🌏23)24)─1─世界分割競争とベルリン会議。清仏戦争。第三次英緬戦争。1884年~No.71No.72No.73No.74No.75No.76 @ 

米英のアジア・太平洋侵略史年表 1521‐1939

米英のアジア・太平洋侵略史年表 1521‐1939

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 1884年 カナダ・メソジスト教会婦人伝道会社の宣教師マーサ・カートメル女史は、東京港区に東洋英和女学院を開設した。後の東洋女学院大学である。 
 エリザ・B・シドモア「焦土と化したばかりの場所に日本家屋が建て直されるスピードは驚嘆に値し、比類がない。大火のあと12時間のうちに、小さな店の主人は元の場所で商売を再開してしまう」
 ベルリン会議キリスト教価値観による、世界再配分の新ルールを決める国際会議を開催した。
 8月(〜85年4月) 清仏戦争。フランスと清は、阮朝ベトナム(越南)の領有をめぐって戦争を始めた。
 中国系ベトナム人は、清国への忠誠心を見せる為に、フランス人とフランスに協力するベトナム人を見付け次第に裏切り者として陰惨な手段で虐殺した。
 キリスト教会は真っ先に攻撃され、宣教師と改宗ベトナム人は容赦なく虐殺された。
 儒教価値観では、中国人ではないベトナム人は人間以下の獣にすぎなかった。
 正統派儒教とは、あらゆる差別を生み、迫害・弾圧を正当化する非人道的思想であった。
 中国軍は、味方として戦わず逃げ出すベトナム人をフランスの協力者とし、追いかけては虐殺した。
 フランス軍は、自国民が猟奇的手法で惨殺された事への報復として、フランス人を助けなかったベトナム人は同罪であるとして処刑した。
 フランス領インドシナ政府は、民族を裏切った改宗ベトナム人を文明を持った上流階級としてフランス語の使用を認めたが、90%以上のベトナム人は奴隷として読み書きなどの教育すべてを禁止した。
 大陸の戦争において、生きる権利を賭けて戦う敵か味方か、そして武器を捨て生きる諸権利を放棄した戦わない奴隷の三者しか存在しない。
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 1875年に朝廷御貯金が51万円であったのが、1884年には192万円を超え、日清・日露両戦争の勝利によって皇室の私財は膨大な額となった。
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 1885年 西洋列強は、早い者勝ちの先占権を確認し、海岸線を占領した国はその内陸を植民地化できるというルールを承認し、アフリカ分配のベルリン条約を結んだ。
 当時の国際化とは、弱肉強食の原則で世界中に新たな貧富の格差を拡大する事である。
 白人キリスト教国による軍事力を利用した地球の植民地化で、一部の白人富裕層が非白人を奴隷として世界の富を独占する事である。 
 帝国主義時代の国際交渉の場には、信頼も信用もなく、信義も道義もない。
 キリスト教会は、植民地に隣人愛の信仰を広まる為に多くの熱心な宣教師を派遣した。
 敬虔な宣教師は、地元民の洗礼を妨害する民族宗教や土着の信仰を容赦なく攻撃して粉砕した。
 民族宗教や土着の信仰を守ろうとする地元民は、キリスト教会を襲い、宣教師や改宗者を殺害した。
 西欧列強は、正義の名の下に討伐軍を派遣して地元民暴徒を虐殺した。
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 明治新政府は、幕府や諸藩が管理していた土地や山林を国有地とし、その内から皇室所有の御料地とした。
 宮内省が管理した皇室御料地は、6,700万坪以上であった。
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 アジアの小国日本は、戦争を正当化する弱肉強食の非情な世界で、外圧に抗して自国だけの独立を守る為に、軍事力を強化して一国のみで必死に戦っていた。
 非白人の非キリスト教国として、生き残る為に、軍国主義諸政策で富国強兵を採用した。
 ここに、世界から敵視され憎悪の的となる天皇制度に基ずく軍国日本の誕生である。
 だが。愚かにも。万国公法・国際法は、全ての国にも通用すると信じて、国際協調路線を採用して国際ルールを盲目的に遵守した。
 国際法は、白人国家の権利を守り保証するものであって、非白人国家には適用されなかった。
 石原完爾「我々は、当時、鎖国主義で満州も台湾も何もかも不要であった。鎖国でもって満足し、たくさんだと言っているのに、わざわざ黒船と大砲で脅かして日本を世界の荒波の中に晒してしまった。こうなったら、日本も何とか生き残る方法を考えなければならないではないか」
 軍国日本は、制裁として二発の原爆を投下され甚大なる被害を被り、侵略戦争を行った凶悪な犯罪者の烙印を押された。
 敗戦後の日本は、国際正義の名で国家主権を停止され、全ての国防力を奪う非武装平和憲法を押しつけられ、国益重視の民族国家体制を改変された。
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 第三次英緬戦争。イギリスは、ビルマ国王に対して、インド同様に保護国となって近代化を目指す事を提案した。
 ティボー国王は、自主独立国の君主としてのプライドと祖先からの仏教を守る為に提案を拒否し、失地回復の為にイギリス領インドを侵略するが敗れた。
 イギリスは、提案が拒絶される事を見越して侵略の準備を進め、断られるや直ちに宣戦布告をして、砲艦一隻と兵士を派兵した。
 イギリス海軍の砲艦は海や川の沿岸にある非武装ビルマ人集落を砲撃し、イギリス軍兵士はビルマ人を動物を狩るみたいに女子供に関係なく射殺した。
 イギリス兵やインド兵は、勝利者の権利としてビルマ王宮を襲撃し、宮殿内の貴金属と高価な美術品や調度品を強奪し、逃げ遅れた女官を捕らえて強姦し殺すか奴隷として売った。
 大陸における敗戦国は惨めで、敗戦国の国民は悲惨である。
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 フランス軍は、海上においては清国海軍の南洋艦隊を撃破したが、陸上では中国伝統の人命軽視の人海戦術で思わぬ苦戦を強いられていた。
 フランス国民は、清国との戦争が不利な上に泥沼化するや厭戦気分を強め、犠牲ばかりを強いて富をもたらさないフェリー政権の強硬外交を非難した。
 民主主義による国論・民意とは、身勝手で、移り気である。
 3月30日 フェリー首相は、フランス議会が首相不信任案を可決した為に総辞職した。
 シャルル・ド・フレシネは、首相に就任するや、敗色濃い戦争を終結させるべく清国に講和を打診した。
 クラウゼヴィッツ「戦争は、政治の一手段であり、外交の延長である」
 外交交渉とは、国益を守る為に、軍隊を使用しない陰湿な謀略戦争である。
清国は、戦争が長引くと日本が参戦する恐れがあるとして、領土割譲など不利な条件を承知で天津休戦条約を結んだ。
 信義や道義を無視する中国であれば、相手が戦争や災害や疫病などで弱体化したと見るや、好機到来として侵略し領土を掠めた。
 中国の歴史とは、侵略戦争による虐殺と強奪の歴史である。
 人間不信の中国人は、自分であれば、人の弱みに付け込んで相手のものすべてを奪う。薄汚い泥棒猫の日本も、中国人同様に、必ず参戦してくると独り合点していた。
 サムライ日本人は、闇討ち的に後ろから斬り付ける事を恥としていただけに、軍事介入する意志はなかった。
 フランスは、滅びたとはいえ江戸幕府を支援した恩義があるという自意識から、その恩義を忘れて救援に来なかった日本を逆恨みし、日本が警戒するロシア帝国に接近した。
 フランス領に組み込まれた華僑やベトナム人は、中国の支配下に復帰する為に反乱を起こした。
 だが。清国は、宗主国との責任を放棄して、ベトナム独立運動を見殺しにした。
 フランス軍は、ベトナム人の反乱を鎮圧し、反逆者を見せしめに公開でギロチン刑にかけて首を切り落とした。
 華僑は、フランス人を新たな雇用主として忠誠を誓い、ベトナム人から搾取した富の一部を利用して財を成し土地を手に入れ、東南アジア経済を支配した。
 清国に裏切られたベトナム人は、独立を勝ち取る為に中国ではなく日本の支援を当てにして、国家元首明治天皇に敬意を払って軍国日本に急接近した。
 だが。サムライ日本は、自主独立の覚悟なく、自国の安全を武器を持って自力で守ろうとせず他国の軍事力に期待し、他国の人間を死地に追いやり自分だけ安全な場所に逃げて生き残ろうとするのは、自己犠牲的義侠心を踏みにじる卑劣で卑怯な行為として最も嫌った。
 東南アジア諸民族は、欧米列強の植民地支配から独立する為に、大和魂を見習い、自分だけ生き残って財を成そうとする個人の私心を捨て、絶望的であっても自己犠牲的公心を培った。
 右翼・右派などの国粋主義者は、国體・天皇支配を守る為に攘夷を忘れず、大アジア主義から白人の植民地支配を破壊する為に各地の独立派を支援した。
 清国は、失った威信を取り戻すべく朝鮮半島への軍事支援を強化した。
 日清戦争は、中国人の面子から避けられない戦いであった。
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 1886年 岡倉天心は、東洋のヴィーナスと称された法隆寺の虚空菩薩を朝鮮風観音と記した。
 朝鮮渡来の仏像ではなく、材質は日本特産の樟(くすのき)で作られた、正真正銘の日本の仏像である。
 後年。和辻哲郎は、『古寺巡礼』で百済観音と書き記した為に、虚空蔵菩薩ではなく百済観音と呼ばれるようになった。
 1752年頃から続いてきた独立国家ビルマ王国は、イギリス領インドに併合され、その1州となって地図上から消滅した。
 ティーボー・ミン国王とその家族は、インドのゴア州ムンバイの南に近いラトナギリに監禁され、その地で全員死亡して王統は途絶えた。
 ビルマ王族は、王家復活のナショナリズム内戦を防止する目的で、殺害されるか奴隷として売り飛ばされた。
 ビルマ王女は、イギリス兵に陵辱されてから、インド人の身分低き下級官吏に二束三文で売られた。
 イギリスは、最下層の農奴となったビルマ人の憎悪がイギリス人ではなく、裏切り者の改宗ビルマ人に向くよう彼等に特権を与えて植民地ビルマの管理を任せた。
 植民地政策の大原則は、民族の歴史・文化・伝統・習慣を抹殺する為に、西洋語を公用語として民族語・部族語の使用を禁止する事である。
 事実。地球上にあった名もなき民族語や部族語は、国際化の波によって消滅した。
 上流階級の改宗ビルマ人は、富を得る為に、同胞である99%の下層階級ビルマ人から暴力を振るって搾取した。
 植民地支配は、貧富の格差の増大で、社会不満が増殖され、犯罪件数が激増する事で完成した。
 カレン族などの山岳少数民族を山から平地に強制移住させ、軍人や警察官に任命して武器使用を認め治安維持を担当させた。彼等は、喜んで、かっての支配者であったビルマ人農民らの反英独立運動を弾圧した。
 新たな支配階級となった裏切り者ビルマ人とカレン族などは、イギリス人に国際人として認めてもらうべく、キリスト教に改宗し、イギリス式高等教育を受けて英語を話した。
 民族語しか話せないビルマ人は、イギリスの過酷な植民地支配をによって悲惨な生活に追い込まれ、読み書きなどの教育を受ける権利を禁止された。
 ビルマの民族的統一性を崩壊させる為に、インド人や中国人など他国人を大量に移住させて多民族国家とし、仏教以外にキリスト教ヒンドゥー教イスラム教や儒教を持ち込んで多文化社会に改造した。
 そして、各宗教や各民族が平和に共存しない様に対立を煽り、敵対して暴力事件が起きる様に仕向けた。
 ビルマ仏教徒とインド系イスラム教徒は、激しく対立した。
 インド人商人や華僑は、優れた商才で金融・経済を支配して財を築いたが、その阿漕な商売によって貧しいビルマ人から憎まれた。
 近代の植民地政策は、協調性を持った同化ではなく差別を伴う悪意に満ちた異化であった。
 世界史の事実として、異民族に対する同化政策が成功した例はない。
 植民地抵抗運動とは、普遍宗教と民族中心宗教による宗教対立でもあった。
 日本は、不平等条約改正の交渉を始めるが、まともに相手にしてくれる欧米列強はなく、弱小国の屈辱を味わった。権利を主張するには軍事力しかないとして、国民生活を犠牲にし、生糸や日常雑貨を海外に輸出して軍国主義諸政策を強引に推し進めた。
 ジョルジュ・ソレル(フランス人)「知的レベルの低い大衆は、説明を必要としない非合理な神話を信用しやすい」
 アジアやアフリカなどで終わる事のない、権力を持った富裕層の少数派部族と虐げられた貧困層の多数派部族の内戦は、欧米列強による植民地支配の遺産である。
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 1887年 フランスは、南北ベトナムに加えてカンボジアラオスを合わせて仏領インドシナを成立させ、植民地拡大の為にタイとの国境紛争を繰り返した。
 タイは、絶望的戦争を避ける為に、領土を割譲し、国民を奴隷として差し出した。
 タイは、如何なる犠牲を払っても、戦争ではなく平和を求めた。
 白人キリスト教徒の奴隷となったアジア人は、悲惨な境遇に落とされ、餓死しようと、疫病で病死しようと、人として救われる事なく、死者への尊厳も踏みにじられ、生ゴミの様に捨てられた。
 だが。中国人も、中国以外の、日本を含むアジアに対して似た様な認識を持っていた。
 井上馨外務卿は、現実的な手法として関税自主権の回復交渉を優先し、欧米人の裁判には外国人判事を任用し外国語を用いて裁判を行うという領事裁判権の全国拡大させるという改正案を提出した。
 つまり。相手の嫌がる事は避け、相手が欲する事を進んで譲歩して、実を取るという外交交渉であった。
 外務省翻訳局の一職員であった小村寿太郎は、日本の国益を損ねる改正案であるとして内部告発した。
 在野の国粋主義の右翼勢力は、井上改正案は、裁判権を外国に与える屈辱外交と猛反対した。
 政府は、右翼勢力の圧力に屈して条約改正を中止した。
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 大陸での世界戦争においては、民族同士のホロコーストやジェノサイドが起きやすい。
 日本は、一度も、数百万人が殺し合う様な悲惨な血みどろの世界戦争を経験した事がない。
 なぜなら。古代から大陸的大虐殺を食い止めて来たのは、神の裔・万世一系男系天皇制度(直系長子相続)であった。
 天皇支配がなかったら、日本も大陸同様の戦争地獄となっていた。
 天皇支配を否定する日本人は、大陸的惨状を容認する日本人である。
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 ヘンリー・S・パーマーの『タイムズ』の記事。「誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌の良さがありありと現れていて、その場の雰囲気にぴったりと融けあう。彼等は何か目新しく素敵な眺めに出会うか、森や野原で物珍しいものを見付けてじっと感心して眺めている時以外は、絶えず喋り続け、笑いこけている」
 チェンバレン「一般的に言って、教養ある日本人は彼等の過去を捨ててしまっている。彼等は過去の日本人とは別の人間、別のものになろうとしている」(『日本事物誌』)



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怨霊になった天皇 (小学館文庫)

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