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後期水戸学は、江戸時代後期に起きた日本に対するロシアの軍事侵略とキリスト教の宗教侵略に対する脅威・恐怖から日本国・天皇・民族を守る為に、皇国史観を新たに作り、好戦思想・愛国思想、軍国主義・愛国主義を生み出し広めた。
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2023年6月1日6:33 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「日本は神の国である!」と言われるようになったワケ
「戦前」とは何だったのか。
神武天皇、教育勅語、万世一系、八紘一宇……。右派も左派も誤解している「戦前日本」の本当の姿とは何なのか。
【写真】日本人が知らない本当の戦前…右派も左派も誤解している戦前日本の姿
本記事では、近現代史研究者である辻田真佐憲氏が、「万世一系」についてまずは教育勅語から、くわしく解き明かす。
※本記事は辻田真佐憲『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』から抜粋・編集したものです。
中国に学んだ末の「神の国」
大日本は神国なり。
南北朝時代の公家、北畠親房は『神皇正統記』をこのように書き起こし、その理由を続けた。
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天祖(あまつみおや)はじめて基(もとい)をひらき、日神(ひのかみ)ながく統を伝へ給ふ。我国のみ此事あり。異朝には其たぐひなし。此故に神国といふなり。
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日本は、アマテラス(天照大神、日神)の直系である神武天皇の子孫によってずっと統治されている。他国では途中で王朝が断絶しているため、そのような例はない。それゆえに、日本は神の国である。
天皇が神の子孫だからという単純な論理ではない。これは、中国の思想を学び、内面化したことで、ついにみずからは中国よりも優れていると結論づけた、歪んだ自意識だった。
中国には、易姓革命という考え方がある。中国の王朝は、天命を受けた家系によって統治される。ただ、無道な君主があらわれて民を苦しめると、天命は別の家系に移る。すると、現王朝が終わりを迎えて、新王朝が開かれる。すなわち、天「命」が「革(あらた)」まり、君主一族の「姓」が「易(か)」わる。
つぎつぎに起こる王朝交代を理論付け、新王朝の支配を正当化するロジックだった(天命があらたまらないうちは、臣下は現王朝を支えなければならない)。
日本人はこの論理を学び、ふと気づいた。ならば、一度たりとも王朝が変わっていない日本はどうなのか。天皇家は、善政を敷きつづけた高徳の家系であり、天皇家をいただく日本は、世界一の高徳の国ではないか──。
このような考えはけっして、日本人の独りよがりでもなかった。
宋の太宗は、日本人の学僧奝然(ちょうねん)に面会したおり、日本について「島夷」にすぎないのに「古の道」を実践していると嘆息したと『宋史』に記されている。
また、中国の代表的な古典『孟子』は、易姓革命を肯定するがゆえに、日本に運ぼうとするとかならず船が難破するともいわれた。上田秋成の『雨月物語』の記述が有名だが、元ネタは明末の随筆『五雑組(ござっそ)』である。
ひとつの家系が絶えずに永遠につづく──すなわち、万世一系。
ここに大きな意味を見出したのが幕末の後期水戸学であり、これを引き継いだ明治の教育勅語であり、昭和の『国体の本義』であった。
現在でも、右派が男系男子にこだわり、選択的夫婦別姓に反対する理由もここに関わっている。『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』第2章ではその思想的系譜をたどってみたい。
教育勅語の核心は「取り戻すべき」?
今回はまず、教育勅語より筆を起こしたい。
教育勅語は、明治天皇より1890(明治23)年10月に下された、教育の基本理念である。帝国議会の開院を控えて、日本固有の倫理観を示し、無軌道な自由民権運動を抑制するため、法制局長官の井上毅と枢密顧問官の元田永孚(もとだながざね)によって起草された。小学校の儀式では校長によってうやうやしく読み上げられるなど、一種聖典のように慎重丁寧に扱われた。
教育勅語は、敗戦後の1948(昭和23)年、衆議院で排除、参議院で失効確認の決議が行われた。にもかかわらず、現在でもしばしば話題にのぼるのは、政治家などのあいだから、その普遍性や復権を訴える声が絶えないからだ。
近いところでは、2017(平成29)年、稲田朋美防衛相が国会質疑で、教育勅語の核の部分は「取り戻すべき」だと述べ、その核の部分として「日本が道義国家を目指すべきである、そして親孝行ですとか友達を大切にするとか」をあげた。
また2018(平成30)年、柴山昌彦文科相が記者会見で、「現代風にアレンジすれば道徳の授業などに使える分野が十分にある」として、やはり教育勅語を部分的に肯定した。
このような部分的肯定論は、首相経験者だけでも、吉田茂、池田勇人、田中角栄、中曽根康弘、森喜朗、麻生太郎などによって繰り返し述べられており、けっして珍しいものではない。
教育勅語の喪失が、社会の荒廃と結び付けられることもしばしばある。安倍晋三のブレーンのひとりと報道されたこともある、政治活動家の伊藤哲夫はその著書『教育勅語の真実』でこう述べている。
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かくして(引用者註、教育勅語の喪失により)日本社会の美質は年を経るごとに力を失っていき、老人の孤独死や親殺し・子殺し、若者のニートや引きこもり、教育現場の混乱、子供たちの方向性喪失、モラルなき政治の横行など、今日の殺伐とした社会が出現していったといえるでしょう。
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そんな単純な──と思うかもしれないが、こういう主張は戦後絶えず行われてきたのである。
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さらに【つづき】「実は「歪んだ解釈」をされている教育勅語…日本人が知らない「本当の」教育勅語の世界観」では、教育勅語の世界観にふみこんでいく。
辻田 真佐憲(文筆家)
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6月1日 「日本の思想 実は「歪んだ解釈」をされている教育勅語…日本人が知らない「本当の」教育勅語の世界観
辻田 真佐憲文筆家 近現代史研究者プロフィール
「戦前」とは何だったのか。
神武天皇、教育勅語、万世一系、八紘一宇……。右派も左派も誤解している「戦前日本」の本当の姿とは何なのか。
本記事では、前編『日本は「神の国」である!と言われるようになったワケ』にひきつづき、教育勅語についてくわしくみていく。
※本記事は辻田真佐憲『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』から抜粋・編集したものです。
歪められた教育勅語
教育勅語については、戦後の日本人にも受け入れやすいように、原義を歪めた「現代語訳」も広く出回っている。もっとも有名なのが「国民道徳協会訳文」といわれるものだ。稲田のいう「道義国家」という表現もここに出てくるため、同じものを参照した可能性が高い。
同訳文は、新聞記者を経て衆議院議員になり、第一次池田勇人内閣で官房副長官などを務めた佐々木盛雄という政治家によって作成された。下に全文を掲げよう。
「私は、私たちの祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現を目指して日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を完うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物と言わねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、兄弟・姉妹はたがいに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、智識を養い、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心をささげて、国の平和と、安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく、また、私たちの祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、更にいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私たち子孫の守らなければならないところであるとともに、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんとともに、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。」
なるほど、かなりわかりやすいし、現在にも通じるような内容ではある。しかし、根本的に教育勅語を読み違えている。
このような解釈が出回るのは、教育勅語の原文が解説なしでは済まないからだ。たしかに、その内容はむずかしい。ただ、背後にある構造を把握しておけば、けっして手強いものではない。
「国体の精華」のための「忠孝の四角形」
ではその構造とはなにか。筆者はこれを、「忠孝の四角形」と名付けたい。
この四角形は、天皇の祖先、当代の天皇、臣民の祖先、当代の臣民の四者で構成される。そしてこの四者が、忠と孝という価値観で固く結びつく。忠とは、君主にたいする臣民のまことであり、孝とは、父にたいする子のまことである。
これを図示するとつぎのようになる。(図1)
図1
歴代の臣民は、歴代の天皇に忠を尽くしてきた。当代の臣民も、当代の天皇に忠を尽くしている。これが縦の軸だ。また、これまでの臣民はみずからの祖先にたいして孝を尽くしている。当代の天皇もまた過去の天皇に孝を尽くしている。これが横の軸だ。
このような忠孝の四角形は、日本にしか永続していない。少なくとも、それが教育勅語の世界観だった。
ほかの国では、君主が倒され、臣民が新しい君主になっており、忠が崩壊している。それはまた、そのときどきの君主が徳政を行わず、結果的に祖先から引き継いだ王朝を滅ぼしたという点で、孝も果たせていない。ところが、日本は忠孝がしっかりしているので、万世一系が保たれているというのである。
このような忠孝の四角形が崩れず、万世一系が保たれていることを、教育勅語は「国体の精華」と呼ぶ。つまり、日本の国柄のもっともすばらしい部分ということだ。そして教育を行うにあたっても、この「国体の精華」にもとづかなければならないという。
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本記事の抜粋元『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』では、ではさらに、明治維新から大東亜戦争まで、日本の神話がどのように利用されてきたのかを解説しながら、それに関連するエピソードを紹介している。
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