🌈10)─2・A─知性とは「立ち直る力」である【世界を驚嘆させた「森の科学者」が語る】〜No.20 

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 日本民族の祖先は、森の民である縄文人(日本土人)であった。
 縄文人は、海の民(ヤポネシア人=旧石器人)の子孫である。
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 2023年1月15日 MicrosoftStartニュース ダイヤモンド・オンライン「知性とは「立ち直る力」である【世界を驚嘆させた「森の科学者」が語る】
 スザンヌ・シマード,三木直子 の意見
 森林は「インターネット」であり、菌類がつくる「巨大な脳」だった──。樹木たちの「会話」を可能にする「地中の菌類ネットワーク」を解明した『マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険』がいよいよ日本でも発売された。刊行直後から世界で大きな話題を呼び、早くも映画化も決定しているという同書だが、日本国内でも養老孟司氏(解剖学者)、隈研吾氏(建築家)や斎藤幸平氏(哲学者)など、第一人者から推薦の声が多数集まっているという。本書の発刊を記念して、本文の一部を特別に公開する。
 Photo: Adobe Stock
© ダイヤモンド・オンライン
 生態系には「変化する力」がある
 生態系というのは人間の社会とよく似ている──関係性でできている、という意味で。
 関係性が強ければ強いほど、その生態系は回復力が強い。
 そして、この世界の生態系は個々の生き物によって構成されているものであるから、生態系には変化する力がある。
 私たち生き物は環境に適応し、遺伝子は進化し、私たちは経験から学ぶことができるのだ。
 一つの生態系はつねに変化している。なぜならその構成要素──木、菌類、人間──は絶え間なく、互いと、そして周囲の環境と、反応し合っているからだ。
 生態系も、脳も、家族も…
 すべては「つながりの強さ」次第
 共進化に成功し、生産的な社会として成功できるかどうかは、ほかの個体、ほかの生物種とのつながりの強さ次第なのである。その結果としての適合と進化から生まれる行動様式が、私たちの生存、成長、繁栄を助けてくれる。
 オオカミ、カリブー、木、菌類からなる生態系がつくり出す生物多様性は、木管楽器金管楽器や打楽器や弦楽器の演奏者がオーケストラとしてまとまって、交響曲を奏でるようなものだと思えばいい。
 それはニューロンと軸索と神経伝達物質で構成される私たちの脳が思考や思いやりを生み出すようなものでもあるし、兄弟姉妹が手を取り合って、病気や死による心の傷を乗り越えるようなもの、と言ってもいい。
 『 マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険 』本文口絵より
 © ダイヤモンド・オンライン
 全体は、それを構成する個々の部分を足し合わせたものよりも大きくなる。
 森の多様な生物は、オーケストラのミュージシャンのように、会話やフィードバックや思い出や過去の失敗を通じて成長する家族のメンバーのように、結束して、混沌とした予測のつかない世界のなかでもわずかなリソースを活用して繁栄できるのだ。
 森は「知性」を持っている
 この結束によって森の生態系は、包括的で、何があってもしなやかに立ち直れるものになる。
 森は複雑で、自己組織力を持っている。
 知性と呼ぶのが相応しい特徴を備えているのだ。
 森の生態系は人間社会と同じようにこうした知性の要素を備えている、と認めれば、木々はじっと動かず、単純で平面的でありきたりなもの、という古い概念を捨て去ることができる。
 そうした古い概念がこれまで、森の急速な搾取を正当化するのに役立ってきたのであり、それが、森林における将来的な生物の存在を危険にさらしてきたのである。
(本原稿は、スザンヌ・シマード著『マザーツリー』からの抜粋です)
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 1月28日6:01 YAHOO!JAPANニュース ダイヤモンド・オンライン「【第一人者が明かす】森そのものが「思考」する驚くべき知的メカニズム
 養老孟司氏、隈研吾氏、斎藤幸平氏らが絶賛している話題書『マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険』──。樹木たちの「会話」を可能にする「地中の菌類ネットワーク」を解明した同書のオリジナル版は、刊行直後から世界で大きな話題を呼び、早くも映画化が決定した。待望の日本語版が刊行されたことを記念し、本文の一部を特別に公開する。
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● 森の地中でも「シナプス」を介して 情報伝達が起きている
 菌根ネットワークは実際のところ、私たちのニューラルネットワークとどれくらい似ているのだろう?
 たしかに、ネットワークの形状や、そのネットワークを通じてノードからノードに微分子が送られるという点は似ているかもしれない。
 だがシナプスはどうだろう──ニューラルネットワークにおいて信号が伝達されるには、シナプスがあることが必須であるはずだ。そして、木にとってもまた、近隣の木にストレスがかかっているか健康かを検知するためにはシナプスが重要なのではないだろうか。
 人間の脳内で、神経伝達物質シナプス間隙を越えて一つのニューロンから別のニューロンに信号を伝えるのと同じように、もしかすると菌根の内部でも、菌類の皮膜と植物の皮膜が接合するシナプスを越えて信号が拡散されているのかもしれない。
 菌根ネットワークのなかでも、私たちの脳で起こっているのと同じように、情報がシナプスを越えて送られているのだろうか?
 アミノ酸、水、ホルモン、防御シグナル、他感物質(毒)、その他の代謝産物が、菌類の皮膜と植物の皮膜のあいだにあるシナプスを越えるということはすでにわかっていた。ほかの木から菌根ネットワークを通ってやって来る分子はみな、同じくシナプスを通って送られるのかもしれない。
● 「森という脳」もまた 問題解決のために「考えている」のでは?
 私はいいところに気づいたのかもしれなかった。ニューラルネットワークと菌根ネットワークは共に、シナプスを通過させて情報分子を送るのだ。
 分子は単に隣り合う植物細胞の隔壁やびっしり並んだ真菌細胞の隔壁孔を通って伝わるだけでなく、異なった植物の根や異なった菌根の先端にあるシナプスを越えても伝わるのである。
 シナプスに化学物質が放出されると、その情報は、人間の神経系のメカニズムに似た形で、菌類の根の先端から先端へと運ばれるに違いない。
 菌根ネットワークのなかでは、人間のニューラルネットワークで起こっているのと同じ基本的なプロセスが起こっているように私には思われた──私たちが、問題を解決したり、重要な決断をしたり、人との関係を調整したりするときに閃きをくれるあのプロセスが。もしかするとどちらのネットワークからも、つながりとコミュニケーションと結束が生まれるのかもしれない。
● 森は「知性=インテリジェンス」を持っている
 植物が、神経系に似た生理機能を使って周囲の環境を認識するということは、すでに広く認められた事実だった。植物の葉、茎、根は、周りの状況を感知し理解して、それに合わせて自らの生理機能──成長率、養分を集める能力、光合成速度、水分の蒸散を防ぐための気孔閉鎖など──を変化させる。
 そして菌糸もまた、周囲の環境を認識し、自らの構造や生理機能を変化させるのだ。
 ラテン語の動詞intelligereは、理解する、気づく、という意味だ。
 インテリジェンス。知性。
 菌根ネットワークには、知性と呼べるものの特徴があるのかもしれない。
 森のニューラルネットワークのハブにはマザーツリーがあり、もっと小さい木々にとっての中心的な役割を果たしていた──娘たちの幸福にとって私がそうであるように。
 (本原稿は、スザンヌ・シマード著『マザーツリー』〈三木直子訳〉からの抜粋です)
 スザンヌ・シマード/三木直子
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 世界史の窓
 ギルガメッシュ叙事詩
 シュメール人の英雄叙事詩メソポタミア文明の代表的文学。『旧約聖書』に先立つ「大洪水」が見られ、世界最古の物語とされている。
 シュメール人叙事詩
 シュメール人が残した英雄叙事詩(神話)。ウルク第1王朝時代の実在の王ギルガメシュを主人公に、シュメール語で物語られていた伝承が、その後のメソポタミアバビロニアアッシリアヒッタイトなどの諸民族のことばに翻訳され、楔形文字で粘土板に書かれたものが残されている。人類最古の物語であり、メソポタミア文明を代表する文学であるが、特にこの中に『旧約聖書』の大洪水(ノアの箱船)の話の原型が含まれていることが判明し、キリスト教世界に衝撃を与えた。
ギルガメシュ叙事詩のあらすじ
 主人公ギルガメシュウルクの王。英雄であると共に暴君であり、都の乙女たちを奪い去るという悪業で住民に恐れられていた。ウルクの人びとが神々に訴えると、大地の女神アルルは粘土からエンキドゥという野獣のような猛者を造り上げた。ギルガメシュとエンキドゥは長い間取っ組み合った末、互いに相手の力を認め、抱き合う。ここに二英雄の友情が生まれた。二人は連れだって遠くの森に住む恐ろしい森番フンババを倒した。ウルクに帰ると女神イシュタルがギルガメシュの英姿に魅せられて誘惑する。ギルガメシュがその誘いを断ると、怒ったイシュタルは天の神アヌに強要して、天の牛を送ってウルクを滅ぼそうとする。ギルガメシュとエンキドゥは今度も力を合わせて戦い、天の牛に打ち勝つことができた。しかし神々はエンキドゥにフンババと天の牛を殺した償いに死を宣告、エンキドゥはギルガメシュに見守られて息を引き取る。残されたギルガメシュは永遠の生命を求め、古都シュルッパクの聖王ウトナピシュティムのみが不死でいることを知り、彼を訪ねて旅に出る。苦難の末に尋ね当てたウトナピシュティムは「大洪水」が起こり、四角い船を作って危機から逃れたことを物語る。最後にギルガメシュに、海底にある永遠の若さを保つ植物のことを教える。ギルガメシュは海に潜ってその植物をとり、喜び勇んでウルクへの帰途につくが、とある泉でホコリを落とそうと水浴びしている間に蛇がやって来てその植物を食べてしまった。失望したギルガメシュは疲れ切ってウルクにたどりつき、その後はどのようにくらしたことだろうか。<矢島文夫『ギルガメッシュ叙事詩』1998 ちくま学芸文庫 p.13-16>
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 3万5000年から3万年前以後 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)=旧石器人(ヤポネシア人)は日本列島にたどり着き、上陸した、漂着した、流れ着いた。
 縄文時代 1万2000年~2000年前。縄文人(日本土人)。
 数千年前 揚子江流域民である弥生系渡来人が山東半島から朝鮮半島を経由し、続いて中国旧満州地方に住んでいた古墳系帰化人が朝鮮半島を経由して日本列島に移住してきた。
 この時点では、まだ日本民族(和人)・琉球民族アイヌ民族は生まれていない。
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 日本土人である縄文人(日本土人)は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部太平洋沿岸まで、西は朝鮮半島南部、日本海縄文人の海)を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
 縄文人は、手漕ぎ丸木舟で北米大陸の太平洋沿岸まで移動していた。
 中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と偏見を持って軽蔑し差別していた。
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 日本文明は、揚子江流域(江南地域)にあった漁労農耕の温和で平和志向の長江文明の後継文明であって、黄河流域で軍事優先で栄えたの領土拡大・侵略志向の好戦的黄河文明の亜流文明ではなかった。
 朝鮮文化は、黄河文明の亜流であった。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
 数万年続いた日本列島の旧石器時代縄文時代は、争いのない、戦争のない平和な時代であった。
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 日本の価値観には、白(イエス・生)と黒(ノー・死)とその間に灰色(中間)の多元論による三層構造であった。
 世界の価値観は、イエス(白・生・正・善)とノー(黒・死・邪・悪)の二元論による二層構造であった。
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 日本神道・日本神話とは、狭間・境を神聖視する自然崇拝宗教である。
 隙間・境とは、生と死、平地と山・森林・海、天と地、光と闇、明と暗、そして神と人、人と動植物である。
 人は、地上界、平地・平野で生き働き家族とともに生活している。
 八百万の神々は、天・天界(高天原)、山・森林・海におられる。
 神々の世界・天上界と人間界・地上界を繋ぐ狭間・境には、神社仏閣を建て穢してはならない祈りの場として掃き清めていた。
 狭間・境に立つ事ができる人が、男系の正統天皇御一人であり、女系の正当天皇ではないし皇族でもない自称天皇の紛い物でもなかった。
 狭間・境は、宗教的パワースポットであっても、カルト的神秘ではなく、科学でもなく、イデオロギーや哲学・思想でもなかった。
 にたような神霊スポットは、琉球の御嶽である。
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 世界文明・世界宗教キリスト教ユダヤ教イスラム教なども啓示宗教は「平野と森の対立文化」から発生した為、人は神に祝された命溢れる平野・平地に住み、山・森林・海は神と敵対する悪魔、魔物、獣、犯罪者などが巣くう魔窟であり、神の平野・平地を離れて魔窟がある山・森林・海に少し入った所は魔女・異端者・追放者が潜んでいると信じられていた。
 つまり、自然とは悪魔、魔物、獣、犯罪者が蠢いている魔窟であり、聖なる火で焼き滅ぼすべき汚れた土地であった。
 それ故に、普遍宗教である啓示宗教・都会宗教は自然宗教である田舎宗教・土着宗教を「神の御名」によって滅ぼし、人間文明は生活を邪魔する自然を破壊してきた。
 人類最古の神話とは、半神半人の英雄が森林の守護神(魔物)・大地母神(大蛇)を倒し、森を切り開き、開墾して農地を拡げ、城塞都市を造って王国を打ち立てる物語である。
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 日本民族は、高温多湿で病原菌(悪玉菌)・有益菌(善玉菌)・雑菌(日和見菌)などの細菌が多い自然環境・住環境で生きてきた為に衛生観念が高く片付け上手で綺麗好きであったが、現代日本人の様な神経質で異常な病的潔癖性ではなかった。
 それを言い当てた狂歌が「白河の 清きに魚も棲(す)みかねて もとの濁(にご)りの田沼恋しき」である。
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 日本の宗教的価値観から生まれた境・隙間、灰色、中庸とは、善・正であれ悪・邪であれ相手を逃げられない所まで追い詰めない為であり、曖昧な所・いい加減な所を残して言い訳可能な状況を残して助ける為であった。
 それが村八分である。
 昔の日本で、絶対価値観による不寛容な異端審問、魔女狩り、異教徒虐殺、人種差別・民族差別・人間差別が起きなかったのはこの為であった。
 善悪・白黒を付けないという多種多様な宗教性から、日本の物の怪・妖怪、幽霊・亡霊、怨霊は世界の悪魔、魔物、獣とは違う。
 つまり、日本には生き返って無差別に無関係な人々を虐殺するゾンビは無意味である。
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 日本民族の祖先は、アフリカで誕生した下等な猿である。
 つまり、日本人を軽蔑して見下す偏見と差別の蔑称である「イエローモンキ」あるいは「ジャップ」は正し呼び名である。
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 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
 日本民族は、旧石器人・ヤポネシア人、縄文人・日本土人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が乱婚して混血して生まれた雑種である。
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 日本民族の生き方は、仲間・友と一緒に小さな櫂(かい)を漕ぐ丸木舟生活である。
 つまり、日本の集団主義とは海で生きる船乗りの集まりである。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
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 ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 2022年3月号 Voice「言葉のリハビリテーション 森田真生
 何もしない勇気
 最適化された世界の窮屈さ
 ……
 太陽がのぼるのも、雲が動くのも、鳥が鳴くのも自分のためではない。だからこそ、目に見えるもの、耳に届く音に、素直に感覚を集めることができる。
 ……
 『浅はかな干渉』が生み出す害
 ……
 『注意の搾取』が奪い去ったもの
 私たちはときに、浅はかな理解や理論に基づく性急な行動で安心を手に入れようとする前に『何もしない』という知恵を働かせてみることも考えてみるべきなのだ。
 だが、人間の設計したもので溢れかえる現代の世界において、『何もしない』ことはますます難しくなっている。
 ……
 物思いに耽(ふけ)って電車を乗り過ごし、都会の真ん中で月を見上げて立ち止まる。スマホを横に置いて窓の外を眺め、ただ理由もなく鳥の鳴く声に耳を傾ける。……」
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教(啓示宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の甚大な被害をもたらす破壊的壊滅的自然災害は種類が多く、年中・季節に関係なく、昼夜に関係なく、日本列島のどこでも地形や条件に関係なく、同時多発的に複合的に起きる。
 それこそ、気が休まる暇がない程、生きた心地がない程であった。
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 仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
 神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
 神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本民族は、命を持って生きる為に生きてきた。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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 昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
 武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
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 徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
 が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
 つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
 それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
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 日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
 日本で生きるのは、運しだいであった。
 日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
 それは、自力というより、神か仏か分からない他者による後押しという他力に近い。
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 左翼・左派・ネットサハ、右翼・右派・ネットウハ、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者には、日本民族ではない日本人が数多く含まれている。
 彼らには、数万年前の旧石器時代縄文時代と数千年前の弥生時代古墳時代から受け継いできた日本民族固有の歴史・文化・伝統・宗教はない。
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 日本の自然は、数万年前の旧石器時代縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
 日本民族は、自然の猛威に耐え、地獄の様な環境を生きてきた。
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 日本民族は、旧石器時代縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭りを繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
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⛩6)─1─人間は神様にはなれない。神は神であり、人は人である。~No.10No.11 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 人間に過ぎない教祖・聖職者・宗教指導者を神として崇め信仰し金品や土地を強奪し殺人を神聖な行為として繰り返するのは、カルト宗教、宗教原理主義、宗教テロリスト、宗教ファシズム、宗教的反社会集団、宗教的詐欺集団、その他である。
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 2023年1月19日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「人間は神様じゃない」立ち止まり、やり直しできる場所が社会には必要だ
 街の牧師として、市井の人々の様々な相談に乗ってきた沼田和也牧師。かつて精神を病み、自身も苦しんだ経験を持つ沼田牧師の元には、救いを求めて老若男女問わず多くの人が訪れる。
 【写真】「人間は神様じゃない」 立ち止まり、やり直しできる場所が社会には必要だ
 最新の著書「街の牧師 祈りといのち」では、宿を求めて繁華街で男をラブホテルにさそう少女、完治が難しい疾病で苦しむ患者、深夜に自殺したいと電話を掛けてくる人――ひとり悩みを抱える人々との出会いや対話を重ねていく様子が描かれている。
 後編では「やり直し」に厳しい社会に疑問を呈し、人間は神様ではないからこそ、そういった人たちが再起できる居場所が社会に必要だと語ってくれた。
 自分自身の中に潜む差別心と闘う
 わたしは高校3年生の春から不登校になり、そのままひきこもってしまいました。その後、かろうじて大学には進学したのですが、そこもまた中退してしまったんです。その後ようやく、牧師になる機会を得はしました。しかし牧師になったわたしが「人間、誰でも再起できる!」と言ったとして、これは成功者バイアスの一つといえると思うんですね。
 そもそもひきこもり当事者にとって、ひきこもりのなにが苦しいかというと、挽回のチャンスがないと感じることじゃないでしょうか。以前に電話でひきこもりの方から相談を受けていたのですが、そのとき感じたのは、周りの同世代が就職や結婚・出産などの経験をしていくなかで、自分だけはなにもないと。その辛さなんですね。
 わたしも無職のときに、置いてけぼりにされたような気持ちになりました。自分だけがまともじゃないって思ってしまうんです。
 牧師として、日ごろどんなに「差別はいけない」と伝えていても、結局は過去の自分のことを「まともではなかった」と思っている。教会にはさまざまな方が来られますから、ときには内心、「この人まともじゃないのでは」と思ってしまうことがあります。
 そのたびに、このような差別意識が自分自身にこびりついていることにショックを受けますね。これは牧師に復帰してから、ずっと葛藤していることです。
すぐに答えは出せない、悩む時間が必要なこともある
 この仕事をしていると、とてももどかしい時があります。精神的に追い込まれている人なんかがですね、「もう待っていられないんです! 今日明日にでも変わりたい。いったいどうしたらいいんですか!」と。
 でも、それには答えられないんです。これから少しずつ、時間をかけて、苦しみを分かちあっていきませんかと。それがわたしのスタンスです。でも、切羽詰まった人には、そんな悠長なことは言っていられない。教会に来る人の誰もがわたしの考え方に納得してくれるわけではありませんから、幻滅して去っていく人も多いですね。
 会社でもなく学校でもない、第三のコミュニティみたいなことがよく言われますね。でもそんなコミュニティをつくるのは簡単なことではありません。自由気ままにというのが理想なのかもしれないけれど、ある程度の強制力を伴わないと続かないんですよね。
 わたしの親友に、埼玉県川口市で教会を開いている進藤龍也という牧師がいます。雑誌やテレビなど、メディアにも頻繁に登場していますから、ご存知の方もおられるかもしれません。
 彼はかつて覚醒剤の密売人であり、自身も依存者でした。そして逮捕され服役中の牢獄で、キリストと出遭ったのです。出所後、彼は牧師になる勉強をしながら、教会をゼロから始めました。現在の教会に至るまでに、じつに出所してから20年、教会を始めてからも17年かかっているわけです。一人の人間の人生のなかで、気が遠くなるような長い時間ですよ。
 昨日今日で人生が変わるというのは、難しいことです。進藤龍也という人間でいえば、こんにちの彼になるまでに、それだけの葛藤の時間が必要だったんです。それはわたしにも言えることです。
 人間は誰しも神様じゃない
 じつは、わたしは今も精神科病院で、月1回のカウンセリングを受けています。あるとき、臨床心理士がこんなことを話してくれました。「わたしは臨床心理士として、沼田さんとこの病院という決まった場所、そして決まった時間内で、あくまで仕事の一環としてお話をしています。でも沼田さんは教会が自宅で、夜中でも相談の電話がかかってくることもある。わたしの仕事とは全然違うし、だから仕事のクオリティにばらつきが出るのは当たり前ですよ。」そんなふうに言ってもらえて、心の底からほっとしたことがあります。
 教会に泊めたホームレスの方に重度の精神障害があって、わたしの声かけが不適切だったのでしょう、その人がパニックになってしまったので、やむをえず警察を呼んだこともあります。警察を呼んだのは、じつはわたしも怖かったからです。見知らぬ人を助けることは怖い。緊張する場面は今もなお何度も起こり続けています。
 先ほどの進藤牧師は「九州3児遺体事件」の田中涼二被告の証人として法廷にも出ています。田中被告は元暴力団員で、事件を起こす前、進藤牧師の教会に通ったことがあるからです。彼が教会であまりにも問題ばかり起こすので、進藤牧師は彼との関係を一度断ちました。
 けれども彼がこのような事件を起こしてしまったことを受け、改めて支え直しているんです。でも世間はそういう進藤牧師のことを「あの進藤というのは、やっぱり元ヤクザなんだな。同類相憐れむってやつか」と。そういう目で見る人も多いようです。親友として、とても悲しいことです。
 少し話が逸れますが、虐待死が起こると児童相談所がよく非難されますよね。しかし児童相談所は慢性的な人手不足の上に、なかなか一筋縄ではいかない家庭問題を相手にしているわけです。さまざまな家庭と向きあうなかで、職員の方はつらい思いをすることもたくさんあると思います。
 人間は神ではありません。神ではない人間が、人間を完璧に保護することは不可能です。しかも他者の家庭に介入しなければならないんです。こんなに困難な課題が増えているなかでよく頑張っておられると、ずっと思っています。
 ハウスはあっても「ホームがない」現代人
 親友の進藤龍也牧師とは別に、わたしが尊敬してやまない人に奥田知志という牧師がいます。福岡県北九州市で抱樸というNPO法人を運営しています。現在は暴力団工藤会の跡地を買い取り、そこに複合型社会福祉施設を作ろうという「希望のまちプロジェクト」を立ち上げています。
 ちょっと漢字が難しいのですが抱樸の‟樸”とは原木のことだそうです。「こんなやつとはつきあいたくない」っていう、社会の片隅にうち棄てられ、ささくれだった生木のような人。そんな人を抱きしめたらささくれがチクチク痛いのに、それでも抱きしめる、つまり関わろうとするという意味らしいんですね。困難にある人を助けようとするときに、メディアでは伝えられないような、苦しくネガティブなことはいっぱいあると思います。
 この奥田先生が、以前にこんなことをおっしゃっていたんですね。いわゆる家がない人のことを指してホームレスというけれども、彼らはハウスレスなんだと。いっぽうで外面的なハウス(家)はあるけれども、心理的に安心できる「ホーム」はない、そんなホームレスがいっぱいいるのだと。
 外で働いていたら、その社会的な役割を求められるし、家では家での役割を求められる。ハウスはあるかもしれないけれど、どこにもホームはない。これではどこかで限界が来ても全然おかしくないというのは、まったくその通りだと思います。
 「やり直し」できる居場所が社会には必要
 進藤龍也牧師の教会では、覚醒剤などで過去に逮捕歴のある元受刑者の人や、洗礼を受けたばかりのヤクザの人が、いわゆるカタギの人と一緒に礼拝しているんです。とくにお互い遠慮しすぎたりすることもなく、ごくふつうに、自然に。
 元受刑者の人にはどういう過去があるのか、言える範囲で言ってもらうというのが進藤牧師の方針ですね。「自分はやり直し中です」というのを周りに受け入れてもらって、理解してもらわないといけないから。なにか困ったことが起こったときに独りで抱え込まないように、あらかじめ課題を共有しているんですね。
 もちろん時々はトラブルもあるんですけど、彼の教会のありかたを見ていると、どんな人でもやり直すことはできるのではないかと、本気で感じるんです。
 週刊現代講談社
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⚔26)─2─織田信長が実施した画期的な政策と東アジア市場を制圧する日本商人団。~No.102 

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 最強の戦国武将とは、常勝の軍事力と殖産興業・土木設計・富国強兵の経済力を車の両輪として持っていた武将である。
 合戦・戦争に強い武将が最強の戦国武将ではなし、海外交易で巨万の富を築いた武将が最強の戦国武将ではない。
 その意味で、現代日本には軍事と経済を理解し行動できる最強の戦国武将は存在しない。
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 2023年1月14日 YAHOO!JAPANニュース サライ.jp「先人の政策「楽市楽座」を引き継ぎ改善|織田信長は前例を重視した有能な名経営者だった【経済でわかる日本史】
 岐阜城岐阜県岐阜市)。織田信長美濃国を獲得すると、それまであった楽市を踏襲する。楽市があった加納は現在岐阜駅近くの地である。 出典:『経済でわかる日本史』
 歴史を動かす原動力はさまざまですが、お金をめぐる人々の行動をフォーカスしてみることで、人間の生き方が見えてきます。お金をめぐる人々の心情や行動から歴史を掘り下げるムック『経済でわかる日本』(宝島社)から、織田信長の経済政策をご紹介します。
 監修/横山和輝(経済史家)
 信長は前例を無視する破壊者ではなかった
 六角定頼像(滋賀県東近江市)。近江国の守護だった六角六角定は先進的な手法で統治を行い、楽市をはじめたことで観音寺城下を一大商業都市に成長させた。 出典:『経済でわかる日本史』
 織田信長といえば、常人には思いつかない戦術を思いつき、革新的・先進的な経済政策を行ったイノベーターとしてのイメージがある人も多いことだろう。
 実際に尾張国の小国からスタートした信長は急激に勢力圏を伸ばし、中部から畿内地方を掌握した。当初、信長は室町幕府を庇護した存在だったが、その後、15代将軍足利義昭を追放したことで室町幕府は滅亡する。一方で近年では、朝廷、特に正親町天皇と強く結びつき、伝統を重視する新たな信長像が知られるようになってきた。
 信長の経済政策といえば、「楽市楽座」のイメージがあるが、楽市楽座は信長がはじめたものではない。鎌倉・室町時代、座に属した商工業者が本所(主君)である寺院や神社などに売上の一部を座公事として貢納する必要があった。これに対して、売上税を考慮せず、自由な営業・販売を許された区域、すなわち楽市を設定してさまざまな商工業者を領国内に呼び寄せることを、各地の戦国大名がはじめる。
 この楽市を最初にはじめたのは信長ではなく、近江国(現在の滋賀県)を支配した六角定頼である。定頼は天文18年(1549)に楽市令を出すが、これが楽市の最初の事例として知られている。楽市や楽座を行った戦国大名には定頼の他に今川氏真などがおり、織田信長以前に楽市をはじめた戦国大名は複数存在している。
 楽市では、売上税がない点ではフリーマーケットと同じであり、そのままでは戦国大名に直接の利益を生まないが、戦国大名は楽市の利用料金を徴収した。さらにこの楽市のシステムを一歩進めて領国内での座の活動を制限する戦国大名も現れるようになった。ただし、全国的にネットワークを持ち、神社仏閣のバックアップがある座を積極的に解体することはほとんどなかった。
 戦国大名は、領国内での座の行動を制限する代わりに、自らが運営する独自の座を新たに結成していくようになった。例えば信長は、領国内の商工業を育成する目的から、商工業者の行動を制限するために独自の座を結成させている。信長が設置した薪座は、身分証となる薪座株を持つ材木商にのみ岐阜の城下での営業を許可するものだった。その意図としては、無許可での材木・竹林の伐採を禁止すること、すなわち森林資源を守る規制の意味もあった。
 信長統治前から岐阜城下に楽市があった
 観音寺山城(滋賀県近江市)。六角定頼の居城だった観音寺山城の城下に楽市が置かれた。 出典:『経済でわかる日本史』
 織田信長楽市楽座は、自身が立ち上げから執り行った政策ではなく、むしろ既存の楽市を認めるかたちでスタートしている。永禄10年(1567)、信長は斎藤龍興が治める美濃国岐阜県)を戦の末、手に入れる。稲葉山城岐阜城とあらためられ、その岐阜城から少し離れた加納という地に次のような内容を記した制札を掲げた。
 これは信長がはじめて出した楽市令としてだけでなく、現存最古の楽市令の制札として知られている。制札は木製の掲示板であり、この制札が人々に壊されない限り領主の命令を人々が了承したことを意味した。この信長の制札の内容は次のようなものである。
 「定めます。楽市場の皆さん。こちらの市にお越しお住まいになる皆さん、どうかお気兼ねなく往来なさってください。どなたかに何かお支払いすべきものがあったとしてもこちらではご心配いりません。以前からお住まいの方々、ご新規の方々とトラブルを起こさないようにお願いします。押買狼藉と喧嘩口論は禁止です。なお、私どもの家来は理不尽なことはしませんし、宿をとるなどのご迷惑なこともいたしません。以上、お守り頂けない方は速やかに厳罰に処します、お知らせの件ご承知おき下さい。永禄十年十月」(横山和輝 意訳)
 この楽市令は宛名が「楽市の皆さん」となっていることから、加納の地が信長統治以前からすでに楽市だったことがわかる。この制札は、織田・斎藤家の戦闘が終結を宣言したことを、楽市の商工業者たちに伝えるためのものだったのである。
 信長は、加納での楽市令の経験を踏まえて、のちに近江国の金森(滋賀県守山市)や安土城城下においても楽市令を出している。その際には、交通の要所である金森の特徴をふまえた政策や、安土での商人の自治組織の活動に権限を与えるなど応用度の高い政策をとっている。先人から学んだ優れた経済政策である楽市楽座を踏襲した上で、アップデートしたのである。
 ちなみに戦国大名は楽市や楽座、破座などと称していたが、これらはいずれも、商業に関しての縄張りを宣言する意味で、戦国大名の地域PRが目的だった。
 * * *
 『経済でわかる日本史』(横山和輝 監修)宝島社
 横山和輝(よこやま・かずき)
 1971年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(経済学)。一橋大学経済学部助手、東京大学日本経済国際共同研究センター研究員を経て、現在、名古屋市立大学大学院経済学研究科教授。専門は金融論、経済史。著書に『日本史で学ぶ経済学』(東洋経済新報社)、『マーケット進化論』(日本評論社)、『日本金融百年史』(筑摩書房)がある。
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 1月17日12:11 YAHOO!JAPANニュース ラブすぽ「織田信長が実施した画期的な政策と東アジア市場を制圧する日本商人団の活躍とは?【世界史】
 織田信長が実施した画期的な政策と東アジア市場を制圧する日本商人団の活躍とは?【世界史】
 アジアで唯一の絶対主義国
 日本の近代史は明治維新ではなく、織豊政権時代から始まったと言えば、多くの日本人は驚くだろう。しかし、世界史的観点から見れば、織豊政権は西ヨーロッパの絶対王(国王)と同じであり、重商主義を基本政策とする絶対主義国家であったと言ってよいのである。
 トップバッターの織田信長は、少年時代から「うつけ者」と呼ばれた暴れ者だったが、尾張有数の内陸港、伊勢湾交易の要衝として栄えた商人都市津島を遊び場として育ったため、生まれながらの商人大名、絶対王となった。
 長ずるに及んで本領を発揮し、「楽市楽座」に始まる重商主義政策は、泉州堺や筑前博多などの自由都市を重視し、商品生産と流通を促進することになった。天下統一を図ることは封建的割拠に終止符を打ち、統一政権を樹立するだけでなく、全国市場の形成を図ることだった。本能寺の変に倒れたとき、信長の支配領国は近畿・東海・北陸・中部・中国各方面に二十五カ国、およそ一千五百万石相当はあった。戦上手の武田信玄上杉謙信が生涯の間、せいぜい四、五カ国だったのに比べるならば圧倒的である。そこで驚くのは、それらの領国支配が現代の軍事組織=「方面軍体制」に編成されていたということ!
 柴田勝家羽柴秀吉明智光秀徳川家康らの武将に領国を与えるのではなく、信長の領国を納める代官に指名されるというだけであった。羽柴秀吉は信長の後継者としてのし上がってくるが、その政策にはさしたる目新しさはない。信長亜流に留まっており、信長以後の政治的安定、収拾を図ったに過ぎない。信長、秀吉共、封建大名の支配を土地から流通に置き換えた絶対王だった。
 【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 世界史』
 著:鈴木 旭 日本文芸社
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🏞131)─1─江戸時代の日本人は幸福ではなかった。江戸時代の10大問題。~No.508 

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 2023年2月4日 YAHOO!JAPANニュース PRESIDENT Online「江戸時代の日本人は決して幸福ではなかった…明治維新を批判する人が誤解している「江戸時代の10大問題」
 女性差別と部落差別が強化され、引っ越しや旅行は原則禁止
 八幡 和郎
 徳島文理大学教授、評論家
 江戸時代の日本はどんな社会だったのか。評論家の八幡和郎さんは「安定した良い時代だったと評価する風潮があるが、実際は北朝鮮のような人権無視の社会だった。女性差別や部落差別、階級差別が深刻化したのも江戸時代だ」という――。
 日本家屋が連なる風景写真=iStock.com/jaimax※写真はイメージです
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 江戸時代と北朝鮮はとても似ている
 NHK大河ドラマは、松本潤主演の「どうする家康」だ。家康を描くのは「徳川家康」(1983年、滝田栄主演)、「葵 徳川三代」(2000年、津川雅彦主演)に次いで三度目である。
 家康は「狸親父」として嫌われていたが、戦後になると辛抱強く困難を克服して出世していく姿がサラリーマンの共感を呼ぶようになった。また、江戸時代が再評価されて「江戸に学べ」という人が多くなると、家康が理想の経営者だという人も増えた。
 環境重視・平和国家・地方分権だと賞賛されるのだが、江戸時代の人ははたして本当に幸福で、明治維新や文明開化のために日本は悪くなったのだろうか。
 明治国家による近代化は、世界史上でもまれに見る偉業だと世界から評価されてきた。ところが、江戸時代を礼賛する人は明治以前の封建時代を褒めて学べというのである。この腑に落ちない賛辞は、「北朝鮮は地上の楽園」というのに似ている。
 江戸時代と北朝鮮の現在はとても似ている。世襲権力による支配、鎖国体制、モノの不足がゆえのリサイクル、密告による体制維持などが同じだ。江戸や平壌の市民を優遇して、人々の不満が体制を脅かすのを避ける仕組みもそっくりだ。
 確かに戦争のない、安定した時代だったが…
 もちろん、いつの時代にも、貧しくとも安定し変化のない時代を懐かしむ人はいる。戦前の朝鮮半島での日本統治を批判して、「苦しかったけれどもそれなりに生活していた朝鮮の農民は、昔に比べてずっと不安定な生活に落としいれられた」という陳腐な前近代礼賛論を著名な左翼知識人が主張するのにはあきれたが、この人は北朝鮮擁護の急先鋒でもあった。
 北朝鮮も悪く言われすぎかもしれない。体制は安定し、治安が悪いわけでもない。教育も普及しているし、韓国と違って海外に派兵したこともない。しかし、江戸時代も北朝鮮も、自由はなく身分は固定し、世界文明の進歩とともに歩まず、その成果を国民が受けられないでいる。
 戦国時代が、貧農出身の豊臣秀吉が天下を取れるような自由な社会であり、宣教師たちが驚くほど女性が輝いていた時代だったのに(拙著『令和太閤記 寧々の戦国日記』ワニブックス)、江戸時代には李氏朝鮮から導入した朱子学を公式の学問とした結果、封建主義が徹底されたのである。
 深刻化した女性差別と部落差別
 江戸時代のどこが問題だったのか10点にまとめてみよう(拙著『日本人のための日中韓興亡史』さくら舎)。
女性差別と部落差別は江戸幕府が深刻にした
 戦国時代の日本女性は自由で男女差別も少ないと宣教師たちは報告しているが、江戸時代には隔離され表舞台での活躍もなくなった。穢れなどを理由とした身分差別はそれまでもあったが、厳格で服装まで区別するような極端な部落差別は江戸幕府がつくりだした。
②引っ越しや旅行は原則禁止され交通インフラは300年進歩せず
 町人の旅行は比較的自由だったが、農民は引っ越しも旅行も原則禁止の藩が多く、交通インフラや通信も劣悪で、馬や馬車は使えず、関所も復活し、移動時間を短縮する方法もなかった。大型船建造が禁止されたので、岸から離れて航行できず瀬戸内海などを除いて客船もなかった。
 「識字率が高かった」を信じてはいけない
③教育レベルは低かったし、識字率が高いのも嘘
 科挙があった中国や朝鮮と違い武士は学問を軽視し、藩校が普及したのも幕末に近い時代になってから。しかも、漢学だけで九九も教えなかったので実務には役立たなかった。庶民が学べる中等学校(高校)もなかった。ヨーロッパの大学の学生が市民中心だったのとも大違いだ。
 *ヨーロッパでは、学問や大学教育は市民層中心のもので、王侯貴族は軍人としての教育などを好んだ。イギリスのチャールズ国王は初の大卒の国王。ダイアナ妃のスイスの寄宿学校から保母さんというのこそ、伝統的な貴族のお嬢様の経歴といえる。
 識字率が高いというのは、中国や朝鮮では数千字の漢字、日本では仮名だけができるかで計算した結果で比較しても意味がない。
 一寸子花里画『文学万代の宝』(写真=Artanisen/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
鎖国のために科学技術もほとんど進歩しなかった
 日本人の海外渡航は全面的に禁止で、西洋のことを書いた漢籍の輸入も禁止されたので、科学技術はもちろん、それ以上に国際法や経済の知識も2世紀以上遅れることになった。
鎖国のおかげで独立が保てたというのは嘘
 スペイン・ポルトガルは各地に軍事拠点を確保したが、面での植民地支配は、国家未成立の地域や金属の武器がなかった中南米に限定しており、もともと日本に危険はなかった。むしろ、鎖国の結果、火縄銃の時代の軍事力のまま黒船来航を迎えたので、危うく植民地化されそうになった。
⑥武士道は明治時代になって生まれたもの
 武士は戦国時代の先祖の遺族年金というべき禄を食んでいるだけに近く、軍人・官僚としての実務能力も使命感もなかった。武士道は明治になって西洋の騎士道に似たものがあったとして創造したもので、江戸時代の武士の実態とはかけ離れている。
 米のモノカルチャーで飢饉が頻発
士農工商より上級武士の権力独占が問題
 適材適所でなく世襲が原則で、上級武士(馬に乗れて殿様に会える)とそれ以外が峻別されていた。福沢諭吉も中津藩で下級武士や庶民から上士に昇進したのは、300年で数例しかなかったとしている。
北朝鮮なみに禿げ山だらけで環境先進国は嘘
 ものを大事にしてリサイクルが発達したのは事実だが、物資不足の結果に過ぎず、いまの北朝鮮と同じだ。薪や炭を燃料にしたのでほとんどの山が禿げ山に近く、洪水が多かった。
⑨餓死者が続出し東日本では人口も停滞
 鎖国のためトウモロコシ、芋類など新大陸原産の新しい作物導入が低調だったのと、米に偏った税制で極端な米のモノカルチャーになった。食料の流通も諸侯に任せたので、飢饉ききんが頻発し人口が停滞した。江戸時代中期と同時代の清国で、康熙帝こうきていなど賢帝が善政を敷き、経済も人口も伸びたのと対照的だった。
 天明飢饉之図(写真=福島県会津美里町教育委員会所蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
⑩裁判や警察など司法の前近代性と切り捨て御免
 司法制度が恣意しい的だった。火あぶり、磔、牛裂き、釜煎り、獄門、石子責めなどサドマゾ刑罰に拷問もやり放題。切腹はお家断絶回避を餌に無実を主張させない制度として使われた。切り捨て御免も伝説ではなくまれでもなかった。
 明治批判の裏返しとしての無理な江戸賛美
 それでは、なぜ誤った江戸時代賛美論がはやるのだろうか。まず挙げられるのは、関ヶ原以前からの日本人の美点なのに、江戸時代に始まった長所と誤解しがちな点だ。民度の高さは『魏志倭人伝』も指摘しているし、仮名をほとんどの人が使うとザビエルの報告にもある。
 江戸時代の日本として19世紀前半(天保期から幕末)の状況を持ち出す一方、18世紀以前(フランス革命産業革命以前)の欧米と比べる不思議な比較が多い。
 明治体制を誹謗ひぼうし、成果を矮小化する目的で江戸時代を褒める傾向もある。戦後史観では明治賛美は御法度らしいから、成果を矮小化するため江戸時代に日本はすでにかなり近代化されていたと強弁しがちだ。
 家康が再征をちらつかせて派遣させた、一種の朝貢使節である朝鮮通信使を、対等の関係の象徴と歪曲して持ち上げる一方、むしろ、近代国際法に基づく対等の外交を提案しながら大院君に拒否された明治政府の対応を高圧的だと批判したがる。
 保守と左翼がいずれもユートピアと褒める不思議 
 維新後に発展した日本文化を江戸時代からあったと誤解しているケースも多い。先ほども説明したように、武士道は新渡戸稲造が欧米人受けするように創ったものだし、陽明学も江戸時代に萌芽はあるが明治以降に流行したものだ。
 江戸時代の民家は貧弱で、城下町の立派な町並みは明治後期から昭和初期にかけてのものだが、「小江戸」とかいって江戸時代のものと錯覚されている。時代劇は江戸の町ばかりだが、江戸は現在の平壌ピョンヤンと同じように別世界で、移動の自由がないなかで江戸の武士も町民も特権階級だったのに地方の惨めさが描かれない。
 孔子周王朝の初期を自分の理想を語るために理想郷としたのと同じで、理想社会を過去に求めることはよくあるが、日本では極端に顕著だ。保守は封建時代を美化し、左翼は貧しくとも安定を求むので、結果として江戸時代への賛美に収束するのだ。
 極端な修正主義史観は国益を侵害する
 この風潮は、日本だけで通用する世界史への特異な理解にもつながる。フランス革命が民主主義へ世界を導いた転換点であるのは世界の常識で、200周年となる1989年には、パリで「アルシュ・サミット」が開催され、世界の首脳が人類史における意義を再確認した。
 パリのシャンゼリゼ通りで毎年行われている革命記念日(7月14日)のパレードには、あのトランプ大統領も主賓で招かれ、日本からは中曽根康弘首相が希望して出席して、歴史的偉業をフランス国民とともに祝ったことがある。2018年には安倍首相が主賓として招かれ自衛隊が先頭で旭日旗を掲げて行進した(首相は豪雨災害で出席中止)。
 そもそも、明治維新フランス革命やナポレオン、あるいはそれに触発されたビスマルクが創った近代国家をめざしたものである。にもかかわらず、フランス革命の時代に英国人として難癖をつけたエドモンド・バーグとかいう英国人の著書を保守主義のバイブルとか言って、フランス革命をネガティブな出来事として糾弾するのが日本の保守派の流行というのにはあきれるしかない。
 そんなことを言っていると、世界から極端な修正主義史観だと受け取られかねないし、それは日本の政治に対する信頼を失わせ、国益を侵害するものだ。
 江戸時代への過剰な賛美も同様だ。NHK大河ドラマで江戸の社会をどのように描くのかも注目だが、人権無視で世界の文明に背を向けた江戸時代について、正しく科学的な評価がされるべきである。
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💖24)─1・C─宮崎市出身の外交官・根井三郎が発給した「命のビザ」。ユダヤ人絶滅政策を決定したヴァンゼー会議。〜No.99 

続 命のビザ、遥かなる旅路 ~7枚の写真とユダヤ人救出の外交官たち~
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 昔の日本人と現代の日本人は、別人のような日本人である。
 戦前の日本人、陸軍軍人、憲兵隊、特高は、地球の反対側から逃げてきたユダヤ人難民を助けた。
 現代の日本人、政治家、外交官、人権派は、隣国で助けを求めているウイグル人チベット人、モンゴル人を助けない。
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 2023年1圧16日 YAHOO!JAPANニュース テレビ宮崎「「命のビザ」を発給 宮崎市出身の外交官・根井三郎の功績を伝える資料展が福井県で開催 宮崎
 宮崎ニュースUMK
 第二次世界大戦中、ナチスドイツの迫害からユダヤ難民を救った宮崎市出身の外交官根井三郎の功績を伝える資料展が福井県敦賀市で開かれています。根井三郎の資料展が県外で開催されるのは初めてです。
 宮崎市佐土原町出身の外交官根井三郎は、第二次世界大戦中、ナチスドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人を助けるため、ビザや渡航証明書を発給し多くの命を救ったとして近年その功績に注目が集まっています。
 この資料展は根井三郎を顕彰する会と宮崎市などが福井県敦賀市にある「人道の港敦賀ムゼウム」で先月8日から開催しています。敦賀港は1940年代に「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港で、この資料館はその歴史を後世に伝えています。15日は顕彰する会の根井翼会長が会場を訪れ、講演会を開きました。
 (根井三郎を顕彰する会・根井翼会長)「ユダヤ人難民をロシアのウラジオストクから福井県敦賀港に行く船に乗せる決断をしたのが根井三郎なのです。杉原千畝に関する本は本当にたくさん出ています。根井三郎のはありません」
 講演では根井三郎がポーランドの家族に発給した「命のビザ」が約3年前に見つかったことなどが紹介され、訪れた人たちは杉原千畝の陰でこれまであまり知られていなかった根井三郎の功績を聞いて感銘を受けていました。
 (訪れた人は)「今までですと杉原千畝が(命のビザを発給した)印象でしたが、説明を聞きまして驚いたというか十分理解できたという思いでいます」「根井さんについては知らなかったです。はっきり言って。大阪から電車で来ましたが、(講演を聞けて)よかったです」
 (根井三郎を顕彰する会・根井翼会長)「いろんな方々と手をとりあって一緒にやっていきながら、根井三郎の業績を広げていくのがよりベターであると思うし、今回県外で初めて資料展をやった。ここで発信できたというののはものすごく大きいです」
 この資料展は人道の港敦賀ムゼウムで来月7日まで開かれています。
 テレビ宮崎
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 1100万ものユダヤ人絶滅政策を決定した“ヴァンゼー会議”を映画化 「ヒトラーのための虐殺会議」23年1月公開
 2022年9月10日 10:00
 会議の時間は、たったの90分だった……
 (C)2021 Constantin Television GmbH, ZDF
 1100万ものユダヤ人絶滅政策を決定した“ヴァンゼー会議”を題材とした映画「THE CONFERENCE(原題)」が、「ヒトラーのための虐殺会議」の邦題で、2023年1月20日から公開されることが決定した。
 1942年1月20日正午、ドイツ・ベルリンのヴァンゼー湖畔にある大邸宅にて、ナチス親衛隊と各事務次官が国家保安部代表のラインハルト・ハイドリヒに招かれ、高官15名と秘書1名による会議が開かれた。議題は「ユダヤ人問題の最終的解決」について。「最終的解決」はヨーロッパにおける1100万ものユダヤ人を計画的に駆除する、つまり抹殺することを意味するコード名。移送、強制収容、強制労働、計画的殺害など、さまざまな方策を誰一人として異論を唱えることなく議決。その時間は、たったの90分だった。
 すべてのドイツ占領下および同盟国から東ヨーロッパの絶滅収容所へのユダヤ人強制送還の始まりとなった「ヴァンゼー会議」。本作は、アドルフ・アイヒマンによって記録された会議の議事録に基づき、80年後の2022年にドイツで製作された。
 その議事録は、1部のみが残されたホロコーストに関する重要文書。マッティ・ゲショネック監督は「ヨーロッパにいる全ユダヤ人の駆逐が、冷静な会話によって議論され決められていく様子を事実に基づいて描こうと思いました」と語り、出席者15名がまるでビジネスのように、論争の的になるユダヤ人問題について話し合い、大量虐殺に対して反論する者が誰一人いない異様な光景をありのままに描き出す。
 「ヒトラーのための虐殺会議」は、23年1月20日から新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開。
 ※記事初出時、見出し、本文に誤りがありました。お詫びして訂正いたします。
 (映画.com速報)
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 世界は、ホロコーストを知っていた。
 アメリカ・イギリスの自由・民主主義国とソ連共産主義国などの連合軍は、ユダヤ人救出より戦争の勝利を優先した。
 バチカンカトリック教会は、キリスト教ユダヤ人を助けたが異教徒・ユダヤ教徒ユダヤ人は見捨てた。
 国際赤十字委員会は、目をそらして見殺しにした。
 が、日本は玉砕やカミカゼ特攻など絶望的激戦の中で死闘を繰り返していた為に、地球の反対側で起きていたホロコーストを知るよしもなかった。
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2022-06-04
💖目次)─8─近代天皇と軍部・陸軍の人道貢献・平和貢献。旭日旗は救済と希望の旗であった。~No.1 * 
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 アジアでユダヤ人難民を救った日本人達。
 中国共産党は無関係である。
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 現代日本の親中国派・媚中派は、戦前の日本人・戦時中の日本人のように自己犠牲的な人助けの人道貢献・平和貢献をしない、その証拠が、中国共産党が現在進めているウイグル内モンゴルチベット少数民族へのジェノサイドに抗議をしなければ反対もしない、それどころか忖度して弁護している。
 そして、保護し助けようともしない。
 彼らが言う人権・人道・人命は嘘であり、彼らには道徳や倫理などない。
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 戦前の親ユダヤ派は、日本の国益と国民の平和と幸福と豊かさの為にユダヤ人を利用すべく、同盟国ナチス・ドイツを裏切り、ヒトラーの外圧を無視してユダヤ人難民を助けた。
 当時の外務省は親ドイツ派が強く、ナチス・ドイツに忖度して、日本に逃げてくるユダヤ人難民を阻止しようとしていた。
 日本陸軍は、親ユダヤ派と親ポーランド派は親ドイツ派より強かった。
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 カウナスの駐リトアニア領事代理杉原千畝ソ連ウラジオストク領事根井三郎らは外交官は、ヒトラーナチス・ドイツの迫害から逃れる為に日本通過ビザを東京・外務省の通達を無視して発行していた。
 松岡洋右外相と東条英機陸相は、無効である通過ビザを昭和天皇の名誉と日本国の権威を守る為に合法と認め、日本国内・満州・中国での使用を容認した。
 敦賀、神戸、大阪、横浜、東京などの市民達は、反ユダヤの人種差別をせずユダヤ人難民を暖かく受け入れ、安全な海外に旅立つその日まで面倒をみ、船出する際は岸壁から無事の航海を祈って別れを惜しんだ。
 が、戦時中、ユダヤ人難民を助けた無名の人々は生きたまま焼き殺されるという悲惨な運命を辿った。
 つまり、人助けの善意には「非業な死」が待っていた。
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 昔の日本人が、自己犠牲精神で命を捨ててもユダヤ人難民やポーランド人戦争孤児、ロシア人避難学童、中国人飢餓民、トルコ人遭難者など多くの困っている外国人を助けたのは、天皇の御稜威・大御心、民族中心神話による八紘一宇の大家族主義からである。
 惻隠の情で、戦争以外の「災難で困っている人」それがたとえ敵であっても助ける、それが日本民族であった。
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 現代日本は、昔の日本と違って反ユダヤで、人種や民族、貧富や出身・出自に対する偏見や差別が強い。
 昔の日本人は、現代の日本人とは違って自己犠牲的に命を捨てても人道貢献や平和貢献を行っていた。
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 昭和天皇「本土決戦を行えば、日本民族は滅びてしまう。そうなれば、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることができようか。自分の任務は祖先から受け継いだ日本を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本人に生き残ってもらいたい、その人たちが将来ふたたび立ち上がってもらう以外に、この日本を子孫に伝える方法はない。そのためなら、自分はどうなっても構わない」(1945年8月10日聖断)
 天皇にとって民(日本民族)は「大御宝(おおみたから)」である。
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 天皇の意思は「大御心(おおみこころ)」で、民は「大御宝(おおみたから)」として、天皇日本民族は信頼という硬い絆で結ばれていた。
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 昭和天皇は、親ユダヤ派、差別反対主義者、避戦平和主義者、原爆は非人道的大量虐殺兵器であるとして開発中止を厳命した反核兵器派、難民・被災者・弱者などを助ける人道貢献を求め続け、戦争には最後まで不同意を表明し、戦争が始まれば早期に講和して停戦する事を望むなど、人道貢献や平和貢献に努めた、勇気ある偉大な政治的国家元首・軍事的大元帥・宗教的祭祀王であって戦争犯罪者ではない。
 同時に、日本の歴史上最も命を狙われた天皇である。
 昭和天皇や皇族を惨殺しようとしたのは、共産主義者無政府主義者の日本人テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストであった。
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 靖国神社の心・志・精神とは、人道貢献と平和貢献の事である。
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 歴史的人道貢献とは。昭和天皇A級戦犯である東条英機松岡洋右松井石根らは、ソ連ポーランド侵略から逃げてきた数万人のポーランドユダヤ人を保護し、ナチス・ドイツゲシュタポと日本人の反ユダヤ派、親ドイツ派の「上海ホロコースト」を阻止しユダヤ人難民数万人を敗戦後まで守り続けた。
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 昭和天皇の平和貢献とは、戦争には不同意であったが政府と軍部が決定すれば裁可するが、戦争が始まれば早期に講和を行って戦争を止める事を求め続けた。
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 日本国内には、天皇制度を廃絶しようとしている反天皇反民族反日的日本人達が超エリート層である高学歴の知的エリートや進歩的インテリに数多く存在している。
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 現代の日本人、政治家・官僚・学者そしてメディア関係者も誰も重大問題とはせず、沈黙、つまりは黙認している。
 現代の学校歴史教育では、昭和天皇が行った数々の歴史的偉大な功績は否定され抹消されている。
 つまり、生徒・学生で昭和天皇は嫌いが大多数で、昭和天皇が好きだという子供は異常・おかしいとされている。
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 昔の日本人は、戦場で人殺しの戦争犯罪を行ったが、同時に戦場で人助けの人道貢献や平和貢献を行った。
 現代の日本人は、戦争犯罪を行わないが、人道貢献や平和貢献も行わない。
 事実、中国共産党ウイグル内モンゴルチベットで行っている人道に対する犯罪であるジェノサイドから目を逸らしている。
 興味も関心もないと公言する親中国派・媚中派の政治家や官僚が存在する。
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⛩12)─1・C─外国生まれの神様でも日本の神様として神社で祀られている。~No.23 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本の伝統文化でる宗教界には、蔑視や敵視はなく偏見や差別による対立はなく、不寛容・排他による排除としての迫害、弾圧そして戦争は起きず、狂信的教条的偏狭的なカルトや原理主義による宗教テロなどは無縁であった。
 日本の民族宗教とは、「あるがまま、見た目のまま、そのままでいいという自然体」という美徳の哲学であり、全てを受け入れて共に生きて死ぬという「相互補完共生」思想であり、「八紘一宇」の皇道主義=大家族主義で、多様性、多元性、多種性に富んでいる。
 つまり、惟神の道(かんながらのみち)である民族宗教民族主義ナショナリズム愛国主義の源泉である。
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 2023年1月10日 YAHOO!JAPANニュース ラブすぽ「外国生まれの神様でも神社で祀られているの?外からきて「八百万の神々」に仲間入りした神様とは【図解 神道
 外国生まれの神様でも神社で祀られているの?外からきて「八百万の神々」に仲間入りした神様とは【図解 神道
 外来の神様も神道に取り入れられている
 神道は日本固有の宗教だから、崇拝されている神様も日本固有のもの、と思われているのではありませんか。概略では間違っていないのですが、「すべての神様が日本生まれ」というわけではありません。たとえば、神社によっては境内に七福神の社や像を祀っているところがありますが、七福神のうち純粋な日本の神様は恵比寿だけです。
 毘沙門天弁才天・布袋は仏教(インド)、福禄寿と寿老人は道教(中国)の神様です。大黒天はオオクニヌシのこととすれば日本の神様になりますが、大黒天という名前は仏教由来です。七福神は中世以降の信仰ですが、『古事記』『日本書紀』の神話まで遡っても外来の神様は登場しています。記紀(『古事記』『日本書紀』)の神話に登場する外国生まれの神様の代表がアメノヒボコ天之日矛命)です。
 アメノヒボコ朝鮮半島新羅の国の王子で、赤い玉から生まれた美女を妻としていました。美女はさまざまな美食をつくって夫に食べさせたのですが、驕り高ぶったアメノヒボコは妻を口汚く罵りました。すると美女は怒って「私はあなたのような者の妻になるべき女ではないのです」と言い、父が住むという日本の難波に渡ってしまいました。
 あわてたアメノヒボコはその後を追って難波に入ろうとしましたが、港の神に妨害されて中に入ることができません。そこで但馬国に鎮座したとされ、出石神社などで今も祀られています。アメノヒボコは渡来部系の氏族が祭祀を始めたのではないかと思われますが、このほか新羅明神のように留学僧などが伝えた信仰もあります。
 出典:『眠れなくなるほど面白い 図解 神道』監/渋谷申博」
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 現代の日本人は、民族的な歴史力・伝統力・文化力・歴史力そして宗教力がない為に、昔の日本民族が理解できない。
 そうした日本人は、マルクス主義の超エリート層である高学歴の政治的エリートと進歩的インテリに多い。
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 数万年前の縄文祭祀から生まれた神道祭祀は、海の外から伝来した客人(まれびと・まろうど)である渡来神や渡来仏を日本の神・仏として取り込み同化させ一体となってリノベーションを繰り返しバージョンアップしてきた。
 伝統的日本神道とは、時代によって海の外から渡来した数多くの宗教、神話、哲学、思想を新しい心・精神、悟り・真理として取り入れ、取り入れたモノを使って更新してきたバージョンアップ宗教である。
 日本神道は数万年前からの自然崇拝原始宗教であって、ユダヤ教イスラム教・儒教のような初期モデル宗教ではないしキリスト教のようなイノベーション宗教でもない。
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 日本民族は、海の外から流れ着いた漂流者と乱婚を繰り返して生まれた混血の雑種民族であり、海外からの善悪の影響を受けてリノベーションを繰り返したバージョンアップ民族であった。
 そこには、破壊的イノベーションは存在しない。
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 日本の八百万の神様は、形があって形がなく、姿があって姿がない。
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 日本神道の本質は、白黒をハッキリつけない「曖昧さ」、善い意味での「いい加減」「いい按配」であり、神々は「軽い絆」であり「淡い繋がり」であり「緩やかな関係」であった。
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 日本家屋の絶対条件は、家主義としての祖先の神棚と家族の仏壇であった。
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 日本神道を許し難い敵として滅ぼそうとしたのは、キリスト教マルクス主義共産主義であった。
 日本には、反宗教無神論・反天皇反民族反日のリベラル左派日本人が存在する。
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 日本の最高神は、皇室の祖先神である女性神天照大神伊勢神宮)である。
 皇室とは、女性神天照大神を祀る特別・特殊な血族・一族の事である。
 日本の神様を祀る事ができるのは、その神様の血を引く子孫(氏子)だけで、血の繋がらない他人には祀る資格がない、それが日本神道の正統性であり世襲制であり文化・伝統である。
 その象徴が、現・皇室である。
 男系父系と女系母系の違いは、ここにある。
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 世界的普遍宗教であるキリスト教が禁教とされ、「隣人愛信仰」のキリシタンが弾圧されたのは、中世キリスト教会が白人キリスト教徒商人の日本人奴隷交易に関与し寄付金を得ていたからである。
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 現代日本では、反宗教無神論信奉者であるリベラル左派のマイノリティ・ファシズムエコ・テロリストヒューマニズム原理主義による「神殺し」が静かに行われている。
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 曖昧さ回避 クトゥルフ神話の用語については「蕃神 (クトゥルフ神話)」をご覧ください。
 日本の七福神はそのほとんどが外来の神、つまり蕃神である。
 蕃神(ばんしん、あだしくにのかみ、となりのくにのかみ)とはその国、その土地の外部(外国、異国)からやってきた神。単に外国の神という意味ではなく、外来の神、つまり、外から入り込んできた後に定着し、その国、その土地で既に信仰の対象とされるようになってきている神を指していう。蕃神が信仰されるようになる経緯としては、意識的に布教される、あるいは、その国の人々が蕃神の存在を知り、自発的に信仰を始める、などが考えられる。
 もともと神道が信仰されていた日本においては、仏教伝来当初は仏を蕃神(となりのくにのかみ)と呼ぶなどしていた。
 概要
 日本では、仏教伝来当初、仏を蕃神(となりのくにのかみ)と呼び、日本でそれまで信仰されていた神道の神(国津神)と区別した。この区別の仕方は、仏教における仏が、外からやってきた「まれびと(客神)」として強く認識されていたことを示すとされる[3]。また、仏教の仏を「蕃神」あるいは「仏神」などとして、神道の神と併存させていく神仏習合の流れからは、世界各地で見受けられる習合主義が、日本においても無意識的・かつ顕著に発現していたことを確認できるともされる。
 以上のように、「蕃神」という語は、日本では神仏習合の歴史の中で論じられることが多い。一方で、現代の日本においては、「蕃神」という語は一般的ではなく、もはや「通用していない」とする説もある。
 語意
 「蕃」の字は、「(草木が)しげる」「ふえる」のほか、「えびす」つまり異民族の意を表し、異民族の意が転じて、外国人一般を指すようになった。なお、「蛮」の字も異民族を表すものであり、「蕃神」を「蛮神」と表記することもできる。もちろん、「蛮」の字を「蕃」に変えることもでき、たとえば「蛮族」を「蕃族」と表記できる。
 歴史
 日本では、仏教公伝直後、引き続き神道の神を信仰すべきだとする保守派と、今後は仏教を信仰すべきだとする革新派との間で激しい争いが展開された。それら、保守派には物部尾輿中臣鎌子が、革新派には蘇我稲目らが属していた。このとき、神道古神道)の神は「国津神」、仏教の仏を「蕃神」として区別されたという。 この区別の仕方は、上述のとおり、日本において、後世に「仏」をまさに「ほとけ」という言葉で呼び始める以前の、一般の人々の仏教への認識を示しているともされる。
 「仏」は、『日本書紀』の欽明天皇13年(552年)10 月の条で「蕃神」と書かれ、敏達天皇14年(585年)3月の条では「仏神」と書かれている。その後、200年近く過ぎた後も、依然として、「仏」は『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』(天平19年(747年))で「他国神」・「仏神」とされ、最古の仏教説話集として知られる『日本霊異記』でも、「隣国の客神」とされたのである。
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 日本人の宗教観、海外と違うけど変じゃない?米メディアが探る日本人の心根
 Sep 22 2015
 Luciano Mortula - LGM / shutterstock.com
 お正月には神社に詣り、結婚式はキリスト教の教会で挙げ、お葬式は仏教に則る。こういった、生活の中にいくつもの宗教が混在する日本人の宗教観を、一神教を基調とする欧米人は理解し難いと感じているようだ。その背景にあるものを、いくつかのアメリカメディアが探っている。
◆宗教が生活の一部として存在している日本
 クリスチャン・サイエンス・モニター紙(CSM)は、宗教と信仰が大部分において乖離している日本の状況について論じた記事を掲載した。同紙は、世界の宗教に関するニュースを幅広く取り上げている。
 CSMはまず、調査会社WIN/Gallup Internationalが発表した信仰心に関する調査結果を引用し、日本は62%もの人が信仰はないとしているにもかかわらず、多くの人が寺社仏閣などに参拝している日本の状況を説明する。つまり、ある参拝者が述べるように「神社にお詣りするのは、宗教を信じているのとは別」であり、宗教が生活の慣習の一部として存在しており、「聖と俗が分かちがたい状況にある」ということだ。
 その理由の1つとして、CSMは日本人の神社へのお詣りが現世利益主義的な側面が強いことを指摘する。明治神宮に飾られた絵馬には、さまざまな願いごとが書かれている。病気治癒や職場での昇進に、嵐のコンサートのチケットまで。宗教は、個人の信仰としてあるわけではなく、絵馬に書かれたように「願いごとがすべて叶いますように」と祈るためにある、というわけだ。
 またCSMは、2013年の伊勢神宮式年遷宮の年には過去最高の1400万人もの人を集めたことに注目する。その理由として、特に若い世代での参詣者の増加について、将来への不安が背景にあるのではと推測する。伊勢神宮の神宮司庁広報課員の音羽悟氏は、20年もの不況で多くの人が目的を失い、将来について不安を感じているため「スピリチュアルな癒やし」を求めている、と同紙に述べている。
八百万の神でもってして異国の神を受け入れる
 米公共ラジオ放送(PRI)は、日本の土着の信仰である、八百万の神を祀る「神道」に日本人の宗教観の背景を見出している。PRIに詳細を語っているのは、東京都の渋谷に位置する金王八幡宮の田所克敏宮司。彼の言によれば、「ある日、仏陀と呼ばれる神がアジア大陸からやってきた。その後、キリストと呼ばれる神が船でやってきた。すでにいた八百万の神にもう2つ加わった、というだけのこと」。田所氏はさらに、こういった日本人の受容性の高さを、天ぷらを使って説明する。もともと天ぷらはポルトガルから伝えられたものだが、日本人は受け入れ、文化の一部としている。
 田所宮司はさらに、次のように述べる。「人々は宗教を、何を信仰しているのかという観点ではなく、儀式の観点から見ている」。つまり、「この儀式(冠婚葬祭)はどう執り行うのか」が重要であるため、子どもが生まれれば神社にお宮参りし、結婚式はキリスト教の教会で挙げながら、問われれば即座に「仏教徒」と答える状況になっている、とPRIは論ずる。
◆荒ぶる神を受け入れ、内面の糧とする日本人
 しかし、この高い受容性が別の面で発揮されているのを、別のアメリカのメディアPBS(Public Broadcasting Service)が伝えている。ケンタッキー州にあるベリア大学のジェフリー・リチー准教授が、2011年の東北大震災に見舞われた人々が見せた忍耐強さを、宗教的観点から論じている。
 宗教学の准教授で、同大学のアジア研究プログラムの責任者であるリチー氏はまず、日本の『ゴジラ』やマンガ『アキラ』に見られるように、日本人の災禍に対する考えは、日本の伝統的な宗教文化に見られるような荒ぶる神としての姿に根付いている、と述べる。そして、本居宣長の『古事記伝』に記した「神(古事記伝では「迦微」)」についての論述を引用して、日本の神は善いものも悪いものもさまざまおり、その心も行いもとりどりであり、人の小さな知恵では計り知れないものだ、とする日本人の宗教観を示した。
 だからこそ震災が起きた時に、一神教キリスト教ユダヤ教イスラム教の信者が持つような「震災は神の裁きなのか」という問いではなく、「震災をどう受け止めるべきなのか、震災はどう自分の内面のためにあるのか」という問いを、伝統的な宗教観をもつ日本人は抱きがちになるのではないか、とリチー准教授は問いかける。
 西洋の基準からしてみれば、信仰心がないように見え、また日本人の自覚としても宗教に対する信仰心はないとしている人でも、人智を超えたものを畏れ敬う気持ちが日本人の中にあることは、以上の3つの記事からは示されているようだ。
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 イベントレポート イベントレポートTOP
 2017年4月11日(火)19:00~20:30
 秦 まゆな(はた まゆな) / 日本文化案内人・ 文筆家
 神話から学ぶ 日本人なら知っておきたい、日本人の信仰の話
 「八百萬(やおよろず)の神々」という言葉があるように、私たち日本人は古来より、自分たちを取り巻く万物に神を見出し、感謝と畏れとともに歩んできました。 日本神話は、そんな私たちの心の有り様を生き生きと伝えてくれている。「日本人は無宗教なのか?」「お寺と神社はどう違う?」など、外国の方に尋ねられたときに困らないために、日本人の信仰の原点を神話を通じて学ぶとともに、高野山伊勢神宮出雲大社熊野古道など、信仰息づく地の情報なども多数ご紹介いただいた。
 神様に近しい気持ちを持っていた日本人
 最近、街で目立つ訪日外国人客。その数は年間約2,000万人にも及んでいる。こうした観光で訪れる外国人の多くが目的としているのは、日本ならではの特色ある文化だ。 日本人は古代の昔から季節ごとの知恵や情緒を育んできた。なかでもその信仰観は外国の人から見ると独特なものとして映るらしい。
 「外国の人から見ると日本人は無宗教に見えるようです。でも本当にそうでしょうか」
 こう問いかける秦まゆな氏は、日本の伝統文化や歴史を正しく伝える活動を行なっている「日本文化案内人」だ。 昨今はパワースポットブームなどで若い女性を中心に人気となっている寺社仏閣。秦氏によれば「神社とお寺の違い」といった基本的な知識にすら欠けている人が少なくないという
 「そういうとき、私は、神社は神様を祀っているところで、お寺は仏様を祀っているところだよ、と言うのですね。すると今度は神様と仏様って何が違うの、と訊かれるんです」
 日本人の信仰の原点は神道。日本人は縄文の昔から神様の存在を感じとり、そこを聖地として手を合わせてきた。対して仏教は6世紀に大陸からもたらされたもの。導入された頃は宗教というよりも学問的な要素が強く、そこから得られる教えや知識は天皇や貴族など特権階級のものだったという。
 「神道の特徴は他の宗教と違って厳しい戒律や教典、教祖といったものがないところです。二礼二拍手一礼といった参拝の方法も、実は明治になって全国的に統一されたものです」
 布教されたわけではない。強制されたわけでもない。しかし、日本人は昔から、見上げるような巨岩や大木、あるいは滝や森といった自然に畏(おそれ)多いものを感じとり、それを聖地として崇めてきた。霊峰である富士山はその代表だ。今と違って人々の命を左右するのが神である自然だったこの時代、神は其処彼処(そこかしこ)に存在し、人々を見守っていた。太陽も神ならば、亡くなった家族も先祖神という神。これが日本独特の八百萬の神だ。そのためか、日本人は他の宗教には見られぬほど神様に近しい気持ちを持っていたという。
 おおらかな日本人の信仰観
 「戒律や教典がないのは日本人はそれを必要としていない道徳心を持った民族だったということ。誰もいなくてもお天道様が見ている。だから悪いことはできない。 神様がいれば自然と手を合わせる。そういう意味で日本人の信仰心はとても強いのではないでしょうか」
 現在でも初詣客などを見てみると、明治神宮の約310万人を筆頭に、浅草寺成田山新勝寺、川崎大師、鶴岡八幡宮伏見稲荷住吉大社などには250万人以上の人が訪れている。これは巡礼月にメッカに集うイスラム教徒と変わらぬかそれよりも多い数だ。その一方で、正月の1週間前には「メリークリスマス」と言いあい、2か月前にはハロウィンで盛り上がるのが日本人。外国人から不思議に思われるのも無理はないが、そこには日本人ならではの宗教に対するおおらかさがある。仏教が受け入れられたのもその証拠。9世紀、空海によって仏教が庶民の間に広まると、人々は神も仏も関係なく手を合わせた。空海自身、仏教の一大聖地である高野山を開くにあたり、まず建てたのは守り神としての丹生都比売(にうつひめ)神社の御祭神を祀る「御社(みやしろ)」だった。その後、明治の神仏分離令までの間、人々は神仏習合を当然のこととしてきた。その一例が「妙見様」だ。仏教で北極星北斗星を神格化した妙見菩薩(みょうけんぼさつ)は、神道では天空の中心にいる天之御中主神(あめのみなかぬし)。人々はそう理解し、ふたつの神をひとつとしてきた。神社と寺に大きな違いがあるとすれば、それが建つ場所だ。日本の寺の多くは時の権力者や裕福な人々が建立したもの。基本的に場所はどこでもいい。それが神社の場合は、そこでなければいけない場所に建てられた。それが人々が尊い者の存在を感じた場所、「聖地」だ。熊野三山で言うならば、大斎原(おおゆのはら)であり、那智の滝であり、ゴトビキ岩でありといった神が降臨された、または神そのもののおられる場所。もとは社殿などもなかった場所だった。
 日本神話を知っていれば神社が何倍も楽しくなる
 歴史ある神社といえば、まず思い浮かぶのは伊勢神宮出雲大社などだろう。毎年多くの参拝客で賑わうこれらの神社をより楽しむのに知っておきたいのが日本神話だ。 「伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)の国生み(くにうみ)」、「天石屋戸(あまのいわやと)」、「八股大蛇(やまたのおろち)、「稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)」、 そして「国譲り」。こうした有名な神話は実はひとつのつながったストーリーだ。そして、その神話には「国譲り」の出雲大社など今も残る神社がいくつも登場する。
 「神話を知らなければ神社はたんなる観光地で終わってしまう。でも知っていれば二重にも三重にも楽しむことができます」
  それだけではない。神話にはさまざまな力を持った神々が登場する。同じ参拝に行くのでも、今の自分が必要とすることに合った神様を祀った神社を訪ねるといった楽しみ方ができる。同時に、こうした神話の知識があれば、日本各地に残る祭事もより興味深く見ることができるはずだ。その第一歩として読みたいのが『古事記』だ。『古事記』は正史ではなくあくまでも神話だが、そこには1300年前の日本人が何をよしとし、何をよくないことと考えてきたかが記されている。そして、代々の日本人はそれを大切に受け継いできた。原文でなくても最近は読みやすい現代語の新訳や漫画なども出ている。現代を生きる日本人であるならば一度は読んでおきたいものだ。神社を訪ねるなら「遠くのお伊勢様より近所の神社」から。土地の神(産土神)を祀った地域の神社は、日々その地に暮らす自分たちを見守ってくれている。
 「できれば毎月1日と15日、余力のある方は旧暦の1日と15日を調べてお参りしてください。参拝するときは、お願いするというよりも神様に向かって誓う、といった気持ちでいるといいでしょう」
 これまでも日本全国の神社を巡ってきた秦氏。感じるのは「神社というのは行くというよりもお招きされるもの」だということ。
 「行きたいと思ってもなかなか行けない神社もあれば、すごい山の中なのに何度も行けてしまう神社もあります。これが神様との御縁なんでしょうね」
 秦氏の「夢」は「自分の子供にきちんと自分の国の神話を伝えることができるお母さんやお父さんをつくること」だ。<br>
 「日本文化案内人の活動を通じて、日本神話を取り戻していきたいなと思っています」
 ※伊邪那岐など、一連の神話の名前などの表記は『古事記』(岩波書店)にならったものです。
 講師紹介
 秦 まゆな(はた まゆな)
 日本文化案内人・ 文筆家
 千葉県市川市生まれ。学習院大学文学部史学科卒。『古事記』『日本書紀』をもとに全国の神社をめぐり、日々取材を進めている。「母国・日本の歴史を正しく知り、我が子に伝えられるお母さんをつくる」ために執筆・セミナーなどで活動中。著書に『日本の神話と神様手帖 あなたにつながる八百萬の神々』(マイナビ)。
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 世界神話の中での日本神話の特徴は「人間の格づけ」にある
 世界神話の中の古事記日本書紀(1)人間の位置づけ
 鎌田東二京都大学名誉教授
 情報・テキスト
 日本神話の特徴とはいったい何だろうか。世界神話と比べた際にもっとも大きな違いは、「人間の格づけ」である。では世界神話の中での人間の位置づけ、さらには日本神話の中での人間の位置づけは、どのようなものだろうか。(全9話中第1話)
 ※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
 時間:16:12
 収録日:2020/10/05
 追加日:2021/03/31
 ジャンル:
 歴史・民族日本史(古代~中世)
 文化・芸術日本文化
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 神話 ユダヤ教 日本神話 日本書紀 古事記 メソポタミア神話
 ≪全文≫
●「人間の位置づけ」が神話によって異なる
―― 皆様、こんにちは。本日は鎌田東二先生に、「世界神話の中の古事記日本書紀」というテーマでお話をいただきたいと思います。先生、どうぞよろしくお願いいたします。
 鎌田 よろしくお願いします。
―― この講義シリーズでは、『古事記』『日本書紀』について、また世界神話の中での日本神話について、数回に分けてお話をいただきます。
 まず総論として、世界神話という観点から見たとき、古事記神話、日本書紀神話について、世界神話と共通している部分、あるいはそれらが特別な部分など、どのように捉えておられますか。
 鎌田 まず「人間の位置づけ」、神と人間の関係がどうなっているかということが、神話の中での一つの重要なポイントです。私たちがどこから来てどこへ行くのか、この世界がどのように出来上がってきたのか、その中で人類がどのように生まれてきたのか――そういった宇宙の始まり、世界の始まり、人類の始まり、文化の始まりを「創世神話」として語ることが、根本の原型的な物語です。
 神がどのように人間を創造したのか、あるいは神がどのように人間へつながっていったのか。この辺りが、例えば『旧約聖書』の物語と、日本の『古事記』や『日本書紀』の伝承の物語とで、ずいぶん違います。それからメソポタミアの物語ともずいぶん違うのです。
 今回の主要な話としては、シュメール文明などのメソポタミア神話、ユダヤ教天地創造の神話、日本神話の3つを比較しながら、そこにおける「人間の位置づけ」について考えていきたいと思います。
―― これは非常に興味深いテーマですね。
 鎌田 川上さんは、この3つの神話で、「人間の位置づけ」についてどのような違いがあると思いますか。
―― 不勉強ながら、メソポタミアの神話についてはあまり存じ上げないのですが、ユダヤ教の『旧約聖書』では、神が自分を模した創造物として人間を作りますね。対して日本の神話では、神様が次々と生まれてくる描写はあるのですが、人間はどうなのかということが非常に曖昧ですね。
 鎌田 そこなのです。「人間の位置づけ」が、日本の神話では非常に曖昧です。神と人間の連続性、系譜的なつながりの中で、どこからが神で、どこからが人間なのかということが不明確なのです。だから、神も人間的だし、人間も神的です。徳川家康菅原道真も神として祀られているわけですから、神と人間の境界という、はっきりとした断絶線、分裂線がないのです。
―― つくった・つくられたという関係ではないですよね。
 鎌田 樹木などのような生命的なリレーというか、連続線の中にあるわけですね。メソポタミア神話とユダヤ神話の大きい違いは何か。人間がどのような役割で生まれてきたのかについて、ユダヤ教の神話では「神の似姿(イメージ)として作られた」と言います。だから、人間は神様に近い存在です。
―― 人間の姿形が神様のイメージということですね。
 鎌田 神は目に見えないし、超越的な存在なので、神を実体化することはできないにしても、そこで書かれている文言は「人間は神のイメージ(似姿)として作られた」というものです。神の似姿ということで、人間は非常に重要な意味合いを持っているわけですね。
 ところがメソポタミア神話では、人間は下級神の労働の役割を担うためにつくられた、と言うのです。
―― 人間は働くために生まれたということですね。
 鎌田 奴隷やロボットのような存在としてつくられた。しかも粘土からつくられた、と。メソポタミア神話もエジプト神話も、基本的には神道と同様に多神教です。マルドゥク神などのいろいろな神様がいる。天・地・風といろいろな神々ができ、そのような点では日本の神々の生成と似ている面があります。ですが、「人間の格づけ・位置づけ」が大きく違うのです。
―― 人間の位置づけはずいぶん低いですね。
 鎌田 非常に低い。なぜそうなったか。王権を正当化するためには、特別な人間をつくらなければいけません。王様は神の血筋である、神の威力を持っている存在である、と。そのため普通の人間は、そういった特別な王のような存在ではなく、仕事をしなければいけないのです。
―― 初めから奴隷のような存在が前提になっているわけですね。
 鎌田 ジグラートやピラミッド、スフィンクスといったものを造るにあたって、使役されるためにつくられた存在です。上級神、中級神、下級神がいて、その下級神格のさらに下の位置づけとなります。ヒンドゥー教あるいはバラモン教で、バラモン、クシャトリア、バイシャ、シュードラ、そしてアウトカーストといったカーストで例えるならば、人間は一番下の格づけです。下級神の労働を肩代わりする形で、人間がつくられたのです。
 ところが、そのような物語をユ...
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🎃2)─4・B─承認要求が強い心優しい日本人が新興宗教・カルト教団に勧誘されやすい。~No.7 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2023年1月12日 MicrosoftStartニュース AERA dot.「「誰も助けてくれず、ほめてくれない」 女性が新興宗教のターゲットになる構図とジェンダー問題
 女性と結びつき、勢力を拡大してきた面がある新興宗教。その根本には、ジェンダー不平等の社会構造があるという。AERA 2023年1月16日号から。
 ※写真はイメージです(GettyImages)
 © AERA dot. 提供
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 新興宗教新宗教)と女性──。
 旧統一教会をはじめ一部のいわゆる新興宗教は、女性と強く結びつきながら勢力を拡大してきた面があると識者から指摘されている。
 安倍晋三元首相を銃撃した山上徹也容疑者の母親も、旧統一教会の信者だ。81年、母親は自身にとって精神的な支えだった実母を失い、84年に夫が自殺。長男も大病を患った。思い悩み、救いを求めたのが旧統一教会だった。入信したのは91年。活動にのめり込み、総額1億円を超える献金をした。
■苦しむ女性の「受け皿」
 新興宗教に引き込まれた女性の背景に、何があるのか。
 30年以上にわたり新興宗教を取材し、『新宗教の現在地』の著書があるフリーライター・いのうえせつこさんは、「新興宗教は女性をターゲットにしてきた」と語る。
 「背景には今も昔も変わらない、女性が置かれた立場があります。特に主婦の場合、夫は外で働きお金を稼ぎ、妻は家庭で子育てをする『性別役割分業』の社会通念がある。その中で、『子どもがしっかり育たないのはお前のせいだ』などと言われる。苦しみ追い詰められた女性にとって、新興宗教が受け皿になっていくのです」
 勧誘の手段として、旧統一教会は「先祖の祟(たた)り」を持ち出すのが特徴だという。例えば、「あなたが悪いわけではない。4代前の先祖が成仏してないから」などと持ちかける。「因縁トーク」と呼ばれるもので、不幸の原因が家系にあるなどと脅し、不安をあおる。
 4代前の先祖が成仏していないという論拠は、理性で考えればおかしいと思えるはずだ。だが、狭い空間で一つのことを言われ続けると、マインドコントロールされて思考停止に陥り、信じるようになってしまうという。
 「さらに、教会に行けば、同じ悩みを抱えた仲間がたくさんいます。そして、献金を続ける限りは守ってくれます。そうした居心地のよさも、逃げ場をなくした主婦たちの受け皿になっていると思います」(いのうえさん)
 宗教社会学が専門の猪瀬優理龍谷大学教授は、女性が新興宗教に入信する背景には、現代の日本社会にいまだ横行しているジェンダー不平等な性別役割があると指摘する。
 「日本では女性が家事や子育て、介護などの『家族に対するケア役割』を引き受けることを『当たり前』とする風潮がいまだにあります。一方で、男性は家庭におけるケア責任を負っている意識は希薄です。家庭で困難があっても基本的に誰も助けてくれず、うまく対処できていたとしても誰もほめてくれません」
■宗教活動で達成感
 ジェンダー不平等な社会構造や価値観が、女性の入信の動機が「家庭的問題」になりがちであることの根本的な要因であると考えられるという。
 猪瀬教授は以前、エホバの証人を脱会した元信者を対象に調査をした。
 自ら信者になった女性らは、子育てに不安や悩みを持っていたが、明確な支援は得られていなかった。だが、エホバの証人とともに聖書研究をしたり、集会に行ったりするようになると、指針だけでなく達成感や満足感が得られた、と話したという。
 「つまり、通常の家庭生活ではこのような実感があまり得られなかったわけです。宗教集団への参加によって、家庭からの一時的な逃げ場や自己実現の可能性を得ることもできるのではないかと思います」(猪瀬教授)
 新興宗教は、子どもも抑圧している。
 「宗教2世」における女性の問題を指摘するのは、日本基督教団白河教会牧師の竹迫之(たけさこ・いたる)さん(55)だ。旧統一教会の元信者で、40年近く脱会支援活動を続ける竹迫さんは言う。
 「特に2世の女性は、自由な恋愛は禁止され、露出の多い服装も許されないなど、子どもの頃から主体性を剥奪されています。そのため、成長するに従い、教団の教義がおかしいと気がついても、それを認めることが難しいのです」
ジェンダー平等が急務
 教義の否定は、親を否定することになる。それは自分のルーツを否定することになり、自分は間違って生まれてきた人間なのかと悩み、自尊心が損なわれていく。宗教2世の女性の中には、教義はおかしいと思いながら認めることができず、脱会できなくなっている人もいるのではないかという。
 「女性が新興宗教に取り込まれてしまう背景には、日本社会におけるジェンダー不平等があります。旧統一教会はそこにつけ込んできた。勧誘する際に、そうした我慢から解放されると期待させるのです。女性の被害をなくすには、女性の妊娠や出産への手厚い政策を実施し、子育てしてもキャリアが途絶えない社会や企業文化を育てていくしかないと思います」(竹迫さん)
 猪瀬教授も、「女性の被害」をなくすには、根本的にジェンダー平等を実現することが必要だと話す。
 「それは単に、男女間の平等ということではありません。性を男と女に分類する『男女二分法』など、格差を生み出す仕組みを意識的になくしていくことが必要です」
 「女らしい」家族的役割や「男らしい」対外的役割の区分がなくなり、フラットになっていけば、女性ゆえに被害を受ける事態は減っていくはずだという。
 「新宗教に搾取される人を減らすためにも、大きな社会変革が必要であり、その中ではジェンダー平等の実現は急務です」(猪瀬教授)
 (編集部・野村昌二)
 ※AERA 2023年1月16日号より抜粋
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