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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
江戸は、ブラックであった。
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江戸の庶民文化は、質素倹約の武士文化とは正反対で、心の欲や悪を陽気に開放し、ド派手や豪華を粋と雅で戯れ遊ぶ事であった。
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朱子学儒教の武士は、庶民の文化を小子(しょうし)文化あるいは侏儒(しゅじゅ)文化として嫌っていた。
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日本民族の現世利益には、「個」の自分や自分の家族に対する自己利益(利己)と「公」の地域・世間、日本・世界に対する他者利益(利他)の二面性があった。
お互い様。相身互い。
歴史的事実として、中国や朝鮮には、自分だけの自己の現世利益(自己)はあっても赤の他人・社会に対する公の現世利益はない。
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2025年10月3日 YAHOO!JAPANニュース otonasalone.jp「トップエンタメ人間には「欲」が必要?吉原・女郎屋・庶民の現実から見える江戸の真理【NHK大河『べらぼう』第37回】
*TOP画像/政演/山東京伝(古川雄大) 蔦重(横浜流星) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」37話(9月28日放送)より(C)NHK
吉原で生まれ育ち、江戸のメディア王に成り上がった蔦重の人生を描いた、大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(NHK総合)の第37話が9月28日に放送されました。40代50代働く女性の目線で毎話、作品の内容や時代背景を深掘り解説していきます。
戯作家の筆折れ、蔦重の期待が政演に重圧を…
春町(岡山天音)が自ら腹を切り、喜三二 (尾美としのり)が国に帰り、南畝(桐谷健太)が執筆を自粛する中、蔦重が頼れる作家は政演/山東京伝(古川雄大)だけに…。
一方、政演(古川雄大)は幕府から目をつけられ、処罰を受けることを恐れ、新老中首座・定信(井上祐貴)に抗う作品や幕府の言いつけに背く作品を書くことに乗り気ではありません。彼の表情からは幕府の命令に背くことへの恐れと、蔦重の大胆な勢いに戸惑う心情が伝わってきました。
また、てい(橋本愛)についても、蔦重が向かう方向に必ずしも賛同しているわけではありません。蔦重から倹約を茶化すような作品の執筆を頼まれている歌麿(染谷将太)と政演に、「どうか書かないでくださいませ!」と必死に頼んでいました。父から継いだ店を過去に失いかけたていは、大切な店を失う危機の恐怖を骨身にしみるほど味わっています。また、蔦重が罪に問われるのを妻として何としてでも防ぎたいという思いもあるのでしょう。このような経験や思いから、ていは「少々 己を高く見積もり過ぎではないでしょうか!」と、蔦重に釘を刺していました。
てい(橋本愛) 蔦重(横浜流星) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」37話(9月28日放送)より(C)NHK
蔦重は親なし、金なし、家なしの境遇から日本橋の店の主にまで出世し、当代一の戯作家を抱える板元に成り上がりました。とはいえども、幕府から目をつけられれば店の営業はあっけなく停止される身であり、命令に背けば命の保証もない身です。蔦重はポジティブで、困難に立ち向かう力強さを持っていますが、過剰な楽観主義は欠点ともいえるかもしれません。冷静沈着なていは蔦重を応援しつつも、行き過ぎた言動をセーブし、蔦重も店も守っています。
現在の蔦重は春町の死に報いるためにも、黄表紙を守るためにも、ていの言葉に耳を傾けようとはしません。しかし、ていの存在こそが蔦重や耕書堂を守ることになると思います。夫婦とはお互いに欠けているものを補い合う関係性であるならば、蔦重とていは理想の夫婦関係といえそうです。
また、本作では若い新婚夫婦の愛も描かれていました。歌麿ときよ(藤間爽子) です。歌麿の絵本を見た栃木の豪商・伊兵衛(益子)が蔦重の店を訪ね、歌麿に肉筆の絵を襖に描いてもらいたいと頼みにきました。歌麿は自分の絵が襖にど~んと載ることを誇りに思い、きよと喜びを分かち合っていました。
歌麿(染谷将太) きよ(藤間爽子) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」37話(9月28日放送)より(C)NHK
歌麿は「おきよがいたら俺 何でも できる気がするよ」と胸の内を言葉にしていたように、歌麿はきよとの出会いをきっかけに前向きに生きられるようになりました。
しかし、本放送では、きよの足の赤い腫れ物が暗示的に映し出され、二人の幸せの終わりを予感させるシーンがいくつかありました。歌麿ときよのこの世での幸せがもう少し続いて欲しいと願うのは筆者だけではないはずです。
人間が生きるには「欲」が必要
江戸時代は戦の火が燃え盛ることはなかったものの、“偉くなりたい” “楽したい” “一旗揚げたい” “儲けたい”といった欲の業火が激しく燃えていたと、本作の1話において説明がありました。吉原の女郎屋の主人たちは強欲で、自らの利益しか考えておらず、自分にほんのわずかでも損になることには猛反対。
本作は前半においては人間の欲が否定的に描かれていましたが、後半においては人間の欲が肯定的に扱われているように思います。
「遊ぶってなぁ 生きる楽しみだ。楽しみを捨てろってなぁ欲を捨てろってこった。けど 欲を捨てることなんかそう簡単にはできねえんだよ」
蔦重は強欲な女郎屋の主人らを批判していた時期もありましたが、人間が欲を簡単に捨てられないことを今は認めています。
また、政演の『心学早染草』に登場する善玉と悪玉と呼ばれる人間の魂の化身のように、人間の内には善と悪の二つが存在します。
山東京伝『心学早染草』 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」37話(9月28日放送)より(C)NHK
人間は内に抱える“欲”や“悪”を抑え込むことを苦手とする傾向にあると思います。だからこそ、社会の秩序を保つには吉原のような幕府公認の場が必要なのかもしれません。
徳川治貞(高橋英樹)が定信に“物事を急に変えるのはよくない”と忠告していましたが、老中首座に就任後すぐに社会の在り方を変えた弊害が弱者を中心にいたるところで出てきています。りつ(安達祐実)が話すように、中州が取り壊され、岡場所も取り締まりが始まると、これらの場所で働く女たちが吉原に流れ込むようになりました。さらに、口利きの金を倹約することで、女郎屋は安く女郎を世話できるという考えも広まり、女郎が置かれる状況はこれまで以上に悪くなりそうな雰囲気です。
蔦重 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」37話(9月28日放送)より(C)NHK
ふく(小野花梨)は社会の状況が悪くなると真っ先に苦しむのは下々の者であることを理解していましたが、定信の政策でもっとも苦しんでいるのは娯楽を享受できるほどのゆとりもなく、自身の欲を満たせるほどのお金もなく、地べたを必死に這いつくばって生きている人たちなのかもしれません。
定信は大切なことに気づけるのだろうか…。
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10月3日 more WEBザテレビジョン「古川雄大“政演” 、現代でも使われる言葉を生み出した才能に視聴者「すごい功績」<べらぼう>
戯作者・山東京伝の名でも活躍する絵師・北尾政演(古川雄大)
© (C) NHK
横浜流星が主演を務める大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(毎週日曜夜8:00-8:45ほか、NHK総合ほか)の第37回「地獄に京伝」が9月28日に放送された。サブタイトルに名前が組み込まれている山東京伝こと北尾政演(古川雄大)が書いた新作本の内容について、視聴者から「そうだったのか」と反響が相次いだ。(以下、ネタバレを含みます)
数々の浮世絵師らを世に送り出した“江戸のメディア王”の波乱の生涯を描く
森下佳子が脚本を務める本作は、18世紀半ば、町民文化が花開き大都市へと発展した江戸を舞台に、“江戸のメディア王”にまで成り上がった“蔦重”こと蔦屋重三郎の波乱万丈の生涯を描く痛快エンターテイメントドラマ。
蔦重はその人生の中で喜多川歌麿、葛飾北斎、山東京伝、滝沢馬琴を見い出し、また日本史上最大の謎の一つといわれる“東洲斎写楽”を世に送り出すことになる。
幕府“新時代”を目指す権力者・田沼意次役で渡辺謙、美人画が大評判となる喜多川歌麿役で染谷将太、蔦重の妻・てい役で橋本愛らが出演。語りを綾瀬はるかが務める。
政演の才能をあらためて実感する蔦重
松平定信(井上祐貴)の政道を皮肉る黄表紙を書いたことをきっかけに、武士だった恋川春町(岡山天音)が自害。同じく武士の喜三二(尾美としのり)も江戸を去り、蔦重の店、耕書堂専属の戯作者がいなくなる。
そこで蔦重が大きな期待を寄せたのが、町人である北尾政演。政演も耕書堂以外で絵を担当した黄表紙でお咎めを受けており、ちゅうちょしたものの、戯作者・山東京伝の名で吉原の女郎と客の小話を書いた洒落本「傾城買四十八手」を仕上げた。
蔦重いわく「景色が目に浮かんできて、出てくる女郎や客が動いてしゃべって」という、登場人物が生き生きとしていて、吉原育ちの蔦重だけでなく、ていや耕書堂の手代・みの吉(中川翼)の胸も打つ内容。
蔦重は「これが才ってやつか…」とつぶやくほどの出来栄えだった。
政演の本が現代も使われる言葉の語源に
「傾城買四十八手」が売り出された正月。地本問屋仲間の鶴屋(風間俊介)がやって来る。
新年のあいさつもそこそこに、「これ知っていますか?」と鶴屋が差し出したのは、政演が山東京伝の名で他の本屋から出した本「心学早染草」。
政演は専属というわけではなく、他と仕事をすることは問題ない。だが、その内容が、蔦重が抗おうとしている定信が進める倹約・正直・勤勉を見事にエンタメ化していたことで、蔦重が激怒する展開となった。こちらの本も蔦重が認める面白さ。それゆえ、定信のことを担ぎ上げてしまうと危惧したのだ。
その展開とともに、視聴者から反響があったのが、「心学早染草」で描かれたことだった。
よい魂(善魂)と悪い魂(悪魂)が一人の男の体を巡って戦う物語。最終的には善魂が勝利して、男は善人として生きていくというシンプルなもの。ただ、この善魂と悪魂が、現代でも使われる“善玉”“悪玉”という言葉のルーツになっていて、長く読み継がれていったという証でもあった。
SNSには「そうだったんだ」「善玉、悪玉の語源とは知らなかった~」「びっくりした」「すごい功績」などの声が上がった。
面白いのに怒られたことで政演は蔦重のところではもう書かないと宣言した。「面白いことこそ、黄表紙には大事」と政演は指摘したが、かつての蔦重はそうだったはず。図らずも、蔦重の中で善魂と悪魂が揺れているのだろうか。吉原が大好きな軽妙な一面もありつつ、絵師・戯作者としては努力の人である政演と早く仲直りしてほしいと願うばかりだ。
◆文=ザテレビジョンドラマ部
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世界における平等とは、日本では破壊的天災=荒神の下で平等であり、キリスト教やイスラム教では唯一絶対神の前で平等であり、儒教の中国や朝鮮では天(天帝)の下で皇帝も聖人君主や小子も平等であった。
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徳川家康は、徳川の平和を築く為に、武士が心の中で抱える「戦乱」を再現したいという欲と悪を朱子学儒教で押さえ込み、庶民の心の中に潜む「混乱と乱取り」で現実化したいという欲と悪を日本仏教で押さえ込んだ。
徳川家康が利用した仏教施設とは、後白河法皇の三十三間堂と豊臣秀吉の方広寺・京の大仏であった。
こうして、日本人の欲と悪は徳川家康の呪縛によって封じ込められた。
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