🌏30)─1─教育勅語。教育ニ関スル勅語。修身教育。道徳教育は道徳を持たない人間にする教育である。1890年~No.88 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 明治天皇は、国民に対して上から「道徳」を強制したのではなく、同じ立場として「私も国民の皆さんと共に「道徳」を実践して身に付ける事を切に願っていいます、とお願いしたのである。
 日本皇室・天皇家は、古今東西に存在した如何なる皇帝・国王・酋長・部族長などの専制君主とは根本的に異なる。
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 教育勅語は、日本の道徳ではなく儒教の道徳である。
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 教育勅語が作られたのは、人心が乱れ、世の中が混乱し、国の崩壊が危ぶまれたからである。
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 道徳・良心・精神の教育は、それを持たない人間にする教育である。
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 道徳・良心・精神を持たなかった心荒んだ日本人は、教育勅語で、軍国主義者ではなく真っ当な人間となった。
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 『教育勅語』(正式名「教育ニ関スル勅語」)
 発布: 明治23(1890)年10月30日
 底本: 『官報』、明治23年10月31日
 繁育ニ關スル勅語
 朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ繁育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
 明治二十三年十月三十日
 御名御璽
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 教育勅語の読みである。(出展は明治神宮のサイト)
 朕(ちん)惟(おも)フ(う)ニ 我(わ)カ(が)皇祖(こうそ)皇宗(こうそう) 國(くに)ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ 紱(とく)ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ
我(わ)カ(が)臣民(しんみん) 克(よ)ク忠(ちゅう)ニ 克(よ)ク孝(こう)ニ 億兆(おくちょう)心(こころ)ヲ一(いつ)ニシテ 世(よ)世(よ)厥(そ)ノ美(び)ヲ濟(な)セルハ 此(こ)レ我(わ)カ(が)國體(こくたい)ノ精華(せいか)ニシテ 教育(きょういく)ノ淵源(えんげん)亦(また)實(じつ)ニ此(ここ)ニ存(そん)ス
 爾(なんじ)臣民(しんみん) 父母(ふぼ)ニ孝(こう)ニ 兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ 夫婦(ふうふ)相(あい)和(わ)シ 朋友(ほうゆう)相(あい)信(しん)シ(じ) 恭儉(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ 博愛(はくあい)衆(しゅう)ニ及(およ)ホ(ぼ)シ 學(がく)ヲ修(おさ)メ 業(ぎょう)ヲ習(なら)ヒ(い) 以(もっ)テ智能(ちのう)ヲ啓發(けいはつ)シ 紱噐(とくき)ヲ成就(じょうじゅ)シ 進(すすん)テ(で)公益(こうえき)ヲ廣(ひろ)メ 世務(せいむ)ヲ開(ひら)キ 常(つね)ニ國憲(こくけん)ヲ重(おもん)シ(じ) 國法(こくほう)ニ遵(したが)ヒ(い) 一旦(いったん)緩急(かんきゅう)アレハ(ば) 義勇(ぎゆう)公(こう)ニ奉(ほう)シ(じ) 以(もっ)テ天壤(てんじょう)無窮(むきゅう)ノ皇運(こううん)ヲ扶翼(ふよく)スヘ(べ)シ 是(かく)ノ如(ごと)キハ 獨(ひと)リ朕(ちん)カ(が)忠良(ちゅうりょう)ノ臣民(しんみん)タルノミナラス(ず) 又(また)以(もっ)テ爾(なんじ)祖先(そせん)ノ遺風(いふう)ヲ顯彰(けんしょう)スルニ足(た)ラン
 斯(こ)ノ道(みち)ハ 實(じつ)ニ我(わ)カ(が)皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)ノ遺訓(いくん)ニシテ 子孫(しそん)臣民(しんみん)ノ倶(とも)ニ遵守(じゅんしゅ)スヘ(べ)キ所(ところ) 之(これ)ヲ古今(ここん)ニ通(つう)シ(じ)テ謬(あやま)ラス(ず) 之(これ)ヲ中外(ちゅうがい)ニ施(ほどこ)シテ悖(もと)ラス(ず) 朕(ちん)爾(なんじ)臣民(しんみん)ト倶(とも)ニ 拳拳(けんけん)服膺(ふくよう)シテ 咸(みな)其(その)紱(とく)ヲ一(いつ)ニセンコトヲ庶(こい)幾(ねが)フ(う)
 明治二十三年十月三十日
 御名(ぎょめい) 御璽(ぎょじ) 
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教育勅語の口語文訳】
 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
 国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
 このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
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 1,父母ニ孝(こう)ニ ・ 親(父と母)や先祖を大切にしましょう
 2,兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ ・ 兄弟(姉妹)仲良くしましょう
 3,夫婦相和(あいわ)シ ・ 夫婦はいつまでも仲むつまじくしましょう
 4,朋友相信(ほうゆう)ジ ・ 友達(男女)はお互いに信じあいましょう
 5,恭倹(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ ・ 自分の言動を慎みましょう
 6,博愛衆(しゅう)ニ及ボシ ・ 広くすべての人に愛の手をさしのべましょう
 7,学ヲ修メ業(ぎょう)ヲ習ヒ ・ 勉強にはげみ技能を身につけましょう
 8,智能ヲ啓発シ ・ 知徳を養い才能を伸ばしましょう
 9,徳器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ ・ 人格の向上につとめましょう
 10,公益(こうえき)ヲ広メ、政務(せいむ)ヲ ・ 開キ広く世の人々や社会のために つくしましょう
 11,國憲ヲ重(おもん)ジ、國法ニ遵(したが)ヒ ・ 規則に従い社会の秩序を守りま しょう
 12,一旦緩急(かんきゅう)アレバ、義勇公(こう)ニ奉(ほう)ジ ・ 勇気をもって 世のためにつくしましょう
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 日本の歴史とは、日本民族の歴史であり、皇室・天皇家を中心とした歴史である。
 日本民族日本人は、中華皇帝を中心とした中華文化圏から皇室・天皇家を命に代えても守るべき国の御柱として戦ってきた。
 日本の歴史から皇室・天皇家をなくしたら、そこには何もなくなる。
 もし在るとすれば、生きているのか死んでいるのか、心を持っているのか持っていないのか、意識があるのかないのか、見た目は人の形しているが中身がない得体の知れない薄気味悪い生命体である。
 それが、反天皇反日的日本人の事である。
 日本民族日本人と皇室・天皇家は一体であるが、日本民族日本人ではないと主張する非民族系日本人は皇室・天皇家とは無関係である。
 ただし、多人種多民族で雑種混血の日本民族日本人である以上、外国出身者であっても皇道に念いを馳せれ日本の自然・気候風土・文化風習・人情=心情を愛すれば日本民族日本人の一員として受け入れた。
 その対極にいるのが、反天皇反日的日本人である。
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 日本民族日本人は、父母・祖父母・曾祖父母と続く祖先を大事にし、神として崇め祀り奉る。
 日本民族日本人の宗教とは、祖先神・氏神の人神信仰である。
 祖先神・氏神の人神信仰の手本が、皇室祭祀・宮中祭祀である。
 反天皇反日的日本人は、祖先神・氏神の人神信仰を否定する者である。
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 日本人とは、
 善くも悪くも、歴史という連続性の中に属性がある。
 全ての祖先が、志を以て生き抜き、命を子孫に残したから今の日本人が存在する。
 祖先が置かれた状況下で、あらん限りの努力をして、幾つものの犠牲を払ったお陰で今の日本人がある。
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 日本民族は、雑種民族混血児である。
 日本人とは、たまたま日本列島に移り住んだ人間の総称にすぎない。 
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 昔は、10代で結婚し、25歳までには子供を生んでいた。
 一世代25年として、100年で4世代が交代した。
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 祖先神・氏神の人神信仰とは、純血の血縁ではなく、混血の地縁である。
 一人の日本人には、二人の両親がいた。二人の親には、四人の祖父母がいた。四人の祖父母には、八人の曾父母がいた。
 14世代前では、8,192人。
 23世代前には、419万4,304人。
 25世代前では、1,677万人。
 27世代前では、1億3,422万人。
 だいたい約700年前の鎌倉時代で、当時の日本の総人口は700万人から1,000万人。 
 30世代前には、5億3,687万912人。
 40世代前には、5,497億5,581万3,888人。
 50世代前には、562兆9,499億5,342万1,312人。
 100世代前の、祖先の人数は?
 指数関数的な増加。
  

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