✨13)─1─日本の民族資本対米・英・カナダ3カ国の国際資本との原爆開発競争。軍国日本の戦争画。1943年~No.41 @ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 東條英機は、原爆開発研究に無条件で予算を支出する様に命じた。
 陸軍の軍事予算が急増する。
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 オランダは、ナチス・ドイツに協力してアンネ・フランク以下10万人以上のユダヤ人を逮捕して、絶滅強制収容所に送った。
 イタリアは、ナチス・ドイツに協力して約7,000人のユダヤ人を絶滅収容所に送った。
 バチカンは、目の前で、泣き叫びながらトラックに押し込められて強制連行されて行くユダヤ人を救出する事なく、無関心を装い目を反らして見過ごした。
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 東條英機「原爆が、戦争の勝敗を決するだろう」
アメリカとドイツで、原爆製造計画が相当進んでいえる。もし、我々が遅れたら、戦争に負ける」
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 世界中の優秀な科学者で、原子力に興味を持たない者はなく、自分こそが夢の様なエネルギーを手に入れられると確信していた。
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 アメリカ聖書協会は、日本占領後ただちに日本での布教活動が出来るように、日本語版聖書の印刷に取り掛かった。
 宣教師らは、日本人を現人神天皇信仰という低俗な野蛮宗教から救い出し、偉大なる創造主の隣人愛信仰という崇高な普遍宗教に生まれ変わらせる事を、絶対神から与えられて神聖な使命として情熱を傾けた。
 狂信的キリスト教徒は、それに反した日本神道はもちろん日本文明や日本語など西洋キリスト教価値観にそぐわないもの全てを地上から抹消しようとした。
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 日本陸軍は、大飢饉が発生している河南省の被災民を救済するべく、大量の必要物資を運び込む為に軍事費を回した。
 河南省では、餓死や病死で息絶えた300万人以上の屍体が放置され、死線を彷徨う約500万人の中国人被災民が日本軍の救援物資を今や遅しと待っていた。
 日本軍は、邪魔をする抗日軍の攻撃を排除しながら被災地に医薬品や食糧などを届け、現地調達として各地だ三光作戦を実行し抵抗する中国人を虐殺した。
 飢餓地帯の中国人を、体が衰弱していたが無理矢理立たせて、医薬品や食糧を与え、賃金を支払って強制的に重労働をさせた。
 それが、時効無き、日本軍の戦争犯罪である。
 日本軍は、省内全ての飢餓民を救済する事は不可能と判断し、優先順位を人口の多い都市部を先に少ない農村部を後にすると決めた。
 都市部の飢餓民を救う為に、食糧の余裕のある農村部から強制的に食糧を挑発し、拒めば暴力を用いて奪った。
 日本軍は占領地の軍政として、都市の飢餓民に食糧を配給し、日本軍兵士には戦時食として代用食を食べさせた。
 農村部での餓死者は止まらなかったが、都市部での餓死者はでなかった。
 日本軍の戦争責任と人道的犯罪は、個々にある。
 中国共産党は、農村部をファシスト中国に渡さない為に、日本軍と密約を交わし手持ちの食糧を農村部に運び込んで支持層を拡大させた。
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 2014年3月29日 msn産経ニュース「強制連行提訴広がる 中国 河北省でも遺族ら44人[中国]
 【北京=矢板明夫】第二次大戦中に日本に「強制連行」され、過酷な労働を強いられたとして、河北省出身の中国人の元労働者とその遺族計44人が28日、日本企業、三菱マテリアルに損害賠償などを求める訴状を同省滄州市と衡水市の人民法院(地裁)にそれぞれ提出した。訴訟を支援する活動家によると、滄州市の裁判所に提訴した原告団は25人、衡水市の原告団は19人で構成される。
 被害者1人当たり120万元(約1970万円)の損害賠償と中国主要紙への謝罪広告掲載を求めている。同省唐山市の裁判所は26日、19人で構成される原告団から同内容の訴状を受け取っている。
 強制連行をめぐっては、北京市の裁判所が今月18日、日本企業を相手取った訴状を初めて受理した。中国国内で強制連行された元労働者は4万人いるとされ、対象企業の35社のうち、20社以上が現在も存続しているという。今後も各地で提訴の動きが広がりそうだ。」
4月2日 msn産経ニュース「「強制連行」また訴状提出 中国河北省、“中韓合同”慰霊祭も
 日中戦争時の強制連行をめぐり、損害賠償などを求め河北省高級人民法院に提訴に向かう生存者ら=2日、中国河北省石家荘市(共同)
 【石家荘=矢板明夫】先の大戦中、日本に「強制連行」された中国人労働者と遺族149人が2日、三菱マテリアル(旧三菱鉱業)を相手取り、総額2億2700万元(約38億円)の損害賠償などを求めて、河北省石家荘市内の河北省高級人民法院(高裁)に訴状を提出した。
 北京では3月、同社などを相手取った訴訟が地裁で受理された。訴状の提出を受けた高裁は、正式に受理するかどうかを今後検討する。「強制連行」をめぐる集団訴訟は北京のほか、唐山、衡水、滄州の河北省内各市で起こされているが、今回受理されれば最大の原告規模となる。
 今回の原告団は、被害者としての賠償請求に加え、韓国の裁判所で戦時徴用問題をめぐり日本企業に賠償を求めてきた韓国人弁護士や遺族、さらに尖閣諸島沖縄県石垣市)の中国領有を叫ぶ中国人反日活動家らを迎え、国や問題の枠を超えた反日連帯の動きを強めていることが特徴だ。
 原告団ら一行は2日、石家荘市内の公園で、「強制連行」をめぐる慰霊祭を開いた。これに先立つ1日夜には、同市内の飲食店で中韓の関係者約100人による交流会を開催した。
 関係者によると、韓国の対日訴訟関係者の訪中は中国の反日活動家の仲介で実現。韓国の最高裁は2012年、元徴用工らに「個人賠償請求権」を認める判断を打ち出しており、中国の原告団は韓国での経験に学びたいとしている。
 韓国の原告団代表の李煕子氏は、「韓国と中国の被害者が連携して、日本企業の賠償と謝罪を勝ち取るまで闘い続ける」とあいさつした。中国と韓国では、反日的な主張を掲げる団体や個人が多い中で、連帯や交流は少なかったという。
 中韓両国は、昨年から、伊藤博文元首相を暗殺した朝鮮人活動家、安重根の記念館をハルビンに開設するなど、歴史問題をめぐって対日共闘の動きが政府レベルで強まっていた。
 日本との協調関係を重視した胡錦濤時代までは、これらの反日団体の活動を原則的に禁止したが、最近になって「中国が戦争の被害者であること」を国内外にアピールしたい習指導部が、こうした団体の活動を支持したことが大きな原因だと指摘される。
 交流会や慰霊祭の実施、韓国側関係者の招待には多額の費用がかかったとみられるが、活動資金について中韓双方の関係者は「スポンサーがいる」と述べるにとどまった。」
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 アメリカ軍は、細菌戦争に備えて生物兵器の研究を行う為に、メリーランド州のフォートデトリック生物兵器研究所で開始した。
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 1月 仁科博士を中心に天然ウラン中のウラン235を熱拡散法で濃縮するニ号研究が開始された。
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 2月 ナチス・ドイツは、原爆開発に必要な重水を、ノルウェーのノシュク・ハイドロ発電所で生産していた。
 連合軍は、秘密工作員6名を送り込んで、発電所を破壊した。
 ヒトラーは、それ以前に、戦争中に原爆開発は不可能として計画を断念していた。
 ルーズベルトチャーチルは、原爆をドイツ人に向けて使用せず、日本人の上に落とす事に合意した。
 人種差別から、日本に対する原爆投下は決定していた。
 日本の原子力物理学者は、連合国がナチス・ドイツの原爆開発を阻止するべく攻撃を仕掛けたと予想した。
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 3月(昭和17年7月〜) 核物理学応用研究委員会(委員長・仁科芳雄)は、ウラン爆弾の開発は可能だが、日本の国力からして今の戦争中に完成させる事は無理との結論に達した。原子爆弾を完成させられるとすれば、莫大な財力と多くの労働力を持つアメリカであろうが、やはり今時大戦中は不可能との見解で一致した。
 仁科委員長は、原子力研究は個別にばらばらにやっていては成果が上げられないので、最初に手を上げた陸軍航空本部に窓口を一本化する様に要請した。
 海軍は、陸軍とは別に独自の原爆開発研究を始めるべく、各地の帝国大学や国立大学から優秀な科学者を集め始めた。
 アメリカは、ロスアラモス国立研究所を新設し、精製されたウラン235とプルトニウム239を用いた勉学開発を本格化した。
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 4月 中島飛行機の中島知久平は、日米の国力差から、時間の経過と共に日本は不利に追い込まれると認識していた。
 中島は、アメリカが重爆撃機で日本本土を空爆して来る前に、アメリカ本土を空爆できる大型爆撃機の開発を指示した。
 世にいう、Z計画である。
 秋。海軍は、戦局を挽回する為に新型空爆爆撃機開発を承認した。
 陸軍、技術研、空技廠、各民間航空機会社などもZ計画に参加し、名称を「富嶽」とした。
 意見の対立と必要物資の入手困難で、開発は思うように進まなかった。
 富嶽開発は、翌44年8月に中止と決定された。
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 5月 理研大河内正敏所長は、40年の陸軍航空本部長安田武雄中将からの「ウラン爆弾研究、製造の可能性について」の問い合わせに対し、仁科博士は一定の条件が満たされれば製造は可能であるとの回答を行った。
 陸軍航空本部は、東條陸相から開発予算の確約を取り付けるや、海軍に優秀な科学者を取られない為に理研を押さえ、理研が要求する研究者を戦場に送る事なく徴用した。
 陸軍の技術将校団は、東條陸相参謀総長の許可を得て、技術部の総力を挙げて極秘の原爆開発プロジェクトを本格始動させた。
 日本の悪弊である縦割り行政や縄張り組織で、原爆開発計画を知っていたのは技術将校のみで、作戦将校や補給将校などには子細の説明が為されなかった。
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 6月 仁科グループは、ウラニウム核分裂によるエネルギーの軍事利用についての可能性を示唆した報告書を、陸軍航空本部長に就任した安田武雄中将に提出した。(安田武雄『原子爆弾製造に関する研究の回顧』)
 陸軍による、原爆開発が本格化した。
 最高軍事機密は、情報漏洩を避ける為に機密を知る幹部将校は限定され、同じ陸軍部内でも他の部署には一切知らされなかった。
 機密予算は、大蔵省の審査を受け、国会で審議された正規の予算ではなく、不透明な機密費が当てられた。
 投じた研究予算は2,000万円で、現在の貨幣価格で300億円。
 当時のドルで換算すると、約500万ドルである。
 アメリカのマンハッタン計画予算は、約20億ドルである。

 東條英機陸相は、正式な最高軍事機密として原爆開発研究を承認し、開発に関する研究を理研仁科芳雄の科学研究室に依託した。
 仁科芳雄博士を中心とするチームは、ウランの生成と熱拡散法によるウランの濃縮研究を進めた。
 原子力研究は最先端科学分野だけに、東京帝国大学大阪帝国大学東北帝国大学の研究者・学者も原爆開発に参加した。
 同極秘情報は統帥権で守られ、軍上層部でも極一部の者しか知らない極秘計画であった。
 もし、閉鎖的統帥権がなければ、政府関係者にも知れ渡っていた事であろう。
 原爆開発情報は、政府や官僚の中に潜むアメリカやソ連への情報提供者によって国外に流失していた。
 理研と新興コンツェルン企業群は、軍部の全面協力を得て、資金と資材と人材を総動員して熱拡散法による「二号研究」を本格始動させた。
 原爆製造に必要なウラン鉱石を、福島県石川町と朝鮮の菊根鉱山から採掘する事とした。
 採掘を指揮した将校は、得意げに原爆の威力を動員した学生らに説明していた。
「マッチ箱程度の爆弾で、大都市を一瞬にして破壊できる」と。
 日本の貧弱な民族資本では原爆開発の資金は賄えなかったし、日本のみの単独開発も不可能であった。
 軍部としても、対米英戦争が迫る中で、乏しい軍事予算を原爆開発に優先的に廻すゆとりはなかった。
 それ以前に、原材料である良質の天然ウラン鉱石をユダヤ系国際資本に独占されていて、日本が入手する手段がなかった。
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 仁科研究室は、原爆開発は可能であるが、大戦中は不可能であるとの報告書を提出した。
 アメリカでも原爆開発を行っているが、巨額の開発費と大規模の工場群と大量の科学者・技術者が必要である為に、やはり大戦中には完成できないであろうと分析をした。
 首相兼陸相になっていた東條英機は、研究が無駄になる事がわかっていても、陸軍航空本部にできるだけの予算を工面して渡し、将来の為に原子力研究の続行を命じた。
 余談ながら。昭和天皇は、東條英機杉山元の両名から、陸軍内での原爆開発の経過報告を受けたと言われている。
 だが、原爆が大量殺戮の破壊力を持っている事を知るや、如何に勝利のためとはいえ無辜の民間人を大量に殺害する事に反対したという。
 民間人の大量虐殺は、「八紘一宇」の精神や「人種差別撤廃」や「共存共栄」という日本の大義に反するとして、原爆製造を許可しなかった。
 昭和天皇は、日本軍は銃を手にする敵軍と戦っているのであって、戦う意志のない非戦闘員や非力な女子供などの民間人と戦っているわけではないとの信念を持っていた。
 昭和天皇には、全ての国民が例外なく殺戮の対象となる総力戦を理解していたが、それでもなを敵味方に関係なく民間人の犠牲を最小限に留めたいという意志があった。
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 夏 東條首相は、航空本部総務課長川嶋虎之輔大佐に対し、原爆開発を他の研究開発よりも優先する様に命じ、必要な原爆開発予算を無条件で出す事を約束した。
 川嶋大佐は、航空総監兼航空本部長安田武雄中将と原爆開発の為の協議をした後、航空本部技術部長谷口初蔵を同行して理研仁科芳雄を訪れた。
 「幾らでも予算を出します。確かに物資は欠乏しているが、ご迷惑はお掛けしません。人手が足りなければ陸軍の方から人手を回します」
 仁科芳雄は、世界最先端の科学である原子力研究を続ける為に陸軍の申し出を受け、優秀な科学者を戦争で失わない為に軍部を利用して研究所内に集めた。そして、必要量の原料・ウラン鉱石の調達を依頼した。
 軍部は、学問の自由を制限して、人文科学や社会科学は不要学問であるとして学生を召集して戦場に送り出した。対して、理工系は国防に必要な重要学問として研究予算を与え、学生の召集を控えた。
 陸軍兵器行政本部の第8技術研究所(所長・田村宣武中将)は、東條首相の命令に従って、ウラン鉱石探しに協力した。
 陸軍中央部は、朝鮮・中国・南方の現地軍に対してウラン鉱石探しを命じた。
 前線の各部隊は、攻勢に出てきた連合軍との激しい戦闘の直中にいただけに、ウラン鉱石探しという悠長な命令を無視した。
 原爆開発班は、戦況が悪化する中で有望なウラン鉱山が見つからないのに業を煮やし、同盟国ナチス・ドイツからウラン鉱石2トンを譲り受ける事にした。
 ドイツ軍は、チェコスロバキアを占領し、鉱山からウラン鉱石を手に入れていた。
 ヒトラーは、一度は原爆開発を命じたが、莫大な予算と時間が掛かりるとして早々に中止を決定した。
 ハイゼンベルク「今次の戦争では原子爆弾はできない」
 ナチス・ドイツは、日本が原爆を開発しているらしいとの情報を得て、ウラン鉱石の引き渡しを拒否した。
 日本が原爆を開発する事を警戒して、これまで行ってきた核分裂研究の情報を教えなかった。
 日本側は、ウラン鉱譲渡を渋るナチス・ドイツを説き伏せ、ウラン鉱石2トンを渡す事を認めさせた。
 世界の優良なウラン鉱石を買い占めていたのは、ユダヤ系国際金融資本でった。
 ユダヤ系国際資本は、日本への原爆投下の為にウラン鉱石を提供していた。
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 軍国日本の敗北は、42年6月5日のミッドウェー海戦敗北からではなく、43年の暮れからである。
 アメリカ海軍は、大艦隊を編成して大反撃に出た。
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 8月 イギリスとアメリカは、開発した原爆を日本人の上に落とす密約「ケベック秘密協定」を結んだ。
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 11月26日 日本陸軍病院船ぶえのすあいれす丸は、ラバウルやココポから傷病兵約1,200人を乗せてパラオへ向かう途中のチンオン島近海で、B24爆撃機の攻撃を受けた。
 一発の爆弾が命中し、40分後に沈没した。
 乗務員達は、用意していた救命ボートに人々を乗せて脱出し、救助されるのを待ちながら漂流した。
 爆撃と漂流で、傷病兵65名、衛生班47名、船員40名、従軍看護婦10名、その他12名が死亡した。
 日本の新聞は、赤十字のマークを見える様に付けた病院船を攻撃したアメリカ軍に対して「鬼畜」と烈しく罵った。
 国民は、「鬼畜米英」を合い言葉とした。
 日本政府は、ジュネーブ条約違反であると抗議文を公表した。
 アメリカは、「病院船の標識である赤十字のマークが明瞭でなかった」として責任を避けた。
 アメリカの戦時国際法違反は、戦争犯罪として告発される事はない。
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 12月15日号 アサヒグラフ梅原龍三郎。『年々北京に行ってますが、その都度思うことは、数千年にわたる文化を滅ぼした民族の弱さということです。東洋文化の源流を成した誇りを捨て去った姿は哀れだと思うのです。それを思うと、私は日本に生まれたことを心から幸福だと思っています。われわれに出来る御奉公は、いい絵を描く以外にはない。』」
 戦後。左翼系画家が画壇は支配して、戦争画を戦争賛美として否定した。


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