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関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
敗戦国日本には戦勝国の非人道的戦争犯罪を告訴する権利はない。
法の下の平等は、敗戦国=戦犯国と戦勝国との間にはない。
その証拠に、軍国日本・日本軍部、A級戦犯による人道貢献は認められていない。
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歴史力のない現代日本人には、昭和天皇の玉音放送を正しく理解できない。
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昭和天皇の玉音放送(抜粋)
「…。陸海軍の将兵は勇戦奮闘し、多くの役人たちも職務に励み、一億国民も各職域に奉公してきた。それぞれが最善を尽くしてきたが、戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢もまた我々に不利である。そればかりでなく、敵は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使用して、多くの罪なき人々を殺傷し、惨害がどこまで広がるかはかり知れない。なおも戦争を続けるなら、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも打ち壊すことになるであろう。そのような事態になれば、私はどうして我が子のような国民を保護し、歴代天皇のみたまにお詫びできようか。これこそ、私が政府に対し、ポツダム宣言に応じるようにさせた理由である。」
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2017-09-28
✨21)─1─昭和天皇は、原爆は非人道的大量殺戮兵器であるとして開発中止を厳命した唯一の国家元首。~No.89No.90No.92・ @ ⑰
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昭和天皇と政府や軍部は、原爆投下実験前に降伏したい事をアメリカやソ連に伝えていたが拒否されていた。
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2024年9月2日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「朝ドラ『虎に翼』雲野六郎はなぜ「原爆裁判」に固執したのか? モデルになった弁護士が感じた“戦勝国を裁けない”悔しさ
朝ドラ『虎に翼』外伝no.62
NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』は、第23週「始めは処女の如く、後は脱兎の如し?」が放送中。寅子(演:伊藤沙莉)らが担当する「原爆裁判」の準備手続きが終わろうかという時に、この裁判に全身全霊で取り組んでいた雲野六郎(演:塚地武雅)が急逝する。雲野の遺志を継いだ岩居(演:趙珉和)を支えるべく、山田よね(演:土居志央梨)、轟太一(演:戸塚純貴)が原告代理人側に加わり、いよいよ世紀の裁判が幕を開けた。なぜ国を相手取った難解な裁判を起こすに至ったのか、その理由を史実から考察する。
■極東国際軍事裁判で実感した敗戦国の弱さ
作中に登場する雲野六郎は、実在した弁護士数人をモデルに作り上げられた人物と思われる。そのうちの1人が、海野普吉氏だ。戦前には河合栄治郎事件、横浜事件などを担当。これらの事件は名前を変えて作中にも少し登場していた。
そして、史実において原爆裁判に至る道の先頭に立っていたのが、もう1人のモデルと考えられる岡本尚一氏である。彼は昭和21年(1946)5月3日に開廷した極東国際軍事裁判において弁護側の1人として法廷に立っていた。
極東国際軍事裁判では、東条英機元内閣総理大臣ら28人がA級犯罪「平和に対する罪」、B級犯罪「通常の戦争犯罪」、C級犯罪「人道に対する罪」の容疑で裁判にかけられた。裁判中に病死した2人と、病によって免訴された1人を除いて25人が有罪判決を受け、7人が死刑、16人が終身禁固刑、残る2人が禁固刑7年と20年という判決を言い渡されている。
ヒロシマ平和メディアセンター「ヒロシマの空白 未完の裁き<1><2><3>」によると、岡本氏はこの極東国際軍事裁判を経験するなかで「悲惨な原爆投下の罪が戦争に勝ったからといって不問に付されることへの悔しさや怒り」を覚え、この責任を法廷で追及できないかと思い至ったという。
そして昭和28年(1953)、岡本氏は「原爆民訴或門」と題して冊子を作成した。その前文には、「戦勝国側の原爆投下という罪が何ら責任を問われないことに不公正さを感じた」ということ、そして「サンフランシスコ講和条約を結んだ後も、アメリカの指導者に期待していた原爆投下の悔恨の情が発露しなかったことへの落胆」が記されていた。同時に、本文において原爆投下はハーグ陸戦条約が禁止している無差別攻撃や「不必要な苦痛を与える兵器」にあたることから国際法違反であると論じている。
日本反核法律家協会が公開している資料によると、岡本氏は同年に広島と長崎の弁護士らに“共闘”を呼びかけたという。しかし彼と共に闘おうという弁護士は少なかった。そのうちの1人である松井康浩氏は、著書『戦争と国際法 原爆裁判からラッセル法廷へ』で、「彼に心から共鳴する弁護士は少数であり、ともに行動する弁護士は私一人でもいいという状況であった」と述べている。
昭和30年(1955)4月25日、岡本氏が原告代理人となって、東京地裁に損害賠償とアメリカの原爆投下を国際法違反とすることを求めて訴訟を提起した。そして、同年7月16日に準備手続きが開始された。じつに27回に及ぶ長い準備手続きの始まりだった。
第27回準備手続きが終了したのは、昭和34年(1959)11月19日のこと。第1回口頭弁論は翌昭和35年(1960)2月8日に行われた。しかし、残念ながら岡本氏は準備手続きが終わる前年、提訴から3年が経った昭和33年(1958)4月5日に志半ばで亡くなった。
岡本氏は歌集に次のような短歌を残している。「東京裁判の法廷にして想いなりし原爆民訴今練りに練る」、「夜半に起きて被害者からの文読めば涙流れて声立てにけり」、「朝に夕にも凝るわが想い人類はいまし生命滅ぶか」
自分の損得や利益ではなく、法的に救済されることなく風化していく原爆の被害と人々の無念を背負って国と対峙した岡本氏の想いは、法廷で原爆投下の罪を追及し、「広島長崎両市に対する原子爆弾の投下行為は、国際法に違反するものである」と明言する内容を含む判決文に繋がっていくのである。
岡本尚一
出典:『法廷風景 : 歌集』/国立国会図書館蔵
<参考>
■清永 聡『三淵嘉子と家庭裁判所』(日本評論社)
■神野潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)
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9月4日16:30 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「朝ドラ『虎に翼』日本は原爆投下直後に「国際法違反」と抗議していた? 原爆裁判の原告側が突き付けた“切り札”とは?
8月10日にアメリカ政府に提出された抗議文では、あくまで6日に行われた広島への原爆投下に対する抗議という内容になっている。
NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』は、第23週「始めは処女の如く、後は脱兎の如し?」が放送中。寅子(演:伊藤沙莉)らが担当する「原爆裁判」では、雲野の遺志を継いだ岩居(演:趙珉和)や山田よね(演:土居志央梨)、轟太一(演:戸塚純貴)ら原告代理人側と被告である日本国が真っ向から対立し、国際法学者の見解を盾に膠着状態を続けている。今回は、史実の裁判において原告側が主張した「日本国は既に原爆投下が国際法違反であると認識していただろう」という主張について解説する。
■裁判の争点となった「国際法の違反」は何を根拠にしているか
原爆裁判では、大きく分けて2つの事柄が争点となっていた。ひとつは「アメリカによる広島・長崎への原爆投下が国際法に違反するか否か」、もうひとつは「原告らが国に対して賠償請求する権利があるか否か」である。
ここでいう国際法とは、戦時国際法すなわち「戦争状態においても遵守されるべき法」である。戦時のみに適用されるというわけではなく、宣戦布告のない軍事衝突もこれに該当する。
1899年と1907年に締結された「ハーグ条約」は、戦時国際法を成文化した条約・宣言で構成されているが、そのうちの「ハーグ陸戦条約」は、1899年にオランダ・ハーグで開かれた第1回万国平和会議において採択された「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」と附属書の「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」を指す。これは改定・拡張されながら現代まで続いている。
日本は明治44年(1911)に批准し、明治45年(1912)1月13日に「陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約」として交付した。
原爆裁判で原告代理人が「国際法に違反する」と主張したのは、国際法において「不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること」が禁じられていることや「防守されていない都市、集落、住宅または建物は、いかなる手段によってもこれを攻撃または砲撃することはできない」などと定められているからだ。
そして「原爆投下は人類に対する塵殺行為であって、これを敵国戦闘力の破壊を目的とする戦闘行為と認めることができないことは文明国民の争い得ないことである」とした。
■帝国政府からアメリカに送られた「抗議文」とは
裁判は難航を極めたが、原告の主張を真っ向から否定する被告側(国)に対して、原告側代理人はとある事実を突きつけた。「国は原爆投下直後にアメリカに抗議文を送っていたではないか」というのである。
昭和20年(1945)8月10日、大日本帝国政府は永世中立国であるスイス政府を通じて、アメリカに抗議文を送った。「交戦者、非交戦者の別なくまた男女老幼を問はず総て爆風及び輻射熱により無差別に殺傷せられ(中略)不必要の苦痛を与うべき兵器、投射物其の他の物質を使用すべからざることは戦時国際法の根本原則にして、それぞれ陸戦の法規慣例に関する条約附属書、陸戦の法規慣例に関する規則第22条、及び第23条(ホ)号に明定せらるるところなり(中略)本件爆弾を使用するは人類文化に対する罪悪なり」などと記した公文によって、即時の原爆使用中止を厳重に要求したのである。
この事実に基づくならば、国としても原爆投下は国際法で禁止されているような「非人道的な兵器による無差別な攻撃」と認識していたのだろう、と主張したのだ。その上で「今被告が原爆投下について国際法に違反するかどうかは断定し難いというなら、当時の日本政府は国際法を正しく認識していなかったというのか。原告らはむしろ、あの短期間で抗議文を送ったことを“世紀の大抗議”であると日本国民として名誉に感じているというのに」と述べた。
原爆裁判の判決はご存知の通り、原爆投下が国際法に違反することを認めながらも原告側の損害賠償請求等の訴えを棄却している。判決においてこの「大日本帝国政府の世紀の大抗議」については以下のように判断された。「抗議文の内容は原告等の主張される通りである。しかし、これは当時交戦国として新型爆弾の使用が国際法の原則及び人道の根本原則に反するものであることを主張したのであって、交戦国という立場を離れて客観的にみるならば、必ずしもそう断定することはできない」と。国側の主張が認められた形だ。
原爆投下は国際法違反か否か、原告らの損害賠償請求権は認められるのか……それだけではなく、原爆による被害に苦しみ続ける人々がどこに救済を求めればいいのか……。『虎に翼』では、被爆者と国、それぞれの立場とイデオロギーの違いによる対立を正面から描いてゆく。
<参考>
■日本反核法律家協会「原爆裁判・下田事件アーカイブ」
「昭和三〇年(ワ)第二九一四号、昭和三二年(ワ)第四一七七号損害賠償請求併合訴訟事件」
歴史人編集部
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2017年1月22日 産経新聞「入門・日米戦争どっちが悪い(8)
野蛮な復讐劇だった東京裁判 原爆など米ソの戦争犯罪は不問に
渡辺 浩
…。
唯一の救いは、日本人弁護人を補佐した米国人弁護人が公正だったことです。元陸軍参謀総長、梅津美治郎の弁護を務めたベン・ブレークニーは5月14日の法廷で、こんな発言をしました。
「キッド提督の死が真珠湾爆撃による殺人罪になるならば、われわれは広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前もわれわれは承知している」「原爆を投下した者がいる! この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認した者がいる! その人たちが裁いている」
ところが、この発言は法廷で日本語への通訳が行われませんでした(一般的には原爆発言が始まると突然通訳が止まったと説明されていますが、実際にはその前から通訳が行われていませんでした)。日本語の速記録では、通訳されなかった数十分間のやりとりが「以下通訳なし」となっています。
この日、通訳作業が混乱した理由は分かりません。英語が得意でない多くの日本人傍聴人は、1983(昭和58)年に公開された記録映画「東京裁判」の字幕を見て、初めてブレークニーの原爆発言を知りました。
ブレークニーは翌1947(昭和22)年3月3日の法廷でも原爆について取り上げ、米陸軍長官ヘンリー・スチムソンによる原爆投下決定に関する英字新聞の記事を証拠として採用するよう求めましたが、ウェッブは却下しました。
4月22日の法廷で元陸相、畑俊六の弁護人アリスティディス・ラザラスが、日本が共産主義が広がるのを警戒していたことを立証しようとすると、ウェッブは「この連合国の法廷が敵側の宣伝に示している寛容と忍耐力をあまり利用しないでください」と言い放ちました。俺が日本の言い分を我慢して聞いているのに、お前は米国人のくせになぜ日本をかばうのか-という意味です。
さらに「あなたは連合国各国を侮辱することに非常な喜びを感じているようだ」「私は自分の国に対する忠誠心はこの上もない」などとラザラスを非難し、公正な裁判でないことを露呈しました。
こうして、米国やソ連などの戦争犯罪はついに裁かれることはありませんでした。
…。」
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9月5日 YAHOO!JAPANニュース JBpress「【虎に翼】被爆者救済へ道を開いた原爆裁判、なのになぜ寅子のモデル・三淵嘉子さんは裁判を振り返らなかったのか
『虎に翼』番組HPより
(放送コラムニスト:高堀冬彦)
■ 半年間テーマがブレない稀有な朝ドラ
朝ドラとしては異例の熱狂を生んだNHK連続テレビ小説『虎に翼』が、27日に最終回を迎える。現在の時代設定は1959年。主人公で裁判官の佐田寅子(伊藤沙莉)は45歳になっている。
【写真】東京・目黒の高層マンションのベランダで草木を愛でる三淵嘉子さん(1982年6月)。三淵さんはこの2年後に亡くなった
テーマは一貫して憲法第14条の「法の下の平等」。朝ドラの中には途中で迷走し、何を言いたいのか分からなくなるものも珍しくないが、この作品は違った。ブレなかった。
前半は男女差別の不当性が描かれた。寅子は自分たちの高等試験司法科(現・司法試験)の合格を祝う場で演説し、差別への怒りを爆発させた。もちろん私憤ではなく、公憤だ。だから観ていて痛快だった。第30回(1938年)である。
「女は弁護士にはなれても裁判官や検事にはなれない。男性と同じ試験を受けているのにですよ!」
第108回と109回では再び男女差別が描かれた。話の中心となったのは寅子を慕う若手判事補・秋山真理子(渡邉美穂)である。
新婚の秋山は自らの妊娠を寅子に打ち明けるが、喜びはなく、狼狽していた。裁判所から認められている出産休暇は産前6週間、産後6週間しかなく、これでは出産すると職場復帰は難しいからだ。出産イコール辞職。事実上の男女差別だった。
うろたえる秋山に対し、寅子は「あなたが判事を続けたいと思うのなら、居場所は必ず残す」と約束する。寅子は後輩のことをよく考える人になった。以前はミーイズムが強かったが、第76回から96回の新潟編で新潟地家裁三条支部長を務めたことで変わった。このドラマは観る側に気付かれぬうちに登場人物たちを成長させる。
寅子による秋山の支援に全面協力したのは母校・明律大法学部の仲間たちである。同級生で弁護士の山田よね(土居志央梨)、同じく轟太一(戸塚純貴)、先輩で検事の中山千春(安藤輪子)らだ。
産前産後休暇の長期化や育児中の時短勤務などを求める署名を、最高裁事務総局あてに書いた。東京地裁所長の桂場等一郎(松山ケンイチ)も根回しをしてくれた。やたら現実味のある話だった。これに近い話は現代の職場にもあるだろう。
男女差別は最終回までにまだ描かれるのではないか。多すぎるということはないだろう。日本の男女差別は今も深刻なのだから。賃金だけ比較しても女性は男性より約3割も少ない(今年1月、厚生労働省調べ)
■ 今では考えられないような女性差別が法曹界でも実際に
寅子のモデルである三淵嘉子さんの関係した男女差別が1970年代に立て続けに起きたという事情もある。同年、最高裁人事局長がこう発言し、物議を醸す。
「最高裁は女性を採用しないことはないが、歓迎しない」
人事局長は生理休暇が迷惑であるとの発言もした。嘉子さんたちは女性の権利確立に向けて力を注いできたが、時計の針が戻されてしまったのである。
嘉子さんは副会長を務めていた日本婦人法律家協会(現・日本女性法律家協会)を通じて人事局長に抗議した。「女性への侮辱で、司法に対する信頼を失わせる」。この団体は裁判官、検察、弁護士のオール法律家の女性たちで組織されていた。嘉子さんは身内である裁判所内で起きた問題にも遠慮しなかった。だから尊敬された。
男女差別問題は1976年にも起きた。今度は法律家の育成機関である最高裁司法研修所の幹部たちが、女性の司法修習生に対し、こんな心ない言葉を浴びせた。
「女性は裁判に向いていない」「裁判官や弁護士になることは考えず、家庭に入って良い妻になるほうがいい」「男が生命をかける司法界に女が進出するのは許せない」
女性の人権を無視した発言だった。この話を当事者の女性司法修習生から直接報告された嘉子さんは激高した。
嘉子さん以外の女性法律家たちも憤怒した。100人を超える女性弁護士たちが日本弁護士連合会(日弁連)と衆院法務委員会に事実関係の究明を申し入れた。司法研修所の幹部たちは嘉子さんが動く前に事実上更迭された。
■ クレームを恐れない脚本家と制作スタッフの覚悟
物語の中盤では男女差別以外の問題が描かれた。無実の朝鮮人を放火犯として起訴してしまった問題(第87回)、同性愛と性同一性障害の問題(第103回)、夫婦別姓問題(第105回)。
朝ドラには牧歌的作品もあるが、このドラマはコンテンポラリーなエピソードが並び、刺激的だった。TBSには「ドラマはジャーナリズム」という言葉があるが、このドラマはまさにそうで、観る側に社会を考えさせた。
「政治的だ」という批判もあった。平素の朝ドラは「絶賛以外は認めない」という同調圧力が感じられるから、批判があるのはむしろ健全だった。しかし、このドラマが政治的かというと、そうとは思えない。
身近な憲法第14条を扱ったに過ぎないのだから、政治的ではない。突飛なエピソードは登場せず、男女差別や民族差別、同性愛への偏見が描かれただけ。誰もが見聞きしている問題なのである。
日本のドラマがつまらない理由の1つは、クレームを恐れて無難なストーリーの作品ばかりつくるから。米国のドラマにはオバマ元大統領ら実在の政治家に扮した俳優が頻繁に登場する。からかわれることも多い。9・11テロなどの政治的問題も描かれる。人種差別など現実にあるすべての差別がテーマとして出てくる。表現の自由が確立している。
今週の放送も政治的と捉える人が出るかも知れない。被爆者5人が国に賠償を求めた「原爆裁判」の判決が出るからだ。1963年のことである。
■ 裁判長も左陪席も判決を回顧しているのに…
この裁判は98回(1955年)から断続的に審理が続けられてきた。寅子は右陪席(次席)裁判官として最初から最後まで8年も審理に加わった。嘉子さんも同じである。
退官後の嘉子さんは自分の関わった裁判に関することをかなりオープンにした。ところが原爆裁判に関しては何も話さなかった。守秘義務が理由ではない。裁判官の場合、憲法第21条で「知る権利」が保障されているため、公益性のある情報は明かせる。元最高裁判事たちが回想録を書けるのもこのためである。
原爆裁判の裁判長だった古関敏正さんは後に「あの判決は正しい」などと自己評価している。嘉子さんの後輩で左陪席裁判官を務めた高桑昭さんも判決を下すまでの経緯などを明かしている。ところが、嘉子さんは沈黙を続けた。
なぜか? それは判決で「原爆投下は国際法違反」とし、国内外で高く評価されたものの、原告の請求を棄却したことに忸怩たる思いがあったからではないか。
■ 判決を下す裁判官もきっと辛かったはず
嘉子さんは1938年に高等試験に合格した際、『法律新聞』の取材に対し「不幸な方々の御相談相手として少しでも御力になりたいと思っております」と答えている。
裁判官を退官する間際の1979年に母校・明治大に招かれて講演を行った際には、学生たちに向かって「私は、皆様方にエリート意識など持って欲しくないのです」と訴えた。弱者の側に立ち続けていた人なのだ。ところが、原爆裁判では弱者である原告たちの訴えを退けた。辛かったに違いない。
原告の1人は原爆投下時に47歳。自営業を営んでいた。原爆によって運命は暗転し、4歳から16歳までの子供5人が爆死してしまう。妻とほかの子供も傷つき、本人も肝臓と腎臓に障がいを負い、働けなくなってしまう。腹から背中にかけてはケロイドがあり、それが暖かくなると化膿した。生活は実姉から僅かな仕送りで賄っていた。それでも国に請求した30万円の賠償金が認められなかった。
原告側勝訴とならなかった最大の理由は、サンフランシスコ講和条約(1952年発効)で日本が米国への賠償請求権を放棄したから。そもそも最初から門前払いにしてしまうという選択肢もあったが、嘉子さんたちはそうしなかった。
原告敗訴だったものの、判決では日米両国を激烈なまでに批判した。
「広島、長崎両市に対する原子爆弾による爆撃は、無防守都市に対する無差別爆撃として、当時の国際法からみて違法な戦闘行為である」「(日本)国家は自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだ」
判決時点で終戦から18年が過ぎ、高度成長期に入っていながら、被爆者救済が行われていないことも判決は批判した。「政治の貧困を嘆かずにはおられない」と斬り捨てた。
■ 判決が国を動かした
この判決から5年後の1968年、「原子爆弾被爆者に対する特別措置法」が制定され、被爆者への特別手当の給付や健康管理手帳の支給が始まる。原告敗訴となったものの、嘉子さんたちの判決が国を動かした。
ドラマでの原爆裁判はどうなるのか。寅子の元上司の雲野六郎(塚地武雅)が急逝したため、弁護人の中心は元先輩の岩居(趙珉和)だが、山田よね、轟太一も弁護団に加わっている。予告編でよねは寅子に対し「意義ある裁判にするぞ」と決意表明している。よねの肩に力が入るのは珍しい。弱者救済のために弁護士になったから、なんとしても勝ちたいだろう。
寅子とは学生時代からの付き合いである社会派記者・竹中次郎(高橋努)も原爆裁判を取材する。「そろそろあの戦争を振り返ろうや」。竹中からも並みならぬ決意が感じられる。日本を焦土にしてしまった戦争の責任がどこにあるのかを探りたいのではないか。最終回より少し早いが、原爆裁判はクライマックスになるだろう。
視聴率はずっと好調。全130回の平均視聴率は『ちむどんどん』(2022年度上期)以降の5作品の中で最高になるのは確実である。
面白い朝ドラなら、固定ファン以外も観るのである。
高堀 冬彦
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日本人の共産主義者・無政府主義者テロリストは、キリスト教系朝鮮人テロリスト同様に昭和天皇と皇族を惨殺すべく付け狙っていた。
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昭和天皇は、親ユダヤ派、差別反対主義者、避戦平和主義者、原爆は非人道的大量虐殺兵器であるとして開発中止を厳命した反核兵器派、難民・被災者・弱者などを助ける人道貢献を求め続け、戦争には最後まで不同意を表明し、戦争が始まれば早期に講和して停戦する事を望むなど、人道貢献や平和貢献に努めた、勇気ある偉大な政治的国家元首・軍事的大元帥・宗教的祭祀王であって戦争犯罪者ではない。
同時に、日本の歴史上最も命を狙われた天皇である。
昭和天皇や皇族を惨殺しようとしたのは日本人の共産主義者と無政府主義者テロリストとキリスト教系朝鮮人テロリストであった。
昭和天皇は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本のマルキシズム、ボルシェビキ、ナチズム、ファシズムの攻撃・侵略から日本の国(国體・国柄)・民族・文化・伝統・宗教を守っていた。
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