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2019年5月31日号 週刊朝日「パテカルトの万脳薬 池谷裕二
『物言う神』の導入 人が神の創造主!?
近頃の神は口が立つ──。
突然そんなことを言われても何のことかさっぱりでしょう。しかし、まさにこれを示す論文が発表されました。オックスフォード大学のホワイトハウス博士らが先月の『ネイチャー』誌に報告した調査結果です。
ここで言う『神』とは、キリスト教やイスラム教のようなアブラハム宗教系の神に限らず、広く信仰の対象を含みます。仏教のブッダやヒンドゥー教のシバも神として扱います。
神は2種類に大別されます。『高き所から道徳を説く神』と『不徳に対して超自然的な罰を与える神』です。キリスト教は前者の代表選手です。聖書の神はとかく説教好きです。キリスト教では、人々は生まれつきの罪人で、この負債を神の導きで返済するのが人生です。
仏教は後者です。人々は生まれた時点では善悪はなく、日頃の行いでプラスにもマイナスにもなるという考え方です。こうした世界では、『バチあたり』という言葉にあるように、倫理に背く行いは罰せられます。罰を施す者は、何か超自然的な力、つまり神です。
人が神の創造主!?
両方の神には、人々に善行を施すという共通点があります。悪行を慎み、人々を助け、社会の安全と安心に貢献するよう民に仕向けます。
しかし、このように神が民を仕向けるようになったのは比較的近年になってからです。そう主張するのが冒頭の論文です。ホワイトハウス博士らは、人類進化史1万年にわたる大規模なデータベースを作成し、世界30の地域から414の信仰を分析しました。すると、古くは無口だった神が、あるときを境に、急に口をきき、人々に教えを説くように変化したという事実が見えてきました。
原始的な神は儀式や祈禱(きとう)の対象でした。『雨乞い』が典型です。雨乞いは日常の道標を請うものではありません。ひたすらに雨を願う純然たる祈りです。現代では合格祈願がこれに似ています。神は合格を保証したり、受験テクニックを授けたり、ましてや道徳を説いたりはしません。この『寡黙さ』が古典的な神様の特徴です。
モダンな神様はおせっかいです。私たちの日常に土足で上がり、クドクドと説教します。民はそうした口達者な神を恐れ、素行を正します。各自がマナーを守る、協力し、助け合う──。そして社会が安定化します。
かつ村の規模が小さかった頃は、人々の目が行き届きましたから、相互に監視することでメンバーの暴走を抑制できました。集団が大きくなると隅々まで目を配ることは困難です。そこで天から監視する『神』が役に立つのです。
ここで一つ疑問が生じます。神が口うるさくなったから集団が巨大化したのでしょうか。集団が大きくなってきたから神がやむなく説教を始めたのでしょうか。先の論文はこの疑問に決着をつけました。人口や領土、政府の水準、著述数などを参考に時代の変化を追跡したところ、神の性格が変わったのは社会が複雑化した後でした。
おそらく、集団の規模が人目による監視の限界を超えたところで社会秩序が悪化したのでしょう。これを解決するために、人々は仕方なく『物言う神』を導入しました。つまり、神が人を創りたもうたのでなく、人が神の創造主です。
これは神への冒瀆(ぼうとく)ではありません。なぜなら人々はモダンな神に『社会秩序』を祈っているのですから。雨乞いの頃から『祈禱』という姿勢では一貫しています。神とは、つまり、そういう存在なのでしょう」
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中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、非西洋キリスト教世界の住人であった日本人とアフリカ人を世界市場で奴隷として売って大金を稼いでいた。
敬虔な宣教師達は、日本人をキリスト教徒に改宗し、日本をキリスト教国に生まれ変わらせようとした。
日本全土がむりなら、九州だけでも、それが駄目なら長崎だけでも日本から切り離して教皇領として独立させようとした。
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キリシタンの神聖な使命は、インカ帝国のように、日本から全ての異教徒を根絶やしにし、悪魔教の皇室を地上から消滅させる事であった。
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スペインやポルトガルから艦隊と軍隊を派遣しなくても、日本人キリシタン40万人近いを神聖騎士団として組織し、幾人かのキリシタン大名が指揮すれば事足りた。
当時の日本人人口は、約1,200万人であった。
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キリスト教は、日本古来の祖先神・氏神の人神崇拝を悪魔教として滅ぼそうとした。
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日本民族日本人は、本音の所では如何なる神も信じてはいなかった。
単に、現世ご利益としての「困った時の神頼み」にすぎない。
それ故に、キリスト教を信じて洗礼を受けてキリシタンになるが、簡単に、服で脱ぐように棄教してキリシタンを止めた。
日本民族日本人にとって大事なのは、宗教・信仰ではなく、命、生きる事であった。
それ故に、宗教・信仰の為に殉教する人間がバカか気違い、精神異常者に見えた。
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日本を覆って支配していたのは、有無を言わせない空気・空気圧・同調圧力であった。
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日本民族日本人にとって怖いのは、神の怒り・天罰ではなく自然災害であった。
日本民族日本人が目にしていた自然とは、五穀豊饒の恵みと命を奪う災害であった。
日本民族日本人を助けられるのは、神の御業・奇跡・恩寵ではなく、同じ日本民族日本人だけであった。
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