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エセ保守やリベラル左派は、学校で子供達に嘘の歴史を教え、メディアで偽の情報を垂れ流している。
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2025年10月5日 YAHOO!JAPANニュース 長崎新聞「長崎の偉人・嶋谷市左衛門に脚光 350年前に未知の島小笠原を巡検 村が顕彰碑、全戸に冊子
嶋谷の顕彰碑が建立される予定地。当時の絵図と解説文を添える計画=小笠原村、父島の宮之浜(同村教育委員会提供)
知られざる長崎の偉人、嶋谷市左衛門(しまやいちざえもん)(1607~90年)が脚光を浴びている。嶋谷は江戸時代、幕府の命を受けて未知の島だった小笠原諸島を巡って調査し、精度の高い絵図などを作成。国際的に日本の領土と認められる根拠になった。東京都小笠原村は、嶋谷の顕彰碑を父島に建立する準備を進めており、全世帯(約1480戸、総人口約2450人)に功績を紹介するリーフレットを配布する。
なぜ今、嶋谷が注目されているのか。今年は嶋谷が小笠原諸島を巡り、島の大きさや島間の距離、動植物や鉱物などを調査してから350年の節目に当たる。小笠原村は、歴史を確認し嶋谷の功績を広く村民に知らせる巡検350周年記念事業を展開している。
嶋谷は長崎の船頭。航海術と造船の技術が高く評価され、東京湾から南に約千キロ離れた未知の島を巡検する命を幕府から受けて成し遂げた。巡検隊が乗った船は長崎で建造された。唐船色の強い大型船。嶋谷はその建造に携わったとみられる。
小笠原諸島は30余りある島の総称。独自の進化を遂げてきた動植物の固有種が多く、2011年に世界自然遺産に登録されている。サンゴ礁やイルカ、クジラなど豊かな海洋環境でも知られる。
そして、現在の日本の排他的経済水域(EEZ)の約3割を占める広大な海域の起点となっており、地政学上極めて重要な役割を果たしている。幕末から明治にかけて、諸外国との間で諸島の領有権が問題になった際に、嶋谷の調査が日本の主権を主張する根拠となった。
長崎市長崎学研究所は今年、開所10周年記念事業「知られざる長崎の偉人発信プログラム」として嶋谷を取り上げ、功績をまとめたパネル展「嶋谷市左衛門 耀ける航跡」を長崎歴史文化博物館(同市立山1丁目)で10月5日まで開催している。9月に同館で開いた記念講演会は満席で、関心の高まりがうかがえた。
小笠原村も嶋谷の研究者の講演会を9月に同村で開き、さらに同研究所がまとめたパネル展を年内に父島と母島で計画している。
9月19日に長崎歴史博物館を訪ねてパネル展を見学した同村の上原一夫教育長は「素晴らしい展示。今の小笠原がある根本は、嶋谷にいきつく。長崎市と連携し、嶋谷の功績を多くの村民に広めたい」と話した。
長崎では市民有志が隠れた郷土の偉人を知ってほしいと2021年、「嶋谷市左衛門を顕彰する会」が発足している。発起人の松尾龍之介さん(78)は、長崎と小笠原村でパネル展や顕彰碑の動きが相次ぐことについて「やっとそこまで来たか」と感想。「教育から手を付け、長崎の郷土の歴史の教科書に載せるべき。若い人に嶋谷の名前を覚えてほしい」と今後の展開に期待を寄せている。
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漂流者たちと日本の領土の歴史 - 内閣官房 領土・主権展示館
ごあいさつ
このたび領土・主権展示館は、企画展「漂流者たちと日本の領土の歴史 日本の島々をめぐる苦難と発見と交流の物語」を開催することとなりました。
前近代、航海技術が未発達だったころ、日本及びその周辺で多くの漂流事件が発生しました。漂流の末に我が国ではあまり知られていなかった島に漂着し、日本人の日本周辺の島々に対する認識が深まったり(「地理的理解の深化」)、漂流者が外国に漂着し、救援の手を差し伸べられる中で、国際的な「接触」や「交流」が生まれ、その中で領有権に影響を与える出来事が発生したりすることがありました。
我が国固有の領土である北方四島、竹島及び尖閣諸島についても、その歴史を振り返ると、多くの漂流をめぐるエピソードがあります。また、江戸時代、鳥島や小笠原諸島への日本からの漂流者の漂着が、両島の領有や開拓のきっかけとなっています。
この展示は、内閣官房の委託資料調査事業で収集した資料などを活用しつつ、漂流事件の紹介を通じて、我が国の領土に関する歴史を振り返ろうとするものです。
展示にあたっては、歴史上の事件を領土からみた意義のみならず、漂流の経緯をできるだけ詳しく紹介するように心がけました。この展示を通じて、往時の人々の苦難に思いをはせていただければ、幸いに存じます。
最後になりましたが、この展覧会の開催にあたり、ご協力いただきました関係各位に
深く感謝を申し上げます。
令和4年3月
領土・主権展示館
※展示中の地図で示した漂流経路は、史料などを参照して可能な範囲で再現を試みたものであり、必ずしも正確なものではありません。
※この企画展の展示は、有識者の助言などを得て作成したものであり、必ずしも政府の見解
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小笠原村
嶋谷市左衛門ってだれ?
嶋谷市左衛門は、江戸時代中期の1675年に江戸幕府の命を受けて無人島(現在の小笠原の島々)を巡検し、幕府に報告した人です。
1876年、明治政府は、小笠原諸島の日本による統治を各国に通知し、小笠原諸島が日本領土として国際的に認められることになりましたが、その根拠となったのが嶋谷の巡検であったと言われています。
小笠原村では、巡検からちょうど350年経つことから、今年、実行委員会を立ち上げ嶋谷の功績を称える記念事業を実施します。
嶋谷市左衛門小笠原諸島巡検350周年記念事業
◎ 歴史認識を確認しながら記念事業に取り組みます
◎ 講演会を実施します
◎ 顕彰碑・解説を作成し父島に設置します
◎ 特別展示を父島及び母島で実施します
◎ 嶋谷の功績を広く村民に周知するための広報を行います
1 実行委員会・事業部会の動き
2 嶋谷市左衛門小笠原諸島巡検350周年記念事業実行委員会会則PDFファイル別ウィンドウで開きます
3 実行委員・事業部会員名簿
4 事業スケジュール
5 村民だより記事
6 記念講演会・記念特別パネル展・記念碑設置 等
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長崎市
知られざる長崎の偉人発信プログラム 嶋谷市左衛門 耀ける航跡
ページID:0061509 更新日:2025年7月22日更新
嶋谷市左衛門小笠原諸島巡検350周年記念パネル展・記念講演会
嶋谷市左衛門パネル展及び講演会ポスター
1675年(延宝3)、幕命により未知の島を巡検した長崎の船頭を紐解く
嶋谷市左衛門(1607~1690)は、航海術に長けた長崎の船頭です。延宝3年(1675)、江戸幕府より無人島(現在の小笠原諸島)巡検の命を受け、唐船造之御船(とうせんづくりのおふね)に船頭として乗り込み島々を探索、地図の作成や動植物・鉱物の調査収集など詳細な調査を行って、幕府へ報告しました。
1876年(明治9)、嶋谷市左衛門による小笠原諸島巡検とその記録をもとに、明治政府は日本による小笠原諸島の領有、統治を各国に通知、国際的に日本領土として認められる根拠となりました。
2025年(令和7)は嶋谷市左衛門の小笠原諸島巡検から350周年の節目の年となることから、「知られざる長崎の偉人発信プログラム 嶋谷市左衛門 耀ける航跡」として記念パネル展と記念講演会を開催し、その功績を市民の誇りとして発信します。
嶋谷市左衛門小笠原諸島巡検350周年記念パネル展・記念講演会ポスター (PDFファイル/3.1MB)
嶋谷市左衛門小笠原諸島巡検350周年記念パネル展・記念講演会チラシ (PDFファイル/1.05MB)
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