💖48)─1─日本軍では実力・才能さえあれば「朝鮮系」であっても中将にまで出世できた。靖国神社。〜No.183No.184 

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 2025年7月31日 MicrosoftStartニュース NEWSポストセブン「【逆説の日本史】実力さえあれば「朝鮮系」であっても中将にまで出世できた大日本帝国
 作家の井沢元彦氏による『逆説の日本史』
 ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。今回は近現代編第十五話「大日本帝国の確立X」、「ベルサイユ体制と国際連盟 その10」をお届けする(第1461回)。
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 人類の持つ最大の因習である人種差別を撤廃するという方向性を確立したのは、まさにアジア・アフリカ諸国のなかでいち早く近代化を達成した日本であった。そして、国と国との大規模な総力戦で有色人種の国家として初めて白人国家ロシアに勝利した大日本帝国は、続く第一次世界大戦では局地戦とはいえドイツにも勝利し、有色人種の国家として初めて欧米列強に並んだ。その立場上ある意味で当然だが、人種差別の撤廃を訴えたのである。
 きわめて重要なことは、人種差別撤廃案を人類初の国家を超えた調整機関である国際連盟の規約に盛り込むことには失敗したが、大日本帝国自体がその理事国として認められたということだ。これは、たとえばアメリカで「初の黒人大統領が選出された」ことなどと同じで、やはり人類初の快挙なのである。
 論理的に考えればどう考えてもそうなのだが、おそらく読者のみなさんはほとんど強く認識していなかったのではないか。なぜそうなったのかはおわかりだろう。古くはアメリカの「太平洋戦争」という用語強制による洗脳、そして新しくは左翼歴史学者による史実の矮小化。わかりやすく言えば、大日本帝国の悪事は誇張し善事は省略するか小さく見せる、というやり方である。
 たとえば「従軍慰安婦問題」など反日マスコミによる捏造報道社会民主党などの反日政治勢力による共産国家の美化(「北朝鮮は日本人拉致などしていない」)が加わり一時はひどいものだったが、最近は少しマシになってきた。すでに朝日新聞従軍慰安婦に関する一連の報道が虚偽であったことを認めたし、この稿を執筆している時点で社会民主党は国会議員が三人しかいない。
 しかし、学問の自由を隠れ蓑にした左翼歴史学者たちはまだまだ日本人を、かつてのアメリカ軍のように洗脳しようとしている。私は彼らの主張でも歴史的に見て正確な部分は排除しない。あたり前のことだ。誰が言おうと事実は事実なのだから。しかし、特定の事実だけを誇張し別の事実は隠蔽するというのは、歴史研究者として正しいやり方では無い。
 彼らの言うことがまるっきり捏造ならば、厳しく糾弾することができる。たとえば「朝鮮戦争は韓国のほうが先に仕掛けた」などというような大ウソである。さすがに彼らも最近はそこまですると信用を無くすので、師匠や先輩が言っていた大ウソを引き継いではいないが(当然するべき批判もしていないが)、「事実」をうまく使って「真実」をうまく隠蔽することは得意中の得意である。
 その「技術」についてはここ数回でご紹介した。彼らが作った教科書をわざわざ長文にわたって引用したのは、そのためである。あの教科書の記述のなかに「ウソは無い」が、「事実」を巧みに「取捨選択」し肝心の「真実」を隠す手口は、まさに「名人芸」(笑)と言ってもいいだろう。くれぐれもご用心を、と申し上げておこう。
 あらためて彼らの隠蔽しようとした真実をまとめるなら、「大日本帝国は人類の歴史上初めて人種差別撤廃を世界に求めた国家であり、のちの大東亜戦争アングロサクソンを中心とする有色人種差別をこの世から無くすため、という崇高な目的があった」ということである。
 何度も言うが、それは大東亜戦争が聖戦であり、一〇〇パーセントの正義であったということでは無い。そもそも人類のやることに一〇〇パーセントの正義などほとんど無いが、「人種差別をこの世から無くす」ということは大東亜戦争の目的の一つではあったがすべてではないし、その目的あるいは戦争を始めたこと自体すべて正しいと主張するつもりも無い。ただし、できるだけ双方の事情を正確に公平に記述したうえで歴史的事象を分析研究するのが、歴史研究者としての正しい態度だと考えている。
 さて、こういうことを言うと、いわゆる左翼歴史学者たちは、さっそく「名人芸」を発揮して「大日本帝国は有色人種を差別する国家であった。その証拠に朝鮮人差別があった」と言い出してくるかもしれない。たしかに、それは事実である。当時、朝鮮民族日韓併合の結果すべて日本人だったから朝鮮系日本人というのが正確な言い方だろうが、それに対する差別は明白にあった。
 しかし、だからと言って当時の大日本帝国が人種差別撤廃という大きな方向性を持っていたことの否定材料にはならない。国際連盟創立時における具体的な提案など証拠はいくつもある。それにいわゆる朝鮮人差別についても、それはたとえばイギリス統治下インドなどにあったイギリス人によるインド人差別とはまったく違うものだ。
 これについてはいずれ詳しく触れる機会もあるだろうから、一つだけ日本人とイギリス人の差別がまるで違うものであった事実を提示しておこう。じつは、すでに紹介したことでもある。大日本帝国陸軍に朝鮮系日本人の中将がいた、ということだ。
〈ホンサイク【洪思翊】
 Hong Sa-ik 1887[高宗24]・2・2~1946・9・26
 朝鮮植民地期の日本軍人。
 京畿安城(アンソン)生まれ。陸軍中央幼年学校、陸軍士官学校を卒業して陸軍将校に任官[1914]。以後陸軍のエリートコースを進み、王公族を除く朝鮮人唯一の陸軍大学卒業者となった。第二次大戦後、B級戦犯(捕虜虐待・殺害)として起訴、死刑に処せられた。最終官等は中将。〉
 (『岩波 世界人名事典』岩波書店刊)
 注目していただきたいところは、二つある。まずはご本人の名前である。左翼歴史学者たちは「名人芸」で「大日本帝国はすべての『朝鮮人』に創氏改名を強制した」と思わせようとしているが、洪思翊陸軍中将という「実例」を見れば、それが大ウソであることがわかるだろう。
 前にも述べたが、彼は単なる一民間人では無く、帝国陸軍の軍人なのである。総指揮官は、ほかならぬ天皇だ。つまり、天皇の名を持ち出して日本風に改名せよということが不可能では無かったにもかかわらず、日本陸軍はそれをしなかった。逆に言えば、陸軍内ですら「朝鮮名で通す自由があった」ということなのである。ただし、「読み」はホンサイクでは無く、日本式に「こうしよく」であった。
 「自由で、幸福で、繁栄した大東亜」
 もう一つ重要なのは、「王公族を除く朝鮮人唯一の陸軍大学卒業者」だった、ことである。大日本帝国において皇族男子は基本的に軍務に就くことが求められ、例を挙げれば北白川宮能久親王輪王寺宮)は陸軍大将であった。それは大日本帝国に属した李王家でも同じで、高宗の第七王子李垠は陸軍中将となった。だが、洪思翊にはそうした「七光」は一切無く、平民同然の出身なのに叩き上げで中将まで出世したのである。
 陸軍で出世し、とくに将官(少将以上)になるには陸軍士官学校を優秀な成績で卒業するだけではダメで、連隊の推薦を受けて入試に合格し陸軍大学校に進学しなければならない。推薦された全員が進学できるわけでは無い。だから、この入試には連隊の名誉がかかっていた。逆に言えば、実力さえあれば朝鮮系であろうと中将にまでなれるということだ。これは、イギリス統治下におけるインドでは絶対にあり得ない。
 イギリス人はインド人を植民地支配し、差別し搾取している。そういうインド人を軍隊に入れて出世させたら、いったいどうなるか? 軍隊においては「上官の命令が絶対」だし、なにしろ武力集団である、反逆してきたら大変なことになるではないか。だからイギリス軍は絶対にインド人を幹部に登用はしなかった。それでも末端の兵力は必要だから、カネで下級兵士をインド人から調達した。
 しかし彼らにもプライドがあり、民族の誇りがある。カネで雇った傭兵であるがゆえに信頼できない。いつイギリスに反抗するかもしれない。実際に「セポイの反乱」(1857年)というのはそういうものだった。セポイとはイギリスに雇われたインド人傭兵のことである、当然、武器を持っている。彼らはイギリスのインド統治、同じインド人に対するイギリス人の残虐な仕打ちを見て反乱を起こした。これは植民地インドのイギリスに対する最初の独立戦争だと現在は評価されている。
 一九四三年(昭和18)、大日本帝国首相東條英機の呼びかけに対して東京に集まった東南アジア各国の首脳は、当然日本が軍隊内で「朝鮮人」を差別していないことを知っていた。決して日本が秘匿していたことでは無いし、公開された情報であるからだ。いや、首脳だけで無く当然植民地の人々も、少なくともインテリならば当然このことを知っていただろう。では、支持すべきはどちらか? 大英帝国イギリスか? 大日本帝国か? と言えば、少なくとも人種差別撤廃に重きを置くならば、日本を支持しようということになるではないか。
 そこで、次の文章をお読みいただきたい。大東亜戦争初期、東進し太平洋でアメリカと戦った海軍とほぼ同時に、陸軍は西進しイギリス領シンガポールアメリカ領フィリピン、フランス領インドシナ等を次々と攻略し占領したとき、解放された植民地の人々はなんと言ったか?
 〈(フィリピンでは。引用者註)戦前の政府閣僚ホセ・ラウエル、ホルヘ・バルガスらも、日本の勝利を「アングロサクソン帝国主義」に立ち向かう「全アジア民族の威信を立証するもの」として歓呼して迎えた。(中略)中国の周仏海、繆斌、ビルマのバー・モー、アウン・サン、東インドスカルノ、日本と協力したアジア人のなかでもとくに際立っていたボース、これらの人びとは、日本との緊密な協力によってはじめて「アジア民族を解放」し、「自由で、幸福で、繁栄した大東亜」(ボースの言葉)を建設することができると主張した。〉
 この文章の出典をあきらかにする前に、文中に登場する重要人物について紹介しておこう。ただ、ホセ・ラウエル、ホルヘ・バルガスについてはいずれフィリピン独立史で、周仏海、繆斌については日中関係史でいずれも取り上げることになると思うので、ここではバー・モー、アウン・サンそしてスカルノ、ボースについて簡単に紹介しよう。いずれも大物である。
 〈バー‐モー【Ba Maw】
 [1893~1977]ビルマの政治家。1937年、インドから分離後の初代首相となる。43年、対日協力政権の主席となり、第二次大戦後、日本に亡命。帰国後、野党マハーバマ党を結成し、政界に復帰。著『ビルマの夜明け』。
 アウン‐サン【Aung San】
 [1915~1947]ビルマミャンマー)の独立運動指導者。第二次大戦中、独立のため日本軍に協力、のち抗日運動を指導。戦後は英国からの独立達成に尽力したが、暗殺された。オン=サン。
 スカルノ【Akhmed Sukarno】
 [1901~1970]インドネシアの政治家。1928年インドネシア国民党を結成して独立運動を推進。第二次大戦後、独立を宣言して対オランダ武力闘争を指導、1949年共和国初代大統領に就任。民族主義・宗教・共産主義を一体とするナサコム体制を提唱、1963年には終身大統領となったが、反共勢力の台頭で1967年に解任された。
 ボース【Subhash Chandra Bose
 [1897~1945]インドの民族主義者。国民会議派の指導者の一人。第二次大戦開始とともに、ドイツ・日本などとの協力による反英・独立闘争を企図し、インド国民軍を組織して日本軍に協力したが失敗。飛行機事故で死亡。チャンドラ=ボース〉
 (以上、4項目とも『デジタル大辞泉小学館
 ちなみに二〇二五年現在、ミャンマーで軍事政権の弾圧に屈せず民主化運動を率いているアウン・サン・スー・チー女史はアウン・サンの長女であり、日本のテレビ番組によく登場するデヴィ夫人は本名デヴィ・スカルノで、スカルノ元大統領の第三夫人だった。インドネシアイスラム教国だから、第四夫人まで持つことができたのである。
 さて、ここで先の文章の出典をあきらかにしよう。この文章は誰が書いたのか?
 左翼歴史学者やその影響を受けた人々からは、右翼の超国家主義者が大日本帝国の行動を美化するために書いたに違いない、などと決めつけられそうだが、そうでは無い。これは、クリストファー・ソーンというイギリス海軍での勤務経験もある歴史家の『太平洋戦争とは何だったのか』(草思社刊)という著書からの抜き書きだ。
 そして彼の主張の根幹は、この戦争はアメリカ側が盛んに宣伝した「ファシズム対民主主義」の闘争では無く、人種差別撤廃戦争であった、というものなのである。
 (第1462回に続く)
 【プロフィール】
 井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『真・日本の歴史』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
 ※週刊ポスト2025年8月8日号
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  日本軍では、人種差別・民族差別・出身差別・身分差別など各種の差別は存在しなかった。
 軍人のエリート職種である戦闘機パイロットは、欧米の軍隊とは違って将校の独占ではなく下士官でもなれた。
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 日本人で、善人は2割、悪人は3割、日和見でどっち付かずの曖昧で威勢の良い方になびいて盲目的に集団行動する日本人が5割。
 日本人が、良い人間ばかりではなく、悪い事ばかりする人間でもない。
 日本人は悪い事をしたが良い事もした、それが日本民族である。
 日本の歴史と中国の歴史や朝鮮の歴史とは全然違う。
 日本民族日本人は漢族中国人や半島人とは全然違う。
 日本民族日本人には、帰化人を含めるが渡来人は含めない。
 帰化人とは、天皇に忠誠を誓い、日本国と日本民族愛国心を持ち、中国や朝鮮の侵略から天皇・国・民族を守る為に死を覚悟して戦争をおこなっていた。
 渡来人とは、忠誠や愛国を拒否し、日本を守る為に命を捨てる事を嫌って逃げ去った外国人移住者である。
 帰化人は少数で、渡来人は多数であった。
 日本人は、天皇と日本国と日本民族の為に戦ってくれた帰化人に感謝し、戦争で死んだ帰化人を顕彰し人神として祀った。その象徴的神社が靖国神社である。
 靖国神社は、多様性と共生に富み、不寛容や排他性はなく、階級や身分そして家柄も関係なく、人間・宗教・文化そしてイデオロギーに対する偏見や差別もない。
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