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日本の茶の文化は、日本独自の民族文化であり、中国や朝鮮の茶の文化とは違う。
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2024年12月16日 YAHOO!JAPANニュース 日本茶ナビゲーター Tomoko「海外から見た日本茶の魅力とは?北米では健康志向、ヨーロッパでは茶の文化面が注目され広がりを見せている
「日本茶AWARD2024」イベント会場で茶葉を熱心に選ぶ方々
ここ近年、日本茶の魅力が海外にもどんどん広がっているように感じます。
実際に11月に開催された日本茶の品評会「日本茶AWARD」のイベント「TOKYO TEA PARTY 2024」では、外国人の姿も多く見かけました。
このイベントを目指してやってくる外国人バイヤー、日本茶に関わる仕事や活動をしている方々、通りすがりだが日本茶のイベントに興味がわいて!という人まで。
前回の記事では「海外の抹茶ブームによる宇治の抹茶の品薄」を取り上げましたが、今回は海外から見た日本茶の魅力について考察します。
海外から見て日本茶ってどんな印象?
海外から見て日本茶の代表格は「抹茶」。
文化面でも飲み物としても揺るぎない不動の地位を築いています。
抹茶ラテや抹茶スイーツは今では欧米、アジアとどんどん広まり、その発祥の地の日本でぜひ買いたい!と抹茶を買い求める人も多くいます。
タイやシンガポールでも抹茶の専門店が増えていたり、日本の日本茶・抹茶をテーマとしたカフェブランド「ナナズグリーンティー」の海外店舗も大変好調で、オーストラリアのメルボルンにオープンしたお店もその人気は予想以上なのだそう。
特に海外では宇治の抹茶の評価が高く、今は海外需要とインバウンド効果で品薄になるほど!
その中で「抹茶」そのものや、抹茶と深い関わりのある茶道と文化的背景に興味を持つ人も少しずつ増えてきているようです。
抹茶と春の和菓子
北米では日本茶の健康面が注目されている
北米では10年以上前から抹茶の健康面での効能などが注目されています。
カテキンやテアニンなどの緑茶の成分の効能が注目され、抹茶は健康に良いというスーパーフードのようなイメージ(日本で言う青汁みたいな存在)。
セレブや健康に意識の高い人に好まれています。
自動で「碾茶」を挽き抹茶が作れるマシン「CUZEN MATCHA」は健康を意識する人に人気。2020年にアメリカで、2021年に日本で販売がスタートした後、国内外で数々の賞にも輝いている。
先日お話を伺った日本茶輸出組合副理事長の谷本宏太郎さんのお話しでは、海外では特に有機栽培やシングルオリジンの茶葉が人気があり、最近は北米では「コーヒーは年配の方が飲むもの」といった印象だそうで、若い層では今は抹茶などの緑茶がトレンドなのだとか!
また、北米で主流になってきているアルコール飲料「ミクソロジー」でも緑茶などを使い健康面にも意識したものが増えてきているそうです(ノンアルコールのものもあるそうです)。
※ミクソロジーとは「自由な発想で、既成概念を飛び越えてする創造するカクテルの総称」なのだそう。Mixology Online Magazine(外部サイト)より
ヨーロッパでは日本茶の文化面に注目が集まっている
ヨーロッパでは日本茶の文化面に魅力を感じる人が多いようです。
特にフランスでの日本茶への理解と評価はヨーロッパの中でも高いように感じます。
朝から茶道のお点前のように抹茶を点てて飲む人や、急須で日本茶をいれて飲む人も。
石川県金沢市の町屋カフェ「久連波(くれは)」さんでいただいた抹茶と和菓子。お店には外国人観光客もたくさん訪れていた。
そこには「わび・さび」や「マインドフルネス」を感じる人が多数。
これはフランスに限ったことではありませんが、日々外国人留学生など外国人との交流が多い仕事をしていると、日本のわび・さびはかなり浸透していて、敢えて説明するまでもないくらいです。
マンガやアニメなどのサブカルチャーをきっかけに日本に興味を持つ外国人が今も多く、その中で自然にわび・さびに触れて理解できている人が多いように思います。
フランスで日本茶専門店が増加
フランスでは日本茶専門店がかなり増え、専門店でなくても抹茶だけではなく煎茶など急須でいれるお茶を飲むことができるなど、ここ数年でどんどん広がりを見せているそう。
ここ最近は日本の食文化であるおにぎりの専門店が話題になったり、「モチ(mochi)」と呼ばれる大福の専門店、たい焼きのお店もあるのです。
以前は餡子が苦手な外国人が多かったのですが、最近は母国でも食べたことがあるなど、少しずつ餡子を使った和菓子も食べられる人が増えているようです。
日本食の人気と共に、日本茶も広がりつつあるようです。
フランスでの日本茶の広がりが、周辺諸国にももっと広がっていくことに期待します。
日本では日本茶を飲めるお店が少ない…
「日本に来たらどこのお店でも日本茶が飲めると思っていたのに、わざわざ専門店を探さなければ飲めない…」と嘆く外国人観光客の声を時々耳にします。
日本で普通のカフェに行くと、コーヒーと紅茶、ジュースなどは置いてあっても、なかなか日本茶が選択肢にあるお店に出会えません。
おいしい日本茶が気軽に飲めると思っていたのに、飲めるお店は限られている。
これはとても残念なことです。
京都や静岡などの茶産地に行けば専門店も多くありますが、それでも普通のカフェのメニューに日本茶はあるでしょうか?
東京・下北沢で46年続く日本茶喫茶「つきまさ」の店内でいただく煎茶と和菓子のセット。専門店に行くと急須で煎茶を飲むことができるが、普通のカフェで日本茶が選択肢にあるお店はあまりない…。
お店の方で「日本茶はカフェスタイルのご飯やスイーツには合わない」という先入観があるのでしょうか?
実際は日本茶の多彩なバリエーションの中で洋風のものに合うものも多く存在します。
洋菓子には濃い目のほうじ茶や和紅茶が合い、国産烏龍茶なども生産が増えてきつつありますが、まだあまり知られていないようです。
日本の中での日本茶の評価がもっと高まってほしい、日本茶のバリエーションやその魅力に気づいてほしい、そして普通のカフェや飲食店のドリンクにも日本茶が選択肢として増えるといいなと思います。
日本人より日本茶に詳しい外国人の姿も!
海外の(特にヨーロッパに多い)「日本茶マニア」は一般の日本人よりずっと日本茶全般に詳しく、抹茶だけではなく煎茶などのリーフの日本茶についても深い知識と理解を示しているのです。
現に宇治の抹茶、それも高価格帯の上級のものはその背景とおいしさを理解した外国人が購入しているという話も聞いています。
日本茶の品評会「日本茶AWARD」のイベントの会場でも、試飲をしたり茶葉を見比べたりと真剣に日本茶を選ぶ外国人の姿が多く見られました。
2024年11月23日、24日に代官山T-SITEで開催された「日本茶AWARD」TOKYO TEA PARTY 2024の会場の様子。多くの日本茶ファンやバイヤーで賑わった。
もしかして、日本茶について何も知らないのは日本人だけ?
農作物でも伝統工芸でも特に良いものは海外の評価が非常に高く、海外へ出てしまって日本には残っていない…。
そんな話もよく聞きます。
もっと足元に目を向けるべきではないかと、自戒を込めて感じます。
海外でも茶道は日本の文化として注目されている
特にヨーロッパではジャパンエキスポなどの日本文化紹介などで茶道に興味を持つ人が多いようです。
茶道は日本文化の代表的なイメージとして捉えられているようです。
抹茶はおいしい飲み物というだけではなく、その文化面や精神面を重要視している印象。
左から、リクさん、アルバさん、ロサリーアさん。中央のアルバさんは茶名を持つ表千家茶道の師範でもあり、日本茶コンサルタントとして海外に日本茶を紹介する仕事もしているそうです。
今回の日本茶AWARDのイベントでインタビューしたスペイン人のアマイェ · アルバさんはなんと宗暁(そうぎょう)という表千家の茶名(師範の資格)を持ち、斬新なスタイルも取り入れて茶道の魅力をイベントやワークショップで発信しているそうです。
さらに、日本茶コンサルタントとして煎茶など日本茶の産地へも赴き、抹茶だけでなく日本茶全般を海外へ繋ぐ活動もされているのだそう。
アルバさんからはこのようなメッセージもいただきました。
日本茶業界にはまだまだ多くの課題と可能性があり、特に日本の茶農家さんたちをサポートするために、私自身もその一助となれるように努めていきたいと感じています。これを私の使命(志)として活動していければと考えています。
素晴らしい志ですね!
日本茶に対する熱いメッセージ、非常に頼もしいです。
日本茶がもっと評価され親しまれるようになると、新たな魅力や価値に気づく人も増えてもっと広がっていくと思います!
※「宗暁」ことアルバさんのインスタグラムはこちら(外部サイト)
日本茶の歴史から紐解くと
抹茶と茶道の歴史
海外から魅惑と羨望の眼差しで見られている日本文化。
その中でも茶道はとても注目されていると感じます。
歴史から見ても煎茶などよりずっと古くから日本に根付いている抹茶とその文化。
抹茶は約800年前に中国から禅僧によって伝わり、その後公家や武士など上流階級を中心に茶の湯が広まり、15世紀に千利休が茶道を確立したことで文化として成熟し独自の発展を遂げていきます。
その中で抹茶を生産・加工する技術や和菓子の発展みならず、茶道で使う道具、陶磁器、漆器、彫金、竹細工、ガラス工芸などの伝統工芸や、茶室の数寄屋建築が日本の伝統的な家屋の発展にも寄与していくのです。
先日訪問した表千家講師の岡田宗凱氏の茶事にて。茶道の世界の美しさと精神性に魅了される外国人は多い(撮影:飯野高拓氏)。
もし茶の湯や茶道が存在しなかったら、抹茶はもとより、和菓子、特に季節の意匠を表した上生菓子は存在していないかもしれません。
さらには、伝統工芸もここまでの発展をしていなかったのではないかと思います。
それほどまでに自然に日本文化の中に浸透しているのが茶道と茶の湯の美意識やエッセンスなのです。
日本に住んでいると身近すぎて気付かなかったり、目を向けようとせず過ごしていたりするのですが、海外からは新鮮に魅力的に映るのでしょう。
そうやって海外からの目線でこちらが気付かされることは多くあります。
日本国内でももっと日本茶の魅力を知ってほしい
日本では日本茶は身近にあるのが当たり前で、「お茶にお金を出す」というのはようやく最近になって一般的になりましたが、以前はお茶はタダという認識がほとんどでした。
しかし、日本茶の生産や加工には熟練の技術や工夫が必要で、手間ひまとコストがものすごくかかっているものなのです。
お茶はタダ、ではありません。
それは誰かが我慢して成り立っていた悪しき習慣です。
神奈川県山北町の井上正文さんの茶畑にて(2021年5月撮影)。急斜面もある茶畑での茶摘みはかなりの重労働。新芽の伸び具合を見て晴れの日を選び茶摘みをします。
今は生産者が高齢化と後継ぎ不足でどんどん減る一方。
これでは将来日本でおいしいお茶が飲めなくなってしまう…。
「日本茶は人気があるから大丈夫でしょう?」と言われることが多いのですが、それは抹茶が人気だからそう思われているだけで、茶農家の数は減り続け、産業としても現実はとても厳しい状況にあります。
日本茶はもっと日本国内でも評価されるべき、日本の食と文化において大切な魅力の一つだと思います。
そして変えてはならない伝統的な部分と、時代に即して変えていく新しい試みの両軸が必要だと感じます。
まずはティーバッグでも良いので自分のスタイルで楽しんでみること。
難しい作法などは気にせず、もっと自由に楽しんでいいのです。
気負わず一歩足を踏み入れてみると、そこには無限の楽しみと魅力が広がっているかもしれません。
さ、お茶を一杯、いかがですか?
日本茶AWARD2024審査員奨励賞の京都「〇間」さんの「草片 九条葱」は静岡産和紅茶に京都産九条ネギ、マダガスカル産バニラの香りで意外なハーモニー。グッドデザイン賞受賞の360KYUSUで楽しむ。
日本茶ナビゲーター Tomoko
【お茶の世界の扉を開く日本茶ナビゲーター】 日本茶専門店で7年勤務、茶道歴25年の経験を活かし、大手百貨店や外国の大学等でのワークショップで国内外2,000名以上の方に日本茶の魅力を伝える。 美味しい日本茶とそれにまつわる伝統工芸品を後世にも繋いでいきたい、日本茶への愛と想いで日本茶情報を発信中。 日本茶の商品開発、カフェ・飲食店での日本茶コーディネートや淹れ方指導も行う。 NPO法人日本茶インストラクター協会認定日本茶インストラクター(2004年取得)。 日本語教師(外国人対象)。
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11月18日 YAHOO!JAPANニュース 華盛頓Webライター「【茶の歴史】皇帝もお茶を楽しんでいた!明や清の時代はどのようなお茶を飲んでいたの?
茶の歴史における明と清の時代を旅することは、茶葉の運命を語る壮大な物語に触れることです。
明代、太祖洪武帝は団茶、すなわち贅沢の象徴たる抹茶の進貢を廃止し、葉茶の時代を開いたのです。
労働を重んじる帝の性格がこの変革を促したといいますが、釜炒り法の導入が青臭さを和らげ、庶民の嗜好にも合致した結果と言えるでしょう。
清代に入ると、茶はさらに多様な物語を紡ぎます。
夏には龍井、冬には普洱茶が宮廷を潤し、乾隆帝の詩にもうかがえるように、茶は江南の風味を皇室にもたらしたのです。
普洱茶は玉泉山の水で煮られ、乳酪と共に楽しまれるという、まさに宮廷の粋が込められていました。
この中国茶の文化がヨーロッパに渡ると、そこには別の冒険が待ち受けます。
高価な緑茶の需要を背景に、18世紀には紅茶が脚光を浴び、福建の工夫茶がその象徴となったのです。
やがて産地は拡大し、安徽省では祁門紅茶が誕生します。烏龍茶も安渓を経て台湾へ広がり、その名を世界に知らしめました。
しかし、清の輝きもアヘン戦争を境に翳りを見せます。
広州一港政策が茶貿易を一手に収めた一方で、英国との摩擦は避けられませんでした。
輸出超過を補うべくアヘン密貿易が進み、戦争を招いた末に南京条約が締結されます。
英国は香港を拠点とし、中国の茶市場を支配しようと画策したのです。
そして最後に訪れた転機が、ロバート・フォーチュンの冒険です。
彼が中国の茶樹をインドへ移植したことで、インドやスリランカが新たな茶の中心地となり、中国茶は市場の王座を降りました。
こうして、茶の旅路は世界を巡りながら、今もなお人々を魅了し続けています。
参考文献
ビアトリス・ホーネガー著、平田紀之訳(2020)『茶の世界史』、白水社
華盛頓
Webライター
歴史能力検定2級の華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。
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11月18日 YAHOO!JAPANニュース 華盛頓Webライター「【茶の歴史】細々と飲まれ続けていた!朝鮮半島でお茶はどう飲まれていたの?
朝鮮半島における茶文化の歴史とは、まるで季節の風が吹き抜ける山野を想起させるものです。
伝説によれば、インドから首露王の妃である許黄玉が茶の種子を持ち込んだといいますが、歴史の舞台にその姿が明確に現れるのは、新羅時代。
興徳王の時代、大廉が唐から持ち帰り、智異山に植えた茶の種子がその始まりとされます。
しかし、朝鮮半島は冷涼で乾燥した気候ゆえ、茶の栽培には厳しい地でした。
茶は限られた量しか生産されず、その品質も芳しくありません。
宋の使節が記した『高麗図経』では「苦渋不可入口」と評されているほどです。
その一方、寺院では茶が儀礼として僧侶たちに用いられた形跡が残ります。
茶は信仰の道具であり、俗世の嗜好品としての役割は限定的であったようです。
しかし李氏朝鮮時代になると、儒教が仏教文化を排斥し、喫茶の風習も断絶したかに見えます。
しかしながら、一部の地方では茶の生産が続き、「天池団茶」や「青苔銭」と呼ばれる固形茶が王宮で贈答用に作られていました。
とはいえ、高品質の茶は中国から輸入されることが多かったのです。
李朝の庶民にとって、茶はさらに遠い存在でした。
焦げ飯を煮出した湯「スンニュン」が庶民の食卓を飾り、茶葉を煎じるような贅沢は望むべくもなかったのです。
また、「茶」という言葉そのものが木の根や果実を煎じた薬湯を指す場合もあり、今日我々が思い浮かべる茶とは隔たりがあります。
このように、茶文化の足跡は薄れがちであったものの、それでも細い糸のように続いていました。
末期には僧の草衣(意恂)が登場し、茶に関する著作を遺してさえいます。
『東茶頌』や『茶神伝』には、中国宋・明時代の影響が見られ、茶文化の灯火を守ろうとする姿勢が窺えるのです。
近代に入ると、日本や西洋からの影響を受ける中で、茶文化は民族主義と結びついて新たな姿を見せました。
朝鮮戦争後、草衣の流れを汲むと称する般若露茶礼が現代の韓国茶文化の基礎となったのです。
このように、朝鮮半島の茶の歴史は、波風のように消え入りそうでいて、時に強く蘇る、しなやかな生命力を持っています。
参考文献
ビアトリス・ホーネガー著、平田紀之訳(2020)『茶の世界史』、白水社
華盛頓
Webライター
歴史能力検定2級の華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。
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