⚔61)─1─日本民族がキリスト教を拒否したのは人の未完・未熟・曖昧を好んだから。~No.254 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本の自然は、日本人の成熟・完成を許さず、日本人に未熟・未完・曖昧を強要している。
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 2024年8月号 WliLL「たたかうエピクロス 古田博司
 第61回 預言者とエピキュリアン
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 『啓示(オッフェンバールン)』というのはキリスト教徒の言い方で、こんな言い方をすること自体、キリスト教徒に預言というものが降ってこなかった証拠である。預言は民族宗教自然宗教)に降ってくる。正確には、民族共同体に民族宗教を通じて降ってくるのである。
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 預言は、世界宗教(人為宗教)には降ってこない。だから、ゲルトールト・ヤスパースのいうように、イエスユダヤ教最後の預言者であり、使徒たちは宣教(ケリュグマ)によってキリスト教を形作っていったのである。『人為宗教でよいのか?』、当然である。神がゆるされたのだから、よいのである。だからキリスト教は、ユダヤ教徒にとっては『躓(つまず)きの石』になった。これが素晴らしい宗教であったことは、もう明らかではないか。ヨーロッパという世界の辺境にあれど豊かで味わい深い文化を生みだしたのである。
 宗教の習合ということ
 キリスト教にとってユダヤ教との習合から始まったのは、幸とも不幸ともいえる。ただ、その習合に気づかなかったのか、或いは気づいていたが、嫌だったのかもしれない。私の場合は、子供の頃から旧約聖書が愛読書だったので、自然に民族宗教と習合してしまった。すると、キリスト教が論理的にくっついてきた。
 これは一言で言って、慈愛の宗教である。信じる者は、敬虔(けいけん)であったり、善良であったりすることが期待されている。日本の神道も慈愛の宗教なので、相殺し合ってしまうため、日本では評価が薄いのかもしれない。しかし、慈愛の内容が少し違う。キリスト教は隣人同士だが、神道は男女同士の慈愛が主流なので、よりエピクロスの神に近いものと思われる。
 ……マルコ・マタイ・ルカの共観福音書に、ヨハネ福音書の内容が巧みに演じられている。
 仏教は、生家が『バチ当たり』の下町の質屋だったので、信仰の痕跡すらなかった。第一、仏像や偶像などにもともと霊気を感じてしまうたちだったので、全くアウト。ここが空いていたので、ユダヤ教と簡単に習合してしまった。家の玄関には成金らしく、金ぴかの大黒様が置いてあって、あれが俗悪でイヤだったのだが、今考えてみると、大黒天は大国主命(おおくにぬしのみこと)と習合しているのだから、それでよかったのかもしれない。……」
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 2024年8月8日号 週刊新潮「曖昧礼讃ときどきドンマイ  横尾忠則
  未完で生まれる人間。
 完成させようなんて考えなくていい
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 人間は完成して生まれてますか?
 皆んな未完の状態で生まれてきます。そしてこの未完を埋めようとして必死で働いたり遊んだりして人生を生きようとする。ところが人生はそう簡単に完成しません。人生の完成とは、まあ俗にいう悟りだと思って下さい。そう簡単に悟れるものではないのです。宗教は人間を完成させて悟らせようと説教などしていますが、そう簡単には悟れません。
 それでいいのです。悟れないでとうとう死でしまった。つまり未完で終わってしまったのです。そのために輪廻転生という宇宙の法則みたいなものがあるんです。今、現在、こうして生まれてきている人間の100パーセントは未完のまま生まれてきて、完成を目指すプロセスにいるのです。
 今生の100年たらずを生きても、完成(悟り)しなかっ。た中途半端で死ぬのか、と思って死ねばいいのです。悟れないままの未完のために、用意されているのが輪廻転生でしょ?だから、もう一度来世に生まれ返って、来世に頑張って完成すればいいのです。完成してしまった魂はこの地上には用がないのです。不退転の世界というか領域というか涅槃の世界で完成した生き方をすればいいのです。
 ですからこの地上で生きている人間は全て未完人間ということです。悟って不退転に入った人間はいくら頑張っても今生のこの現象世界には戻ってくることはできません。
 だから、ご飯を食べ残こしたり、絵を未完で終わらせるのも悟っていないからそうするのです。それがこの地上の行き方です。
 完成させよう、悟ろう、なんて考えない方がいいのです。時期がくれば完成するでしょう。未完でいることは、未完を遊べということです。だから人間はこの世に遊ぶためにうまれてきたのです。それこそが完成への道であり、悟りへの道なのです。」
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 日本民族は、現世への未練、家族への愛着、この世への思い入れが強いだけに、悟りたいと思う反面悟れない事を喜んでいる。
 その象徴が、家の中の仏壇であり神棚である。
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 絶対神を信仰する一神教(啓示宗教)は完成され成熟した宗教でるが、偶像を持って八百万の神々を信奉する多神教自然宗教)は未完で未熟な宗教である。
 その意味では、日本神道は未熟で未完成の宗教である。
 その原因は、日本人がキリスト教を受け入れなかった、と言うより日本列島の自然環境が拒否したからである。
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 宗教の未熟・未完は、宗教の多様性をもって異宗教を取り入れて習合して一体化する。
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 日本仏教で言えば、完成された仏教は空海真言密教であり、発展途上の仏教が最澄天台密教であった。
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