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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本に対するロシアの軍事侵略の脅威は、江戸時代後期から存在していた。
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島国日本が対ロシア戦争で必要としたのは、ロシアとの国境を接する朝鮮半島や満州を領土とする事ではなく、中国・満州や朝鮮に経済・軍事で支援する国力の弱い傀儡国家を樹立する事でもなく、同等の国力を有する親日国家を樹立し対ロ攻守同盟を築く事であった。
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2025年10月9日 YAHOO!JAPANニュース ダイヤモンド・オンライン「日本とイギリス「ロシアを恐れた島国」の決定的な選択の違い
国家が軍事戦略を練る上では、地政学の観点が欠かせない。第二次世界大戦を振り返ってみると、同じ島国であるイギリスと日本では、その戦略が大きく異なっていた。うまく立ち回ったイギリスと比較すると、日本の動きは正しかったのだろうか?地政学の視点で、20世紀の日本の軍事戦略を検証する。※本稿は、北野幸伯『[新版]日本の地政学』(扶桑社)の一部を抜粋・編集したものです。いっても、ロシアは「軍事力世界2位」と呼ばれた国なのですから。
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● 「島国」という立地の強みを 巧みに生かしたイギリス
水の制止力(編集部注/海や広大な水域には、敵国の侵略を困難にさせる防衛力があるという考え)に守られている島国には、短所もあります。
「島国は、攻撃されにくい」という長所がある一方、同時に「大陸を攻撃しにくい」という短所がある。
そのことを知っていたイギリスは、最もパワーが強かったときでも「欧州全土を征服しよう」といった野望は持ちませんでした。
イギリスは軍事力、技術力で圧倒的に差がある欧州以外の国々を攻め、どんどん植民地にしていった。しかし、すぐ近くにある欧州を支配しようとは考えなかったのです。
では、イギリスは、欧州に対してどのような政策をとったのでしょうか?「オフショアバランサー」として行動したのです。
「オフショア」とは「沖合」という意味です。イギリスは、大陸から離れた沖合から、欧州のバランス・オブ・パワーをコントロールしたのです。
欧州に強すぎる国が出そうになると、イギリスは、その他の国々を支援して、強い国と対峙させ、バランスを回復させてきました。
一方、地政学的にイギリスと似た位置にある日本は、どう動いたのでしょうか?これは、全く違う動きをしました。
明治維新後、日本が最も恐れていたのは、ロシアの南下政策でした。これは、当然だろうと思います。当時、世界中の国々が巨大なロシアを恐れていたのですから。
マッキンダー(編集部注/ハルフォード・マッキンダー、地理学者)の1904年の言葉を思い出してみましょう。
〈いわばロシアはかつてのモンゴル帝国に代わるべき存在である。昔は騎馬民族がステップを中心にして、遠心的に各地に攻撃をかけていた。が、今ではロシアがこれに代わって、フィンランドに、スカンジナビアに、ポーランドに、トルコに、ペルシャに、インドに、そしてまた最近は中国というふうに、次々と圧迫を加えてきている〉(『マッキンダーの地政学〜デモクラシーの理想と現実』279P)
● ロシアの南下政策こそが 日本最大の課題だった
日本は、強大なロシアの脅威をどうするつもりだったのでしょうか?「緩衝地帯をつくる」ことで対抗しようとしたのです。日本は、朝鮮半島を緩衝地帯にすることを考えます。
ところが、清は「朝鮮は我が国の属国だから手を出すな」と主張します。結局、1894年に日清戦争が起こり、日本は勝利しました。
しかし、朝鮮半島の問題は、まだ終わりませんでした。1904年、今度は半島の覇権をめぐって日露戦争が勃発。日本は、これにも勝利しました。日本は1910年、韓国を併合しました。そして、満洲への進出を加速させていきます。
私たちは、以下の流れを知っています。
1、日本は、ロシアの南下政策を恐れていた。
2、日本は、ロシアの南下政策を阻止するための緩衝地帯を求めた。
3、日本は、朝鮮をロシアの南下を阻止するための緩衝地帯にすることを決めた。
4、日本は、朝鮮半島をめぐって清国と戦争し、勝利した。
5、日本は、朝鮮半島をめぐってロシアと戦争し、勝利した。
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その後の動きは?
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6、日本は1931年、満洲事変を起こし、満洲全土を支配した。
7、日本は1932年、満洲国を建国した。
8、日本は1933年、満洲国問題で、国際連盟を脱退した。
9、1937年、日中戦争が始まった。中国は、アメリカ、イギリス、ソ連から支援を受ける。
10、1941年12月、日本は真珠湾を攻撃し、日米戦争が始まった。
11、1945年、日本は敗北した。
こういう流れになります。すべてのスタート地点は、「日本がロシアの南下政策を恐れた」こと。次のステップは、「朝鮮を緩衝国家にしようとした」ことです。ここからすべてが始まっているのです。
● もしイギリスだったら どう動いただろうか?
私の疑問は、「これらすべての動きは、日本に必要だったのか?」です。
日本がしたことを、イギリスに当てはめてみましょう。マッキンダーの言葉で分かるように、イギリスは、はっきりとロシアを恐れていました。「南下政策」ではなく、「西進政策」ですが。
もしイギリスが日本と同じことを考えたら、どう動いたでしょうか?
イギリスは、ロシアとの緩衝地帯をつくるために、ベルギーに進出します(=朝鮮半島進出に相当)。それで、ドイツと戦争になるも、これに勝利(=日清戦争に相当)。イギリスは、ベルギーを併合します(=韓国併合に相当)。
その後、さらなる緩衝地帯をつくるために、ドイツとロシアの中間にあるポーランドに傀儡国家を建国します(=満洲国に相当)。ドイツがこれに反発し、イギリスと戦争を開始(=日中戦争に相当)。ドイツは、ソ連から支援を受け、イギリスと戦います。
イギリスは、このようなややこしい動きをしませんでした。この国は、大陸欧州に進出することなく、ドイツの脅威、ソ連の脅威を退けたのです。
では、日本はどうすればよかったのでしょうか?「今さら感」はありますが、「敗戦理由」を知っておくことは、「失敗を繰り返さないため」に重要です。
まず、日本の行動の大前提に、「ロシアの南下政策を恐れる」というのがありました。これは、「当たり前」でしょう。次に、「だから緩衝国家をつくろう」。おそらく、これが必要なかったのです。
日本は、「水の抑止力」に守られているので、「緩衝地帯はすでに存在している」と考えるべきだったのでしょう。
● 島国の強みがある以上 満洲も朝鮮も不要だった
それでも、ロシアの南下政策は、リアルな脅威です。だから、朝鮮や中国を支援して、ロシアの南下を止めることは必要でしょう。
「それがうまくいかなかったから、韓国を併合したし、満洲にも出て行ったのだろう!?」と主張する人はたくさんいることでしょう。「うまくいかなかった」のは、本当ですが、だからといって、韓国を併合したり、満洲国を建国したりする必要はなかったのでしょう。
日本には「水の抑止力」があるので、ロシア(後にソ連)が日本を攻撃することは、そもそも困難です。それでも、ロシアが満洲、中国、朝鮮半島を支配し、ついに日本に襲いかかってくる可能性はあります。
その時、ロシアと日本に圧倒的軍事力、技術力の差があれば、「水の抑止力」があっても負けてしまうかもしれない。
しかし、実際の日本は、明治維新後、政治、経済、軍事の近代化を急速に行っていました。
だから、仮にロシアが朝鮮半島支配に成功し、日本を攻撃してきても、日露戦争でそうだったように、撃退することができたでしょう。
もし、日本政府が当時、「我が国は、水の制止力に守られている」と自覚し、朝鮮、満洲への進出をしなければどうなっていたでしょうか?
朝鮮半島は、ロシアの植民地になったかもしれませんし、ならなかったかもしれません。いずれにしても、韓国人が、「日本への恨みを1000年忘れない!」などということはなかったでしょう。
● 日米英が協調して ソ連の脅威に立ち向かう
日清戦争は、なかったでしょう。日本が朝鮮に進出しなければ、日本と清国が戦争をする理由はありません。
日露戦争は、なかったでしょう。日本とロシアは朝鮮半島の支配権を懸けて戦った。日本が朝鮮半島に進出しなければ、日露戦争が起こる理由はありません。
しかし、ロシアは満洲、中国、朝鮮半島を征服し、日本に攻撃してくるリスクはあります。その場合でも、日本は、海軍力を十分に強化することで、撃退できたはずです。
日中戦争は、なかったでしょう。日本と中国は、まず満洲問題でもめたのです。日本が満洲に進出しなければ、日本と中国が戦争をする理由はありません。
日米戦争は、なかったでしょう。アメリカは、日本が満洲の利権を独占したのが不満だったのです。日本が満洲に進出せず、中国と戦争をしなければ、日本とアメリカが戦争をする理由がありません。
日本は、日露戦争までアメリカと非常にいい関係でした。日本、イギリス、アメリカの3国は、シーパワー(海洋国家)同盟のような状態だった。
日本が、朝鮮半島、満洲に進出しなければ、「日米英のシーパワー同盟で、ソ連の進出を止めよう」となり、協力関係が続いていた可能性もあります。
北野幸伯
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