🌏27)─1─大日本帝国憲法発布。キリスト教の宗教侵略に対する精神防衛として国體を強化した。1888年~No.81No.82No.83No.84 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 ハーバート・ノーマン「封建時代と現代との境界と画した1868年の革命が中途半端であった為に、封建日本は近代日本社会との消えない傷跡を残した」
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 ニーチェ「誰にも気を悪くさせまい、誰にも迷惑をかけまいとする事は、公正な性質の印でもあれば、同様に臆病な性質の印でもあるいる」(『人間的、あまりに人間的Ⅰ』)
 「君達は、自分自身に我慢がならず、自分を充分に愛していない。そこで、君達は、隣人を誘惑して自分に好意を抱かせ、隣人の思い違いでもって自分を金メッキしようと欲するのだ」()『ツァラトゥストラ 第一部 隣人愛について』
 「真に、私は、同情する事において至福を覚える様な、哀れみ深い者達を好まない、彼等はあまりにも羞恥心が欠けえるいるのだ」『ツァラトゥストラ 第二部 同情深い者達深い者達深いについて』
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 日本の神は、「kami」であって「ゴッド」ではない。
 Godは、「神」ではなく「天主」である。
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 無宗教国家神道は、グローバル宗教・キリスト教からローカル宗教・天皇中心の皇室神道を守る為の防壁であった。
 明治期の日本は、表面には見えない、グローバルに対するローカルな宗教戦争を行っていた。
 国體と皇室神道を守る為に、祖国の為に戦って死んだ兵士や軍隊に協力した軍属や従軍者達を神として靖国神社に祀った。
 靖国神社とは、侵略戦争の為の好戦的宗教施設ではなく、祖国防衛戦争・自衛戦争を行う為の心の拠り所、精神的支柱であった。
 日本民族は、2000年近く、先祖代々、受け継いできた、神の裔・天皇を中心とした国體を自分の命を犠牲にしてでも守ろうとした。
 それが、日本の民意であった。
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 平田派神道家と津和野藩出身の国学者は、御維新にあたり、国家ビジョンとして新政府に対して、神武創業の祭政一致国家を理想像とする王政復古の大号令を宣言させた。
 新政府の高官達は、身分低い出身であっただけに、神の裔・天皇を使い勝手の好い便利な道具として「玉」と呼んでいた。
 新たな国體としての、非民主主義的手法による専制君主的親政の始まりである。
 世にいう所の、邪悪な帝国主義天皇制度支配である。
 儒教学者(中国系)や仏教勢力(インド系)は、旧勢力として新政府成立の蚊帳の外に置かれた事に危機感を抱いた。
 両者は、かっては敵対関係にあったが、新勢力である国学から政治権力を神道から宗教権威をそれぞれ奪還するに手を組んだ。
 だが。儒学者の中でも、異端派として迫害された陽明学と正統派として権勢を振るった朱子学が激しく対立していた。
 仏教勢力内でも、賊軍・幕府に味方した為に冷遇された宗派と官軍・新政府に味方して厚遇を受けている宗派で反目し合っていた。
 明治初期。日本は、水面下で、宗教と思想の両面で流血の伴わない熾烈な権力闘争が起きていた。
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 「おかげさま」・「お互い様」・「あいみたがい」そして「もったいない」といった神道的価値観による「相互補完共生」あるいは「隣保扶助」は、島国のムラ共同体をやんわりとまとめる事が出来ても、国民を束ね国家を武装し欧米列強と肩を並べて国威を発揚する力はなかった。
 仲間内の「絆」を大切にするか弱いムラ意識的没個性では、他人を蹴落としても勝ち残り富を独占するという個性の強い弱肉強食の大陸社会では生きられない事は明らかであった。
 ひ弱な集団主義的「和」は、強靱な帝国主義諸原理には通用しなかったし、個性を重視する大陸の人民には理解されなかった。
 日本文明は、大陸の諸文明とは完全なる異質文明であった。
 神道には、天皇心神話における事細かな祭祀儀礼はあっても、経典・聖典や教義・教理や戒律・律法といった統一された体系を持たないだけに、国権意識も民権意識もなく、国粋主義も国際主義も無縁であった。
 関心事は、ムラとそれを取り巻く自然環境の事であり、自分とムラ人の事であり、祖先と家族と子孫の事であり、過去と現在と未来であった。
 単純明快に、大自然の営みを複数の貴い神々の息遣いとして崇め、機嫌を損ねて荒神(荒魂)として暴れる事なく良い神(和魂)として、ムラと家族と子孫の為に恵みを与えてくれる事をのみをひたすら祈った。
 その為に、自分一人だけが金を儲け豊かになろうとする我利我欲を「心の穢れ」と忌み嫌い、他人に迷惑をかけて反省しない身勝手な私利私欲を「心の不浄」として捨て去り、無心となって他人と地域の為に働く事を「無情の喜び」として心がけた。
 ムラは、一つしかない灌漑用水路を共有する仲間として、出る杭は打たれる的に調和を乱す個性を嫌った。
 そして、なるべく貧富の格差を最小限にとどめる事に努力した。
 神道では、自分だけが良ければそれど良いという自利自愛ではなく、他利他愛に心がける事こそ、人の正しい道とされた。
 島国宇宙の自然環境の恵みで生かされている事に感謝し「かたじけない」そして「ありがたや」と口に出さずに心の中でつぶやき、繊細で壊れやすく回復しづらい自然の生態系に「はかなさ」と「もののあわれ」を感受した。
 荒々しく全てを破壊し奪い去る自然の猛威に、傲慢になった人への神罰を覚えて恐懼した。
 他人に叱責される前に、自分自身を省みて反省し、行いを自ら正した。
 神道とは、自然崇拝宗教として、自然を敬い、自然と共に生き、自然の恵みの一部を分けてもらって生活する「感謝の心」である。
 江戸時代は、鎖国を行っていた為に、外国に依存しない自給自足の生活として完全な再生可能な循環システム社会を完成させていた。
 神道は、五穀豊穣の恵みを与えてくれる、自然に満ちあふれた里山に神社・社を建てムラの百姓神を祀り、全てのムラ人が平等に共有する山林を百姓神の神域とした。
 神社は、森林を神々が住まう神聖な鎮守の杜として大切に保護した。
 生き生きとした田園風景の中に、「言霊」としての情緒的日本語が息づいていた。
 天皇の祖先神・女神から授かった天壌無窮の神勅に従い、稲穂を神聖な食物として祭祀を行った。
 日本文明の核心は、自然の恵みに無条件で感謝し、人が飢えてひもじい思いをしない為の稲穂(コメ)信仰である。
 コメは、欲得の金銭感覚で消費される商品ではなく、掛け替えのない命を保ち子孫に伝える貴き神の分身として大切にされた。
 ゆえに、ムラ社会においては、コメは天皇心神話の天壌無窮の神勅で守られてきた。
 そこには、弱肉強食の国際社会で生き抜く為に国家と国民を統合するキリスト教的価値観は存在しなかった。
 島国のムラ長には、ムラ人を「絆」を「和」でまとめる調整能力のある老人が選ばれた。
 大陸の指導者には、人民を「利」で引っ張って行く個性に強いカリスマ性のある若者が選ばれた。
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 集団の「和」は、狭いムラに住む仲間として、協力してコメを作るという労働集約型農業の水田稲作で生まれた。
 同じムラに住む仲間として一緒になって、ムラ全体に均等に水を引く灌漑用水路を建設して維持した。
 仲間の「絆」は、上流の源流から下流の河口、さらには広々とした海にいたるまで、そこに流れる清流を媒体として全ての心を一つにつないでいた。
 山の民・野の民・海の民まであらゆる集団の「絆」を、神道はムラの神社に祀った。
 神道信仰は、あくまでも「光と緑と水」による自然崇拝であった。
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 真山和幸「(和を以て貴しとなす、とは)『波風を立てるな』という意味で使われることが多いのですが、本来は、『意見が異なるのは当たり前だから、よく話し合え』という意味で、議論の大切さを説いています。飛鳥時代の政治改革において、〝話し合う〟という価値観が重要とされたのです」
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 正統派儒学価値観の朝鮮には、自然に感謝するという無心の「もったいない」は存在しない、あるのは金銭の欲得として無駄にしないという利益重視の「もったいない」である。
 つまり。日本文明としての「もったいない」と中華文明・朝鮮文化としての「もったいない」は、その根本からして真逆な意味で使用されている。
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 儒教は、徳を持って天から地上を統治する様に命じられた中華皇帝を支えるべく、普遍的価値を持つ神や仏を完全破壊し、その信者を容赦なく根刮ぎに虐殺した。
 江戸時代。仏教は神道を支配し、儒教国学蘭学同様に迫害していた。
 中国を盲目的に崇拝する朱子学は、官学として、地上における唯一の正統な支配者は中華皇帝であるとして、日本天皇を偽皇帝として認めなかった。
 日本将軍は中華皇帝に臣下の礼をとり、中華皇帝から将軍の印綬と日本統治の権を得るべきであると確信していた。
 正統派として、中国を野蛮と批判し、天皇を尊ぶ陽明学山鹿素行吉田松陰ら)を排斥した。
 朱子学は、中国や朝鮮を仁者が徳を持って統治する理想国家として憧れ、日本を中国化する為に儒教教育に力を入れた。
 つまり、アジア世界の朝貢冊法秩序体制により、夷国日本を朝鮮同様に中国の隷属国にする事を理想としていた。
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 神道国学は、冷や飯を喰わされてきたこれまでの恨みを晴らすべく、全国で天皇に心を寄せる庶民を動員し、各地で廃仏毀釈暴動を起こして仏教施設を破壊した。
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 仏教界は、祭祀王・天皇の権威を借る国学者や神社側の攻勢で窮地に立たされた。
 巻き返しの為に、宗教行政の研究を名目として僧侶を欧米列強に派遣し、フランスにおける政教分離国民国家にヒントを得た。
 新政府は、キリスト教の解禁は神の裔・天皇の神権否定と神国日本の破壊につながと恐怖したが、それ以上に廃仏毀釈暴動による仏教破壊の広がりが社会秩序の崩壊につながると警戒した。
 国家の災厄を払う「鎮護国家」思想を掲げる仏教界は、君臣倫理である「忠君愛国」「忠孝一致」を大義とする陽明学儒学者と協力して、神道の国教化に反対し、国学者の「豊葦原の瑞穂の国」理想郷を潰しに取りかかった。
 事実。国学者と神社側が目指す天孫降臨神話と日本古典文学に基ずく理想国家像は非現実的な空論であり、近代的法治国家を建設し、国民を一つにまとめ統合する合理的国家理論ではなかった。
 それ以上に、キリスト教欧米列強の侵略という、今そこに迫っている弱肉強食の帝国主義時代に対抗するだけの即応力がなかった。
 つまり、気弱な国家神道では日本は保たないということである。
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 幕藩体制下で生活してきた庶民は、低い身分出身で政府高官に出世した伊藤博文小作人出身、東荷神社)や山県有朋足軽出身)などを信用せず、敬愛する天皇の勅命や示唆といわれても彼等の口から出たものである為に、にわかに従うべきか戸惑った。
 明治政府の高官達は、官学であった正統派朱子学によって低い身分で冷遇されていた遺恨から、異端派陽明学に惹かれていた。
 祖先神・氏神を持つ信心深い庶民は、神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)の勅命は素直に従うつもりであったが、何処の馬の骨ともわからない成り上がりで下賤の身である政府高官の命令は胡散臭く疑った。
 国體を守ろうとする民族主義的庶民は、大陸の人民とは違って権力を振るう国家・政府・体制をおいそれとは信じず、民草の安寧を祈ってくれている祭祀王・天皇を御上として無条件に信じていた。
 祖先神・氏神の神社を持つ庶民にとって、天孫降臨神話から続く神の血筋としての皇統は、靖国神社同様に、自分を犠牲にしても守るべき貴い民族遺産であった。
 卑しい出自の政府高官等は、権威を付ける為に天皇を玉として利用したが効果が薄いとわかるや、国民を国家の命令に屈服させる為に旧保守勢力の仏教界と儒学者に協力を求めた。
 現実的近代勢力は、妄想的古典勢力に対する反撃を開始した。
 政府高官は、国家の大行事の名目で、明治5年5月から18年8月までに88回に及ぶ全国行幸明治天皇にさせた。
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 ニーチェ「喜びを多く持つ人は、……最も怜悧な者ではないだろう。最も彼等は、まさしく最も怜悧な者がその全ての怜悧さをかたむけて手に入れようと努力するものをすでに手中にしてしまっているのだが」(『人間的、あまりに人間的Ⅱ』)
 「運命愛……これが今よりのち私の愛であれかし!」(『悦ばしき知識』)
 「『一切の直線的なものは偽る』と子びとは軽蔑するかのように呟いた。『一切の真理は曲線的であり、時間自体が一つの円環である』」(『ツァラトゥストラ・第三部 幻影と謎について』)
 「一切は行き、一切は帰って来る。存在の車輪は永遠に回転する。一切は死滅し、一切は再び花咲く。存在の年は永遠に経過する。……全ての刹那に存在は始まる。……中心は至る所にある」(『ツァラトゥストラ・第三部 回復しつつる者』) 
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 1888(明治21)年 明治新政府は、日本を近代国家にするべく、封建時代の旧知識しか持たない士族出身者を官僚から排して、ドイツの公務員採用試験を参考にしたキャリア採用試験制度を開始した。1894年から、身分や家柄に関係なく、各地の帝国大学で最新の欧米式近代教育を受けた者に高等文官試験(高文試験)を受けさせ、合格者を高等官として採用して国家権力を与えた。
 新たな高級官僚は、旧藩閥出身のサムライ官吏を政治の中枢から排除し、権力を掌握して新たな官僚機構を作って利権を独占した。
 官憲専横による、腐敗堕落した官僚天国の始まりである。
 軍部においても、身分・家柄ではなく、試験で高得点をとった丸暗記に優れた秀才型軍人官僚が主導権を取り、現場ではなく後方で幕僚支配体制を作り上げた。
 軍国日本は、身分・家柄を無視したエリート官僚による前例主義の硬直した官僚支配体制で、太平洋戦争に暴走し、国土を焦土と化して破滅した。
 試験で高得点をとったエリート官僚は、清廉潔白を名誉とする世襲制によるサムライではない。
 理性を持って自戒できれば欧米の官僚に近いが、理性を捨てれば不正・横領を恥じない中国や朝鮮の役人の様な貪官汚吏に成り下がる。
 それが、赤貧を誇りとするサムライではない没個性の日本官僚の宿命である。
 11月 黒田清隆内閣の大隈重信外相は、従来の国権重視の原理原則論では不平等条約改正は出来ないと判断した。
 そこで、外国人の国内犯罪には外国人判事を任用して加えるという井上改正案を修正し、今後12年間に限り大審院に外国人判事を任命するという案を提出して、条約改正交渉を始めた。
 自国産業を、安い外国製品の輸入から保護する為に輸入関税率を決める権利である、自主独立国としての関税自主権の回復も急がれた。
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 国體とは、君民一体の姿、天皇と国民が一体となった姿である。
 そして、天皇と国民が共に国を治める事である。
 日本とは、君民共治である。
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 福沢諭吉「国體の情の起る由縁を尋ねるに、人種の同じきに由る者あり、宗旨の同じきに由る者あり、あるいは言語に由り、あるいは地理に由り、その趣一様ならざれども、最も有力なる源因と名づくべきものは、一種の人民、共に世態の沿革を経て懐古の情を同うする者、即これなり」(『文明論之概略』)
 国體とは、民族における物語、ノスタルジアを共有できる者達。
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 伊藤博文「西洋にはキリスト教なるものがあって、これが国の機軸をなすが、日本にはそれに相当するものがない。よって皇室をもって機軸とし、あえて西欧流の三権分立制を取らず」
 ロシアの侵略から祖国と国民を守る為には、早急に軍備を増強する必要があるが、同時に日本人の心を一つにまとめる事が肝要として、その核に天皇・皇室を据えた。
 唯一の根元的核である以上、天皇の存在が脅かされる事がないように明治憲法で「神聖不可侵」と定めた。
 それが、日本の国體である。
 国家と国民を外国の侵略から護る為の強い軍隊は必要であったが、それ以上に祖国を自己犠牲で守るという国民の団結心が肝腎であった。
 天皇・皇室は、日本民族日本人を一つにまとめ団結する為に必要な存在であった。
 故に。日本を崩壊させようとする反日的日本人と反日派外国勢力は、天皇制度を廃絶し、日本皇室を消滅させようとしている。




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旧題名・「ユダヤ民族と日本民族は同族か? 天皇の祖先はユダヤ人か?」
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 二つのブログを、五つに分けて建設する。
 プロフィールに、五つのブログを立ち上げる。 ↗
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 1889年 明治政府は、菊紋が濫用されて形状が乱れていた為に、皇室専用の菊御紋をと正式に定め、1926年に皇室徽章を「16弁八重表菊」として区別し使用を禁止した。
 もう一つの、皇室の徽章とされ臣下の使用を禁止していた桐紋は、禁制外として自由に使う事を認めた。
 国際社会に対して、「菊紋」を皇室の紋章とし、1870年に「日章旗・日の丸」を日本国家の国旗とし「旭日旗」を日本軍の軍旗とする事を宣言した。
 諸外国は、それを正式に承認した。
 世界のデザイナーは、菊紋・日の丸・旭日旗の簡潔明瞭なデザインをセンスが良いとして絶讃した。
 ある国は、日の丸のデザインに惚れ込んで譲ってくれと頼み込んだ。
 戦後独立したアジア諸国の幾つかは、日の丸を真似て国旗を制作した。
 2月11日 大日本帝国憲法発布。近代国家として信教の自由を認める条文を記載したが、祭祀王・天皇の宗教権威を傷付たり神の裔・天皇の存在を否定する宗教は禁止した。
 其の意味では、完全なる信仰の自由ではなかった。
 第28条「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」
 伊藤博文井上毅は、「神道は宗教ではない」という公的解釈から、神社崇拝は「臣民の義務」に含まれるとし、宗教的な信仰と神社と神社で行われる祭祀への敬礼は区分されるとした。
 神社非宗教論から、神道・神社を他宗派の上位に置く事は憲法の信教の自由とは矛盾しないという公式見解を行った。
 異教の神への礼拝を一切否定する一神教キリスト教徒や、厳格な政教分離を主張する浄土真宗などの仏教勢力は、国家権力による宗教統制であるとして猛反対した。
 政府は、天皇を中心とした国體を守る為に宗教弾圧を行った。
 世界の宗教界は、日本政府の宗教解釈は認められないとし、信教の完全なる自由が保障されないとして非難の声を上げた。
 勅令第12号で、官立・私立の全ての学校での宗教教育が禁止され、「宗教ではない」とされた国家神道は宗教を超越した教育の基礎とされた。
 明治政府は、大日本帝国憲法を発布し、国家神道は宗教ではないという法解釈を公式見解とした。
 最終決定権限者の天皇は、憲法で規定された国家元首の職務で、閣議及び国会などで衆議によって決定した事項を、法律が命ずる所に従って照覧して裁可した。
 憲法は、天皇が私的な理由で国策に意見を直接いう事を禁じている。
 女性神天照大神を皇祖・祖先神として祀る伊勢神宮は、日本の聖地と定められた。
 「信仰の自由」を求める国際世論という外圧に配慮して、第28条で法の定める範囲内での個人における「信教の自由」を認め、キリシタン禁制を撤廃し、宗教弾圧を中止した。
 同時に、皇祖・天照大神と神聖不可侵の天皇国家神道を否定しなければ、思想や言論の自由も認めた。
 違反する者は、不敬罪の罪名で逮捕し、有期刑で投獄した。
 国家元首大元帥天皇と皇族の命を狙う者は、大逆罪で死刑と定めた。
 反宗教無神論マルクス主義は、専制君主を否定し、天皇制度の廃絶を訴え、実力行使として神の裔・天皇の暗殺を計画した。
 仏教勢力は、国際的な政教分離の原則から神社非宗教論を唱え、神道を国教と定める事に猛反対した。「国家神道」を骨抜きに為て、単にお辞儀をするだけの儀礼・儀式に貶めた。
 神道を国教とする事は、日本人を天皇教徒として固定し、仏教やキリスト教などの宗教活動を困難にする恐れがあるからである。
 天皇と政府に、憲法で保障された「信教の自由」の遵守を宣言させた。
 天皇への崇敬の念を持ち宮城遙拝は臣民の義務としたが、神社崇拝は個人の自由で強制されるべきではないという自由権・選択権を留保させた。
 欧米列強から近代国家として認められたいと願う日本政府は、余計な摩擦を避ける為にキリスト教会の要望を受け入れ、「信教の自由」を保障し、「神道の国教化」を見送った。
 明治天皇は、若さによる好奇心から、オランダ系アメリカ人宣教師フルベッキを頻繁に呼び寄せて、国際情勢からキリスト教の教義に至るまであらゆる事を聞き質した。
 キリスト教会は、異教国日本を父なる絶対神と神の御子イエス・キリスト聖母マリアに捧げるという神聖な使命の為に、神道を国教にする事を阻止する必要があった。
 多神教神道キリスト教の様な一神教に改変し、天皇祭祀の伝統的宗教行事を復活させ、神の裔・天皇を神格化する事に危機感を抱いた。
 キリスト教徒日本人は、地上に「神の王国」を建設する為にローマ教皇キリスト教会に絶対服従を誓い、天皇と国家への忠誠を拒否し、皇室を転覆し「随神(かんながら)の道」を破壊する為に陰謀に加担した。
 不寛容な彼等は、異教の神社そのものを認めない。
 キリスト教会は、天皇に無知を自覚させて土下座させる為に、国體破壊と神道解体を神聖な使命としていた。
 当然の事として神道勢力と国学者は不満を抱いたが、明治天皇が「信教の自由」を認めた大日本帝国憲法を裁可した以上は反対できなかった。
 宗教戦争神道の敗北で終わったが、日本民族の精神的支柱を神道に求め、天皇を唯一の正統な支配者とするべく『古事記』と『日本書紀』を広めた。
 天皇の祭祀を国事行為として形式化するべく、日本中の全ての神社を格式で組織化して統制を図った。
 皇室神道を、雲上の別格なものにする為に、現世利益を求める庶民の神社神道から分離した。
 教育・信教分離の原則に従って。勅令第12号で、公立学校での宗教教育を一切禁止したが、神道は国教ではないとの建前のもとで天皇心神話は日本民族が知るべき基礎教養であるとして教えた。
 世に悪名高い、「日本は神国である」という皇国史観である。
 だが。日本には本来、神に選ばれたという選民思想はなく、血のつながった祖先を自分達で氏神として祀った氏神思想のみがあった。
 神道の本質が何となく貴いという祖先神・氏神信仰である以上は、キリスト教などの教義や戒律のはっきりした一神教の様に国教化は不可能といえた。
 ゆえに。日本は、祖先神・氏神が鎮座し守護する、八百万の神々が息づく神国である。
 日本人キリスト教徒は、日本国に住む一臣民として果たすべき責務があるとしながらも、個人の信教の自由を認めた以上は、神社崇敬義務は個々の自由意思に任せた。
 明治憲法は、日本を精神主義軍国主義国家としたが、超法規的権限を持った独裁者支配体制というファシズム共産主義を拒んだ。
 昭和初期の国體明徴運動は、強権を持った独裁者による日本のファシズム化ではなく、伝統的な天皇親政の基での情緒的精神論に過ぎなかった。
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 明治新政府は、男尊女卑という儒教道徳で国民を縛り付ける為に「新律綱領」を発布した。
 そして、皇室をも縛る為に皇室典範で「皇位は男系男子に限定する」と定め、女帝の即位を不可能にした。
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 4月 アメリカ・イギリス・ロシア帝国の三ヶ国は、日本の裁判所に自国の判事を押し込む為に大隈修正案を受け入れて調印した。
 外務省の小村寿太郎は、現実主義の大隈修正案は「司法の大権」を外国人法律家にゆだねるもので、神聖不可侵の天皇の権威を損ねる恐れがあるとして、公務員倫理に違反しても修正案を報道機関に漏洩した。
 外国人犯罪の裁判で、日本人判事の中に外国人判事を加え、外国語を用いて裁判を行う事は、日本人も外国人も平等に扱い、公平な裁判が行える様に見えた。
 だが。人が好く議論下手で自己主張が出来ない個性の弱い日本人が、嘘八百を並べても自己主張を押し通す個の性強い外国人にはとうてい、かなうはずもなかった。
 気弱な日本人の争い事を嫌う温和しい性格では、外国人と外国語を駆使した喧嘩まがいの丁々発止とした大激論には向かなかった。
 小村寿太郎は、個性の強い外国人の中に置かれ、外国語を公用語とし日本語を第二言語とされては、自己主張の出来ない日本人が不利益になる事がわかっていただけに、国益を守る為に情報漏洩を行った。
 後年、日露戦争後。鉄道王ハリマンとの南満州鉄道共同経営案を潰したのも、共同経営にける社内公用語は日本語ではなく英語とされ、利権は巨大なアメリカ系国際資本に乗っ取られ、自己主張するアメリカ人に押し切られる事が目に見えて明らかであったからである。
 非白人非キリスト教徒を人間とみなさない人種差別が強いアメリカ人が、南満州鉄道共同経営を口実として満州に進出し日本の権益すべてを奪っていくと分析たからである。
 つまり。戦争を覚悟し喧嘩腰で望まなければ、アメリカに有利で日本に不利なルールを押しつけられ、アメリカに取り込まれ全てを失うと憂いたのである。
 中国人労働者は、上海や香港の租界同様に白人の奴隷となる事に抵抗感を持たないだけに、白人のアメリカ人上司の命令を聞く為に喜んで英語を覚えようとするが、同じアジア人の日本人上司を軽蔑して日本語の使用を拒否する事は確実であった。
 さらに。ハリマンの人物とアメリカにおける事業実態を知れば、共同経営案を受け入れれば日本にメリットがない事は一目瞭然であった。
 だが。アメリカを満州から占めだした事で、日米関係は悪化して、太平洋戦争の遠因となった。
 明治憲法は、天皇親政を原則としていたが、天皇の権威と天皇制度を守るべく政治的責任を持たせない為に法的な権限の制限と国家元首の義務を持たせた。
 平時はもちろん戦時に於いても、天皇の権威を超えた独裁者を許さないという伝統から政治権力の一元的集中を禁止し、集団指導体制として権力を複数に分散していた。
 この集団指導体制が、軍内権力闘争を複雑にし、日本軍の総力戦準備を阻み、太平洋戦争の悲劇を生んだ。
 10月 大隈外相は、国権派右翼(犯人・来島恒喜)の爆弾テロで重傷を負った。
 黒田内閣は総辞職して、「12年間を限度に外国人裁判に外国人判事を参加させる」という現実主義による不平等条約改正交渉は頓挫した。
 「司法の大権」は、三権分離の原則に従い国内法で粛々と審理を進め、如何なる外圧も排除して判決を言い渡すとした。
 法治国家として、公平な裁判の判決として、国交が断絶しようと、戦争になろうとも、一切考慮しないと。
 融通性の欠片もないサムライ日本人は、自己の信念を通して不利な立場に追い込まれようとも、「他人に迷惑をかけない」という建前を優先する頑固者であった。
 その好例が、ロシア帝国との戦争を覚悟した、1891年5月の大津事件である。
 国家の為、民族の為、天皇・主君の為に、自分を捨てて潔く死地に向かう。
 それが、「死を覚悟」した『武士道』であった。
 そこにあるのは、正統派儒教的な我利我欲による自利自愛を捨て、神道的な無私無欲による他利他愛に徹しきる心構え・心組みである。
 ゆえに。『武士道』は日本固有の精神文化であって、中国はもちろん、朝鮮にはない。
 さらに、他人を無視する自己中心的な現代日本人にもない。
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 1889年・90年 全国の山林の大部分が皇室財産に移管編入さ、皇室事業の一つとして御料林事業が行われ莫大な収益が皇室に入った。
 発展途上国は、国家運営資金や経済活動資金の為に、国土資産を国際資本に切り売りして得てた。
 国際資本は、発展途上国を支配する為に、権力者に賄賂を送って籠絡し欲しい利権を剥げたかのように奪い、金儲けの為に国民を極貧生活に突き落として搾取した。
 日本経済が国土乱開発ではなく殖産興業で発展できたのは、国土を神聖不可侵の天皇の所有物として、国際資本から国土を守ったからであった。
 皇室は、国債債権や株券などの有価証券を保有して得た私財を、日銀。横浜正金銀行などの金融業、北炭などのエネルギー業及び製造業、日本郵船などの運輸輸送業、その他の基幹産業に投資した。
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 『大日本帝国憲法
 発布 明治22年2月11日
 施行 明治23年11月29日
 告文
 皇朕(明治天皇)は、皇祖皇宗の御神霊へ謹み畏まって申し上げます。
 私はいつまでも続いていく天地のようにいつまでも続くようにはるか先までの心構えに従い、御神霊の皇位を継ぎ、これまでの伝統を維持し続け、放棄したり別の方法をとることはありません。
 これまでの事を振り返ってみれば、世界の時代が進むにつれて人文の発達が進む事に、皇祖、皇宗が遺して下さいました訓戒をはっきりと明らかにした上で様々な規則を作り、条章を明らかにして、国内に対しては子孫がこれらの規則から外れないようにし、外国に対しては臣民の一人一人が私を補佐してくれる事が大事なのだという事を広め、永遠に遵行を行いさらなる国家の基盤を確固たるものにし、益々大事業(国家統治)の基礎を強固にして臣民の慶福を増進すべきです。 
 そのためにここに皇室典範および憲法を制定するのであります。
 深くかえりみるに、これらの事はすべて、皇祖、皇宗の子孫に対して残せるような統治の規範に従いまして、これから行動する事に他ならず、この事から、私のこの身に何かあった時には揃って執り行う事ができるのは、本当に皇祖、皇宗及び皇考の神威に頼り、それに由来していないわけがありません。
 私は仰いで皇祖皇宗および先帝の助けを祈願し、あわせて朕の現在および将来に臣民に率先してこの憲章を実行してこれを誤る事の無いようにする事を誓います。
 願わくば神霊よ、これを導きたまえ。
 憲法発布勅語
 朕は、国家の隆盛と臣民の慶福とをもって喜ばしい光栄な事の中心とし、朕の祖宗から受け継いだ大権によって、現在から将来にわたって臣民に対し、この不朽の大典を宣布する。
 考えてみれば、私の先祖の方々は今いる臣民の祖先の協力や助けを信頼しこの大日本帝国を創造し永久の模範としてくだされた。この事は、私の神聖である祖先の威厳と人徳 が高かったのと同時に、臣民の忠実で勇武で国を愛し、国の為ならば命を捨てる事もいとわないという行いによって、この光り輝かしい栄光に満ちた日本国 史を作り上げた。
 朕は、我が臣民が、すなわち祖宗の忠実・善良なる臣民の子孫である事を思いめぐらし、朕の意志に身を挺し、朕の事業をすすめ従い、心を一つに力を合わせて、ますます我が帝国の光栄を国の内外に広く知らしめ、祖宗の遺業を永久に強固たるものにするという希望を同じくし、その任の負担に耐えられることに疑いはない。
 (上諭)
 朕は、祖宗の功績を受けて万世一系の帝位をふみ、朕の親愛なる臣民はすなわち朕の祖宗が恵み、愛し、慈しみ、養ったところの臣民である事を思い、その慶福を増進し、その立派な徳と生まれながらの才能を発達させる事を願い、またその補佐によって、ともに国家の進運を助けてくれる事を望む。そこで明治14年10月12日の勅命を実践し、ここに大いなる憲法を制定して、朕に従ってくれることを示し、朕の子孫および臣民とまたその子孫によって永遠に命令に従い実行してくれることを知らしめる。
 国家を統治する大権は朕が事を祖宗より受け継ぎ、また子孫へと伝えていくものである。朕および朕の子孫は将来、この憲法の条文に従って政治を行う事を誤ってはならない。
 朕は我が臣民の権利および財産の安全を貴び重んじ、またこれを保護し、この憲法および法律の範囲内においてその享有を完全に確かなものだとしてよいと宣言する。
 帝国議会は明治23年をもって召集され、議会開会の時をこの憲法が有効となる期日とする。
 将来、この憲法のある条文を改正する必要が出たときは、朕および朕の子孫はその改正を発議し、これを議会に提出して、議会はこの憲法に定められた要件にしたがってこれを議決するほか、朕の子孫および臣民は決してこれを掻き乱して変えようとする事があってはならない。
 朕の朝廷に勤めている大臣は朕の為にこの憲法を施行する責任を有し、朕の現在および将来の臣民はこの憲法に対し永遠に従順の義務を負わなければならない。
  御名御璽
   明治22年2月11日
    内閣総理大臣 伯爵 黒田清隆
    枢密院議長  伯爵 伊藤博文
    外務大臣   伯爵 大隈重信
    海軍大臣   伯爵 西郷従道
    農商務大臣  伯爵 井上 馨
    司法大臣   伯爵 山田顕義
    大蔵大臣
     兼内務大臣 伯爵 松方正義
    陸軍大臣   伯爵 大山 巌
    文部大臣   子爵 森 有礼
    逓信大臣   子爵 榎本武揚
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 第一章 天皇
  第一条 大日本帝国万世一系天皇がこれを統治する
  第二条 皇位皇室典範の定めに従って、皇統の男系の男性子孫が継承する。
  第三条 天皇は神聖であり、侵してはならない。
  第四条 天皇国家元首であり、統治権を統合して掌握し、憲法の規定により統治を行う。
  第五条 天皇帝国議会の協賛をもって立法権を行使する。
  第六条 天皇は法律を裁可し、その公布および執行を命じる。
  第七条 天皇帝国議会を召集し、その開会閉会停会および衆議院の解散を命じる。
  第八条 天皇は公共の安全を保持し、またはその災厄を避けるため緊急の必要があり、かつ帝国議会が閉会中の場合において、法律に代わる勅令を発する。
  〔2〕この勅令は、次の会期に帝国議会に提出しなければならない。もし議会において承認されなければ、政府は将来その勅令の効力が失われることを公布しなければならない。
  第九条 天皇は法律を執行するために、または公共の安寧秩序を保持し、および臣民の幸福を増進する為に、必要な命令を発するか発令させることが出来る。ただし、命令をもって法律を変更することは出来ない。
  第一〇条 天皇は、行政機構の制度および文武官の俸給を定め、文武官を任免する。但し、この憲法、又は他の法律で特例を規定した場合は、その条項に従う。
  第一一条 天皇は陸海軍を統帥する。
  第一二条 天皇は陸海軍の編成と常備軍の予算を定める。
  第一三条 天皇は宣戦布告を行い、講和条約を結び、その他の条約を締結する。
  第一四条 天皇は戒厳を宣告する。
  〔2〕戒厳の要件及び効力は法律によって定められる。
  第一五条 天皇爵位、勲章およびその他の栄典を授与する。
  第一六条 天皇は、大赦、特赦、減刑及び復権を命ずる。
  第一七条 摂政を置くのは皇室典範の定めるところによる。
  〔2〕摂政は天皇の名において大権を行使する。
 第二章 臣民権利義務
  第一八条 日本臣民であるための要件は法律の定めるところによる。
  第一九条 日本臣民は法律命令の定める資格に応じて等しく文武官に任命され、及びその他の公務に就くことが出来る。
  第二〇条 日本臣民は法律の定めに従って、兵役に就く義務を有する。
  第二一条 日本臣民は、法律の定める所により、納税の義務を有する。
  第二二条 日本臣民は、法律の範囲内で居住と転居の自由を有する。  
  第二三条 日本臣民は法律によることなく、逮捕監禁審問処罰を受けることはない。
  第二四条 日本臣民は、法律に定められた裁判官の裁判を受ける権利を奪われる事は無い。
  第二五条 本臣民は法律に定めた場合を除き、その許諾無しに住居に侵入されたり、捜索されたりする事は無い。
  第二六条 日本臣民は法律で定められた場合以外は、通信の秘密を侵される事は無い。  第二七条 日本臣民は、所有権を侵される事は無い。
  〔2〕公益の為に必要な処分は法律で定める所による。
  第二八条 日本臣民は、安寧秩序を乱さず、臣民の義務に背かない限り、信教の自由を有する。
  第二九条 日本臣民は法律の範囲内で言論・著作・印行・集会及び結社の自由を有する。
  第三〇条 日本臣民は敬意と礼節を守り、別に定めた規定に従って、請願を行う事が出来る。
  第三一条 本章に掲げた条規は、戦時又は国家事変の場合において天皇大権の施行を妨げるものではない。
  第三二条 本章に掲げた条規で、陸海軍の法令又は規律に抵触しない物に限って、軍人にもこの章に准じて行う。
 第三章 帝国議会
  第三三条 帝国議会は、貴族院衆議院の両院で成立する。
  第三四条 貴族院貴族院令の定める所により、皇族・華族及び勅任された議員をもって組織する。
  第三五条 衆議院は、選挙法に定める所によって公選された議員により組織する。
  第三六条 何人たりとも、同時に両議院の議員になる事は出来ない。
  第三七条 全ての法律は、帝国議会の協賛を経る必要がある。
  第三八条 両議院は、政府の提出する法律案を議決し、及び法律案を提出する事が出来る。
  第三九条 両議院の片方で否決された法律案は、同じ会期中に再び提出する事は出来ない。
  第四〇条 両議院は、法律又はその他の事件について、各々その意見を政府に建議(意見申し立て)する事が出来る。但し、政府が採用しなかった建議は、同じ会期中に再び建議する事は出来ない。
  第四一条 帝国議会は毎年召集する。
  第四二条 帝国議会は会期を三ヶ月とする。必要が有る場合には勅命で延長することが有る。
  第四三条 臨時・緊急の必要がある場合は、常会のほかに臨時会を召集すること。
  〔2〕臨時会の会期は勅命により定める。
  第四四条 帝国議会の開会閉会会期の延長および停会は、両院同時にこれを行わなければならない。
  〔2〕衆議院の解散命令が出た場合は、貴族院も同時に停会しなければならない。
  第四五条 衆議院の解散を命じられたときは、勅命をもって新たに議員を選挙させ、解散の日より五ヶ月以内に召集すること。
  第四六条 両議院はそれぞれ、その議院の総議員の三分の一以上出席しなければ、議事を開き議決する事が出来ない。
  第四七条 両議院の議事は(出席議員の)過半数で決まる。可否が同数であるときは、議長の可否で決まる。
  第四八条 両議院の会議は公開とする。ただし、政府の要求またはその院の決議によって、秘密会とする事が出来る。
  第四九条 両議院は各々天皇に上奏する事が出来る。
  第五〇条 両議院は臣民より提出された請願書を受け取る事が出来る。
  第五一条 両議院は、この憲法及び議院法に掲げられているもののほかに、内部の整理に必要な諸規則を定める事が出来る。
  第五二条 両議院の議員は議院において発言した意見及び表決について、院外で責任を負うことはない。ただし、議員自らがその言論を演説・刊行・筆記及びその他の方法で公布したときは、一般の法律により処分される。
  第五三条 両議院の議員は、現行犯の罪又は内乱外患に関する罪を除くほかは、会期中にその院の許諾なしに逮捕されることはない。
  第五四条 国務大臣及び政府委員は、いつでも各議院に出席し、発言する事が出来る。 第四章 国務大臣および枢密顧問
  第五五条 各国務大臣天皇に助言を施し、その責任を負う。
  〔2〕全ての法律・勅令・その他国務に関する詔勅は、国務大臣の副署が必要とする。  第五六条 枢密顧問は枢密院官制の定める所によって、天皇の諮問に応えて重要な国務を審議する。
 第五章 司法
  第五七条 司法権天皇の名において法律によって裁判所がこれを行使する。
  〔2〕裁判所の構成は法律によって定める。
  第五八条 裁判官は法律に定めた資格を具える者をこれに任命する。
  〔2〕裁判官は刑法の宣告、又は懲戒処分による場合以外は、その職を罷免される事はない。
  〔3〕懲戒の条規は法律で定められる。
  第五九条 裁判の対審・判決はこれを公開する。但し、安寧と秩序及び風俗を害する恐れがある時は、法律により又は裁判所の決議により、対審の公開を停止する事が出来る。  第六〇条 特別裁判所の管轄に属すべきものは、別の法律によってこれを定める。
  第六一条 行政官庁の違法処分により権利を侵害されたという訴訟で、別に法律をもって定めた行政裁判所の裁判に属するべきものは、司法裁判所において受理するものではない。
 第六章 会計
  第六二条 新たに租税を課し、及び税率を変更するには、法律で定めなければならない。
  〔2〕ただし、報償に属する行政上の手数料及びその他の収納金は、前項の限りではない。
  〔3〕国債を起債し、及び予算に定めたものを除くほかの国庫の負担となる契約を結ぶ時は、帝国議会の協賛を経なければならない。
  第六三条  現行の租税は、更に法律をもって改めない限りは、旧の法律によって租税を徴収する。
  第六四条 国家の歳入歳出は、毎年予算を帝国議会の協賛を経なければならない。
  〔2〕予算の項目の額から超過した時、または予算のほかに生じた支出がある時は、後日帝国議会の承諾を求める必要がある。
  第六五条 予算は、先に衆議院に提出しなければならない。
  第六六条 皇室経費は現在の定額を毎年国庫より支出し、将来に増額を必要とした場合以外は、帝国議会の協賛を必要としない。
  第六七条 憲法上の大権に基づく規定の歳出、及び法律の結果により、又は法律上政府の義務に属する歳出は、政府の同意がなければ帝国議会がこれを排除または削減する事は出来ない。
  第六八条 特別な必要に迫られたとき、政府は予め年限を定めて、継続費として帝国議会の協賛を求めることが出来る。
  第六九条 避ける事の出来ない予算の不足を補うため、又は予算外に生じた必要な費用に当てるために、予備費を設けなければならない。
  第七〇条 公共の安全を保持する為、緊急に必要がある場合に、内外の情勢によって政府は帝国議会を召集することが出来ない時は、勅令によって財政上必要な処置を為す事が出来る。
  〔2〕前項の場合には、次の会期において帝国議会に提出し、その承諾を求める必要とする。
  第七一条 帝国議会において、予算が議決されず、又は予算が成立しない時は、政府は前年度の予算を施行しなければならない。
  第七二条 国家の歳出入の決算は、会計検査院が検査、確定し、政府はその検査報告とともにその決算を帝国議会に提出すること。
  〔2〕会計検査院の組織および職権は法律を以ってこれを定める。
 第七章 補則
  第七三条 将来にこの憲法の条項を改正する必要がある場合は、勅命をもって議案を帝国議会の議に付さなければならない。
  〔2〕この場合、両議院は各々総議員の三分の二以上出席しなければ、議事を開く事は出来ない。また出席議員の三分の二以上の多数を得られなければ、改正の議決をする事は出来ない。
  第七四条 皇室典範の改正は、帝国議会の議決を経る必要はない。
  〔2〕皇室典範によって、この憲法の条規を変更する事は出来ない。
  第七五条 憲法及び皇室典範は、摂政を置いている間は、これを変更する事は出来ない。
  第七六条 法律・規則・命令又は何らかの名称を用いているものも、この憲法に矛盾しない現行の法令は、全て効力を有している。
  〔2〕歳出上、政府の義務に関わる現在の契約または命令は全て第六十七条の例による。      
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 帝国憲法は、天皇国家元首日本国皇帝としたが、国政における失政の責任が玉体に及ばないようにする為に「主権者」とはしなかった。
 天皇は、憲法に従い、主権(統治権)を持った国家(政府及び議会)の決定を総覧した。
 鈴木正幸天皇は政府以外に独自の執行機関をもたず、国務に関する大権行使はすべて国務大臣したがって政府の同意なくして行使しえない」
 大日本帝国憲法制定史調査会「議会の同意(協賛)しない法律はただの1つもない。議会が可決した法案で、天皇が裁可されなかった例も1つもない」
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 天皇には、政府や議会が可決した法案を拒否する事も、内閣(行政)・議会(立法)・裁判所(司法)そして軍部(統帥)に直接命令を下す権限もなかった。
 主権は、天皇ではなく国家・政府にあった。




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旧皇族が語る天皇の日本史 (PHP新書)

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