🌈9)─1・G・リ─日本民族は1400年前から奈良公園のシカを神の使いとして護ってきた。⦅1⦆〜No.18 

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 奈良のシカを神格化しているのは、民族的神話物語である。
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 日本民族は、数万年前の旧石器時代縄文時代から大陸や半島とは隔絶した列島で生活してきた未開の「日本土人」であった。
 奈良のシカと日本民族は似ている。
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 2024年9月25日 YAHOO!JAPANニュース いわさきはるかサイエンスライター奈良公園のシカは何が特別なのか?1000年の歴史を守るために今考えるべきこと
 奈良公園のシカ(撮影:高木俊人先生)
 国が指定した天然記念物である「奈良のシカ」。多くの人は奈良公園でシカが人の手からシカせんべいを食べたり、お辞儀をしたらお辞儀をしかえしてくれたりするようすを目にしたことがあるでしょう。このように人と密接に関わっている「奈良のシカ」ですが、実は飼育されているわけではありません。奈良公園にいる人慣れしたシカたちもれっきとした野生動物なのです。
 では、なぜ野生のシカがこれほど人に慣れているのでしょうか。そして、奈良公園のシカはいつからそこにいて、どのように人との関わりを持ってきたのでしょうか。
 そのような疑問を解消するべく奈良公園のシカの遺伝子解析を行った結果、奈良公園のシカは周りのシカと異なる遺伝子型や遺伝的特徴を持ち、1000年以上前に存在した集団の特徴を保ってきたことがわかりました。しかし、そんな「奈良のシカ」の1000年の歴史が岐路に立たされていることもまた明らかとなったのです。
 長い歴史を持つ「奈良のシカ」に今一体何が起こっているのでしょうか。私たちはこれから「奈良のシカ」について何を考え、どのように接していけばいいのでしょうか。これまで研究で明らかになったことも含めて、福島大学の兼子伸吾准教授にお話を伺いました。
 遺伝解析が示した奈良公園のシカの独自性
 奈良のシカは野生動物なのに人慣れしている(撮影:高木俊人先生)
 「奈良のシカ」と聞くと多くの人が「奈良公園のシカ」を思い浮かべると思いますが、実は紀伊半島の山々には多くの野生のシカがすんでいます。研究の中では、奈良公園付近の保護地区にすむ奈良公園のシカと紀伊半島にすむ他のシカたちの遺伝子型が比較されました。
 研究が始まったのは最近のことではありません。20年ほど前から当時の奈良教育大学の鳥居春己教授や山形大学の玉手英利教授らによって、遺伝子解析自体は行われていました。「奈良のシカにはどんな特徴があるんだろう?」という生物学的な素朴な疑問から始まった研究だったようです。
 そして2006年頃には、奈良公園のシカが近畿地方のほかの地域のシカとは少しだけDNA配列が違う独自のミトコンドリアを保持していることが判明していました。さらに両親から受け継ぐDNAを調べるべく核DNAについても分析が行われました。使用されたのは核マイクロサテライト分析というもので、これは普段、ヒトの親子鑑定などに使われる高精度な分析方法です。この方法は非常にたくさんの遺伝子の種類を検出することができ、わずかな遺伝子の違いまで見つけることができるので、家系の違いや親子関係を正確に推定することができます。
 この分析の結果、紀伊半島のシカたちの間でも、東部、西部、中部でそれぞれ遺伝子のタイプが違うことが分かりました。奈良県に焦点を当てて見てみると、奈良県の南部や中部のシカには独自の遺伝子タイプは見つかりませんでしたが、奈良公園を含む北部のシカたちからは、3つの独自のタイプの遺伝子が見つかりました。
 とはいえ、独自の遺伝子が見つかること自体はそれほど珍しくはありません。例えば、和歌山県南部のシカからは4つ、三重県南部のシカからは5つの各地域独自の遺伝子が見つかっています。この研究で注目すべきは、奈良公園の独自の遺伝子の存在が、奈良公園のシカたちが、長い間他の地域のシカたちとあまり交流せずに独自の集団を保ってきたことを示す、ということです。
 ただこの「長い間」がいつからなのか、確かめる必要がありました。奈良のシカは、明治期や戦中戦後に個体数が著しく減少したことが知られており、そのときにたまたま珍しい遺伝子が残ったという意見もありました。、しかし、このような遺伝的な違いが検出されるようなケースは、気候変動のような数万年スケールの出来事が関係していることが多く、最近の個体数の減少だけでミトコンドリアと核DNAの独自の遺伝子の存在を説明できるかというと疑問が残ります。
 「例えばもともとa型、b型といった遺伝子タイプがあり、急激に減った期間にどちらかが消えてどちらかが残るといった形なら理解できます。しかし、奈良公園のシカの場合は、この状況でc型が現れたようなものなので、変だな、というのはありました。」(兼子先生) 
 そこで、奈良公園のシカの遺伝的な特徴がいつ頃から形成されたのかを明らかにするため、「分岐年代推定」という手法を用いました。分岐年代推定とは簡単にいうと、その集団がいつごろから他の集団と交流していないかということを、推定する方法です。分析の結果、奈良公園のシカが他のシカたちと分岐した年代は少なくとも1000年以上前、おそらく1400年前ぐらいがもっとも可能性が高いことが判明しました。
 この時期は奈良時代のちょうど直前にあたります。春日大社がシカを神の使いとして保護し始めたのが1300年前頃ですから、その前の時代からいたシカがその特徴を失うことなく保全されてきたということになるのです。この事実は奈良のシカは単なる野生動物としてだけでなく、文化的・歴史的にも重要な特徴を持つ集団であることを示しています。この発見はニュース等でも大きく報じられたため、「まさに生きる文化財」という神戸女学院大学(論文発表当時は福島大学)の高木俊人先生の説明をテレビでご覧になった方もいるかもしれません。
 研究結果が発表されると、科学界だけでなく一般の人々からも大きな反響がありました。国内のみならず海外でも広く報道され、「まさか1400年も!」という反応が多かった一方で、「さすがは神鹿」といった納得感を表す声も多く聞かれました。
 「単にシカという生き物の研究ではなく、人間の歴史や文化に関わってきたという点に多くの人がおもしろさを感じてくれたのは嬉しかったですね。ただ、奈良公園のシカの独自性を手放しで賞賛する声には正直『困ったな』と思っていました。この研究には続報がありましたし、奈良公園のシカの話をいろいろ聞くなかで、長期的な保全に関する問題もたくさん教えてもらいましたので」(兼子先生)
 奈良公園のシカには1000年以上も歴史があるという驚きの研究結果が発表され、世間が盛り上がっていたそのとき、すでに調査は奈良公園のシカの「今」に及んでいました。そして奈良公園のシカの「現状」は決して楽観視できるものではなかったのです。
 奈良公園のシカの増加と外部からの侵入と
 シカにとっては連続している保護地区とその周辺地域((C)安斉俊)
 現在の奈良市内のシカの管理は、大きく分けて下記の3つの地区があり、地域によって異なる方針で行われています。
 保護地区:奈良公園およびその周辺を指し、シカの保護が重点的に行われている地域
 緩衝地区:保護地区と管理地区の間でシカの保護をしながらも状況に応じて柔軟な対策を行う地域
 管理地区:緩衝地区の外側で、農業被害などの状況によってはシカの駆除を行える地域
 続報となった2024年2月公開の研究論文研究では、このうち保護地区と管理地区のシカについてDNA解析が行われました。その結果、奈良のシカの独自の遺伝的特徴を形づくり、維持してきた奈良のシカの孤立状態が失われつつあることが明らかになったのです。
 管理地区内のシカにおいて、保護地区のミトコンドリアを持つシカと他地域のミトコンドリアを持つシカが、ほぼ半々の割合で存在していました。つまり、管理地区のシカの半数は保護地区生まれのメスの子孫であり、残りの半数は他地域から来たシカのメスの子孫だと考えられます。さらに、保護地区のミトコンドリアを持つ個体でも、他地域から来たシカとの交配で生まれた子孫が多いようです。
 本来、繁殖期のシカは一頭のオスが複数のメスと群れを作ります。弱いオスは別の地域に移動するという性質を持つため、メスよりオスの移動の方が盛んで、メスはあまり動きません。しかし、現在奈良公園の周辺はシカが非常に密集しているため、オスだけでなくメスも移動した可能性があります。もちろんオスはメス以上に他地域に移動していると考えられます。そして保護地区のオスと他地域からきたメスのあいだに生まれるシカはほとんどいないことも今回の解析から明らかになりました。奈良公園のオスは人の手によって角切りが行われていることや体が小さいなどの理由で、他地域から来たオスとの争いには勝てないのかもしれません。一方、保護地区のメスは移動した先で保護地区のオスより強い他地域のオスと結ばれたことで、保護地区のミトコンドリアが他地域にも広まっていったのでしょう。
 同時に、保護地区内のシカの遺伝的特徴については比較的保たれていることも明らかになりました。ミトコンドリアはメスから受け継がれるため、保護地区内に他地域のオスが入ってきたとしても、保護地区のメスと繁殖すれば保護地区独自のタイプが受け継がれていきます。もちろん核DNAはオスのものも受け継がれていくので、その後の交配によって核DNAの特徴は変化していきます。
 現在、保護地区内には奈良公園独自の核DNAをもつ個体の割合が圧倒的に多いので、他地域の個体が持ち込んだ特徴は数世代の交配で薄められているようです。しかし、他地域由来の個体の数が急激に増えたりした場合には、保護地区内の遺伝的特徴が他地域のものにゆっくりと置き換わっていく可能性があります。
 江戸時代には、現在の奈良公園周辺地域に鹿垣と呼ばれる物理的な柵が長い距離設置されていたことが奈良教育大学の渡辺伸一教授らの研究により明らかになっています。また、当時の資料から、春日山(芳山)より東に生息するシカは、神鹿として扱われていなかったと考えられています。しかし現代では道路の存在や土地の所有権の問題など、現実的な理由で柵を作るのが難しくなっています。保護地区と管理地区におけるシカの行き来を防ぐ手だては何もないのが現状です。そして、天然記念物への指定の際に、歴史的に保護されてきた範囲より、広い範囲で保護されるようになっています。
 ここで、奈良公園に他地域からのシカがたくさん入り込むと、どのような問題が生じるか整理してみましょう。まずは、人とシカとの共存におけるトラブルが増えることが考えられます。人に対する「お行儀の良さ」で世界中の人を驚かせる奈良のシカですが、外からやってきた野生のシカ達にこのような「お行儀の良さ」を期待するのは難しいです。人慣れしないシカが入ってくれば、人身事故や交通事故などが起きる可能性が高くなるでしょう。
 また、集団としての「奈良のシカ」らしさも次第に失われてしまうかもしれません。奈良公園のシカは他地域のシカと比べ繁殖の開始年齢が遅いものの、生まれた仔ジカの死亡率が低く、寿命も長いことが奈良教育大と奈良の鹿愛護会の研究から明らかになっています。奈良公園のシカの繁殖特性が他地域のシカに近づく、つまり、早く生まれるけれど死亡個体も多いという特徴が強まれば、個体数が急に増えたり減ったりして、集団の安定的な維持がより難しくなるかもしれません。
 実は、2024年の論文で明らかにされる前から、いろんな兆候はすでに見られていたそうです。例えば、保護地区のシカの頭数は奈良の鹿愛護会によって毎年数えられています。そのデータによればオスとメスの比率は大きく異なっていて、メスの数はオスの数の約2~3倍もいます。オスの方が死亡率は高いものの、オスとメスはほぼ同数が生まれること、オスの方がより広い範囲に動くという性質から考えれば、オスが外に出ていっているのは自明でした。また管理地区では全国的な傾向と同様、シカが増え続けています。餌やメスを求めて管理地区から保護地区に入ってくるシカもいるでしょう。奈良公園周辺の農業被害も奈良公園のシカによるものとの声もありますが、外から来たシカによるものだった可能性も十分にあります。
 「お話を聞く限り、いろんな方々が様々な問題を肌感覚として既に認識していたようです。でも、奈良のシカをめぐっては様々な立場がありますし、具体的なデータが広く共有されていない段階で問題について提起したり話し合うのは難しかったと思います。今回、一連の科学的なデータが出たことで、立場を超えて問題に向き合う土台は整ったのかもしれません。」(兼子先生)
 奈良のシカが孤立しながらも1000年以上もここにしかない遺伝子を受け継いできたという事実、そして他地域で数を増やしたシカとの接触によって孤立の維持が難しくなっているという事実が判明したことで、私たちは「1000年を超える奈良のシカの歴史をどうしていくか」という岐路に立たされたのです。
 奈良のシカの歴史に立ちはだかる問題たち
 プラごみを見つめる奈良のシカ(提供:鹿サポーターズクラブ)
 1000年もの間、独自の遺伝的特徴を保ちながら守られてきた奈良のシカ。しかし今、その長い歴史の前にさまざまな問題が立ちはだかっています。
 まず挙げられるのが、奈良市外におけるシカの増加です。日本全国で野生のシカが増加している背景には、温暖化や木材消費量の減少によるはげ山の復活があります。奈良の管理地区でもシカが増えており、他地域で生まれた個体が保護地区により多く入りこむ可能性が高まっています。一つ前の見出しでも紹介した通りです。
 奈良公園のシカが孤立しながらも独自の集団として1000年以上も保たれてきたことは、歴史的な保護や保護区域の設定がこの場所でシカが生き続けるうえで適切だったことを示しています。この歴史的な保護とは、決められた場所では保護し、それ以外の場所では普通のシカとして特別な保護はしないというものです。しかし、管理地区のシカはかつてないほど個体数が増えています。管理地区で駆除できる頭数には制限がありますし、管理地区の外側からの個体の移入も継続的に起っているでしょう。シカの保護も農林業被害の防止も、対処するためのマンパワーは圧倒的に不足しているのです。
 保護地区のシカと人間の距離が近すぎることも大きな問題です。人間が捨てた紙やプラスチックゴミを食べてしまい、お腹のなかに消化できないゴミがたくさん詰まったシカも少なくありません。人間の食べ物をもらって食べたシカが下痢をしてしまうこともあります。「わざわざ食べにくるくらいだから体にも問題ないだろう」という考え方は、残念ながら動物には通用しません。
 奈良公園周辺では、シカの餌として鹿せんべいの販売が行われています。しかし、公園内の個体全てがいつも鹿せんべいを食べることはできないでしょう。また、シカの主食である植物の量が充分にないことは、ギリギリまで食べられて短くなった芝生やシカの届く高さの植物は食べられてほとんど無くなっていることからも明らかです。さらに、保護地区内のシカの密度が非常に高いことに加え、道路などの人間の活動範囲とシカの活動範囲が重なっていることもあって、交通事故が頻発しています。これらの問題を踏まえると、シカと人間との距離感を見直す時期に来ているのかもしれません。
 観光客のシカとの接し方にも問題があります。奈良県は、シカに対して「直接触らないで」というガイドラインを設けていますが、このことを知っている人は非常に少ないのが現状です。奈良公園のシカは野生動物であり、人間を傷つけることができる強い力を持っています。これまでも全国各地でシカによって人間が死傷した事故は複数あります。ところが奈良公園では、おそらくその長い歴史で形成された人に慣れたシカの行動やシカの体のサイズが全体的に小さいこと、人の手による角切りなどによって、幸か不幸か、その危険性が認識されにくくなっている部分があります。
 奈良のシカ独自の遺伝的系譜と人間との共存の歴史は本当にギリギリのところで保たれています。
 「奈良のシカと関わっている人たちの中で『今はある程度良い状態にあって、このままでも100年大丈夫』というように楽観的に考えている人は1人もいないのではないでしょうか」(兼子先生)
 具体的な対策はさまざまに考えられますが、「神鹿」というある種の共通認識が奈良のシカの維持に役立ってきたことは間違いありません。今は奈良のシカと深く関わる人だけが危機感を持っているような状況ですが、観光客など一般の人も認識を改める必要があるかもしれません。奈良のシカがたまたま人と共存できている「野生動物」であると同時に、人の保護のもと歴史を築き上げてきた「神鹿」であるという意識が多くの人に広まれば、状況が大きく変わる可能性があります。
 奈良のシカが示す野生動物保全の道しるべ
 くつろぐ奈良のシカ(撮影:高木俊人先生)
 奈良公園のシカは、1000年以上にわたる人間との共存の歴史を持つ、世界的にも稀有な存在です。今回紹介したDNA研究によって、その長い歴史が科学的にも証明されたわけですが、周辺地域でのシカの増加や保護地区内のシカの過密状態など、現在の状況は決して楽観できるものではありません。
 奈良公園のシカの独自性は、現状に警鐘を鳴らすと同時に、私たちが何をどのように守っていくべきかを示す道しるべとなります。奈良公園のシカの未来は、今この瞬間から私たち人間が何をするかによって大きく変わるのです。
 「奈良のシカは私たち人間が1000年もの間、野生動物であるシカを保全できた『実績』なんです。1000年できたのだから、もう1000年、保全を目指してみたいと思いませんか。」(兼子先生)
 奈良公園のシカは単なる野生動物ではなく、日本の文化そのものであり、多くの人々の心に深く刻まれた存在です。だからこそ、100年後、1000年後の未来に奈良のシカを残していくためには、その歴史的背景や維持されてきた方法を深く理解し、現在の問題に適切に対処しなければなりません。1000年以上の歴史が明らかになったにもかかわらず、もしこのまま環境変化や人間活動の過ちによってその特別な特徴が失われてしまったとしたら、それはあまりにも残念なことです。
 奈良のシカは今日も多くの「人間」に囲まれています。その「人間」の中で少しでも多くの人が野生動物である奈良のシカの独自性とその歴史を知ることが、この歴史ある保全の「これから」を築くことにつながるでしょう。もし、これからも奈良のシカという大きな保全の実績を積み続けることができたなら、その実績は奈良のシカのみならず様々な生き物たちと共存する未来の道しるべになるのではないでしょうか。
 【参考文献】
 奈良のシカの起源について
 A historic religious sanctuary may have preserved ancestral genetics of Japanese sika deer (Cervus nippon)
 奈良市内のニホンジカの血縁構造とその現状について
 The sacred deer conflict of management after a 1000-year history: Hunting in the name of conservation or loss of their genetic identity
 奈良のシカの行動などについて
 天然記念物「奈良のシカ」4要件の現状と課題ー支えあう神鹿文化と生態特性ー
 鹿垣について
 奈良公園周辺における鹿垣の分布とその残存状況 : フィールドワークに基づく報告と考察
 神鹿と認識されてきた範囲とその変化について
 奈良のシカ保護管理の歩みとこれから―その社会学的検討―
 奈良のシカの繁殖開始齢について(1ページ目で言及)
 大腿骨骨髄による奈良公園シカの栄養診断
 奈良のシカの初期死亡率について
 奈良公園ニホンジカの初期死亡率の推定
 【執筆協力】
 兼子伸吾
 福島大学共生システム理工学類准教授
 「その生き物がどこで、どんな相手と繁殖をしてきたか?」をDNA解析で調べています。ニホンジカの研究の他に、鳥に食べられて運ばれるナナフシや福島の帰還困難区域のイノシシ、絶滅した植物の標本を使ったDNA解析についての研究等にも取り組んでいます。身近な生き物でも意外に良く分かっていないということは、まだまだたくさんあります。生き物の意外な事実を知ることは、学術的な成果というだけでなく、自然環境や生き物とのより良い付き合い方とのヒントになります。そしてなにより、自然や生き物を知ることは楽しくて、ちょっとだけ日々の暮らしを彩り豊かにしてくれますよね。
 高木俊人
 神戸女学院大学人間科学部環境・バイオサイエンス学科 専任講師
 何か生き物に関わる研究をしたいな、というぼんやりとした興味で学生時代に野生生物の遺伝解析を行っていた研究室の門を叩きました。現在は、全国のニホンジカの遺伝学的研究を中心としながら、モグラヌートリアなどの研究にも参画しています。遺伝解析を通じて何万、何十万年スケールの進化の歴史から、親子判定のような血縁関係まで多様なスケールの野生生物の「生きざま」を明らかにしたいと考えています。駆け出しの若手研究者ですが、100年後の誰かが、こんな研究結果を残してくれていたのか!と喜んでくれるような研究を展開したいな、と日々思っています。
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