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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本の民族的木造家屋は、縄文時代・縄文文化・縄文住宅からバージョンアップを繰り返してきた日本文化の代表例である。
それは、中国や朝鮮にはない日本独自の民族的居住空間である。
つまり、民族の伝承と継承で作られた伝統、文化、宗教の象徴である。
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2023年2月7日 YAHOO!JAPANニュース オルタナ「都市に森をつくる、日本が先導する「木造都市革命」
記事のポイント ①日本発の「木造都市革命」が世界から注目されている ②地球人口の過半が都市に暮らす中、都市の環境問題の改善は急務 ③CO2を吸収して、耐火性に優れた新技術を紹介する
日本が先導する「木造都市革命」
「木造建築ルネサンス」とも言うべき新たな都市デザインの潮流が、いま世界中で加速している。ヨーロッパを中心に高さ85メートル、20階近い高層ビルも木造で建てられ、高層ビルは鉄筋コンクリートでなければ不可能という20世紀の常識が更新されつつある。(竹村 眞一・京都芸術大学教授/オルタナ客員論説委員)
もとより木はCO2を吸収・固定し、それを数十年~百年以上もつ木造建築として保存すれば、地球の炭素循環にも大きく資する(脱炭素・気候変動対策)。
これが都市建築の新たなスタンダードとなれば、いまや地球人口80億の過半が都市に暮らし、ほとんど地球環境問題イコール「都市環境問題」である(=都市の営みが資源・エネルギー消費と炭素排出の大半を占める)という現状からして、ほとんど「地球のOS更新」と言っても過言ではないインパクトを与えるだろう。
これは「サステナビリティ」(持続可能性)という概念を別の次元でアップデートするものでもある。
■伊勢神宮が証明した木の建造物の「本質」
たとえば日本の伊勢神宮が世界遺産に登録される際、「20年ごとに式年遷宮で建て替えられるものは、石造建築のような永続性・歴史性を持たない」として、世界遺産としての評価が当初疑問視された。
だが木の建造物の本質は(築1400年の法隆寺もそうなのだが)、私たちのからだの細胞循環さながらに「パーツは常に入れ替わることで、建造物としての永続性を担保する」という生命的なOSだ。
新たな木造・木骨の高層建築も、こうして間伐材利用も含め部材レベルで常に更新しながら百年を超える「持続可能性」を達成することで、21世紀の都市は地球の炭素循環にも森林環境の保全にもさらに貢献するものとなるだろう。
それを可能にする「木造建築革命」の本場が、しかし実はヨーロッパよりもこの日本であるという事実は、残念なことに意外と知られていない。
全国から集めた木材で壮麗な新国立競技場を設計した隈研吾氏、大規模な木のトラス構造でポンピドゥーセンターメスや静岡県富士山世界遺産センターなどを構築した坂茂氏など、木の建築で新境地を開いている日本人建築家も多いが、それだけではない。もっとベーシックな次元での世界最先端の木造建築のOS更新が日本で進んでいるのだ。
■日本発、木は燃えるものという常識を覆した新技術
かつて木造は、火災にも地震にも弱く、また森林伐採で地球環境にも悪影響があるなどネガティブなイメージがあった。
最近は人工林の循環など適度に木を伐り、森を手入れすることで健全な森林環境の保全と炭素固定が促進されるというのが常識にはなったが、なお「耐震・耐火性能」については旧い常識が更新されていない。
ところが、たとえば日本の株式会社シェルター(山形市)の「クールウッド」は、木材の間に耐火性の石膏ボードを包んだ構造で、世界で初めて従来の基準を超えた「2時間耐火性能」「3時間耐火性能」を実証し、木は燃えるものという常識を覆した。
それを駆使してすでに東京銀座などで十数階建て、高さ50メートル前後の木造(木骨)ハイブリッドビルが建てられている。
それだけでも世界で破格の最先端イノベーションだが、さらに都市の木造建築革命の本場とされるヨーロッパと比較するとその先駆性が明らかになる。
端的にいえば、欧州の木造高層ビルで採用されている方式が「燃えしろ」を作る(=構造上必要な柱や梁の断面に、火災時に燃えることを想定し、避難時間を稼ぐための太さを追加する)だけの「準耐火」Fire Resistance性能であるのに対し、「クールウッド」などの日本の耐火方式は、火が「燃え止まり、自己消火し、建物も倒壊することなく自立し、荷重を負担する柱や梁などの構造体に焦げ目すらつかない」真の意味でのFire-proofであるということだ。
木材の表層を石膏ボードで覆ってしまうメンブレンという方法では、せっかくの木造が見た目で「木の建築」とはわからなくなる。木の建築の良さを実感しうる――それも見た目だけでなく木材の香りや質感などを楽しむ「木の体感性」を重視する点も、日本の「木の文化」OSの真骨頂と言えるだろう。
「クールウッド」の開発者・木村一義氏(シェルター会長・日本木造耐火建築協会会長)は、もともと木造の伝統工法(大工)の家系に生まれた。
しかし職人芸に依存した木造技術では寺社の修復・建造など市場も限られ、真の意味で「木の文化」を広く現代社会に再生してゆくことが出来ないと、半世紀前の1970年代から集成材を金属のジョイントで結合する「KES構法」などの革新技術を世に送り出してきた。
当然、木造建築の業界では異端児扱いもされたが、KES構法とクールウッドで日本の「木の文化」を再び建築界のメインストリームに据えなおす道を切り開いたゲームチェンジャーである。
ちなみにクールウッドの「耐火」性能以前に、KES構法が実現した部類の「耐震」性能も阪神淡路大震災や東日本大震災で見事に実証されている。
■日本の木造建築イノベーションが持つ「地球的な意味」
木造高層ビルのフロンティアである欧州からも、逆に注目(瞠目)される日本の木造建築イノベーション。これが世界に広がることで、都市と周辺の森林環境が相互にそのウェルビーイングを高めあうような「広域循環型」の地球OSが創発してゆく未来が見えてくる。
最後に世界の「木の文化」にも眼を向けつつ、このイノベーションの地球的な意味を考えておこう。
“Touch Wood”(木に触れなさい)――イギリスでは、疲れた人にこう言うらしい。
ロンドン大火以降、燃えない石造ひいては鉄筋コンクリートのモダンビルに変わったとはいえ、木と森への愛着は英国人の心の奥底にいまも生きている。
主人公が木の化身のような森番との恋(=木との、森との一体化)で心身を再生してゆく『チャタレイ夫人の恋人』の物語もそうした文脈で理解することができる。
この有名な文芸作品の著者D.H.ロレンスは、イエス・キリストを「木から生まれ、木に還った神」として語る。ユダヤに伝わるエッサイの株から生まれ、十字架という木と一体になることで再生(神格化)を遂げたイエス。
そういえばブッダの「樹下の悟り」に見るように、ギリシャ彫刻の影響で仏像がガンダーラで2000年前に作られ始めるまでは、仏教でも菩提樹などの樹木が仏陀のシンボルだった。イスラームでも楽園のイメージは「生命の木」を中心に置く。
もっと大きな時間のランドスケープのなかで見れば、人類(の祖先・霊長類)はもともと森のなかで、ほとんど地上に降りず高い木の樹冠で暮らす「樹上生活」を通じて進化した。
立体視ができる私たちの3Dの眼は、飛び移る隣の木の枝までの距離を正確に測らねばならない環境で進化したものだし、からだを支えていた前足が枝や木の実を掴む「手」に進化することで、その分うしろ足だけで体を支える「二足歩行」の基礎も樹上で培われた。
このように私たち人間の基本は、この5000万年前の(当時の)「タワマン生活」で養われたものなのだ。
アフリカの乾燥化で森から草原に放り出され、直立歩行を本格化した「裸のサル」となっても、森への郷愁はヒトの心身の根底に残った。
森の産物を衣食住に生かすのみならず、樹木や植物との深い関わりを通じて(仏教やキリスト教にもつながるような)精神の高次元を開発してきた。感性工学や脳科学の視点から見ても、木や森の環境と人間の心身の健康には深いつながりがあるようだ。
■森の中は耳に聞こえない「超可聴域」の振動に満ちている
例えばひとの聴覚が捉える音域は20Hz~20kHzだが、熱帯林など豊かな森のなかでは耳に聞こえない「超可聴域」の振動に満ちていて、それがアルファ波の増大など脳の状態にも大きな影響を与えるという研究もある(大橋力『音と文明』)。
耳には聴こえなくとも、私たちは皮膚や骨など全身でそうした振動を捉えている――そうした心身の健康を担保する深い次元に、現代の(見た目ばかりを重視した「視覚偏重型」の)都市設計や住宅デザインはどれだけ留意しているだろうか?
ちなみに「クールウッド」が採用された山形県南陽市の木造音楽ホールは、音の響きが格段に良く、木の建物自体が楽器のように響くと演奏家や指揮者のあいだで評判だそうだ。
その意味で昨今の都市建築の「再木造化」の動きには、単に鉄とコンクリートを木に置き換える「素材革命」という以上の深い意味、未来の人類と地球のウェルビーイングへのポジティブなインパクトを感じる。
都市が「木造」「木骨」化して、私たちの住空間が(“Touch Wood”的な)人にも地球にも親和的な環境へとアップグレードしてゆくなら、それは単に都市景観や人の暮らしぶりの変化・進化にとどまらない「人新世都市のデザイン革命」につながるはずだ。
(注;「都市に森をつくる」「木造都市」は株式会社シェルターの登録商標です)
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