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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
奈良のシカは、天皇神話に基づいて神格が与えられている。
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日本人には、中国人や韓国人・朝鮮人の日本人を見下した「悪ふざけ」が理解できない。
日本人と中国人や韓国人・朝鮮人との、笑い話、滑稽話、ユーモア、ジョーク、エスプリなどは全然違い、お互い相手の話は理解できないどころか不快な話が多い。
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2024年7月23日 YAHOO!JAPANニュース Record China「奈良のシカに中国語を話す集団がふんをつけたせんべいを食べさせようとする動画拡散、日本人怒り―香港メディア
奈良公園周辺に生息する国の天然記念物「奈良のシカ」に、中国語を話す男性集団がふんをつけた鹿せんべいを食べさせようとする動画がSNSで拡散し、日本人の怒りを招いていると、香港メディアの香港01が報じた。
© Record China
奈良市の奈良公園周辺に生息する国の天然記念物「奈良のシカ」に、中国語を話す男性集団がふんをつけた鹿せんべいを食べさせようとする動画がX(旧ツイッター)で拡散し、日本人の怒りを招いていると、香港メディアの香港01が29日付で報じた。
記事はまず、産経新聞の25日付報道を引用し、奈良のシカに何者かが暴力を振るう動画がSNSに投稿され、非難が集まっていることを受け、奈良県警がシカ保護とマナー周知のための緊急パトロールに乗り出したこと、奈良公園で同日、行き交う大勢の観光客に拡声器を手にした県警の「DJポリス」が日本語、英語、中国語の3カ国語で「奈良のシカは国の天然記念物です。傷つけた場合、法律で罰せられることがあります」と呼び掛けたことを紹介した。
その上で、X上では、中国語を話す男性集団がふんをつけた鹿せんべいを奈良のシカに食べさせようとする動画も拡散し、日本人から「こういう人は入国禁止にすべき」との声が上がったことも取り上げた。
記事は、奈良のシカについて、約1300年前の春日大社創建の際、鹿島神宮(茨城県)の祭神、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が白鹿に乗ってやって来たという伝説により「神使(しんし)」とされ、以来手厚く保護されてきたこと、1957年に国の天然記念物「奈良のシカ」として指定されたこと、奈良公園に生息するシカは野生動物で、野生動物は「無主物」であり所有者はいないものの、個人が捕まえたり、傷つけたりすることは違法行為であることを紹介した。(翻訳・編集/柳川)
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7月31日 MicrosoftStartニュース アサ芸biz「奈良の鹿に受難再び!?「蹴り上げ動画」に続いて拡散された「またがり動画」の仰天真相
奈良の鹿に受難再び!?「蹴り上げ動画」に続いて拡散された「またがり動画」の仰天真相
© アサ芸biz
奈良公園で撮影された外国人観光客による鹿への虐待と見られる動画がSNSで拡散され、物議を醸している。
奈良公園の鹿を巡っては、これまでも観光客とみられる男が鹿を蹴り上げる動画がネット上で拡散され、非難が殺到したことがあった。奈良の鹿は国の天然記念物に指定されていることから、文化財保護法に違反する可能性があるため、地元警察はDJポリスを出動。「Never kick the deer(決してシカを蹴らないでください)」と注意を呼びかけていた。
そんな中、今度は中国人と見られる女性観光客が、鹿にまたがっているかのように見える動画がSNSで拡散したのだ。鹿の被害を憂いていると思われる人の中には、《もう外国人観光客は来ないでほしい》と切実に訴える声もあり、賛同者は後を絶たない。
だが、この一件はこれで終わらなかった。その後、同じ女性の別の動画が発見され、「新たな事実」が発覚したのである。
「『鹿に乗る中国人』として拡散した動画を見た人からは、《マジで中国人は入国禁止にしてほしい》《こんな人たちと共生なんて絶対無理です》などと怒りの声が上がっていました。ところが、新たに発見された動画では、女性は実際には鹿の手前に座っており、むしろ鹿の背中をなでるなど無邪気に戯れていただけでした。どうやら一部の者が、彼女が鹿にまたがっているように矢印などで誇張していただけのようです」(ネットニュースサイト編集者)
鹿を蹴るような動物虐待はもってのほかだが、虐待があったように見せかける行為も悪質と言える。いずれにせよ、奈良の鹿にとっては迷惑極まりない話に違いない。
(ケン高田)
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論語
述而(じゅつじ)7-20「子し(孔子)、怪力乱神を語らず」
雍也(ようや)第六22「民の義を務め、鬼神を敬して之(これ)を遠ざくるは、知と謂(い)うべし」
マルクス主義
マルクス「宗教は、抑圧された生きものの嘆息であり、非情な世界の心情であるとともに、精神を失った状態の精神である。それは民衆の阿片である」(『ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説』より)
一神教の偶像崇拝禁止
旧約聖書(ユダヤ教)「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。」(出エジプト記20章4節から5節)
新約聖書「それだから、愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。」(コリント人への第一の手紙10章14節)
イスラム教 偶像崇拝禁止
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日本民族は、数万年前から自然崇拝・自然宗教と数千年前から天皇神話・民族神話を信じて生きてきた。
奈良のシカは、ヤマト王権のあった土地「まほろば」で日本民族と共に歩んできた。
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天孫降臨神話を根拠とする神獣・神使である奈良のシカを護る事は、高天原神話における最高神の女性神を正統とする男系父系の現天皇と皇室を護る事である。
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歴史的事実として、日本人と中国人・韓国人・朝鮮人とは幾ら話し合おうが理解し合う、分かり合う事はできない。
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媚中派のエセ保守や反宗教無神論のリベラル左派、そしてメディアや教育は、中国人の反天皇反日・反宗教反神話の蛮行から目をそらして無かった事にしようとしている。
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自然保護団体や動物愛護団体は、民族神話の解釈や神道的宗教観に対する信条の違いから二分され一丸となっていない。
信条とは、日本民族の伝統的な神話宗教と自然崇拝を認めるか認めないかである。
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世界史の窓
偶像崇拝の否定
イスラーム教の根本的な宗教思想。
偶像は、神仏を人間の手で、石や粘土、金属、木など様々な材料を使って像にしたり、絵に描いたりしたもの。またそれを崇拝することが偶像崇拝。イスラーム教では、偶像は人間が作ったものにすぎず、神そのものではないから、それを崇拝することは間違えている、として厳しく禁止している。そのために、イスラーム美術の特徴は、絵画や彫刻が発達せず、アラベスク模様ともっぱらコーランを美しい書体で書き表すことが尊ばれた。13世紀にモンゴル勢力によって西アジアが征服された結果、中国絵画の影響が強まり、イル=ハン国からは細密画(ミニアチュール)が発達し、ティムール帝国、ムガル帝国で独自の発達を遂げたが、ヨーロッパのような写実的な美術はイスラーム世界では生まれなかった。 → イスラーム美術の特徴
聖像崇拝問題
キリスト教や仏教も、本来は偶像崇拝を否定していたが、布教の際の利点や、国家宗教としての性格が強くなると、聖像や仏像が作られるようになった。イスラーム教がキリスト教のそのような偶像崇拝を批判したことから、それに直面した東方キリスト教世界のビザンツ帝国で起こったのが聖像崇拝問題であった。726年のビザンツ皇帝レオン3世が聖像禁止令を出すと、ローマ教会はそれに反発し、そこから11世紀までにキリスト教会の東西分裂という事態が進行していく。
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ウィキペディア
偶像崇拝(ぐうぞうすうはい、(英: idolatry)とは、偶像を崇拝する行為である。
キリスト教
十戒
使徒ヨハネの弟子であるポリュカルポスはスミルナ教会の監督であったと伝えられる。ポリュカルポスはヨハネの黙示録2:10にある「死に至るまで忠実であれ」を読んだ。ポリュカルポスはこの言葉どおりに、皇帝を拝む偶像崇拝を拒み、火あぶりにされた後に刺し殺され、殉教した。
キリスト教においては旧約聖書の記述から偶像崇拝を禁じている。
日本のキリスト教
1932年(昭和7年)5月5日に、上智大学の学生の一部が靖国神社の参拝という偶像崇拝行為への拒否を公然化したため、「カトリック、否、全キリスト教そのものが日本の国体と相容れない邪教である。その信者やその活動である学校経営は反国家的である。日本を外国に売る売国奴である。外人教師や宣教師などはそれぞれの母国から派遣されたスパイである」と非難された上智大生靖国神社参拝拒否事件が起き、信者たちの信仰活動は動揺した。そのため信仰よりも教会防衛を優先した当時のカトリック教会指導層は「祖国に対する信者のつとめ」を出し、神社参拝を容認した。これらの偶像崇拝と宗教弾圧への動揺は今日では自己批判されている。
プロテスタントでも日本基督教団などエキュメニカル派の一部は他宗教に対して比較的寛容であり、戦前より神社参拝、宮城遥拝、国民儀礼、御真影敬礼、焼香などの行為を行っていたが、戦前の美濃ミッションや中田重治監督指導時のホーリネス、戦後の福音派などは、これらの行為が聖書に反する偶像崇拝であるとして、これらの行為を禁じていた。
日本キリスト改革派教会の常葉隆興は日本基督教団の結成式で行われた宮城遥拝は、「偶像礼拝であり、神に対して死に値する罪であった」とした。また日本キリスト改革派は1951年の第6回大会で「すべての神道神社は偶像であり、我々はそれを礼拝する事を拒絶する。神棚、仏壇その他どのような宗教的事物に対しても頭を下げて礼をしない。」と決議した。
中央神学校のチャップマン教授は、日本の教会が神社参拝に対して明確な態度を取れなかったのは、旧約聖書の知識を欠いていたからだと指摘した。また、日本の教会は自由主義神学の高等批評によって信仰が骨抜きにされており、植村神学が簡易信条主義であったことから、異教の偶像崇拝に対して抵抗する力を持たなかったと指摘する者もいる。
福音派など聖書信仰の教会は1959年11月18日の日本宣教百年記念聖書信仰運動大会において、偶像崇拝の罪を、神の御前に悔い改め、告白した。「我らは過去百年間、キリスト者として、個人生活的にも、亦国民生活的にも、一切の偶像崇拝を廃棄すべき聖書の命令に応えることに於いて、欠けたところの多かったことを神の前に反省し、痛切なる悔改めを告白する」
イスラム教において、シルク(شرك、širk)と呼ばれる偶像崇拝の行為はアッラーフが許さない唯一の罪である(『婦人章』第116節)。また、アッラーフの形代を作って拝む事さえ“タウヒードに反する許されない罪”である。よって世界のどこにいようが、聖地マッカの方角を向いて拝礼すればよい。
ムハンマドを描いた絵画も、ムハンマドへの個人崇拝を排するため、顔に布をかけた姿で描かれている。
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2010年7月15日(木)「しんぶん赤旗」
マルクスが言った「宗教はアヘン」とは?
〈問い〉マルクスが言った「宗教はアヘン」とは、どんな意味で、なぜ今も話題になるのですか?
〈答え〉マルクスは、25歳の時の論文「ヘーゲル法哲学批判・序説」のなかで、「宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、一つには現実の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆のアヘンである」と書いたことがあります。
この文脈からも明らかなように、アヘンを単純に毒薬という意味で使っているのではありません。アヘンは乱用すれば有害ですが、アヘンの成分から作られるモルヒネは、鎮痛剤として使われています。
アヘンという言葉には、宗教に対するマルクスの批判もこめられています。宗教は民衆にあきらめとなぐさめを説き、現実の不幸を改革するために立ち上がるのを妨げている、という意味です。ここには、当時のヨーロッパで宗教が果たしていた歴史的な事情が反映しています。キリスト教は、国王権力と支えあう関係になって、専制支配のもとで苦悩する民衆に忍従を説いていました。マルクスはそうした宗教の役割を批判したのです。
マルクスがアヘンという言葉を使った背景には、当時のヨーロッパでアヘンが話題となっていたという事情もあります。イギリスが植民地インドで製造したアヘンを中国(清)に密輸し、アヘン戦争が起こった時代でした。
反動勢力は、「宗教はアヘン」というマルクスの言葉をわい曲して、科学的社会主義を攻撃しました。それが今も影響しているといえます。しかし、マルクスが宗教を侮蔑(ぶべつ)していないことは、宗教によって不幸に抗議している、と述べていることからも明らかです。
科学的社会主義は、反宗教の立場ではなく、宗教が実際に果たした役割を分析し、宗教がになった民衆への奉仕の意義を重視して、世界観の違いをこえた宗教者との共同をはかってきました。
日本共産党は、日本の宗教には、一部に反社会的、反民主主義的動向がみられるものの、宗教界の多くの人びとが社会進歩に積極的役割を果たしていると考えています。日本共産党の綱領は「信教の自由を擁護し、政教分離の原則の徹底をはかる」と明記し、この方針をつらぬいて、宗教者との対話と共同を発展させています。
(2010・7・15)
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