✨3)─3・A─ウクライナ政府の「昭和天皇とヒトラー」写真。戦争犯罪において昭和天皇はヒトラーと同罪。~No.12 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 昭和天皇は、歴史的な人道貢献と平和貢献を行っていた。
   ・   ・   ・   
 2022年5月4日 MicrosoftNews 現代ビジネス「天皇の戦争責任という難題…ウクライナ政府「昭和天皇ヒトラー」写真掲載から考える
堀 有伸
 今年2月にロシアがウクライナに侵攻した。
 当初は軍事力で勝るロシアが圧倒するという予想もあったが、ウクライナ国民が良く準備していて勇敢かつ頑強な抵抗を示していること、アメリカ・ヨーロッパを含めた多くの国がウクライナを支援していることもあり、情勢は長期化しつつある。
 日本も西側諸国の一員としてウクライナへの支援とロシアへの制裁に参加しているが、ロシアの関係者が核兵器の使用や、日本の領土への関心を口にするなど、安全保障の面でも憂慮するべき事態となっている。
 そのような中で、4月上旬にウクライナ政府がロシアのプーチンを非難する意図の動画をツイッターに投稿し、そこにヒトラームッソリーニと並んで昭和天皇の写真が登場した。
 © ウクライナ政府のツイッターで投稿された動画の一部
 そのことを日本の一部の団体や人々が問題視して抗議したために、ウクライナ政府がその動画を削除する経緯に至っている。
 4月下旬にはウクライナ外務省によるウクライナを支援する国への感謝の意志を表明する動画を投稿したが、その中に日本の名はなかった。ウクライナ側からは、「武器支援の文脈で感謝の意を示した」とあったが、日本からの抗議に謝意の表明があったという。
 私は上記の2点に関して、非公式ではあっても日本からの抗議が行われ、それに対してウクライナ側の訂正や謝意といった反応を得たという経緯について遺憾に思っている。そのようなことは行われるべきではなかった。
 これは道義的に問題であるし、国際社会における日本の信用を低下させ、ひいては安全保障の分野にも悪影響を与える内容であるからだ。
 以下に、その理由を説明していく。
 日本と天皇の戦争責任をめぐって
 昭和天皇の写真が出てきた動画については、次の二つの論点が関係している。
(1)昭和天皇第二次世界大戦における責任問題を、どのように考えるのか。
(2)日本が全体として、第二次世界大戦でアジアをはじめとした周辺国に多大な損害を与えた事実を認識し、それを反省しているのか。
 今回、このウクライナの動画を問題とみなしている人々は、その根拠として(1)の問題について、ウクライナによって「昭和天皇に戦争責任があった」と主張されたと理解し、それに憤り、強く抗議している。
 確かにこの問題について考えることは容易ではない。
 例えば2000年に出版された『天皇の戦争責任』という書物の中で、橋爪大三郎が「(天皇に)戦争責任はない」「なぜなら、天皇は、帝国憲法の定めに従い、立憲主義の精神に従って、行動したから」と主張したのに対して、加藤典洋は「戦争責任がある」「兵士たちに戦場に行くように命じ、彼らを死なせた」「道義的な責任」があったとする。
 筆者も、この点についての意見を本論では表明しない。このような議論は、日本社会や日本的集団の意思決定のあり方、リーダーに期待される責任のとり方が特殊であるという認識と関連している。日本では、集団の格付けにおける最上位者が、必ずしも有事の際の最終責任者とみなされない場合がある。
 したがって、昭和天皇の戦争の意思決定へのコミットメントのあり方は、ヒトラームッソリーニのそれとは異なっており、それにもかかわらず、ウクライナ政府がその点を同列に扱ったことについては、決して承服できないというのが、今回の一部の日本の関係者から提出された抗議のロジックのようである。
 しかし、そのような日本の特殊事情を理解してもらうことを、世界中に求めていくことは、今後わが国が国際社会の中で生きていく上で、本当に現実的なのだろうか。これはあまりに複雑で、通常の近代的な法の感覚からは懸隔のある議論なのではないだろうか。逆に、私たちはそのような水準で、他の国家の特殊な事情を理解して配慮した行動を取れているのだろうか。
 私が恐れるのは、上記の(1)について反論しているつもりが、(2)の「日本全体が、第二次世界大戦で周辺の国に多大な迷惑をかけたことを認め、反省していること」という国際社会のからの認識を覆そうとしていると、誤って受け止められてしまう危険性と、そうなった場合の損失の大きさである。
 日本は戦後、戦争の過ちを反省し、平和国家に転換したことを表明し、それが受け入れられたことで国際社会に受け入れられた経緯を持つ。その前提を、日本が自ら覆そうとしていると誤解された場合に、国際的な信用・威信がどれほど失われるのかという点について、今回取り上げているようなウクライナへの抗議を行っている人々は、あまりにも軽く考えている。ドイツやイタリアから、同様の抗議が行われていないことの理由を考えてみる必要がある。
 日本の安全保障とアメリカとの関係
 問題を安全保障の分野に限定して、さらに議論を進めたい。
 参照するテキストは古関彰一による『対米従属の構造』である。現在の日本の安全保障の基軸になっているのは日米安保条約であるが、アメリカ側ではそれに先立って、NATO北大西洋条約機構)を念頭に置いた太平洋協定案が構想されていたそうである。
 1951年の段階で、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、日本、アメリカ、場合によってはインドネシアを含めて、安全保障についての相互援助取り決めを結ぶことが目指された。
 しかし、第二次世界大戦の記憶が生々しいこの時点で、太平洋島嶼国家から日本が信用を得ることはできなかった。フィリピンから日本の賠償・戦争責任問題が、オーストラリア、ニュージーランドからは、日本が再軍備することへの疑念が提出された。
 アメリカは、これらの国に対して、冷静体制下で日本の復興が不可欠であること、そして日本の再軍備の脅威に対しては、アメリカと在日アメリカ軍が日本再軍備に対する「ビンの蓋」となり、日本軍が脅威となることを防ぐことになると力説する必要があった。
 アメリカは結局太平洋協定を諦め、これを3分割し、オーストラリア・ニュージーランドとの安全保障条約、フィリピンとの条約、そして日米安全保障条約が締結された。
 戦後の日本の安全保障は、日米安全保障条約を基軸に成立している。それについて、日本の主体性があまりにも制限されているという批判がなされている。
 しかし歴史的な経緯を見る場合に、日本の周辺の国家は、日本が復興して再軍備を行うことを強く警戒していた。アメリカがそうなった場合の対処を行うという保障を行ったことで、日本の国際社会への復帰が許された経緯がある。
 今後日本がこの分野でも主体性を確立したいと望むのならば、アメリカの保証がなくとも、日本が第二次世界大戦の戦禍をもたらしたことを十分に反省しており、戦前・戦中とは異なる新しい価値観を奉じる国家となったという国際的な信頼を得続けることが、不可欠な条件なのである。
 その後、日米安全保障条約は、アメリカ側からは東西冷戦下におかえるソ連を封じ込めるための、冷戦終結後はアメリカの安全保障上の世界戦略を日本の協力を得ながら遂行するための機構の一部を担っている。
 このような日本の安全保障をめぐる状況については、その注力する方向が、アメリカとの二国間関係に集中し過ぎており、他の同盟国との信頼関係を長期的な視点で構築していくことへ配慮が欠けていると批判することができるだろう。
 誤解を避けたいのは、アメリカとの関係は決して軽視できないということである。アメリカとの関係が最重要であるという認識を外すことはありえない。しかしそれを基盤にしつつ、安全保障の観点から他の諸国との信頼関係を構築していくことも、十分に意図されねばならない。
 私たちは現在、ウクライナが安全保障について、実に巧みに多くの国からの信頼を得て、多くの援助を引き出している姿を目にしている。一方、もし日本に安全保障上の危機が生じてしまった場合に、同じように多数の国から援助を受けられるはずであると、筆者は確信を持って予想することができない。
 このような状況で、安易に「日本は第二次世界大戦の戦禍をもたらしたことについて、本当は反省していないのではないか」と誤解されるような行動は、慎まれるべきである。
 加藤典洋橋爪大三郎竹田青嗣天皇の戦争責任』(2000)径書房
 古関彰一『対米従属の構造』(2020)みすず書房
 © 現代ビジネス
   ・   ・   ・   
 昭和天皇肖像画の写真を燃やす動画が日本の現代アートに、賛成する日本人が多数で、反対する日本人は少数であった。
 昭和天皇は、歴代天皇の中で最も日本人に嫌われている天皇である。
2020-02-18
🦲4〕─18─表現の自由。日本の現代アートは「人の写真(例えば皇族の写真)を燃やす」こと。〜No.19  
2020-11-07
🦲4〕─21─あいちトリエンナーレ2019。愛知県知事リコール運動敗北。〜No.22 
2021-10-14
🦲4〕─24─昭和天皇肖像燃やす動画と「表現の不自由展かんさい2021」。〜No.25 
 韓国・北朝鮮中国共産党アメリカ、ロシア、その他、多くの国々は昭和天皇ヒトラーと同罪の非人道的戦争犯罪と認めている。
 アメリカの一部では、昭和天皇が住んでいる東京・皇居の上に原爆を投下して焼き殺す事を望んでいた。
   ・   ・   ・   
 昭和7(1932)年 ソ連コミンテルンは、社会ファシズム論から日本共産党に対し32年テーゼ「日本に於ける情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」を送った。
 「帝国主義戦争の内乱への転嫁を目標とする日本共産党」に、暴力革命勝利の為の「統一戦線戦術」を命じた。
 日本人共産主義者は、人民の正義の為に昭和天皇や皇族を惨殺して大虐殺を伴うロシアのような共産主義暴力革命を起こすべく活動を本格化させた。
   ・   ・   ・   
 スターリン日露戦争で屈辱的な敗北を喫したのは、日本に天皇制があったからだ。これを打倒しなければ、日本はいつまでたっても極東においてロシアの脅威になる。権力の中枢である天皇制に何としても打撃を与えなければならない。日本共産党の任務はそこにある」
 イギリス、イタリア、ベルギーなど西洋諸国の各国の共産党は、自国の王室を人民の敵とは認めず、それ故に一度も「王室打倒」とは叫ばなかったし、ソ連・国際共産主義勢力も命じなかったし求めなかった。
 ロシア人理論家のニコライ・ブハーリンスターリンの意向を受けて、日本共産党・日本人共産主義者マルクス主義者らに送られる書簡に「天皇打倒」を書き加え、同時に各国の全ての共産党共産主義者にも同様の文言を送った。
   ・   ・   ・   
 三十二年テーゼ
 1932年5月コミンテルン執行委員会西ヨーロッパ・ビューローによって決定された「日本における情勢と日本共産党の任務に関する方針書」のこと。日本の支配体制を絶対主義的天皇制とみなし,きたるべき日本革命は天皇制を打倒し,地主制を廃止するブルジョア民主主義革命であり,社会主義革命はその次の段階とする二段階革命論の立場を明確にした。日本では河上肇翻訳で同年7月 10日『赤旗』特別号に掲載され公にされた。同種のものには 27年,31年のものがある。これらのテーゼは当時の日本の経済理論,社会主義運動理論に大きな影響を与え,活発な論争を引起した。
 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
   ・   ・   ・   
 日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇や皇族を惨殺する為に狙っていた。
 日本人共産主義者とは、反天皇反民族反日本であり反宗教無神論である。
   ・   ・   ・   
 昭和天皇「本土決戦を行えば、日本民族は滅びてしまう。そうなれば、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることができようか。自分の任務は祖先から受け継いだ日本を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本人に生き残ってもらいたい、その人たちが将来ふたたび立ち上がってもらう以外に、この日本を子孫に伝える方法はない。そのためなら、自分はどうなっても構わない」(1945年8月10日聖断)
 天皇にとって民(日本民族)は「大御宝(おおみたから)」である。
   ・   ・   ・   
 天皇の意思は「大御心(おおみこころ)」で、民は「大御宝(おおみたから)」として、天皇日本民族は信頼という硬い絆で結ばれていた。
   ・   ・   ・   
 昭和天皇は、親ユダヤ派、差別反対主義者、避戦平和主義者、原爆は非人道的大量虐殺兵器であるとして開発中止を厳命した反核兵器派、難民・被災者・弱者などを助ける人道貢献を求め続け、戦争には最後まで不同意を表明し、戦争が始まれば早期に講和して停戦する事を望むなど、人道貢献や平和貢献に努めた、勇気ある偉大な政治的国家元首・軍事的大元帥・宗教的祭祀王であって戦争犯罪者ではない。
 同時に、日本の歴史上最も命を狙われた天皇である。
 昭和天皇や皇族を惨殺しようとしたのは日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストであった。
   ・   ・   ・   
 靖国神社の心・志・精神とは、人道貢献と平和貢献の事である。
   ・   ・   ・   
 歴史的人道貢献とは。昭和天皇A級戦犯である東条英機松岡洋右松井石根らは、ヒトラーから逃げてきた数万人のポーランドユダヤ人を保護し、ナチス・ドイツゲシュタポと日本人の反ユダヤ派、親ドイツ派の上海ホロコーストを阻止しユダヤ人難民数万人を敗戦後まで守り続けた。
   ・   ・   ・   
 昭和天皇の平和貢献とは、戦争には不同意であったが政府と軍部が決定すれば裁可するが、戦争が始まれば早期に講和を行って戦争を止める事を求め続けた。
   ・   ・   ・   
 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中には過激に無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
   ・   ・   ・   
 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
   ・   ・   ・   
 日本の戦争とは、天皇・皇室と日本国と日本民族を、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、マルクス・レーニン主義共産主義イデオロギー侵略から守る母国防衛戦争であり、敵に味方する反日・敵日の中国や朝鮮など周辺諸国を攻撃殲滅し各国に親日傀儡政権をつくり攻守同盟を結ぶ積極的自衛戦争であった。
 明治新政府が、近代的天皇制度中央集権国家を選択し、軍国主義政策を採用して、富国強兵・殖産興業・近代教育で軍国日本へと暴走したのはこの為であった。
   ・   ・   ・   
 日本がアメリカに恐怖したのは、アメリカによるハワイ王国侵略とハワイ王家滅亡、そして自由・民主主義の大義キリスト教の正義によってと民族の宗教・言語・文化・風習・その他がハワイ諸島から根刮ぎ消滅させられた事である。
 アメリカの太平洋侵略を最も警戒したのが、1894(明治27)年にハワイ王国滅亡を目の当たりにした東郷平八郎であった。
 ハワイ王国は、アメリカからの侵略から母国を守る為に日本の軍事支援を期待して、明治天皇天皇家との姻戚関係を申し込んだ。
 日本は対ロシア戦に備えて軍備強化を急いでおり、そこに新たに対アメリカ戦を加える余裕はなく、苦渋の選択として天皇家とハワイ王家との結婚は断り、1898(明治31)年にハワイ王国の滅亡を涙を流しながら傍観するしかなかった。
 日本海軍内のワシントン海軍軍縮会議に猛反対した艦隊派は、ハワイ王国滅亡を教訓としていた。
   ・   ・   ・   
 キリスト教の宗教侵略とは、日本人奴隷交易である。
   ・   ・   ・   
 近代日本の主敵は、白人キリスト教のロシアとロシア人であった。
   ・   ・   ・   
 日本の近代化の目的は、対外戦争を戦う為の軍国主義化であった。
 日本の開国・幕末・明治維新戊辰戦争・近代化・軍国主義化の発端は、ロシアの軍事侵略とキリスト教の宗教侵略で、その歴史的事実が、中世キリスト教会の日本人奴隷交易、寛政日露交渉(1792年)と攘夷運動、文化露寇事件(1807年)と蝦夷地・北方領土派兵(約4,000人)、攘夷派が激怒した対馬事件(1854年)の弱腰交渉、などであった。
 日本をロシアから救ったのは、戦争も辞さずのイギリスの軍事力・海軍力であった。
 軍事を否定し信用しない国家・国民・民族には、現実世界で生きる資格はなかった。
 熱狂的天皇主義者(現代の右翼・右派・ネットウハ、一部の保守派とは無関係)である尊皇派・勤皇派による攘夷運動は、間違った愛国主義民族主義ではなく、正しい軍国主義国粋主義・好戦主義、正義の戦争・聖戦であった。
   ・   ・   ・   
 神国日本を守る為の攘夷対象は、軍事侵略を企むロシアと宗教侵略を繰り返すキリスト教であった。
 徳川幕府の経教分離の原則を受け入れて交易を行っていたオランダは、排除すべき攘夷の対象ではなかった。
   ・   ・   ・    
 日本には、大航海時代の中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人による日本人奴隷交易(被害者として)と日本軍部・陸軍・A級戦犯によるポーランドユダヤ人難民(数万人)をホロコーストから守ったという人道貢献(実行者として)を世界記憶遺産に申請する資格・権利がある。
 これは、日本国家ではなく、生きている日本民族日本人としての責務である。
 日本人奴隷交易とA級戦犯の人道貢献には、その事実を証明する・裏付ける公文書・古文書・キリスト教会報告書など歴史的証拠が国内外に数多く残っている。
 もし、日本の申請が認められないというのならば、ユネスコとイコモスによる世界遺産世界文化遺産・世界記憶遺産には存在意義はない、無意味・無価値という事である。
 日本人奴隷交易の責任の一端は、乱取りで捕らえた日本人を奴隷として外国人に売った日本人にもある。
 A級戦犯が有罪となって見せしめ的リンチ縛り首で処刑にされた罪状は、政治家・官僚・軍人として戦争を始めた平和に対する罪であって、拷問・虐待・惨殺・虐殺を行った人道に対する罪ではなかった。
   ・   ・   ・