🏕18)19)─1─日本の居心地の悪さ。外圧と天変地異でしか変われない国。〜No.33No.34No.35No.36 

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 日本国を外圧から救ったは、外交ではなく武力であった。
 日本民族を天変地異で癒やしたのは、皇室神道と日本仏教であった。
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 2023年10月1日8:33 YAHOO!JAPANニュース 週刊現代講談社)「「日本の居心地の悪さ」はどこから来るのか?...養老孟司が戦後「政治的・社会的なことは一切信用しないほうがよい」と感じてきた《日本のひずみ》について語った
 どうして変な事件が起きるのか? なぜ生きにくい世の中なのか? その答えは外国文化を取り入れ発展したことで生じた「ひずみ」にあるかもしれない――碩学ふたりが日本の限界と可能性に迫る。
 【写真】モノクロ戦争写真の「カラー化」で蘇る、74年前の日常と戦前の記憶
 天変地異しかないのか
 茂木 今の日本社会には様々な「ひずみ」が現れつづけています。それは日本の近代化が様々な無理を重ねて行われてきたからではないか―。
 そんな意識から、養老先生と批評家の東浩紀さんと3人で、近代日本について討論した『日本の歪み』(講談社現代新書)をこのたび刊行しました。日本を考えるには、「ひずみ」が一つのキーワードとなると思ったからです。
 養老 「日本社会のひずみ」という問題は、私も生涯を通じて意識してきたことです。最初にひずみを感じたのは終戦の日で、ただ本当に膝の力が抜けていくようでした。その経験があるから、政治的・社会的なことは一切信用しないほうがよいという態度になったのだと思います。
 茂木 養老先生は7歳のときに終戦を迎えられていますよね。爆撃機は見ましたか? 
 養老 B29はしょっちゅう見ました。住んでいた鎌倉は爆撃を受けませんでしたが、夜は横浜への空襲で空が明るかった。藤沢も平塚も燃えました。だから、30歳まではずっと、避難訓練などでサイレンが鳴ると不安になりました。あのときの気分が蘇るんです。
 天変地異が日本を動かす
 茂木 養老先生はこの本の中で、非常に重要な指摘をされました。それは、日本の近代史に地震などの天変地異が極めて大きな影響を与えているということです。敗戦へと突き進んだ昭和の軍国化の道も、関東大震災の影響が大きかったと指摘されています。
 養老 さらに遡れば、武家社会が成立したのも、天変地異の影響が大きい。『方丈記』に書かれているように、平安時代が終わる前に京都で地震が続きました。東南海地震も起こり、全国的な規模で被災した。
 そういう大変な天変地異が日本全体を襲うと、地方から都への物流が寸断されて、公家たちの生活が成り立ちません。その物流を確保するために公家が頼ったのが、地方の武士たちでした。その結果、武家の力が強くなり、鎌倉幕府が成立したわけです。
 茂木 振り返ってみると、'09年に民主党政権が誕生したものの、たちまち自民党政権に戻り、安倍政権、菅政権を経て、現在の岸田政権に代わった。もし東日本大震災が起きてなかったら、この形も違っていたでしょう。政治や社会の問題を自然災害と結び付けて複合的に見る視点は、とても新鮮でした。
 養老 武家社会の終焉にも、地震が大きな影響を与えています。ペリーの黒船来航は1853年ですが、翌年には南海トラフ巨大地震(安政東海地震安政南海地震)、次の年には首都直下型地震(安政江戸地震)が起こりました。
 黒船来航ばかりが注目されますが、日本全体が成り立たなくなるような大きな災厄によって、何百年も続いた武家政権が消えてしまったわけです。次の大きな地震がいつ来るのかはわかりませんが、今の社会を立て直すきっかけにもなりうるのではと私は思います。
 外圧と天変地異でしか変われない国
 茂木 もちろん、ペリー来航のような外圧も日本を変えましたよね。
 養老 過去を辿ると、田中角栄元首相の収賄が問題になったのも、結局は外圧からでした。
 茂木 政治家と話をすると、いわゆる裏金が、見て見ぬふりをしながら半ば常識的に使われていることが多いんですね。ジャニーズ事務所創業者の性加害問題について、何十年も存在しないことになっていたのと似ています。これが明るみに出た発端は、全世界に放送された英国BBCのドキュメンタリーでした。
 養老 日本は外圧がないと、変わらない社会なんですよ。
 茂木 高度経済成長期以降、日本では構造改革が叫ばれた。また、イデオロギーに基づく学生運動などもありましたが、日本が大きく変わることはなかった。社会が本当に変わるきっかけは、天変地異と外圧だったのですね。
 養老 その通りです。戦後みんなが一生懸命考えてつくった日本のシステムは、戦後の学生運動のように「革命だ!」と叫んだところで、ぶっ壊すことはできませんでした。でも、災害や外圧によって勝手に壊れる可能性があるのです。そのとき、何が壊れて何が残るのかを、きちんと仕分けしておく必要があると思います。
 表出する「ひずみ」
 茂木 外圧で言うと、日本は近代の短い間に2度、国家の再建設を経験しています。1度目が明治維新、2度目が敗戦後です。急激な価値観の転換を行い、少なくとも表面上はあまりにもうまくいってしまいました。しかし、「日本特有の文化」が、社会のあちこちにひずみとして現れている。そのひずみをずっと解消できずにいるのが、現在の日本です。
 養老 そんなひずみに関連して、気づいたことがあります。私は解剖という変な仕事をしていたのですが、世間の常識が私の常識とだいぶズレていました。
 たとえば、ミスター検察と呼ばれた元検事総長伊藤栄樹さんは『人は死ねばゴミになる』という著書を出しましたが、これは死体を実際に扱ったことのない人の言い方です。何千体という死体を扱ってきた私からすれば、死体がゴミに見えたことは一度もありません。
 茂木 先生ご自身が生きづらかった理由を書かれた『バカの壁』が、なぜ450万部を超すベストセラーになったのかを考えると、日本のひずみを突いていたからではないかと気づきました。先生は「大江健三郎のような戦後のリベラル知識人は自分とは関係ない人たちだと思っていた」と仰っていますね。そう言われるような「分裂」が日本にはあった。
 養老 たしかに、分裂に近いものはありますね。私が何を言っても、人文系の専門家と称する人たちには全然通じない。共通の土台のようなものがないのです。
 戦後の日本人は暗黙の了解として、生活の中に自然を置きませんでした。だから、部屋にゴキブリが出ると、常軌を逸した行動に出るわけです。同様に、死体がその辺に転がっていることは許されないから、ゴミとして直ちに片づけてしまいます。
 後編記事『「今の日本は『言葉』と『政治的な正しさ』を優先させすぎている社会」だが、本来は「ひずみ」を受け入れてきた「稀有な国」だった...養老孟司が思う「日本人が今気づく週刊現代講談社)べきこと」』に続く。
 週刊現代2023年9月30日・10月7日合併号より
 週刊現代講談社
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 10月1日 週刊現代講談社「「今の日本は『言葉』と『政治的な正しさ』を優先させすぎている社会」だが、本来は「ひずみ」を受け入れてきた「稀有な国」だった...養老孟司が思う「日本人が今気づくべきこと」
 どうして変な事件が起きるのか? なぜ生きにくい世の中なのか? その答えは外国文化を取り入れ発展したことで生じた「ひずみ」にあるかもしれない―碩学ふたりが日本の限界と可能性に迫る。
 前編記事『「日本社会の居心地の悪さ」はどこから来るのか?...養老孟司が戦後「政治的・社会的なことは一切信用しないほうがよい」と感じてきた《日本のひずみ》について語った』より続く。
 ひろゆき坂本龍馬
 茂木 僕は本の中で、「養老孟司は平成、令和の西郷隆盛である」という説を唱えました。西郷さんは明治維新を行った元勲の一人でありながら、西南戦争で官軍に反旗を翻し、最後は敗軍の将として自刃する。その立ち位置こそ、近代日本のひずみを象徴しています。
 養老 明治維新によって複雑なものを単純化したときに、「全体」から漏れ出てしまったものを西郷さんは背負ってくれた。新政府がやっていることは相当酷かったようで、民衆のストレスを体現して反乱を起こしたから、偉かったんです。
 茂木 彼と同じように養老先生は、戦後の日本人が未整理のままに引きずっていたものを解きほぐしました。
 ちなみに、維新の立て役者といわれる坂本龍馬のような人たちを僕は「ヤンキー」と呼んでいます。今なら成田悠輔さんやひろゆき西村博之)さんのような人ですね。ただし、今の若者たちは彼らに、「現状のままでいいんだ」ということを後押ししてもらっている。「それってあなたの感想ですよね?」と言って、自身の学識にかかわらずマウンティングしているんですが。
 養老 そうかもしれませんね。
 茂木 それとは逆に、養老先生はマウンティングに全く興味がないオタクの代表です。ヤンキー対オタクのせめぎあいで回ってきたのが、近代日本ではないかという気がしますね。
 成田さんの「高齢者は老害化する前に集団自決すればいい」という過激な発言に対して、養老先生は「放っておけばいい」と仰っていました。改めて、ご意見を聞かせてください。
言葉をタテマエとしてとらえる
 養老 あと30年も経てば、高齢者は全員死にますから心配いりませんよ(笑)。
 ただ、未来の日本を支える子供たちのことは気になります。だから今年の夏も、猛暑の中で子供たちと一緒に虫捕りに行きました。どういう環境で過ごしたかによって、人間は変わります。遊園地より虫捕りに行ったほうが良いんじゃないか。自然と親しむことが、生きる現実のかなりの部分を占めるようにしてあげたいと思うのです。
 茂木 僕も子供の頃から自然を見て育ってきました。社会の中で人為のことしか知らない人と、自然を知っている人との違いはたしかに大きいかもしれません。
 養老 今の日本は言葉を優先している社会です。言葉と現実が乖離しているというよりも、完全に言葉のほうに寄ってしまっています。ところが、日本人は言葉で語っていることをほとんどタテマエとして捉えているのではないか。
 茂木 僕もそう思います。たとえば憲法9条で「戦力は持たない」と明言しているにもかかわらず、政府はGDP比2%まで防衛費を増額しようとしている。つまり、憲法9条はタテマエだということです。
 養老 そういう憲法をつくったこと自体、「こんなこと決めたって、どうせその通りにはいかないよ」という裏があったのではないでしょうか。
 茂木 額面通りに憲法9条を捉えれば、どう見ても自衛隊違憲です。ただ、「あれは戦後GHQが強権で作ったもので、本当の気持ちはわかるでしょ。そこのところ汲み取ってよ」という日本的表現であるとすれば、自衛隊があっても問題ないことになる。
 「政治的な正しさ」は不自然
 養老 大学の退学処分にしても、昔は一時預かりとして頃合いを見て復学させるという含みがありましたが、団塊の世代あたりから、額面通りに受け取るようになった。
 茂木 日本国憲法は最初から額面通りに受け取るべきものではなかったんでしょうか?
 養老 そう思います。額面通りに受け取るから、ガチャガチャした議論が起こるわけです。言葉を厳密にしなくてはいけないという言い分はわかりますが……面倒くさい。
 茂木「なるようになる」ですね(笑)。一般的な民主主義の考え方だと、きちんと話して合意形成をしていく。でも、日本の伝統的な価値観では、「成す」のではなく「成る」のである。
 養老 「なるようになる」というのは、すべての条件を考慮した末に、現在の状況が成立しているということです。そう考えると、決して無責任なことではありません。米国のように「右か左か」を選択していくのは、過去の細かな条件をすっ飛ばしているわけですから、おそらくそれ自体が嘘を含みます。
 日本の「ひずみ」には可能性がある
 茂木 イーロン・マスクニューヨーク・タイムズを「ニューウォーク・タイムズ」と揶揄しました。「ウォーク」とは、米国のスラング政治的に正しいことが行き過ぎていることを意味します。
 ジェンダーの平等やLGBTQの人権はもちろん大事ですが、それを言葉として振りかざすことになんとなく不自然さがあると感じている。政治的な正しさを追求するのは「成す」ですが、「成る」にも、ある種の必然性があるという見方もできる。
 養老 そもそも自然の性には境目がありません。発生における性の決定には4~5段階あり、そこで性が逆転してしまう人が必ずいます。ですが、欧米の世界ではキリスト教の教義から同性愛を違法とした。そういう意味では、日本はもっと自由な社会だったのではないかと思います。
 茂木 僕は実は、日本のひずみは可能性でもあると思っています。西洋や中国の陶器は幾何学的な均整を求めます。それに対して、日本の器ではゆがみを残したりします。日本の茶人はそのほうが良いと思ったわけです。
 イデオロギー的な完璧さではなく、あるがままを受け入れる日本人の美意識は、憲法をはじめ様々なハレーションを生んではいますが、一方で新たな可能性でもあるのではないでしょうか。
 受け入れる心の大切さ
 養老 そういう視点は面白いですね。ひずみがある場合、少しでもひずみのない状態に近づけようとしがちですが、「ゆがんでいるものは仕方がないだろう」と受け入れる立場もあっていいと思います。
 茂木 日本人は分裂に慣れているのかもしれませんね。養老先生がいつも観察されているゾウムシだって、左右対称のように完璧な設計はされていませんよね。
 養老 はい。ゾウムシの顎は左が優位になっています。ところが、ときどき右が優位になっているゾウムシがいます。人間にも内臓の逆位など個体変異がありますが、それと同じです。そんなバリエーションを許容するという意味では、日本文化のほうが問題は少ないかもしれません。
 茂木 そんな日本で生きる読者の方々には、もっと遠慮なく自分の経験を口にしてみたら良いのではないかと思います。東日本大震災津波の被害をご覧になった養老先生が、「大空襲の焼け野原が10分の1になって戻ってきたような感じがした」と仰っていたのを聞き、僕は衝撃を受けました。
 東日本大震災も今の子供たちにとっては遠い出来事になっていくかもしれません。それぞれの世代の経験を聞き、日本の「失われた時」を取り戻すことは大切なことではないでしょうか。
 「気分がいい」が大事
 養老 高齢者にとってもう一つ大事なことは、気の持ち方ですね。「気分がいい」が大事です。「気分がいい」というのは、心も身体も状態がいいということ。そういう基準を持っていれば、いざズレたときにすぐわかりますから。
 茂木 そういえば養老先生はいつも上機嫌ですね。上機嫌ではない先生を見たことがありません。
 脳科学の世界では、いつでもニコニコ笑って上機嫌でいる人は創造的であることがわかっています。モーツァルトがその典型です。不機嫌になって、切れやすい高齢者では実にもったいない。「金持ちケンカせず」というけれど、「年寄りケンカせず」がいいと思う。
 養老 もう85歳になりましたが、年をとってわかるのは、体力が本当に衰えるということです。母が90歳を過ぎたときのことですが、テレビの位置をわずか10cm動かしたら、「元に戻せ」と言われました。つまり、10cm動かしたテレビに適応する体力が残っていないのです。「いい気分」でいるために、できるだけ年寄りをそっとしておくのもいいんですよ。
 ようろう・たけし/'37年、神奈川県生まれの解剖学者。東京大学医学部卒業。東京大学名誉教授。著書に『唯脳論』(青土社)、『バカの壁』(新潮新書、第57回毎日出版文化賞)ほか多数
 もぎ・けんいちろう/'62年、東京都生まれの脳科学者。東京大学大学院理学系研究科修了。東京大学大学院客員教授。著書に『脳と仮想』(新潮文庫)、『クオリアと人工意識』(講談社現代新書)ほか多数
 週刊現代2023年9月30日・10月7日合併号より
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