⛩31)─2─明治神宮の杜は里山で人工的に作られた近代的科学的宗教的神域、パワースポットである。〜No.70 

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 日本の自然とは、人工の自然として人の手で守られている。
 その象徴が、天皇である。
 日本のパワースポットには人が関与している。
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 2024年6月12日 YAHOO!JAPANニュース WANI BOOKS NewsCrunch「大正~昭和~平成~令和。荒地から100年かけて造られた明治神宮の森
 大正~昭和~平成~令和。荒地から100年かけて造られた明治神宮の森
 今年4月、天皇皇后両陛下、上皇ご夫妻、秋篠宮ご夫妻が参拝した明治神宮原宿駅などからから近く、都心にありながら豊かな自然を持つ明治神宮ですが、百年以上前は荒れ地のような状態でした。自然と科学の力によって、長い年月をかけて森が造られたのです。およそ11万人以上の人々によって紡がれた明治神宮のストーリーについて紹介します。
 【参考写真】長い年月をかけて森が造られた明治神宮
 ※本記事は、スタジオワーク:著『神社建築のスゴイひみつ図鑑』(ワニ・プラス:刊)より一部を抜粋編集したものです。
◇古墳を参考に造られた明治神宮の森
 明治天皇崩御されたのは明治45(1912)年7月30日。遺言により、墓陵は京都の伏
 見桃山と決められていました。
 一方、東京には天皇を奉斎する神社を造ろう、という計画が持ち上がりました。それが、代々木の荒れ地に人々の奉仕によって造られた森に社殿を設け、明治天皇を神として祀った明治神宮です。
 古来、日本人は神殿にではなく、神殿を囲む森のなかに神が鎮座していると考えてきました。社殿は、人々の必要に応じて神が現れるための仮の住まいであり、神社の本質は森だったのです。
 では、天皇の森とはどのようなものなのでしょうか。
 林とは違って、森は人の手で造られるものではありません。とはいえ、自然の樹々が満ちている山村と違い、東京の都心に自然の深山がなかったのは明治の頃も同じです。そこで、近代明治を支えた天皇にふさわしく、科学の叡智を駆使した森を多くの国民の奉仕によって造ろうと考えました。
 代々木の荒れ地は東京ドーム15個分もある広大な敷地でした。近代の申し子である機械力で整地し、人々の献身的な奉仕によって植樹したとしても、それだけでは人の手の入った林であり、森とはいえません。問われるのは、いかにして自然の力で森を造るか、だったのです。
 答えは皮肉なことに、古代の王たちの古墳に潜んでいました。かつて古墳が完成したとき、表面は葺石(ふきいし)で覆われ、一本の樹もない裸の山の状態でした。それが、時間が経つにつれ葺石が崩れ、時には運び出されたことによって土が露出し、そこから草の芽が吹き、灌木が育ち、やがて高木に成長していったのです。
 古墳は不入りの地でした。そのため、放置されたことによって自然の摂理が働き、1500年ほどの歳月がカシ・シイ・クスなどの照葉樹の極相林をつくり上げたのです。まさに自然の森の誕生です。
 しかし、1500年とはあまりにも長い歳月が必要となります。それを100年に縮めら
れないかと、近代の叡智が考えたのは当然のことでした。
 まず、代々木の荒れ地に、全国から集った献木を生かして仮の森を造ります。そのうえで、日光を好み、関東の空っ風にも強いアカマツクロマツの高木を植えました。
 次に、そのあいだにやや低いスギ・ヒノキ・モミなどの針葉樹を入れ込み、さらにそのあいだにクス・シイ・カシなどの広葉常緑樹の幼木を植えたのです。そして、100年後の都市化に備えて、ところどころに大気汚染に強いイヌツゲ・クロガネモチなどを散植し、あとは放置しました。
 自然の遷移する力に任せると、まずマツが衰え、ヒノキやモミなどの針葉樹林に遷移し、そして100年後には日陰に強いクスやカシ、シイが針葉樹に競り勝ち、照葉樹による極相林を実現させるというものでした。
◇政界の意見も固辞してうまれた照葉樹の森
 全国からの10万本ほどの献木をベースに、延べ11万人に上る青年の労働奉仕によって植樹が始まり、参道造りが行われ、大正9(1920)年11月1日に鎮座を迎えました。
 その後、一切の人手を入れず、100年後を迎えた2020年、明治神宮の森は予想してい
た通りに照葉樹の森に変わっていたのです。
 樹々だけでは森は完成しません。そこは野鳥の宝庫となり、渡り鳥のシジュウカラをはじめ、夏鳥オオルリ、冬鳥のエゾビタキ、そして鳥の頂点に君臨するオオタカが生息しています。
 野鳥のエサとなる昆虫も多いことは言うまでもありません。無数のアリやミミズによって枯れ葉が腐葉土に代わり、ハチやチョウが花を実に変え、100年の歳月が森の生態系をつくり上げました。
 科学的な知見と自然が内蔵する知性が絡み合って、生まれたのが明治神宮の鎮守の森なのです。
 建設当初、政界からは伊勢神宮日光東照宮をイメージして杉の植樹を意見されましたが、きっぱりと固辞したおかげで現在の豊かな森が実現しました。
 決して杉や檜だけが神社にふさわしい樹種とは限りません。おそらく、代々木の乾土では杉は大きく成育しなかったことでしょう。現在、杉の大木があるのは、清正井の湧水がしみ出ているところだけです。
 古くからある鎮守の森では、土地固有のタブやクスなど潜在自然植生が杜をつくっているのを目撃することがあります。風土や気候に合った植生が神々の安らぎになっていることを、改めて明治神宮が証明してくれています。
 境内に入り、深く深呼吸して、神々の森の息づかいとシンクロするのが、明治神宮の参拝の仕方かもしれません。なぜなら、神は森に姿を隠して住まわれているからです。
 スタジオワーク
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