🌏48)─2─明治維新とは、国内的には高等文官試験の儒教化(新科挙)であった。~No.165No.166No.167 @ ⑭

教科書でみる近現代日本の教育

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本は、血縁による世襲社会である。
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 明治維新とは、国外的には西洋価値観の近代化であったが、国内的には高等文官試験の儒教化であった。
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 中国と朝鮮は、高等文官エリートによる科挙社会である。
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 明治維新は、ロシアの軍事侵略から日本を武力を持って守る為の国家改造であった。
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 福沢諭吉「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
 井手窪剛「福澤はその後に、〝人は本来平等なはずなのに、貧富の差や身分の差があるのは何なのか〟と説き、『賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり』と結びます。つまり、学問をやるかどうかで差が付くのだ、ということが言いたかったのです。
 福澤自身、学問のおかげで下級武士の貧しさから脱することができた。彼が紹介したかったのはあくまで米国型の〝機会の平等〟という概念であって、むしろ学問によって差が付く〝結果の不平等〟は積極的に肯定しているのです」
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 2017年8月号 歴史海道「江戸時代=儒教的は大間違い!?
 10分でわかる日本人と儒教    河野有理
 今年に入り、関連書籍が刊行されるなど、にわかに注目を集めているのが『儒教』だ。中国、韓国、そして日本を知る上で欠かせない教えだが、しかし、その中身や、日本や日本人との関係性について尋ねられると、意外に答えられれない方が多いのではないだろうか。
 今、日本人は儒教とどう向き合うべきなのか。
 徳川幕府儒教の、本当の関係
 『江戸時代、徳川幕府が積極的に取り入れて、支配体制の盤石(ばんじゃく)化に利用した』
 日本史に関心をお持ちの方であれば、儒教に関して、そう聞いたことがあるかもしれません。礼節を重んじて、秩序を乱さないというのが、儒教に対する一般的なイメージでしょう。であるなら、大衆に浸透すれば統治者にとっては支配が容易になり、だからこそ徳川政権(幕府)は乱世を治めるべく儒教を普及したという論調は、確かに理に適(かな)っていそうです。
 しかし──後述しますが、儒教とはそもそも、武士が治める徳川政権の支配を安定させるには適さない教えであり、冒頭で紹介した説も、今では学界で明解に否定されています。
 現代の日本では、儒教に対する漠(ばく)としたイメージは持たれているものの、その実像がしっかりと理解されているとは言えません。これは、私が大学で儒教について語るときに得る感触でもあります。それでは、儒教とは果たしてどんな教えであり、日本や日本人にとって、どのような存在であり続けてきたのでしょう。
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 儒教が中国大陸発祥(はっしょう)であることは、広く知られていると思います。春秋(しゅんじゅう)時代の半ばに登場した孔子(紀元前552ー479)によって体系化されて教えであり、中国大陸や朝鮮半島を中心とした東アジアに広まりました。日本がそんな『儒教文明圏』の一部であることは、言うまでもありません。孔子の言行を弟子たちがまとめたは『論語』、学校の漢文の授業で触れたことがあるでしょう。
 日本に儒教が入ってきたのは5〜6世紀といわれており、平安時代天武天皇が発布した律令からは、その色濃い影響を見て取れることができます。また、『古事記』『日本書紀』にも、同じことがいえます。中国ではすでにいくつか儒教的な歴史書が編(あ)まれており、それに倣(なら)って日本でも同じようなものをつくろう、という流れから生まれたのが、『古事記』、とくに『日本書紀』なのです。
 そんな儒教が一般市民レベルにまで広がったのが、江戸時代でした。藤原惺窩や林羅山といった儒学者(厳密には儒学の大系のひとつである朱子学者)が徳川家に重用され、江戸時代後期になると、諸藩でも教えられるようになりました。
 とはいえ、冒頭で述べたように、よく口にされる『徳川政権の安定を支えた』という捉(とら)え方は、実は大きな誤りです。最近ではむしろ、徳川政権の瓦解を早めた張本人こそが儒教であったのでは、という議論がなされているほどです。
 『君主にしっかりと仕えよ』とは、儒教の教えのひとつです。しかし、江戸時代の武士にとって、と『君主』は果たして、誰をさしたのか。
 薩摩藩の武士ならば、藩主・島津家がまずは頭に浮かぶでしょう。ところが、その島津家は、江戸の徳川家に仕えているわけで、武士が最終的に仕えるべき相手がどちらなのかを、いざ考え始めると難しい。そして幕末になると、ここに京都の天皇家が加わります。
 『本当の忠とは何か』は、幕末の武士であれば誰もが一度は抱いた悩みであり、こうも忠誠対象がバラバラになれば、もはや国家として立ちいかないのは必然でしょう。結果、今から約150年前に明治維新が起きたのは、皆さんの知るところです。
 儒教が実際には、『君主とは誰か』という極めて危ない問いを内在していたことが、お分かりいただけたでしょう。もしも、中国大陸の官僚が同じように尋ねられたら、彼らは迷うことなく『現在の皇帝(天子)です』と即答したはずです。
 日中それぞれの『距離感』の違い
 このように、大きな『危うさ』を孕(はら)む儒教に対して、江戸時代は文化やシステムにおいて、実はある程度の距離感がありました。この点が、中国大陸や朝鮮半島との大きな違いとなります。
 例のひとつにあげられるのが、『科挙(かきょ)』です。中国大陸で6世紀から20世紀初頭まで採用されていた官僚登用システムですが、この難関試験をパスするために必要不可欠だったのが、儒教の知識でした。すなわち中国では、儒教を学んで勉強した人がエリートとなり、権力者への道を歩んだのです。これに対して、徳川政権は260年の体制の中で、ついに科挙に類するシステムは採りませんでした。そう考えると、江戸時代の人々の儒教に対するモチベーションは、自身の運命がかかっている中国人ほどではなかったはずです。
 また、儒教には『礼楽(れいがく)』があります。これは、冠婚葬祭をはじめとした様々な行事の際のふるまい規定したものですが、日本にはほとんど入ってきませんでした。例えば中国や朝鮮半島では、親がこの世を去ったら3年間は喪に服すのが倫理的に正しいとされています。しかし、日本には今も昔もそうした風習はなく、儒教式の葬式が行われるケースは極めて稀です。
 江戸時代の日本において、儒教はあくまで教養として捉えられていたのです。武士であれば、確かに『論語』や『孟子』はたしなんでおくべきとされていましたが、それはあくまで、皆が共有する『知的インフラ』というべきもの。隣国のように、社会を支えて成立させる基幹的なシステムとは、根本から異なっていたのです。
 さらにいえば、『文武両道』という言葉は今も用いられますが、『文』と『武』のいずれに重きを置くかは、古来、日本と中国大陸、朝鮮半島では異なります。
 言うまでもなく、徳川家は武家政権であり、彼らは兵馬の権を握り、実力で天下を獲(と)ったという自覚と自負を抱いていました。一方、中国大陸や朝鮮半島では、『良い鉄は釘(くぎ)にならず、良い人間は兵にならない』という諺があるように、『武』は明らかに軽蔑されます。統治者は基本的に知的エリートであり、軍人は彼らに使われる道具に過ぎない。こうした感覚を熟成(じゅくせい)したのは、儒教の教えに他なりません。
 そもそも、儒教には孟子が唱えた『易姓革命』という王朝交代の理論があります。天子(皇帝)は天命によってその地位を与えられ、天下を治めますが、天命に背(そむ)いたならば、天はその地位を奪い、他姓の有徳者を天子とするという思想です。極論すれば、どんな素性(すじょう)や性格であろうとも、一度天下を治めさえすれば、その者は『天が認めた有徳者』と、あまねく認められることを意味します。
 これは、統治者にとって厄介(やっかい)極まりません。江戸時代の日本に置き換えれば、いずれかの藩が徳川家を討ったとしても、『徳川が徳を失ったから、天は私に天下を授けたのだ』という理屈がまかり通ることになります。つまり、下剋上や革命にこれ以上ない大義名分を与えることになるのです。事実、中国大陸では幾度となく王朝が入れ替わっていますが、その淵源(えんげん)のひとつには、この易姓革命の理論があります。
 易姓革命は皇帝が自分の支配を正当化するための発想ですが、徳川家からすれば、『武』こそが、自らが天下を治める唯一にして最大の由縁(ゆえん)です。儒教のなかでも、特に『易姓革命』などの理論は、こうした徳川の支配の前提を掘り崩しかねない『危険思想』なのです。この点を見ても、徳川幕府の260年の安定と儒教が関係ないこと、そして日本と中国大陸、朝鮮半島における儒教との距離感の大きな差が分かるでしょう。
 儒教明治維新
 とはいえ、私たち日本人の物の考え方のベースに、儒教の教えが影響を及ぼしているのもまた、厳然(げんぜん)たる事実です。
 例えば、『仁』というのは、儒教のなかで最も重要な言葉のひとつです。その意味は『思いやりの心』や『情愛』などとも解説されますが、私は次のような話を、よく大学の授業でします。
 自分が電車に座っているとき、目の前に年配の方が立っていたとします。すると、多くの方は『自分は席を譲るべきだろうか』『この方は座りたいと思っているのだろうか』『でも、譲られたら逆に不愉快に思うのではだろうか』などといった葛藤を覚えるのではないでしょうか。
 このように、他人の心を推(お)しはかり、忖度(そんたく)し続ける課程こそが『仁』であると、江戸時代の儒学者である伊藤仁斎は定義しました。これは、今を生きる私たちにも、とても理解しやすいのではないでしょうか。
 一方、中国大陸や朝鮮半島で支配的だった朱子学における『仁』は、そうした際、他人の心ではなく、自分の心と向き合うことが大事であるとします。心の中に、果たして何と書いてあるか。その答えに真摯(しんし)に向き合い、迷わずに実行に移すことが大切なのです。これに関しても理解できる方は少なくないでしょう。いずれにせよ、儒教の考えに対して、私たちはある程度シンパシーを感じることができ、その意味で、価値観の一端を担っているといっても過言ではないのです。
 背景には、さきほど紹介した、儒教が江戸時代の『危険思想』であったという事情があります。それは言い方をかえれば、明治維新の原動力のひとつが、この儒教であったということでもあります。『近代化』『西洋化』とばかり見られがちな明治維新が、実はある意味では『儒教化』であったことが、最近の研究でよく指摘されているのです。江戸よりも、私たちに近い明治の方が、実はより儒教的とも言えます。
 もちろん、それでも現代の私たちと儒教の考え方とは、相当に異なることは否定できません。『個性』『自分らしさ』とは、現代では普通に用いられる言葉ですが、これは『儒教の辞書』には載るはずのない言葉です。
 儒教とは、『自分らしい自分』ではなく、『人間らしい人間』になることを、強く説いた教えです。平凡な人間が、それこそ孔子孟子のような人生の達人というべき『聖人』に近づくには、果たしてどうすればいいのか。そのための教えが儒教なのです。各人の間にある微妙な差異よりも、共通性を重んじるのが基本的な考え方であり、だからこそ、『オンリーワン』などといった発想がないのです。
 こうした考え方を、今の私たちが再び自分のものにすることは難しいかもしれません。ただ、私たちがどんな教えと向き合ってきた歴史を持ってきたかを知ることは、未来を考えるために役に立つと思います。
 明治以降の日本は、アメリカやヨーロッパのリベラルデモクラシーに親近感を持ち続けてきました。日米安保はその象徴ですし、例えば『個性』という考え方もそうしたものと親和的な思想です。しかし、こうした状態がいつまで続くか不透明なのは、近年のテロリズムの跋扈(ばっこ)や、トランプ政権の危うさを見ても分かるでしょう。そんなとき、日本人が自分の国の成り立ちや、自分たちのアイデンティティーを見つめ直すことは、今以上に求められて来るはず。その中で、儒教は避けては通れないテーマのひとつだと私は見ています。
 さらにいえば、現在は関係が決して良好ではないですが、日本が中国と手を取り合う日が、いつ訪れるかも分かりません。中国では1905年に科挙制度が終わり、20世紀の文化大革命儒教は一掃(いっそう)されたように見えます。しかし、近年では再び儒教ブームとも呼べる風潮が見られます。背景には政治的な意図も、おそらくあります。中国共産党が国内を治める際、ナショナリズムとともに柱としていたマルクス・レーニン主義がもはや立ちいかなくなり、代わりに使える『資源』として儒教に目をつけたのです。先にあげたような儒教の孕む危険性を無害化しつつ、いかに統治のイデオロギーの根幹に据え直すか。中国共産党にとって、21世紀の重大課題でしょう。
 東アジアの諸国にとって、共通にして最大の知的遺産が儒教です。日本人が、中国や韓国と同じように、儒教的なものを自らのアイデンティティーとして引き受けるか否かは、今、そして将来を生きる私たち日本人自身の判断にゆだねられています。ただ、いずれにせよ『儒教とは何か』を知らなければ、何も論ずることもできないと思うのです」
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 高等文官試験(こうとうぶんかんしけん)は、1894年から1948年まで実施された高級官僚の採用試験である。1918年の高等試験令(大正7年勅令第7号)以後の正式名称は「高等試験」だが、「高文(こうぶん)」や「高文試験」と略されることも多く、法令上の名称は「文官高等試験」である。
 メリット・システムを採用する他国における高級官僚採用試験の訳語として使用される場合もある。
 「官僚#官僚制度」を参照
 歴史
 高等文官試験の原型は1887年制定の「文官試験試補及見習規則」(明治20年7月25日勅令第37号)である[注釈 1]。当時は高等試験と普通試験の2本立てで、前者は奏任官、後者は判任官の登用を目的とした。1893年の文官任用令(明治26年10月31日勅令第183号)制定に伴う改革で「文官高等試験」が施行され、1899年の同令改正(明治32年3月28日勅令第61号)で勅任官の政治任用が廃止され、勅任官の多くも高等文官試験合格者が占めた。第二次世界大戦後の1948年に廃止されたが、人事院が実施する国家公務員試験(高等文官試験行政科)と法務省が実施する司法試験(高等文官試験司法科)に引き継がれた。
 2018年現在、高等文官試験行政科を継承するのは、国家公務員試験総合職試験である。
 「キャリア」も参照
 合格すれば出自を問わず高級官僚(行政・司法)に登用される画期的だが高難度の制度で、及第者は文官(行政官)、外交官、領事官、判事、検事に登用される資格が与えられ、多数を占めた東京帝国大学出身者は銀時計が配られて「銀時計組」と呼ばれた。
 また、現在の各種国家資格の受験において、高文試験の及第者については、その受験資格が無条件に認められる・予備(一次)試験が免除されるなどの優遇措置が採られており、実質として大学卒業同等の学識を有する者とみなされている。ただし、高文試験が廃止されてからの年月を考慮すると、事実上この規定は空文化されたと言える。
 高等学校高等科卒業生、大学予科修了者、文部大臣が定める一定水準以上の旧制専門学校卒業者など同等以上の学力を有する者、は予備試験を免除された。本試験は、後に司法試験も兼ねた「司法科」、現行の国家公務員総合職試験の行政、法律、経済、や旧外交官試験に相当する「行政科」、の2区分に加えて一時期は「外交科」が存在した。狭義では行政官に登用する試験のみを「高文」「高等文官試験」と呼ぶことも多い。
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 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
 高等文官試験
 第2次世界大戦前の高等官に任用される資格試験のことで,特権官僚の登竜門とされた。 1887年には文官試験試補及見習規則が公布され,奏任官に高等試験が実施されることになったが,当初,帝国大学法科大学,文科大学卒業生は試験を免除されていた。 93年に文官任用令,文官試験規則が制定され,奏任官への任用は原則として高等文官試験によることとされ,無試験制度は廃止された。しかし帝国大学法科卒業生は試験科目,試験委員などにおいて圧倒的に有利な立場を占め,特権官僚の中核を形成した。
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 日本の悲劇は、人心統治に中華儒教の忠誠と礼節を取り入れた事である。
 それが、忠君愛国の教育勅語軍人勅諭統帥権、修身教育そして国家神道廃仏毀釈・神社合祀令である。
 日本は近代化を目指す過程で、中華儒教に乗っ取られた。
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 中華儒教は、日本にとってキリスト教共産主義以上に有害であった。
 日本儒教と中華儒教は、日本仏教と中華仏教同様に別物である。
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 最高学府新卒生の高等官試験は、中華儒教科挙を参考にして作られたエリート官僚登用制度である。
 キャリア官僚とは、言い方を換えれば科挙合格者の事である。
 戦前のエリート官僚が、世界の情勢が読めず中国大陸に深入りしたのは、西洋近代教育を上っ面で受け、本質は中華儒教教育であったからである。
 つまり、中華思想への憧憬、中華大陸への飛躍という誘惑である。
 近代教育による国際化とは、欧米化ではなく中華化であった。
 その傾向は、現代教育にも色濃く残っている。
 中学・高校・大学と教育を受け教養を高めると、自然に、欧米よりも中華(中国、韓国・朝鮮)に心引かれる者が増えてくる。
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 何時の時代でも中華儒教は、戦争を引き起こし平和をもたらさず、国に富と繁栄をもたらさず、民を豊かと幸せをもたらさなかった。
 貧富の格差など各種の差別を量産するのが、中華儒教であった。
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 日本人は、幾ら論語などの古典を読み深く学んでも、中国や朝鮮の様に儒教の真髄を究める事は不可能である。
 何故なら、多様性・寛容性・開放的・曖昧的そして自由な日本神道が邪魔をしているからである。
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 日本文明と中華文明(中国・朝鮮)とは、根本からして、水と油のように異質であるからである。
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 何故違いが生まれたか、それは驚異とする相手が異なるからである。
 中華の生存の脅威は、殺しに来る人間であった。
 日本の生存の脅威は、多発する自然災害であった。
 日本列島は、地球上で類のない程に災害が多発する最悪で厳しい自然環境である。
 日本で生きると言う事は、否応なく、理不尽な自然と共に生きる事である。
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 明治維新によって、日本の敵は自然から人に変わった。
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 日本文明と中華文明は異なる以上、日本と中国・朝鮮・韓国が幾ら話し合っても分かり合う事は絶対にあり得ない。
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 中華儒教とは、観念の塊として、男尊女卑で、不寛容、教条的、排他的、閉鎖的、閉塞的、硬直的である。
 日本の儒教と中華の儒教は、別物である。
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 中華儒教における民とは、中華皇帝に忠誠を誓い、喜んで租税を納め労役に勤しむ者の事である。
 「仁」をもって貧しい者や身分低い者を分け隔てなく慈しむ相手とは、漢族で特定の男系一族の縁者にある者のみである。
 中華儒教は、漢族のみを対象としていて人種や民族を超える事はなく、漢族を頂点とした上下関係、つまり中華思想による華夷秩序を築く体制教義である。
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 中華儒教は、中華仏教同様に王朝・政権を暴力的に転覆させる反体制革命要素が強い。
 その為に、中華仏教は中華儒教体制下で繰り返し弾圧されている。
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 中華儒教の原理原則を突き詰めると、日本神話は消滅し、日本天皇制度は崩壊し、天皇家・皇室は死滅する。
 何故なら、中華儒教が崇める天子とは日本天皇ではなく中華皇帝であり、中華儒教は神・仏・神秘を完全否定するからである。
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 日本仏教も、中華仏教とは異なる。
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 もし、日本人と中国人、韓国人・朝鮮人が分かり合える様にしたければ、1,000万人以上の中国人を移民として受け入れて、日本民族的な全ての要素を消滅させる事である。
 つまり、中華価値観による完全な儒教化する必要がある。
 中国人、韓国人・朝鮮人に、日本民族日本人を理解させる為に幾ら話し合っても不可能に近い。
 それよりも、日本人が中国人、韓国人・朝鮮人を理解する方が容易く、その最善の方法が日本人が日本民族を捨てて中国人、韓国人・朝鮮人になる事である。
 その為に中華儒教教育が重要な鍵である。
 中華儒教で最も大事なのが、中華皇帝・中国を頂点とする中華体制・華夷秩序を揺るぎないものとして受け入れ、日本天皇・日本国を中心とした中華体制・華夷秩序を否定する事である。
 現代の中華皇帝=中国とは、反日中国共産党政府である。
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 日本式近代化で中国、台湾、朝鮮・韓国が成功した要因は、濃淡はあるにしろ中華儒教価値観を共有していたからである。
 その為に、当然の事として、儒教が伝わらなかった東南アジア・南アジアや其の他の地域では日本式近代化は根付かず、幾ら日本近代化を学んで真似をしても成功しなかった。
 日本式近代化とは、中華儒教価値観によるアジア近代化であってキリスト教価値観の西洋近代化ではなかった。
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 日本は、表層的に欧米化・西洋化したとしても、深層的にはアジア化・中国化に流れやすい運命にある。
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 韓国・朝鮮が、日本を毛嫌いるのは同質性が強いからであり、もし日本がフィリピンやベトナムのように異質性が強ければ反日に走る事はなかった。
 韓国人・朝鮮人が日本人に抱く敵意は、恨・怨=近親憎悪で、その原因は中華儒教であり現代ではキリスト教が加わっている。
 中国人も、反日に走りやすいのは中華儒教が原因である。
 中国、韓国・朝鮮に、日本は「永遠に変わる事なき文明・文化・教養なき野蛮な下位国家である」という中華儒教に基ずく不変不動の正統認識がある限り、反日・敵日・侮日は消える事はない。
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 中華儒教は縦社会を理想社会として、全てのモノに優劣の上下関係を築き、人や国に対しての対等や平等な関係を否定する。
 中華世界とは、2つの天はなく、2人の君主はない、という世界である。
 下位国・下位者が、上位国・上位者に辞を低くして貢ぎ物を捧げて機嫌を伺いをする、それが中華儒教である。
 中国や韓国・朝鮮の上から目線による日本批判や謝罪と賠償要求は、中華儒教宗主国と属国における礼節作法に適った正当な請求行動である。


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