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豊臣秀吉は、中世キリスト教会とイエズス会などの修道士会に対して日本人奴隷交易の禁止と明国征服に必要な武器弾薬の供給を要求した。
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弱肉強食の戦国時代日本には、中華儒教・キリスト教・マルクス主義・その他の各種価値観による現代的差別主義は存在しなかった。
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歴史的事実として、人類史・世界史・大陸史は差別主義と奴隷制度を認めていて日本の常識は世界では非常識であった。
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2023年6月5日 YAHOO!JAPANニュース「豊臣秀吉は、なぜ伴天連を追放しようとしたのか。納得の理由
渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
イエス・キリスト。(提供:アフロ)
大河ドラマ「どうする家康」では、ときどき姿を見せる豊臣秀吉がウケている。ところで、のちに秀吉は伴天連を追放したが、今回はその理由を考えてみよう。
大航海時代が訪れると、ヨーロッパ(特にポルトガル)は世界を貿易で席巻した。その際、セットでやって来たのがキリスト教の宣教師だった。一方で、彼らは貿易だけでなく、アジアやアフリカの人々を買うことがあった。人身売買である。
人身売買は、例外なく日本でも行われ、中でも寄港地の九州は悲惨な状況になっていた。ポルトガル商人は、日本人奴隷を買って船に積むと、容赦なくヨーロッパに連行していたのである。その事実は、豊臣秀吉の耳にも入っていた。
ポルトガル商人による人身売買の様子を克明に記したのが、秀吉の御伽衆だった大村由己の手になる『九州御動座記』である。そのうち重要なポイントを箇条書きにしてまとめておこう。
①伴天連(=宣教師)らがやって来て、わが国の諸宗を邪法(キリスト教)に引き入れようとしたこと。
②数百人の日本人を男女に拠らず買い取り、手足に鉄の鎖をつけ、船底へ押し込んだこと。
③ポルトガル人は牛馬を食すうえに、礼儀もなく畜生そのものだったこと。
④日本人がポルトガル人を真似て、親、子、妻女を売り飛ばすこと。
秀吉は①~④の現実を目の当たりにし、日本が外道の法になり、仏法も王法も捨て去されるのではないかと危惧した。その結果、秀吉は伴天連を追放しようと決意したのである。秀吉は同胞が奴隷として売買され、日本の伝統が失われることを恐れたのである。
こうして秀吉の手によって、天正15年(1587)に発布されたのが、かの有名な伴天連追放令だ。秀吉はキリスト教を禁止したというよりも、宣教師を日本から追放しようとしたのである。つまり、いささか不徹底な側面があった。
不徹底になったのには、もちろん理由があった。貿易とキリスト教の布教はセットなので、キリスト教を禁止すると、貿易もできなくなる。そこで、秀吉は中途半端な対応で、お茶を濁そうとしたのだが、その後も努力を続けたのである。
記事に関する報告
渡邊大門
株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校講師。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社、『戦国大名の戦さ事情』柏書房など多数。
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中世キリスト教会とイエズス会などの修道士会が、神の御名と教会の権威で日本人奴隷交易を禁止し、異教徒の奴隷日本人を解放するする為にキリシタンへと改宗させ自由人にしようとしたのは、奴隷貿易が絶対神の福音と隣人愛信仰に背く非人道的犯罪だと認めたからではなく、明国(中国)を軍事占領してキリスト教国に生まれ変わらせる為に、豊臣秀吉の家臣団である数十万人の日本武士を悪用しようとした。
アフリカ人奴隷、インディアンやインディオの虐殺を見れば、中世キリスト教会とイエズス会などの修道士会が秘めているどす黒い本心が分かる。
つまり、日本人奴隷交易禁止と異教徒の奴隷日本人解放は中世キリスト教会とイエズス会などの修道士会の善意ではなかった。
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現代日本人には、民族的な歴史力・伝統力・文化力・宗教力がない為に、過去に現実に起きていた事実を読み解き理解する事ができない。
特に、リベラル左派である超エリート層と言われる高学歴の政治的エリートと進歩的インテリ達である。
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