⚔25)─1─織田信長のキリスト教を利用した意識改革。地球は球体。~No.99No.100 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2022年5月11日 読売新聞「磯田道史の古今おちこち
 戦国時代に『地球は球体』
 織田信長はヨーロッパ人宣教師から地球儀を貰(もら)い、地球は球体だと理解していた。これは有名だ。だが、重要なのは、信長がこの知識を家臣や子どもに教え、ひろめようとした点だ。
 信長はオルガンティーノ司祭とロレンソ修道士を『多くの武将の前に呼び、外にいる者も聞けるように彼らがいた広間の窓を開けさせた』うえで『地球儀をふたたびそこへ持ってこさせ、それについて多くの質問をし反論した』(フロイス『日本史』)。
 信長は地球儀を皆にみせ、家中の意識改革を図った。宣教師の宇宙の知識は『仏僧らのそれとは大いに異なっている』のをみせた。そして、信長は『デウスや霊魂の存在にはつねに大きい疑問を持ちながらも、心から満足し納得していると告白した』(同)
 信長は『来世はなく、見える物以外には何ものも存在しないことを確信して』いた。だから見えない神と霊魂は信じなかったが、天文地理の話は信じた。信長はこの天文地理の学習で、仏僧の誤りを家臣団にみせ、地獄や極楽にとらわれぬよう誘導したのだろう。
 信長はオルガンティーノとロレンソに会うのが好きで、何度も呼んだ。一度呼べば3時間も質問した。給仕と称して、子どもまで同席させた。信長はまがい物を生理的に嫌う。宇宙観や世界知識が正しそうだから、キリスト教宣教師は厚遇した面がある。
 信長だけが天才で宇宙論を好み、地球は球体だと理解したのではない。これは戦国時代の日本人に共通した特徴だ。その時分から日本人は好奇心が強く宇宙論が好きだった。イエズス会は最初からこの日本人の性質に気づき、布教戦略として、意図的に、日本人に宇宙論を提供していたとの指摘もある(平岡隆二『イエズス会の日本布教戦略と宇宙論』)。『地球が円いこと』をザビエルが教えると日本人は『大変満足して喜び』宣教師を『学識の者だと思ったようで』話を信じる。『日本人は、天体の運行・日蝕(にっしょく)・月の満ち欠けなどについて知るのを大変喜びます』『【日本人の】質問に答えるために、学識のある【神父】が必要』とされた(『ザビエル書簡』1552年)。
 それでイエズス会はのちにゴメスというすごい科学者を送り込み、緻密(ちみつ)な宇宙論の講義を日本国内のコレジオ(学院)で行った。ゴメスは『天球論』という宇宙論教科書まで書き、日本語訳もあったらしい(森ゆかり『イエズス会日本コレジオの宇宙論講義(1)』)。
 当時の日本人の宇宙論は2つだ。仏教系はインドの『須弥山(しゅみさん)思想』で高い山が真ん中にある砂時計のような形の世界を想定した。太陽が須弥山の周りをグルグル回る。もう一つの儒教系は中国の『天円地方説』だ。天は円形で地は方形と考える。
 月食をみれば、球形の地球の影が月面にうつる。簡単に地球は球形とわかりそうなものだがそうではなかった。江戸時代になっても、儒学者林羅山は天円地方説を信じていた。『動くものは円く静止したものは方形にできている』などと言った。屁理屈である。もっとも17世紀にも山鹿素行のように天円地方説は違うという鋭い儒学者もいた。
 200年前になると、ちょっとした物知りなら『世界は弾丸のごとく』動いていて球体だと知っているようになった(『譚海(たんかい)』。大阪の金貸しの番頭さんだった山片蟠桃も、よその恒星の近くに土や湿気があれば、きっと虫・魚貝・鳥獣、そして人民も生じているだろう、と宇宙人の存在を想(おも)ったのである(『夢の代』)。
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 戦国時代の日本人の関心は、永遠の命を保障するキリスト教ではなく、自分達が立って生活している地球が球体であるという事であった。
 合戦で生きるか死ぬかの駆け引きに明けくれる武士は、勝利して領地を守る為には大量の火縄銃と火薬が必要だとしてキリスト教を利用し、輸入品の火薬を手に入れる為に戦場で捕らえた日本人を奴隷として中世キリスト教会・イエズス会や白人キリスト教徒商人に売った。
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 戦国時代の日本人が西洋に魅了され興味を持ち憧れたのは、絶対神の福音や隣人愛の信仰を説くキリスト教ではなく、最先端科学技術が詰まった火縄銃や自然や世の中の森羅万象を説明する知識・智慧であった。
 つまり、空想的幻想的架空の宗教ではなく合理的論理的科学的な実態であった。
 その意味で、日本人は無宗教有神仏論であった。
 西洋人はもとより中国人も朝鮮人も日本人の本質が理解できず、日本国や日本人を見誤ってきた。
 その証拠に、キリスト教マルクス主義は仏教や論語儒教(中華儒教とは違う)とは違って日本人の信者・信奉者は得られず日本に広まらなかった。
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 現実社会に生きる日本民族は、理想社会に生きる現代の日本人と違って、実社会で実利を生む便利の良いモノはなんでも取り入れて利用した。
 その代表的モノとは種子島火縄銃で、1543年に種子島に伝わって約60年後の1614年・15年の大坂の陣では世界一の火縄銃大国なり、改良・改造された日本産火縄銃は日本刀と共に外国に輸出され東南アジアや欧州での戦争に使われた。
 オランダは、徳川家康との日蘭交易で、日本から輸入した巨額の銀と大量の武器を使って、一時期、世界の海洋を支配し世界の経済を動かし植民地大国となった。
 現代日本は、インターネットを無用の長物と軽視して本格導入しなかった為にAI、IT後進国となり、見た目は一流国・先進国・経済大国、実は三流国並み・途上国並み・経済衰退国に成り下がっている。
 平賀源内のエレキテルは、当時のインフラ状態から実用化できない最先端技術であった為に物珍しい見世物で終わったが、当然の事であって日本の後進性が原因ではなかった。
 現代の日本人と昔の日本人は別人の様な日本人である。
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