⚔46)─3─バチカンの日本キリスト教化計画は、徳川家康に敗北した。太平の世の伊賀と甲賀。1639年/~No.197No.198No.199 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 サムライは、主君に対する忠義を最優先しただけに、諸君殺しの大罪を許さず、味方を敵に売って裏切る為を最も嫌った。
 ゆえに。国王チャールズ1世を処刑し、ステュアート朝を断絶させた、イギリスを主君殺しの下剋上国家と嫌って国交を断絶させた。
 日本の伝統的主従制度を守る為に、キリスト教の名の下で「主君殺し」を正当化する西洋との鎖国を決断した。
 同様の理由から。中国と朝鮮との国交も断絶させ、両国との交易を民間レベルに制限した。
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 忍者の最大の任務は、情報を持ち帰る為に逃げて逃げて逃げ切って生き残る事であった。
 忍術の極意は、生きる為に、恥も外聞も耐え忍ぶ事であって戦って敵を殺す事ではない。
 究極の目的は、殺し合いによる犠牲者を最小限に食い止める事であった。
 伊賀者は幕府に召し抱えられて安定した生活をしていたが、甲賀者は百姓となったが生活は困窮した。
 甲賀者は、伊賀者の様に武士身分への復帰を願い出て、その際に「忍者としての特殊能力を持って神君家康公に仕えた」と売り込んだ。
 忍者の超人的虚像はこの時に生まれ、夢物語がさらなる夢物語へと発展していった。
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江戸幕府による鎖国政策
 徳川幕府は、金儲けの為に、遠国のオランダと友好関係を保ちながら南蛮貿易を行ったが、近国の明国や朝鮮とは国交を開かず自由な入国を認めず商品の流通のみを許した。
 正統派儒教による、相手国を対等国ではなく臣下か属国と決め付ける中華思想の押し付けを拒否した。
 天皇の臣下であるサムライが、中国から「汝を日本国王に任ずる」という国書を受け取り朝鮮と同じ立場に立つ事は、天皇を守る事を第一義とする身分からして容認できなかった。
 キリシタン達は、幕府の弾圧を逃れる為に、キリシタン領主が多い平戸の生月島に逃げ込んだ。
 生月島の領主達は、幕府への忠誠として棄教し、逃げてきたキリシタンを弾圧した。
 キリシタン達は、キリシタン禁教という国禁を犯し信仰を守る為に秘密の組織を作り、聖母子の絵や十字架を神棚や仏壇の奥に隠し、キリスト教の祈りや宗教儀式を後世に伝えた。
 御上によるキリシタン弾圧は、信者を根絶やしにできないほどの不手際の連続で、宗教弾圧は不徹底であった。
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 カントは、江戸幕府が採用したオランダのみを交易相手とした限定的鎖国策を称賛した。
 『永遠平和のために』「囚人のように扱って自国民との交わりから閉め出した」(1795年)
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 1639年 江戸幕府は、ポルトガル渡航禁止令を公布して、ポルトガルとの国交を断絶した。 
 『吉利支丹記』…キリシタンによる島原の乱を引き合いに出して、キリスト教は日本を奪おうとしていると訴えた。
 徳川家光は、島原の乱で貢献したオランダの長崎と平戸への入港を許した。
 この時から、条件付き鎖国政策が正式に徳川幕府の祖法となった。
 幕府は、オランダに対して、交易を許す替わりに欧州諸国やその他の地域での出来事を報告する義務を命じた。
 伊達政宗は、領内である現在の岩手県藤沢町大籠地区に3万人の隠れキリシタンが住み着いているのを見逃していたが、幕府の手前、地蔵の辻でキリシタン信者を処刑した。
 数年の間に300人以上が、打ち首や磔にされた。
 サムライ日本人は、アジア史を漢籍で熟知していただけに、中国や朝鮮に対する興味はなく、交わっても友人として親しくなるつもりはなかった。
 曖昧な宗教観を持つ日本人にとって、キリスト教キリスト教であって、カトリックプロテスタントの違いが分からない。
 中国も、朝鮮も、日本との友好関係を望んではいなかった。両国は、一人として日本人の入国を認めなかったし、入国すれば海賊・倭寇として処刑した。
 中国人と朝鮮人は、日本人を敵とみなし憎んでいた。
 7月 民族中心宗教を破壊しようとするキリスト教から、天孫族の直系子孫である神の裔・天皇の神性を守る為にキリシタン禁制を再発布した。
 普遍宗教・キリスト教は、一神教ユダヤ教イスラム教同様に、人を神として祀り、偶像を持って信仰する事を禁じていた。
 絶対神の福音で、絶対神の正しい道に外れた偶像崇拝を守る多神教を地上から抹消し、聖なる火で痕跡を残さない様に焼き尽くす事を神聖な使命としていた。
 祖先を神と祀る昔の日本人は、高天原の天つ神が国つ神が治める葦原の国に降臨したという天孫神話を、如何なる犠牲を払っても守ろうとしたのである。
 日本は、神道から、祖先を神として祀り、八百万の神々と多種多様に誼を結び、自分と家族そして他人と世の中が全てやすらかに暮らせるように祈った。
 信仰心篤い日本人であれば、誰でも例外なく、宗教的「絆」を基にして心の中で祖先神・氏神と心霊的交信ができていた。
 その象徴が、天つ神の血を濃く受け継ぐ祭祀王・天皇であった。
 日本中心宗教は、「集団」のカナメとして、全ての人を例外なく平等に運命共同体の祖先神(氏神)として信仰した。
 祖先神・氏神に上下関係がないだけに、性別や身分や職業といった差別は生まれなかった。
 ただ。まとまりを持たせ、秩序をもたらす存在として、絶対不可侵の霊的権威として神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)を設けた。
 神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)が存続しえたのは、民族統合の象徴として、葦原の中つ国・日本に秩序ある安定をもたらし、大和民族日本民族に五穀豊穣の稔りを祈願できる唯一の祭祀王としての存在であるからである。
 神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)は神憑り的シャマンである為に、政治的な権力や宗教的な権威とは別次元の存在であった。
 神道は、自然を神として大切にし、人間のエゴで自然を破壊しないように細心の注意を払っていた。自然を神聖化し、如何なる犠牲を払っても自然を守り育てていた。
 これが、現代の、科学至上主義にもとずく日本歴史で完全否定される日本版中華主義である。
 そして、反戦平和主義から蛇蝎の如く嫌悪される天皇ファシズムの実体である。
 中国や韓国・朝鮮は、儒教から、祖先を人として追悼し、血のつながる一族の者のみに利益をもたらしてくれる聖人として崇拝した。
 儒教は、「個」の学問として、自分の祖先のみを他者以上の「徳」を有した聖人として崇拝した。
 儒教は、神や仏や迷信を世を乱す諸悪として完全否定する。その反宗教無神論は、共産主義と通じるところがある。
 儒教の本質は、絶対君主による一君独裁体制を正当化して維持する学問で有り、プロレタリア党首絶対の一党独裁体制を理想とするマルクス主義に似ている。
 儒教価値観世界は「個」の実体がハッキリしているだけに、「個」の主体性があやふやな神道価値観社会とは違って不寛容の為に、「個」の利益を追求する戦乱が絶えず、排他的な虐殺と略奪が尽きなかった。
 中国人や朝鮮人は、「他」を排除する「個」が確立しているだけに、既存を破壊し変化を起こす強靱な精神力を持った強い人間である。
 日本人は、「個」が未発達だけに、変化に適応・順応する柔軟な精神力を持った弱い人間である。
 幕府は、イエズス会を含む各修道会所属にする全宣教師を日本から放逐し、キリスト教布教を支援するポルトガル王国と国交を断絶して、ポルトガル船の来航を全面禁止とした。
 隣人との「絆」を大事にする日本の宗教界は、隣人愛の福音で洗礼を受け、絶対神への信仰を誓う信者のみを救済して他者を排除しようとする、不寛容なキリスト教の傲慢さを嫌った。
 日本は、世界情勢が如何にあろうとも、日本の神話的「まごころ」を守る為に条件付き不完全鎖国政策を断行した。
 当時の、キリスト教絶対主義の欧州情勢からすれば、それは正しい判断であった。
 鎖国政策をしなければ、アジア・アフリカ地域と同様に、日本はキリスト教化されて地上から消滅し、日本人は白人キリスト教徒の奴隷とされたであろう。
 そして、神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)制度は廃止され、天孫族皇室は奴隷的下層階級に落とされ、祖先と自然を神と崇める信仰も消滅させられていた。
 インカ帝国の王族やビルマ王朝の王族。地球上に存在した多くの王国と多くの王族が、普遍宗教の為に滅亡に追い込まれ、そして消滅した。
 現代において、気の強い民族性無視の普遍宗教ではなく、気の弱い民族創世神話を持つ民族中心宗教を国教とする国は数えるくらいしかない。
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 7月4日 イエズス会司祭のペトロ・カスイ・岐部(岐部茂勝)は、激しい拷問を受けても棄教せず、穴吊りのさなかにも隣で吊られていた信徒を励ましてい為め、穴から引き出され斬首された。
 門脇佳吉「『イエズス会とは何ですか』という問いに、『いつも緊張状態、危機的な状況に身を置いている者だ』と答えています。イエズス会士は、さまざまな問題の最前線に立っている。それができるのは、いつでも人格の底で神と直面し、同時に人格の周辺では、社会・国家・国際情勢に直面しているからです。直面とはある緊張状態を指します」
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 バチカンイエズス会による、隣人愛の福音によって、祖先神・氏神信仰の異教国・日本をキリスト教で生まれ変わらせるという神聖な使命は失敗した。
 キリスト教勢力による日本キリスト教化計画は、1889年の大日本憲法発布によって再開された。
 皇室勢力は、神代から続く日本独自の精神性が破壊されるとの危機感から、キリスト教に対抗する宗教的権威の為に天皇の神格化と神道の国教化という国家神道を創設した。
 女性神天照大神を中心とした一神教天皇教の誕生によって、日本のキリスト教化計画は再び頓挫した。
 三度目の挑戦は、1945年に国家神道が廃止さ、1946年に神の裔・昭和天皇人間宣言がなされてからである。
 日本が天皇教を国教とした時、世界で初めて女性神最高神とした宗教が誕生した。
 この時をもって、宗教的に、日本では男女差別が消滅した事になる。
 日本のキリスト教化の最大の障害は、神の裔である祭祀王・天皇にあった。
 ゆえに、キリスト教勢力は、神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)制度の解体を最大の眼目として、明治においても、現代においても、キリスト教に改宗した女性天皇を擁立しようとしている。
 皇室典範改正による女系天皇擁立とは、民族中心の天孫降臨神話にもとずく皇統の断絶と、神の裔をもとにした祭祀王・天皇キリスト教化が真の目的である。
 つまり、2000年受け継いだ、正統な皇統による万世一系男系天皇(直系長子相続)を中心とした民族中心の物語の抹消である。
 それは、ヨーロッパの諸王家を見れば歴然とした事実である。
 人類史文明史宗教史的事実として。創世神話を持つ非文明的民族中心宗教は、普遍宗教化した国際派女系王家によって消滅している。
 女系とは、赤の他人(日本人、非日本人に関係なく)が家と財産を相続する家系の変更を意味する。
 かって、地球上には、多くの民族中心宗教が存在していたが、今では、その多くが消滅している。
 キリスト教徒と左翼・左派のマルクス主義者は、この事を充分に理解したうえで、男系皇室を断絶させ、、女系天皇を誕生させようとしている。
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 当時のキリシタンは、非暴力を貫き、運悪く見つかり捕縛されようとも武器を持って抵抗はしなかった。
 絶対神への神聖なる忠誠心を守る為に、進んで殉教する為に刑場に赴いた。
 自分の信仰を貫く為ならば、アブラハムの逸話に倣い、自分の子供さえ悦んで犠牲にした。
 「人を殺すなかれ」の教えに従い、一揆を起こして幕府を倒し、日本に絶対神の「愛の王国」を建設するという強烈な意志はなかった。
 諸大名は、島原の乱を教訓として、幕府の命に従って厳格にキリシタンを取り締まってキリシタンが死に物狂いで一揆を起こす事を恐れていた。
 それ以上に、自分の子供を犠牲にしても自分の信仰を守ろうとするキリシタンが恐ろしかったのである。
 泣く赤児に手を焼き閉口するのが、祖先神・氏神を信仰する日本の極悪人である。
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 幕府は、諸大名統制の為に、取り潰しの口実を探していた。
 諸大名は、幕府の探索を恐れ、領内に忍び込んでいた御公儀の隠密・忍者を炙り出しては容赦なく殺していた。
 キリシタン一揆を起こせば、幕府からキリシタン取り締まりを褒められるどころか、騒動を起こした失政を咎められ、領地は取り上げられて、御家断絶を命じられる恐れがあった。
 悪くすれば、一揆を起こした責任で切腹を命じられる危険さえあった。
 サムライは、寸時も気が許せない、気が変になりそうな超緊張状態におかれていた。
 切腹は、サムライの名誉ではない。
 切腹とは、あくまでも、責任を果たせなかった責めとして強要される処刑方法の一つであり、不名誉な事である。
 切腹させられたら、如何に大名といえども罪人として処理され、サムライとしての体面は剥奪されて、闇から闇に埋葬された。
 切腹したサムライの勇気を称えて葬れば、それを命じた幕府や主君の体面を傷つける事になる。
 諸大名は、本音ではキリシタン一揆を恐れた為に、キリシタン取り締まりは口先の建前だけとなった。
 さりとて、目の見える所でキリシタンを野放しにしておけば、キリシタンの徹底弾圧を強要する寺院側が騒ぎ出して幕府に諸法度違反と報告される恐れがあった。
 そこで、型どおりの取り締まりを行い、幾人かを捕縛した。棄教する為の拷問にかけ、苦しみに堪えかねて棄教を約束する誓約文を書けば放免した。
 放免した者が、改心もどしをしてキリシタンになっても、その事実を無視してしばらくは放置した。
 信者を増やす目的の布教をせず、山奥や離れ小島に隠れ、表に出ずにコソコソと人目に付かない様にして、家の中か洞穴か森の奥などで温和しく声を殺して祈る分には見て見ぬ振りをした。
 但し、幕府への報告の為に定期的にキリシタン探索を行ったが、それは形式だけでキリシタンの誤魔化しに目を瞑った。
 その曖昧さで、隠れキリシタンは、開国されるまでの200年間、信仰を守り通した。
 それは、奇跡でも何でもない。
 曖昧さを許さない大陸では、一人の残らず惨殺され、跡形なく抹殺された。
 日本では、幕府が定めた「法(掟・御法度)」は絶対であり、例外なく何人といえども背く事が許されなかった。庶民や武士はもとより、将軍や天皇でさえ従わざるおえなかった。
 だが、同時に、法には抜け穴がある事を知っていた。
 日本人は、「法」を建前と本音で使い分けし、厳格に運用して「和」を壊す事を嫌い、なるべく穏便に角が立たないように処理巣つ事に心懸けた。
 それが、日本的な曖昧さを良しとする「罪を憎んで、人を憎まず」である。
 大陸には、日本的な曖昧さは存在しない。
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 仏教界は、各種証明書を出す強力な権限を与えられた事によって、全ての日本人を強制的に信者として完全支配した。
 全国に潜む隠れキリシタン探索の為に、全ての日本人を公認された仏教の何れかの宗派に強制的に振り分けた。
 それ以外の宗派は認められず、弾圧の対象となった。
 そこには、個人の信教の自由は存在しなかった。
 それは、日本にしか存在しない奇妙きてれつな寺請制度である。
 江戸幕府は、宗教政策に従わない宗教・宗派を弾圧した。
 檀那寺は、檀家の墓参り、死者の納棺、先祖供養の法要や、初詣で、節句、などの日常生活における宗教行事を全てを完全支配した。
 この時から、日本人の生活や習慣は全て宗教性を持つ様になった。
 檀那寺は、旅をする為の往来手形、土地や家の貸し借りや養子や奉公人の身元保証などの送り状と請合状などの、寺請証文・切紙証文に寺判を押して発給した。
 各地の寺院は、日常の庶務全般を受け持つ事によって日本人を支配し、逆らえば如何なる庶務手続きも拒否した。
 強欲な僧侶は、謝り料として多額の金子を要求した。
 庶民の寺院への怒りは鬱積したが、僧侶に嫌われ憎まれては生活できないので、御無理ご尤もとして盲目的に従った。
 庶民は、暴利を貪って丸儲けする生臭僧侶を憎み、「坊主憎ければ袈裟まで憎い」と罵った。
 庶民の怒りは、1868年の神社分離令で爆発し、全国的な廃仏毀釈運動を起こした。
 幕府は、特定の宗教・宗派が信者を抱えて政治勢力と化する事を避ける為に、住民が別の土地に移るや、その地域が違う宗派の支配地であれば強制的にその宗派の信者とした。
 同時に、賭博や高利貸しや人身売買で金儲けする悪辣な僧侶は、容赦なく捕縛して厳罰に処した。
 庶民支配の為に、僧侶を優遇したが、けっして特権を認めなかった。
 これ以降、日本人は、大陸の人間とは違って宗教への強烈な執着心を持たなくなった。
 日本人の信仰心への希薄さは、幕府の巨大な特定の宗教団体を造らないという宗教封じ込め政策が原因であった。
 幕府は、全国の檀那寺に対して信者を与え収入を保証するする見返りとして、人口調査の人別帳とキリシタン検索の寺請帳とキリシタン探索の踏絵台帳などを兼ねた宗旨改帳の作製を厳命した。
 さらに、キリシタンとして捕縛されたが棄教を誓約した者に対して、後に本人はもとよりその親族がキリスト教に立ち返らない様に類族書を作製させ、厳しく監視させた。
 ヨーロッパでは、領主の宗教が領民の宗教とされたが、キリスト教以外の宗教は存在しなかった。
 ヨーロッパは、キリスト教会が宗教や精神や日常生活全般を完全支配していた為に、キリスト教以外に選択肢がなかったのである。
 日本では、地元の宗教が住民の宗教とされ、領主の宗教と領民の宗教は必ずしも同じではなかった。
 日本は、寺院によって宗教支配されていたが、仏教以外に神社神道や迷信的土着信仰など、古代から受け継いだ数多くの選択肢があった。
 ヨーロッパなどの大陸世界では、宗教偏見という不寛容から宗教対立が絶えず、宗教差別から排他的な宗教暴動が起き、宗教迫害から世にもおぞましい悲惨な宗教戦争へと発展した。
 全てが、「絶対神の御名」によって正当化されて起きていた。
 大陸史の事実として、宗教に関する事件ほど眼を背けたくなる様な陰惨なものはない。
 日本は島国世界である為に、宗教対立や宗教暴動や宗教戦争が起きる前に、公権力で反社会的反体制的な宗教を徹底的に弾圧した。
 日本で人類史文明史宗教史の非常識として宗教に関する如何なる紛争も起きなかったのは、ひとえに、神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)という神聖不可侵の皇統が守られてきたからである。
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 1640年 幕府は、沿岸に領地を持つ諸大名に対して、宣教師や修道士らが国禁を破って密入国しない様に厳重な警戒をする様に厳命した。
 当時の日本人は、神の裔・天皇を中心とした民族宗教神道と先祖代々の家宗教・仏教を守るべく、日本を強引に改宗し強制的に改善しようとする普遍宗教のキリスト教を拒絶した。
 信仰心篤い宣教師らは、弾圧が強ければ強いほど使命感に燃え、日本をキリスト教化する事を絶対神に誓い、隣人愛の福音を広め迷える魂を救済し永遠の命を保証する為に、ローマ・カトリック教会の許可を得て日本への密航を企てた。 
 祖先神・氏神信仰は、血縁・地縁の人神信仰である。
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 中世キリスト教は、如何なる人神信仰もこの世から消滅させる事を神聖な使命としていた。
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 イングランド王国の内戦の始まり。ホッブズは、『ビヒモス』で、内戦の遠因は聖書の原理主義解釈で世俗的統治権まで要求した教皇主義者が始まりだと読み解いた。
 内戦の直接的原因は、聖書を地方言語の英語で翻訳して普及させた事で、バチカンが独占してきたラテン語聖書の統一的絶対的解釈権に疑問が提示され宗教権威が揺らいだからである。
 イングランド教皇主義者と長老派(改革派教会・カルヴァン主義者)は、聖書解釈をめぐって激しく神学論争を繰り広げ、絶対神の御言葉をハッキリさせる為に英語訳聖書を作成した。
 長老派など各宗派は、バチカン解釈とは異なる独自の解釈を行って支持者を集めて新たな教団を作った。
 急進的長老派は、王権に不満を持つ紳士(ジェントルマン)や民衆を集めて政治集団として原理主義的独立派(清教徒)を形成した。
 クロムウェルは、絶対神の御名によって禁欲主義を主張して民衆の支持を得て議会を制圧して清教徒革命を行い、民意に従って1649年に主君であるチャールズ1世を神の御名によって斬首し、共和制を敷いて1653年に護国卿となって独裁権を手に入れた。



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