✨12)─1─東條英機は原爆開発を命じた。アメリカ化学兵器部局のマスタードガス人体実験。ソ連スパイの対日占領基本方針案。1942年~No.38 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 昭和天皇は、平和を希望して戦争を避ける事を強く要望していた。
 戦争を望んだのは、ルーズベルトチャーチルであった。
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 平和への道が閉ざされ後は戦争しか残されていない時、自ら戦争を選び戦う事を決断した。
 日本人は、朝鮮人の様に「無様に」泣き叫びながら大地を転げ回って許しを請い国を消滅させる事も、中国人の様に「みっともなく」判断力を失い自暴自棄になり半狂乱となって凶暴化もしなかった。
 朝鮮人の様に「無気力のダメ人間」となって日韓併合を受け入れて国を消滅させる事も、中国人の様に「我利我利の亡者」となって同じ国民が殺し合って国を滅ぼす事も、日本人は拒絶した。
 軍国主義者や右翼・右派の国粋主義者に騙されたわけでもなく、誇大妄想に囚われ血に飢え狂気に陥って興奮したかでもなく、正常な判断で「我に正義あり」「我に道理あり」と確信をもって戦争を決断した。
 万に一つの望みを抱き、最後には勝利するという意気込みで、精神を高揚させた。
 そこには、絶望もなければ恐怖もなかった。
 当然、廃人となって死ぬ為の狂信的宗教も麻薬などの薬物も必要はなかった。
 軍部は戦争を始めるにあたって、本が好きでよく本を読んでいる国民を安心させる為に、日本と世界情勢を都合よく解釈し、「敵を過小に、味方を過大に」みせて宣伝した。
 悲観しやすい日本人を騙す為に、「日本は神国で不敗である」、「優秀な民族で負けるわけがない」、「神に守られて最後は神風が吹いて敵を一掃する」、などと脳天気な楽観主義で情報を操作した。
 日本社会は、軍部が流した日本に都合の良い楽観主義情報に包まれていた。
 つまり、戦争を始める前から大本営発表はすでに行われていた。
 高村光太郎「聴き行くうちにおのずから身うちがしまり、いつのまにか眼鏡がくもって来た。私はそおのままでいた。奉読が終わると、みな目がさめたように急に歩きはじめた。・・・頭の中が透きとおるような気がした。世界は一新せられた。時代はたった今大きく区切られた。昨日は遠い昔のようである。現在そのものは高められ確然たる軌道に乗り、純一深遠な意味を帯び、光を発し、いくらでもゆけるものとなった。・・・ハワイ真珠湾襲撃の戦果が報じられていた。戦艦二隻轟沈というような思いもかけぬ捷報(しょうほう)が、息をはずませたアナウンサーの声によって響きわたると、思わずなみ居る人達から拍手が起る。私は不覚にも落涙した」(『12月8日の記』)
 竹内好「歴史は作られた。世界は一夜にして変貌した。われらは目のあたりにそれを見た。感動に打顫え(うちふるえ)ながら、虹のように流れる一すじの光芒の行衛を見守った。胸にこみ上げてくる、名状しがたいある種の激発するものを感じ取ったのである。12月8日、宣戦の大詔が下った日、日本国民の決意は一つに燃えた」
 三好達治「ああその恫喝、ああその示威/ ああその経済封鎖/ ああそのABCD線/ 笑うべし 脂肪過多デモクラシー大統領が/ 飴よりなお甘かりけん 昨夜の魂胆のごとくは/ アメリカ太平洋艦隊は全滅せり!」
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 1942年 スペインの日本公使須磨彌吉郎は、スペイン人のアルカサール・ベラスコとスペイン軍情報部の協力をえて、諜報機関「東」を組織して連合国の情報を日本に送っていた。
 須磨公使は、44年にアメリカで諜報活動をしていた工作員から、アメリカ軍が新型爆弾の開発を進めているとの情報があり、1月26日付けで東京に暗号電報を打った。
 アメリカ軍情報部は、日本側の暗号を傍受し解読した。
 スペイン人工作員は、ロスアラモス研究所近くのラスベガスで消息が途絶えた。
 同じ頃。FBIによるアメリカでの敵国スパイ一斉摘発で、東機関の諜報活動は崩壊した。アメリカは、日本以上に国内のスパイ活動を厳しく監視し、たとえアメリカ市民でも容赦なく取り締まった。
 捕らえられたスパイは、民間人に化けたテロリスト・ゲリラ・便衣隊とされ、ジュネーブ条約による敵軍兵士捕虜としての保護を受ける事はなかった。
 その国の警察当局は、捕らえたスパイから敵情報を聞き出す為に非人道的拷問を行い、治療もせず留置で死亡させるか、裁判にかけられる事なく処刑する事が、戦時国際法で認められていた
 スパイが助かる方法は、本国を裏切り、友軍情報を敵にばらすして仲間を売り渡す事であった。
 日本軍による中国人便衣隊処刑は、ジュネーブ条約違反の戦争犯罪とされ、その罪で多くの日本軍兵士が戦犯として処刑された。
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 1942(〜45)年 アメリカの化学兵器部局は、4,000人の軍人に対してマスタードガスの実験を始めた。
 科学技術力を持った国は、例外なく、国際法を無視して極秘計画として毒ガスを研究・開発していた。 
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 2月 河合栄治郎「私は祖国日本を愛する。又私は平和を愛好する。……然(しか)し戦争を防止せんとすればとて、若(も)し日本が戦争に捲(ま)き込まれることが起これば、『一旦緩急あらば我々は財を捨て命を抛(なげう)たねばならない』と書いて、戦争勃発の後には、我々が祖国を防衛する義務があることを説いたのである。
 ……
 我々が之から荊棘(けいきょく)の道を歩むにつれて、我々の眼は幾度か天皇を仰視することがあろう。そしてそこに国民の結束が強められ、国民の前進が早められるであろう」(『国民に愬(うった)う』)
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 正月 仁科芳雄「(朝日新聞)もし戦争が済んで、蓋を開けてみた時、我が国の科学が著しく見劣りする様な事があったら、それは全く我々科学者の負うべき責任でって、罪を天下に陳謝するだけでは済まされぬであろう」
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 3月 バチカンは、中立の立場から、日本からの外交使節団を受け入れる事をワシントンに知らせ、理解を求めた。
 ルーズベルトは、バチカンの決定に不快であるとの書簡を送り、教皇庁駐在アメリカ大使に中止させるように説得する事を命じた。
 アメリカ・カトリック教会も、異教徒・昭和天皇使節団を受け入れる事は、中立の立場を損ねるとして反対した。
 ニューヨーク大司教スペルマンは、ルーズベルトの私的助言者として、ワシントンとバチカンの間を頻繁に往復した。さらに、チャーチルはもとよりナチス・ドイツのリッベントロップ外相とも会見した。
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 6月 ドノヴァン大佐は、中央情報機構(COI)を改組してOSS(戦略情報局)を組織した。人員、約1万7,000人。予算、約1億1,500万ドル。
 ナチス・ドイツや軍国日本と対抗する為に、親ソ連・親中国共産の方針から多くの共産主義者をこうさくいんとして採用した。
 6月3日 アメリカ陸軍心理戦争課ソルバート大佐と知日派系知識人(ソ連コミンテルン工作員)を中心としたアメリカ心理戦共同委員会は、対日心理戦略として『日本計画』を作成した。
 戦後の日本を占領支配するにあたり、排他的独善的軍国主義勢力を完全排除し、アメリカに隷属する立憲君主制資本主義で改造する工程表を作成した。
 『日本計画』(加藤哲朗訳)
「(政策目標達成の為の宣伝目的)
 1、日本人に、彼等の政府や日本国内のその他合法的情報源の公式の言明への不信を増大させる事。
 2、日本とアメリカとの間に、戦争行為の文明的基準を保持する事。
 3、日本の民衆に、彼等の現在の政府は彼等の利益に役に立っていないと確信させ、普通の人々が政府の敗北が彼等自身の敗北であるとみなさない様にする事。
 4、日本の指導者と民衆に、永続的勝利は達成できない事、日本は他のアジア民衆の必要な援助を得る事も保持する事も出来ない事を、確信させる事。
 5、日本の諸階級・諸団体間の亀裂を促す事。
 6、内部の反逆、破壊活動、日本国内のマイノリティー集団による暴力事件・隠密事件への不安を?き立て、それによって、日本人のスパイ活動対策の負担を増大させる事。
 7、日本の現在の経済的困難を利用し、戦争継続による日本経済の悪化を強調する事。
 ……
 (以下の点を考慮して、日本社会の秩序を混乱させ、日本社会を根底から崩壊させる)
 第一に、急進派すなわち過去の労働者への『プロレタリア的』影響力、読書会、学生運動経験者などで、『ロシアに近い事、日本の政治体制の後進性』が、この恐怖を強める。
 第二に、インテリ知識人、教授達は、帝国大学においてさえ、権力者達の目ると大いに疑わしい。あらゆる類の専門家達、とりわけ海外生活経験者達は、意図的であれ偶発的であれ、排外主義者に敵対しがちであると疑われている。
 第三に、朝鮮人、教育を受けたほとんどの朝鮮人は日本語を話す。話さなければならない。日本にも多数住んでいるが、同化されていない。
 第四に、『エタ』即ち被差別部落民。『エタ』は日本における不可触賤民である。人種的には他の日本人と区別できない。彼等は、日本においてアメリカにおける黒人に比すべき位置にある。」
 OSS工作員ジョン・エマーソンは、延安に赴き、中国共産党軍に大量の軍需物資を運び続けた。さらに、日本共産党野坂参三と日本占領と日本改造に関して意見交換を行い、野坂参三の二段階共産主義革命論をもとに「延安報告」をまとめた。
 後日。エマーソンの「延安報告」は、国務省内の極東小委員会に提出された。
 極東委員会は、小委員会の提言に従い、日本改革案をGHQに指示した。
 OSSは、『日本計画』に従って、ソ連工作員と協力して、日本を共産主義化する為に日本社会を混乱させる為の謀略を行った。
 天皇と軍部、政府と国民などの団結を寸断して乖離させ、民族間の信頼を打ち砕いて不信を植え付け、全ての階層で対立を煽って連帯を消滅させる為に、偽情報を流して相互間の憎悪を増大させるべく工作を行った。
 民族的「絆」の根底にある単一民族神話を打ち砕くべく、日本人の共産主義者社会主義者らの協力を得て、朝鮮人アイヌ人などのマイノリティー集団、エタや非人などの不可触賤民を、権利を主張し勝ち取る勇敢なプロレタリア闘士として育て上げようとした。
 ソ連コミンテルンの指示に従う、日本共産党天皇制度即時打倒を避けた。
 初期段階では軍国主義体制を崩壊させる為に天皇の存在を利用し、最終段階で日本人自らが民主主義の大義天皇制度を消滅させるという、日本新生計画を打ち出した。
 世にいうところの、「二段階共産主義革命」構想である。
 OSSは、当面は天皇制度を日本の象徴として温存させて日本を改造するという、対日占領計画に従ってプロパガンダ戦略を行った。
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 7月(〜43年3月) 海軍は、東京の水交社で、仁科芳雄博士を委員長とする核物理応用研究委員会を開いて原爆開発が可能かどうかの討論を行った。
 委員会は、原爆製造には莫大な予算と優秀な人材と大量の資材が必要として、日本の国力では無理であり、アメリカでも作れないとの結論に達した。
 一部の委員は、公言しなかったが、アメリカならば完成させるかも知れないと考えていた。
 仁科は、原子力開発について、海軍側に「陸軍航空本部からも色々言ってくる。窓口は一本にして欲しい」と希望を述べた。
 東條首相兼陸相は、仁科の「一本化要請」を受け、理研での原爆開発研究を陸軍が独占する事を決断した。
 海軍は、陸軍への対抗心から理研の仁科研究室を諦め、秘密保持の為に別の研究室を探した。
 陸軍兵器行政本部の下部組織である東京陸軍第二造兵廠(東二造)は、独自に原爆開発調査を開始した。国内外で、ウラン鉱石の埋蔵が期待される地域を調べた。
 所属の技術将校は、他の部署に知られない様に極秘で理研の原子物理学者に接近して製造の可能性を探った。
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 春 艦隊本部の技術将校は、京都帝国大学物理学教室の荒勝文策教室と「原子爆弾の可能性について」の研究会を始めた。
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 8月 ルーズベルトは、原爆開発研究の「マンハッタン計画」を始めた。
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 9月14日 知日派ライシャワーは、陸軍省次官に、「戦後日本支配の為にヒロヒト天皇を戦犯として処分せず、天皇を廃絶せず利用し、傀儡政権を設立して、アメリカの国益の為に操縦するべきである」との、『傀儡天皇構想』を提言した。
 アメリカ軍は、天皇を利用する事を前提とした対日占領政策の検討に入り、日本専門家を総動員して研究を始めた。
 対日占領計画立案の指導的立場に立ったのは、ドイツから亡命したマルクス主義ユダヤ人集団のフランクフルト学派といわれている。
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 アメリカ陸軍情報部は、アメリカ国内に潜むソ連スパイがソ連コミンテルンとやり取りしている秘密暗号通信を傍受し解読して記録していた。後年、1995年に国家安全保安局は「ヴェノナ文書」として公開した。
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 11月9日 国務省顧問S・ホーンベック博士は、日本を軍事占領した際、天皇天皇制度に関するアメリカの基本方針をどうするべきかを、国務省極東課に検討するよう要請した。
 参考資料として、アメリ共産党関連団体が発行するアジア専門誌『アメラシア』10月25日号に掲載されたノースウェスタン大学政治学部長のケネス・コールグローブ教授とケイト・L・ミッチェル女史の論文を勧めた。
 『アメラシア』誌編集委員のトーマス・ビッソンは、ソ連のスパイであった。
 コールグローブ論文「もし天皇が、(政府・国会と軍部という)二重政治体制とともに存置されるならば、再び軍国主義の脅威が生じるだけであり、またもや次の大戦を招来する事になる」 
 ミッチェル女史は、ソ連のスパイで、1945年3月にスパイ容疑で逮捕され、調書でソ連コミンテルンの指示に従った動機を告白した。
 「多くの日本問題研究者は、日本における天皇制存置は政治上の民主主義の発展と相容れないものであり、今日、日本の政策を支配している侵略的帝国主義的野心の再現を必然的にもたらす事になると信じている」
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 ソ連コミンテルンは、日本で、ロシア皇帝一家処刑と皇帝派一掃の暴力的共産主義革命を起こすべくルーズベルト民主党政権内部や政府高官のスパイや協力者を動員していた。
 1932年テーゼ「日本において1868(明治元)年以後に成立した絶対君主制は、その政策は幾多の変化を見たにもかかわず、無制限の権力をその掌中に維持し、勤労者に対する抑圧及び専横支配の為の官僚機構を間断なく作り上げてきた」
 国務省内の知日派は、軍国日本が日中戦争を始めたのは、中国人暴徒による第1回南京事件、済南虐殺事件、通州虐殺事件などへの報復戦であり、朝鮮人テロリストによる昭和天皇暗殺未遂事件に対する懲罰戦である事を知っていたが、国民世論が真珠湾騙し討ちに激怒して真実を語っても聞き入れられないどころか命の危険がある為に沈黙していた。
 そして、軍国日本が、約2000年間、祖先から受け継がれてきた伝統文化である天皇制度(国體)を守る為ならば屍体を積み上げる覚悟で、最後まで戦う事も分かっていた。
 日本民族日本人の心情をホワイト・ハウスやワシントンで説明しようとしても、親中国反日強硬派のルーズベルト大統領が拒否する事が分かっていた。
 ウィルソン大統領の理想的リベラル主義を受け継ぐルーズベルトは、中国を救う為に日本を排除するべくソ連共産主義勢力と手を握り、ソ連コミンテルンが目指している日本の共産主義化計画を黙認していた。
 共産主義者によって日本で革命が起き、昭和天皇とその一族が処刑されようと、天皇制度が廃絶されようとも、アメリカが理想とする世界が実現するのならば必要悪として容認した。
 それが、アメリカ・リベラル派の伝統外交であった。
 戦後の対日占領政策基本方針草案は、ソ連コミンテルンの「天皇制度廃絶」が組み込まれた。
 ルーズベルト批判の保守派は、世論を説得するほどの政治力はなく沈黙していた。
 アメリカにおいて、合衆国大統領の決定を覆す事は不可能であった。
 アメリカ大統領は、日本の天皇以上の絶対的権限を持ち、相手国を討ち滅ぼし属国か植民地にする事ができた。
 アメリカは、軍国日本ほど酷くはなかったが表現の自由は制限さ、大本営発表ほど強制力はなかったが情報を操作していた。
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 ビッソンは、太平洋問題調査会(IPR)の機関誌『パシフィック・アフェアーズ』1944年3月号に論文を掲載した。
 太平洋問題調査会は、ワシントンの対日政策に大きな影響力を持つシンクタンクであり、ソ連コミンテルンのスパイが多数入り込んでいた。
 「日本国民が天皇に叛き、天皇を退位させるならば、その行為は賞讃され、支持されなければならない。もしも彼らがそうしないのならば、彼らが必ず黙従すると考えられる根拠があり次第、彼らに代わってただちにその措置をとらなければならない。……
 深部からの革命による以外には、一夜にして成果をもたらされる事はできないであろう」
 ソ連コミンテルンが日本での共産主義革命を成功させる為に必要とした革命闘士は、虐げられた日本人民であって、天皇制度を死守しようとする日本民族ではなかった。
 よって、共産主義大義の為に日本民族日本人を抹殺しようとしていた。
 日本共産党は、ソ連コミンテルンの指示に従い、「絶対主義的天皇制度」を打倒するべく「対外戦争を内戦、敗戦革命」を目指していた。
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 1945年10月16日 バーンズ国務長官は、日本の占領軍最高司令部の政治顧問ジョージ・アチソンに書簡を送った。
 1946年1月7日 アメリカのSWNCC(国務省陸軍省海軍省の調整委員会・スワンク)は、占領軍最高司令部に対して日本の新憲法制定への指針を書いた書簡「SWNCC228指令」を送った。
 「これまでの天皇制は民主主義や国民の自由意志の原則とは整合しない」として、天皇・皇室は残すが、天皇制度は廃絶させると決定した。
 アメリカの知日派は、天皇制度を廃絶すると、日本は民族国家として保てなくなるし、対日占領政策も破綻すると危機感を抱き、天皇制度を残す新憲法制定を急いだ。
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 マッカーサー・ノート「国家の主権としての戦争は廃止される。日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を保有することは、将来も許可されることがなく、日本軍に交戦権が与えられることもない」
 憲法制定権力を持つマッカーサーの自由な意志と決断によって、新しい憲法日本国憲法として成立を命じた。
 日本国憲法制定に於いて、日本国と日本国民の意思は完全無視されていた。
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 ビッソンは、対日強硬派極東委員会の「天皇制度廃絶」方針を実現させるべく1946年6月に民政局顧問として来日し、7月11日に上司の民政局長ホイットニー准将に「憲法草案の日本文と英文の相違」と題する覚書を提出した。
 (要旨)「帝国憲法改正案の第一条は、英文では明らかに『天皇は地位は人民の主権的意思より生ずる』と述べている。しかし、日本語では『天皇の地位は、日本国民の至郄の総意に基く』となっていて、『主権』は『至高』に変えられてしまっている。
 第4条では、天皇は『政治に関する権能を有しない』と述べている。しかし日本語訳によれば、天皇は国務に関する機能を行使できることになっている。
 よって、日本人民の自由に表明された意思に基づく真に民主的な政府への道を切り開くよう、条文が改正される事が絶対に必要である」
 民政局次長ケーディス大佐は、日本政府に対して、「国民主権」と「天皇の機能制限」を受け入れる様に強圧的に要請した。
 日本共産党は、将来、日本国民の総意で天皇制度を廃絶できる様に「国民に主権がある」と新憲法に書き込む様に強く要求した。
 幣原喜重郎首相、吉田茂外相、白洲次郎らは、共産主義勢力の反天皇反日的動きを警戒したが、昭和天皇天皇制度維持と日本国存続を最優先として強制的占領憲法の受入れる意向であった為に書き換えに同意した。
 天皇制度・国體を護持しようとした保守派は、主権を、日本国籍を持った日本民族日本国民として、日本国内に居住する全ての人民とする事に断固として抵抗した。
 居住する全ての人民を無条件で国民とすれば、日本民族日本人ではなく、反天皇反日的な朝鮮人、台湾人、中国人をも含める事になり、参政権など日本国民同様の権利を与える事になるからである。 
 日本国民を、日本天皇を崇敬して守護し、日本国家に忠誠を誓い戦う事を最低条件とする事を守ろうとしたが、自分を守ろうとする行為一切を第九条で完全否定された。
 昭和天皇と日本政府は、少しでも日本民族国家を守るべく、対日占領基本方針である日本国憲法の条文交渉を行った。
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 ソ連コミンテルン中国共産党日本共産党など共産主義勢力らによの日本民族国家破壊という攻撃は、昭和天皇の叡知による深慮な行動で危うい所を防がれた。
 もし、日本が共産主義化されていたら、スターリンの大虐殺、毛沢東の大虐殺、金日成の大虐殺と同じ様な悲惨な大虐殺が日本でも起きていた。
 共産主義は、死を好み、虐殺で屍体の山を築き血の海を作る。
 死と暴力による恐怖体制を築く為に、邪魔な天皇制度を廃絶しようとした。
 共産主義が、天皇制度を憎むのはその為である。
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 天皇制度・国體は、日本国と日本民族日本人を国内外の敵から守る為に存在していた。
 そして、靖国神社
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 昭和天皇が、世界で最悪な君主として怨嗟の声が絶えないのはこの為である。
 そして、靖国神社も。
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 天皇の戦争責任を糾弾する声も、絶える事がない。
 そして、靖国神社も。
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 天皇の戦争責任は、昭和天皇だけではなく、過去の明治天皇大正天皇から現在に今上天皇と将来の天皇まで、万世一系の皇統を受け継ぐ現皇室が存在する限り許される事がない、未来永劫の十字架である。
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 昭和天皇が命に代えて守ろうとしたのは、日本国民の命と日本民族の存続と神代から受け継がれた万世一系の血筋・皇統であった。
 万世一系の血筋・皇統の象徴が、祖先崇拝の伊勢神宮三種の神器である。
 伊勢神宮の祖先崇拝と三種の神器を正統に受け継げるのは、天孫降臨神話(日本中心神話)による万世一系の血筋・皇統のみである。
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 「日本国憲法」の奥底には、人民による自由と民主主義というアメリカ合衆国の建国精神ではなく、ソ連コミンテルンの「国民の総意」で天皇制度を廃絶し共産主義革命を起こすという強い意思が組み込まれている。
 それは、戦後の「皇室典範」にも見えない形で存在する。
 それ故に、護憲運動や第九条守る団体などの反民族派日本人らは、異常な熱意を持って憲法改正に猛反対している。
  彼らは同時に、天皇制度の廃絶をも訴えている。
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 日本国憲法草案は、8月24日に衆議院で修正可決し、10月6日に貴族院でも修正可決された。
 日本国憲法は、11月3日に公布され、翌1947年5月3日に施行された。
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 日本が武装を廃棄し如何なる戦争行為も放棄し無防備となる事を臨んだのは、アメリカではなく、ソ連(ロシア)と中国(中国共産党)であった。
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 日本共産党野坂参三は、侵略戦争自衛戦争を区別し、侵略戦争を放棄して自衛戦争を擁護した。
 吉田茂外相は、戦争の多くは自衛の下で遂行されるのであるから、国家正当防衛権による戦争を認める事は有害であるとして、自衛権の発動しての自衛戦争まで否定した。
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 第一章 天皇
 第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
 第二条  皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
 第三条  天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
 第四条  天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。






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