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豊臣秀吉は、朝鮮に出兵する諸大名・武士に対して、朝鮮での乱取りを禁止した。
日本国内の戦場で乱取りを行っていたのは、戦う武士ではなく、戦わない庶民であった。
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2025年3月20日 YAHOO!JAPANニュース 歴史プレゼンター「海外へ売り飛ばされた日本の少年少女…戦国時代のヤバい奴隷事情
常泉寺 豊臣秀吉の石像
戦国時代全盛期、戦争の影響で戦争孤児が続出しました。
身寄りのない彼らは奴隷商に引き取られ、さまざまな用途で取引されたといいます。
今回は、そんな奴隷売買の撲滅に奔走した英雄「豊臣秀吉」の活躍について紹介しましょう。
※本記事の内容は様々な方に魅力を感じていただけるよう、筆者が足を運んだ歴史スポットとともに史実を大筋にした「諸説あり・省略あり」でお届けしています。
・戦争孤児と奴隷
岐阜市歴史博物館 展示資料
16世紀、鹿児島県に宣教師フランシスコ=ザビエルが上陸します。
以降、時の権力者・織田信長は宣教師を保護し、国内布教を容認しました。
南蛮貿易の活性化や宣教師が持ち込む西欧技術・文化を日本に取り込む意図があったとされています。
そんな当時は、全国で大小様々な戦争が頻発した戦国時代全盛期。成り上がりで栄光を掴んだ者が多くいた一方、両親・親族を失い天涯孤独となった「戦争孤児」も増加しました。
行き場をなくした戦争孤児は戦場跡の遺品漁りにきた悪党に捕まり、奴隷として売られるケースがほとんど。とくに南蛮貿易が栄えた当時は奴隷として南蛮商人に引き渡され、海外へ売り飛ばされることも珍しくありませんでした。
九州御動座記には「日本人数百人が手足を鎖で縛られたまま南蛮船の船底に詰められる様子は地獄そのものだった」と記されています。
・伴天連追放令と奴隷解放
岐阜市歴史博物館 展示資料
織田信長の没後、信長の意思を継いだ豊臣秀吉は宣教師を保護し、キリスト教の布教を容認しました。
しかし、ポルトガル商人が日本人の戦争孤児を売買していることを知ると、宣教師を追放する「伴天連追放令」を発令します。
真の目的はキリスト教勢力の解体にありましたが、一部には日本人奴隷の解放も含まれていました。
その後、豊臣秀吉は国外へ売り飛ばされた日本人奴隷をできる限り買い戻し、人身売買に関わった盗賊や人さらい、キリスト教を信仰する大名「キリシタン大名」を次々に摘発したのです。
常泉寺 豊臣秀吉の石像
実は、豊臣秀吉は戦争で両親を亡くした戦争孤児。そのため、同じ境遇をもつ少年少女を憐れむ気持ちが少なからずあったのかもしれません。
そんな豊臣秀吉の幼少期に関する記録が残された数少ない場所が、愛知県名古屋市中村区にある「常泉寺」です。
常泉寺看板
豊臣秀吉の人生を偲びながら、訪れてみてください。
山内琉夢
歴史プレゼンター
歴史ライターとしての活動経験を持ち、今までに32都府県の歴史スポットを巡ってきました。実際に現地へ行くのが難しい方に向けて、取材した歴史スポットについて紹介します。また、歴史に興味をもったことがなかった方にも楽しんでいただけるよう、歴史偉人の意外な一面や好きな食事・おやつの紹介など、ワクワクするような内容をお届したいです。
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GHQは、日本を正当化する日本の歴史を否定し抹消するべく左派・右派の敗戦利得者を総動員し、戦後民主主義教育における新たな歴史教育を始めた。それが、現代の歴史教育である。
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キリスト教の日本伝来とは、中世キリスト教会・イエズス会伝道所群による日本に対する宗教侵略であり、白人キリスト教徒商人による日本人を商品とする国際的商取引の開始である。
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豊臣秀吉とは、韓国・朝鮮では凶悪な侵略者・犯罪者であったが、日本では日本人を世界的奴隷からの解放した英雄である。
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日本のエセ保守やリベラル左派による「正義」の歴史教育では、豊臣秀吉は朝鮮を侵略した歴史的戦争犯罪者として子供達に教えている。現代の歴史教育は、嘘である。
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