🏞81)─6・C─『戦う江戸思想 「日本」は江戸時代につくられた』~No.337 

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   ・   ・ {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 江戸時代の思想は「生きた思想・戦う思想」であったが、現代の思想は「机上の思想・戦わない思想」である。
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 日本に思想はあっても、哲学、イデオロギーはなかった。
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2023-08-12
⚔8)─1─日本民族の歴史とは、庶民の歴史で銭の歴史であった。〜No.31No.32 
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2024-01-28
⚔21)─3─戦国時代、人口の9割は“農民”!乱世に翻弄される「影の主役」の生活とは。乱取り。~No.92 
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 2024年9月24日 MicrosoftStartニュース 文春オンライン「「多様な価値観がなだれ込む現代への警鐘のように思えてならない」日本人は自分を見失っていないか? 江戸時代の“戦う思想”に学ぶ
 「週刊文春」編集部
 『戦う江戸思想 「日本」は江戸時代につくられた』(大場一央 著)
 © 文春オンライン
 「グローバリゼーション、新自由主義、ボーダーレス社会……。新たな価値観が次々と現れる現代社会にあって、私たちは自分を見失っていないでしょうか。自分自身の物の考え方や生活の中に生き続ける思想を掘り起こすことで、日本人の“物語”を取り戻すきっかけになればと思っています」
 中国思想、日本思想研究者である大場一央さんの新著『戦う江戸思想』は、日本に展開した思想を通史的に整理する。とりわけ江戸時代、武士ばかりか庶民にも広く学ばれた「朱子学」こそ、我々の思想的根本となった、と述べる。
 ……朱子学。難しそうと敬遠される方、もうしばしお付き合いを。理屈には深入りしない。要するに、徹底した合理的思考で社会通念や常識を問いなおし、社会と人生を自力でつくりあげていく思想だという。
 「社会のあり方、人の生き方についての一般原理を『理』と呼びますが、全ての人が理を問い続ければ、実生活上の規範が常に無限に再生産されて、調和した社会が実現する。裏返せば、人は職場や家庭における生活に向き合い続けることで社会に参加し、立場と役割を担うことで居場所が与えられる。全国民が経済的に自立し、精神的に自律した社会を目指すのが、朱子学の根幹です」
 江戸の為政者はこれを空論に終わらすことなく、具体的な政策として実行した。「実現するための戦い。それこそが“戦う思想”です」と大場さん。経済や人々の暮らしと思想を結び付けた説明は、本書の白眉である。
 「国民の多数を占める中間層的な生活モデルを作り遍く広めるべく、国家経済を整備したのが新井白石でした。国民生活に必要な物資を安定供給するため、通貨発行量を調整して物価を安定させた。さらに、淀川の開削事業や廻船航路の開設といったロジスティックス戦略を進め、各地の商品を円滑に国内に流通させ、日本経済を役割分担によって統合しようとしたのです」
 ユニークなのは、個々の思想の真髄を凝縮した一言を選び、史伝を付したことだ。たとえば、「田楽の 串々思ふ 心から 焼いたがうへに 味噌をつけるな」という狂歌、その作者は――。
 「寛政の改革を主導した名宰相松平定信です。火事に狼狽して不確実な報告を上げる家臣に与えたもので、せっかく焼けた田楽に味噌をつけるように、余計なことを考えてあれこれいじると失敗するぞとの意味。じっくり観察すれば、自らの偏った見方で歪んだ物事に、本来の道筋が見えてくる。洒脱にして合理的な思考の持ち主でした。都市と農村の人口の不均衡という社会問題には、貸出金の利率引き下げ、借金帳消しという金融政策と、借金返済の猶予、児童手当の給付、種もみの無償供与などの公益事業で解決しようとしました。白河藩主時代には、米沢藩との合同お見合いを実施して、マッチングを成功させたことも。国民の生活の安定が第一に考えられていました」
 白石にせよ、定信にせよ、その施策の根底にある考え方は、現代にも示唆的だと大場さんは言う。現代への透徹した視線。本書のもう一つの特徴である。
 最後に、もう一人、ある人物の言葉を紹介したい。「真骨頂とは何ぞ。忠君愛国の日本精神是れのみ」。
 「なんと悲壮感が漂う言葉でしょう。日本人が自らの道徳倫理を否定し、物質万能の西洋化に邁進していくことを憂慮したある遺書の一文です。多様な価値観が雪崩れ込む現代への警鐘のように思えてなりません」
 おおばかずお/1979年、北海道生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。専門は中国思想、日本思想、陽明学。現在、早稲田大学国士舘大学國學院大學非常勤講師。著書に『心即理――王陽明前期思想の研究』『武器としての「中国思想」』がある。
 (「週刊文春」編集部/週刊文春 2024年9月26日号)
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 後期水戸学とは、国防思想であり、日本を軍国化する思想であった。
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 『孫子』 謀攻篇 「彼を知り己を知れば百戦殆からず」
 尊王攘夷派は、敵であるロシアを知る為に蝦夷地(北海道)を目指し、同地でアイヌ人と出会っていた。
 国防に於ける重要な問題は、日本とロシアの中間で生活しているアイヌ人が味方か敵かであった。
 危機感を抱く徳川幕府は、アイヌ人を味方に付ける為に蝦夷地を幕府領として直接統治を始め、不正を働く悪徳商人や賄賂を取って悪政を行う松前藩士達を取り締まり、東北諸藩に国土防衛の派兵を命じた。
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 徳川幕府は東北諸藩に北方領土蝦夷地の防衛出兵(約4,000人)を命じた。
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 寛政5(1793)年 寛政日露交渉。ラクスマン外交
 ロシアの文化露寇、文化3年(1806年)と文化4年(1807年)。
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 江戸の思想を、学んだのは貧しい下級武士(下士郷士)や身分低い庶民(百姓や町人)達で、世襲的上級武士(上士)や豪商・豪農など裕福な者は学ばなかった。
 その点で、日本と西洋・中華(中国・朝鮮)とでは全然違っていた。
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 江戸思想は、絶対的価値観による一つではなく、相対的価値観によって多種多様で複数あって派を唱えず論戦せず争う事なく共生していた。
 江戸時代は、天皇の御威光・神仏習合の権威・将軍の権力を否定しない限りの条件下で、思想の百花繚乱、諸子百家であった。
 日本には、イデオロギー、哲学、絶対宗教(普遍宗教)は存在しなかった。
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 江戸思想を大雑把に大別すると、国外向けと国内向けの2種類がある。
 国外に対する江戸思想は、戦国時代の中世キリスト教会・イエズス会伝道所群の宗教侵略と江戸後期のロシアの軍事侵略から女性神神話、神の国日本、すめらみこと天皇、日の本の日本民族を守る為に、儒教朱子学を土台にした生みだされた後期水戸学の事である。
 後期水戸学は、尊皇攘夷思想と民族主義愛国心を全国に広め、吉田松陰ら貧乏な下級武士や伊藤博文渋沢栄一ら身分の低い庶民達を狂信的な勤皇の志士に育てた。それが、軍国主義者や民族主義者で、軍国日本を創り出した原動力となった。
 後期水戸学は、徳川幕府を動かして、西洋キリスト教の侵略から東洋を守る為に日本・中国・朝鮮の三国攻守同盟を目指していた。
 現代日本歴史教育は、祖国防衛に暴走した後期水戸学を戦争犯罪思想として否定し、歴史の闇に葬っている。
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水戸学。
2018-11-27
🏞81)─1─水戸学は、日本を守る為に日本ナショナリズム・近代的天皇教・軍国日本・国民皆兵を創作した。~No.327No.328No.328・ @ 
2018-12-02
🏞81)─2─水戸学の対ロシア世界包囲網戦略が日本の近代化の原動力となった。幕末日本の優れたインテリジェンス。~No.329No.330No.331・ @ 
2018-11-29
🏞81)─3─『新論』。尊皇原理主義による攘夷と鎖国徳川幕府の制限付鎖国政策とキリシタン弾圧は正しかった。~No.332No.333No.334・ @ 
2018-12-03
🏞81)─4─大日本帝国の原型は1830年以後の水戸藩に出現していた。徳川斉昭天皇の御聖断と御親政。~No.335N・ @ 
2023-04-14
🏞81)─5─幕末動乱に多大な影響を与えた天皇主義後期水戸学。~No.336 
2023-04-26
🏞81)─6・A─水戸学の三傑・幽谷、正志斎、東湖が大成した後期水戸学。~No.337
2023-06-01
🏞81)─6・B─後期水戸学と日本は神の国教育勅語の世界観。~No.337 
2024-09-28
🏞81)─6・C─『戦う江戸思想 「日本」は江戸時代につくられた』~No.337 
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2019-03-31
🏞82)─1─日本の儒学は、武士は官学の朱子学で、庶民は私学の陽明学であった。〜No.338No.339No.340No.341・ ㉘
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2021-07-19
🏞85)─1─朱子学による異学の禁。寛政期の出版統制。文化期の表現規制。逃亡者浮世絵師・葛飾北斎。〜No.358No.359 
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2020-12-02
🏞89)─1─閉塞・閉鎖された日本は特殊・特異な庶民文化大国であった。~No.369No.370 ㉜ 
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 日本列島とは、春夏秋冬、季節に関係なく、広範囲に同時多発的に頻発する複合災害多発地帯である。
 日本の自然は、数万年前の旧石器時代縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
 日本民族は、自然の猛威に耐え、地獄の様な環境の中を、家族や知人さえも誰も助けずに身一つ、自分一人で逃げ回って生きてきた、それ故に祖先を神(氏神)とする人神信仰を受け継いで来た。
 日本人は生き残る為に個人主義であり、日本社会は皆で生きていく為に集団主義である。
 日本の宗教・文化・言語は、こうして創られてきた。
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 日本民族人間性である価値観・人格・気質を作り出したのは、人間(他国・異民族・異教徒)の脅威ではなかったし、唯一絶対神(全智全能の創り主)の奇蹟と恩寵ではなく、自然の脅威と恩恵(和食)である。
 つまり、日本人と朝鮮人・中国人は違うのである。
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 鎌倉時代から明治時代までの約700年間、日本は正統性権威の天皇・朝廷・公家と正当生権力の将軍・幕府・武士による「一国二制度」の時代であった。
 東アジアの中華世界では、日本の一国二制度は特異であった。
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 西洋キリスト教文明国からすれば、日本人はアフリカ人同様に奴隷もしくは人間以下の家畜、自由に殺してかまわない獣であった。
 バチカンローマ教皇は、改宗した日本人キリシタンを奴隷にする事は禁止したが、改宗を拒む異教徒日本人を奴隷とする事は認めた。
 つまり、中世キリスト教会は日本人奴隷交易を「神の御名」によって容認・公認していた。
 心ある善意な宣教師達は、全知全能の神から与えられた「神聖な使命」として、日本人を奴隷から救う為に積極的に布教活動を行い、数十万人の日本人をキリシタンに改宗して「神に愛される自由人」に引き上げていた。
 それが、中世キリスト教会が説く「隣人愛の信仰」であり唯一絶対神の御言葉である「福音による救済・恩寵・奇蹟」であった。
 豊臣秀吉徳川家康江戸幕府は、その事実を知り、日本人奴隷交易を禁止する為に元凶となっているキリスト教邪教として禁教とし、非人道的なキリシタン弾圧をおこなった。
 が、その歴史的事実がハッキリしているにもかかわず、現代日本歴史教育は「日本人奴隷交易」を否定する事なく黙認している。
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 徳川時代、江戸経済はオランダを通じて西洋中心の世界経済に繋がっていた。
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 庶民にとって、領主・大名・主君が誰であったも関係ない。
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 戦国時代は、悲惨で、酷たらしい地獄であった。
 武士・サムライが、百姓を嫌い差別し「生かさず殺さず」の支配を続けたのには理由があり、戦国の気風が残っていた江戸時代初期に斬り捨て御免が横行していたには理由があった。
 日本は、誰も助けてくれないブラック社会であった。
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 日本の庶民(百姓や町人)は、中華や西洋など世界の民衆・大衆・人民・市民とは違って、油断も隙もない、あさましく、えげつなく、おぞましく人間であった。
 町人は、戦場を見渡せる安全な高台や川の反対岸などに陣取って、酒や弁当を持ち込み遊女らを侍(はべ)らせて宴会を開き、合戦を観戦して楽しんだ。
 町人にとって、合戦・戦争は刺激的な娯楽で、武士・サムライが意地を賭けた喧嘩・殺し合いは止める必要のない楽しみであった。
 百姓は、合戦が終われば戦場に群がり、死者を弔う名目で死者の身包みを剥ぎ裸にして大きな穴に放り込んで埋め、奪った武器・武具・衣服などを商人に売って現金化し、勝った側で負傷した武士は助けて送り届けて褒美を貰い、負けた側の負傷した武士は殺し或いは逃げた武士は落ち武者狩りで殺し大将首なら勝った側に届けて褒美を貰った。
 百姓にとって、合戦は田畑を荒らされ農作物を奪われる人災であったが、同時に戦場荒らしや落ち武者狩りでなどで大金を稼ぐ美味しい副業であった。
 合戦に狩り出された庶民は、足軽・雑兵以下の小者・人夫・下男として陣地造りの作事を強要されるが、合戦が始まれば主君を見捨てて我先に一目散に逃げ、勝ち戦となれば勝者の当然の権利として「乱取り」を行い、敵地で金目の品物を略奪し、逃げ遅れた女子供を捉えて人買い商人に奴隷として売った。
 百姓や町人らの合戦見物・戦場荒らしは死者への敬意や死体の尊厳を無視するだけに、古代ローマ時代の剣闘士が殺し合うコロセウムより酷かった。
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 武将は、足軽・雑兵、小者・人夫・下男による乱取りを黙認していた。
 乱取りで捕まった女子供は、各地の奴隷市で日本人商人に買われ、日本人商人は宣教師を通じて白人キリスト教徒の奴隷商人に売って金儲けをしていた。
 中世キリスト教会と白人キリスト教徒奴隷商人は、日本人を奴隷として買って世界中に輸出して金儲けしていた。
 日本人奴隷を生み出していたのは、乱取りを行った百姓達であった。
 一説によると、日本人奴隷として輸出した人数は、ポルトガル商人が5万人以上で、スペイン商人は不明である。
 これが、南蛮貿易に隠された暗黒史である。
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 反権力・反権威・反体制的な庶民は、社会秩序に反逆する野伏せりや悪党であり、そして天皇を命を捨ててでも守ろうとした勤王派・尊皇派であった。
 その代表的人物が、楠木正成であった。
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 現代日本人は、潔くカッコイイ武士・サムライの子孫ではなく、乱取りをし日本人を奴隷として売って大金を稼いでいた庶民の子孫である。
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 日本人は、悪人、罪人である。
 故に、親鸞はそうした救われない哀れな日本人は阿弥陀仏阿弥陀様)が救ってくださると、「悪人正機説」で他力本願を説いた。
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2022-05-30
🌈19)─1─日本の道徳・規律・規範は天道様崇拝であって武士道精神ではない。〜No.37No.38 ② 
 日本の「お天道様」は、キリスト教の全知全能の神ではなく、儒教の天・天帝でもなく、ユダヤ教イスラム教の絶対神でもない。
 お天道様は、何となくの崇拝宗教であって律法・戒律の啓示宗教ではないので、信仰を契約して入信した信者・教徒はいない。
 日本民族は、お天道様崇拝者である。
 お天道様とは、天皇家の祖先神である女性神天照大神である。
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 トライイット
 ホーム社会中学社会中学歴史江戸時代武士による支配
 中学歴史
 身分別の人口の割合 幕末のごろ
 総人口約3,200万人
 百姓が全体の85% たった7%の武士はどうやって支配する?
 江戸時代における、 身分別の人口の割合 が示されています。
 一番多いのが 百姓 (農民)で、人口の85%を占めていますね。
 その次に多いのが7%の 武士 です。
 3番目に多いのが5%の 町人 ですね。
 町人には2種類あり、 工業の担い手である工人と商業の担い手である商人 に分かれていました。
 そのほかには、えた・ひにんといった被差別階級の人々1.5%
 公家・神官・僧侶、その他1.5%。
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 江戸時代は庶民の時代で、武士道は社会の片隅であった。
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 現代日本人が憧れ持て囃す武士道は、江戸時代後期、ロシアの軍事侵略危機までは存在しなかった。
 武士道は、明治時代の近代化によって、外敵の侵略から天皇・国・民族、宗教・文化を守る為に民族主義愛国心の中から生まれた。
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