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2023年11月19日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「東京人が熱狂的な「京都ファン」になる「ほんとうの理由」…日本人の「食文化の喪失」
いつのまにか東京人は熱烈な「京都ファン」に
今年は、コロナ禍による行動制限がなくなったことに円安が加わり、海外旅行客が殺到している。オーバーツーリズム問題の報道で、筆頭に挙げられる観光地が京都だ。盆地の町、京都は夏と冬の気候は過酷だが、春は桜に新緑、秋は紅葉が美しいこともあって観光客が殺到する。京都は世界中の人が憧れる古都なのである。
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そんな中、世界を代表する大都市の一つであるはずの、東京に住む人たちの京都への憧れの強さが気になる。
京都へ移住する人、京都で豆腐などの食材を買いこむのを楽しみにする人もいる。ひと頃は、東京で料亭へ行くより旅費を払って京都で日本料理店に行ったほうが安上がり、と通う人もいた。
いったいいつから、なぜ、東京人は熱烈な京都ファンになったのか。食を中心に考えてみたい。
東京で放送されるテレビ番組の中には、レギュラー放送で京都の文化や歴史を紹介する番組がいくつもある。おそらく一番知名度が高い『あなたの知らない京都旅~1200年の物語~』(旧『京都ぶらり歴史探訪』BS朝日)は、2016年4月から放送が開始された。『至福の京都ふらり散歩』(BS-TBS)は2013年10月から。
KBS京都とBS11 の共同制作『京都浪漫 悠久の物語』は2018年4月から放送開始。3社共同制作の『京都画報』(KBS京都、TOKYO MX、BS11)は月1回だが2021年10月から。なんと4つも京都の番組がある。
来年には、紫式部を主役にした大河ドラマ『光る君へ』(NHK)が放送される。NHKは京都関連の番組をたくさん投入するだろうから、京都への関心はさらに強くなるだろう。
京都と昆布出汁文化
京都が政治の中心にあったのは、室町時代までとかなり前だが、江戸時代が終わるまで天皇が暮らしていたこともあり、ひなびた古都の印象が強い奈良と異なり、現役感が強い「都(みやこ)」である。
権力と文化の中心である都は、その社会の食文化をかたち作る。2013年にユネスコの無形文化遺産に登録された和食も、京料理のイメージが濃厚だ。実際、登録へ働きかけた中心人物は京都の有名料亭「菊乃井」の3代目、村田吉弘さんである。
村田さんのモチベーションは、出汁を使う味噌汁などの和食が衰退しそうな危機感にあった。京都および関西は、出汁文化をけん引してきた。日本で出汁文化が成立するのは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、中国の宋へ留学し禅宗を学んだ僧たちが、精進料理を持ち込んでから。
室町時代には武士の間で、もてなし料理の本膳料理に発展する。その料理が全国に広まったのは、出汁に使う昆布の流通が本格化した江戸時代で、この頃に私たちが「和食」と考える食文化になっている。
しかし北前船が通らなかった地域では、昆布の出汁は広まらなかったと思われる。
また、東京は昆布より鰹節が出汁素材として存在感が強いが、それはおそらく、一大生産地の静岡が近く、鰹節は比較的入手しやすい一方、関西に比べると水の硬度が高く昆布出汁はうま味が出にくいからと思われる。出汁をよく使う場合も、使う素材には地域性がある。
一方、京都市は良質な軟水が使えるので、昆布出汁が取りやすく、お茶もまろやかに味が出るうえ、豆腐もおいしくなる。
内陸で海が遠かったので、魚食が盛んな日本においても、魚料理の種類は少ない。鮮度が長く保てるハモ、乾物にして運べるタラ、塩蔵したサバが盛んに使われてきたのも、そうした理由だ。
その分タンパク源として豆腐の役割が重要になったことに、寺の数が多く権力が強かったことが加わり、豆腐の料理が発達したのではないかと思われる。
京都の食文化は、都があって洗練度が高まったことに、地理や気候の条件なども加わって発達したもの。しかし、都だったがゆえに、何となく京都の食文化が正しい和食のようなイメージが浸透している。
京都の食への憧れは、京都の総菜を「おばんざい」と呼ぶ言葉にも表れている。「京都のおばんざい」を売りにした食品や飲食店はたくさんある。
他の地域のおかずは「総菜」と呼ばれるのに、同じ料理でも京都で出される、あるいは京都発を謳う場合はおばんざいになる。
一方で、「京都の人は、『おばんざい』なんて言わない」という噂も聞こえて久しい。この言葉を全国区にした要因の一つと思われるのが、『きょうの料理』(NHK)。テキストで最初に使われたのは1988年4月で、「伝えたい味“京のおばんざい”」という特集で放送された。担当した料理家は大村しげさん。
この年の秋、昭和天皇の体調が急激に悪化し、世の中のムードは大きく変わる。そして平成になるとバブルが崩壊し、昭和を振り返るメディアの報道が活発になる。
JR東海の人気テレビCM「そうだ、京都行こう」シリーズが始まったのは、1993年秋。翌年が平安遷都1200年で記念事業が始まることに合わせたキャンペーンだった。印象的で楽し気なBGMは、名作ミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』内の「マイ・フェイバリット・シングズ(私のお気に入り)」。
CMが身近になり過ぎて、元の映画を観ながら、あるいは音楽を聴きながら「そうだ、京都行こう」と口ずさむ人もいるだろう。
不安になると京都を原点にする
振り返ると、次第に京都のブランド力が高まっていったことがわかる。激動の長い昭和が終わると同時に、バブルが崩壊して短かった「ジャパン・アズ・No. 1」の季節も終わった。行き詰まったときは原点回帰が大切だが、その象徴として日本文化を形成してきた京都という町が再発見されたのだ。
家庭料理においても、私の見立てでは同時期にバブルが崩壊した。高度経済成長期、和洋中を取り交ぜたバラエティ豊かで手が込んだ食卓が当たり前になり、1980年代にはグルメブームの後押しもあり、一汁三菜がデフォルトとされ、料理好きはフランス料理やパーティ料理といった手の込んだ料理のレシピも求める、と家庭料理のハードルがこの頃かなり上がっていた。
しかし、80年代には多忙な女性の間では時短ブームが始まっていた。バブル期は男女雇用機会均等法が施行され、仕事を持つ女性が増えたところへバブル崩壊が加わり、既婚女性の多数派が働くようになった90年代、時短ブームが加速して家庭料理の簡略化、外注化が進む。
食の安心・安全財団の調査で、外食や中食に頼る食の外部化率が4割を超えて安定するのが平成初期。なので、私は難しくなり過ぎた手料理の日々が壊れ、時短料理や外注が広まっていくこの時期を、家庭料理の分野でもバブルが崩壊したとみなしている。
同じ頃、イタリア料理やアジア料理が流行し、2000年頃には外国料理と和の要素を組み合わせたカフェ飯が人気になるなどして、食べる料理、作る料理の多彩さがさらに進行していった。多過ぎる選択肢に、ついていけなくなる層が出てきたと思われる。
家庭料理も、何を基準にしたらいいか分からない状態になっていったのである。
『きょうの料理』テキストが、京料理にフィーチャーしたシリーズを展開したのは2010年前後。2009年に開始したのが「京のおばんざいレシピ」シリーズ。翌年も続行し、2011年には「京料理人のかんたん和食」、2012年に「京の老舗直伝 日本料理のいろは」と4年間も京都の料理シリーズが続いた。リーマンショックから東日本大震災、と暮らしの危機が続いた時期と重なる。
京都フィーチャーのテレビ番組が続々とレギュラー化していくのは、この後。
つまり、私たちは不安になると、京都に原点を探すようになる。京都は何より、政治や文化の中心地だった歴史を背景に、京都らしさを守り続けているように見える。日本文化といえば、和食といえば、その代表は京都になる。
食文化が消えつつあるという危機感から
旅行者が京都らしさを感じやすいのは、神社仏閣にとどまらない街並みだ。京都は1990年代終わり頃、東京や大阪とほぼ同時に古い民家の活用が始まった。
京都の民家といえば町家だが、間口が狭く中庭を持つ町家自体は、大阪その他地方都市に今も散見される。私は台北でも見た。
しかし、町家と言えば京都、と思っている人はどうやら多い。日本で最初に町家ができたこともあるが、それは、ハモを天神祭りで食べる大阪や日常に根づいた瀬戸内地方に気づかず、ハモといえば祇園祭、と思う東京人が多いことに似て、京都ブランドの強さと言える。
京都の街中で、町家を活用した飲食店や雑貨店が増え旅行者が楽しめることも、憧れを高める。街並みを保存した地域は各地にあるが、全国各地で再開発が進み、都会的だが無個性な街並みが増える現状もあって、京都の保存力への憧れはますます高まる。
そうした美しい町が誇る歴史の中に、出汁を効かせた京料理がある。私たちが戻りたい憧れの原点は、京都にある。2015年に刊行されベストセラーになった『京都ぎらい』(井上章一、朝日新書)や、人気バラエティ番組『秘密のケンミンSHOW極』(日テレ系)の京都VS大阪特集など、ときどきガス抜きのように京都への批判も行われるが、そうした批判すら京都のブランド力を強化しているように見える。
つまりそれは、それだけ私たちが独自に築いてきた独自の文化、食文化を喪失しつつあるという危機感が強いからなのである。
阿古 真理(くらし文化研究所主宰・作家・生活史研究家)
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民族固有の食文化喪失は、敗戦後の「コメを食うとバカになる」、「日本人が体力的に欧米人に負けたのはコメ魚食文化にこだわってパン肉食文化を敬遠したからである」、から始まっている。
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日本料理・和食とは、支配者・権力者である領主の王侯貴族を楽しませ満足させる豪華な宮廷料理ではなく、数万年前の旧石器時代・縄文時代から受け継がれてきた質素で素朴な庶民の味である。
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