
 総力戦とは、敵を再起不能な状態まで徹底的に破戒し、二度と刃向かえないような状況に追い込む為に戦う事である。
 持てる国力を全て投じ、国民全てを戦場・銃後に関係なく総動員する事ではない。
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 軍国日本は、始める時も終わる時も、勝てなくとも、伝統的国際法を忠実に順守する事に心掛けていた。
 ソ連中国共産党は、自分の利益の為ならば平気で国際法を破り、自分の利害でしか動かず、嘘を付き、騙し、奪えるだけ奪っていった。
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 ウェストファリア条約
 「敵と犯罪者の区別」
 「敵は利害が異なる存在であって、善悪とは無関係である」
 「戦争は敵の殲滅ではなく、講和条約で終了する」
 「講和条約が発効すれば、前の戦争の事は外交問題に持ち出してはならない」
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 国際社会は、国際法を順守する事で秩序が保たれている。
 国家は、他国と国際法に基づいて結んだ条約や協定や協約を国内法より優先的に誠意を持って守る義務がある。 
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 1945年 国體護持とは、祭祀王・天皇を守る事ではなく、祭司として三種の神器を継承する資格のある皇族を守る事であった。
 国家神道は、自己欲で動きやすい日本人の邪な心を民族の絆で一つに束ね、国家の命令で祖国を外敵から守る為に自己犠牲で戦う事を強制する、非宗教の軍国主義超国家主義とされた。
 GHQは、教育の現場から民族の連続性を証明する天孫神話と排他的ナショナリズム侵略戦争を美化する軍国主義の政治信条を排除するべく、国家神道に基づいた愛国教育制度の大改革に着手した。
 民主主義価値観で、神格化させた天皇を民族と国家の中核とする民族中心教育と、天皇神話に基づいた道徳、規律、規範を教える「教育勅語」を廃止する事であった。
 国家神道の祭祀儀礼に正当性を与えているのが、皇室神道神社神道とされた。
 日本が明治維新で打ち出した「祭政一致」を放棄させる為に、「信教の自由」と「政教分離の原則」で、非宗教的儀礼・儀式と宗教的祭祀の分離を断行しようとした。
 問題は、国家神道を宗教と認める、宗教性なき政治信条と見なすかであった。
 明治政府は、欧米列強やバチカンの反発を恐れ、国内の仏教やキリスト教教派神道や民間宗教に配慮して、皇室神道を中心とした神社神道を国教とせず、天皇の権威を高める国家神道を非宗教と定めた。
 国家は、「神社非宗教説」に基づき、神社に布教や葬祭といった宗教活動を禁止し、非宗教的祭祀のみに専念させるべく経緯費一切を公金で賄い、行政指導を強化して宗教機能を奪い統制していた。
 国家神道の主要な部分を占めている、宮中祭祀・皇室祭祀をどう扱うかが大問題となっていた。 
 天皇は、国民・民族を代表する唯一の象徴であり、公人である。
 天皇が、自分と家族の無病息災と家内安全と皇室安泰のみを祈るのであれば、それは私的宗教行為である。
 だが、世界の平和と国家の安全と国民の安寧を祈るとき、宮中祭祀・皇室祭祀は自然と公的宗教行事になる。
 宮中祭祀・皇室祭祀を皇室の私的宗教行事とするには、天皇から公的要素を全て剥奪して一般人とし、伊勢神宮明治神宮に血縁でない一般人が参拝しない様に立ち入りを禁止する必要があった。
 日本神道とは、キリスト教価値観では解釈できない邪教であり、宗教的世界基準から逸脱した不可解な宗教であった。
 GHQは、実態が見えず、摑み所のない、得体の知れない国家神道を日本から排除しようとしていた。
 まず見えるものとして、政治から宗教を切り離すべく、公式行事としての宮城遙拝と神社参拝の廃止し、公的機関・施設から神棚を排除した。
 教育を神道から解放する事を大義として、学校現場から御真影教育勅語といった民族優越主義を助長する一切のモノを完全追放した。
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 キリスト教絶対神は、原罪を認めて悔い改める善良な日本人を愛され、洗礼を受け改宗した日本人に恩寵を与える。
 イエス・キリスト聖母マリアの恵みは、父なる神への信仰を受け入れた者に与えられる。
 異教徒のまま死亡した親兄弟は、救われる事なく地獄の炎で永遠に焼かれ続ける。
 死せる亡者の魂の救済は、一切ない。
 多神教神道は、集団的地域的ムラ宗教であり、氏神信仰として、祖先を無条件で神として祀り、自分の家族と子孫の安寧と地域・ムラの安全を祈った。
 一神教キリスト教は、個人的部族的町宗教であり、隣人愛信仰として、唯一絶対神と契約を結んで、自分と家族のみの安全を祈った。
 神道は、「地上」で、自然の息吹に包まれた有限な命を尊いと祀る、寛容な多神教である。
 キリスト教は、「天国」で、絶対神の恩寵に包まれた永遠の命を尊いと感謝する、排他的な一神教である。
 神道キリスト教八百万の神々の一つの神として受け入れても、キリスト教神道を同等の神とは認めなかった。
 一神教多神教は、水と油であり、交わる事な決してない。
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 8月12日 木戸幸一内大臣は、昭和天皇から阿南陸相がバーンズ回答に反対する意見を上奏したてきた事を聞いた。
 「天皇は之に対し、即座にそして率直に次のような趣旨の事を仰せられました。〈連合軍の回答の中に《自由に表明されたる国民の意思》あるのを問題にして居るのであると思うが、それは問題にする必要はない。若し国民の気持が皇室から離れて了って居るのならば、たとえ連合軍側から認められても皇室は安泰と云うことになあない。反対に国民が依然皇室を信頼して居て呉れるのなら、それを国民が自由に表明することによって、皇室の安泰も一層決定的になる。これらの点をハッキリ国民の自由意思の表明に依って決めて貰うことはよいことだと思う〉」
 昭和天皇は、皇室の存続をポツダム宣言の第12条に従って、連合軍の承認ではなく、日本国民の手に委ねる決断をした。
 歴史を学んできた昭和天皇は、ロシア帝室やドイツ帝室が滅んだのは戦争に敗れたからではなく国民から見捨てられたからであり、日本皇室が存続できるかどうかは敗戦を迎えた国民が決める事だと考えた。
 つまり。国體護持は、日本国民が自由意志で決める事であると。
 そして。昭和天皇は、日本国民を信用し、日本国民の総意に自分の命と日本皇室の将来を委ねた。
 戦後。昭和天皇が、マッカーサーと会見して、全ての責任を引き受ける代わりに日本国民を救ってくれるように依頼したのは、日本皇室の存続を認めてくれた日本国民に答えるためであった。
 日本皇室の存続は、アメリカが円滑な占領統治を行うた為の道具として残されたのではなく、日本国民が望んだからである。
 その証拠が、昭和天皇の全国巡幸に見られる日本国民の熱狂的歓迎である。
 GHQ内のマルクス主義者や日本人共産主義者は、如何に昭和天皇の戦争責任を訴え戦争犯罪を告発しても、日本国民は同調し天皇制度廃絶に賛同しなかった。
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 8月14日 昭和天皇は、戦争を終わらせ平和を回復する為に、徹底抗戦派を鎮め、再度、戦争終結の聖断を下した。
 昭和天皇「国體問題についていろいろ疑義があるとの事であるが、……先方の態度に一抹の不安があるというのも一応はもっともだが、私はそう疑いたくない。要は我が国民全体の信念と覚悟の問題であると思うから、この際先方の申し入れを受諾してよろしいと考へる」
 昭和天皇は、「本土決戦をするならば自分も国民と共に戦って死ぬ覚悟はあるが、僅かでも望みがあるのなら、今は国民と共に生きる道を選びたい」、そして自分は「国民の信念と覚悟」と共に歩むと決意を語った。
 国民が守ろうとした「国體」とは、政治的社会的宗教的な制度としての天皇制度ではなく、歴代天皇が受け継いだ「民草と共に在る」という信条にある。
 昭和天皇は、国家がバラバラとなって滅亡する危険がある為に、国民に「国體は護持された」と嘘をついた。
 大日本帝国憲法で「神聖不可侵の国家元首」と定められた存在であれば、国民は命を犠牲にしてまで国體など守りはしなかったし、自分と変わりのない人間である天皇などは早い時期に捨てるか殺害していた。
 日本民族日本人が玉砕までして天皇を守ろうとしたのは、殉教する為に洗脳された天皇教の狂信者だからではなかったのである。
 政府はポツダム宣言受諾の閣議決定し、全閣僚が憲法に従い決定書に署名した。
 天皇は、宣言を受諾した事を国民と全将兵に知らせる為に、終戦詔書を朗読して録音した。
 世に言う、「玉音」である。これができたのは、神の裔・天皇のみであった。
 連合国軍は、日本が降伏を受諾した事を知りながら、8月14日の深夜まで日本本土空襲と沿岸諸都市への艦砲射撃を継続した。
 つまり、戦闘は9月2日まで終わる事はなかった。
 トルーマンやスチムソンやバーンズらは、このごに及んでも天皇を中心とした国體を守ろうとする日本人の忠君愛国に恐怖し、天皇を存続させてはアメリカの脅威になるとして廃絶させる事にした。
 ただし、国體を守ろうとする日本人がいる間は天皇を利用する事とした。
 日本国民が自主的に天皇制度を廃止する様に民主主義を与え、皇室が弱り抵抗できなくなる様に皇族を少数にして孤立化した。
 アメリカは、すべての専制君主及び独裁者を打倒する為に、自由と民主主義の正義をかざしていた。当然、天皇も打倒すべき相手であった。
 キリスト教会は、日本をキリスト教に生まれ変わらせる為に全面的に協力した。
 スターリンユダヤ人)は、日本を共産主義陣営に組み込む為に、天皇を人民の敵と名指ししていた。
 ユダヤ人は、ヒトラーと同盟した天皇に復讐するべく両陣営に資金を出して協力した。
 アメリカ軍は、日本が無条件降伏を受諾したにもかかわらず、14日一杯日本各地を攻撃した。
 ニューヨーク・タイムズ「太平洋の覇権を我が手に 我々は初めてペリー以来の願望を達成した。もはや太平洋に邪魔者はいない。これでアジア大陸の市場と覇権は、我が物になったのだ」
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 阿南陸相は、降伏詔書に副署を終えた後、鈴木首相に別れの挨拶をした。
 阿南「閣下、先般来私が申し上げました事は、閣下に対して非常にご迷惑であったと思いますが、私はただ皇室の御安泰を念ずる事以外何ものも他意はありません。お許し下さい」
 鈴木「阿南さん、貴方のお心持ちは私はよく知っております。皇室は阿南さん、必ず御安泰ですよ。
 何となれば、今の陛下は春と秋のご先祖のお祀りを必ずご自分で熱心になさるお方でございますから」
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 8月15日 昭和天皇による敗戦の玉音放送
 昭和天皇は、ポツダム宣言を受諾する玉音放送で「敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻に無辜を殺傷し惨害の及ぶ所真に測るべからざるに至る而も尚交戦を継続せむか終に我が民族の滅亡を招来するのみならず延(ひい)て人類の文明をも破却すべし斯(かく)の如くむは朕何を以てか億兆の赤子を保し皇祖皇宗の神霊に謝せむや是れ朕が帝国政府をして共同宣言に応ぜしむるに至れる所以なり 」と、無差別殺傷大量破壊兵器原子爆弾の使用に対して抗議する発言を差し込んだ。
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 米内光政海相は、昭和天皇に「日本民族は大変優秀な民族であるから、50年後には必ず甦ります」と言った。
 昭和天皇は、「私はそうは思わない、300年かかると思う」と仰った。
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 河上徹太郎「国民の心を、名も形もなく、ただ在り場所をはっきり抑へねばならない。幸い我々はその瞬間を持った。それは、8月15日の御放送の直後の、あのシーンとした国民の心の一瞬である。理屈をいひ出したのは16日以降である。あの一瞬の静寂に間違ひはなかった。また、あの一瞬の如き瞬間を我々民族が嘗て持ったか、否、全人類の歴史であれに類する時が幾度あったか、私は尋ねたい。……ただ国民の心というふものが紛れもなくあの一点に凝集されたといふ厳然たる事実を、私は意味深く思い起こしたのだ」
 国民の多くは、戦争が終わり死ななくても良くなった事に狂喜して喜ぶどころか、「明日、死ぬ」という張り詰めていた覚悟が一瞬にしてなくなり虚脱状態となり、目的を失って茫然自失となり、今の空腹を満たす為に何処で食べ物を手に入れるかを考えていた。
 戦争には負けたが事に悔しいというよりは言い知れない哀しみを抱いたが、昭和天皇の「国體は守られた」との言葉に将来への安堵を感を得、「堪へ難きを堪へ忍び難きを忍び」という言葉に言葉に出来ない悲しさに沈んだ。
 日本民族日本人の多くは、戦争で死んだ身内が英霊として祀られている靖国神社護国神社を参拝し、重苦しい戦争という状態から解放される為に彼らの声なき声を聞こうとした。
 心ある者は、澄み切った静寂に包まれた緑なす自然の佇まいの中で、心で神懸かり的に靖国神社の声を聞いたと信じ込んだ。
 穏やかな木漏れ日の光や心地よくそよぐ風の音や心和むせせらぎの水の音に、民族的琴線で「何かを聴いた」と。
 心のない者には、その声なき声が聞けないし、日本が味わった真の悲しみが理解できない。
 靖国神社参拝は、中国や韓国・北朝鮮などアジア諸国の激しい非難を受けながら続けられてきた。
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 1941年12月 大日本帝国憲法は正常に機能しており、立憲君主制度下では、昭和天皇が最終的決定権を持ったが、勝手に、戦争を始めたり、戦争を避けたり、戦争を止めたり、する事は憲法違反として許されなかった。
 1945年8月 日本は滅亡寸前にあり、憲法が機能せず、政府も、軍部も、議会も、戦争終結を決断できない状況に陥った為に、昭和天皇国家元首大元帥の両大権で「御聖断」を下した。
 日本は、無政府状態で無条件降伏して連合軍の直接軍事統治を受けたナチス・ドイツとは違って、天皇の統治を受けた正統政府が存在していた。
 連合軍は、ポツダム宣言の第5条で示した条件で降伏を受諾した日本政府の主権を認め、第10条で「日本人を民族として奴隷化せんとし又は国民として滅亡せんとするの意図を有するものに非ず」と確約した。
 国體としての天皇制度を尊重し、存続を認めると約束した。
 連合国が示したのは、日本国の無条件降伏ではなく、全日本国軍隊を解体するという無条件降伏のみであった。
 昭和天皇の戦争責任を問い戦争犯罪者として訴追する事は、如何なる国際法においても明らかなる違反であった。
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 日本軍は、天皇の停戦命令に従って武器を置いた。
 日本国民は臣民として、終戦詔書を掲載した新聞を読み、「国體護持」された事に安心し、天皇の意思に従って降伏を受け入れた。
 臣民は、天皇の命と国體を守る為に、本土決戦と一億玉砕を覚悟していた。
 天皇が責任逃れをして国民に訴えず、総理か皇族が降伏を宣言すれば、日本は内戦状態となって消滅していた。
 ロシア皇帝やドイツ皇帝の様に国民への責任から退位を行えば、皇室は消滅し、日本そのものも崩壊していた。
 ゆえに、天皇は退位という愚策を取らず、国民と苦労を共にする為に在位を続けた。
 国民は、天皇の在位を当然の事として受け入れ、暴動、内戦、革命を起こさず、協力して国家の復興に邁進するとの決意を新たにした。
 ソ連軍は、北海道を目差して各地の日本軍守備隊を攻撃し、逃げ遅れた日本人避難民を襲っていた。
 東京の陸軍中央は、各守備隊に抵抗を中止して降伏し、ソ連軍の速やかな侵攻を邪魔しない様に命じた。
 転向共産主義者である革新官僚大政翼賛会の隠れマルクス主義者は、ソ連軍が侵攻するまでの時間稼ぎとして、アメリカ軍の進駐に不満を抱く徹底抗戦派が内戦を起こす事を期待した。
 神聖不可侵の天皇の重みとは、そういうモノである。それが、2000年以上、守り、受け継がれた日本民族の偉大な遺産である。
 アメリカ空軍中国派遣軍司令官シェンノート将軍は、ニューヨーク・タイムズ誌で、原爆を使わなくともソ連の参戦で日本は降伏したと発言した。
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 世界史の常識では、終戦日は9月2日である。
 8月15日から9月2日までは、停戦状態であったが、散発的な戦闘が継続していた。
 8月15日を終戦日とするのは、世界の非常識である日本史だけである。
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 出光佐三「日本は必ずや再び立ち直る。世界は再び驚倒するであろう」
 「我が社には最大の資産である人がまだ残っている」
 「愚痴をやめよ」
 「黄金の奴隷たるなかれ」
 「店員は家族と同然である。社歴の浅い深いは関係ない。君達は家が苦しくなったら幼い家族を切り捨てるのか」
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 富岡定俊軍令部第一部長は、国體護持の為に米内光政海相の賛同を得て、極秘の皇統護持作戦を立案した。
 連合国がポツダム宣言を無視して昭和天皇に危害を加え、皇統を絶やそうとした時、国體を守る為に行動を起こす。
 万が一の事が起きた際、皇族の一人を日本国内の何処かに匿い、然るべき時まで密かに守り続ける。
 海軍参謀の土肥一夫中佐と宮崎勇中佐は、海軍省勅任嘱託の平泉澄を訪れ、国體護持で何が重要かを尋ねた。
 平泉は、皇位継承に必要なのは昭和天皇陛下ではなく「三種の神器」であると説明した。
 国體とは、三種の神器の継承行為であると。
 軍令部総長豊田副武大将と海軍大臣・米内光政大将と高松宮宣仁親王殿下は、皇統護持作戦を了承していた。
 大金益次郎宮内次官は、機密費20万円を用意した。
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 ニューヨーク・タイムズ紙「この怪物は倒されたが、いまだに生きている。この危険な怪物の毒のある牙を徹底して抜き去らぬばならない」
 アメリカ世論は、戦勝国の権利として、敗戦国日本を西洋キリスト教価値観で改造し、異教徒の王・昭和天皇を戦争裁判で処分する事を要求した。
 8月17日 源田実大佐は、霞が関の地下にある海軍省軍令部作戦室で富岡定俊少将に会った。
 富岡部長は、土肥中佐から報告を聞き、高松宮の了解を得て作戦準備に取り掛かり、松山の343空司令の源田実大佐に命じた。
 作戦は、昭和56年1月7日に終了した。
 陸軍は国體護持作戦として、中野学校関係者を中心に、陛下の血筋を守るべく北白川宮道久王殿下を安全な何処かに保護する計画を立案した。
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 『USニューズ』誌編集長はD・ローレンスは、原爆は無差別大量殺傷兵器であり、アメリカが使用した事は恥ずべき行為であり、子孫に誇る事の出来ない汚点であると嘆いた。
 軍の制服組は、都市の爆撃で日本は崩壊寸前で、原爆投下もソ連の参戦がなくとも数週間後には降伏していたと証言した。
 軍司令官などの高級将校ほど、原爆投下は誤りであり、原爆を作った科学者が実験として使ってみたかったと、発言した。
 政治家は、シビリアン・コントロールとして、制服組の発言を封じ、全ての情報を国民に知らせないように規制を強化した。そして、原爆投下の正当性を強調するために嘘の情報を捏造して流した。
 報道規制と報道操作は、アメリカの方が日本寄りも優れていて、情報管理は徹底していた。
 アメリカ国民は、「報道の自由」を確信するがゆえに、日本国民以上に報道を信じていた。
 インドネシアは、旧日本軍の協力を得てオランダからの独立を宣言した。
 オランダは、植民地支配を回復する為にイギリスの軍事支援を得て鎮圧部隊を派遣した。
 4年半の内戦によってオランダ軍は敗北して撤退し、インドネシアは独立を勝ち獲った。
 この間、オランダ軍は80万人以上のインドネシア人を虐殺した。
 8月18日 スターリンは、戦勝国の権利として北海道北部を占領地として領有する事を要求した。トルーマンは、北海道は日本の領土に留めるものとして拒否した。
 スターリンは、日本に領地を獲得する為に、日本に向けての軍事侵攻を命じた。そして、人民解放という「共産主義大義」を掲げ、日本国内の反天皇派日本人にソ連軍の日本占領に協力する様に示唆を与えた。
 8月19日 長崎県大村海軍航空隊基地。第343海軍航空隊司令源田実大佐は、基地隊員に対して天皇陛下の御聖断で敗戦と決まったと伝え、搭乗員準士官らに自決をする為に志願者は再集合するように命じた。
 飛行長・志賀淑雄少佐ら23人を、自決を覚悟して集合した。
 その決意に変わりないかを確かめる為に、ピストルと渡し、連判状に署名させ、暫く後に別れの杯を交わした。
 源田大佐は、決意が代わらなかった者に極秘命令として「皇統護持作戦」を打ち明けた。
 皇統護持作戦とは、占領軍が日本占領に際して、日本皇室をドイツ皇室やオーストリア皇室の様に断絶させる恐れがあり、伝統ある万世一系男系天皇(直系長子相続)を護持しようとした極秘作戦であった。
 海軍軍令部作戦部長の富岡定俊少将が、米内光政海相豊田副武軍令部総長の了承の下て、大金益次郎宮内次官と協議して立案し、高松宮宣仁親王殿下の同意を得た極秘作戦であった。
 第343航空隊は、最新鋭戦闘機「紫電改」で編成された本土防空の最強部隊で、45年3月19日の初陣から敗戦までにB29及びB24爆撃機を含めた170機以上を撃墜していた。
 同作戦命令解除されたのは、1981年であった。
 当時の日本人にとって、「国體」とはそれほど重要な意味を持っていた。
 8月20日 陸軍中野学校は、天皇家の血筋を守るため若宮を地方に隠匿するとい極秘命令を実効する為に皇統護持工作部隊を組織した。 
 皇統護持工作部隊は、同夜、極秘作戦を開始するべく、軍用トラック2台に必要な物資を積んで東京・駿河台崖下から、何処かへ出発した。
 ソ連軍は、南樺太の真岡に上陸し攻撃した。そして、真岡郵便局の悲劇が起きた。ソ連軍兵士は、戦勝国の権利として、各地で抵抗する日本軍部隊を攻撃し、逃げ遅れた日本人住民を強姦し殺害し略奪した。
 それが、「人民の解放」を掲げる共産軍の詐らざる真の正体であった。
 左翼・左派のマルクス主義者日本人は、ソ連軍を解放軍として、アメリカ軍よりも先に日本に受け入れようとしていた。
 ソ連軍は、8月28日に択捉島を占領し、9月1日には国後島色丹島を占領した。
 8月24日 皇国義勇軍による松江騒擾事件
 この後も、右翼によるテロ事件が頻発した。
 アメリカ軍統合参謀本部は、日本に向かうマッカーサーに、日本統治に関する14項目からなる指令を手渡した。その中に、天皇に関する項目があつた。
 「貴官は、天皇の取り扱いに関する特別指令を受理するまでは、天皇戦争犯罪人とする如何なる措置も執らないものとする」
 8月26日 東久邇宮稔彦首相は、賀川豊彦を代表とする日本キリスト教指導者数人とアメリカ人宣教師数人を首相官邸に招いて、キリスト教会に日本復興への協力を要請した。
 「我が国は、イエス・キリストの教える新しい倫理を必要としている。仏教も神道も、敵を許せとは教えてくれない。日本が復興する為には、国民生活の基礎にイエス・キリストが必要である」
 8月29日 天皇は、木戸幸一内大臣に「戦争責任者を連合国に引き渡すは真に苦痛にして忍び難きとなるが、自分が一人引き受けて退任でもして納める訳には行かない」と、嘗て忠誠を尽くしてくれた責任者を敵側に戦争犯罪人A級戦犯)として処断するのは忍びないと心の内を語られた。
 もし、この時、昭和天皇が戦争責任を取って退位していれば、ロシア帝国ドイツ帝国の様に日本にも暴力的共産主義革命が起きていた。そして、反天皇革命が成功するしないに関係なく、先の大戦以上の犠牲者が出て日本そのものが消滅していた可能性がある。
 8月30日 賀川豊彦は、日本をキリスト教へ生まれ変わらせるべく、日本に到着するマッカーサー元帥に直訴する為の提案書を書き上げ、それを読売新聞で発表した。
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 神奈川県のみのアメリカ軍兵士による婦女強姦や暴行事件は、進駐した一ヶ月間で2,000件を越えたといわれている。
 全国での、アメリカ軍兵士の犯罪事件は2万件以上といわれるが、表に出ていない事件を入れると正確には数字は不明である。
 連合国兵士は、宗教的科学的人種差別主義者であった。
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 終戦詔書 
 朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、茲(ここ)に忠良なる爾(なんじ)臣民に告ぐ。
 朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり。
 抑々(そもそも)帝国臣民の康寧(こうねい)を図かり、万邦共栄の楽を偕(とも)にするは、皇祖皇宗の遣範(いはん)にして、朕の拳々(けんけん)措(お)かざる所。
 曩(さき)に米英二国に宣戦せる所以も、亦(また)実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに出いで、他国の主権を排し、領土を侵すが如きは、固(もと)より朕が志にあらず。
 然るに、交戦已(すで)に四歳を閲(けみ)し、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚(ひゃくりょう)有司の励精(れいせい)、朕が一億衆庶(しゅうしょ)の奉公、各々最善を尽(つく)せるに拘(かかわ)らず、戦局必ずしも好転せず。
 世界の大勢、亦(また)我に利あらず。
 加之(しかのみならず)、敵は新に残虐なる爆弾を使用して、頻(しきり)に無辜(むこ)を殺傷し、惨害(さんがい)の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。
 而(しか)も尚(なお)交戦を継続せむか、終(つい)に我が民族の滅亡を招来(しょうらい)するのみならず、延(ひい)て人類の文明をも破却(はきゃく)すべし。
 斯(かく)の如くむは、朕何を以てか億兆の赤子(せきし)を保(ほ)し、皇祖皇宗の神霊に謝(しゃ)せむや。
 是これ朕が帝国政府をして共同宣言に応(おう)せしむるに至れる所以なり。
 朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦(しょめいほう)に対し、遺憾(いかん)の意を表(ひょう)せざるを得ず。
 帝国臣民にして、戦陣に死し、職域(しょくいき)に殉(じゅん)し、非命に斃(たお)れたる者、及其の遺族に想を致せば、五内(ごだい)為に裂さく。
 且(かつ)戦傷を負い、災禍(さいか)を蒙り、家業を失いたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念(しんねん)する所なり。
 惟(おも)うに、今後帝国の受くべき苦難は固(もと)より尋常にあらず。
 爾(なんじ)臣民の衷情(ちゅうじょう)も、朕善く之を知る。
 然(しか)れども、朕は時運の趨(おもむ)く所、堪(たえ)難(がた)きを堪え、忍び難を忍び、以て万世の為に太平を開かむと欲す。
 朕は茲(ここ)に国體を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠(せきせい)に信倚(しんい)し、常に爾臣民と共に在り。
 若(も)し夫(そ)れ情の激する所、濫(みだり)に事端を滋(しげ)くし、或は同胞排儕(はいせい)互に時局を乱り、為に大道を誤り、信義を世界に失うが如きは、朕最も之を戒む。
 宜(よろ)しく挙国一家子孫相伝(あいつた)え、確く神州の不滅を信じ、任(にん)重くして道遠きを念(おも)い、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操(しそう)を鞏(かた)くし、誓て国體の精華(せいか)を発揚(はつよう)し、世界の進運(しんうん)に後(おく)れざらむことを期すべし。
 爾臣民、其れ克(よ)く朕が意を体せよ。
 御名御璽
 昭和二十年八月十四日
 各国務大臣副書
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 ソ連は、9月5日迄に北方領土を武力占領した。
 現代日本の一部には、ロシアとの友好の為に四島一括返還ではなく、二島先行返還か、面積半分の三島と半島返還を支持している。
 そこには、江戸幕府後期以来のサムライ達が自己犠牲で守ろうとした祖国への思いは存在しない。



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