💎15)─2─神の裔・男系天皇のみが、国家の安全と国民の幸福と民族の安寧を天皇霊に祈る資格がある。~No.52No.53No.54 @ 

明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか

明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 祭祀王・万世一系男系天皇(直系長子相続)の祈りに感謝する日本民族日本人がいて、
 有り難迷惑と嫌悪する日本人がいて、
 余計なお節介と拒絶する日本人もいる。
 日本は、自由な国である。
 天皇制度廃止を求める日本人は、日本開闢以来、歴代天皇が行ってきた国難に際して行う祭祀を原始的神懸かり的呪いと否定している。
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 皇室は、女性神・母神である天照大神の子孫として「女系」で始まっている。
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 伊勢神宮遷宮があったこの年の参拝者は、内宮・外宮を合わせて約1,420万人であった。
 1993年の前回は約838万人で、1973年の前々回は約859万人であった。
 2013年の参拝者の特徴は、若い女性が多かった事である。
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 将来。男子皇族の減少にって皇位継承者がいなくなり、皇統は絶える。
 現代の政治家や官僚達は、その危機的状況を知りながら何もしない。
 それどころか、皇統が絶える事を望んでいるかのように対策を講ずる事なく傍観している。
 皇統の存続より、自分の議席を守る事しか考えていない。 
 国民も、心配しているかのように口にしても、関心は皇族のスキャンダルでその手の記事が載っている雑誌を面白おかしく読んでいる。
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 日本は氏族社会として、子孫がその血筋を根拠として自分の氏神・祖先神を祀る。
 日本全国の全ての神社に祀られている天皇神・天皇霊は、現皇室の祖先神である。
 天皇神・天皇霊を祀る神社に詣でる事は、自動的に神の裔・天皇を遙拝する事である。
 神の血筋である天皇を崇拝したくなければ、天皇神・天皇霊とそれに関連する八百万の神々を祀っていない、非日本神話系宗教施設に行く事である。
 戦後教育を受けた若者達の内で、祭祀王・万世一系男系天皇(直系長子相続)への敬愛が薄れ始めている。
 現代日本には、大家族主義に基ずく皇道は廃れた。
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 中国人のキリスト教徒は約1億人といわれ、カトリック教が3分の1、プロテスタントが3分の2の割合と言われている。
 男女比は、3対7で女性が多い。
 中国人キリスト教徒は、法印功が政治化して弾圧された事を教訓として、政治集団化せず中国共産党に逆らわず、絶対神の信仰から貧民救済の為に政治批判を行わない。
 中国共産党政府は、ウイグルイスラム教やチベットの仏教を弾圧しても、バチカンアメリカを意識してキリスト教は放置した。
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 日本に於ける「物作り」の衰退は、「他社が作って売っているのだから自社も同じ製品を作って売る」という発想を取り入れた時から始り、新しい製品を研究開発しなくなってメイド・イン・ジャパンは魅力を失って売れなくなった。
 同じ製品であれば日本製品は売れるという幻想で大量生産したが、性能に差がない為に価格破壊的な韓国や中国の安値攻勢に売り上げを減らし、少しでも売り上げを伸ばすべく薄利多売的な販売路線を取って自滅した。
 他社に真似できない特殊技術を苦労して研究開発し、薄利多売路線を採用しなかった中小自立メイカーのみが生き残った。
 だが。独自技術は商品化されて市場に出れば古い技術として誰でも真似ができるために、更なる先の技術を同時に研究開発するしか生き残れない。
 日本の物作りは、この蟻地獄の様な研究開発競争から降りた為に駄目になった。
 日本は物を作って売ってブランド力を上げ国際競争力を強めない限り生きられない以上、無間地獄の様な終わりなき蟻地獄から逃げ出せば一夜にして衰退する。
 それが、弱肉強食と言われる市場至上主義時代に生きる日本の全ての産業の宿命である。
 日本の農業とて、生き残る為には安穏とはしてはいられない。
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 子供が、将来に夢を持てず、未来に希望を膨らますことができず、大人になって「何かを」成し遂げたいという「志」が抱けない社会は、活力のない末期的消滅社会である。
 成功するかしないか分からない夢や希望といった「大志」を子供が持てない国家は、滅亡するだけである。
 その責任は、大人にある。
 現代日本には、そうした子供が急増している。
 日本的な湿った「情」が消え、乾いた「空気」が濃厚となっている。
 日本人は、人と人をつなぎ合わせている人の「情」ではなく、社会に蔓延している「空気」を感じ意味もなく何となく流されて動いている。
 全ての責任は、心も志も道理もない「正義」を振りかざして自己満足している大人にある。
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 2013年 美智子皇后陛下「(今後の皇室の在り方について)時代の流れといともに、形の上ではいろいろ変化があるでしょうが、私は本質的には変わらないと思います。歴代の天皇方が、まず御自身のお心の清明と言う事を目指され、また自然の大きな力や先祖のご加護を頼まれて、国民の幸福を願っていらしたと思います。その伝統を踏まえる限り、どんな時代でも皇室の姿というものに変わりはないと思います」
 今上天皇陛下は、国民に寄り添い国家の平和と国民の幸福を祈る限り、国民と共に歩もうとされている。
 天皇が最優先にすべき務めは、皇祖皇宗と八百万の神々に祈りを捧げる事である。
 この祈りは、皇室関係者以外の日本人では不可能な祭事である。
 日本の天皇は、他国の君主とは違い、王と民という権力及び権威による対立は存在しない。
 現代日本人の中には、国民主権及び人民平等の戦後教育によって、王と民の対立構造を生み出して祭祀王・天皇制度を廃止しようとしている者が増えている。
 宮中祭祀は、宗教的権威の源泉でもなく、政治的権力の根源でもなく、「かんながらのみち」として道徳と良心を照らす鏡である。
 ゆえに、1991年の雲仙普賢岳噴火、1993年の北海道南西部地震、1995年の阪神・淡路大震災、2000年の三宅島噴火、2004年の新潟中越地震、2007年新潟中越沖地震、2011年の東日本大震災など、甚大なる自然災害が起きた際は、被害の状況を詳しく確かめ、現場の事情が許せば迷惑にならないように、被災地に赴き、犠牲者を悼み、被災者を慰め、救援活動に携わる人々を励ます。
 それが出来るのは、天皇皇后両陛下と皇室関係者のみである。
 阪神・淡路大震災では村山首相の指導力のなさを国民から非難され、東日本大震災では菅首相や閣僚と政治家と官僚は被災者から罵倒された。
 そして、村山富市菅直人も総理大臣を辞職しても、国会議員として国費から多額の議員報酬を得ていた。
 鳩山由紀夫首相は、「日本は日本人だけの日本ではない」と公言した。
 政治家も官僚も、復興・復旧が進まない事に恥じる事なく、与えられた仕事をゆっくりと無気力にこなしている。
 政治家は自分の議席を守る為に不毛な政争に明け暮れ、官僚は出世と天下り先と高額な退職金の為に問題を先送りしている。
 国会中継の政治家や官僚、テレビ報道に現れる大手会社の代表や大学の学者や評論家や教養人、尊敬に値する日本人は少なくなってきている。
 自分は天皇を認めないし皇室がなくても日本人ある、と言いきれる日本人が増えてきている。
 彼らは、日本民族を否定する、他者との関わり、つながり、絆を拒絶する孤立した孤独な砂粒的日本人である。
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 日本NCCは、宗教者の立場から反天皇と反自衛隊を鮮明にするべく「天皇制と東日本大震災復興・原発問題への声明」を発表した。
 「3・11という大災害における被災地での自衛隊活動の必要以上の露出、……そして天皇自衛隊機による被災地訪問、皇族の訪問は、この国の復興においての、天皇の戦争責任を回避してきた勢力によっての、天皇の視覚的支配の目論見である。」
 「原発で被曝しつつ作業をしている労働者たちを、『決死隊だ』『皆で称えよう』と〝顕彰〟することも、天皇のために喜んで死んで行った者たちをほめ称える『靖国』の顕彰の論理と共通している。……このような、復興に当たっての天皇国家主義の台頭が、もうじき来るであろう、民主主義・非戦平和をますます危うくする天皇の代替わり儀式=即位・大嘗祭天皇が神となる儀式)の盛り上がりにつながらないように十分に注意したい」
 日本NCCは、キリスト教会だけではなく天皇制度廃止や皇族個人批判の為に諸宗教との対話路線を重視している。
 「相互理解のための対話プログラムや平和・人権・反原発などの課題について宗教協力を進めています」
 雅子皇太子妃の健康問題や愛子内親王の過保護に対する皇室批判は、キリスト教世界で最も強う。
 「天皇皇后両陛下、皇太子同妃両殿下、その他の皇族は、それ程特別に偉い存在なのか」
 ある意味、日本NCCは天皇心神話や天孫降臨神話といった日本古来の民族宗教に対して宗教戦争を仕掛けている。
 さらに、日本へ大攻勢を仕掛けているのが韓国系キリスト教会諸団体である。
 アジアに於いて、キリスト教が盛んなのは韓国とフィリピンである。
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 文部科学省は、2012年度の「教職員人事行政状況調査」を発表した。
 そこには、聖職者とされた教師達の人間性を疑うような不祥事の数々が明らかとなった。
 罪の意識のない猥褻行為、イジメ解消に対する意欲のなさなど、教員としての資質の低下が浮き彫りとなっていた。
 懲戒処分者は968人は、2010年度の905人に比べて増加した。
 同時に。教職員の多くが、生徒と父兄からの苦情や非難中傷で精神的に追い込まれている、異常な教室の実情も明らかとなった。
 「個」の権利を主張する生徒の増加で、学級崩壊はさらに深刻化している。
 一部の父兄は、ペットの餌を買うが、義務教育の学校の給食費を払う事を拒否している。
 子供が学ぶ教育現場の悪化は、日本の将来を絶望視させるほどに暗くしている。
 働けるのに働こうとせず生活保護を不正受給する日本人。
 自己の権利を盾にして国民としての責任と義務を果たそうとしない日本人が、戦後の平和教育で急増した。
 戦後教育は、市民に「個の権利」を守る為には国家権力と戦い、私の「完全なる自由」を奪おうとする公権力を打倒すべきであると教えた。
 守るべきは、自分の個人益・私益であって集団の国益・公益ではないと。
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 日本史の事実として。織田信長のような天才が、硬直し旧態依然とした疲弊した社会・組織を破壊して、新たな組織を立ち上げ新たな社会への道を切り開いた。
 切り開かれた道を整備して整えるのは、先手必勝の攻め一本の願望のみで他の事を考慮せず完璧な作戦を立案できる優秀な人間ではなく、現実に起きるかも知れない負け戦を考えながら臨機応変に対応する優れた凡庸者であった。
 優れた凡庸者は、自己過信の優秀な人間とは違って、自分を冷静に知るがゆえに、素人的に固定観念に縛られる事なく、突飛な発想をするが実現の為に地道に諦めず行動する。
 日本独自の職人芸とは、自分の経験から先を想像して努力し、先人達の苦労を学んで工夫を凝らした。
 ゆえに。日本は世界の非常識的に、世界的な古い老舗が数多く残り、その伝統技能を継承しているっている。
 絵の具にたとえれば、優秀な人間は個性の強い油絵の具であり、優れた凡庸者は個性が薄い水彩絵の具である。
 現代日本人は西洋的油絵の具で、昔の日本人は日本的水彩絵の具であった。
 さしずめ現代日本の失敗は、日本の水彩画或いは浮世絵に、思慮分別もなく強引に油絵の具を塗りたくった事にある。
 現代日本人は、織田信長のように社会を革新ができる天才的素質を持ってはいないし、徳川家康のような社会を進化させる優秀な凡庸さもない。
 現代日本人。特に。政治家と官僚と企業家は、歴史を学び、歴史から教訓を得ようとせず、そこにある現実を直に見ようとせず、緻密な統計数値を頭で理解し、非の打ち所がない計画案を書き上げた。
 その多くは、現実の危機と乖離した「そうあって欲しい」という蜃気楼的願望の産物で、当初の予想と正反対の結果を出して事態を悪化させているにもかかわず修正される事なく続けられている。
 そこには、日本人が持っていた現場の状況に応じて勘働きをするという賢さはない。
 統計数値に長けた優秀な人間はいるが、現場を知り尽くした優れた凡庸者がいない。
 物作りとしてのメイド・イン・ジャパンが消えたのは、グローバル化した優秀な人間が増え、常識離れしたひらめきを持った天才と地味な優れた凡庸者がいなくなったからである。
 その傾向は、現代教育が続けられる事によって強くなる。
 今後。日本には、織田信長のような天才も、徳川家康のような優れた凡庸者も、革命児の坂本龍馬高杉晋作西郷隆盛も、信念の近藤勇土方歳三も、ましてや伊藤博文大隈重信福沢諭吉も、現れては来ない。
 現代の教育には、創造力と実行力を持った子供を育てる魅力はない。
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 3月11日 日本政府は、東日本大震災2周年慰霊祭に辺り日本に大使館を置く140の国と国際機関に招待状を送った。
 中国と韓国以外は、代表団を送り、犠牲者の霊に哀悼の意を表した。
 両国は、靖国神社参拝問題を介して、日本人の伝統的慰霊・鎮魂の祭事を否定している。
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 3月13日 教皇選出権を持つ枢機卿や司教等によるコンクラーベで、歴史的に始めてイエズス会士のイタリア系アルゼンチン人ホルヘ・マリオ・ベルゴリオが新教皇に選ばれた。アッシジ聖フランシスコにちなんで、教皇名をフランシスコと名乗った。
 教皇フランシスコ「私は忍耐強い神の民の中に聖性を見るのです。子供達を苦労しながら育てる女性達、家族が生きて行くの為にパンを得る為に労働する男性達、病気の苦しみに耐えて生きている人達、歳をとっても、沢山の重荷を担いながら、神に奉仕する喜びを感じ、おのずと微笑みをたたえ続ける司祭達、多くの労働に励むシスター達、世に隠れて聖なる生活をする修道女達。こういう人達が、私にとって普通の聖性を生きているのです。この聖性を私はしばしば忍耐と結びつけます。1日1日前に歩み続ける忍耐をも指します。これこそ、聖イグナチオの語っている『戦う教会』の聖性なのです。……教会こそ、私達と共に〝感じて〟いかなければなりません。このような教会こそが全ての人の家なのです。選ばれた人々だけを収容できる小聖堂ではありません。カトリック教会の広い懐を、我々の生ぬるさを守ってくれる鳥の巣籠りに狭めてはなりません。真に教会は〝母〟なのです。限りなく子沢山であり、そうあるべきなのです。…
 …教会が今日最も必要とする事は、傷を癒す能力です。信ずる人達の心を温める力です。身近さと親しさです。教会は戦闘後方の野戦病院だと思います。重い傷を受けた人に、コレステロールや血糖値を尋ねるほど無意味な事はありません。まず傷付いた人々を癒す事を成すべきなのです。その後で、残りの事を話せるようになるのです。…
 …人々の人格に対して責任を持って対処しなければなりません。隣人の傷を洗い、手当てし、立ち上がらせる善きサマリア人のように、人々に寄り添っていかなければなりません。iこれこそ混じりけのない純粋な福音です。神は罪よりも遙かに偉大な方です。…
 …宗教は人々の奉仕の為に自分の意見を述べる権利がありますが、神は創造された時、私達を自由な人格とされました。何人も他人の自由な人格に介入する事はできないのです。…
 …〝具体的な〟神は今日ここにおられます。ですから、不満・嘆きは、決して、決して神を見出す為の助けになりません…
 …全ての事に於いて神を探し出す事は、いつも不確実性の領域に留まります。もし或る人が確実性をもって神に会った、これについて如何なる不確実性もないと言うなら、これこそ神は彼と共にいない事の証明です。自分の為に宗教を利用するのが、偽預言者なのです。モーセのような、神の民の道案内人はいつも疑いの余地を残しました。もし我々の確実性にではなく、神に余地を残すのであれば、謙虚である必要があります。…
 …聖書の中に書かれているように、人間はしばしば盲目の内に探すのです。…
 …行く・歩く・行く・探す・見る事なのです。神の出会いの探求の冒険に入っていかなければなりません。神の方から会いにこられます。その神を迎え入れなければなりません。…
 …神は第一に存在しますから、神は最初に動くものです。…
 …神は各々の人格の中にいます。どんな人の生の中にもいます。1人格の生が乱れたものであるとしても、悪徳や汚れた霊やどんな他の事によって破壊されても、神はその人の生の中にいます。1人格の生が棘や雑草に満ちた土地だとしても、良き種が育つ事のできるスペースがいつもあるのです。そのような神を信頼する必要がありかす」
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 5月31日 国連科学委員会(UNSCEAR)は、住民が被曝した放射線量は低く、福島はチェルノブイリ原発事故の60分の1と発表し、「健康に悪影響は確認できず、今後も起きる事は予想されない」とする研究結果を公表した。
 国際的権威に懐疑的な日本人は、客観的科学データに基ずく結論を信用せず、猛反発した。
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 7月 アン・ジョン(ソウル教育大学校韓国学教育研究所院長)「特級戦犯の天皇は直ちに韓国を訪れ、大韓皇室宗廟に涙で土下座して謝罪しなければならない」
 世界中の如何なる立憲君主国に於いても、国民は自国の国王を守る為に政治的実権を与えてはいない。
 それは、日本とて同様であった。
 だが。韓国はその事を認めず、何が何でも天皇や皇族に土下座をして謝罪する事を主張して止まない。
 韓国人は、日本民族統合の象徴である天皇に対して、国際的常識を無視してまで最低限の礼さえとろうとはしない。
 一部のキリスト教会は、韓国側の主張を支持して、天皇の正いある謝罪を要求している。
 呉善花「韓国人は、韓国の大統領と外交の相手を務めるべき存在は天皇であって総理大臣ではないと考えています。従って、日本の総理が何をいっても、どんあ謝罪をしても所詮は総理如きがいっている言葉に過ぎない、天皇が謝罪しないと最終的な決着にはつながらないと考えているのです。
 李前大統領は、日本の天皇訪韓して心から謝罪をする事が大事だと言う様な発言をしました。では、感情の起伏が激しい韓国人の心寄りの謝罪の仕方というのはどういうものか。
 土下座をして泣いて涙を流しながら謝るという事です。
 そうでないと、心から謝ったと思ってくれない。感情を露わにすることは品の良いことではないというのが日本人の考え方なのに、日本の天皇に土下座して謝れというのに等しい発言を前大統領がしている。
 韓国の政治家はそこまで、天皇を政治利用したいのです。しかし、そんな考えで天皇を韓国に招いても日韓関係は良くなるはずがありません」
 だが。日本人の中には、韓国の意図を十分理解したうえで、両国の関係を改善させる為に天皇あるいは皇太子らの皇族を韓国に送るべきだと主張する者がいる。
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 8月5日 全日本仏教会の小林正道理事長は、安倍首相や閣僚に対して終戦記念日靖国神社参拝を控えるよう求める要請文を、世耕弘成官房副長官に提出した。
 「首相や閣僚は如何なる時も公人であり、政教分離の精神にのっとり参拝を控えるべきだ」
 キリスト教系諸教団や一部の仏教系教団も、たとえ自分の父祖が祀られ個人的に参拝する事も反対すると申し込んだ。
 宗教家は、政治家が靖国神社に祀られている父親や祖父の魂に祭礼する事は、政教分離の原則に反すると批判した。
 中国は、靖国神社に参拝した政治家をブラックリストに載せて、今後、中国に入国させないと報道した。
 反日的国際世論は、日本の政治家は現職にある間は、英霊として靖国神社に祀られた家族の祭祀を行う事を批判している。
 日本の左翼・左派のマルクス主義者は、反宗教無神論の立場から、公人及び私人に関係なく全ての参拝に対して激しく抗議している。
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 10月2日 伊勢神宮内宮で、第62回式年遷宮の「遷御の儀」が執り行われ、新しく建て替えられた正殿に御神体である皇祖神・天照大神がお遷りになった。同5日には、外宮でも滞りなく神事が行われた。
 皇祖神の為の社殿にせよ神具にせよ、全てが1300年前のものと寸分違わず古式に則って復元されている。
 それは。日本文明の源流である神道における、「死」という断絶を穢れとする甦りと継承という「絆」の儀式である。
 島国日本にとって重要なのは、過去と未来をつなぐ現在であり、人と人及び人と社会の「絆」としての自分という事である。
 人が生まれて社会で生きるという事は、人とつながり、社会と関わり合う事だと信じていた。
 ゆえに、人や社会との関わり合う事を大切にしてきた。
 しれが、閉じ込められた島国社会で煩わしいしがらみを我慢し、閉ざされた島国空間でお互いに堪えながら付き合って生きると言う事である。
 その秘訣は、お互いが相手の事を思い遣り、気付き合い、譲り合い、支え合い、助け合う事である。
 それを象徴するのが、皇室の祖先神を祀る神宮祭祀であり、天皇陛下が一子相伝で執り行う宮中祭祀である。
 式年遷宮とは、古くなった社殿を新しく建て替える事ではなく、伝統的建築方式を若い宮大工に継承する事でもない。
 今年だけで、日本人の1,300万人以上が伊勢神宮を参拝すると云われている。
 日本人の10人に一人が、御伊勢詣でをするのである。
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 20〜59歳の仕事もなく家族もなく友人も持たない孤立無業者(SNEP)が急増し、160万人以上が存在していると云われている。
 高齢化社会が進むにつれ、ニートといわれる15〜34歳の若者無業者約60万人よりも悲惨な状況に追い遣られつつあると云われている。
 社会とのつながりや人との絆が希薄な無縁社会が進んで、一人暮らしの孤独死孤立死や無縁死は増えるといれている。
 地縁の血縁も希薄化した日本では、孤立は一般化し、一人ぼっち・孤独は珍しくなく、一人で人知れずいつの間にか死にウジが湧き悪臭を漂わす腐乱する時代となりつつある。
 これからの日本は、戦後の「個」を尊重するマルクス主義に基づいた非人間的科学教育によって、一人で孤独に生き、一人で孤独に死んで行く時代となった。
 現代日本は、もう日本の日本には戻れない。
 日本人の未来は、悲惨なほどに暗い。
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 10月31日 秋の園遊会で。山本太郎参院議員は、皇室警備の隙を突き、招待客の前に出て、今上天皇陛下の面前に進み出て手紙を片手で渡した。
 手紙が金属探知機では発見できない凶器や猛毒の化学兵器生物兵器であれば、今上天皇陛下は暗殺されていた。
 問題は、手紙を渡したかどうかではなく、誰も止められなかった事である。
 歴史的に、日本人による明治天皇暗殺計画や朝鮮人による昭和天皇暗殺未遂事件が存在する以上、今上天皇陛下や皇族が狙われる事は今後も起きる可能性がないとはいえない。
 今上天皇陛下は、開かれて皇室を目指して国民の前に無防備で身を晒されている。
 山本太郎議員の重罪は、今上天皇陛下や皇族の暗殺は容易である事を全世界に知らせた事であり、国民に寄り添って歩く事を責務とされる今上天皇陛下の御持ちを踏みにじった事である。
 だが、山本太郎参議院議員を弁護する声が国内外から起きている。
 戦後日本の歴史教育は、天皇制度と日本国家及び日本人との深い関係を意図的に薄めている。
 事実。皇室に関心がない日本人や、天皇制度の廃止を求める日本人が、確実に増え始めている。
 過激なマルクス主義集団である中核派日本革命的共産主義者同盟全国委員会)などのメンバーが、天皇制度廃止を訴えて、山本太郎参議院議員を支援していたという。 
 参議院は、山本太郎参議院議員に対して除名という厳しい懲罰動議を行わず、「参議院議長からの厳重注意と皇室行事への出席禁止」という軽い処分で責任を放棄した。
 美智子皇后陛下のみが、凍り付いたように動けなかった侍従や警備陣に代わって、とっさに手を出し今上天皇陛下の左肘に触れられた。
 口先だけで皇室を敬愛するといいながら、命を犠牲にしてまで天皇皇后両陛下や皇族を守ろうとする日本人がいかほどいるのか。
 現代日本には、戦前日本の様に国體を守る為に特攻や万歳突撃してまでしようという日本人は、多分そうはいないであろう。
 現代日本は、そうした日本に変容し始めている。
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 日本人の中にも天皇を憎む日本人が存在し、天皇の存在を消滅させてこそ本当の日本人となれると確信している。
 彼らが目指す真の日本人とは、伝統、文化、歴史、宗教を共有する集まりとしての日本国民ではなく、全ての「しがらみ」や「絆」や「つながり」を断ち切った一個の日本市民である。
 人間の集団から完全にはみ出した、孤立無援の「個」としての日本人である。
 今や、そうした孤立した日本人が急増している。 
 責任をとらず、義務も果たさない、外野に陣取り非難中傷や罵詈雑言で人を平気で傷付け死に追い遣るネット市民である。 
 彼らに似た人間が、古代ギリシャの民主主義を破壊した。
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 11月23日 新嘗祭の祝日。某新聞「福島産の米を御所に/天皇陛下の意向受け/宮内庁
 宮内庁は27日、東京電力福島第一原発事故の影響で作付けを中断していた福島県広野町で3年ぶりに収穫された新米を、天皇陛下の意向により皇居・御所に届けたと発表した。同庁によると、広野町から届けられた新米を27日から職員食堂で提供すると風岡典之長官が説明したところ、陛下が『苦労されて作ったお米であろうから、自分たちも少しいただこうか』と希望されたため、26日に御所に届けたという」
 両陛下は、28日の昼食で福島の米を召し上がられた。
 福島で今も放射能で苦しめられている農家にとって、これ程ありがたい事はなく、勇気を与えられる事はない。
 左翼・左派のマルクス主義者が、如何に天皇制度を廃止しよと躍起になっても、天皇・皇室が苦難に耐えて生きる庶民に寄り添って共に歩こうとする限り不可能である。
 被災地で、左翼・左派のマルクス主義者の反天皇発言を真剣に聞く被災民は誰もいない。
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 現代日本の企業家は、一人ひとりの客の顔を見ず月例報告の売り上げ数値を見、客の満足よりも株主や親会社の利益の為に経営をしている。
 現代日本の「おもてなし」とは、前年比増収増益を最優先課題として、客の為ではなく株主や親会社の為である。
 食品偽装うが絶えない和食・日本料理が、無形文化遺産に登録された事は「悪い冗談」というより、先人達の努力を無効にするほどの悲劇である。
 和食の真髄は、見た目の利益・売り上げでは計れない価値か存在する。
 和食の板前とは、自分を捨てて客に媚を売る事を嫌う同時、自分を捨てて客の為に尽くしきる所にある。
 和食の楽しみとは、客と板前の真剣勝負である。
 現代の和食には、そうした真剣勝負が薄れ、今にも消え失せようとしている。
 和食のうま味とは、甘い、辛い、酸っぱいとしたハッキリした味付けではなく、自然の深みの味わいである
 これが最高の味、高級な和食、極めた日本食、と言うものはなく。
 相手の身となって今最高の食事を差し上げる事、それが究極の味であり、おもてなしの真髄である。
 相手を思い遣る情。
 威張り、驕らない、一歩引いた奥ゆかしさ。
 今に満足せず、腕を磨く為の工夫。
 自分を見詰め、自分を忘れず、自分を出し過ぎず、自分らしさを押し出す。
 伝統と斬新。
 洗練に奇抜。
 変わる所と変わらない所。
 日本文化は、名もない身分低い下町の人間模様である。
 食とは何なのかを問い詰める所に、和食が本来存在する。
 日本文化は、伝統的和食の中にある。
 災害に遭って悲嘆に暮れて絶望している時に味わう、壊れず残った粗末なお椀に盛られた暖かいお粥の味わい。
 一期一会に交わし合う、心構えとしての情の深さ。
 安心。
 信頼。
 現代日本には、昔の日本らしさの情緒は薄れ、そして消えつつある。


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天皇陛下の全仕事 (講談社現代新書)

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