🕯140)─1─日本人の道徳律は儒教の武士道ではなく仏教が説く地獄の恐怖であった。~No.299 ㉙ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
 昔の日本人と現代の日本人は、別人と言っても間違いないほどに違う日本人である。
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 死後に落ちる地獄に恐怖を抱く悪人は、他人から褒められ感謝され認められたいという気持ちはなかった。
 つまり、世間を気にしても他人を気にせず、他人からの承認願望もなかった。
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 2019年2月7日 週刊新潮「生き抜くヒント! 五木寛之
 地獄はどこへいったのか
 人を善人と悪人に分けるというのは、すこぶる乱暴な考え方である。
 善い人、悪い人、ぐらいは、まあ、普通の感覚だろう。若い娘さんを欺して、何百人と風俗の店に送り込んだという大学生たちのニュースをきいて、世の中には悪い連中もいるもんだと思ったりするのは、世間一般の判断であるにちがいない。
 『都会には悪い人たちも一杯いるんですからね。気をつけなきゃだめよ』
 などと、地方から上京する娘さんに心配そうに念を押す母親の顔が目に浮かぶ。
 しかし、善人と悪人、という対比はどことなくむずかしい。自分を100パーセント善人であると断言できる人が、はたしているのだろうか。
 といって、『オレは悪人だ』などと堂々と大見得を切られても困る。小悪党ぐらいは世間にごまんといるが、本格的な大悪人、となるとそうざらにはいないような気がするのだ。
 法然親鸞など、いわゆる鎌倉仏教の祖師(そし)たちが『悪人正機(あくにんしょうき)』をとなえたことで、大きなセンセーショナルを巻きおこした時代があった。
 当時の世の中の人びとの大半は、自分は悪人であるという思いを心に抱いていたようだ。
 そして善人と自称するためには、相当な資格が必要だった。
 まず財力である。造像起塔(ぞうぞうきとう)などといって、大きな寺や塔などを建て、沢山の仏像をつくって贈与する。数々の聖典を書写(しょしゃ)されて立派に装幀(そうてい)し、何百巻となく寺院におさめたりもする。莫大な布施をするのは当然だ。
 また仏門に入って修行するのも大事な善行だ。家族、親戚から僧侶がでると、一族にまで御利益があると考えられたりもした。
 さらに戒律を守ることも善人の条件である。僧侶にはめったやたらと沢山の戒や律が課せられるが、一般人も五戒など最低限の守るべき行為がある。
 最大の悪
 しかぢ世間の人びとに、酒は飲むな、嘘はつくな、などといったところで、そうはいかない。結局、善人の条件である善行を積むことは常人には不可能である。となれば、悪人に分別されるしかない。
 生きて妻子を養っていくためには、嘘もつく。殺生もする。道ならぬ恋もする。ましてや末法の世の中とされている時代である。
 殺生というのは、最大の悪と考えられていた。しかし、なにも魚や鳥獣をとるだけが殺生ではない。篤農といわれても、稲は人に食われんと実をつけるのか。果実も野菜も命あることには変わりはない。
 むしろ最も殺生に縁のあるのは、武者(むさ)といわれた職業的戦闘集団である。武士が尊敬されるようになる以前のこと。彼らはことあるごとに傭兵として活躍した。要するに人を殺すことを仕事とするプロたちである。
 そういう時代に、オレは善人だ、と自信をもって言える立場の人たちは、ごくまれであったにちがいない。たとえ高貴な身分であったとしても党利党略の渦の中で生きている。
 『悪人も救われる』
 『いや、悪人こそが、仏のすくいの対象なのだ』
 というメッセージは、まさに旱天の慈雨として感じられたにちがいない。
 では、一体なぜ人びとはそれほど悪人であることを怖れたのか。身もふたもない言い方をすれば、それはだれもが皆、地獄に落ちることを心配していたからだろう。
 ピカピカの悪人
 地獄、極楽、などという。あまり極楽、地獄とはいわない。当時の人びとにとっても、極楽というイメージは、それほど魅力的ではなかったのであるまいか。
 暑さ寒さがない、妙(たえ)なる音楽が流れている、美麗な宮殿があり、美しい花が咲き乱れている。なんの心配もない幸せな世界。苦しい労働もなく、心やすらかに仏の道を学ぶ。
 しかし、そこでは酒も飲めないし、博奕も打てない。貧乏もないかわりに金もうけもない。下品な冗談を言いあって大笑いするのもはばかられる。どうも、なあ、というのが庶民の本音だっただろう。
 もう一方の地獄となれば、そのイメージは強力だ。悪人はそこへ落とされて言語を絶する苦しみを受ける。その様子は難しい書物を読まずとも、寺の坊さんが絵解きでいやというほど教えてくれる。市場や道端で大道芸人がくりひろげる地獄の有様は、身の毛もよだち凄酸さだ。
 『極楽にはいけなくてもいいが、地獄にだけは絶対に落ちたくない』
 というのが当時の庶民の切なる願いだったのだろう。
 しかし、現実には、自分は悪人であると自覚して生きている。そうであれば当然地獄行きは必定だ。生きて地獄、死んで地獄、こいつはたまらねえ、というのが当時の人びとの本音だったにちがいない。夜も寝られないほど地獄のイメージがリアルにのしかかっていたのである。
 さて、ひるがえって現代の私たちはどうか。自分自身のことをふり返ってみると、これはまごうことなきピカピカの悪人である。格好つけているわけではなく、本当に心からそう思う。
 問題は地獄だ。死ねば宇宙のゴミになるかもしれない、と思ったりもするが、地獄に落ちるという実感がない。
 いまの時代の問題点は、だれもが地獄を考えず、感じないところにあるのではないだろうか」
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 地獄で苦しんでいる亡者は、自分の祖父母、父母、兄弟姉妹、夫、妻、子あるいは孫などの身内・家族であった。
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 大伴旅人「吾妹子(わがもこ)が見し 鞆(とも)の浦の むろの木 常世(とこよ)にあれど 見し人ぞなき」
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 地獄には、醜(みに)くいばかりで美など存在しなかった。
 地獄は、貧富の格差がない完全なる平等の絶望的苦痛しか存在しない。
 だが、その地獄にこそ個人差、人間力、生命力があった。 
 死を見詰めて絶望し、死を身近に肌身で感じながら、死と共に生きる。
 死は地獄であった。
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 8月24日 朝日新聞「読書 
 『「宿命」を生きる若者たち 格差と幸福をつなぐもの』 土井隆義〈著〉
 現在の若者層では、貧困率は上昇し、『努力しても報われない』という意識は高まり、『生きていれば良いことがあると思う』という意識は低下している。しかし同時に、特に若者の幸福感や生活満足度は上昇している。これはなぜか?
 これまでも社会学者が注目してきたこの謎に、著者は改めて取り組む。多数のデータを組み合わせて導き出した答えは、成長・発展が停滞した『高原期』の日本では、『よりよい未来』の替わりに、過去すなわち伝統、民族、生得的属性などに若者が拠(よ)り所を見いだしているということである。
 こうした自らの『宿命』を受け入れて生きる若者は、貧しさや不遇な状況に追い込まれても、自己責任主義や努力主義の規範をも内面化しているため、人生への期待値そのものを下げてしまい強い反発を抱きにくい、と著者は述べる。異論もあるかもしれない。だが異論を鍛えるためにも、この分厚いブックレットは役立つことだろう。
 本田由紀東京大学教授)」
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 江戸時代。物心ついた子供に、最初に教えたのは儒教的な人の道ではなく究極の恐怖でる仏教の地獄である。
 身の毛が立つおぞましい地獄絵図を何度も繰り返し見せ、地獄の恐怖をトラウマとして子供の幼心に植え付け、脳裏に焼き付けた。
 地獄の恐ろしさを叩き込まれ教えられた子供は、寝ても覚めても地獄が脳裏から離れず忘れられなくなり、いつ如何なる時も地獄の恐怖に怯え萎縮した。
 日本民族日本人は、地獄のトラウマに心を苛まれ、耐え、堪え、辛抱し、我慢に我慢をしながら何とか生きていた。
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 日本の子供たちは好奇心旺盛で、特に恐い物見たさが強かった。
 地獄の絵や地獄の話は、僧侶や大人が嫌がる子供に強制したのではなく、子供たちがせがんだからである。
 子供が自分の意思で、地獄絵図を見たがり、地獄の話を聞きたがった。
 日本の子供は、神の国=天国や仏の国=極楽浄土より、罪を犯した死者が鬼の責め苦で苦悩でのたうつ地獄に関心が強かった。
 日本の子供の身近に死があった。
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 日本民族日本人は地獄と共に生きてきたが、外国人移民(主に中国人移民)が増えれば日本民族的トラウマは全て消え、地獄の恐怖から解放される。
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 日本を覆う重苦しい息苦しい空気、空気圧の正体は、命の喜びではなく死への怖れである。
 つまり、日本に漂う地獄・地獄絵図である。
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 日本民族日本人で地獄の恐怖から救われる人間は誰もいない。
 それ故に、隣人愛信仰のキリスト教と反宗教無神論マルクス主義共産主義)を嫌悪し毛嫌いし拒絶し排除した。
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 死んだら地獄に落ちるのか極楽に昇れるかは、神仏への信仰ではなく人としての生き方であり、御仏の慈悲だけであった。
 日本人は、死後の復活や永遠の命などは信じてはいなかったし、救世主や奇跡も恩寵も信じていなかった。 
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 稲や麦などの農作物が実を付けるのは、人に食われる為ではなく、生物・種の保存として子孫を増やす為である。
 ベジタリアンも、偉そうな事を言っても、所詮は生き物を殺し食べて生きている。
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 百姓が信じたのは、死後の極楽浄土と地獄という仏教や生前の鎮守様という神道であって、死を覚悟した滅私奉公の忠君忠勤という儒教ではない。
 百姓が恐れたのは、生きる為とは言え、植物や動物など全ての生き物の命を殺す事を生業としている事であった。
 やむを得ず殺さねばならないという後悔の念と怨霊なって祟られない為に、命を奪って生き物の魂・霊魂を御霊として供養し、神として祀った。
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 血と死臭に塗れた穢れた賤民は、人殺しを生業とする武士・サムライである。
 最下層身分で、究極の非人や穢多にして救われない人間が武士・サムライである。
 それ故に、庶民(百姓や町人)は武士・サムライを馬鹿にしていた。
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 江戸時代中期以降、武士が偉かった、武士が威張っていた、は嘘である。
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 江戸時代の人口比は、百姓が8割以上で、武士とその家族が1割弱で、残りが町人・職人、僧侶・神官・巫女、賤民・部落民、芸能の民などその他であった。
 それ故に、江戸時代には儒教的武士道は存在しなかった。
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 儒教は、百姓や町人などあくせく働いて金を稼ぎ生活する者は教養なく救い難い小人と軽蔑し見放していた。
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 武士は、金を出して御家人株を買えば誰でも成ろうと思えば成れた。
 ただし、出世するにはそれなりの由緒ある家の養子に入らなければならなかった。
 武士になった百姓や町人は、才能と努力で町奉行勘定奉行や郡奉行に昇進しした。
 だが、武士になると、主君に嫌われたり、役向きで失敗すると、責任逃れはできず、誰も助けてくれないず、上意として切腹を命じられ、家族は財産を没収され領外へ追放された。
 武士の社会は、陰湿で、やっかみや嫉妬が渦巻き、意地悪やイジメや嫌がらせが横行していたブラック社会である。
 真面な武士は、子供が15歳で元服するや30歳代で隠居を申し出て武士のブラック組織から逃げた。
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 江戸文化とは、武士の質素文化ではなく、町人の趣味文化・老人の隠居文化であった。
 江戸文化には、死臭がまとわりついている。
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 日本人の生き方において、外国人移民(主に中国人移民)が増えれば、昔の性善説
捨てて性悪説にならなければ生きていけなくなる。
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