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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
戦国時代は、悲惨で地獄であった。
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日本の野盗は、中国や朝鮮さらには西洋や中東などの世界を荒らし回った盗賊・匪賊・強盗、山賊・海賊などの凶悪犯罪者とは違っていた。
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2022年5月19日号 週刊新潮「変見自在 高山正之
被爆国の権利
黒沢明の『七人の侍』を見たとき、ちょっと違和感があった。収穫を終えた村を毎年のように野盗が襲う。実りを奪い、女を犯し、逆らえば殺しもするとい映画は言う。
確かに戦国時代に野党の類はいた。ただそのころの野盗は普段は村で百姓をやっている連中だ。
彼らは近くで合戦があると出かけて行く。
関ヶ原の戦いでは手弁当持参で合戦を眺めていたという話も残る。
大勢が決し、落ち武者が出ると百姓はとたんに見物人から追い剥ぎに変身する。
それを『野伏せり』といい、襲ってカネ目になる武具を奪い、名のある武将なら首級(しゅきゅう)を取って褒賞(ほうしょう)に与(あずか)る。
敵中突破をやった島津義弘も関ヶ原を脱出した後、この手の百姓に随分痛めつけられている。
因みにその関ヶ原の戦いも、百姓が稲を刈り入れ、稲架(はさ)掛けを済ませるまで待った。百姓に遠慮しいしいの合戦だった。
そういうわけだから野伏せりが己の村を襲うという黒沢映画の設定がどうも落ち着かない。
むしろ落ち武者が村を襲うというのら説得力がありそうだが、日本の歴史はそれを否定する。
例えば平家の残党は壇ノ浦の後、ただひたすら逃げ落ちていった。落ち行く先は福井の赤谷とか南会津とか。八戸辺りにも落人の隠れ里が残る。
日経出身の評論家、故井尻千男は戦国大名佐々木六角氏の末裔に当たる。
近江で負け、山梨の井尻村まで落ちて、六角を井尻姓に変えたと聞いた。
劉邦は99回負けても諦めなかったが、日本人は一度で諦める。それが武士だ。
もう一つ、武士の戦いは勝ったからと言って好きに殺戮や略奪はしなかった。
関ヶ原の戦いでも石田三成を除けば西軍諸大名の誅求(ちゅうきゅう)は石高を減らす程度で収めている。
欧州もそのころウエストファリア条約を結び、勝手な略奪を禁じて国が賠償義務を負うことにしている。
戦争の形も例えばナポレオンと欧州軍がベルギーのワーテルローに場所を決め戦うようになった。
日本は日露戦争でも優しい戦争を実施した。捕虜の妻が四国の収容所にきて夫を看病するのも許した。
日本式の戦争に世界が目覚めたと思われた20世紀。昔の戦法を蒸し返す国がでてきた。米国だ。
真珠湾に始まった日米戦争は太平洋の島々を戦場としたが、米国はそれを飛び越えて、日本本土を直接攻撃してきた。
マッカーサーは飛び石作戦と言ったが、別名は『サンドクリーク』といった。
コロラド州のシャイアン族の居留地の名で、米騎兵隊は戦士が狩りに出るのを待って集落を襲い、女子供600人を皆殺しにした。
民族を絶やすには女を殺せばいい。戦士は倒すより危険は小さい、おまけに手っ取り早い。
米国は日本人をサンドクリークのシャイアンに見立てて女子供を集中的に殺した。その象徴が広島長崎の原爆だった。
そういう絶滅戦を米国はtotal wer(総力戦)と呼ぶ。先祖帰り戦争と素直に言えばいいのに。
戦争倫理を育んだ日本が最も残忍な原始戦争の洗礼を浴びるとは皮肉だが、これにどう対応するか。
『唯一の被爆国』だから『過ちは繰り返しませぬ』と逃げるか。
『非核三原則があるから何も考えない』(岸田文雄)とか『核兵器禁止条約に背けば日本は3発目を食らう』(ICANのペアトリス・フィン)とか。ふざけた雑音は多い。
しかしウクライナ侵攻に見るように戦争に倫理は必要だ。日本はそれを教えられる国だ。
『唯一の被爆国』に続く言葉は『野蛮から国民を守るためにどの国よりも優先して核兵器を持つ権利がある』に決まっている。
それなのにマッカーサー憲法に拘(こだわ)って権利を留保するから支那や北朝鮮まで図に乗ってくる。
ロシアも含め戦争とは虐殺と強姦と略奪だと思っている国ばかりだが、日本が持てばみな黙る。」
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日本では戦国時代を含む全ての時代で、如何なる合戦・戦争でも武器を取って戦う相手は女子どもに関係なく敵と定めて容赦なく殺したが、敵の領民である百姓や町人でも武器を持たず抵抗せず逃げ回れば殺害・虐殺しなかった。
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日本民族には古着文化があり、戦争、災害、事件、その他の不幸・不運で死んだ・殺された犠牲者の着物や所持品を「厄落とし」が済んだと言い包めて購入していた。
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怨霊信仰として、戦死した侍が身に付けていた武具には恨みを抱いた死者の魂が宿り心霊的に強化されている、として新調された武具より好まれていた。
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日本とくに日本民族では、マルクス主義・共産主義・無政府主義による人民革命は起きない。
もし人民革命が起きるとすれば、日本人から日本民族が消滅もしくは少数派となり外国移民の日本国民に入れ替わるもしくは多数派になったときである。
何故なら、マルクス主義・共産主義・無政府主義とは反天皇反民族反日本だからである。
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庶民にとって、領主・大名・主君が誰であったも関係ない。
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戦国時代は、悲惨で、酷たらしい地獄であった。
武士・サムライが、百姓を嫌い差別し「生かさず殺さず」の支配を続けたのには理由があり、戦国の気風が残っていた江戸時代初期に斬り捨て御免が横行していたには理由があった。
日本は、誰も助けてくれないブラック社会であった。
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日本の庶民(百姓や町人)は、中華や西洋など世界の民衆・大衆・人民・市民とは違って、油断も隙もない、あさましく、えげつなく、おぞましく人間であった。
町人は、戦場を見渡せる安全な高台や川の反対岸などの陣取って、酒や弁当を持ち込み遊女らを侍(はべ)らせて宴会を開き、合戦を観戦して楽しんだ。
町人にとって、合戦・戦争は刺激的な娯楽で、武士・サムライが意地を賭けた喧嘩・殺し合いは止める必要のない楽しみであった。
百姓は、合戦が終われば戦場に群がり、死者を弔う名目で死者の身包みを剥ぎ裸にして大きな穴に放り込んで埋め、奪った武器・武具・衣服などを商人に売って現金化し、勝った側で負傷した武士は助けて送り届けて褒美を貰い、負けた側の負傷した武士は殺し或いは逃げた武士は落ち武者狩りで殺し大将首なら勝った側に届けて褒美を貰った。
百姓にとって、合戦は田畑を荒らされ農作物を奪われる人災であったが、同時に戦場荒らしや落ち武者狩りでなどで大金を稼ぐ美味しい副業であった。
合戦に狩り出された庶民は、足軽・雑兵以下の小者・人夫・下男として陣地造りの作事を強要されるが、合戦が始まれば主君を見捨てて我先に一目散に逃げ、勝ち戦となれば勝者の当然の権利として「乱取り」を行い、敵地で金目の品物を略奪し、逃げ遅れた女子供を捉えて人買い商人に奴隷として売った。
百姓や町人らの合戦見物・戦場荒らしは死者への敬意や死体の尊厳を無視するだけに、古代ローマ時代の剣闘士が殺し合うコロセウムより酷かった。
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武将は、足軽・雑兵、小者・人夫・下男による乱取りを黙認していた。
乱取りで捕まった女子供は、各地の奴隷市で日本人商人に買われ、日本人商人は宣教師を通じて白人キリスト教徒の奴隷商人に売って金儲けをしていた。
中世キリスト教会と白人キリスト教徒奴隷商人は、日本人を奴隷として買って世界中に輸出して金儲けしていた。
日本人奴隷を生み出していたのは、乱取りを行った百姓達であった。
一説によると、ポルトガル商人による日本人奴隷の被害者は5万人以上。
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現代日本人は、潔くカッコイイ武士・サムライの子孫ではなく、乱取りをし日本人を奴隷として売って大金を稼いでいた庶民の子孫である。
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日本人は、悪人、悪党、罪人である。
故に、親鸞はそうした救われない哀れな日本人は阿弥陀仏(阿弥陀様)が救ってくださると、「悪人正機説」で他力本願を説いた。
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もし、軍国日本が戦犯国ではなく正当な理由があって積極的自衛戦争を実行したのであれば、日本には「目には目を、歯には歯を」の同害報復権が認められ、アメリカ・イギリス・カナダの3ヵ国に原爆を落とす権利があり、中国共産党政府とロシア(旧ソ連)に対して復讐する権利がある。
そして、国連は敵国条項から日本を削除し、国際司法機関は日本の名誉を回復する責任がある。
それが、真の戦後レジームからの脱却である。
が、同害報復権や復讐権を持っていたのは、戦犯とされた昔の日本人であって戦犯を切り捨てた現代の日本人ではなく、靖国神社を守ろうとする日本民族であって否定する日本国民ではない。
持たない日本人をあえていえば、護憲派や核兵器反対派・原発反対派などのリベラル派・革新派そして一部の保守派の日本人である。
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昭和7(1932)年 ソ連・コミンテルンは、社会ファシズム論から日本共産党に対し32年テーゼ「日本に於ける情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」を送った。
「帝国主義戦争の内乱への転嫁を目標とする日本共産党」に、暴力革命勝利の為の「統一戦線戦術」を命じた。
日本人共産主義者は、人民の正義の為に昭和天皇や皇族を惨殺して大虐殺を伴うロシアのような共産主義暴力革命を起こすべく活動を本格化させた。
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スターリン「日露戦争で屈辱的な敗北を喫したのは、日本に天皇制があったからだ。これを打倒しなければ、日本はいつまでたっても極東においてロシアの脅威になる。権力の中枢である天皇制に何としても打撃を与えなければならない。日本共産党の任務はそこにある」
イギリス、イタリア、ベルギーなど西洋諸国の各国の共産党は、自国の王室を人民の敵とは認めず、それ故に一度も「王室打倒」とは叫ばなかったし、ソ連・国際共産主義勢力も命じなかったし求めなかった。
ロシア人理論家のニコライ・ブハーリンはスターリンの意向を受けて、日本共産党・日本人共産主義者・マルクス主義者らに送られる書簡に「天皇打倒」を書き加え、同時に各国の全ての共産党・共産主義者にも同様の文言を送った。
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三十二年テーゼ
1932年5月コミンテルン執行委員会西ヨーロッパ・ビューローによって決定された「日本における情勢と日本共産党の任務に関する方針書」のこと。日本の支配体制を絶対主義的天皇制とみなし,きたるべき日本革命は天皇制を打倒し,地主制を廃止するブルジョア民主主義革命であり,社会主義革命はその次の段階とする二段階革命論の立場を明確にした。日本では河上肇翻訳で同年7月 10日『赤旗』特別号に掲載され公にされた。同種のものには 27年,31年のものがある。これらのテーゼは当時の日本の経済理論,社会主義運動理論に大きな影響を与え,活発な論争を引起した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中にはより過激に無政府主義やマルクス主義に染まっていった。
江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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