✨3)─3・C─昭和天皇は政治家の汚職事件に「私に徳が足りないのが悪い」と心を痛めた。~No.12  ① 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 三二年テーゼ。昭和7(1932)年。
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 令和元(2019)年 あいちトリエンナーレ2019。
 昭和天皇肖像画の写真を燃やす動画が日本の現代アートに、賛成する日本人が多数で、反対する日本人は少数であった。
 昭和天皇は、歴代天皇の中で最も日本人に嫌われている天皇である。
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 日本人の共産主義者無政府主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇と皇族を惨殺すべく付け狙っていた。
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 日本天皇=日本国=日本民族=外国人帰化人。
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 2023年12月31日 YAHOO!JAPANニュース プレジデントオンライン「汚職事件に「私に徳が足りないのが悪い」と心を痛めた…「保守政治家」が肝に銘じるべき昭和天皇の逸話
 1946年(昭和21年)11月3日、日本国憲法に署名する昭和天皇(写真=PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)
■「絶対的権力は絶対に腐敗する」を体現する自民党
 よく知られる「権力は腐敗しやすく、絶対的権力は絶対的に腐敗する」という格言を残したのは、19世紀イギリスの歴史家であるアクトン卿だ。彼が言ったように、あまりにも長く権勢を振るいすぎたのであろうか――。
 【写真】第7回アフリカ開発会議に臨席した陛下
 憲政史上最長の在職日数を誇った故安倍晋三元首相などの出身派閥として、長く我が世の春を謳歌した自由民主党最大派閥・清和政策研究会(安倍派)の話だ。この派閥が政治資金パーティー収入の過少申告による組織的な「裏金作り」をしていたのではないかという疑惑が今、自民党そのものを揺るがしている。
 政治ジャーナリストの田﨑史郎氏曰く、「規模としては、リクルート事件級の広がりを持つ事件になるのではないかと、政界でも思われています」。実際、政権運営の要である内閣官房長官が約19年ぶりという異例の更迭となるなど、非常に重大な政局と化している。
皇位継承問題もしばらくは棚上げ
 自民党といえばここ最近、皇室の存続を「喫緊の重要課題」と位置付ける岸田文雄首相のもとで、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)問題への対処などを理由に停滞していた「安定的な皇位継承」の確保のための党内議論を再開させる機運が高まりつつあった。
 11月17日には党総裁の直属機関として新設された「安定的な皇位継承の確保に関する懇談会」の初会合が開かれ、会長に就任した麻生太郎副総裁が「事柄の性質も考えて、限られたメンバーで静謐な環境の中で、議論を深めていきたい」と述べたばかりだ。麻生氏としては、国会での議論も静かにやるのが望ましいと考えていることであろう。
 そんな中、またしても「静謐な環境」での議論が望み薄になってきたのである。自民党はどの派閥も「裏金」疑惑への対応に追われ、また野党は与党攻撃に邁進し、国会はしばらく皇室の議論どころではなくなるだろう。そのような観点からも筆者はこの新たな政界の不祥事に対し、憤りを覚えずにはいられない。
昭和天皇の侍従の「一生忘れられない」回想録
 筆者には、いわゆる「政治とカネ」を巡る問題が取り沙汰されるたびに思い浮かべるものがある。昭和天皇の侍従だった木下道雄氏による回想録『宮中見聞録:忘れぬために』(新小説社、昭和43年)だ。
 木下氏はこの回想録の「天皇とその御責任」という一節の中に、「昭和の初めの頃」に自身が体験した昭和天皇との「一生忘れることのできない」とあるやり取りについて記している。
 刊行当時はきっと大勢の人が一読したに違いないが、半世紀以上の歳月が流れて、昭和も遠くなった今となっては読んだことがある人も少なくなってきているだろうから、この機会に紹介したい。
 ある秋の夕暮れのことだ。内閣書記官が慌ただしく馳せつけてきて、侍従である木下氏に「一刻を争う至急の上奏書が入っているから、速やかに御裁可を得るように特に配慮していただきたい」と言って、上奏箱を手渡してきたという。
 箱の中に入っていたのは「司法(現在の法務)大臣の起訴理由書」だった、と木下氏は語る。とある人物について、身分がある者ながら汚職事件に関わったから起訴したい、と司法大臣が言ってきたわけである(※大日本帝国憲法下では、高位の叙勲者を刑事事件で起訴するには天皇の裁可が必要だった)。
■「ひじょうに政治的権力のあった人」
 彼は「個人の名誉に関することであるから」として、汚職をした人物が誰なのか、いつの出来事なのかを明らかにしていないが、長田幹彦『人間叙情』(要書房、昭和28年)によると、これは昭和4(1929)年に発覚した「越鉄事件」のことであるという。
 問題の人物について木下氏は「当時ひじょうに政治的権力のあった人」「政界の某巨頭」と別の書籍で表現している。越鉄事件の当事者といえは、佐竹三吾鉄道政務次官小橋一太文部大臣などが挙げられるが、本当に越鉄事件の時の話であるかは定かではないので、深入りはしないでおこう。
昭和天皇は「私が悪い」と繰り返された
 さて、木下氏から上奏書と起訴理由書を差し出された昭和天皇であるが、「汚職といえば、陛下の最も忌み嫌われる問題であるから、陛下はすぐ裁可の印をお捺しになるだろう」――そんな木下氏の予想は大きく外れた。「非常にご当惑の御態度をお示しになった」後、起訴理由書を繰り返しご覧になるばかりで、なかなか捺印しようとなさらなかったそうだ。
 しばらく後、ようやく捺印された書類を木下氏がいただいて、待っている内閣書記官に一刻も早くそれを渡そうと思って退出しようとしたその時、昭和天皇は彼をお呼び止めになった。何か別の御用がおありなのだろうかと思った木下氏に対して、昭和天皇はただ一言、沈痛なお声でこうおっしゃったという。
 「わたしが悪いのだよ」
 また、昭和天皇はその直後にお部屋の縁側にお出になって、悪いのは自分なのだという内容のお言葉を木下氏相手に繰り返されたらしい。
■「どうすれば政治家の堕落が防げるのか」とお嘆きに
 「非常によく晴れた秋の日暮、夕陽がお庭の松に照りそっていたが、天を仰いで、おっしゃるには、わたしが悪いのだよ、どうすれば政治家の堕落が防げるであろうか、結局わたしの徳が足りないから、こんなことになるのだ。どうすればよいと思うか、とお尋ねになる」――木下道雄『宮中見聞録:忘れぬために』(新小説社、昭和43年)126ページ。
 木下氏のこの回想から、昭和天皇が捺印をお躊躇いになったのは、自らの「不徳」のせいで政治家を汚職に走らせてしまったとお思いになったがゆえのことだと拝察できる。
 最初の一言を聞いた時点で「われわれの仲間の犯したあやまちが、かほどまでに、陛下のお胸を痛めるのか」と申し訳ない気持ちになっていた木下氏は、もはや「あふれる涙を抑えて、ただ無言でお室を退出」するほかなかったという。
 木下氏は後年に至るまで「秋の非常によく晴れた夕暮、空を仰ぐと」しばしばこの出来事を思い出したそうだ。よほど印象深い光景だったのであろう、彼は同様の文章を『忘れ得ぬこと』(憲法の会、昭和40年)、『天皇七拾年:天皇陛下皇后陛下御訪欧記念』(国際情報社、昭和46年)などにも掲載している。
■「世の乱れは君主の徳が足らないから」という考えの源泉
 世の中が乱れるのは君主に「徳」が足りていないせいだという考え方は、説明するまでもなく古代中国で生まれたものだ。
 中国史上における帝王たちは『論語』に「政を為すに徳を以てす」とあるように、その徳を以て人民を教化すべき存在だと考えられた。民が利己的に行動する社会は、聖天子がいた理想の古代から堕落した「小康」の世(『礼記』)とみなされたが、理論上この責任は帝王に帰せられよう。
 彼らはまた、「天人相関説」の思想――政治が良くなければ災異という形で天に警告されるという考え方――に基づき、自然災害や疫病などに際して「罪己詔」という自らの過ちを反省する詔書を出した。そしてこの思想が日本に伝来して以来、多くの天皇が災異について自らの不徳のせいだと表明してきた。
 「今茲に天下の大疫にて、万民多く死亡におよぶ。朕、民の父母として、徳は覆すこと能わず。甚だ自ら痛む」――『後奈良天皇宸翰(しんかん)般若心経』(醍醐寺所蔵)より。
昭和天皇は最後の「東アジア的帝王」だった
 先に示した昭和天皇のエピソードは、このような伝統的な徳治思想の流れを汲むものだといえよう。その意味においては、そこまで独自性がある逸話でもないわけである。
 しかし、昔ながらの女官制度の改革に意欲的でいらっしゃったり、新宮殿の建設に際し ては「天子南面」の伝統にこだわらない姿勢をお示しになったりした開明的な君主であられた昭和天皇が、一方ではこんな旧時代的な考え方がごく自然に出てくるような人物でもあられたということは注目に値する。
 先述の木下氏は、マッカーサー連合国最高司令官との会見時の昭和天皇のお振る舞いについて重光葵元外相の手記から知った後、元侍従としての体感からも「皇祖皇宗に対し更に上天に対し、絶対の責任を自覚せらるるおん方」だと考えざるを得ない――とも述べている。
 現代では聞き慣れない言葉かもしれないが、前者の「皇祖皇宗」は皇室の始祖と歴代天皇のことだ。そして後者の「上天」とはこの場合、中国思想における天地万物を支配する最高神「天帝」のことに他ならない。
 韓国皇帝、清国皇帝(一応「満州国皇帝」も併記しておこう)、ベトナム皇帝などが歴史の中に消えていった20世紀中に、日本の天皇は東アジア文化圏で唯一の君主となったが、木下氏の言葉を信じるならば、昭和天皇は単にこの地域において唯一残った君主というだけではなく、名実ともに最後まで残った東アジア的帝王であられたわけだ。
花園天皇の著作『誡太子書』への言及
 さて、ここまで昭和天皇について述べたうえで気になるのが、昭和天皇の孫にあたられる今上陛下が、昨今の「政治とカネ」を巡る騒ぎを目の当たりにされてどうお感じになっているのかということである。
 昭和天皇は「東宮御学問所」という特別な教育機関でお学びになったが、戦後生まれの今上陛下は際立って特別な帝王教育をお受けになったわけではない。それでも、漢籍を典拠に「徳仁」とご命名されたことの影響もおありなのだろうか、しばしば徳について触れられている。その代表例が花園天皇の著作『誡太子書(かいたいしのしょ)』へのご言及だ。
 「『誡太子書』においては、まず徳を積むことの大切さを説かれ、そのためには道義や礼儀も含めた意味での学問をしなければならないと説いておられます。このような歴代の天皇の思いに、深く心を動かされました。私は、過去に天皇の書き残された宸翰などから得られる教えを、天皇としての責務を果たしていく上での道標の一つとして大切にしたいと考えています」――令和4(2022年)年2月21日、お誕生日に際せられて。
■いわゆる「保守政治家」こそ襟を正すべき
 これは文脈上、過去の天皇のように国民に寄り添いたいというお気持ちを表現なさったにすぎないけれども、もしかしたら陛下も昭和天皇をはじめとする歴代天皇と同様のお考えを実は持っていらっしゃるのかもしれない。
 いや、否定する材料は特にないのだから、皇室の長い歴史と伝統の継承者という立場上そうお考えになっているとみなしておこう。そのほうがいわゆる「保守政治家」たちを戒めるためにはよいであろうから。
 今は亡き安倍元首相がそうであったように、安倍派には皇位継承について強いこだわりを持つ者が多い。筆者は彼らと同じく男系男子による皇位継承を尊重する立場から「旧宮家」の皇籍復帰を支持しているが、今はただただ「皇室を大事に思う心があるのならば、まずは天皇陛下を悩まし奉ることのないように襟を正せ」と思うばかりである。

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 中原 鼎(なかはら・かなえ)
 皇室・王室ウオッチャー
 日本の皇室やイギリス王室をはじめ、君主制古今東西の王侯貴族、君主主義者などに関する記事を執筆している。歴史上でもっとも好きな君主は、オーストリア皇帝カール1世(1887~1922)。

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朝鮮人テロル。
2018-09-21
☱15〕16〕─1─皇太子裕仁殿下欧州外遊中暗殺未遂事件。東京市電運転手連続殺傷事件。朝鮮総督府爆弾事件。大正10年~No.32No.33No.34No.35・ @ 
2018-09-25
☱21〕─4─虎ノ門事件。摂政宮裕仁皇太子暗殺謀議事件。二重橋爆弾事件。テロリスト集団=韓人愛国団・義烈団。大正12月9月25日~大正14年~No.49No.50No.51・ @ ⑧ 
2018-10-04
☲10〕─1─昭和天皇爆殺テロ失敗、警視庁前桜田門爆弾テロと第一次上海事変。昭和7年1月~No.21・ @ 
2018-10-06
☲10〕─2─昭和天皇御生誕日爆弾テロ事件。朝鮮人の日本への大量密航。最終的密航者数百万人。昭和7年~No.22・ @ 
2022-06-16
☲10〕─3─済州島朝鮮人海女達は日本人悪徳業者排除のデモ行進。海士潜女神社。昭和7(1932)年1月7日。~No.23No.24No.25 ⑤ 
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 昭和天皇と男系父系派皇室を、正統保守は護る為に大御心に感謝し御宸襟を煩わせないように身を慎んでいた、エセ保守は大御心に感謝せず悪巧みをたくらみ私利私欲に走って恥じる事がない。
 現代日本には、正統保守が少なくなりエセ保守が増えている、その証拠が多数派となっている女系母系天皇擁立者である。
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 汚職や不正を行う日本人は、真の保守ではない。
 右翼・右派は、保守とは無関係である。
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2020-02-18
🦲4〕─18─表現の自由。日本の現代アートは「人の写真(例えば皇族の写真)を燃やす」こと。〜No.19  
2020-11-07
🦲4〕─21─あいちトリエンナーレ2019。愛知県知事リコール運動敗北。〜No.22 
2021-10-14
🦲4〕─24─昭和天皇肖像燃やす動画と「表現の不自由展かんさい2021」。〜No.25 
 韓国・北朝鮮中国共産党アメリカ、ロシア、その他、多くの国々は昭和天皇ヒトラーと同罪の非人道的戦争犯罪と認めている。
 アメリカの一部では、昭和天皇が住んでいる東京・皇居の上に原爆を投下して焼き殺す事を望んでいた。
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 日本人の共産主義者無政府主義者キリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇や皇族を惨殺する為につけ狙っていた。
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 共産主義の5%支配理論。
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 有能な共産党員教師が3人いれば、日本の学校イデオロギー支配できる。
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2017-09-28
✨21)─1─昭和天皇は、原爆は非人道的大量殺戮兵器であるとして開発中止を厳命した唯一の国家元首。~No.89No.90No.92・ @ ⑰ 
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 日本は、中国や北朝鮮そしてロシアとは違うのである。
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 2023年6月13日 YAHOO!JAPANニュース クーリエ・ジャポン「中国の「核兵器」増加量が世界一だった 「人類史上最も危険な時代に突入しつつある」と警告」
 主要な軍事大国における運用可能な核兵器の数は再び増加傾向にあり、世界は「人類史上最も危険な時代のひとつに突入しつつある」──スウェーデンストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が6月12日に報告書を発表し、警鐘を鳴らした。
 【画像】中国が開発した大陸間弾道ミサイル「東風-41」
 SIPRIによれば、現在、地球上に存在する核弾頭の数は1万2512発と推定される。このうち運用可能な状態で軍事的に備蓄されているのは9576発で、世界情勢の悪化を背景に1年前よりも86発増加している。
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 中国軍・北朝鮮軍・ロシア軍の核ミサイルは、日本を攻撃する為に照準を合わせ、日本人を大量虐殺する為に配備されている。
 アメリカ軍の核兵器は、同盟国日本に持ち込まれていても、共に戦う戦友の日本人を攻撃する為の兵器ではなかったが、日米安保条約を破棄し同盟を解消して中国共産党やロシアの陣営に入れば容赦なく日本を敵として攻撃する。
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 昭和天皇「本土決戦を行えば、日本民族は滅びてしまう。そうなれば、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることができようか。自分の任務は祖先から受け継いだ日本を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本人に生き残ってもらいたい、その人たちが将来ふたたび立ち上がってもらう以外に、この日本を子孫に伝える方法はない。そのためなら、自分はどうなっても構わない」(1945年8月10日聖断)
 天皇にとって民(日本民族)は「大御宝(おおみたから)」である。
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 天皇の意思は「大御心(おおみこころ)」で、民は「大御宝(おおみたから)」として、天皇日本民族は信頼という硬い絆で結ばれていた。
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 昭和天皇は、親ユダヤ派、差別反対主義者、避戦平和主義者、原爆は非人道的大量虐殺兵器であるとして開発中止を厳命した反核兵器派、難民・被災者・弱者などを助ける人道貢献を求め続け、戦争には最後まで不同意を表明し、戦争が始まれば早期に講和して停戦する事を望むなど、人道貢献や平和貢献に努めた、勇気ある偉大な政治的国家元首・軍事的大元帥・宗教的祭祀王であって戦争犯罪者ではない。
 同時に、日本の歴史上最も命を狙われた天皇である。
 昭和天皇や皇族を惨殺しようとしたのは日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストであった。
 昭和天皇は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本のマルキシズムボルシェビキ、ナチズム、ファシズムの攻撃・侵略から日本の国(国體・国柄)・民族・文化・伝統・宗教を守っていた。
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 現代日本人は外圧に弱いが、昔の日本民族は外圧には強かった。
 それを証明するのが、聖徳太子である。
 現代日本歴史教育は、摂政・聖徳太子の存在を否定しようとしている。
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 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士・悪党・野伏せり、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、相撲取り・力士、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持ち命を犠牲にして天皇を守ろうとした「帰化人」は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否し自己益で天皇を殺そうとする「渡来人」は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中には過激な無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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 同じ儒教価値観で卑賤視され差別される部落民や賤民(非人・穢多・散所{さんじょ}・河原乞食・他)とでは、何故・どういう理由で偏見をもって差別されるかが違う。
 マルクス主義共産主義階級闘争史観やキリスト教最後の審判価値観では、日本の部落民や賤民を解釈できないし説明できない。
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 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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 戦後のマルクス主義者・共産主義者は敗戦利得者となって、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳し、民族主義天皇主義を日本から消滅させるべくメディア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。
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 少数の高学歴出身の裕福資産家・AI強者 vs. 多数の低学歴出身の貧困労働者・AI弱者。
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 昭和天皇東条英機松岡洋右松井石根A級戦犯達の靖国神社、軍部・陸軍は、反ユダヤの宗教的人種主義が支配する世界から助けたユダヤ人に裏切られた。
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 2023年6月21日 MicrosoftStartニュース 長崎新聞「「差別あってはならない」 ユダヤ人のフランクルさん 佐世保で講演
 自身の体験から、差別問題などを語ったピーター・フランクルさん=佐世保市アルカスSASEBO
 © 長崎新聞社
 「いのちを見つめる強調月間」に合わせ、ジャグリングで有名な数学者ピーター・フランクルさんが17日、長崎県佐世保市三浦町のアルカスSASEBOで講演した。フランクルさんは、人種やジェンダーといったさまざまな差別について「あってはならないこと」と訴えた。
 フランクルさんはハンガリー生まれのユダヤ人。子どもの頃、知人から差別的発言を受けたことを機に「ユダヤ」という言葉を初めて聞き「(私たちは)普通のハンガリー人ではない。ユダヤ人なのだ」と悟ったという。その後も自身が受けた差別や不当な扱いを踏まえ「差別はあってはならない」と説いた。
 その上で「ではなぜ差別がなくならないのか」と問題提起。「(子どもの頃に周囲から聞いた内容を)信じてしまい残っているから。だから差別の根を切るのは難しい」と語った。
 安全保障環境などを例に、日本と他国との関係にも言及。中国、韓国人に抱く日本人の感情が良くないと憂え「(古来の)日本人の良さは和を重んじること。だから出身や国籍などによって最初から差別意識を持つようなことはしないで」と呼びかけた。
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 32年テーゼ
 1932年5月コミンテルン執行委員会西ヨーロッパ・ビューローによって決定された「日本における情勢と日本共産党の任務に関する方針書」のこと。日本の支配体制を絶対主義的天皇制とみなし,きたるべき日本革命は天皇制を打倒し,地主制を廃止するブルジョア民主主義革命であり,社会主義革命はその次の段階とする二段階革命論の立場を明確にした。日本では河上肇翻訳で同年7月 10日『赤旗』特別号に掲載され公にされた。同種のものには 27年,31年のものがある。これらのテーゼは当時の日本の経済理論,社会主義運動理論に大きな影響を与え,活発な論争を引起した。
 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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 2023年6月20年 YAHOO!JAPANニュース「戦勝日「軍国日本」明記 露下院可決、制裁に対抗
 ロシア国旗(ロイター)
 ロシア下院は20日、ロシアで「第2次大戦終結の日」とされてきた9月3日を「軍国主義日本への勝利と第2次大戦終結の日」に名称変更する法案を可決した。ウクライナ侵攻に伴い対露制裁を科した日本の「非友好的政策」への対抗措置の一つだとしている。
 法案の趣旨説明書は、侵攻後に「日本が欧米に同調し、現代の日露関係で前例のない非友好的キャンペーンを始めた」と主張。日本側による貿易上の「最恵国待遇」停止手続きや、最高指導部への個人制裁、ロシア中銀の円資産凍結を列挙し非難している。
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 7月3日 MicrosoftStartニュース J-CASTニュースソ連対日参戦で「多くの命救った」「岸田政権は歴史直視せず」 ロシア報道官が正当化
 ソ連対日参戦で「多くの命救った」「岸田政権は歴史直視せず」 ロシア報道官が正当化
 © J-CASTニュース
 ロシア外務省のザハロワ情報局長が2023年6月28日の記者会見で、1945年8月9日にソ連が日ソ中立条約を無視して対日参戦したことを「流血を終わらせる決定的な貢献」だったと正当化し、「日本列島に住む何百万人もの一般市民を含む多くの人々の命を救った」と主張した。
 ロシアが「第2次世界大戦終結の日」としてきた9月3日の名称を「軍国主義日本に対する勝利と第2次世界大戦終結の日」に変更し、それを日本政府が批判していることへの見解を問われる中での発言だ。これまでもロシアは対日参戦の正当性を主張してきたが、ロシアのウクライナ侵攻による日ロ関係の悪化を受けて、主張の先鋭化が進んでいる。
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 ロシア人マルクス主義者が日本人共産主義者日本共産党に命じた「32年テーゼ」とは、数万年前の旧石器時代縄文時代から続く民族国家日本を共産主義化し、数千年前の弥生時代古墳時代から続く自然的宗教的民族的文化的天皇制度国家日本を科学的反宗教的反民族的反文化的人民独裁制度国家日本に改造するの事、つまり天皇と皇族を虐殺し日本国を消滅させ日本民族を根絶にするのが最終目標であった。
 敵天皇敵民族敵日の中国共産党は、ソ連・ロシア人共産主義者の命令に従って、日本人共産主義者日本共産党を軍事支援し、昭和天皇殺害の日本人共産主義テロリストを日本に送り込んでいた。
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