🌏31)─1─日本軍国主義教育としての運動会。運動会が嫌いな少数派意見。~No.90No.91No.92No.93No.94 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 軍国主義は、運動会と共に国民の間に浸透した。
 反戦平和市民団体や非暴力市民団体は、軍国主義の悪しき遺産である運動会の撲滅に立ち上がらなければ嘘である。
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 明治維新で、国家と国民が生まれた。
 しかし、庶民は、今日から国民と言われてもその自覚は皆無でし、国民となって国家に尽くせと言われても従う気はなかった。
 国家と政府、庶民と国民の利害は一致していなかった。
 庶民にとって、新たな支配者が誰であっても自分達の生活に圧迫し苦しめなければ、官軍であれ、賊軍であれ、日本人であれ、ロシア人であれ、中国人であれ、誰でもよかった。
 明治新政府は、幕藩体制という重しがなくなって自己利益だけを求め始めた庶民を、国民としてまとめる必要があった。
 そこで利用したのが、第三極である天皇の美徳であった。
 第一極が政治権力で、第二極が宗教権威であった。
 何時の時代、何処の国・地域でも、政治権力と宗教権威は反対勢力によって滅ぼされた。
 観念的道徳の儒教は、政治権力の一種であった為に滅ぼされた。
 日本にあって滅びないモノは、天皇の美徳しかなかった。
 天皇の美徳という「たが」で国家と国民を一つに括り付け、その隙間を民族主義国家主義で埋め離れないようにした。
 そこで行われたのが、皇国史観という愛国教育であった。
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 明治新政府は、富国強兵に為に、如何に国家と国民を一体化させるかを考えていた。
 お抱え外国人のドイツ人は、欧州諸国の軍隊が各地の駐屯地で、地域住民との親睦目的として行っていた軍事教練的パフォーマンスの運動会の開催を提案した。
 森有礼は、外国視察から帰国するや、学校教育で公共心と公徳心、団結心と協調性を教えるには、集団で協力して勝つという運動会を取り入れるように提案した。
 つまり、庶民の個人主義から国民の集団主義への大改造が必要であると。
 国民の利益より国家の利益が優先される事を、教育で教えるべきであると。
 運動会において、個人主義的に個人競技で勝つ事と集団主義的にチーム・クラスが勝つ事が求められた。
 だが、個人が勝ってもチーム・クラスが負ければ、それは負けであると。
 1874年3月21日 日本で最初の運動会が催された。
 海軍兵学校のイギリス人英語教師フレデリック・ウィリアム・ストレンジの指図の元で、英語教育の一環として競闘遊戯会が開催された。
 1878年5月25日 札幌農学校で、力芸会が開催された。
 北海道の内の小中学校は、札幌農学校を真似て、横並び的に運動会を始めた。
 1883年 ストレンジは、東京大学予備門の英語教師となりに移籍するや、東京大学でも運動会を定期開催した。
 1885年 初代文部大臣に就任した森有礼は、全国の小中学校に運動会を学校行事として行うように指導した。
 軍部は、子供達を優秀な兵士に育て、統率が取れた軍隊行動を教える為に、集団訓練としての運動会に協力した。
 初期のうちは、運動会を「競闘遊戯会」「体操会」「体育大会」などと呼んでいた。
 だが。日本は、運動会から軍事訓練的要素を全て消し去り、競技や演技を行う平和な楽しい祭り騒ぎに変えてしまった。
 運動会が軍事教練の一環で行われた事を証明するのは、入場行進と、国旗「日の丸」掲揚と、国歌「君が代」斉唱の三点である。
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 船戸与一「近代史の流れは『民族→民族意識民族主義』という順列で理解されてきた。……しかし改めて問い直さなければならない。民族というものが先験的(ア・プリオリ)に存在するのか? と……私には従来の認識法は逆だったのではないかと思えるのだ。『民族主義民族意識→民族』すなわち、民族主義というスローガンが民族とは何かを勝手に規定してきた」
 船戸与一「(『満州国演義』の主題について)幕末・維新で飛び立った日本の民族主義が、紆余曲折しながら舞い上がって、最後は墜死していくという歴史を、価値観を抜き眺めてみようという事」
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 日本の歴史には、日本人以外の外国人というハッキリ区別する他者意識がなかった為に、大和民族日本民族という民族意識は存在していなかった。
 明治に入り。日本の民族主義とは、幕藩体制というローカルな地方分権連合国家から天皇親政というグローバルな中央集権国家に統合し、日本人を運命共同体の一員であるという自覚と生きるも死ぬも一緒という逃れられない絆で縛る為に、国家が悪意をもって意図的に創り出した「まがいモノ」である。
 日本人は、古南方系海洋民と半島経由の新南方系海洋民(北方系草原民と南方系海洋民の混血)が列島に移り住み雑婚して生まれた混血・雑種である為に、正統性や純血種を誇る民族主義などはなかった。
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 2016年3月3日号 週刊新潮「東京情報 部活と規律 ヤン・デンマン
 ……
 集団行動が大好きな日本人
 (部活には)負の側面もあったはずです。体育会特有のシゴキや陰湿なイジメもあっただろう。
 ……
 日本で軍国主義が復活するのではないかと近隣諸国が心配しているという報道がありますが、こんなに拘束や規律が好きな国民であれば、すぐに軍隊をつくると思われても仕方がない。戦後日本において進駐軍が教育制度改革を叫んだのは、学校教育が日本の軍国主義を生んだと報告されていたからでしょう。だから、運動会の行進も禁止された。しかし、部活動にまでは口出ししなかったので、日本人はそちらに規律を求めるようになったのです。GHQがラジオ体操を禁止したとき、日本人は森に隠れて行ったそうですよ。
 ……
 幕末から明治維新にかけて様々な政治改革が行われたが、その基本は軍制改革だった。そしてそれは学校や会社組織へ応用されるようになる。それにより日本は、世界の列国と肩を並べるに至ったわけだ。日本人は結局は揃いのユニフォームが好きなんだ。皆で力を合わせて何かを成し遂げることに、本能的な喜びを感じている。〝個性尊重〟などという近代の発想は、日本人には逆に息苦しいんだ。東日本大震災のときにも、〝絆〟という言葉に多くの日本人が飛びついたではないか。9割の子供が部活動をしているという事実は、規律、集団行動が大好きな日本人が、部活動にその役割を求めているということなのだ」


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