⚔20)─1─織田信長による本願寺戦争、比叡山焼き討ち、高野山への威圧。~No.81 @ 

カトリック教会の教え

カトリック教会の教え

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 プロフィールに、6つのブログを立ち上げる。↗
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 織田信長は、僧侶が支配する国家鎮護の国家仏教を否定し、武力で宗教権威の仏教勢力を粉砕しようとした。
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 2017年6月23日号 週刊ポスト「逆説の日本史 井沢元彦
 近現代編 第三話
 大日本帝国の構築 Ⅱ
 宗教の整備と教育勅語 その(10)
 信長、秀吉、家康が成し遂げたと『武教の完全分離』いう大偉業
 いかに戦争とは言え敵を殺すこと、つまり『殺人』は許されるのか?
 そもそも神は預言者モーゼに与えた人間がもっとも守るべきルール『十戒』のなかで、『thou shall not kill(汝、殺すなかれ)』と命じているではないか。
 ……
 従軍牧師の論理は完全無欠かと言えばそうでもない。若い兵士が言っているように、英語の聖書では『殺すなかれ』はnot killであってnot murderではない。だから一般市民の常識を軍人の常識に変える必要がある。『戦える国家』にするためである。
 この論理は言うまでも無く諸刃の剣だ。アメリカ合衆国の敵であるIS(イスラム国)にも『従軍牧師』はいて、若い兵士の『コーランは殺人を禁じているのではないか』という疑問に同じような理屈で答えているに違いないからだ。
 本稿は『逆説の日本史』であって『逆説の世界史』ではないので、外国の事例紹介はこれぐらいにするとしよう。
 だが強調しておきたいのは、多くの日本人はこうした理屈を海の向こうの話、つまり『対岸の火事』のようなものと思い込んでいるが、日本でも織田信長以前はそれが常識であったことを、この『逆説の日本史』では何度もお伝えしたはずだということである。そのなかでも、中世から近世にかけて武家社会のバイブルとも言うべき書だった『太平記秘伝理尽鈔(たいへいきひでんりじんしょう)』に、仏教勢力側の次のような『殺人正当化』の論理があったことを思い出していただきたい。

 人の命を亡ぼす事を罪とせず。たまたま心有る人、『それは仏戒を破り給ふに成り侍(はんべ)るらん』と謂(い)えば、『仏も魔も降伏(がうぶく)し、菩薩も慈悲の殺生(せっしょう)有り』と答ふ。大に非なり。仏の衆生を助けんがために悪魔を払ひ給ふと、菩薩の衆生を渡(ど、度)せんための慈悲の殺生とは、雲泥万里の異なり。其故は、仏菩薩は、魔を悪(にく)しと思ひたまはず。又、自(じ)の利養(利益)のためにしたまはず。今の山門の衆徒(しゅうと)は、名利の為に、事を仏法に寄せて、多くの人民を殺害す。……誠に以て浅間敷(あさまし)き事にや。
 (『太平記秘伝理尽鈔今井正之助他校注 平凡社刊)
 〈大意〉
 (彼ら僧兵は)人を殺すことを罪だとは考えていない。心ある人が『それは殺生戒(せっしょうかい)を破ることではないか!』と諭したところ、連中は『これは悪魔を倒すためであり、この殺人行為は仏の慈悲だ』とうそぶいた。ふざけるな。真の仏は魔を救おうとするものであるのに、奴らは自分たちの利益のために仏法を守ると称して多くの人々を殺しているではないか。なんという救われぬ連中であろう。

 まさに正義(あるいは大義)のための殺人は許される、という論理である。だからこそ、近代以前の日本には『殺人集団』である僧兵が存在した。そうした理論を邪教と考え撲滅を目指したのが信長、秀吉、家康であった。とくに先鞭をつけた信長は偉大だ。この『理尽鈔』にあるように、信長以前から当時の武士たちはこの理屈はおかしいと考えていた。軍事を担当する武家ならともなく、宗教勢力は本来人を殺さずに生かす立場であるはずだからだ。それでも撲滅に立ち上がらなかったのは、僧兵たちを抱える仏教勢力が強大な力を持っていたからである。それゆえ信長以前の武将は苦々しく思いつつも仏教勢力と妥協することしか考えなかった。武田信玄などその典型である。
 しかし、信長だけがその牙城に挑み、比叡山焼き討ちや一向衆大虐殺などという、あまり評判の良くない手段を取ることによって、なんとか実現の方向に持っていった。政教分離ならぬ武教分離、平たく言えば宗教勢力の武装解除である。宗教と武力の完全分離と言ってもいい。
 この世界史上、私の知る限り誰もできなかった大偉業を信長、秀吉、家康は成し遂げた。ところが日本の歴史学界はそういうことがまるでわかっていないものだから、たとえば信長は無辜(むこ)の人間をあまりにも殺しすぎたなどと教える。そうした教育を受けた人々が、その偉業を成し遂げた信長を、理解するどころか虐殺者として糾弾することになる。『信長嫌い』というエッセイを書いた作家藤沢周平がその典型である(第10巻『戦国覇王編』参照)。もちろん藤沢周平が悪いのではない。悪いのは藤沢のような偉大な作家の目を曇らせるような誤った歴史教育を進めてきた日本の歴史学界である。
 そして信長の行為はわれわれ人類に一つの大きな教訓を与えている。それは狂信的な宗教集団が、自分たちを絶対の正義とし武装して、その主張を通そうとする場合、これを解体するには相手が屈服するまで殺し続けるしかないという冷厳な事実である。
 もちろん人命は尊い。できるならそんなことはしたくはない。信長もそうだったろう。人によっては信長を『血に飢えた野獣』にたとえるが、もしそうなら本願寺が信長に降伏した後、関係者の大量処刑が行われたはずだ。しかし信長は確かに降伏前は大量の信者を殺しているが、本願寺が降伏し武装解除に応じた後は誰も処刑せず布教の自由も完全に認めているのである。一揆勢には最愛の弟や有能な部下を何人も殺されているのだが『戦犯』の追及も一切していない。『血に飢えた野獣』ならそんなことはあり得ないことはおわかりだろう。
 話を明治初期の日本に戻そう。
 前回述べたように、僧侶の妻帯問題をきわめて前向きにとらえ、これを仏教改革の柱に据えたのが日蓮宗の『行者』とも言うべき田中智学(ちがく)であった。行者と言うのは彼は一度は出家したものの還俗して在家の信者として生涯を過ごしたからだ。
 後に日本の軍国主義のスローガンとされ『侵略』を正当化したとされる『八紘一宇(はっこういちう)』という用語も智学が作った。八紘一宇とは、

 神武天皇が大和橿原(かしはら)に都を定めたときの神勅に『六合(くにのうち)を兼ねてもって都を開き、八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)と為(せ)んこと、またよからずや』(日本書紀)とある。ここにあるのは『八紘為宇』という文字であるが、1940年(昭和15)8月、第二次近衛内閣が基本国策要綱で大東亜新秩序の建設をうたった際、『皇国の国是は八紘を一宇とする肇国(ちょうこく)の大精神に基』づくと述べた。これが『八紘一宇』という文字が公式に使われた最初である。(『日本大百科全書』ニッポニカ)

 公式に使用されたのはここに書いてるとおりだが、この『八紘為宇』から『八紘一宇』という新語を造語したのは、あくまで田中智学であった。『日本の天皇を中心に世界が一家になる』ということだ。わかりやすく言えば、法華経妙法蓮華経)の根本精神である『一天四?皆帰妙法(いってんしかいかいきみょうほう)』の実現、つまりすべての人類が法華経に帰依すれば世界は平和になるという信仰に基づいたものであり、天皇がそのリーダーになるというものである。
 もっとも、そういう見方に対する反論もある。智学自身は『八紘一宇』が『日本軍国主義』のスローガンにされるとは夢にも考えていなかったし、そもそも戦争自体に批判的であったというものだ。確かにこのスローガンが公式なものとなったときには智学はとうの昔にこの世を去っていたし、智学自身戦争には批判的ではあった。しかし、戦争絶対反対論者ではない。つまり理不尽な暴力に対する抵抗まで否定はしていないとうことだ。これは一歩進めば戦争正当化につながる。
 『殺人』を肯定しなかった仏教は滅びた
 ところで、よくご存じのように仏教発祥の地であるインドでは仏教は一度滅びた。考えてみれば不思議なことではないか。これほど世界で多くの信者を獲得している宗教がなぜ発祥の地のインドでは滅んでしまったのか?それはやはりインド仏教つまり本来の釈迦の教えを伝える仏教は、どんな形でも『殺人』を肯定しなかったからではないかと、私は考えている。あくまで仮説ではあるが、過去数年かけて釈迦生誕の地ネパール、仏教開眼の地インドの仏跡をめぐっての感想はそれだ。
 『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり』と『平家物語』は語る。祇園精舎とは古代インドのコーサラ国にあった仏教の寺院(精舎)のことで、釈迦もしばしば説法したという由緒ある場所だ。しかし、約1,000年の後『西遊記』の三蔵法師のモデルとなった玄奘(げんじょう)が訪れたときは廃墟になっていた。まさに『諸行無常』だ。その玄奘が学んだナーランダ大学も今は建物跡が残るのみ。すべての仏像、経典、文化財は仏教を邪教とするイスラム教徒に徹底的に破壊された。『僧兵』がいなかったからである。
 インド仏教の流れをくむチベット仏教ダライ・ラマ14世も、中国の侵略行為に対してあくまで非暴力による抗議の姿勢を貫いている。大変素晴らしいことだが、これは現代社会だから通用する態度であって、帝国主義の時代だったら暗殺されていたかもしれない。
 あたり前の話だが、歴史の評価というものはきわめて難しい。織田信長の評価もそうだが、最近ネットサーフィンをしていたら教育勅語に対する否定的な評価が目立つことに気がついた。何も知らない若者が教育勅語っていったい何ですか?と聞いたときに、そんなものは国民を戦争に駆り立てる軍国主義の源流であって一切価値が無いなどと答えているケースもあった。これはあまりにも一面的な歴史の見方だ。実際、教育勅語には『一旦緩急あれば』つまり国家に万一のことがあれば、国民は天皇のために戦わなければいけないという文言はある。それは事実だから、国民を戦争に駆り立てるものだという評価はまったく根も葉も無いデタラメとは言えない。根拠はある。しかしそのような言い方は、たとえば坂本龍馬高杉晋作西郷隆盛も、自分の手で人を殺した経験があるから殺人者であり、人間としては価値が無いなどと評価するのと同じことだ。
 龍馬は確かに寺田屋で役人に取り囲まれたとき、高杉晋作からもらったピストルを発射し役人を一人射殺している。それは事実だが、だからと言ってももし彼がそのとき逮捕されていたら薩長同盟もうまくいかなかったかもしれない(盟約の事実はあったが、完全に成立したのは桂小五郎が龍馬に保証を求めたからであり、寺田屋事件で逮捕されていれば当然その保証はなされなかった。つまり同盟自体うまくいかなぁった可能性がある〈第21巻『幕末年代史編Ⅳ』〉参照)。龍馬はあの時点で日本のためにはあのような形で脱出するしかなかったのであり、それを人殺しだからダメだなどと評価はきわめて一面的な見方だということがわかるだろう。
 教育勅語に対する批判も同じである。右も左もわからない若者に、そいうい一方的な刷り込みを与えるのは、天皇に関することは何でも『悪』だとする日教組教育の体現者かあるいは、そういう人たちに洗脳されてしまった被害者かもしれない。そういう人はこの誌面を読んでいないかもしれないが、せっかくだから歴史というものを柔軟に立体的に見るコツを教えましう。
 それは一言で言えばジャッキー・チェンはなぜジャッキー・チェンなのに、安倍晋三はシンゾウ・アベではないか、という問題である。
 念のためだが、決してふざけているのではない。」
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 弾圧された特定の仏教教団は、殺生戒を戒めながら如何に教団を守る為とはいえ自ら僧兵として武装して、敵対する相手を「御仏」の名を借りて殺していたからである。
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 弾圧された中世キリスト教会とイエズス会その他の修道会は、「神の御名」によって殺生戒の他に隣人愛や人は皆な平等を説きながら、白人キリスト教徒商人と結託して日本人を家畜の如く扱い奴隷として海外に売り飛ばしていたからである。
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 仏教教団は、来世と将来を信仰と腕力で変える事を諦め、武器を捨て、僧兵を止めた。
 現世と今の応報は前世と昔の因果にあると考え、先祖供養に力を入れた。
 仏教の信仰は、先祖供養として、葬式と法要、墓守を行った。
 徳川幕府は、仏教が政治に干渉せず来世と将来に目を向けず、没個性的に前世と過去にこだわる限り放置した。
 日本仏教の生き残り戦略は、葬式仏教として、消極的で、内向き、後向であった。
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 日本人で、命を捨てても宗教を守るために戦おうとする者は極少数で、信仰の為に殉教しようとする者は微細に過ぎない。
 日本社会では、そうした死を恐れない信者・信徒が余りにも少なすぎる為に、少数派(マイノリティー)にもなりきれない。
 日本常識を持った圧倒的多数の一般の日本人は、そうした敬虔な信者・信徒を狂人として嫌悪し、差別し、村八分として半殺しにしてムラの外に追い出した。
 日本人は、命を捨ててまで守るべき宗教・信仰、或いは人を殺してまで守る宗教・信仰など、足る真っ当な宗教・信仰ではなかく偽物と信じていた。
 極普通の日本人であれば、今生きる現世の命と死後の来世を約束する宗教・信仰の二者択一を迫られれば、迷わず今生きる現世の命を選ぶ。
 日本における最優先事項は、今生きる現世の命であった。
 それが、祖先神・氏神の人神信仰の日本神道の神髄である。
 ゆえに、日本神道には死後の世界、天国も極楽浄土も存在しない。
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 キリスト教価値観が嫌悪した、泥沼のような日本の精神世界とはそう言う事である。
 日本で宗教テロリズムが誕生しなかったのはその為である。
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 天草の乱島原の乱は、重税に抗議した百姓一揆であって、キリスト教の信仰を守ろうとしたキリシタン一揆ではなかった。
 同様の事は、共産主義などの大流血と大虐殺を正当化する反体制的過激思想にも言えた。
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 日本で、キリスト教共産主義も不人気で支持者・賛同者・揚力者を増やせず少数派に留まったのはその為である。
 宗教・信仰同様に哲学・思想・主義の為に、命を捨てる、反対者・敵対者を殺す、日本人にはどう考えても理解できない事であった。
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 中世キリスト教会は、日本人を奴隷として売った事を反省も謝罪もしないどころか、キリシタンに日本をキリスト教国に生まれ変える為の聖戦をそそのかしたから国外に追放された。
 日本のキリスト教化に失敗した最大の原因は、聖戦を勝利に導くジャンヌ・ダルクのような炎と剣の聖戦士が出現せず、邪教徒を皆殺しにする神聖騎士団が誕生しなかったからである。
 異教国日本を生まれ変わらせる為に必要であったのは、隣人愛の信仰を広める聖人や福者ではなく、異教徒日本人を根絶やしにする聖戦士や神聖騎士団であった。
 中世キリスト教会の失敗は、中南米のように異教徒を消滅させる奴隷売買を徹底できなかった事にあった。
 中南米で生活していた異教徒1,000万人以上のインディオの大半が、キリスト教化で消滅した。
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 キリシタン弾圧は、日本を統治する幕府が宗教叛乱を正当化するキリスト教を禁教にした国法を破ったからである。
 つまり、キリシタンは犯罪者であった。
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 日本の宗教弾圧は、信仰ではなく教義に対して行われた。
 弾圧される教義とは、積極的で、外向的、前向きで、2000年守られてきた日本天皇の神聖を否定し、数万年続いてきた日本民族日本人の俗世を生まれ変わらせる為に社会を転覆させる事を正当化する教義である。
 つまり、国策と衝突する教義の事である。
 ゆえに、中世キリスト教会は追放され、その信者は弾圧された。
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 日本民族日本国の中心核にあるのが、祖先神・氏神の人神信仰の祭祀王・日本天皇であった。
 日本天皇を信奉し保護していたのが、差別されていた、非人・エタ・河原乞食などの町賤民や山の民・川の民・海の民などの地方僻地の下層民達であった。
 命を犠牲にして日本天皇を守ったのは、非人・エタ・河原乞食などの町の賤民や山の民・川の民・海の民などの地方僻地の下層民達であった。
 それ故に、昔の部落民である非人・エタ・河原乞食などの町の賤民や山の民・川の民・海の民などの地方僻地の下層民達は差別されてきた。
 昔の部落民と現代の部落民は、日本天皇への思い込みからして全く別の部落民である。
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 キリスト教価値観の西洋と儒教価値観の中華は、何時の時代でも日本の正当性を完全否定し、日本を許しがたい極悪犯罪者と固定している。
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 大陸世界における如何なる普遍宗教は、奴隷制度を容認していた。
 中華世界の儒教も、奴隷制度を認めていた。
 日本では、身分制度として非人・エタなどの賤民や小作人・作男や小者・下男・下女あるいは遊女・娼婦など差別される人々はいても、金銭で売買される人権や自由を奪われた奴隷はいなかった。
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 日本では、宗教は、現実社会の中で経済や生活に深く関わる事は許されたが、政治や軍事に干渉して専横しないように町中から周辺部へと遠ざけられていた。
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 日本では、愚者は歴史を学び、賢者は経験を教訓とする。
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 天皇制は、ソ連が日本で大虐殺の暴力的共産主義革命を起こす為に作った外来翻訳用語である。
 日本天皇を現人神とする信奉は、不寛容なキリスト教価値観と反宗教無神論共産主義価値観から祖国日本を守る為に昭和16年に作った宗教用語である。
 国家神道とは、GHQが日本でキリスト教宗教革命を起こす為に作った外来翻訳用語である。
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 日本を歴史とは、日本民族日本人と帰化人日本人が、日本天皇が存在する日本国を滅ぼそうと海の外から侵略して来る共産主義キリスト教から守る為に命を捨てて戦争を行った物語である。
 戦争は、全てが悪でも犯罪でもない。



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