⛩39)─2─日本民族とマレビト神の托卵。〜No.88No.89No90 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本人が好きな『源氏物語』は究極の「托卵」文学である。
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 現代の日本人と昔の日本人とは、別人に近い日本人である。
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 2019年10月号 WiLL「性相夜話  下川耿史
 古代に処女なし? (2)
 前号で、第15代応神天皇が皇太子の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)に髪長媛(かみながひめ)という絶世の美女とともに、一首の歌を贈ったというエピソードを紹介した。歌の意味は、
 『世の中からすっかり処女がいなくなったが、日向国({ひゆうがのくに}現宮崎県)から珍しいことに絶世の美女で、しかも処女が献上されてきたから、お前にプレゼントしよう』
 というものであった。
 父親からの贈り物に対して、皇太子からも歌を返してきた。そこには『処女だとの事でしたが、ちゃんと男を知ってましたよ』と記されていたという。
 ところで『古代に処女なし』とは穏やかならぬ話だが、どうしてそのような事態に立ち至ったのか、柳田國男と並ぶ民俗学の泰斗とされる折口信夫は『古代研究』の『国文学篇』と『民俗学編一、二』において、その事情を説明している。
 折口によれば、まず挙げるべきは、この欄でもしばしば取り上げてきた『歌垣(うたがき)』の存在であった。歌垣は多くの人々の楽しみであり、男女が性的な駆け引きを習得する最高の訓練場だった。
 それによって和歌の世界も飛躍的に発展したが、『何よりも多くの人の性的な仰望(ぎょうぼう)を叶えることが可能になった』という。つまり歌垣の流行は、女性の性的な経験に大いに貢献したというわけである。
 第二に彼が注視したのは、『まれびと』の存在であった。『まれびと』とは文字通り『まれに来る』であり、後の世になるとお客のことを『まろうど』と呼ぶようになったのも、『まれびと』の変化したものである。
 では『まれびと』とは誰のことか?『国文学の発生』の中で彼は、『私の考へるまれびとの原の姿を言へば、神であった』と述べている。
 折口は、信仰という概念から神、天皇への移行、さらにはそこに庶民の存在を加味した古代天皇制の構成について、素朴と言っていいほどピュアな人間関係をイメージしていた。彼によれば、神が村人のもとを訪れるのがで『おとずれ』あり、姿の見えない神は風の音なおで来訪を告げたのだという。
 一方、村人の側では来訪者を遇するために、その家の処女か妻の一人か双方が残り、男どもは姿を見せないのが習わしだった。もちろん夜の相手をするのもどちらかであり、これが『一夜妻』の始まりであった。
 となると、折口のいう『おとずれ』とか『一夜妻』と呼ばれるものは、これまで何度も触れてきた『夜這い』と同じものであるようにも想像される。折口は『国文学の発生』の中で、『まれびと』のことを『一時的光来者』と呼んでいるが、この言葉も権力者を想像させるし、ピュアとは程遠いような関係のように筆者には映る。
 ただし折口によれば、『光来者』が権力者であることは確かだが、社会的に地位が高いだけでなく、精神的な輝きをも有する人であった。古代の天皇制では、庶民と天皇はその輝きを持って結ばれ、『おとずれ』を歓迎した。その結果、妻か娘が夜を共にすることが定着したのであるという。
 では『まれびと』を遇するのに、どうして妻か娘が応対したのか?こういう場合は娘が相手をすることが常識なのではないだろうか?
 その点について折口は、『ある頃から人妻もある条件のもとで娘とみなされるようになった』と述べている。
 なぜそのような習俗ができたのかについて折口は何も記していないが、そういう習わしが成立していたとすればその要因の一つとして、古代のこじんまりした社会では天皇が新しい女と関係したいと願っても、すべての女性に相手をさせたために対象となる女性がもはやいなかった、ということは考えられないだろうか。
 つまり、処女が払底していたため、人妻に対して娘と同等の資格を与えることが必要だったのである。
 折口は別の書で『采女(うねめ)』の制度にも言及している。『采女』とは全国から美女を推薦させて、食事の際の配膳など身のまわりの世話をさせようというもので、身のまわりの世話といいつつ、天皇の側室という含みであることはいうまでもなかった。
 これも処女払底の時代に、その供給地を地方に求めた施策であり、奈良時代以前の飛鳥時代にスタートし、定員は60~90人とされていたが、地方から送り込まれる女性はそれをはるかに超えたため、朝廷の下級職員の地位に押し留められたという。
 こうなると、折口が古代天皇制について主張しているピュアな人間関係というイメージが、いささか子どもじみて感じられる。彼の学識のスケールの大きさと、主張の稚拙さの落差に、こちらが戸惑うほどである。
 処女のいなくなった古代社会を、『それはピュアな結びつきのせいだ』と、後世の折口が懸命に弁解しているように筆者には映るのだが、どうだろう?」
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 鷹が鷹を産むとは限らず、鳶を産む事がある。
 鳶は鳶を産むが、時折、偶然に鷹を産む事がある。
 鳶が産んだ鷹は、鷹が産んだ鷹より優れている。
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 歌舞伎役者など芸能の民は、世襲制として、歌舞伎役者の子は歌舞伎役者となり、親が歌舞伎役者でなければ歌舞伎役者には成れない。
 武士の子は武士になる事が多いが、庶民(百姓や町人)でも武士になる事ができる。
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 知らぬが仏。
 知らないのは夫・男ばかり。
 女・妻は強かである。
 昔の日本社会は、仕事しかできない思慮浅いバカな夫・男と何でもこなす思慮深い賢い妻・女で動いてきた。
 亭主は「関白」だが、妻はその上の「山の神」である。
 カカァ天下こそが、世の為人の為、家庭の平和の為である。
 山の神は、鈴虫やカマキリやタガメの如く、メスはオスを食らって卵を産んで子どもを殖やし子孫を残す。
 夫・男は、その贄(にえ)であるがゆえに大事にされた。
 日本男子は、しょせん、表六玉、ダメ亭主に過ぎず、最後は妻から見捨てられ、子供に嫌われ煙たがれ除け者のされる。
 日本男子は「惜しまれるうちが華」である。
 日本男子の生き甲斐は「惜しまれる華」に徹しきる事である。
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 現代日本では、内縁の男が血が繋がらない女の連れ子を躾と称していたぶり殺す陰惨な児童虐待殺人事件が増えている。
 女は、内縁の男の暴力から逃げる為に我が子を犠牲にするケースが多い。
 父親・母親に関係なく、血の繋がった実の子供をストレス発散など感情にまかせていたぶり殺す親も増えてきている。
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 2019年8月29日号 週刊文春「臆病者のための楽しい人生100年計画 橘玲
 (17) 性愛編 父子をめぐる残酷な事実
 科学的に正しいことが、常に感情的に受け入れられるわけではない。17世紀に地動説を説くことは神への冒瀆とされ、ガリレオは裁判にかけられた。
 今回は、すべての男性にとって(おそらく大半の女性にとっても)知りたくなかったデータを紹介したい。ただでさえ蒸し暑い夏の夜をさらに不愉快にするかもしれないことを最初にお断りしておく。
 あなたは、自分の子どもがほんとうに自分の子どもであることに、どの程度確信をもっているだろうか?
 この問いを、母親はバカバカしいと一笑にふすだろう。病院で新生児を取り違えでもしないかぎり、自分が産んだ子どもが生物学的な意味での『実子』であることに疑問の余地はない。
 だが父親にとって、これはきわめて深刻な問いだ。
 DNA鑑定のなかった時代には、生物学的な親子関係は外見から類推するしかなかった。もしかしたら、自分とはなんの遺伝的関係もない、赤の他人の子どもを一生懸命育てているのかもしれないのだ。
 もしこれがかんたんにできるのなら、モテる男は既婚の女と浮気して、自分の遺伝子を受け継いだ子どもを、妻を寝取られたあわれな夫に育てさせればいい。
 カッコウは自分で子どもを育てず、他の鳥の巣に托卵する。短期間で孵化(ふか)したカッコウの雛は、まわりの卵や雛を巣の外に押し出し、仮親からの給餌(きゅうじ)で成長する。『利己的な遺伝子』はきわめて狡猾なので、遺伝子を複製するわずかなチャンスがあれば、それをぜったいに見逃さないのだ。
 社会的な動物でもチンパンジーのような乱交型なら、父親は子育てをしまいから、血がつながっているかどうかに関心をもつ理由はない。だが一夫一妻型では、父親は子どもにさまざまな資源(リソース)を投入するのだから、『托卵戦略』は大問題になる。
 処女を珍重したり、思春期を迎えた女性の顔にヴェールをかぶせたり、クリトリスなど女性器の一部を切除したり、貞操帯で性行為ができないようにするのは、『托卵』への文化的な防衛策だと考えることができる(女性にとっては迷惑千万な話だが)。
 ここで、『そんなのは男の被害妄想だ』と考えるひともいるにちがいない。どちらが正しいかは、人間集団でどの程度『托卵』が行われているかを調べてみなければならない。
 こうした調査は、欧米を中心にじつはかなり行われている。
 左頁の図①表は、世界じゅうの実子判定調査を集めたものだ。実際には67の研究がリスト化されているが、サンプル数1,000以上のものだけを選んだ。
 統計学的には父子をランダムにサンプリングしてDNA鑑定すればいいのだが、現実にはそのようなことはできないから、自主的に実子判定したひとたちを対象にするしかない。
 どんなときに、自分と子どものDNAを照合しようと思うだろうか?
 ひとつは、集団遺伝学の研究に協力したり、自分の家系を遺伝的に遡りたいケース。父親と母親は正式に結婚・同居しており、子どもとのあいだに生物学的なつながりがあることを疑っていないひとたちで、『実子であることを確信している』グループになる。
 もうひとつは、生物学的な意味での父親であるかどうかに不安を抱いているケース。こちらは同棲や内縁関係だったり、両親が離婚していることも多い。『実子であることを疑っている』グループだ。
 当然のことながら、『実子であることを確信している』グループで『托卵』は少ない。それでも、1~4%程度は父子のあいだに遺伝的な関係がなかった。
 この表には加えなかったが、1980年にフランスで行われた調査では、『実子だと信じていたのに裏切られた』割合が6.9~9.4%もあった。アマゾンに暮らすヤノマミ族は9.1%、アメリカ・ミシガン州の黒人は10.1%、1999年のメキシコの調査で11.8%とのデータもある。
 これも当然ながら、『実子であることを疑っている』グループでは、父子が遺伝的につながっていない割合は17~40%と大きく跳ね上がる(養子などで血縁がないことが明らかな場合は検査を受けないだろうから、ここには含まれていない)。
 この表には加えなかったが、1996年に行われたアメリカ・イリノイ州の調査で53%、63年のスウェーデンで55%、53年のアメリカで55.6%と、検査を受けた半数以上が実子でなかったケースが3件あった。
 古い調査は信頼性が低く、最近のDNA鑑定はきわめて精度が高いが、リストでは調査実施年による偏りは見られない。
 上の図表②はこの結果を北米(アメリカ・カナダ)、ヨーロッパ、その他の地域に分けたものだが、実子であると確信していてもいなくても地域差はほとんどな。『その他の地域』は中南米、アフリカ、イスラエル、インドで、日本など東アジアのデータは含まれていない。
 この『事実』をどう考えればいいだろうか?
 『托卵』の確率
 あなたが父子関係に疑いをもっていないなら、平均すれば98%の確率で安心できる。逆にいえば、2%は『托卵』されている父親がいる。
 逆に妻の不貞を疑っているのなら、平均すれば3割の確率でその不安は現実のものとなる。しかし逆にいえば7割は杞憂なのだから、思い切って調べてみた方がいいかもしれない。
 こうした研究結果を総合すると、父親が血のつながらない子どもを『誤って』育てているケースはどの程度あるのだろうか。これはあくまでも推計だが、研究者は10%前後ではないかと見積もっている。遺伝病を調べるために行われた調査では、10%の子どもが法的な父親と遺伝的なつながりがないとの結果が出たこともある。
 このように考えると、なぜ(ほぼ)すべての社会でこの事実が隠蔽されてきたかがわかる。
 夏祭りで10組の家族連れを見たとすると、10人の父親のうち1人は他人の子どもを知らずに育てている。地域の子どもたちを集めた公立学校では、40人学級のうち平均して4人の子どもが戸籍上の父親と生物学的な父親がちがう(しかも、そのことを知らない)。
 あなたは、この『残酷な事実』に耐えられるだろうか。
 ちなみに、いまでは簡易版のDNA親子鑑定キットが1万5,000円ほどでネットで買える(説明文には精度99.99%とある)。専門機関での親子鑑定ですら3万円程度だ。
 いずれ私たちの社会が、この『不愉快な問題』を突きつけられるのは避けられないだろう」
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 9月5日号 週刊文春「臆病者のための楽しい人生100年計画 橘玲
 (18) 性愛編 ヒトにも発情期は残っている?
 父親の10人に1人は他人の子どもを知らずに育てているらしい──というのが前回の話だった。『ということは、10人のうち9人はちゃんと自分の子どもなんだから、べつに問題ないでしょう』という鷹揚なひとはたぶんいないだろう。
 なぜこんなことになるのか。それを、女性の魅力から考えてみたい。
 哺乳類にははっきりとした発情期がある。ヒトと99%の遺伝子が同じチンパンジーは、妊娠できる排卵の時期には性皮と呼ばれるお尻の部分がピンク色に膨れ上がり、そのサインに興奮して集まってきたオスから、高順位(アルファやベータ)の相手を選り好みして交尾する。チンパンジーは乱交だが、オスが競争しメスが選択するという性愛の構図はヒトと同じだ。
 これまでの進化人類学では、ヒトはチンパンジーボノボの祖先と分かれてから、発情期を失った(隠すようになった)とされている。たしかに、外見から女性の月経周期を知ることは不可能だ。
 だが2000年代になった頃から、『ヒトにも発情期が残っているのではないか』との研究が続々と出てくるようになった。
 発情期の『見える化
 これまでの通説では、ヒトの発情期は隠されているとされてきた。だとしたら、進化の過程で隠蔽したはずのものが、女性ホルモンのレベルが上がるとともに『こぼれ出て』、それが男性を引きつけるのだろう。
 それとも、この『発情期』にはもっと明確な目的があるのかもしれない。
 これが正しいかはまだわからないものの、論文の著者たちは、『目的』があるとしたら、それはよりよい遺伝子を持つ男(アルファ)の子どもを産むためではないかとする。妊娠しやすい排卵期の前後に冒険的になり、バーやクラブで挑発的に振る舞えば、魅力的な男が寄ってくるだろう。
 排卵期の女性が浮気してアルファの男の子どもを産み、その子を長期的な関係をもつ男=夫の資源(リソース)を使って養育している。──これなら、『10人の父親のうち1人が他人の子どもを知らずに育てている』ことが説明できる。
 しかし、そんなことがほんとうに起きているのか。この怖い話の続きは次号で。」
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 船乗りは、船乗り仲間が海で遭難して死亡するとその家族を皆で助け、男の子は一人前の船乗りにするべく協力して育て鍛えた。
 船乗りは、同じ船に乗る仲間として一蓮托生の運命共同体であった。
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 日本の家制度では、我が子や血の繋がった遠縁の子はもちろん血が繋がらない子でも優秀であれば養子に迎え、我が子として大金を使って育て、成人すれば家財産を継がせた。
 日本における出世とは、血・血筋の出世ではなく、家・家名の出世であった。
 家・家名の出世の為ならば、血・血筋を絶やす事も厭わなかった。
 日本における家系図・系譜とは、朝鮮や中国とは違って血・血筋の系図ではなかった。
 日本には、血縁や地縁を絶対視したり神聖視したりする意識は薄かった。
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 武士の世襲制とは、家系世襲制であって血筋世襲制ではない。
 武士における家を継ぐ資格とは、親子の血筋ではなく、武士としての品格・品位など人格である以上、実の我が子であっても最低限の人格を持たない者は家の為にならないとして勘当し親子の縁を切り家から追放した。
 できの悪い子を産み育てた事は、自分の不徳であり「ご先祖様に申し訳ない」。
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 日本民族日本人は、乱婚を繰り返して産まれた混血の雑種民族であり、乱婚とは托卵である。
 日本民族の托卵は、浮気・不倫・不義密通ではない。
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 儒教価値観に染まった江戸時代では、不義密通を働いた者は罪人として「非人」の身分に落とさ、不倫で生まれた子は罪人の子「穢多」として生きた。
 日本の賤民である非人や穢多はこうして量産され続けた。
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 縄文人は、女性を崇めていた。
 その証拠が土偶である。
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 日本民族日本人は、ローカルな民族宗教として死者・祖先が子孫の中に生まれ変わるという「甦り・蘇り」を信じ、死後の世界としての、グローバルな普遍宗教における神の王国としての「永遠の命を授かる天国」や御仏の「極楽浄土」を信じていなかった。
 甦り・蘇りは、復活・再生ではない。
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 日本民族日本人・琉球人・アイヌ人は、黄河文明人に滅ぼされた長江文明人の子孫である揚子江以南の山岳少数民族との共通点が多い。
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 日本民族日本人・琉球人・アイヌ人と漢族系中国人・朝鮮人とは、別系統・別種のアジア人である。
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 日本におけるムラの因襲では、男を知らない生娘・乙女は、年頃に達するとマレビト神(海の神=海の民)、天狗(山の神=山の民)、竜神(川・沼・池・湖などの水の神=川の民)への人身御供・生け贄・人柱として差し出された。
 海の民・山の民・川の民は、後世の部落民の祖先である。
 彼らは、荒ぶる神(荒魂)と生きる特殊能力を持った異形の民である。
 郷の民・ムラ人が異形の民を差別し遠ざけたのは、異形の民が持つ特殊能力であった。
 異形の民の特殊能力とは、穢れである血に「染まり」、死に「塗れ」ても平然と生きていられる、底知れない・計り知れない・伺い知れない生命力である。
 日本民族部落民への差別は、人種差別・人間差別・職業差別が原因ではなく、穢れである「血と死」を怖れない生命力であった。
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 郷の民・ムラ人は、和みの神(和魂)を祀り、荒ぶる神(荒魂)を怖れて敬い奉った。
 和みの神(和魂)と荒ぶる神(荒魂)は同一神(同一魂)で、絶対神と悪魔・魔物といった対立する別物ではない。
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 平安時代において、貧しい家庭では夫婦は同居したが高貴な貴族は同居せず、夫は妻の実家を訪れる通い婚が当たり前であった。
 そして、相続権は男性ではなく女性にあった。
 何故なら、子供の親を知っているのは夫ではなく妻だからである。
 血の繋がりは、男より女の方が濃く強かった。
 だが、組織において出世できるかどうかは父親の位しだいであった。
 社会は男社会であったが、家庭では女社会であった。
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 日本各地の神社仏閣に残る宵宮・夜祭りは、生娘・処女は着飾って出かけ暗闇に消えた。
 宵宮や夜祭りは、不純な性行為ではないし、邪にして淫乱な不倫ではないく、清廉潔白にして神聖な神事であった。
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 日本各地には子が授かるという子宝の湯が数多くあり、子供が欲しい人妻は湯湯治する事で子供を授かり、夫は授かった子供を我が子として育てた。
 その子供が誰の子であるかは、人妻だけが知り、夫は知らなかった。
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 地方には、「夜這い」という風習があった。
 夜這いするのは、天狗や竜神であった。
 時折、天狗の子を宿す人妻がいたが、家族は詮索する事なく授かった子として大事に育てた。
 何故か、昔は乳幼児死亡率が高く、女性も出産によって命を落とす事が多かったからである。
 子どもを産む女性は、日本列島の中にいる女性しかいなかったからである。
 女性がいないからといって、朝鮮半島や中国大陸から強制連行・拉致したり、人身売買で購入する事もなかった。
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 女性が子どもを産むのであって、男性が子どもを産むのではない。
 男は生み殖やす事ができるが、女を健康的に育てる事は難しかった。
 女性が減る事は、ムラ・家・地域の存続を脅かした。
 日本の最高神は、女性神天照大神天皇家・皇室の祖先神)である。
 それ故に、日本民族日本人の男は、女性や子供の為に、女性や子供を守る為に、命を犠牲にした。
 命と肉体が死んでも、魂・霊魂は滅びない。
 それが、靖国神社である。
 敗戦後の日本では、焼け野原に数千人、数万人の戦争孤児が出現し、数千人が餓死していた。
 子供を戦争で失った親達の幾ばくから、戦争孤児を養子もしくは我が子として引き取って育てた。
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 日本民族日本人の乱婚とは、マレビト神・天狗・竜神に対する一夜妻である。
 そして、托卵として、マレビト神・天狗・竜神から子供を授かって育てた。
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 日本民族日本人にとって子供とは、神仏から授かる尊き存在であって、男と女による愛の結晶ではなかった。
 故に、子供の為ならば、日本民族日本人は命はもちろん全てのものを犠牲にした。
 たとえ死のうとも、それが子供ためならば後悔はせず喜んで命を差し出した。
 子供の喜び、笑顔、笑い声が、最上の宝であった。
 それ故に、凶悪な極悪非道な日本人でも子供を殺したり傷付ける事はなかった。
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 日本には、大陸におけるような生娘を好む「処女神話」は存在しない。
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 日本民族日本人が神の子孫というのは、「マレビト神の托卵」と言う事である。
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 日本民族日本人・琉球人・アイヌ人の祖先は、南方系海洋民の地を引く船乗りで、海で生活し海で死んだ。
 海は死者の国・常世に通じていた。
 マレビト神は、常世の住人であり、時折海の底の常世から陸の里村を訪れていた。
 海で夫を失った若い妻や恋人を海で失った娘達は、死者の国・常世から訪れるマレビト神から子供を授かった。
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 海の彼方から訪れるマレビト神は、西方の中国大陸や朝鮮半島からの渡来人や帰化人ではなく、東方や南方の常世から住人の事である。
 山に住む天狗も、渡来人や帰化人とは関係ない。
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 女系社会であるユダヤ民族は、母系型日本民族の托卵とは違う。
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