🏕41)42)43)─1─疫病神・災害神・怨霊神を祈ってもてなす日本民族の伝統文化。『歎異抄』。~No.78No.79No.80No.81No.82No.83 ⑨ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 日本民族日本人は、恵みをもたらす最善の神様より災いをもたらす最悪な神様こそ最も大切・大事にし、粗相のにように祀り、心から崇めて祈った。
 善神であっても悪神であっても、神様は神様である。
 神力・霊力は、善神より悪神の方が強い。
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 現代の日本人と昔の日本人は別人のような日本人である。
 現代の日本人は、歴史力がないのと同時に民族的伝統的宗教心が乏しい。
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 2020年8月号 Voice「日本文化  館鼻則孝 
 疫病と『おもてなし』精神
 感染症は疫病神
 新型コロナ禍による自粛期間中、私も皆さんと同じように自宅で過ごす時間が増えたなかで、とても興味深いウェーブサイトに出合いました。岐阜県に拠点を構える内藤記念くすり博物館の公式ホームページ(くするの博物館)で、なかでも『人や薬のあゆみ』のコーナーでは、医療の歴史や文化に関する膨大な数の資(史)料および図書が紹介されています。
 同サイトの資料をみていくと、日本人が古来、いかに疫病と向き合ってきたかがよくわかります。たとえば『荼毘室混雑(やきばこんざつ)の図』には、江戸時代にコレラが大流行したことにより火葬場が大混乱となったことや、多くの役者や講談師が亡くなったことが伝えられています。その緊迫した様子は今回、世界を襲ったコロナ禍と十分に重なります。
 とりわけ私が興味深く感じた資料は、『疱瘡(ほうそう)神図』という絵図です。こちらには日本人が疫病に対して『おもてなし』する様子が描かれており、同サイトの説明文を引用すると『天然痘をもたらす疫病神が描かれている。日本には悪鬼(あっき)をやみくもに撃退するのではなく、もてなすことで、穏便に立ち去ってもらう風習があり、疱瘡神送りもそのひとつである』。
 まだウイルスや細菌が発見されていない江戸時代、人びとは経験則的に感染者に近づかないなどの対策をとった一方で、絵図に描かれているように感染症を『疫病神』として祀りました。とくに天然痘は『疱瘡神』として知られ、症状が軽く済むようにと祈りが捧げられたといいます。事実、疱瘡神を祀った寺社は各地にあり、疫病ですら『神』としてもてなすのが、日本人のスタンダードな向き合い方だったのです。
 相手が不純でももてなす文化
 新型コロナに関しては、山中伸弥教授などが『ファクターX』の存在を指摘しています。『マスク着用や毎日の入浴』『ハグや握手がすくない』といった日本人の生活文化か、あるいは遺伝的要因などの政策以外の要素が、日本で新型コロナの爆発的感染拡大を防いだというのです。
 その視点でいえば、右に記したように日本古来の感染症との『付き合い方』はファクターXを考える際に、何がしかのヒントになるのかもしれない。専門家ではない一介のアーティストの推論ではありますが、かねてより江戸時代の風俗に感心を寄せる身としてはそう感じずにはいられませんでした。
 もちろんファクターXが何なのか、すぐに結論が出る問題ではありません。大事なのは、過去の事象といかに向き合うかという姿勢ではないでしょうか。以前にも紹介したように、芸術の世界では『アマビエ』がブームとなっています。妖怪界ではかねてより有名で、災害を予言したり疫病を治したりするとの言い伝えがあります。もちろん、ブームそのものを否定するわけではありませんが、たんにアマビエを『リバイバル』するだけでは、それは芸術とは言い難いし、新型コロナとの向き合い方を考える契機にもならない。過去の事象をそのまま現代に置き換えることは、ときに意味が薄く、むしろ『くするの博物館』のウェーブサイトのように、当時の人びとの営(いとな)みそのものに焦点をあてて、私たちは社会としていかに暮らしてきて、これからどうあるべきかを探るほうが、大きなヒントを得られるのではないでしょうか。
 『疱瘡神図』をみて思い出したのが、映画『千と千尋の神隠し』です。主人公の千尋が、オクサレ様と呼ばれる神様を湯船へと案内するシーンをご記憶でしょうか。千尋は頑張ってももてなそうとするのですが、オクサレ様は異臭を放(はな)つわ身体から自転車やゴミが出てくるわで大混乱。結果、その正体は川の神でしたが、たとえ相手が不純であっても、いかにもてなすかという発想が日本文化にはあります。どんな相手でも一度は受け入れてもて、ほどよいスタンスで共に歩んでいく。考えてみれば、たとえば漢字を輸入しながらも平仮名やカタカナを発明した日本文化は、その試みの連続であったともいえます。
 一神教ではない八百万の神が住む日本では、美しい神から醜(みにく)い神まで存在します。人びとはときに感謝し、ときに恐れ、豊作を感謝し、あるいは雨乞いや疫病が治るように『おもてなし』をしてきた。そうした伝統的な生活文化を、どのように現代に表現するかができるのか。私自身、そんなことを考えながら、いままさに作品づくりに臨(のぞ)んでいます。」
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 『歎異抄』第3章
 「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。しかるを世の人つねにいわく、「悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや」。この条、一旦そのいわれあるに似たれども、本願他力の意趣に背けり。
 そのゆえは、自力作善の人は、ひとえに他力をたのむ心欠けたる間、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力の心をひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生を遂ぐるなり。
 煩悩具足の我らはいずれの行にても生死を離るることあるべからざるを憐れみたまいて願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。
 よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人は、と仰せ候いき。」
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 歎異抄.jp
 なぜ、善人より悪人なのか
 意訳
 善人でさえ浄土へ生まれることができる、ましてや悪人は、なおさらだ。
 それなのに世の人は、つねに言う。
 悪人でさえ浄土へ往けるのだ、ましてや善人は、なおさら往ける。
 このような考えは、一見もっともらしく思えるが、弥陀が本願を建立された趣旨に反するのである。
 なぜかと言えば、阿弥陀如来は、すべての人は、「煩悩の塊」であり、助かる縁なき極悪人と見ぬかれて、「我にまかせよ、必ず救う」と誓われているからだ。
 それなのに“自分の励む善で生死の一大事を解決できる”と自惚れている善人は、極悪人と見極められて建てられた本願を疑っているから、全幅、弥陀にまかせる心がない。ゆえに「弥陀の本願にあらず」。本願の対象とはならないのである。
 だがそんな人でも、弥陀の徹見通りの自己に驚き、生死の一大事は弥陀にうちまかせて、浄土へ往けるのである。
 煩悩にまみれ、どのような行を励むとも、到底、生死の迷いを離れられぬ我々を不憫に思われ建立されたのが、弥陀の本願。
 悪人を成仏させるのが弥陀の本意だから、“助かる縁なき者”と、他力にうちまかせる悪人こそ、浄土へ生まれる正客なのだ。
 されば、善人でさえ浄土へ生まれるのだから、悪人はなおさらである、
 と聖人は仰せになりました。
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 なぜ、善人よりも悪人なのか。
 なぜ、この世に、まことは一つもないと断言できるのか。
 『歎異抄』には、親鸞聖人の衝撃的な言葉が、数多く記されています。
 それは、世界の哲学者・文学者にも多大な影響を与えたものばかりです。
 『歎異抄』の謎が解けた時、私たちの幸せ観、人間観、仏教観は、一変するでしょう。

 大災害、戦乱の中から、何度も立ち上がってきた日本人の心の支えは、『歎異抄』にあった

 地震、洪水、飢饉、戦乱、大火……。
 親鸞聖人の800年前は、生きる不安の絶えない時代でした。
 人間とは?
 命とは?
 幸せとは?
 苦しみ悩む人々へ、親鸞聖人の答えが記された書、それが『歎異抄』です。
 「人類みな兄弟であり、上下などまったくない」
 「善人でさえ浄土へ往生できる、まして悪人は、なおさらだ」
 「この世のことすべては、そらごとであり、たわごとであり、まことは一つもない」
 親鸞聖人の言葉は、衝撃的です。
 そして、絶望的な状況にあっても、
 「冷酷な運命に甘んじて従うのではなく、自ら未来の幸せの種をまくことができる」
 と強く押し出すメッセージが、日本人の精神的な支えとなり、幾多の災害、戦乱の中から、立ち上がらせてきたのです。
 平成23年、日本は、未曾有の大震災に襲われました。今も、混乱のただ中にあります。
 たとえ建物のガレキを取り除くことができても、心の不安はなくなりません。
 そんな今だからこそ、日本人に生きる力を与えてきた『歎異抄』を開いて、人生を見つめ直してみませんか。
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 誤解に満ちた歎異抄
 『歎異抄』は700年ほど前、親鸞聖人の高弟・唯円によって書かれたものといわれている。聖人亡き後、親鸞聖人の仰せと異なることを言いふらす者の出現を嘆き、その誤りを正そうとしたものである。
 鴨長明の『方丈記』、『歎異抄』、吉田兼好の『徒然草』の順で、ほぼ60年間隔で成立している。
 これらは三大古文として有名だが、なかでも『歎異抄』の文体に引き込まれるような魅力があり、全文を暗唱する愛読者のあるのもうなずける。
 今日、『歎異抄』ほど、読者の多い古典は異数ではなかろうか。その解説書は数知れず、今も新たなものが加え続けられている。
 ところが、この書が世に知られるようになってから100年もたってはいないのだ。
 それは500年前、浄土真宗の中興、蓮如上人が、親鸞聖人を誤解させるおそれがあると、「仏縁の浅い人には披見させてはならぬ」と封印されたからであろう。
 以来、親鸞学徒でさえ警戒し、ほとんど知る者はなかったが、明治の末からある機縁で急速に読み始められ、仏教学者はいうにおよばず、多くの作家や思想家が、こぞって『歎異抄』を論じ始めた。
 かくて広く一般にも愛読されるようになり、親鸞聖人といえば『歎異抄』、『歎異抄』といえば親鸞聖人といわれ、今では親鸞思想の格好の入門書とされている。
 だが、蓮如上人の訓戒どおり『歎異抄』は、もろ刃の剣である。冒頭にあげた「善人なおもって」の言葉など、皮相の見では悪を勧めているようにも映る。
 事実、「阿弥陀さまは、悪人大好き仏だから、悪をするほどよいのだ」と吹聴する者が現れ、「親鸞の教えは、悪人製造の教え」と非難された。
 また、東大の名誉教授でさえ『歎異抄』を読み違え、“念仏を称えたら救われると教えたのが親鸞”と教科書に記し、物議をかもした。
 『歎異抄』が広範な読者に迎えられたせいなのか、聖人は日本で最も有名な、歴史上の人物といわれるようにもなった。同時にまた、親鸞聖人の教えが誤解される、大きな要因となったのも否めない。
 『歎異抄』は本来、門外不出の秘本であり、読者によっては自他ともに傷つける、カミソリのような書である。聖人の教えを正しく理解した上で読まなければ、自損損他、大けがをして臍を噛むことにもなる。
 とかく『歎異抄』を論じたものは、著者の体験や信条に力点が置かれ、自由奔放に解釈されている、と嘆く識者も少なくはない。
 聖人自作の『教行信証』などをもとにした、『歎異抄』の真意の解明が急がれるゆえんである。
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 日本民族日本人の宗教では、命や財産を奪う災害は「神様が怒り暴れるから」だと信じ、自戒し、心を浄め、身を正し、行為を改め、災難・厄災・災禍をもたらす「怒れる神」を鎮める為に誠心誠意の清明心で「おもてなし」をした。
 「おもてなし」をすれば、災難をもたらす荒神・荒御魂(あらみたま)・怨霊は鎮まり、豊穣をもたらす和神・和御魂(にきみたま)・御霊に「かわってくださる」と信じた。
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 日本の宗教には、八百万の神々による有りの儘の恵みや御利益はあっても、絶対神による不可能を可能に変える奇跡や恩寵はない。
 よつて、日本の祈りと世界の信仰とは違う。
 ゆえに、日本の寺社で絶対神の奇跡や恩寵を祈ったところで無意味である。
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 日本民族日本人は、災害をもたらす全ての天変地異は自然現象ではなく「神様の怒り」と信じ、神様の怒りがおさまるように祈り続けた。
 火山が噴火すれば山の神様に、地震が起きれば大地の神様に、大風が吹けば風の神様に、洪水が起きれば川の神様に、「怒りをおさめて御鎮まり下さい」と心の底から祈ったのである。
 その祈りは、縄文時代から変わる事なく受け継がれてきた日本民族の心・精神である。
 日本民族ならば、命を奪う神々の怒りに対して怨む事はないし、神と認めず捨て去る事もせず、涙を呑んで耐えて受け入れた。
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 日本民族が拒否した相手は二つある、一つは非科学的宗教のキリスト教、もう一つは科学万能イデオロギーマルクス主義共産主義社会主義である。
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 日本列島は、雑多な自然災害、疫病、飢餓・餓死、大火などが同時発生する複合的災害多発地帯であった。
 縄文人の子孫である日本民族日本人は、数万年前から苛酷で地獄のような日本列島で生きていた。
 日本列島の自然には、花鳥風月と虫の音、苔とよき菌が醸し出すマイナス・イオンや1/fのゆらぎが充満している。
 日本民族日本人の心と精神そして気持ちは、溢れるマイナス・イオンや1/fのゆらぎの中で育まれてきた。
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 日本民族日本人は、「一寸の虫にも五分の魂」として無益な殺生を嫌った。
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 如何なる道具にも神様や魂・心が宿るとして大事に扱い、使い物ならず捨てる時は、感謝を込めて供養を行った。
 それが、日本神道の「惟神の道(かむながらのみち)」であり、日本民族日本人の宗教・信仰であった。
 それは、相互に補完しながら助け合って「共に生きる」と言う事である。
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 日本の伝統文化では、使えなくなった道具・物はゴミ・廃棄物・粗大ゴミではなかった。
 壊れた道具、醜い道具、歪で障害がある道具でも、何らかの美・価値・意義を見いだし
斬新、奇抜、粋として大事にした。
 例えれば、織部焼である。
 完全な美と不完全な美を共に愛し、醜きも趣があるとして愛でた。
 世に、ムダはない、必要のないものはない。
 それは、物の数が制限された閉鎖された空間・閉塞した社会での無駄なく全てを生かし切って生きる生き方である。
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 日本民族の伝統文化である「おもてなし」とは、利益を得る、金儲けをする、得をする、などの現世利益ではなく、自分本位や自己満足などの自意識を排除し、煩わしさを排除した「さりげなさ」で、相手の身になって気を遣い・思い遣り・配慮する事である。
 それが、「お客様は神様である」と言う事である。
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 現代日本人の最大の関心事は金儲けで、如何に家族や他人より自分の金を増やすかであった。
 金さえあれば、幸せも、自由も、命も、老後の安心さえも、何でも買って手に入れられる。
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 現代日本には、高天原の神代から受け継がれてきた日本民族の伝統的精神である「惟神の道」は廃れて残っていない。
 現代日本人は、消費者である客が支払う「金」に対して御辞儀をする。
 それ故に、現代日本人は消費者として「金」で生産者・従業員・店員の頬を叩いても気にはしない。
 「おもてなし」の意味は、昔の日本と現代の日本では違う。
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 歴史が証明する通り、日本人の「おもてなし」は中国人や朝鮮人には通じない。
 平安時代までの日本は、朝鮮半島や中国大陸から逃げてきた敗者・弱者、災難者・被災者を、別け隔てせず、無条件で受け入れていた。
 が、半島系渡来人はそんな恩を忘れて日本天皇を暗殺した。
 日本民族日本人は、天皇を殺した朝鮮人を嫌った。
 現代日本の中には、天皇殺し・神殺しの朝鮮人を弁護する日本人が存在する。
 が、それは世界でも同様で、韓国に同情して日本を非難する人々が数多く存在する。
 国際世論は、韓国に味方し日本を批判する。
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 日本の歴史において、日本に甚大な被害もたらす、日本民族日本人の命を奪う災難・災禍・厄災の大半が朝鮮半島や中国大陸から襲ってきた。
 日本にとって、朝鮮半島や中国大陸は死臭と毒気が渦巻く穢れた地であった。
 日本人にとって中国人や朝鮮人は、「敬して遠ざける」存在で、心を許す相手ではなく、好んで交流すべき相手ではなかった。
 日本と中国・朝鮮の間には、友好や善隣など存在しなかった。
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