🏞135)─1─メディアや教育が広めた「日本は外圧がないと変わらない」は白痴的妄言である。~No.520No.521No.522 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 江戸時代後期から明治期の日本人は、現代の日本人、特に1980年代以降の日本人より優れていて、外圧には屈する事なく破壊的イノベーションも革新的リノベーションを勇気を持って実行していた。
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 2024年5月24日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「国家が崩壊するとき…「この国は外圧がないと変わらない」と言う人が「誤解していること」
 なぜ組織の上層部ほど無能だらけになるのか、張り紙が増えると事故も増える理由とは、飲み残しを放置する夫は経営が下手……。
 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い
 12万部ベストセラーとなっている『世界は経営でできている』では、東京大学史上初の経営学博士が「人生がうまくいかない理由」を、日常・人生にころがる「経営の失敗」に見ていく。
 ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。
 悪法の栄え:社会制度には耐用年数がある
 政権が「国民が生き生きとして幸せになれる共同体を作る」という本来の目的を忘れると、一時期に権力を握った勢力も徐々に民心を失っていく。
 政治的腐敗が進み、民心を得られない政権下では、市民も真面目に働くのが馬鹿らしくなる。
 こうして、一時期に権勢を誇った王国や文明は軍事力と経済力の両方をみずから手放す。その結果として、常日頃から存在していた危機に対処できなくなり、国家は崩壊するのだ。
 国家が崩壊するときの悲喜劇は世界中で同じである。
 特定の王国や文明が稚拙な国家経営によって弱体化したとき、まるで狙ったかのように危機(異民族の侵略、大災害と飢饉、内乱と革命などなど)がやってくる。これは当たり前の話である。常に危機は存在していて、政権が弱体化しないと危機は危機にならないだけだ。
 こうした特徴から、「この国は外圧がないと変わらない」などと言い出す人も世界中で見られる。すべての国にとって外圧は今この瞬間も存在しているのにである。
 弱体化した末期症状の政権は、さまざまな危機に対する無為無策無能ぶりをさらけ出す。それもそのはずで、世の中が変化し続けていて、危機への適切な対処法も変化しているのに、政権内で権力を得る人を選抜する方法は変わっていないためだ。
 たとえば、歴史のある時代、ある場所では、ラテン語をマスターした人、聖書に通じた人、四書五経を丸暗記した人、字の綺麗な人、詩作が上手い人などが、当代最高のエリートとして処遇された。もちろん、こうした能力が通用した時代もあったのだろう。
 しかし、もしも現代の公務員の選抜基準が変わらず、ラテン語四書五経だったらどうだろうか。パソコンも使えない頭でっかちの人ばかりが公務員になるという恐ろしい結末が待っている。
 日本の幕末においても儒学朱子学を究めた幕僚たちは黒船来航に右往左往するばかりだった。むしろ黒船来航から続く外圧の危機に対処できたのは、当時最高の教養を誇っていた旗本・御家人ではなく、伝統的教養から比較的自由だった下級武士たちだった。
 こうしたことから分かるように、制度と行政には耐用年数がある。
 たとえば共和制ローマにおける元老院制度は、各氏族の意向を反映できるという意味で部分的に民主政治を実現していた。しかし、元老院制度は国内での絶えざる政治闘争を生み出すため、外征が頻繁になる時代には向かなかった。だからこそ、カエサルオクタウィアヌス(アウグストゥス)といった独裁者が台頭し、徐々に帝政に移行していった。
 現代では江戸時代の愚策の代表のように扱われる鎖国体制も同様である。
 当時の江戸幕府にとっては、戦国時代を終結させて太平の世を実現することが最優先だった。そのため、キリスト教流入と国際政治の影響による内政の混乱を避け、再び戦国の世に戻ってしまわないために、鎖国を決めたと考えられる。
 しかし、鎖国による太平の世は、同時に、日本が外交に疎くなる原因を作った。
 つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
 岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)
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 2024年5月23日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「なぜ政権や王朝が滅亡するのか「たったひとつの答え」
 岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教
 なぜ組織の上層部ほど無能だらけになるのか、張り紙が増えると事故も増える理由とは、飲み残しを放置する夫は経営が下手……。
 12万部ベストセラーとなっている『世界は経営でできている』では、東京大学史上初の経営学博士が「人生がうまくいかない理由」を、日常・人生にころがる「経営の失敗」に見ていく。
 ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。
 どんなに栄えた王国や文明もいつかは衰退する。
 日本には本当はあまり咲いていない沙羅双樹の花を探して眺めてみなくとも、歴史の教科書を開けば盛者必衰の理は嫌というほど表れている。
 既存の政権や王朝を滅ぼす原因として、異民族の侵略、大災害と飢饉、内乱と革命などが挙げられることが多い。歴史番組や歴史映画はこうした悲劇を取り上げがちだ。睡眠薬の代わりになるような、書きぶりからして眠たげな分厚い歴史書も、こうした場面に入ったとたんに生き生きとした筆致でこちらの目を覚まさせてくる。
 しかしこうした言説は原因と結果を取り違えている。異民族が侵略を試みていない時期などないし、災害と飢饉への備えはいつでも必要だし、内乱と革命を虎視眈々と狙う者はいつの時代にも存在するからだ。
 亡国志:本来の目的を忘れた国は亡びる
 たとえば一般には海の民と呼ばれる集団によって滅ぼされたとされる古代エジプト王朝は、実際には滅亡までに何度も海の民を撃退していた。中国の漢王朝黄巾の乱によって勢力を大きく削られるまで、何度も似たような人民蜂起を鎮めてきた。
 政権や王朝は常に危機に対峙しているのである。
 危機そのものが政権・王朝を滅ぼすと考えるより、むしろそれらが日常的に直面している危機に対処できないほど落ちぶれたときに、「危機という最後の一押しで滅びる」と考える方が自然だろう。
 本当の意味で政権や王朝を弱体化させる原因は国家経営の失敗である。すなわち経営の巧拙こそが歴史を動かす。
 たとえば、アレクサンドロス大王治世の古代マケドニア王国、チンギス・カンが統治した中世モンゴル帝国、近代の列強にいたるまで、大帝国はしばしば世界征服を目的に掲げる。この目的を達成するために大帝国は支配地域に重税を課し圧政を敷く。そうしないと戦争を続けられるだけの資源が得られないからだ。
 こうした政治においては「国家を目的とし、国民を手段とする」という逆転現象が起こっているため、政権に徐々に綻びが生まれる。
 歴史を紐解いてみれば、これらの国家においてしばしば「○○大王の威信を世界に示すため」といった大義名分で人民は暴政に耐えることを強いられた。しかし、人民からすれば、○○大王の威信なんて食えもしないし見たことさえない。
 特に侵略を受けて属州となったばかりの地域の住人からすれば、○○大王なぞ「強盗の親玉」くらいにしか思っていない。そのため、「盗っ人の見栄のために耐え忍ぶなんて無理な相談だ」ということになる。
 国家は国民が共同で作り上げた虚構であり、国家自体は究極の目的にはなりえない。
 究極の目的になりうるのは「国民一人ひとりの幸せ」のはずである。国家も、政治体制も、政治理念も、人間が作ったもの=人工物である。本来ならば、人間を幸せにしない人工物は捨てられるだけである。
 しかし、このことはいつでも忘れられる。そのたびに大混乱が起こり歴史に新たな一頁が足されていく。
 あるいは歴史の中で何度もどこでも見られる現象として財政の問題がある。むしろ財政を国家経営そのものだと思っている人も多い。
 たとえば、古今東西どんな国家でも官吏は増税を大使命だと勘違いしているかのように振る舞う。もちろん彼らは本当に愚かなわけではない。「自分たちの使命は増税ではなく、財政健全化だ」と堂々と主張する。だが、財政健全化もまた国家の目的にはなりえない。財政健全化は国民の幸せを実現するための手段のひとつに過ぎない。
 仮に国民を重税で苦しめた挙句に財政健全化に成功するとして、そんな国を望む国民はいないだろう。そんな国を作り上げても、内乱と革命によって、財政健全化した国そのものがなくなる。結局そんな国では当の官吏ふくめ誰も幸せにならない。
 それに、政権が重税を課せば課すほど、一般市民はなんとかしてその税を逃れるための方法を編み出す。たとえば、後漢においては戸籍を改竄して税を逃れるという方法が後を絶たなかった。日本においても、平安時代に租税回避のために租税を免れていた寺社や有力者への寄進地が増加した。租税と脱税の知恵比べ合戦は歴史の常である。
 こうして、増税しても税収は増えない。それどころか一般市民は苦しみ、さらに脱税によって新たに権力を得る層が生まれてしまう。
 世界中どこでも、歴史の中で、租税回避の特権を得るものが必ず台頭してくる。
 典型的には王の親族だ。男系王朝において権力者は娘の嫁入りを通じて次期国王の親戚(外戚)になることができる。そのため皇帝の外戚がこうした特権を通じてますます権力を増し、ついには「外戚の影響力を増すために幼齢の帝を立てる」という本末転倒な結果にいたる。
 これこそ王や帝に対する究極の侮辱である。
 そのうちに、本来は「人民を幸せにする」という約束を果たすために権限を委任されていたにすぎない政治権力は、まるで「特権階級だけが人民だ」と定義しているかのような行動に出る。特権階級の権利・権限は拡大し市民の権利・権限は極限まで縮小される。
 細かい差はあれ、後漢でも、藤原摂関政治でも、李氏朝鮮でも、ほぼ同様の説明が通用する。世界の歴史は登場人物の名前以外は似たような出来事の繰り返しだ。
 だからこそ、歴史の試験は、人物名の綴りや漢字といった些末な部分でしか点数差を付けられない。だからこそ私は歴史の試験で点数を取れなかったと言い訳させてもらおう。
 つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
 なぜ政権や王朝が滅亡するのか「たったひとつの答え」
 © 現代ビジネス
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 明治維新とは、ロシアの軍事侵略から如何にして神国日本を守るかという体制選択であった。
 伝統的な徳川将軍家を中心とした諸国・諸藩連合の地方分権体制か、革新的な天皇を中心として一国中央集権体制かである。
 佐幕派は前者であり倒幕派は後者であった。
 つまり、日本の生き残りを賭けた、佐幕派の変革的リノベーションか倒幕派の破壊的イノベーションかの選択戦争であった。
 何れにせよ、世界が大きく激変する時代において、戦争を避ける話し合いによる外交での継続的変革には未来はなく滅亡し、戦争を覚悟した外交での破壊的イノベーションのみが未来で生き残る正解の選択であった。。
 それは、現代でも変わる事のない普遍的大原則である。
 日本の近代的軍国主義政策は、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、そして最も恐ろしいマルクス主義共産主義イデオロギー侵略が原因であった。
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 日本民族は、個人主義集団主義を車の両輪として生きてきた。
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 江戸時代の封建体制は個人主義で、明治の近代体制は集団主義である。
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 日本の歴史で、個人主義時代は平和な時代で、集団主義時代は戦争の時代であった。
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 明治維新戊辰戦争とは、徳川幕府による個人主義体制か明治新政府による集団主義体制かの体制選択内戦であった。
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 弱小国日本、財政赤字で破綻していた明治新政府の国際的信用の根拠は、天皇の存在であった。
 天皇の存在で、近代日本は普通の国家として世界に受け入れられた。
 それが、天皇国家元首としての統治権であった。
 欧米列強は、殺しのプロである武士集団ではなく、日本民族の主権者であり祭祀王の天皇の存在ゆえに日本を侵略しなかった。
 そこが、日本国とムガル帝国の違いである。
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 ムガル帝国はいとも簡単に内部崩壊で滅亡し、インドはイギリスの植民地となり、インド人はイギリス人の奴隷となった。
 日本が教訓として学ぶべきは、清王朝の中国ではなくムガル帝国のインドであった。
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 現代日本における政治家・官僚・学者・教育者には、新井白石に匹敵する見識と博識を持った日本人はいない。
 つまり、現代の日本人は民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がなく、ローカルな民族神話・崇拝宗教が嫌いであり、日本民族の歴史に対する理解がない。
 それは、グローバル志向の高学歴な知的エリートや進歩的インテリに顕著である。
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 天皇の存在意義とは、国内においては国家と国民統合の象徴であり、国外においては日本国と日本民族の信用の源泉である。
 日本円貨の信用も、日本の国家、政府、日銀、国民ではなく天皇である。
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 国際社会において、国家が国家として認められ、国民が国民として認められるには、正当性を持った不動の信用がなければならない。
 国家が、納税者の国民と税収を得る領土と税金を使う統治組織・政府機構を持っていても、安心して国交を開くにたる信用を保証する正当性な根拠がなければ、国際社会は相手を真面な国家とは認めずならず者集団・犯罪者組織として対等な仲間とは認めなかった。
 代表例が、イスラムスンナ派イスラム国(IS)である。
 国民の信用の根拠をそこで生活している人間である事と主張しても、国際社会は認めない。
 国際社会が戦争や災害で逃げ出してきた他国の難民を受け入れて助けるのは、信用とは別次元の話である。
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 日本国憲法が、日本国と日本国民の国際的信用を保証してはいない。
 そもそも、日本国憲法を保証しているのは天皇である以上、正統な天皇の承認なくし日本国憲法の正当性はない。
 日本において、数万年の石器時代縄文時代及び数千年前の弥生時代古墳時代から受け継いできた歴史・伝統・文化・宗教における天皇の正統性は、1946年成立のキリスト教マルクス主義共産主義によって書かれた日本国憲法の正当性の上位にある。
 戦後民主主義教育を受けた日本国民や外国人日本国籍保有者が、日本国憲法における国民主権で自分達が日本国の国際的信用を責任を持って保証すると宣言した所で認められない。
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 明治維新が成功し、国際社会で財政破綻している明治新政府が認められたのは、天皇の存在が国際的な信用を保証していたあらである。
 もし、天皇の信用がなければ、日本はムガル帝国のように滅亡していた。
 国際社会は、ムガル皇帝の信用がインド国家とインド国民を保証しないと裁定を下した為に、正統なムガル帝国国際法及び世界ルールに従って滅ぼされた。
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 国際社会、世界は、信用が保証されていない相手・国家・国民に対して、悪人であろうが善人であろうが、世の為人の為に、世界の為に人類の為に、如何によい事を数多く行ったとしても、非情で、残酷で、苛酷で、えげつなかった。
 国際社会から国家の信用が停止され剥奪された、チベット宗教国家は反宗教無神論中国共産党に侵略されチベット人は虐殺されて消滅し、ハワイ民族王国はアメリカに併呑されハワイ王家は廃止させアメリカの一州に編入されて地球上から消えた。
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