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関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
他利他愛で人を助ける日本人は2割、自利自愛で人を助けない日本人は3割、助けたいと思いながら立ちつくして何もせず傍観する日本人は5割。
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縄文人の血を一番濃く受け継いでいるのは、部落民の中の海の民・海人である。
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海難事故の一覧(一部抜粋)
・1821年(文政4年 / 道光元年) 唐船(17人乗組)が紀伊熊野に漂着。
・1850年4月 濠捕鯨船イーモント号が厚岸沖で難破。32人救助。
・1852年2月19日 アメリカの奴隷貿易船、ロバート・バウン号が、中国アモイからカリフォルニア州へ航行中に、沖縄県石垣島の崎枝村沖合で座礁し380人の中国人苦力が上陸した。
・1866年6月1日 イギリスの奴隷貿易船が、清の広東省からカリフォルニアに行く途中に、中国人苦力340人を乗せ、沖縄県竹富島蔵元前の浜で台風に遭って座礁し溺死者114人、行方不明者62人の犠牲者を出した。
{明治元年=1868年}
・1873(明治6)年1月 仏商船ヲールアー号南房総沖で破船、17名救助。
。1873年7月 独商船ロベルトソン号宮古島沖で遭難、8人を救助。
・1874年3月20日 フランスの郵便船ニール号が、伊豆半島沖で座礁沈没、乗員乗客90人のうち助かったのは4人だけだった。積荷は日本政府がウィーン万博に出品した美術工芸品などで、ほとんどが水没した。
・1875年8月 英商船ジェームズ・ペイトン号浜松沖で座礁、難破。15人全員救助。
・1877(明治10)年11月19日 北海道瀬棚海岸沖にてロシア軍艦「アレウト」がおりからの暴風に煽られ座礁。乗組員60人全員が地元住民により救助されるも、翌78年4月20日迎えに来た軍艦「エルマック」へ「アレウト」乗組員がボートで向かう途中高波により転覆、12人が犠牲になった。
・1885年9月20日 米商船カシミア号種子島の東南海上で遭難沈没、12名救護。
・1886(明治19)年10月24日 イギリス商船「ノルマントン号」が、和歌山県潮岬沖で沈没、日本人乗客25人ほか、中国人、インド人乗組員12人が死亡。イギリス人船員は全員生存し、当時の日本で社会問題になった。
・1890(明治23)年9月16日 和歌山県樫野埼灯台付近で荒天下、トルコ海軍艦「エルトゥールル号」が座礁沈没。乗員約600人中、地元の漁民らによって69人が救出されたが、587名が死亡または行方不明となった。
・1894年4月 英商船ドラメルタン号が種子島に漂着。29名救出。
・1905(明治38)年8月22日 瀬戸内海姫島灯台付近でイギリス船「バラロング」と軍用船「金城丸」が衝突し「金城丸」が沈没。165人が死亡・行方不明。
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周辺諸国の中国人・朝鮮人・ロシア人は、海難事故で遭難し漂流している所を危険を顧みない日本人に助けられても、恩義を感じず、感謝もせず、日本人に恩を仇で返しても平気で恥じる所がなかった。
彼らとは、人の心を持たない恩知らずな人間である。
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人類史において、地球的に国際的に世界的に、日本民族が行った全ての貢献で報われた事・得をした事・良かった事・ためになった事など唯の一度もなく、犠牲を強いられ被害を被る損ばかりであった。
それが、縄文人の子孫である日本民族の運命・宿命、逃れられない過酷な定めであったが、愚痴をこぼし、弱音を吐いても、八つ当たりせず、避ける事なく、無言で耐えて引き受ける。
日本民族は、各種貢献、人助けを、公言して自慢する事を「恥」として嫌い、「天知る、神知る、我知る、子知る」で満足した。
現代の日本国民と昔の日本民族は違う日本人である。
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日本民族は、自己犠牲ではなく繋がる命、この場での縁と絆ゆえに助けた。
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日本民族は、「情けは人の為ならず」である。
因果応報。
善因善果。
悪因悪果。
親鸞、「悪人正機説」。
『歎異抄』第3章 善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世の人つねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。
この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。
そのゆゑは、自力作善の人(善人)は、ひとへに他力をたのむこころ欠けたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれら(悪人)は、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。
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悪人正機(あくにんしょうき)は、浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ思想で、「“悪人”こそが阿弥陀仏の本願(他力本願)による救済の主正の根機である」という意味である。
阿弥陀仏が救済したい対象は、衆生である。すべての衆生は、末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」である。よって自分は「悪人」であると目覚させられた者こそ、阿弥陀仏の救済の対象であることを知りえるという意である。
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人生は目の前にあるがままで、奇跡も恩恵も恩寵もない、勢いがある所に偶然と必然、幸運と不運と悪運があるのみ。
善人でも、悪人でも、死ぬ時はアッサリと死ぬが、人はなかなか死なないし死ねない。
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漁民・漁師にとって、「海は国境はなく世界に通じる」ではなく「船板一枚下は地獄」であった。
つまり、海は命が満ち溢れる豊な領域であったが、同時に死が支配する殺伐とした不毛の領域であった。
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助けた日本人漁民は、無報酬で、打ち上げられた積み荷は助けた遭難者と共に引き渡して盗む事はなかった。
「難破船の積み荷は盗まず返す」それは、徳川幕府時代から厳しい御法度(法律)で徹底されていた。
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日本民族の古典的民主主義は、神社の神前で行う、責任の所在を消し去る百姓根性・ムラ根性による傘連判である。
つまり、一蓮托生である。
それは、共同体参加者一同が生死を共にする、舟が沈没して死ぬ時は皆一緒という「船乗りの掟」である。
その意気込みは、諦めない・挫けない、不屈の精神・全身全霊で舟を守り、最後には勝つ・絶対生き残る、奇跡を信じず、あてにせず、自分(船員)達だけで死力を尽くして九死に一生を得る、である。
そこから生まれるのが、前を向いて突き進む万歳突撃、一億総玉砕、カミカゼ特攻であって、自暴自棄的な集団自殺、陰気陰湿な死の美学、絶望的滅びの笛、狂乱のハーメルンの笛などとは関係である。
全員参加・全体責任・全員賛成・全会一致という神前の傘連判を制度化したのが、伝統的天皇制度である。
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日本民族の祖先である手漕ぎ丸木舟で海を行き来していた縄文人は、武装し略奪を生業としていた競争心・向上心の強い勇ましい海賊・倭寇・バイキングではなく、武器を持たず争いを嫌い気弱で穏やで陽気で器用な船乗りであった。
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いい日本人は2割、悪い日本人は3割、あやふやな日本人は5割。
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日本民族は、中国人や朝鮮人を付き合うほどの相手ではないとして敬して遠ざけ、友・友人・親友とはせず、信用・信頼できない人間として間違っても戦友などにはしなかった。
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日本民族と漢族系中国人・朝鮮人とは、別種のようなアジア人で、古代から敵同士として友情はなく、お互い心の中で相手に対する消し去る事のできない嫌悪あるいは殺したいという憎悪を秘めて、相手に対する愛情・友情などは微塵もなかった。
血は水より濃い。
血は争えない。
日本民族と琉球民族とアイヌ民族は、縄文人の直系子孫として血の繋がりがある兄弟民族で、共通の夷狄であるロシア、中国、朝鮮、ソ連、国際共産主義勢力そしてアメリカに対して仲間として戦友として戦った。
そして、攻撃してくる外敵に味方して仲間・友・友人・親友・戦友を売る物は裏切り者として排除した。
日本にとっての裏切り者が共産主義者(マルクス主義者)であった。
日本人共産主義テロリストとキリスト教系朝鮮人テロリストは、昭和天皇や皇族を暗殺する為につけ狙っていた。
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人は他人の助けを借りずとも一人で孤独に生きていける生物だが、海上では一人では生きていけない、が、陸上では一人で生きていける。
事実、人は無人島でも動物や植物の食べ物と綺麗な飲み水があれば何年でも、一人で孤独を楽しみながら死ぬまで自由気ままに生きていける。
海上では、数年どころか、数ヵ月、或いは数日、それこそ食べ物や水を大量に積んだ不沈船のような巨大な豪華客船・軍艦であっても嵐に遭えば一瞬で沈没すれば、宗教・哲学・思想・イデオロギーに関係なく全員が例外なく溺死する。
土の上は神・天使の天国であり、水の上は死神・悪魔の地獄であった。
日本民族社会は、海上生活に適している。
中華(中国・朝鮮)社会は、陸上生活に適している。
武漢肺炎(新型コロナウイルス)蔓延によって、昔の日本民族と現代の日本人が別人である事が明らかとなった。
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日本沿岸には舟が難破する危険のある海域が多く、日本人漁民達は舟が難破すれば命の危険を顧みず、二次遭難を恐れず、漂流する遭難者を助け、拾える荷物は陸に揚げた。
それは、強奪する為ではなかった。
海に生きる仲間(海の人)として、遭難者が元気になったら預かった荷を返し、国元に帰るか目的地に向かうかは自由にさせた。
日本を歴史に登場する海賊は、中国や朝鮮、西洋や中東、その他の世界で暴れまわる残虐な犯罪を生業とする海賊とは違う。
日本民族の船乗り・漁師・海賊・海の人は、海を恵みをもたらしてくれる善神・神・和魂・御霊の神域と敬い、同時に、人を死に引き摺り込んで魂を喰らう悪神・荒魂・怨霊・物の怪・妖怪・亡霊・幽霊らが巣食う黄泉の領域と怖れた、それゆえに河川・沼・池・湖・海など「水」を穢す事は禁忌とした。
が、全ての日本人が善人ではなく、悪人も少なからずいて犯罪を行っていた。
良い日本人は2割、悪い日本人は3割、何れかに引き摺られやすい軟弱な日本人が5割。
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科学的遺伝子(染色体)特性相続としての世襲継承には意味があるが、それは優劣ではなく、単なる得意不得意の差に過ぎない。
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日本民族は商い舟難破の子孫で、他利で他者に依存する共助的である。
漢族系中国人・朝鮮人は隊商崩れ盗賊の子孫で、自利で他人に依存しない自助的である。
「人は一人では生きられない」と言っても、両者の協調・協力は同じように見えて本質から違う。
現代の日本には、その違いが理解できない日本人が増えている。
何故、そうした日本人が増えてきたのか、それは民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力を失ってきているからである。
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同じ日本人と言っても、現代の日本国民と昔の日本民族は別人である。
よって、昔の日本民族を例えて現代の日本国民を説明する事は不可能である。
現代の日本人論の多くが的外れで、現代日本人像が分かりづらい・見えづらいのはこの為である。
特に、日本民族と漢族系中国人・朝鮮人を同じ人間、同種同文だと語る暴論には目眩がして吐き気がする。
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日本人漁民は、漁村に近い沿岸で海難事故が起きれば難破船が日本国籍・外国籍に関係なく、「同じ海で生きる仲間は助け合い」との認識から見過ごしにせず、見捨てず、救助活動が命の危険をともなう事を承知で、遭難者・漂流民の救助にあたった。
本音は、助けず見殺しにした事で溺死者の霊魂が怨霊となって祟り、その怨念で魚介類が消えたり、大型台風や高波、大地震や巨大津波など甚大なな被害をもたらす自然災害が起きる事を恐れたからである。
それは、海洋民である日本民族が持つ大漁の魚介類の恵を与えてくれる海信仰、それは常世の国(神住む国・死者の国)信仰、海神(ワダツミ)信仰、客人(マレビト)信仰からくる怖れゆえに、目の前の海を穢さない汚さないであった。
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自国の遭難者・漂流民が日本人に救助された事に対して、日本に対して感謝し恩義を感じる国もあれば、感謝せず無視する国もある。
感謝せず無視する国は、ソ連以降のロシア人、中国人、朝鮮人など日本にとっての仮想敵国人である。
帝政ロシア時代のロシア人は日本の敵国人ではあったが、礼儀正しく、助けてくれた事に対しては感謝した。
ソ連時代のロシア人は、撃沈した避難民船から海上の逃れて漂流する日本人特に女性や子供を射殺して虐殺した。
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中日新聞
地域特集 浜松歴史のとびら
ジェームズ・ペイトン号事件 沈没寸前の帆船 船員を救助
2019年8月23日 02時00分 (12月8日 10時33分更新)
1875(明治8)年8月のことです。
福島村(今の南区福島町)の沖を航海していたジェームズ・ペイトン号が、台風によって荒れ狂った波に押し流され、浅瀬に乗り上げてしまいました。ジェームズ・ペイトン号はイギリスで造られた帆船で、積載量380トン、全長約41メートルほどです。
世界の海を航海する船の中では小型ではあったものの、当時としては最速の貨物船でした。
台風による被害がないか浜を見回りしていた福島村の村長親子が、浅瀬で身動きがとれなくなったジェームズ・ペイトン号を見つけました。
「黒船だ。船の底が砂にめり込んでいる。船がどんどん傾き、このままでは沈没する。一軒に一人、村中から残らず人を集め、みんなで助けよう」
村長がそう叫ぶと、息子はみんなを呼びに駆け出しました。
船が今にも倒れそうになった時、たるを浮き代わりに結びつけた一本の綱が船から海に投げられました。
「あの綱を浜までたぐり寄せることができれば、船員を助けることができる」
浜に集まった村人は、次々に海に飛び込み、船と浜を命綱で結びました。こうして15人の船員全員を助けることができました。
ジェームズ・ペイトン号の船員は、体調が落ち着くまで村人の家で過ごしました。
船長はイギリスに帰った後、「日本人の家で服や食料を提供された。日本人の親切に心から感謝したい」と報告しています。
福島村の記録では、言葉も通じず、生活習慣も違う船員への対応に悩みながらも精いっぱい尽くしたことが伺えます。今では日本人の誰もが知っている卵料理や牛乳を船員に要望され、右往左往した村人の記録も残っています。
◆イギリス政府が村民に感謝の品
事件後、イギリス政府は、福島村に感謝の気持ちを伝えると共に、お礼のお金や記念品を贈りました。
当時の村長の家には、その時、イギリス政府から贈られた水差しなどが、今でも残っています。
<もっと知りたい人へ>
参考文献:『英国難破船ジェームズ・ペイトン号事件』南区役所 区役所のホームページからダウンロードできます。
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