✨54)─1─昭和天皇とニクソン大統領のアラスカ会談。昭和46(1971)年9月26日~No.216No.217No.218 

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 日本人は、何度も昭和天皇の御聖断に助けられていた。
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 昭和天皇には、天皇の戦争責任はもちろん天皇戦争犯罪もない。
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 2013年3月7日日本経済新聞天皇の政治利用、日米綱引き 71年・米大統領会談
 日本は警戒、米は外交成果期待
 ニクソン米大統領が1971年の昭和天皇による初外遊時の会談を政治利用しようとしているとして、当時の福田赳夫外相(後に首相)が「迷惑千万」と強い不快感を示していたことが7日公開の外交文書で判明した。友好演出の舞台裏で、儀礼にとどまらない外交成果を期待する米側と、天皇利用を警戒する日本側が綱引きを演じた。
 同年の大統領の電撃的な中国訪問予告と金・ドル交換停止の「二つのニクソン・ショック」で日米関係はきしんだ。米側には関係改善を急ぐ思惑があったとみられる。
 会談は昭和天皇が欧州訪問の途中給油に立ち寄った米アラスカ州アンカレジに、大統領が出向く異例の形で71年9月26日に実現した。
 牛場信彦駐米大使は8月5日付極秘公電で本国に米側からの会談打診を伝え「昨今の日米関係は必ずしも明るくない。日米友好関係増進のため極めて時宜に適したもの」と受け入れを促した。
 外務省側は「(天皇から)喜んでお会いになる旨の御沙汰があった」と返信。「純粋に儀礼的なものとし、絶対に政治色を帯びさせないこと」とくぎを刺し、皇后同席を条件に挙げた。
 米側は両国外相らを交えた実務的な会談に多くの時間を割く案を提示。福田氏は9月20日付公電で「米側は(訪米が)お立ち寄りにすぎないことを忘れたかのごとき非常識な提案を行うありさまで、わが方としては迷惑千万だ」と漏らした。
 同時に「天皇、皇后、ニクソン夫妻4人の会談が主であるべきだ」と主張。外相らが長く同席すれば「陛下を政治会談に引き込もうとした印象を与えるのみで、米側にとっても望ましいことではない」と警告した。
 調整の結果、時間配分は4人の写真撮影と歓談15分、天皇と大統領2人だけの会談25分、外相ら合流後の会談10分とする折衷案で決着した。会談では翌年に控えたニクソン訪中が話題になったことが日本の元外交官らの証言で明らかになっているが、今回、内容は開示されなかった。〔共同〕
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 2025年2月13日7:00 YAHOO!JAPANニュース 時事通信ニクソン氏「訪中は平和のため」 昭和天皇「日米の友好不可欠」 政治利用巡り駆け引き・アラスカ会談〔深層探訪〕
 昭和天皇(左から2人目)と香淳皇后(左端)を迎えてあいさつするニクソン米大統領(中央)=1971年9月26日、米アラスカ州アンカレジ(時事通信フォト)
 1971年9月の昭和天皇ニクソン米大統領の会談は、日本の頭越しとなった同7月の訪中発表などを受け、日米関係が動揺する中で行われた。昭和天皇は敗戦からの日本の復興を可能にした「米国の寛大な援助」に感謝の意を伝え、日米友好が不可欠だと表明。ニクソン氏は天皇の「政治利用」に対する日本の警戒を尻目に、自身の訪中は「東アジアの平和の保障」に寄与すると説いた。(日米政府関係者の肩書は当時)
 ◇「イニシアチブ不可欠」
 「天皇、皇后両陛下がタラップ上にお出ましになった時、場内は一瞬興奮のるつぼと化した」「両陛下ご出発の際、極めて明瞭なオーロラが出現した」。外務省の担当官は、会談場所となった米アラスカ州アンカレジの歓迎ムードを公電で詳細に報告した。しかし、この高揚の裏で日米両政府は駆け引きを演じていた。
 【写真】昭和天皇ニクソン米大統領の会談内容を記録した米国家安全保障会議NSC)の覚書
 会談を巡る折衝は、米側の申し入れで始まった。ジョンソン国務次官は8月5日、牛場信彦駐米大使と面会し、ニクソン氏が欧州歴訪途上の昭和天皇をアラスカで出迎えたいと希望しており、実現すれば「日米関係のため何物にも勝る有益なことと考える」と伝えた。
 背景には、訪中発表でぎくしゃくした日米間の雰囲気を好転させると同時に、翌年に大統領選を控え外交で注目を集めたいというニクソン氏の思惑があった。米政府は日本への会談申し入れ直後の8月15日、ドルと金の交換停止も宣言。「ニクソン・ショック」と呼ばれた一連の政策転換は、折からの対米繊維交渉の難航と合わせ日本政府内に疑心暗鬼を生んだ。
 このためニクソン氏は昭和天皇との会談で、貿易面での日本との競争が「手に負えなくなることはないだろう」と語り、日本側の不安解消に努めた。訪中に関しては「平和を守るために中国本土との対話を始めることが今重要だ」と説明。「対話を開始するにはイニシアチブが不可欠だ」と自身の方針に理解を求めた。
 ◇政治利用「迷惑千万」
 日本に好意を示す「ジェスチャー」(ニクソン氏)として昭和天皇出迎えを大々的に宣伝しようとした米側とは対照的に、日本政府は当初「米側による接遇は何ら期待しておらず、日曜の夜遅いことでもあり、むしろ辞退したい」という立場だった。
 米政府の要望を受けて昭和天皇の「御沙汰」で会談が決まった後も、日本側は「絶対に政治色を帯びさせない」という決意で協議に当たった。昭和天皇に同行した福田赳夫外相は、同氏らを交えた会談時間を長くするよう米側が求めてきたことを「迷惑千万」と批判し、「天皇陛下を政治会談に引き込まんとしたとの印象を与える」と憤っている。
 昭和天皇は会談で、訪中に関するニクソン氏の詳しい説明を聞き「諸問題は簡単に解決しないだろう」と述べたが、それ以上は踏み込まなかった。会談に臨んだ昭和天皇の胸中を占めていたのは外交問題ではなく、敗戦後の日本を支援した米国民に「自分が直接お礼を言わなければいけないという気持ち」(通訳を務めた真崎秀樹氏)だった。
 近現代史研究家の波多野勝氏は「昭和天皇は20代から中国問題について聞いており、ニクソン氏と違い中国認識はかなり深い」と指摘。「それだけに『でもね』とでも言いたくなる気分を思わず表した態度ではないか。発言は政治性を伴っていたということになるかもしれないが、中国認識の違いが出たとも理解できる」と分析した。(時事)
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 昭和天皇は、親ユダヤ派、差別反対主義者、避戦平和主義者、原爆は非人道的大量虐殺兵器であるとして開発中止を厳命した反核兵器派、難民・被災者・弱者などを助ける人道貢献を求め続け、戦争には最後まで不同意を表明し、戦争が始まれば早期に講和して停戦する事を望むなど、人道貢献や平和貢献に努めた、勇気ある偉大な政治的国家元首・軍事的大元帥・宗教的祭祀王であって戦争犯罪者ではない。
 同時に、日本の歴史上最も命を狙われた天皇である。
 昭和天皇や皇族を惨殺しようとしたのは日本人の共産主義者無政府主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストであり、その裏にいたのがソ連中国共産党・国際的共産主義勢力、原理主義アメリカ・キリスト教会。
 昭和天皇は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本のマルキシズムボルシェビキ、ナチズム、ファシズムの攻撃・侵略から日本の国(国體・国柄)・民族・文化・伝統・宗教を守っていた。
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 昭和天皇「本土決戦を行えば、日本民族は滅びてしまう。そうなれば、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることができようか。自分の任務は祖先から受け継いだ日本を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本人に生き残ってもらいたい、その人たちが将来ふたたび立ち上がってもらう以外に、この日本を子孫に伝える方法はない。そのためなら、自分はどうなっても構わない」(1945年8月10日聖断)
 天皇にとって民(日本民族)は「大御宝(おおみたから)」である。
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 天皇の意思は「大御心(おおみこころ)」で、民は「大御宝(おおみたから)」として、天皇日本民族は信頼という硬い絆で結ばれていた。
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 2月11日15時37分配信 YAHOO!JAPANニュース 時事通信「米NSC文書全文 天皇ニクソン会談(1)
 覚書
 国家安全保障会議
 極秘/機微情報/閲覧のみ
 会談録
 参加者 大統領 日本国天皇 日本外務省 真崎秀樹大使(通訳) 在日アメリカ大使館 ジェームズ・J・ウィッケル氏(通訳)
 日時、場所 1971年9月26日午後10時、エルメンドルフ空軍基地、アラスカ州アンカレジ
 件名 大統領と日本国天皇の話し合い
 総領事公邸(原文ママ)に向かう車中、大統領は到着式で公式に天皇と皇后に示したばかりの温かな歓迎の意を個人としても表明し、天皇がこの歴史的な初の外遊で米国に初めて立ち寄ったことについて、全ての米国民が大統領の抱く喜びと光栄の念を共有していると述べた。
 天皇は、はるばるアラスカまで彼とその一行を迎えに来てくれた大統領とニクソン夫人、温かく迎えてくれたアラスカの人々に、深い個人的な感謝の意を表した。天皇は、アンカレジの気候が予想以上に暖かかったことに言及した。
 大統領は、この暖かい気温とアラスカの人々による温かい歓迎が、米日間の緊密な関係を特徴付けていると答えた。
 天皇は、今回の短い訪問が両国民の友好と親善の増進に寄与することへの希望を表明した。
 大統領は、1953年に天皇が副大統領であった自身とニクソン夫人を東京の皇居で迎えてくれたことを想起し、その時と、その後6回にわたる民間人としての訪日のたびに日本政府と国民は自身を温かく迎えてくれたと述べた。
 天皇は最初に会った時のことをよく覚えていると述べ、今回の訪問が両国間のさらなる親善に貢献することを希望すると繰り返した。
 大統領はまた、1953年にハワイで皇太子夫妻に短時間会ったことを思い起こし、先ごろホワイトハウス常陸宮夫妻を迎えたことに喜びを表した。大統領は、ニクソン夫人も2人とお茶を囲む機会を楽しんだと述べた。
 天皇は、先に皇太子夫妻を丁寧に迎えてくれたことと、大統領とニクソン夫人が先ごろ常陸宮夫妻を丁重にもてなしてくれたことに感謝の意を表した。常陸宮夫妻からは日本に帰国した際にその喜びを伝えられた。天皇は、両国間の相互親善に基づく友好関係が重要だという自身の考えを再び明らかにした。
 大統領はこれらが重要であることに同意し、天皇の訪問がその強化に寄与するとの考えを表明した。
 総領事公邸(原文ママ)で、大統領は、歴史的な、しかし短い初訪問への喜びに触れるとともに、天皇と皇后をワシントンで迎えられることを、また、そのような機会に天皇と皇后が米国をより多く見物できることを、自身と米国民は望んでいると述べた。
 天皇は、ワシントンを訪れ米国の一角以上を見ることができれば誠に光栄だと応じた。そうすることが望ましいと考えたのである。
 大統領の質問に答えて、天皇デンマーク、ベルギー、オランダ、フランス、英国、西ドイツ、スイス訪問という外遊日程について説明した。
 大統領は、世界の工業大国である米国と欧州の各国、そして経済大国である日本が、人類の利益のために多くの分野で協力すべきだと強調した。大統領はまた、宇宙に限らず科学・医学の他の分野におけるこのような協力を推進するための組織を設立し、どの国での発見であっても全ての国で共有できるようにしたいという希望を表明した。
 天皇は、これが価値ある好ましい目的であることに同意した。天皇は、第2次大戦の敗戦による荒廃からの日本の復興を可能にした米国の寛大な援助に感謝の意を表した。
 大統領は、日本の驚異的な経済成長には日本国民の勤勉さと創造力が大きく貢献し、これを見過ごすことはできないと述べた。大統領は、懸命に働く意欲がなければどんな援助も国を助けることはできないとの見解を示した。日本は国民の勤勉さのおかげで経済大国となったが、米国と日本は自由企業体制への専心という共通点を持ち、両国の競争関係にもかかわらず、国際問題に関しては同じような政策を支持し続けるだろうという考えを明らかにした。大統領は、両国は強力な経済を擁しており、当然競争を続けていくだろうと指摘すると同時に、しかし競争が手に負えなくなることはないだろうという確信も表明した。
 天皇は、両国が常に協力し続けることへの期待を表明した。
 大統領は、強力な近代工業国としての日本の役割は、平和を維持し、発展と進歩に貢献する上で極めて重要だとコメントした。大統領は、1969年11月に佐藤首相がワシントンを訪問した際、20世紀最後の3分の1の期間における東アジアと太平洋の平和は日本と米日関係によって決定されるとした自身の発言を想起した。大統領は、日本は太平洋の平和の要だと語ったことを想起した。
 天皇は、平和を維持するには日米間の緊密な友好関係を維持することが不可欠であることに同意した。
 大統領は、平和を守るために中国本土との対話を始めることが今重要であるとの考えを示した。この大きな国は、勤勉な人口を抱え、進歩を遂げており、いつまでもこのまま無視することはできない。そこで、大統領は対話を始めるために北京を訪問する予定であり、これは最終的には平和の保障に寄与すると期待している。
 天皇は「理論上は」この趣旨に同意することを表明したが、実際の諸問題はそう簡単には解決しないだろうと感情を込めて警告した。
 大統領は、現段階での訪問では必要な対話を開始する以外のことは恐らく達成できないということに同意し、かつ大統領は中国が一夜にして変わるとは期待していなかった。しかし、どんなに時間がかかろうとも、平和を維持するための最良の希望である対話を開始するには、自身のイニシアチブが不可欠であると強調した。
 大統領は天皇に対し、訪中が米国と日本との関係を犠牲にするものではないと保証した。自由企業の原則を共有する二つの強力な国家が、中国本土との間でお互いが持つだろう関係よりはるかに多くの共通点を有していることは明らかであり、貿易面ですら米日関係と米中・日中関係を比べてみれば、両国がいかに緊密であるか、そして今後もそうあり続けるだろうことを示していると指摘した。
 天皇は、日本と米国との関係が維持され、強化されることを望んでいると表明した。
 天皇は初めて月面を歩いたアポロ宇宙飛行士たちとの面会を想起し、彼らの科学的功績に高い敬意を表した。天皇は、その後の飛行が人類の科学的知識の深化に貢献し、直近のアポロ乗組員が最も意義深い月の石のサンプルの一群を携えて地球に帰還したことは、月の起源に関する人類の理解に大きく貢献すると考えていると述べた。
 大統領は、天皇の関心に感謝の意を表し、宇宙探査に対する日本の関心と活動が高まっているとの報告に言及した。大統領は、このような偉大な事業は創造的な協力の絶好の機会を提供すると述べた。
 大統領は、天皇による海洋生物学の研究と、これについて天皇が執筆した著書に言及した。
 天皇は、幸運にも海洋生物学に対する自身の関心追求に時間を割くことができ、これに基づいてヒドロ虫類に関するささやかな研究を公刊したと述べた。
 大統領は、日本が大きな進歩を達成しつつある海洋資源の開発は、世界の主要工業国の間で実りある協力ができるもう一つの分野であるとの考えを示した。
 天皇は、それがそのような協力にふさわしい分野であることに同意したが、陸上のように海洋環境が開発によって汚染されることがないよう望むと表明した。
 大統領は公害を避けるべきであることに同意し、環境問題に対処するため両国は建設的に協力して取り組んでいるとの見解を示した。
 (ロジャーズ長官、福田外務大臣をはじめとする両国の一行がここで大統領と天皇に再び合流し、紹介された。数名のメンバーが、天皇コペンハーゲンのチボリを訪問するよう提案した。)
 第5格納庫に戻る車中で、天皇は、大統領とニクソン夫人がアンカレジまで足を運び自身と一行を迎えてくれたこと、また大変多くの人が夜遅くまで起きて式典に参加してくれたことに、改めて感謝の意を表した。天皇は、特に沿道の子供たちや腕に抱かれた乳児の姿に注目した。
 大統領は儀仗(ぎじょう)隊中の数人の白ずくめのスキー兵に天皇の注意を促し、2人はそれぞれの国でのスキー人気について語り合った。
 大統領は、天皇がアラスカを訪問したことに感謝の意を表し、天皇と一行の欧州への旅が大変楽しく成功するものとなり、無事に帰国することを祈念した。
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 2月11日07時25分配信 YAHOO!JAPANニュース 時事通信ニクソン訪中に否定的見解 昭和天皇「問題解決、容易でない」―初外遊アラスカ会談、全容判明
 歓迎式典であいさつする昭和天皇(左から2人目)。左端は香淳皇后、右はニクソン大統領夫妻=1971年9月26日、米アラスカ州アンカレジ(時事通信フォト)
 昭和天皇ニクソン米大統領の会談内容を記録した米国家安全保障会議(NSC)の覚書
 【図解】米アラスカ州アンカレジ
 昭和天皇が1971年9月、在位中初の外遊となった欧州7カ国歴訪に当たり給油のため立ち寄った米アラスカ州アンカレジで、ニクソン大統領と会談した際のやりとりの全容が10日、判明した。ニクソン氏が翌72年5月までに行う予定だった自身の中国訪問の意義を強調したのに対し、昭和天皇は「実際の諸問題はそう簡単には解決しないだろう」と述べ、否定的反応を示していた。(肩書は当時)
 昭和天皇のワシントン訪問要請 「米国をより多く見て」―ニクソン大統領
 ニクソン大統領図書館(米カリフォルニア州)が、会談内容をまとめた米国家安全保障会議(NSC)の覚書の機密指定を解除し、公開した。2人の会談の詳細が公文書で明らかになるのは初めて。
 ニクソン氏は訪中という日米関係に重大な影響を与える懸案について説明し、昭和天皇も台湾問題などを念頭に自らの立場を示唆していたことになる。天皇の「政治からの隔離」を原則とする象徴天皇制下の皇室外交の在り方を巡る議論に、一石を投じる史料と言えそうだ。
 覚書によると、ニクソン氏は中国に関し「勤勉な人口を抱え、進歩を遂げており、いつまでもこのまま無視することはできない。対話を始めるために北京を訪問する予定だ」と伝達。訪中は東アジアの平和維持のために重要だと指摘した。
 覚書は昭和天皇の返答について「『理論上は』趣旨に同意することを表明したが、実際の諸問題はそう簡単には解決しないだろうと感情を込めて警告した(cautioned with animation)」と記した。
 これを受けニクソン氏は「訪中は米国と日本の関係を犠牲にするものではない」と確約。昭和天皇は「米国との関係が強化されることを望んでいる」と応じた。訪中は72年2月に実現した。
 会談は現地時間の71年9月26日夜、アラスカ州アンカレジのエルメンドルフ空軍基地で行われた。これまでに公開された別の外交文書などによれば、昭和天皇ニクソン氏は基地内の司令官公邸で約20分間、通訳だけを伴い会話を交わした。昭和天皇のアラスカ滞在時間は2時間に満たず、この後最初の訪問先であるデンマークに向かった。
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 2月11日07時26分配信 YAHOO!JAPANニュース 時事通信昭和天皇のワシントン訪問要請 「米国をより多く見て」―ニクソン大統領
 1971年9月に米アラスカ州で行われた昭和天皇ニクソン大統領の会談で、ニクソン氏は将来首都ワシントンを訪れてほしいと天皇に伝えていた。昭和天皇は確約を避けつつ、首都を訪問できれば「光栄だ」と述べた。(日米政府関係者の肩書は当時)
 原点から「非政治性」課題 天皇ニクソン会談
 会談内容を記録した米国家安全保障会議(NSC)の覚書によると、ニクソン氏は「天皇、皇后をワシントンで迎えられることを、また、そのような機会に天皇、皇后が米国をより多く見物できることを、自身(ニクソン氏)と米国民は望んでいる」と語った。昭和天皇は「ワシントンを訪れ米国の一角以上を見ることができれば誠に光栄だ」と応じた。
 成城大の森暢平教授の研究によれば、佐藤栄作首相はこれより先の71年7月に米AP通信会長と面会し、「来年以降近い機会」に昭和天皇が訪米し、その後ニクソン氏が来日することを希望すると発言。ホワイトハウスはこれに注目していた。ただ、ワシントンを含む昭和天皇香淳皇后の米国訪問の実現はニクソン政権期ではなく、フォード政権下の75年にずれ込んだ。
 アラスカ会談ではまた、昭和天皇が、人類初の月面着陸に成功し、外国人で初めて文化勲章を授与されたニール・アームストロング氏らと69年に面会した経験に言及。「月の起源に関する人類の理解に大きく貢献する」と偉業をたたえた。
 このほか、ニクソン氏が昭和天皇の海洋生物研究に触れ、海洋資源開発で主要各国は協力できると水を向けると、昭和天皇は「陸上のように海洋環境が開発によって汚染されることがないよう望む」と懸念を口にした。
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 2月11日07時30分配信 YAHOO!JAPANニュース 時事通信「原点から「非政治性」課題 天皇ニクソン会談
 昭和天皇が米アラスカ州ニクソン大統領と行った会談で、ニクソン氏から中国訪問について詳しく説明を受けていたことが米側文書で裏付けられた。突然の訪中発表により生じた日本との緊張を緩和する必要性を同氏が強く意識していたことを示すと同時に、皇室外交の柱である天皇外遊が原点の時点で「非政治性」の確保という課題を抱えていた実態が浮き彫りになった。
 「国民の代弁者」の役割 天皇ニクソン会談・識者談話
 キッシンジャー大統領補佐官(国家安全保障担当)は会談に備え、「天皇は戦後憲法の下で国民統合の象徴と定められており、政府の法的権限を一切持たない」と指摘する文書を起草していた。同氏が文書中で会談で採り上げるべき内容としてニクソン氏に提案した6項目に、訪中の説明は含まれていなかった。
 しかし、会談の席でニクソン氏は一定の時間を割いて訪中に関し語り、昭和天皇も日米関係を維持することが重要だなどとコメントした。ニクソン氏にとっては、「象徴天皇」という日本に特有の制度への配慮より、日本側の対米不信を和らげ、良好な2国間関係をアピールするという政治的目的の方が重要だった。
 会談が禍根を残したというわけではない。昭和天皇は米国の援助に日本国民を代表して感謝の意を表し、日米友好を印象付けた。その後の欧州歴訪では、第2次大戦で敵国だった日本への反感が残る英国とオランダで抗議活動に直面したものの、文化平和国家・日本というイメージを国際社会に広めた。課題をはらみつつも、皇室外交の意義は小さくない。
 今回の米側の文書開示を巡っては、日本側の対応の不明瞭さも指摘すべきだろう。
 昭和天皇の通訳を務めた真崎秀樹氏は1992年の著書で会談の概要を紹介し、「陛下も『まだまだ米中間には難しい問題がたくさん残っていることでしょう』というような意味のことを言われた」と証言している。だが、宮内庁編さんの「昭和天皇実録」に訪中発言の記述はなく、2013年の外交史料公開でも会談内容は明かされなかった。
 元号が変わらなかったと仮定すれば、今年は「昭和100年」に当たる。昭和天皇の実像を把握して時代を振り返り、皇室の将来を展望するためにも、史料の一段の公開が望まれる。(北井邦亮・時事通信外信部編集委員)。
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