🕯184)─1─日本では違和感ない「無宗教です」の言葉も海外では危険。〜No.385 

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 2022年8月27日 YAHOO!JAPANニュース AERA dot.「日本では違和感ない「無宗教です」の言葉も海外では危険 元大使が経験した“凍りついた”現場〈dot.〉
 駐チュニジア、駐ラトビア特命全権大使を歴任した多賀敏行・中京大学客員教授(写真本人提供)
 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)による高額な献金被害の実態が明らかになるとともに、テレビでコメントする政治家やタレント、SNSで自身を「自分は無宗教」などと口にする人が増えてきた。日本国内では違和感を覚えない言葉だが、「海外で『無宗教者だ』とうかつに口にするのは注意が必要」と話すのは、駐チュニジア、駐ラトビア特命全権大使を歴任した多賀敏行・中京大学客員教授。なぜなのか。多賀さんに話を聞いた。
 【写真】「偽装勧誘はしてない」と答えたカルト教団の教祖はこちら
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 日本は、伝統宗教ともいうべき仏教や神道に対しては、抵抗の少ない国です。しかし、安倍晋三元首相の銃撃事件に端を発する形で、新興宗教と政界のつながりや高額な献金被害が明らかになるにつれ、「宗教」という言葉への警戒感が高まっているように感じます。
 テレビに出演する政治家やコメンテーターや俳優、タレントを見ても「自分は無宗教ですが」あるいは、「案内されたのは無宗教の会合でした」と、前置きをする人が目につくようになりました。
 これはつまり、「無宗教」と半ば積極的に言葉にすることで、自分を安全地帯に置こうとしている印象を受けるのです。
 しかし、相手の国籍や文化が異なる状況で、「自分は無宗教です」と口にする場合、使う単語によっては嫌われたり怒らせたりする可能性もあります。日本の感覚とはまるで異なるので注意が必要です。
■「覚悟が必要だ」と外務省の上役
 インターネットの辞書で「無神論者」を検索すると、「atheist(エイシエスト)」という単語が出てくる。なので、こう言いたくなります。
 「I’m an atheist(私は無神論者です)」
 しかし、海外で無神論者は、「神をおそれない傲慢な人」「不遜な考えを持つ人」というふうに受け止められます。
 これを私が最初に教えられたのは、外務省の新人研修でした。
 当時は、東京都文京区の茗荷谷にあった外務省研修所で3カ月間、外交のイロハを学びました。当時の副所長は、開口一番、私たちにこう言い放ったのです。
 「君たちのなかで、外国の人に対して『自分は無宗教主義者だ』と言いたい人はそう伝えなさい。ただし、相手から反論が出てくるので、それに答える覚悟が必要である」
 それ以上、具体的なことには踏み込ませんでした。しかし、異なる国と文化圏の人びとを相手に「無宗教主義」と告げることへの配慮を最初に教えられた場でした。
■「無宗教」と話すと凍りつかれた
 私が大学生のころは学生運動が盛んで、経済学者で哲学者のカール・マルクスを読まなければ知的でないという空気感がありました。
 マルクスは、『ヘーゲル法哲学批判』の中で、宗教を「民衆の阿片」に例えています。
 その比喩は強烈でした。同時に、異なる文化圏の人びとは宗教を、どのように捉えるのか、という点に興味がわきました。
 そうしたこともあって、外務省の研修所での言葉が、一層印象深く記憶に残ったのです。
 「無宗教主義者」という言葉を、外国の人を相手に試す機会は、まもなくやってきました。
 24歳のとき、外務省の研修制度を利用して英ケンブリッジの大学院に留学する機会を得ました。「atheist」という難しい単語を覚えたばかりの私は、すこしばかり得意になっていました。また、私の家は代々曹洞宗ですが、私自身はお寺に行くのはお盆や初詣ぐらいで、熱心な仏教徒ではない。信仰心の篤い欧米などのキリスト教徒を前に「Buddhist(仏教徒)」と口にするのもはばかられました。
 謙虚な気持ちも込めて、
 「I’m an atheist(私は無神論者です)」 
 と説明しました。
 しかし、同世代である20、30代の英国人、米国人の若者も、下宿先のおばさんも、一様に反応がおかしい。
 「atheist」の単語を使うと、みな一瞬凍りついたような表情をして妙な雰囲気が漂う。
 それで、この言葉は問題だと気がつきました。
 「無宗教主義者・無神論者と伝えたければ、覚悟が必要だーー」
 研修時代に教えられた言葉が脳裏によみがえりました。
■日本人は、十分「仏教徒」「神道家」
 「atheist」はラテン語に由来する単語です。
 「a」は否定、「the」は、神を表します。中世欧州で盛んであった神学は、theologyです。「ist」は人につける語尾です。まさに神を否定する、強い単語です。知識として頭にはありましたが、信仰の篤い人たちを前に実践してみて初めて、思い知らされたのです。
 生真面目な日本人は、外国の人を相手にすると敬虔なキリスト教徒やイスラム教徒に違いないと思い込んで、萎縮する傾向にあります。自分は仏教徒神道家などと言いづらいかもしれません。しかし、欧米や海外の人も、日曜日は教会に通い食事のたびに祈りを捧げるような熱心な信仰心を持つ人から、お酒が禁じられた宗教でも飲んでしまう人まで様々です。
 多くの日本人が欠かさない初詣やお彼岸の墓参も立派な宗教儀式ではないでしょうか。「仏教徒である」「神道家である」と自己紹介が許される範疇に入っていると思います。遠慮してハードルをあげることはないのです。
 仏教徒(Buddhist)もしくは、神道家「Shintoist」など自分と関係のある宗教を信仰していると言い切っていい。なぜならば、下手に説明しようとすると却って誤解を生みそうな単語もあるからです。
 たとえば、「不可知論者」を表す「agnostic(アグノスティク)」。「I’m agnostic」といえば、神の存在を証明することや反証することができないと主張する人を指します。「atheist」よりは穏健な響きがあるが、無神論者と受け止められるかもしれない。
 「疑い深い」を意味する「skeptic (スケプティック)」は、神の存在を疑う人間ーーと言うやや強いニュアンスがあります。相手から、「それはどういう、考えなのだ」と興味を持って質問される可能性もあります。
 英語を使い慣れない人は、「Iam a Buddhist.」など簡明な表現で言い切るほうがいいでしょう。相手も「ああ、そうか」と安心して、会話がスムーズに流れます。
 それでも、「無宗教である」と伝えたい気持ちが強いならば、「religious(信心ぶかい)」を使い、「I’m not a religious person(私は信心深くない)」
 と言うのもよいでしょう。
■仕事では相手の宗教把握は必須
 海外では宗教の話題は避けたほうがよいとアドバイスをする人もいますが、ビジネスの場で、宗教の話題を避け続けるのは不可能です。
 私はチュニジアラトビアで大使を務めました。とくにチュニジア在任中は、アラブの春の先駆けにもなったジャスミン革命(2010~11年)が勃発しました。大使公邸敷地内にも軍が入り込み、廊下でうつ伏せになって銃撃戦が止むのを待ちました。そうした状況で、日本人観光客200名の脱出をやり遂げなければならない危機的状況にも直面しました。
 海外に駐在する外交官や企業のビジネスマンは、さまざまな事態に対応するために現地で人脈を築き、情報を収集するのも大事な仕事です。相手の宗教や趣味、嗜好を把握した上で接待や交渉に望むのは当然です。特に宗教は絶対に把握しなければ、相手を怒らせてしまう。
 たとえば、イスラム教徒の方を接待する場合は、食事で豚肉とお酒は出せません。ヒンドゥー教徒は、牛肉・豚肉をはじめ肉食全般を避ける傾向があります。食材でタブーがある場合、その肉を切った包丁さえ、相手に出す調理には使えないのです。
 では、どのようにして相手の宗教を把握するのか。
 初対面の相手と顔を合わせて唐突に、「あなたの宗教は何でしょうか」と質問するのは、さすがに不躾(ぶしつけ)です。しかし2回、3回と顔を合わせて気心の知れた仲になれば自然と、「昨日は教会に通った」「(宗派の)お祈りをしなければならない」といった話題が日常生活のひとコマとして登場します。どの宗教であっても、信仰心の篤い地域の人たちは、生活の中に宗教が溶け込んでいるからです。
■語学とは異文化の学び
 外国語の学びは、異文化コミュニケーションの学びでもあると私は思います。初学者であれば、暗記した単語を並べて会話に挑戦するのもいい。しかし、相手の文化を学び、理解しようとしなければ、信頼は得られません。
 単語から相手の文化につながる情報を得られることも少なくありません。
 異文化を理解するという観点からぜひ、語学を学んでみてください。新たな景色を知る面白さがありますよ。
 ◯多賀敏行(たが・としゆき)
 1950(昭和25)年、三重県松阪市生まれ。一橋大学法学部卒業。ケンブリッジ大学法学修士号取得。74年外務省入省後、在マレーシア大使館、国連日本政府代表部勤務。宮内庁侍従、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部公使などを経て、在バンクーバー総領事、東京都儀典長、駐チュニジア、駐ラトビア特命全権大使を歴任。現在は中京大学客員教授。著書に『外交官の「うな重方式」英語勉強法』などがある。
 (構成/AERA dot.編集部・永井貴子)」
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