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・{東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
傲慢になった現代日本人は、夜郎自大である。
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日本は世界で信用され、日本人は世界で愛されている、はウソである。
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日本文化は日本人が思っているほど優秀で特殊な文化ではなく、世界を救うなどありえない。
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「日本すごい」は、メディア業界や教育界が仕掛けた空騒ぎであった「江戸しぐさ騒ぎ」に似ていた。
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2025年7月1日 YAHOO!JAPANニュース 集英社オンライン「勝手に定義した「正しい日本文化」の押し売り三昧…「日本スゴイ」系テレビ番組はなぜ乱立し、なぜ消えていったのか?
「日本スゴイ」の時代#1
「日本スゴイ」を伝えるテレビ番組
この十数年、さまざまな媒体を介して「日本スゴイ」コンテンツが社会的に広がっていった。なかでも「COOL JAPAN」を取り扱ったテレビ番組は非常に多く放送され、2010年代には飽和状態にあった。なぜ「日本スゴイ」番組はここまで乱立したのか。
【画像】日本の寿司を独創的にアレンジした一品
『「日本スゴイ」の時代 カジュアル化するナショナリズム』より一部抜粋・再構成してお届けする。
「日本スゴイ」系テレビ番組の興隆
多くの人が「日本はスゴイっていうのがなんか流行っているの?」と気づいたのは、たぶんテレビ番組がきっかけだったのではないか。二〇〇〇年代終わりから二〇一〇年代後半にかけての十数年間、テレビのバラエティ番組ではNHKとほとんどの民放キー局で「日本スゴイ」系番組が制作されていたので、その自画自賛的なはしゃぎっぷりを多くの人が目にしたはずだ。
私見では、二〇〇六年に放映を開始したNHK『COOL JAPAN 発掘!かっこいいニッポン』が最も初期のものに属し、それ以降『所さんのニッポンの出番』(TBS系)、『世界が驚いたニッポン!スゴ〜イデスネ! !視察団』(テレビ朝日系)など同工異曲のものが次々と誕生した。類似番組が増えすぎて、二〇一五年頃から「食傷気味だ」という視聴者からの反応もSNSや新聞紙上にあらわれるようになったほどである。
主要テレビ各局の主な「日本スゴイ」番組について、その放送が開始された(あるいはレギュラー化した)年を次にまとめてみた。
NHK COOL JAPAN――発掘!かっこいいニッポン 二〇〇六年〜
驚き!ニッポンの底力 二〇一二年〜
TBS系 世界の日本人妻は見た! 二〇一三年〜二〇一七年(終了)
ぶっこみジャパニーズ 二〇一三年〜二〇二〇年(終了)
ホムカミ――ニッポン大好き外国人 世界の村に里帰り 二〇一三年〜二〇一四年(終了)
アメージパング!――オレたちご当地外国人 二〇一四年〜二〇二一年(終了)
所さんのニッポンの出番 二〇一四年十月〜二〇一六年九月(終了)
メイドインジャパン 二〇一五年〜(二〇一九年にレギュラー化)二〇二〇年三月(終了)
フジテレビ系 林修のニッポンドリル 二〇一八年四月〜二〇二三年九月(終了)
テレビ朝日系 これぞニッポン流! 二〇一四年
世界が驚いたニッポン!スゴ〜イデスネ! !視察団 二〇一四年〜二〇一九年(以降は単発のスペシャル番組として不定期に放送)
世界の村で発見!こんなところに日本人 二〇一三年四月〜二〇一九年三月(以降は単発のスペシャル番組として不定期に放送)
日本のチカラ 二〇一五年〜
テレビ東京系 世界ナゼそこに?日本人 知られざる波瀾万丈伝 二〇一二年〜(『ナゼそこ?』『ナゼそこ?+』に名称変更)
和風総本家 二〇〇八年〜『二代目 和風総本家』へと改題を経て、二〇二〇年三月(終了)
YOUは何しに日本へ? 二〇一三年〜
世界!ニッポン行きたい人応援団 二〇一六年四月〜
ヒャッキン! 世界で100円グッズを使ってみると? 二〇一七年十月〜二〇一九年三月(終了)
一覧にしてみると、「日本スゴイ」系テレビ番組群が、もっぱら二〇一二年から二〇一四年にかけて各局で一斉に開始(あるいはレギュラー化)していることがわかる。これは奇しくも、東日本大震災後の「頑張ろう!ニッポン!」(二〇一一年)キャンペーンと、それにひきつづく第二次安倍政権の成立、そしてそのもとでの「クールジャパン」戦略の策定(二〇一二年)と軌を一にしている。
「日本の魅力」再考系番組
もうひとつの特徴は、先行しているNHK『COOL JAPAN』の放映開始時期が、小泉政権下で「日本ブランド」づくりに向けてソフトパワーの推進を提唱する「日本ブランド戦略の推進」(知的財産戦略本部コンテンツ専門調査会日本ブランド・ワーキンググループ、二〇〇五年二月)、「「新日本様式」(Japanesque*Modern)の確立に向けて〜世界に日本の伝統文化を再提言する〜」(ネオ・ジャパネスク(新日本様式)・ブランド推進懇談会(経産省)、二〇〇五年七月)を出したあと、そしてそれをうけて第一次安倍政権が「美しい国」というシンボルを掲げた(二〇〇六年)時期と重なっているのも興味深い。
政府が〈日本文化の優秀性・独自性〉を強調しはじめた時期と、こうしたテレビ番組群のブームとが重なっているのも、国策に乗っかり・社会的トレンドを形成していくという意識産業としてのメディアの特性が浮かび上がるように見える。
こうした番組群のコンセプトをそれぞれの公式WEBサイトから拾ってみると、代表的なものでは――
毎回テーマに沿った外国人専門家集団=「視察団」を日本に招き、さまざまな場所や人を視察してもらいます。彼らが思わず「ニッポン、スゴ〜イデスネ!」と言ってしまった〝母国と大きく異なる、日本のスゴさを感じること〞をVTRで詳しく紹介していきます。
外国人の視点だからこそ、さらに浮き彫りになる日本のスゴさ、そして海外との違い――。日本人でも知らなかった〝日本の素晴らしさと独自性〞を新発見でき、もっと日本が好きになれるバラエティです!
(テレビ朝日『世界が驚いたニッポン!スゴ〜イデスネ! !視察団』公式サイトの番組紹介文)
日本が誇る〝100円グッズ〞を、まだそれを見たことのない世界の国々に持って行き、現地の人々がどんな反応をするのかを調査する番組! 思わず手にしたモノや、使い方を知って驚いたモノを実際に家で使ってもらう様子に密着取材します。
日本のアイデアグッズに感動したり、従来の用途とは違う驚きの使い方をしたり……安くて質の高い100円グッズが、世界の人々の役に立つ様子を取材します。
(テレビ東京『ヒャッキン! 世界で100円グッズを使ってみると?』公式サイトの番組紹介文)
と、臆面もなくストレートな「日本スゴイ」ぶりが並んでいる。「世界中で大人気の日本文化「クールジャパン」」「日本のスゴさを感じること」「日本の素晴らしさと独自性」といったキーワードに溢れているのである。
単発のスペシャル番組もあなどりがたく、「日本スゴイ」番組の最絶頂期の二〇一六年三月三十一日にBS朝日で放送された、『滝川クリステルが見た! Discover Japan〜世界が驚く、凄いニッポン!』の惹句は、
日本列島を空から見ると、ニッポンには、世界が驚くすごい町がたくさんあり、そこには、世界中を魅了するすごい日本人たちがいた!
外国人は知っているのに、なぜか、日本人が知らない〝すごいニッポン〞とは? 滝川クリステルが時空を超えた発見の旅へ! その秘密を解き明かす!
(BS朝日の番組公式サイトより)
空から見ると「世界が驚くすごい町がたくさんあり、そこには、世界中を魅了するすごい日本人たちがいた」ことがわかるというのだから尋常ならざる能力を感じるとしかいいようがない。
勝手に定義した「正しい日本文化」の押し売り
こうした「日本スゴイ」番組群の中でも、TBS系『ぶっこみジャパニーズ』は、放映されるたびにネットで炎上を繰り返していた。この番組は、
和のカリスマが海外の「ニセジャパン」を成敗する! !
正しい日本文化を伝授する『ぶっこみジャパニーズ』第6弾
いま世界中で大人気の日本文化「クールジャパン」!
しかし修業もせずにブームにのっかったニセモノが海外で急増中!
そんなダメダメなニセジャパンに日本が誇るカリスマが正体を隠して潜入調査!
(TBS系『ぶっこみジャパニーズ』公式サイトでの番組紹介文)
――というもの。日本料理・寿司・ラーメンから忍術・生け花まで、その道の「達人」を海外につれていって、現地で展開されている日本料理店・スシ店……などに素性を隠して潜入させ、現地で「うわあ、これが日本料理??」的なしろものを視聴者に印象づけた上で、当該の達人が「これが本当の日本のナニナニ」を見せていくという展開である。
二〇一七年十二月に放映された「第10弾」では、
近年、寿司屋が増え「寿司ブーム」だという南アフリカ。そんな南アフリカのヨハネスブルクで、とんでもない寿司屋を発見!寿司のピザやドーナツ、マヨネーズやテリヤキソースがベースの変わったソースの寿司など、日本ではありえないとんでもない寿司の数々を提供する寿司屋を、日本の寿司職人がドッキリ指導する!
(同番組の制作会社IVSの公式サイトより)
――というネタを繰り出してみたものの、「寿司で目くじらを立てるなら、日本の中華料理や餃子はどうなる?」「ナポリタンとか和風スパゲッティとか」「インドの人が日本のカレーに文句つけるか?」といったまっとうなツッコミがネット上に溢れた。
勝手に定義した「正しい日本文化」をものさしにして、そこからはずれるものを認めないという偏狭な番組のコンセプトが、現実的には世界中で入り混じりまくる「文化」の現実の姿を知る視聴者から呆れられたわけである。
ともあれ、各番組で「日本人でも知らなかった」というポイントが強調されているように、オーディエンスにとってはまずもって〈身近にある未知のものに触れて知的好奇心が満たされるプログラム〉であるとは言える。
もちろん、テレビの世界では〈身近にある未知のもの〉を紹介するのが知的なエンターテインメントの伝統的な常道ではあるのだが、右に挙げたような番組群にはそこに必ず「だから日本がスゴイ」が接続されているところに特徴がある。
「日本スゴイ」がMCのコメントやテロップで画面に被せられてゆくパターンでは、NHK『驚き!ニッポンの底力』で二〇一三年秋に放映された「大海をゆけ 巨大船誕生物語」が好例だ。
民放よりプロパガンダ的なNHKの番組
この番組では、ノイズを軽減したプロペラや荒海でも静止できる海洋調査船などの技術が紹介されたうえで、
「最近日本が落ち込んできていたが……まだまだ日本も捨てたもんじゃないなと思いました」
「……いろんな人が協力しあって乗り越えてきた上に今の私たちの生活があるんだなと思うと、それがすごく日本人っぽいというか」
「うれしいですよね、誇りに思える」
――と、番組の最後にMCとゲストが感想を述べていた。それぞれの技術を開発した人や企業がまずはスゴイはずなのだが、いつのまにか「日本人っぽい」「誇りに思える」といった自民族の優秀性を強調する感想へと接続されているのである。
番組最後の出演者の感想の場面などほとんどの人は聞き流す程度のものであるとは思うのだが、このコメント台本を書いた番組の作り手がこめたメッセージは明瞭だ。〈日本は実はスゴイ〉〈日本人らしさを発揮している〉〈同じ日本人として誇りに思う〉なのだ。
「すごいプロペラ」から「日本人として誇りに思う」の間には論理的にも大きな飛躍があるはずなのだが、そこを「日本人として」の共感でやすやすと乗りこえているのだった。そしてそのよくわからない情緒が、この数年のあいだに、ゴールデンタイムのテレビ番組から大量に流されていたのである。
ところが二〇一七年以降、「日本スゴイ」番組の放映はどんどん減少していった。とりわけ民放系では――一部を除いて――毎週のレギュラー番組であったものが月に一回とか一クールに一回などスペシャル番組化し、たまにTVをつけるとやっている……的なものに変化した。やはり過剰に集中したがゆえに飽きられた感が強い。
その一方で、ひな壇芸人と派手なテロップで「スゴイ」「スゴイ」を連呼する従来のバラエティ番組タイプのものから、2020東京オリンピックに向けた日本文化紹介番組という枠組みのものへとシフトされつつあるのも二〇一七年以降の一つの特徴だった。
先述のリストには挙げていないが、海外向け放送であるNHK WORLD-JAPANでは、「日本文化」を海外向けに紹介するという形式をとった『Japanology Plus』『Journeys in Japan』『TOKYO EYE 2020』『Kawaii International』さらに、日本製品の紹介に特化した『great gear』や伝統工芸をベースにした起業家を紹介する『RISING』などの番組がある。
これらは政府・経産省のすすめるクールジャパン戦略に忠実に沿うもので、「日本文化」の再定義としてパッケージされているだけに、ある意味で民放各局の「日本スゴイ」バラエティよりもプロパガンダ的であると言える。
文/早川タダノリ 写真/shutterstock
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早川タダノリ(はやかわ ただのり)
1974年生まれ。フィルム製版工などを経て、現在は編集者として勤務。ディストピア好きが高じて20世紀の各種プロパガンダ資料蒐集を開始。著書に『「日本スゴイ」のディストピア』(青弓社、2016年)『「愛国」の技法』(青弓社、2014年)、『神国日本のトンデモ決戦生活』(合同出版、2010年)など。
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2024年3月23日 ABEMA TIMES「江戸になかった“江戸しぐさ”が教育現場に残る理由 “偽史”指摘から10年後も「学校だより」で存在感
【写真・画像】江戸になかった“江戸しぐさ”が教育現場に残る理由 “偽史”指摘から10年後も「学校だより」で存在感 1枚目
【映像】“江戸しぐさ”の矛盾 あなたは気づける?
江戸時代の人々のふるまいとして、教科書にも掲載された「江戸しぐさ」。10年前にその存在を否定する声が歴史家などから相次いだが、現在も教育現場でたびたび登場することに、疑問の声が上がっている。
【映像】“江戸しぐさ”の矛盾 あなたは気づける?
「江戸しぐさ」とは、江戸の町で人々が互いに気持ちよく暮らすための知恵だということで、次のようなものがあるという。
傘かしげ=傘をさした人同士がすれ違う時に、相手をぬらさないよう互いの傘を傾けること。
こぶしうかせ=一人でも多くの人が座れるよう、みんなが少しずつ腰を上げて場所をつくること。
江戸しぐさはかつて複数の教科書で紹介されたほか、現在も文科省が教員向けに「道徳教育アーカイブ」として公開している教材の1つ、「私たちの道徳」に掲載されている。
これに対し、歴史家の原田実氏は10年前、著書『江戸しぐさの正体』(星海社新書)の中で、江戸しぐさのさまざまな設定が江戸時代にそぐわないことなどから「偽史である」と指摘。教科書からは江戸しぐさの記載が消えた。
【写真・画像】江戸になかった“江戸しぐさ”が教育現場に残る理由 “偽史”指摘から10年後も「学校だより」で存在感 2枚目
しかし、『ABEMAヒルズ』が調べたところ、今でも実際に小中学校で授業の中で取り上げられたり、図書館で子ども向けの文化・歴史図鑑として紹介されていたほか、道徳の教材として自治体の教育委員会が活用している事例があった。
原田氏も「いまだに学級便りや校長先生の挨拶などでも、江戸しぐさは使われ続けている。彼ら彼女らがまだ情報をアップデートできていないのだ」と懸念を示す。
江戸しぐさはどのような経緯をたどって今に伝わってきたのか。普及活動を行っているNPO法人「日本のこころ・江戸しぐさ」によると、江戸の商人たちが築き上げたルールが起源であったものの、町人は書き物が許されていなかったため口伝えで伝えられ、昭和の後半にその伝承者から聞き書きしたのが今の形になったという。
【写真・画像】江戸になかった“江戸しぐさ”が教育現場に残る理由 “偽史”指摘から10年後も「学校だより」で存在感 3枚目
つまり、「当時の史料はない」ということになるのだが、この点について江戸時代史が専攻の三重大学・高尾善希准教授は「証拠も史料もない。私は10年間、東京都公文書館で史料編纂をしていたが、江戸しぐさに類するような思想も、それを支える団体も見なかった。加えて、江戸時代を研究する研究者仲間からもそんな話は出てこず、むしろ彼らは『江戸しぐさは後から知った。そういったものが生まれていると世の人から教えてもらった』と話すことからも分かるように『存在しない』のだ」と指摘した。
NPO法人「日本のこころ・江戸しぐさ」の代表が書いた『江戸の繁盛しぐさ』では、史料が残されていなかった理由の1つに「江戸っ子狩り」が挙げられている。明治政府が江戸のカラーを消すため、「江戸しぐさ」を目安に江戸っ子狩りを行ったこと、それにより多くの血が流れて全国各地に江戸っ子が逃げた、という旨が記載されている。
これに対し高尾教授は「江戸っ子狩りは、ない。そもそも一般庶民を虐殺するという発想自体ない。『官軍が弾圧したから残ってない』という言い分は残っていないことを言い訳として使っているだけだ。我々歴史研究者は残ったものを通じて歴史を構築する。最初から歴史の捉え方、発想が違うと言わざるを得ない」と説明した。
江戸時代に実在したかについて、NPO法人「日本のこころ・江戸しぐさ」は、「事実として認定されるような一級資料は見つかっていない」として、『ABEMAヒルズ』に次のように回答している。
「江戸しぐさは、口伝として伝えられたものを聞き書きしたものであると解釈しており、検証等はしていない。学問として系統立てているものでもなく、今の世の中で人々の関わりに役立てられることがあれば良いと考えており、それ以上のことはない。また、何事にも人それぞれ色々な考え方や捉え方があることも十分承知しており、他の意見を頭から否定しない」
江戸しぐさが現在も教育現場に残っていることについて、歴史家の原田実氏は「少なくとも教育現場からは、撤退させるべきだ。江戸しぐさは現代人のマナーとして実用的な面もあるが、それは現代人が作ったものだから。個人として江戸しぐさを大事にする人がいてもおかしくないが、教育現場で、事実として教えるべきではない」と強調した。
また、ウェブなどで「江戸しぐさ」の存在を否定する情報に接した際に、混乱を引き起こしかねない点も指摘した。
「この状況の中で教育者が現場で使い続けると、ウェブで情報を得られる世代の生徒にとっては『教育現場が信用できないという実例』になってしまう。これはかなり由々しき事態だ」
【写真・画像】江戸になかった“江戸しぐさ”が教育現場に残る理由 “偽史”指摘から10年後も「学校だより」で存在感 4枚目
江戸しぐさについてかつて取材をしていたノンフィクションライターの石戸諭氏は「教育現場で江戸しぐさを用いている人は『歴史的根拠がないものを広めてやろう』などといった悪気があるわけではなく、ちょっといい話、あるいはマナーを大切にしましょういう実例として使うケースがほとんどだと思う。マナーを教えること自体は否定しないが、これらを伝えるのに典型的な偽史である江戸しぐさを使う理由はない」と指摘した。
『ABEMAヒルズ』は現在も文科省が教員向けに「道徳教育アーカイブ」として公開している教材の1つ、「私たちの道徳」に掲載されている点などについて文科省に確認し、以下のようなコメントを得た。
「歴史的事実かどうかの調査を行ったわけではない。史実として教えるわけではなく、子どもたちに礼儀やマナーについて考えてもらうきっかけとして掲載した」「採用した時には捏造という意見があることは承知していなかったのではないか」「2018年度の道徳教科化に伴い冊子での配布は終了した」「(「道徳教育アーカイブ」には)資料として掲載。史実かどうか争いのある点については、訂正・追記の予定は現状ない」
これに対し石戸氏は「訂正・追記を行う必要がある。どういう経緯で江戸しぐさが教育現場に入り込んできたのか、 どういう経緯で文科省が採用し、冊子まででき、教育アーカイブまで残すようにしたのか。詳細に検証した結果を公表してほしい。事実でなくても道徳教育で使うのにふさわしい考えもありえるが、それなら日本にはもっと質が良い物語がいくらでもある。江戸しぐさのようにそれ自体が事実ではない偽史を積極的に使う言い訳にはならない。今からでも文科省の責任で調査に乗り出してほしい」と述べた。
(『ABEMAヒルズ』より)
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2015年6月26日 YAHOO!JAPANニュース「「江戸しぐさ」はやめましょう。:何が問題か。なぜ広がったか。
■江戸しぐさとは
江戸の町民たちが行っていた、日常生活のマナーだそうです。NPO法人「江戸しぐさ」理事長 越川禮子さんが、主張しています。傘かしげ、肩引き、時泥棒、こぶし腰浮かせなど。公共マナーのポスターになったり、公共広告機構(ACジャパン)に取り上げられたり、道徳の教科書にまで載っています。
■TBSの「NEWS23」でも話題に
6月25日のTBSテレビ「NEWS23」でも話題になっていました。歴史の研究家らにインタビューして、江戸しぐさの矛盾点を指摘していました。偽史についての本を書かれている原田実先生も、江戸しぐさの問題を語っています。
原田先生は、関連本も出されています。『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書) 』
江戸しぐさに関する歴史的資料は何もありません。なぜ何もないかといえば、「江戸っ子大虐殺」があって資料が全て焼き払われ失われたと、NPO法人「江戸しぐさ」理事長 越川禮子さんは説明します。資料は失われたけれども、口頭による伝承だと説明します。
歴史学者によれば、そんな虐殺が行われた証拠は何もありません。番組としては、江戸しぐさに関して「疑問がある」という少し大人しいスタンスでしたが。
■TBSの「NEWS23」では説明されませんでしたが
明治新政府による江戸っ子大虐殺が起き、江戸しぐさを伝えるものは、ことごとく抹殺されます。その中で、どうしてNPO法人「江戸しぐさ」理事長 越川禮子さんには、江戸しぐさが伝わったのか。そこには、劇的な物語があります。
ごくわずかな生き残りが、様々な困難を乗り越えて、江戸しぐさを伝え、理事長の越川禮子さんに伝わりますが、そこには歴史上の有名人や大きな組織が登場し、秘密結社なども現れます。
とてつもない裏の歴史、ものすごい隠れた真実であり、これが本当なら、越川理事長は非常に特別な存在ということになります。
ただし、歴史学的には、何の証拠もありません。
■江戸しぐさはなぜ広がったか
「江戸しぐさ」。なかなかすばらいネーミングです。そのマナー自体は、悪いことではないでしょう。マナーといったものは、法律や数学ではありませんから、絶対的なものではありません。しかし、マナーを教えたいとは思います。効果的に、感動的に、興味深くマナーを教えるための道具は何かないかと思っていた時、「江戸しぐさ」に出会ったのでしょう。江戸しぐさは、誰かに伝えたくなる、「イイ話」でした。
原田実先生の本によれば、江戸しぐさが最初に世に出たのは、1981年読売新聞の「編集手帳」だそうです。これをきっかけに、徐々に広がっていったようです。歴史学者が取り上げたわけではありませんが、ちょっと良い話として広まっていきます。新聞に載ったのですから、信頼できる話とみんなが思ったことでしょう。
歴史的検証がされることもなく、とても奇妙な物語が語られていることが確かめられることもなく、広まっていきました。
難しい歴史学的検証は素人にはできなくても、奇妙で壮大な物語を聞けば、おかしいとは思えるはずなのですが。ただ、歴史に関する都市伝説を明確に否定するのは、簡単ではありません。
■都市伝説とデマうわさと反論
世の中には、様々な都市伝説があります。
フリーメーソン陰謀論の心理:テンプル騎士団、薔薇十字団、イルミナティ、都市伝説を信じる理由と危険性
都市伝説の見抜き方:東大卒業式の式辞を実践してみた:安易に拡散リツイートしないためのネットリテラシー
昔懐かしい「口裂け女」とか「人面犬」なら、子どもだましとわかります。まだ元気な芸能人なのに死んだというデマが流れることもありますが、それなら本人が出て来れば、すぐに解決です。
しかし、反論に手間がかかるものもあります。
テレビドラマ「水戸黄門」の「うっかり八兵衛」が、ドラマの中で「ファイト!」と言ったという話があります。これが嘘だと個人で確かめるのは、大変です。もしかしたら、言ったかもしれません。
八兵衛役の高橋元太郎さんは、インタビューに応じて、そんなことはないと答えています。さらに、全話を確認したところ、そんな事実はなかったそうです。
さらに、歴史的なことになると、確認はいっそう困難です。
お笑い芸人8.6秒バズーカーのラッスンゴレライは「落寸号令雷」という原爆投下の号令だという作り話も広まりました。「落寸号令雷」が原爆投下の号令などとは、聞いたことがないと、研究者がインタビューに答えていました。ただ、その研究者が真実を知らないのだと反論することもできるでしょう。
何かがあることを証明することはできても、ないことを証明することは、なかなかできません。フリーメーソンやイルミナティが歴史の中で暗躍していたといった陰謀論、都市伝説はなかなかなくなりません。
■専門家はなぜ反論しないか
これらのことに、歴史学者や学会がきちんと反論してくれれば良いのですが、学者や学会はそんなことはしません。専門家から見れば、あまりにも馬鹿げたことなので、そんなことに反論しても研究論文になりません。学問的業績になりません。しかも、研究者同士なら議論もしやすいのですが、学問的常識がなく、都市伝説を信じ込んでいる人を納得させるのは、とても大変です。
研究者は、せいぜいインタビューに答えてて、そんなことはありませんねと語る程度です。あるいは、プロの研究者ではない作家(文明史家)の原田実先生のような方が、使命感をもって解説本を書いてくれるわけです。
■都市伝説の快感
世界は複雑です。それをある種の陰謀論で説明できれば、シンプルです。人は、このようなシンプルな説明を求めてしまいます。また、学者もマスコミも知らないことを自分だけが知っていると思うのは、気分が良いことでしょう。
あるいは、何かうまくいかないことを、全部世界を裏で支配する秘密結社のせいにしてしまえば、心は楽になるでしょう。
しかし、そんなことをしていても、本当の問題解決はできません。
■子どもたちに教えるべきこと
「学校の怪談」は、面白い話です。しかし、良い言葉をかければ綺麗な結晶ができるとか、秘密結社による陰謀論や、江戸しぐさとか、学問的に明らかに嘘の話を子どもに伝えてはいけません。おとぎ話にもメルヘンにもなりません。学問的には、「その証拠はない」としか言えませんが、子どもたちに学問的、科学的なリテラシーを身につけませましょう。
STAP細胞は、本当はあるのかもしれません。たしかに、可能性は0ではありません。しかし、STAP細胞も常温核融合も、世界中の科学者がこれ以上莫大なお金と時間をかけて研究する意味はないと判断しました。
世界は驚異にあふれたワンダーランドです。子どもたちは、世界を見て、科学や歴史を知って、知識を深め感動し、さらに真実を目指して歩んでいくでしょう。常識を破る、パラダイムの大変換もいつか起こるでしょう。子どもたちには、チャレンジし続けて欲しいと思います。だから、怪しげな都市伝説に振り回されて、間違った世界観の中で、無駄な労力を使わせるわけにはいかないのです。
まず私たち大人が、誤った都市伝説や陰謀論に振り回されない手本を示しましょう。
*関連「人はなぜ嘘(流言・デマ・都市伝説)を信じてネットで拡散させるのか:ネットデマの心理学」(Yahoo!ニュース個人碓井真史)
補足7/19 質問にお答えして、新しいページをアップしました。
「江戸しぐさ」はやめましょう2:質問疑問にお答えして:子どもに伝えてはいけない理由
「江戸しぐさ」が道徳教材に残る:文科省の回答への反論:コロンブスの卵は良くても江戸しぐさがダメな理由(「江戸しぐさ」はやめましょう3)
碓井真史
社会心理学者/博士(心理学)/新潟青陵大学大学院 教授/SC
1959年東京墨田区下町生まれ。幼稚園中退。日本大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(心理学)。精神科救急受付等を経て、新潟青陵大学大学院臨床心理学研究科教授。新潟市スクールカウンセラー。好物はもんじゃ。専門は社会心理学。テレビ出演:「視点論点」「あさイチ」「めざまし8」「サンデーモーニング」「ミヤネ屋」「NEWS ZERO」「ホンマでっか!?TV」「チコちゃんに叱られる!」など。著書:『あなたが死んだら私は悲しい:心理学者からのいのちのメッセージ』『誰でもいいから殺したかった:追い詰められた青少年の心理』『ふつうの家庭から生まれる犯罪者』等。監修:『よくわかる人間関係の心理学』等。
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伊野孝行のブログ
江戸しぐさの違和感
購読している新聞の日曜版に「松尾貴史のちょっと違和感」というコラムがあり、毎週楽しみにしている。今週は「江戸しぐさ」への違和感が書いてあった。読み進めると
〈精神科医の香山リカさんから、「江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統」(原田実著、星海社新書)という本を読んだかと聞かれて、ずっと釈然としないものを持ち続けていた私は早速本屋で購入した。なるほどそうだったのかという思わず膝を打つような話が凝縮されていて目から鱗、すこぶる面白かった。本書によると、この奇妙な行儀作法の「流儀」が生まれたのは江戸時代ではなく1980年代あたりだとのことらしい。〉
…とある。なんと「江戸しぐさ」は捏造されたものだったのか!近頃は文部科学省や学校まで「江戸しぐさ」を推進している。
じつは、わたしも2、3年前にある雑誌で「江戸しぐさ」の絵を描いたことがある。
「江戸しぐさ」はそのときはじめて知った。今にも通じるというか、通じすぎるマナー内容で、なにか説教臭くて興味をもてなかった。(わたしが江戸時代に興味をもつのは、むしろ現在とはちがう価値観があるからだ。)しかし、とくに疑いをもつこともなく、せっせとイラスト仕事に励んだわけであった。
雑誌が出てから、「江戸しぐさ」の絵をブログにアップすると、仕事の依頼が2件きた。「江戸しぐさ」はわたしに仕事を運んでくるいいネタでもあったわけだ…。
事の真相がわかった今、おおげさに言うと歴史の捏造の手助けをしたようで、申し訳ない。というわけで、今回は自分の描いた絵につっこみを入れることで罪をあがないたい。もちろん参考文献は「江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統」である。
「傘かしげ」雨の日に、お互いの傘をかしげて道を行きかうしぐさ。←江戸末期にようやく傘は庶民にも普及しはじめたが、それでも贅沢品で、ふつうは蓑や笠を雨具としてつかっていた。浪人が内職で傘張りをするのも贅沢品で身入りがよかったからだとか。
「肩引き」「傘かしげ」と同様、気遣いの心を体現したしぐさ。人とすれ違うとき肩をひきながら歩くこと。←見知らぬもの同士、お互い敵意がないこともあらわすしぐさだそうだが、実際、男同士でやってみると体を斜めにし、目配せするのは、かえって威嚇しあっているようにしか見えないという。
「七三歩き」自分の歩く幅を道の三割にしておき、残りの七割は緊急時の時や、他の人のためにあけておくこと。←浮世絵に描かれたどの往来を見ても、人々は勝手気まま、てんでバラバラに歩いている。車社会の常識を江戸時代に適応させたものだろう。「こぶし腰浮かせ」船に乗るとき後から来る人のためにこぶし一つ分腰を浮かせて席を作ること。←江戸時代の渡し船には腰をかける座席のようなものがそもそもない。船の大きさによっては馬も荷物もいっしょに乗っている。そんな中、乗客は底板にしゃがむように乗っているのだから、腰をすこし浮かせてバスの座席をつめるような動作はおこなわれず、いったん腰をあげたほうが合理的。(わたしの絵では気をきかせて、すでに腰をあげてしまっているが…)「時泥棒」相手の都合を考えず、家を訪ねるなどして、相手の貴重な時間を奪うことを戒めている。←これには松尾貴史さんの反論が至極まとも。「電話などの普及以降の話であって、とてもではないが江戸時代の発想とは考えにくい」
たとえマナーとして良いものでも、歴史を捏造したものを根拠にするのはよくない。「江戸しぐさ」で画像検索すると、まず山口晃さんの描かれた素晴らしいポスター画像が出てきて、後の方でわたしの描いたたいそうカンタンな絵も出てくる。ちなみに原田実さんは〈山口画伯は公共広告機構のCMで多数の「江戸しぐさ」イラストを発表したが、そのいずれもが昭和の風俗として描かれているのは興味深い。〉と記している。
2014.09.30カテゴリー:仕事のうちあけ話
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2018年6月1日 YAHOO!JAPANニュース PRESIDENT Online「江戸しぐさが好きな人ほど陰謀論にハマる
複雑なものを単純化すると間違える
政治・経済 | 『陰謀の日本中世史』
「傘かしげ」や「こぶし腰浮かせ」などの「江戸しぐさ」。「江戸時代の商人たちのマナーだった」などと喧伝されているが、歴史的証拠はなく、偽史である。だがそうした行為には価値があるとして、信じ続ける人もいる。累計47万部のベストセラー『応仁の乱』(中公新書)の著者・呉座勇一氏は、新著『陰謀の日本中世史』(角川新書)で、そんな陰謀論を徹底的に論破している。なぜ偽史はしぶとく生き残るのか。その理由を聞いた――。(前編、全2回)/聞き手・構成=稲泉 連
国際日本文化研究センター助教の呉座 勇一さん
累計47万部のベストセラーの次は「陰謀論」
――一昨年10月に出版された『応仁の乱』(中公新書)は累計47万部のベストセラーになりました。今回、次の作品である『陰謀の日本中世史』(角川新書)では、日本中世史における「陰謀論」がテーマです。どうしてこのテーマを選んだのでしょうか。
実はこの『陰謀の日本中世史』は、『応仁の乱』と並行する形で進めていたテーマなんです。
本能寺の変には黒幕がいた、関が原の戦いは徳川家康が仕組んだ……。そういった陰謀論は今も昔も、歴史学の研究者がほとんど近寄ろうとしない分野です。
歴史学の世界で陰謀論が相手にされてこなかったことには、いくつかの理由があります。例えば、本能寺の変には黒幕説がたくさん存在する。しかし、本能寺の変が明智光秀の単独犯行ではなく、黒幕や共犯者がいたという説を唱えている人は、学界では1パーセント以下でしょう。それこそほぼ全員が単独犯行だと考えているんですね。
つまり学界の研究者は、黒幕説なんて端から成り立つわけがないという見通しを持っている。あり得ないと分かっているにもかかわらず、陰謀論を批判するためには該当する本を読みこまねばなりません。何ら新しい学問的な成果が得られないことに対して、そのような労力を費やすのは時間の無駄。それが「大人の態度だ」という気持ちを、歴史研究者は多かれ少なかれ持っているんです。
本能寺の変の唯一の謎は、明智光秀の動機
そもそも「本能寺の変」には謎があると言うけれど、歴史学にとって重要なのは、いつ、誰が、どこで、何をしたかです。「天正10年6月2日に明智光秀が本能寺で織田信長を討った」という事実が確定しているのですから、本来、学問的にはそれ以上の議論を必要としていない。
確かに本能寺の変にとっての唯一の謎は、明智光秀の動機でしょう。なぜ彼は謀反を起こしたのか。それは今も分からないままです。
ただ、歴史研究の観点から言えば、光秀の動機はどうでもいい。もし光秀が本能寺の変の後、天下を取って国づくりをしたのであれば、彼の謀反の動機には歴史学的な意味が生じたかもしれません。たとえば「光秀はこれこれこういう政治信念に基づき信長に対して謀反を起こした。だから、全国統一後、このような政治を行ったんだ」といった風に。
しかし、光秀はすぐに豊臣秀吉に討たれてしまうため、その動機が恨みであろうが、権力欲であろうが、将軍足利義昭から命令されたのだろうが、はたまたイエズス会が裏で暗躍していようとも、後世の歴史には何ら影響を与えません。
光秀自身が内面を語った記録を残していない以上、彼の抱えていた「心の闇」など究極的には誰にも分からないし、分かったところで日本の歴史の長い流れには関係ない。それが歴史学の研究者の立場から見た本能寺の変です。
歴史学者として「大人の態度」をとるだけでいいか
ただ、私が今回、それにもかかわらず陰謀論をテーマに本を書いたのは、現代を生きる歴史学者は、果たしてそのような態度をとるだけでいいのだろうか、という問題意識があったからでした。
呉座勇一『陰謀の日本中世史』(角川新書)
歴史学界が陰謀論を相手にしないのは、確かに「大人の態度」と言えばそうかもしれません。しかし、その結果として学界の常識と世間の常識が、大きく乖離してしまっている気がしているんです。
本能寺の変の黒幕説や共犯者説は、学界では全然信じられていません。ところが、世間では「黒幕がいたんでしょ」という話がまことしやかに囁かれ、実際にその説を唱えた本がベストセラーにもなっている。そうしたギャップが、近年は放置できないほどに深刻化しているように見えます。テレビや出版社が無責任に珍説を紹介するのが最大の要因だと思いますが、学界の人間がこれまで陰謀論、特に前近代のそれを黙殺し、問題点を指摘してこなかったことにも原因があるのではないでしょうか。
「江戸時代の商人たちのマナーだった」という偽史
少し前に話題になった「江戸しぐさ」という偽史も同じです。江戸しぐさとは、「傘かしげ」や「こぶし腰浮かせ」など、「江戸時代の商人たちのマナーだった」として、2000年代に広く知られるようになりました。ところが江戸時代に実在していたという歴史的証拠はなく、偽史であることが判明しています。
江戸しぐさが話題になった時も、学界の反応はとても鈍いものでした。飲み会の席で「変なことを言っている人がいるね」と酒の肴にするくらいで、誰も相手にしていなかったのです。「太平洋戦争はコミンテルンの陰謀だ」と主張した田母神論文に対する強い反発とは雲泥の差でした。
現代は、以前であれば相手にする必要もなかった偽史や陰謀論が、インターネットを通して一気に広まる時代です。実際の歴史的事実とは異なることが、あたかも実際のように誤解される状況が増えています。江戸しぐさに至っては小学校の道徳の教科書にまで掲載されてしまい、私はかなり大きなショックを受けました。自分たちがしっかりとメッセージを出していれば、そうした事態が防げたかもしれない、と。
私たちは「これが正解だ」に飛びついてしまいがち
もちろん研究者にとって、自らの研究を進めることは何よりも優先したいことです。しかし、だからといって学界の中でだけ真実が分かっていればよい、世間で俗説が信じられていても問題はない、という態度を取り続けるのは悪しきエリート主義であり、それではいつか歴史研究者が社会性を失ってしまうことにもなりかねません。よって誰かが陰謀論についても、世間とアカデミズムの世界をつなぐ役割を果たさなければならない。
膨大な情報に誰もがアクセスできる今の時代には、何が正しく、何がフェイクかを取捨選択する能力が求められています。常に真偽を見極めなければいけない状況は、人々に強いストレスを与えます。
ゆえに、「これが正解だ」と分かりやすく提示してくれるものに、私たちはどうしても飛びついてしまいがちです。だからこそ、分かりやすい陰謀論にも、研究者の側が異議申し立てをしなければならない――そう思ったのが陰謀論をテーマにした第一の理由です。
「歴史というものを過度に単純化して捉えてはならない」
また、『応仁の乱』と陰謀論というテーマを私が同時に進めていたのは、その二つに取り組む上での問題意識に共通するものがあったからでもありました。『応仁の乱』と『陰謀の日本中世史』はかなりスタイルの異なる本ですが、通底しているのは「歴史というものを過度に単純化して捉えてはならない」という問題意識です。
陰謀論とは要するに、本来は複雑なものを単純化しようとする発想の中で生まれてくるものです。『応仁の乱』もまた、複雑なものはどう描こうとしても複雑なのであり、それを「5分でわかる応仁の乱」にするのはウソをつくのと変わらない、という思いで書いた一冊です。その意味でこの2冊は、同じ根っこを持つ作品だと私は捉えています。(後編に続く)
呉座 勇一(ござ・ゆういち)
国際日本文化研究センター 助教
1980年生まれ。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。専攻は日本中世史。現在、国際日本文化研究センター助教。『戦争の日本中世史』(新潮選書)で角川財団学芸賞受賞。『応仁の乱』(中公新書)は47万部突破のベストセラーとなった。ほかの著書に『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、『日本中世の領主一揆』(思文閣出版)がある。
(聞き手・構成=稲泉 連 撮影=プレジデントオンライン編集部)
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