💖17)─1─稲塚権次郎の小麦農林10号が、飢餓に苦しむ華北の中国人を救った。1935年。〜No.65No.66No.67 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日の丸・日章旗、軍隊旗・旭日旗「小麦と稲・コメ」。
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 戦前の日本は、いい人が4割で、悪い人が1割で、残りの5割は命令に従順な人であった。
 戦前の日本人は、いい事(人道貢献)をしたが悪い事(戦争犯罪)もした。
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 アジアの近代化、アジアの女性解放、アジアの飢餓と疫病及び不衛生撲滅は、全て日本から始まった。
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 戦前の日本は、アジアの一等国、アジアの指導者として、アジアとアジア人々の為に、地域の平和、生活の安定、生活環境の改善の為に協力した。
 特に、凶作による飢餓と不衛生による疫病を撲滅し、餓死や病死の犠牲者を減らすべく努力した。
 アジアの被災者救済を行っていたのは、キリスト教会、欧米のキリスト教系民間慈善団体、国際赤十字社、そして軍国日本であった。
 日本の人道貢献は、天皇の希望であった。
 歴代天皇は神の裔・祭祀王の責務として、日々、一子相伝世襲的皇室祭祀・宮中祭祀で、血統の女性神天照大神と皇統の神武天皇に祈りを捧げていた。
 天皇の祭祀は、縄文時代の自然崇拝・大地母神崇拝に繋がっている。
 反宗教無神論共産主義者などの反天皇反日的日本人達は、天皇の「古式ゆかしき祈り」を野蛮行為として破壊しようとしてきた。
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 昭和天皇には、天皇の戦争責任も天皇戦争犯罪もない。
 天皇の戦争責任や天皇戦争犯罪を叫ぶ平和主義者日本人こそが、非人道主義者・差別主義者であり戦争犯罪者・戦争幇助者・犯罪者である。
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 2019年1月号 WiLL「問答無用の蛮行 残る人質を返せ!
 中国に拘束された日本人の数はどこの国よりも多い。 
 新しい拉致事件と言えないか
 高山正之 矢板明夫 
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 稲塚権次郎の業績
 高山 日清戦争に勝った日本は中国人をまともにしようという思いを持った。満州人の清王朝も偉い。家奴だった中国人に『日本に学べ』と留学を勧めて、留学は科挙合格と同じ扱いにした。西太后は歪曲されているけど、まともなところもある。そうやって留学を奨(すす)め、1905年には中国人の蛮風の科挙制度を廃止した。
 矢板 既存の体制の大転換です。
 高山 張之洞(ちょうしどう)や梁啓超(りょうけいちょう)などは『日本語から学ぶべきだ』と一生懸命勉強し始めた。辛亥革命の後に国会が開かれるようになる。国会議員の半分は日本留学組で占められていた。日本の影響は農作物にまで及んでいる。
 農学者、稲塚権次郎は1935年、実りがコメ並みに多い『小麦農林10号』(ノーリン・テン)を開発した。日本政府はすぐ飢餓が起きる中国を救うため稲塚を日本が設置した北京の華北産業科学研究所(農業・林業・畜産業の研究機関)に赴任させ、中国の小麦の品種改良に取り組ませた。ちょうど第二次上海事変が起きたころだ。そして彼は戦後までかかって中国の麦を改良して帰っている。ノーリン・テンは背が低いけど、一つの種に対して実の数が従来の小麦の10倍ほどつく。
 矢板 西洋の麦は普通、背が高いでしょう。
 高山 火野葦平の『麦と兵隊』では背丈の高い麦が出てくる。日本の麦畑を行進したら隠れるどころか丸見えになってしまう。戦後、この稲塚のノーリン・テンをアメリカが勝手に盗み出し、アメリカ本土でも栽培した。実りの多さに驚きメキシコやインドに『緑の革命』と称して伝播されていった。日本から盗ませたノーマン・ボーローグはその巧で1970年、ノーベル平和賞を受賞している。盗人に追い銭だな。
 矢板 稲塚氏の業績は『NORINTEN~稲塚権次郎物語~』(稲塚秀孝監督)という映画にもなっています。残念ながらDVD発売はされていないようですが。
 高山 日本は中国の教育やインフラ整備をおしなべてやってきた。中国の女は纏足(てんそく)を履かされ、無学が当たり前だったが、女子教育にも日本が手を差し伸べた。日本留学組の一人、秋瑾(しゅうきん)は下田歌子の実践女子校に入学した。以後、毎年50人前後の中国女性が留学している。
 矢板 秋瑾は女性解放運動を推し進めますが、祖国の地で処刑されます。
 高山 日本の支配地域は万里の長城の内陸の中国国土の40%ほどだった。稲塚の努力などで各地の農業生産も飛躍的に向上している。教育面では中国人受け入れ用の学校をつくり、中国本土にも同文書院を建て、日本式の義務教育普及に向けた援助もした。
 中国はコレラが常在し欧州の人口を3分の1にした黒死病のペストが19世紀末に世界中に大流行した際の発生源でもあった。朝鮮と競う汚穢(おわい)の国だったが、その改善のために731部隊など防疫部隊も置いた。
 黄文雄も『日本のおかげで今の中国がある』と書いているが、実際、先の戦争中、朝鮮に豊水ダムを建設したのと同じ時期、日本は華北発電所をつくり、運河を開き、道路交通の整備をやっている。黄文雄『近代中国は日本がつくった』(ワック)に詳しいが、豊水ダムにも勝る大事業が塘沽(タンクー)新港だ。13キロの航路を掘削し、3,200メートルの埠頭をつくっている。そのほか陸運水運の整備もやった。それもあの戦争の最中というから驚く。戦後、日中国交が再開されると日本は製鉄から空港整備まで惜しみなく中国のインフラ近代化をやってやり、3兆円を超すODAも施した。朝鮮半島の近代化をしのぐ大規模な支援であった。
 いま、中国は日本を追い越してGDP世界2位に躍り出た。まさに漢江の奇跡ならぬ漢の国の奇跡だ。ところが、それに対して中国人はお礼の一言もないどころか江沢民の時代には掌返しして、日本の侵略行為は残虐だった、南京大虐殺を見よ、戦争中の残虐さを見よ、と日本のODAを使って抗日記念館を200もつくった。恩を仇で返している。
 矢板 日本軍が『三光作戦』(殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くす)を実行したと言い出しています。考えてみますと、『光』は『~尽くす』という意味が中国語にはある。でも、日本語ではまずその使われ方はしません。日本語にない言葉を日本軍が作戦名にしますか。そこでも矛盾しています。
 今こそ脱亜入欧
 高山 朝鮮の言う『七奪』と同じだ。本多勝一のような人物が出てきて、大騒ぎするようになったけど、これだって、慰安婦問題が朝日の記事でクローズアップされたのと同じようなやり方だった。韓国のいやらしい反日も、もとを正せば単に中国の真似。小中華は所詮、手本の中国と相似形をつくる以外のことはできない。
 矢板 小中華のウラに大中華を見ろ、というわけですね。」
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 戦前の日本が行った人道貢献を認めず否定する現代日本人が少なからず存在する。
 彼らは、中国・韓国・北朝鮮・ロシアの意向に従い、戦前の日本は暗黒で、日本軍部・日本陸軍は犯罪者で、戦前の日本人は悪人であったと、歴史教育で子供達に教え洗脳している。
 つまり、自分たちは絶対善とし、戦前の日本人は絶対悪であると。
 戦前の日本人は、柔軟に、必要悪を信じていた。
 旭日旗は、必要悪であって絶対悪でなかった。
 日本を取り巻いているのは、不寛容・差別の日本人極悪非道原理主義である。
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 日本が開発した小麦農林10号(ノーリン・テン)と蓬莱米は、日本人農業指導員らの努力で日本軍支配地域と親日派知日派中華民国領内で栽培され、最低限の食糧が確保され、餓える事があっても餓死者は出なかった。
 日本軍部・日本陸軍は、華北支配地域で治安を回復する為に協力した。
 日本軍支配地域と親日派知日派中華民国以外の、中国共産党政権と抗日派中華民国の支配地域は慢性的な食糧不足状態が続き数多くの餓死者を出す生き地獄と化していた。
 日本軍支配地域で日本人が食糧増産の指導をしてくれるとあって、中国人は日本軍を大歓迎した。
 それは、南京などの揚子江流域でも同様であった。
 日本陸軍鉄道連隊などの工兵隊は、華北の大改造を行い、飢饉と疫病に苦しみ中国人住民を助けた。
 中国共産党軍ゲリラや抗日中国軍工作員らは、日本軍を妨害し破壊と殺害を繰り返していた。
 そして、昭和17年に抗日派中華民国支配地域の河南省で餓死者約500万人が飢餓民約1,000万人の大飢饉が発生した。
 河南省の崩壊は、黄河下流の北京・天津など華北地域をのみ込み、その深刻な影響は満州や朝鮮に及ぶ危険性があった。
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 華北分離工作(かほくぶんりこうさく)とは、日本が北支五省(河北省・察哈爾省・綏遠省・山西省山東省)で行った一連の政治的工作の総称である。
 中国側の呼称は、華北事変で、『中華民国史大辞典』によれば、1935年5月以降の日本軍による一連の「華北自治運動」から、宋哲元をトップとする冀察政務委員会の設置までの期間が該当し、満洲事変・上海事変・盧溝橋事変(事件)と並ぶ「事変」として認識されている。
 概要
 北支一帯を国民政府の影響下から切り離し、日本の支配下・影響下に置くための工作であった。
 塘沽協定の停戦ラインでは、1934年冬から1935年1月にかけて中華民国国軍と日本軍の小規模な衝突がたびたび発生しており、日本軍は北支から抗日勢力を一掃する必要があると認識していた。1934年12月7日、日本の陸海外三相関係課長間で「対支政策に関する件」が決定され、その中で北支に国民政府の支配力が及ばないようにすることや、北支における日本の経済権益の伸張、および親日的な傀儡政権の樹立、排日感情の抑制などが目標に掲げられた。また、1935年1月初旬に関東軍が開催した「対支蒙諜報関係者会同」(大連会議)でも同様の方針が唱えられた。
 1935年1月、蒋介石は『外交評論』に「日本人は我々を敵とすることはできず、一方、中国人も日本人と手を携えなければならない」とし、大日本帝国に対して領土侵略でなく経済提携などを図るべきと論じ、対日関係打開を探った。1月22日に広田外相が「不侵略」を表明したことに対して蒋介石は1月29日以降、日本政府要人と会談し、王寵恵国際司法裁判所判事も訪日し、岡田首相らと会談し、双方とも平和的処理を了承した。1935年3月1日、中国国民党宣伝部長は「排日行動を停止すべし」と表明した。
 関東軍は1935年3月30日の対支政策で「北シナ政権を絶対服従に導く」と確認した。土肥原賢二らは5月2日に起きた天津の親日新聞社長暗殺事件をうけ、国民党政府機関の閉鎖、河北省からの中国軍撤退、排日の禁止などを要求し、6月10日の梅津・何応欽協定を締結した。華北分離工作は土肥原賢二らが主導した。また、6月5日に関東軍特務機関員が宋哲元の国民党29軍に拘留されたことに対して、6月27日、大日本帝国中華民国は土肥原・秦徳純協定をむすび、これよって国民党機関の撤退を要求し、チャハル省を大日本帝国の勢力下に置いた。
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 華北(かほく、North China)とは、中国北部地域の呼称である。華北平原とは、多分に重なるが、必ずしも完全に一致しない。
 概要
 地域としては、おおよそ淮河以北のことを指すことが多いようである。その逆で、淮河以南を華南と総称する。場合によってはさらに細かく分け、淮河一帯(黄河と長江の間の地域)を華中とし、黄河以北を華北、長江以南を華南とする場合も存在する。なお、現在の中国の行政区分にはこれらの呼称はないが、歴史物語などで多く使用されているため、今でも言葉が残っている。 かつて、第二次世界大戦頃まで日本国内では同地域を北支、北支那などの名称で呼んでいた。
 淮河以北、とくに黄河以北においては古くから異民族の領地と境界を接しているため、万里の長城に代表される、対異民族用の防衛線が多くある。しかし、華北の北にいる異民族は主に遊牧騎馬民族であり、彼らは乗馬に長けた騎兵として戦術、戦闘能力ともに優れていたため、この華北は異民族がたびたび侵入、国家を作ることがあった。華北において最大面積を持つ内モンゴル自治区も歴史上多数の対立があって現在に至る。 詳しくは中国の歴史を参照のこと。
 平原地帯では古くから粟や麦が栽培され、日本でも有名な水ギョーザ(餃子)やマントウ(饅頭)などの中華料理を生み出した。
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 八路軍(はちろぐん、パーロぐん、パールーグン、簡体字:八路军、拼音: bālù-jūn)とは、日中戦争時に華北方面で活動した中国共産党軍(紅軍)の通称である。1937年8月、中国工農紅軍中華民国国民革命軍第八路軍(方面軍に相当する編制単位)として国民政府指揮下に編入されたことから、この名称で呼ばれた。のちに第十八集団軍へ改編されたが、八路軍の通称は残った。現在の中国人民解放軍の前身のひとつ。
 概要
 毛沢東軍閥や列強に対抗するには民衆による革命運動では限界があることを認識していた。一方中国国民党では、1920年代の時点で貧弱な装備ながらも軍隊を保持しており、蒋介石は軍隊を用いて反共クーデター(上海クーデター)をおこし、第一次国共合作を崩壊させた。中国共産党はこの苦い経験から独自の軍隊の創設を迫られることになった。
 毛沢東思想による人民戦争理論(「点化した敵軍を、人民の海のなかに埋葬する」―人海戦術)に従い、共産党は中国各地への浸透工作を積極的におこなった。共産党に協力的な地域を、村落、都市に広げるのが目的である。これらの活動の結果、共産党勢力は草の根的に増殖し、遊撃兵力を各地に展開させることも容易になった。
 1937年に日中戦争支那事変)が勃発すると、国民党軍が前線で日本軍と対峙し、八路軍便衣兵としてテロやゲリラ戦で、主に日本軍の輸送部隊や小部隊を攻撃し、鉄道などの輸送網の破壊も行った。また日本軍は広大な中国大陸で小部隊を分散せざるを得なかったため、八路軍の攻撃は日本軍の作戦行動や農村部の支配に打撃を与えた。農村部においては、日本軍が安全に行動できるのは大きな街の周囲などわずかな地域で、八路軍の襲撃が多い地域や支配がまったく及ばない地域の方が多かった。 このため「日本軍は点と線しか確保できなかった」と評される。
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 抗日派中華民国は、アメリカ、イギリスからの巨額の資金援助と膨大な支援物資を得ていたが、飢える民衆を救済する為に分けるようとはしなかった。
 中国共産党政権は、アヘンを生産し、日本軍及び親日派知日派中華民国と密約を交わして満州・朝鮮・天津・上海などの港から香港や東南アジア地域にアヘンを密売していた。
 ナチス・ドイツは、日本軍と戦う抗日派中華民国に対し軍事顧問団を派遣していた。
 ソ連共産主義勢力は、抗日中国軍にソ連正規軍や国際義勇部隊を派遣していた。
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 善い事をする日本人が2割。悪い事をする日本人が3割。善い事も悪い事もせず傍観する日本人が5割。
 日本軍部・日本陸軍は、戦争犯罪を働いたが、人道貢献も行っていた。
 東条英機松岡洋右松井石根A級戦犯達は、昭和天皇の希望をかなえるべく、戦争以外、戦場の外では女性・子供・老人、飢餓民・病人・怪我人など数万人、数十万人、数百万人といった弱者を積極的に助けていた。
 連合国=国連は、人道貢献をしたA級戦犯達を有罪とし、東条英機松井石根ら7人をリンチ的縛り首で殺した。
 心ある日本人は、周辺諸国からの罵詈雑言の激しい非難にもかかわらず、人道貢献を為たA級戦犯達を靖国神社の祭神として祀った。
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 天皇・皇族が訪問してはならない国が周辺諸国にある、韓国・北朝鮮、ロシアそして中国(中国共産党政権)である。
 平成4(1992)年 自民党の政治家と親中国派の官僚達は、自分の利益・自分の金儲けしか眼中にない経済界の強い要請を受けて、天皇を政治利用して、天安門事件で国際制裁を受けている中国に天皇皇后両陛下の訪問をゴリ追いした。
 日本国内には、反日を隠さない中国、韓国・北朝鮮、ロシアの利益なる様に行動する反天皇反日的日本人達が存在する。
 日本と周辺諸国との緊張関係は、古代から変わらない。
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 2019年1月号 WiLL「問答無用の蛮行 残る人質を返せ!
 中国に拘束された日本人の数はどこの国よりも多い。 
 新しい拉致事件と言えないか
 高山正之 矢板明夫
 昔から変わらない中国
 ……
 高山 気になる話題と言えば、北大法学部の岩谷將教授が中国で拘束されたことだ。結局、解放され帰国したけど。
 矢板 中国政府系シンクタンク、中国社会科学近代史研究所から研究報告のため招聘(しょうへい)されて、北京に行ったところ拘束されたようです。
 高山 研究テーマは日中戦争外交問題だった。
 金玉均({きんぎょくきん}李氏朝鮮後期の政治家・朝鮮独立党の指導者)は、中国の招聘に応じて上海に行ったところを暗殺された。清国のお尋ね者だった孫文がロンドンでの災難を、渡辺惣樹(日本近現代史研究家。本誌で連載中)がどこかで書いていた。彼は街中で親切な英国人紳士風の男に誘われる。ついていったらそこが清国公使館で、監禁拘束されちゃった。孫文は英国の干渉で自由の身になるけれど中国人のやり方は、本当に昔から変わらない。
 今度、この事件に対して、早稲田大学名誉教授の×××は中国政府に言葉にしたがい衝撃を受けて、もう中国に誘われても怖くて行けないと『深い懸念』を表明した。××は朝日の子飼いみたいなタイプで、『新しい日中関係を考える研究者の会』の代表幹事を務めるもろ親中派だ。何をやっても中国は正しい。日本は悪いとしか言わない男だ。それでもさすがにショックを隠せなかったようだ。
 矢板 自分たちも中国に行けば拘束されるかもしれないという恐ろしさがあるのでしょう。ただ、×××たちは日本政府が悪いという立場を崩すことはありません。中国を利用して日本を叩く。
 ところが、中国政府の言うことがよく変わるから、その都度、発言を修正しなければいけない。それで発言に矛盾を来(きた)すことがあります。
 国際ルールは完全に無視
 高山 岩谷氏がスパイ活動なんてするはずないだろう。
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 矢板 国際ルールを完全に無視して、中国で独自につくった理解不能なルールに則って逮捕・拘束するのです。温泉掘削に協力した日本人を捕らえたケースすらあります。
 ……
 高山 前にはフジタ(ゼネコン=総合建設会社)の社員4人が拘束された事件があった。」 矢板 ……旧日本軍の遺棄化学兵器処理事業に関連する現地調査のため、河北省に入っていました。現地の中国人に手伝わせて死亡事故でも発生したら日中関係がこじれる可能性があったため、全員日本人で処理することにしたのです。遺棄化学兵器があるところは、軍事施設があった場所で、立入禁止区域になっている場所がある。
 でも、仕事のためフジタの社員は行かざるを得ないでしょう。中国人の案内役もつれて、実地検分をするわけですが、ある日、案内役の人間が来ないと連絡が入ったのです。そこで日本人だけで調査に行ったところ、取り押さえられてしまった。
 高山 冗談みたいな話だ。
 日本外交の人質
 矢板 スパイ容疑なのですが、中国では最高刑で死刑です。尖閣諸島問題に乗じて拘束なのは間違いないと思いますが、いくら何でも死刑はひどすぎる。産経は死刑とは書きませんでしたが、共同通信などほかのメディアは『スパイ容疑で拘束 最高刑』という見出しでした。当時の民主党政権はこの事件に驚き、船長を釈放せず、4人の社員が死刑になったまずいと、慌てて釈放を決めたのです。
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 伊藤忠の社員も拘束されました。懲役3年の判決が出たようです。 
 高山 赤字の国に大金を投資している会社じゃないか。
 矢板 伊藤忠のトップは丹羽宇一郎元駐中国大使という親中派がいるにもかかわらずですからね。2015年以降、中国に拘束され日本人は男女合わせて14人(うち実刑判決は8人)です。2番目がカナダ人で8人ほど。考えてみると、新しい拉致事件と言えませんか。
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 高山 日本外交の人質と言える。民主党政権時代と、やり方がまったく同じだ。
 矢板 そうですよ。しかも、日本政府側も何ら発信していません。……
 韓国は中国の相似形
 高山 今、日本人は韓国の激しい反日言動で、うんざりし始めている。参議院議長の山東昭子は『天皇謝罪』発言をした文喜相国会議長に対してけんもほろろの対応をした。
 矢板 安倍首相も積極的無視です。ASEAN文在寅大統領と対談しましたが、公式ではないという認識を崩していません。
 高山 古田博司は『韓国はいまだに古代のままだ』と喝破(かっぱ)しているけれど、かつての日本はそんな朝鮮半島に対して積極的にかかわり、文明の光を当ててきた。インフラを整備し、学校を建て、港湾を造成し、産業を興した。一人前の国にしてやったのに、感謝するでなし、『七奪だ』とか、あらぬ誹謗(ひぼう)を言い立てる。
 矢板 その7つとは『主権』『国王』『人命』『国語』『姓氏(創氏改名)』『土地(土地調査事業)』『資源』のことですね。
 高山 朴槿恵前大統領に至っては『1000年たっても恨みは消えない』とまで言っている。そんな韓国人の性根を人の好い日本人もようやく気づいた。日本人は1度愛想をつかすともう思い直しはしない。その証拠に安倍の韓国のホワイト国外しに対して、パブリックコメントでは95%超が賛成した。反安倍が結構いても根は日本人だ。
 こういう親切を仇で返す姿を見ていると、中国の相似形に見える。
 矢板 確かにそうかもしれません。
 高山 日清戦争で日本は中国と戦ったけれど、そのとき、日本人はどこまでも人道的に対応した。中国人には捕虜という概念がない。捕らえたら、目をくりぬき、鼻を削(そ)ぎ、陰茎を切断し、切ったものを口に突っ込み、最後は手足をバラバラにした。
 矢板 凌遅刑(りょうちけい)ですね。
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NORIN TEN 稲塚権次郎物語: 世界を飢えから救った日本人
世界の食糧危機を救った男―稲塚権次郎の生涯