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関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
中国共産党は広めている抗日戦争勝利神話は嘘で、日本に対する沖縄領有懐疑論は日本を崩壊させる陰謀である。
2025-07-20
🌨9¦ー1ー中国共産党における日本の沖縄領有懐疑論は沖縄分離独立工作である。~No.16No.17
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2025年7月22日 YAHOO!JAPANニュース「沖縄・久高島で原始の自然と祈りにふれる旅。神の島の“あるがまま”に心洗われて
さんたつ
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沖縄本島の南東に位置する久高島(くだかじま)は、周囲8kmほどと小さい。けれど存在そのものが大きな意味をもつ。琉球神道において、開闢(かいびゃく)の始祖が降り立った島なのだ。神々が宿る島をめぐり、沖縄の始まりと信仰にふれる。
はじめに知っておきたい、沖縄独自の信仰とは?
沖縄では、古琉球や琉球国の時代から「琉球神道」という多神教宗教が根づいていた。根底にあるのは、神話や自然崇拝に重きを置く考え方。琉球神道において、女性は神的または巫女(みこ)的な素質をもつとされ、村落の繁栄のために祈りを捧げるのは女性の役割だった。また、沖縄の村にはいまでも必ずといっていいほど「御嶽(うたき)」という聖域が残されている。神が来訪するとされ、祭祀が行われる神聖な場所だ。
久高島の地図はこちら
●人口/223人 ※2024年6月末時点
●面積/1.37㎢
● アクセス/那覇空港から車50分の安座真(あざま)港下車。安座真港からフェリー25分(高速船15分)の徳仁(とくじん)港下船
琉球王朝の支えにもなった、祈りの場
島を守るため、自然物は外へ持ち出してはいけない、メーギ浜以外は遊泳禁止など、島のルールを守りながらお邪魔しよう。
はるか遠く海の彼方、神々の住まう理想郷・ニライカナイからアマミキヨという神が降り立ち、琉球の国をつくった。沖縄に伝わる開闢神話において、アマミキヨが最初に降り立ったとされる久高島。ここではいまでも一年をとおして30近い独自の祭祀が行われ、多くの祈りが捧げられている。
そんな沖縄の始まりの地である神の島へお邪魔することに、たいそうな緊張を抱えながらフェリーから降り立つと、「こんにちは。よくきたねえ」と、島を案内してくれる“マサーさん”こと、西銘政秀(にしめまさひで)さん(79)。そのほがらかな笑顔に、思わずふにゃりと体がほぐれた。
「ふとした場所に、ストーリーが秘められています」と、マサーさんは話す。
「琉球国の時代、当時の国王は2年ごとに2回、最高神職の聞得(きこえ)大君は年に複数回もの頻度で、時には危険な目に遭いながらもこの島へ祈りにいらっしゃっていたんですよ」と、マサーさん。
首里城内には「東(あがり)のアザナ」という久高島が見える高台があり、日々のなかでも国王たちはそこから島に向けて遥拝していたという。信仰と政治が密接な関係にあった当時、琉球神道の聖地であるこの島は時の琉球王朝にとって精神的な支柱となっていたのだ。
琉球王朝時代に国王や聞得大君が来島する際に使われていた「大君口(うぷちんぐち)・君泊(ちみんとぅまい)」。
「大君口・君泊」の近くにあるカー(井戸)。沖縄では、生活を支えるカーも重要な祈りの対象だ。
木々や海が物語る神話の舞台へ
島では、人間の住まう建物はすべて南側の集落にある。北側は神域とされ、住居を建てることは許されない。神域に立ち入った瞬間、空気が変わった気がした。
クバ(ビロウ)が脇に茂る神域内の白い一本道をずっと進むと、北端の岬に突き当たる。アマミキヨが降り立ったとされる「ハビャーン(カベール岬)」だ。モンパノキなどの植物、むきだしの琉球石灰岩、白い砂浜、そして広大な海が青を重ねる。
アマミキヨは何もなかったところに石や木々を集めて国をつくり始めたという。いまもそのままの時が止まっているかのような情景だった。
アマミキヨが降り立ったという「ハビャーン(カベール岬)」。島の祭祀がある日は立ち入り禁止になることもあるので注意。
「ハビャーン(カベール岬)」の付近を含めた島の海岸線の7割の植物群落は国指定天然記念物だ。
国づくりを進めるなかで、アマミキヨは七つの御嶽をつくっていった。その一つがこの島にある。「フボー御嶽」だ。島に数ある御嶽のなかでもひと際重要な意味をもち、祭祀を主宰する神女(かみんちゅ)しか立ち入ることを許されない。もちろん私たちも入口のあたりまでしか近づけないが、鬱蒼(うっそう)と茂る木々に差し込む光の粒が、祈りの場の崇高さを物語っていた。
入口近くからみた「フボー御嶽」。生い茂るクバ(ビロウ)は真っすぐ天に伸びることから、神が伝って降りてくる最高の神木とされている。神職以外の何人も立入禁止。
開闢神話とともに久高島が尊ばれている理由がもう一つ。五穀発祥伝説だ。ニライカナイから五穀の入った白い壺が流れつき、それが琉球の農耕の始まりとなったという。
その舞台の「イシキ浜」を歩いていると、マサーさんがつぶやいた。「民俗学的には、ニライカナイは黒潮が流れてくる方向を指し、黒潮に乗った海洋民族が五穀とともに流れ着いたのではないかといわれています。アマミキヨとは別に、ニライ大主・カナイ大主という重要な神がいますが、海洋民族がもとなのではないかな」
流れ着いた民族は水場の近くに住み、その跡地がのちの子孫による信仰の対象となっていったと考えられている。この島では神と人間はまったく別の存在ではない。地続きになっている。
「イシキ浜」は、ニライカナイからの来訪神が訪れるときに船が停泊すると伝わる。
「イシキ浜」で行われる「ウプヌシガナシー」という祭祀。海の安全や島の男性の健康などが祈られる(写真=西銘政秀)。
五穀発祥伝説が残るこの島には、かつて麦畑が広がっていた。戦争や人口減少などにより途絶えそうになっている麦作を、次世代へとつなげようという動きも。
神との距離が近く、生活の根底に信仰がある島。訪れる前は厳かで、近づいてはいけない存在のように思っていた。けれど、ここでは神々しさとやわらかさが溶け合っていた。
果実や花の甘やかな香りが漂い、徳仁港にはネコたちのあくびがちらほらと。道ばたのベンチでゆんたくしている島民は「8月マティーの時にまたきてね」とほほえんだ。島民の手によって大切に、大切に守られている原始の信仰と自然が、心をなめらかに、清らかにしてくれた。
住居のすぐそばにも聖なる場所があちこちに
アマミキヨが仮住まいをしたとされ、島建てのために使った棒・シマグシナーが祀られている「イチャリ小(ぐゎー)」。
「大里家(うぷらとぅ)」。かつて第一尚氏王統7代の尚徳王がこの「大里家」に住む女性と恋に落ちたそう。
旧正月をはじめとした多くの祭祀が行われる「外間殿(ふかまどぅん)」。
「イザイホー」をはじめ、重要な祭祀が行われてきた「御殿庭(うどぅんみゃー)」の神アシャギ。祭祀の際に迎えた神々はこの奥の森に寝泊まりされるという。左にはイラブーの燻製小屋がある。
祈りを重ねる人々の穏やかな表情に、また会いに来たくなる
集落周辺にはたくさんの人懐っこい猫が。
島の土地は神様からお借りしているものという考えから、私有ではなくみんなで分け合う総有地制度が採られている。
マサーさん(左)と島民の並里和博さん。彼らが立ち上げに携わった『久高島宿泊交流館』☎098-835-8919は、宿のほか民俗資料館も備えている。
レンタサイクルの貸し出し(有料)があるので、自転車で島内をめぐるのもおすすめ。
神から人への贈物とされ、かつて琉球王府へ贈っていたイラブー(ウミヘビの一種)。食べると半年もの間健康でいられるという貴重なイラブー汁2500円は、『食事処 とくじん』☎098-948-2889で食べられる。
高い建物や山がない久高島は平たいシルエットをしている。
●ガイドの申し込みは、「久高島ガイド友の会」のHP(https://kudakajimaguide.jimdofree.com/)から。
取材・文=『旅の手帖』編集部 撮影=大湾朝太郎
『旅の手帖』2025年6月号より
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日本列島には、本土を中心に南は沖縄から北は北海道まで、深層に同じくする宗教・神話・神秘そして文化が存在している。
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琉球民族は、日本民族とアイヌ民族同様に縄文人を祖先とする兄弟民族である。
琉球・日本・アイヌには、独自の民族神話が生きずいている。
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日本神道のまれびと神は、琉球を経由して日本に渡ってきた東南アジアの南方系神々で、その数は中国大陸や朝鮮半島よりはるかに多い。
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琉球は、日本に縁が深く、中国とは縁が薄く、朝鮮とは無縁である。
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中国共産党や琉球独立派は、琉球を日本から強奪する為に嘘を吹聴し、媚中派エセ保守と反米派・反安保派・反自衛隊派リベラル左派はそのウソを信じている。
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日本と琉球を分断しようとしているマルクス主義的反宗教無神論の日本人が存在している。
反宗教無神論のマルクス主義者達は、日本・琉球・アイヌの土着神話を否定し、日本・琉球・アイヌの神々を殺している。
「日本人は琉球人を琉球土人として差別してきた」と主張するエセ保守やリベラル左派こそが、琉球人を差別している。
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ウィキペディア
天地開闢(てんちかいびゃく)では、琉球(沖縄・南西諸島)における天地開闢と国造り神話について説明をする。
概要
琉球の神話については琉球王国が王統に関する史書として編纂したものが伝わっている。
一方で民間、特に離島部にはこれとは別に多種多様な神話が伝わっており、島ごとや集落ごとに固有の創造神話・始祖神話の伝承がある。これらの神話は口承で語り継がれてきた。
また人間(島民)の起源は語るが宇宙開闢については語らずはじめからあったとするものも多い(洪水型兄妹始祖神話など)。
このことから琉球の神話は一つの系統ではなく、琉球王国の公的な神話とは別にまったく異なる複数の系統の神話があるようである。
なおこれらの神話における神話時代(日本神話の神代に相当)のことを沖縄ではあまん世と呼ぶ。「あまん」とはヤドカリのことであり、王統に関わる神話には登場しないが八重山などの創世神話にはヤドカリやあまん神が登場することからかつての琉球列島ではあまん(ヤドカリ)やあまん神に関する創世神話が広く信じられていたが北から天孫降臨などの日本神話の影響を受けた神話を持った集団がやってきて置き換えられたため、離島部以外ではあまん世の語だけが残ったという説がある[1][2]。この基層となる神話が沖縄貝塚時代/先島先史時代に由来するのかははっきりしない。
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石垣・遊び
【八重山諸島】琉球神道と伝統行事~日本の神道と比較~
2024年10月10日
遊び‐マスター
はいさい! 石垣島のMIKAですん♪
今さらですが、新年明けましておめでとうございます!(笑)
皆さん、お正月にはお雑煮とお節を食べましたか? 節分になったら豆まきをして厄払いをし、恵方巻きを食べて願い事を一生懸命頭の中で唱えますよね。
3月3日は雛祭り、桜が咲く頃には春分の日、5月5日はこどもの日、7月7日は七夕……というように、
日本の伝統行事は季節と季節の節目に催され、家族のしあわせを祈ったり、神様に願い事を託したりしますよね。
そういった習慣は沖縄でも勿論あるのですが、ご存じの通り昔は違う国でしたので、基本的な考え方が同じでも本土とは異なった伝統行事や風習があります。
せっかく沖縄に行くのだから、思いっきり沖縄らしいものを見てみたい!
という方は、このページにまとめられている伝統行事をチェックして、その年の開催日程を調べておくと良いのではないでしょうか?
というわけで今回のテーマは、「琉球神道と伝統行事」です!!
目次
琉球神道って? 日本の神道と比較してみた
「神道」とは
「琉球神道」の特徴
観光にもオススメ! 見応えのある八重山諸島の伝統行事
旧暦正月(ソーグヮチ)
旧暦3月3日:浜下り(ハマウリ)
清明祭(シーミー)
旧暦5月4日(ユッカヌヒー):海神祭(ハーリー)開催日
旧暦6月:豊年祭(プーリィ)
旧暦7月13~15日:旧盆
旧暦9月7日:風車祭(カジマヤー)
旧暦9~10月:種子取祭(タネドリ・タナドゥイ)
あとがき
琉球神道って? 日本の神道と比較してみた
伝統行事についてお話しする前に、まずは「琉球神道」というものをご紹介したいと思います。
「神道」とは
そもそも、「神道(しんとう)」って何でしょうか?
それは、この世には八百万(やおよろず)の神々がいて、人々が神社を建ててそれらを祀っているという、日本固有の信仰のことです。
「日本神話」の基となった「古事記」では、天皇家は神々の末裔であるとされています。
農耕が始まり、集落ができ、大樹や岩を「ご神体」と見立てて崇め、
五穀豊穣や無病息災、村の存続を願ったりするために社(やしろ)を建て、やがてそこが神域となり、その入口に鳥居が設置されるようになった――というのが、大まかな神道の成り立ちです。
「君の名は。」では、1200年前の隕石落下跡地が宮水神社のご神体となっていましたね(笑) そう、つまりあれのことです。
「琉球神道」の特徴
琉球王国にもかなり似た思想があり、大和神道(琉球神道と比較するためにここではこう呼ぶことにします)では、
太陽神「天照大神(アマテラスオオミカミ)」が天皇家の祖にして日本国民の総氏神(そううじがみ)――ちょっと難しい話になってきましたね!(笑)
要するに、神々のトップ的存在になっていますが、
琉球では「火神(ヒヌカン)」という、同じく太陽(もしくは火)の神を中心に崇め奉っています。
なので、仏壇のご先祖様と同じように、もしくは神棚のように、県内の家庭では台所でヒヌカンが祀られているのです。
また、大和神道では神々の住まう世界を「高天原(たかまがはら)」、琉球神道では「ニライカナイ」と呼んでいます。
ニライカナイは遥か東の海の果て、もしくは海・地の底にある理想郷とされ、豊穣や生命の源であり、生者の故郷にして死者の魂(マブイ)の還るところと考えられています。
ニライカナイに還った魂は死後7代で祖霊神となり、一族の守護神になると信じられている点は琉球神道固有のものですが、本土でもご先祖様を敬い大切にしようという考え方がありますよね。
琉球王朝は祭政一致(宗教と政治が一体化していること)の方針で国を治めていたため、今でも県内各地に御獄(ウタキ)という社があり、神事はそこを中心に行われていました(御獄は神社と同じ聖域とされているため地元の人以外は立入厳禁となっています)
農耕カレンダーにも即した神事は旧暦に則って、現在でも伝統行事として受け継がれています。
あとがき
いかがでしたか?
私は琉球神道どころか旧暦という概念すら知らずに石垣島へダイビングしにやって来たのですが、
最初の年に見た豊年祭は大迫力で、仲間と一緒に盛り上がるハーリーに至っては2回もの参加経歴を作ってしまいました(笑)
伝統芸能に興味がある方、ディープな沖縄を覗いてみたいという方には特にオススメ!!
海のレジャーやグルメだけではなく、琉球王国の面影を感じる祭事もぜひご堪能くださいね!
この記事を書いた人
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遊び‐マスター
石垣島を愛し、石垣島で色んな遊びを追求するチーム「石垣遊び」のスタッフ!
実は中の人は一人じゃありません!
そのうち分けようと思ってます、すみません!
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ホーム> レポート> 現地レポート> 尚 本家レポート> 沖縄古来の琉球神道について
投稿日:2019.06.26
沖縄古来の琉球神道について
皆様こんにちは。
今回は琉球神道について簡単にご紹介させていただきます。
沖縄には琉球王国時代から沖縄本島を中心に信仰されてきた多神教宗教がございます。これを琉球神道とよんでおります。
琉球王国時代の琉球神道は第二尚氏王統、第三代尚真王時代に全国の神女体制を整理し、祭政一致体制を成立されました。
琉球神道は『中山世鑑』や『琉球神道記』などによると、大和の開闢神話と酷似した神話が記録されているとし、アニミズムと祖霊信仰を基本とするもので、海の彼方のニライカナイと天空のオボツカグラの他界概念を想定しています。
これらの異界に、太陽神(ティダと呼ばれる)を始めとする多数の神がおられ、また生者の魂も死後にニライカナイに渡り、肉親の守護神になるとされています。
琉球王国神女組織図
神様に仕える神官は女性が当たり、その神女組織は厳格な階級制で統制され、各神女を統括していた最高神女、「聞得大君(チフィジンガナシ)」は王家の女性から選ばれ、その下には三人の「大阿母志良礼(ウフアンシタリ)」がおり、その下に各地方を統括する「大阿母(ウフアム)」たち、さらにその下に各地域の祭祀を管轄する「祝女(ヌール・ノロ)」がいました。
祝女は豪族の娘や血縁者から選ばれ、また大阿母志良礼などは、王家となんらかの血縁関係にあったと考えられています。
琉球開闢神話は諸説ありますが、最も有名な伝説は、アマミキヨという神が、ニライカナイ(神の世界)から降り立ち、国づくりを始めたというものです。アマミキヨは島々をつくり、一組の男女を住まわせ、二人の間からは三男二女が生まれました。その長女が最高神官のはじめになりました。
名称の記述では、英祖王の長女が聞得大君とみられ、琉球国王を守護する国王のおなり神であり、王国を守護し豊穣をもたらす神が憑依するとされていました。その託宣は、国王を退位させるほどであり、国王に匹敵する力を持ち王妃より上位に位置付けられていた時代もありました。
古く十七,八世紀までは祝女などは女系相続であり、娘に祭祀とともに領地を継がせ、入り婿に入ってもらい、男女別姓を名乗りながら祭祀を継承していたと言われております。
神女装束
琉球王国は海洋貿易国家であり、長い年月の中、諸国と交易し、それらの国から多くの文化が取り入れられました。取り入れた外国文化は自国文化と融合させて、独特の文化を作り上げて行きました。
この融合の歴史を見ると、琉球には異文化や異国の信仰に対する寛容さがあったことが特出されます。私は本土で神職に就いておりますが、本土の神社神道と沖縄の琉球神道と学ばせて頂き有難く思います。
本土に居りましても、一日数回沖縄の神々を想います。
沖縄の神様方は変わりゆく世をどの様に想われていらっしゃるのだろうと、想いを馳せる事もございます。
沖縄の現地の信仰はとても大切なものです。本土にも各地で少しずつ信仰が違うように、沖縄古来の信仰も大切にし無理なく継承できたらと思います。
皆様方も旅行で来沖される時は、現地の信仰の仕方を護られ、沖縄の神様にお会いして下さい。
筆者:尚 満喜(しょうまき)
1984年生まれ。
自由が丘 産能短期大学卒業
神職資格を取得し、現在は東海地方にて神職として神社に奉職しながら一般社団法人 琉球歴史文化継承振興会の副代表理事を務める。
◆一般社団法人 琉球歴史文化継承振興会
https://ryukyu.or.jp
【レポート】
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琉球における信仰では、古琉球および琉球王国を中心とした領域における信仰のうち、琉球神道以外のものを扱う。
→「琉球神道」も参照
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琉球神道とは?沖縄の信仰と神様をわかりやすく解説!
2022.06.202024.08.02
コラムシネリキヨ琉球神道アマミキヨ
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています。
日本の中でも沖縄県は独自の文化を有していますが、それには本土とは違う沖縄地方の神話や信仰が深く関係しています。
現在の沖縄県や鹿児島県の奄美大島はもともと約450年間続いた「琉球王国」の一部でした。そのため、神様や祈りに対する考え方に多くの共通点があります。
この記事では、沖縄地方における信仰の根源ともいえる「琉球神道」についてわかりやすく解説。琉球の神様や琉球神道ゆかりの地もご紹介するので、沖縄や奄美の文化に興味のある人はぜひ最後までご覧ください。
目次
琉球神道の世界観と沖縄の神話
琉球神道と神社神道の共通点
琉球神道の神様
ティダ
アマミキヨ
シネリキヨ
琉球王国と神女(かみんちゅ)
ノロの役割
聞得大君(きこえおおきみ)の役割
ノロとユタの違いは?
琉球神道と奄美大島
おなり信仰
沖縄と奄美大島の共通点
現在に残る琉球神道ゆかりの地
久高島
斎場御嶽(せーふぁうたき)
シルミチュー霊場
まとめ
琉球神道の世界観と沖縄の神話
琉球神道
『琉球神道』とは、琉球王国(1429~1879年)を中心に信仰されていた多神教宗教です。
キリスト教や仏教のように開祖や教典はなく、神話や自然崇拝を重視するアニミズム的な考え方をするのが特徴です。沖縄本島を始め、先島諸島【宮古島や石垣島など】や奄美群島で信仰されてきました。
琉球王朝時代までは広く信仰される一般的なものでしたが、時代の変化とともに特定の地域に伝承される民間信仰へと姿を変えていきます。現代においても「ユタ」「ニライカナイ」「御嶽(うたき)」などが代表的なものとして残っているので、これらの単語を聞いたことがある人もいるかもしれません。
古事記ではイザナギとイザナミによる「国生み」が日本列島の始まりとされていますが、琉球神道にも同様の神話が存在します。琉球の開闢神話(かいびゃくしんわ)では「アマミキヨ」と「シネリキヨ」が久高島に降り立ち、沖縄とその周辺の島々を創造して人々を繁栄させたと伝わっています。
開闢神話(かいびゃくしんわ):世界の始まりの物語のこと。
琉球神道と神社神道の共通点
本州の南端から沖縄県・那覇市までは直線距離で約900kmも離れていますが、琉球神道と本州で広く知られる神社神道には多くの共通点があります。
琉球神道の最高神は「ティダ」という神様で、神社神道の「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」と同様に太陽を司る神様です。
ご先祖様との繋がりや霊や魂など目に見えないものをおそれ敬う考え方も琉球神道にはあり、これも神社神道における「祖霊崇拝」と共通しています。
また、多くの神社が山や巨岩などを信仰の対象としているように、琉球神道の「御嶽(うたき)」も丘や林などの自然物が信仰の対象となっています。
神社には神に使える女性として「巫女」がいますが、琉球神道には霊力を持った「ノロ」や「ユタ」と呼ばれる女性がいることも共通点です。
琉球神道の神様
琉球神道
琉球神道では、神様は「来訪神」と「守護神」の2種類に分類されます。
来訪神は東にある神々の国「ニライカナイ」から訪れるとされているため、琉球神道ゆかりの地は島の東側にあることが多いです。これは、太陽が東から昇ることに関係しています。
来訪神とはどんな神様?ユネスコ登録の10件をわかりやすく解説!海外の行事も
仮面や自然物で仮装した日本と海外の来訪神をまとめて紹介!ユネスコ無形文化遺産に登録されている来訪神の説明やまれびと信仰との関わり、ガチャで商品化している来訪神コレクションについても紹介しています。
animism.world
2024.11.25
一方で守護神は集落に宿るご先祖様たちの霊のことを指し、生者の魂が死後ニライカナイに渡ることで肉親の守り神になるとされています。
以下で代表的な来訪神を紹介します。
ティダ
ティダは太陽を司る神様で、ニライカナイの最高神とされています。「てぃだ」は、現在も沖縄の方言で「太陽」「晴れ」を意味しています。
太陽を神とする考え方は世界中にあり、エジプトの「ラー」やギリシャ神話の「ヘーリオス」なども有名ですね。
アマミキヨ
アマミキヨはニライカナイから降り立ち沖縄の島々を創ったとされる女の神様で、「アマミク」「アマミチュー」とも呼ばれます。
ニライカナイから降り立った場所は、久高島のカベール岬と伝えられています。奄美群島も琉球王国の一部であったことから、アマミキヨが「奄美」という名前の由来となったとする説もあるそうです。
シネリキヨ
シネリキヨはアマミキヨと一緒に琉球に降り立った男の神様で、「シルミチュー」とも呼ばれています。
アマミキヨとシネリキヨが最初の島民ですべての沖縄の人々は神様から生まれたという説と、1組の男女を住まわせてのちに沖縄の人々に発展していったという説があります。
アマミキヨとシネリキヨについてはうるま市の浜比嘉島にゆかりの地が残っています。以下の記事で詳しく紹介しているので、ぜひあわせてご覧ください。
【神様の島】沖縄の聖地「浜比嘉島」の信仰を巡る!おすすめスポット・観光情報を紹介
神さまの住む島として有名な沖縄県うるま市の「浜比嘉島」をご紹介!シルミチュー・アマミチューなど琉球の信仰を巡るおすすめスポットや、お祭り・儀式・年間行事を解説。観光情報やアクセス方法も。
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2024.08.01
琉球王国と神女(かみんちゅ)
琉球神道
神社と同様に、琉球王国にも宮司や巫女の役割が存在しました。代表的な神職である「ノロ」「聞得大君」「ユタ」について解説します。
ノロの役割
琉球王国では、女性の司祭である「ノロ」が活躍しました。
ニライカナイから訪れる神様は豊穣をもたらし人々を厄災から守るとされており、ノロは神様からのお告げを地域の人々に伝える役割りを担っていました。
祭祀の間は神様を憑依できると信じられており、神様を憑依させたノロは「神人、神女(かみんちゅ)」と呼ばれています。
琉球神道では人智を超えた霊的な力を「セジ」と呼び、「人間に善をもたらすセジの顕現者(けんげんしゃ)」を神様と呼んでいます。簡単にまとめると「ノロとは強いセジを備えている巫女である」ということですね。
聞得大君(きこえおおきみ)の役割
琉球王朝時代ノロは各地域に存在していましたが、全国のノロの頂点が王家のノロである「聞得大君(きこえおおきみ)」です。
初代・聞得大君は国王の妹でしたが、のちに先代の王妃が聞得大君になるよう変化していきます。聞得大君は神様と交信しお告げを国民に伝えたり、その内容を政治に反映させたりしていました。
琉球王国においてお告げの内容はとても重要で、聞得大君が国王より上の位に位置する時代もあったほどです。これには、祭政一致(宗教的な主宰者と政治の主権者とが一致していること)による宗教的支配の狙いもあったようです。
ノロとユタの違いは?
沖縄地方には、ノロの他に「ユタ」と呼ばれる巫女もいます。
ノロが神様と交信して地域の人たちにお告げを伝える役割だったのに対し、ユタは先祖の霊や人の魂と交信して依頼主に伝える役割がありました。
ノロは神様を国や地域とつなぐ役割、ユタは特定の霊や魂を依頼主につなぐ役割と考えるとわかりやすいですね。
活動するための条件 交信の対象
ノロ 血筋・家柄 守護神やニライカナイの神々
ユタ 霊との交信能力が開化した人 祖先の霊や人間の魂
スクロールできます
ノロは公的な場面で活動する神官、ユタは私的な呪術宗教を受け持つ口寄せ巫女といったイメージです。
琉球神道と奄美大島
琉球神道
現在の奄美大島は鹿児島県ですが、「奄美パーク」や「奄美市民俗資料館」では琉球神道の歴史にふれることができます。沖縄から海を渡って伝わった言葉や考え方の中から、「おなり信仰」を紹介します。
おなり信仰
「おなり信仰」は鹿児島県・奄美諸島と沖縄県にみられる習俗です。
「オナリ」とは姉妹を意味する琉球の方言で、兄弟を示す「エケリ」と対をなす言葉です。琉球では姉妹に兄弟を霊的に守護する力があると伝えられ、その霊性を表して「おなり神」と呼びます。
おなり信仰のわかりやすい例には、兄弟が船旅に出るとき姉妹の手ぬぐいや髪の毛をお守りとして持たせる習慣があります。また、兄弟に関する姉妹の発言が尊重される気風もありました。
琉球神道では女性は男性より霊力が高く、神様や霊を宿しやすいとされています。ノロやユタの役割りを女性が担うのも、この考え方がもとになっています。
沖縄と奄美大島の共通点
奄美大島では、神々に関する名称が以下のように伝わっています。
沖縄 奄美大島
神々のいる場所・理想郷 ニライカナイ ネリヤカナヤ
女神 アマミキヨ アマミコ
男神 シネリキヨ シレニク
スクロールできます
若干の違いはありますが、発音してみると音が似ているのはおもしろいポイントですね。
奄美大島の節田(せった)集落には、アマミキヨが降り立ったとされる「阿麻弥姑神社(あまみこじんじゃ)」があり、この伝承も久高島の神話と似通っています。
現在に残る琉球神道ゆかりの地
琉球神道
現在でも訪れることができる琉球神道ゆかりの地を3つ紹介します。パワースポットとしても有名なので、興味を持った方はぜひ訪れてみてください。
久高島
アマミキヨ・シネリキヨが降り立ったとされる場所が、沖縄本島東南端に位置する「久高島」です。
琉球七大御嶽のひとつ「フボ-御嶽」は島のなかでも最高の聖域とされ、立入禁止区域となっています。
ニライカナイから来訪神が訪れる際に船を停めるとされる「イシキ浜」や、アマミキヨが降り立ったとされる「カベール岬」などが見どころです。
沖縄本島・南城市の安座真港より定期フェリーまたは高速船でアクセスできます。島全域が聖域とされているため、訪問の際は島のルールやマナーを守るよう気をつけましょう。
斎場御嶽(せーふぁうたき)
沖縄県・南城市にある、沖縄本土から久高島を望むよう造られた場所が「斎場御嶽(せーふぁうたき)」です。琉球王国最高の聖地で、琉球国王や聞得大君も参拝しています。
詳しい情報は以下の関連記事からご覧ください。
斎場御嶽(せーふぁうたき)
「斎場御嶽(せーふぁうたき)」は沖縄県・南城市にある場所で、神社ではなく「御嶽(うたき)」と呼ばれる聖域です。沖縄県には多くの御嶽がありますが、そのなかでも斎場御嶽最も格の高い聖地でした。人工的な建造物はなく、自然の樹木とそのままの岩山が神の宿る存在として拝まれています。
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2022.09.16
シルミチュー霊場
沖縄県・浜比嘉島にある「シルミチュー霊場」は、アマミキヨとシネリキヨが居住した場所と言われています。
沖縄に伝わる開闢神話(かいびゃくしんわ)で、アマミキヨとシネリキヨが子供をもうけた場所と伝えられています。以下の関連記事でも紹介しているのであわせてチェックしてみてください。
シルミチュー霊場
シルミチュー霊場は、沖縄県うるま市にある霊場です。沖縄に伝わる開闢神話(かいびゃくしんわ)で琉球王国の祖神であるシネリキヨとアマミキヨが生活し、子どもをもうけた場所と伝えられています。シネリキヨとアマミキヨは沖縄の島々を創ったとされる神様です。
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2022.09.16
まとめ
琉球神道
琉球神道や神社神道との共通点、沖縄の神様などについて解説しました。
沖縄の信仰は琉球神道に基づいたものが多く、本土のものは違った独特の文化を形成しています。琉球神道についての知識があると、沖縄や奄美大島を訪れた際に少し違った楽しみ方をできるかもしれません。
沖縄地方に旅行に行くときは、美しい島々に癒やされながら琉球王国や沖縄の神話に思いを馳せてみてください。
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この記事を書いた人Tomo
Tomo
「神社メディア・アニミズム」管理人。Webディレクター、Webライター、写真家として活動中。
神社巡りと世界遺産巡りのために47都道府県を制覇した後、世界の文化を見に60ヶ国以上を旅しました。
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ウィキペディア
琉球神道(りゅうきゅうしんとう)は、古琉球および琉球王国を中心に信仰されてきた多神教宗教である。
日本神道と同様に、固有の教典や具体的教義、開祖を欠いており、神話、自然崇拝のアニミズム的かつ祖霊崇拝的な宗教である。
広義には、古琉球および琉球王国の版図、すなわち奄美群島から沖縄諸島、先島諸島において見られたアニミズム・土着的信仰要素を含む。
狭義には、琉球王国時代、王国各地の宗教支配の手段として祭政一致体制に整備された宗教を指す。琉球の按司や王はノロや聞得大君を祭政一致体制に組み込む一方でそれにそぐわない土着の地域信仰であるユタを度々弾圧した。
現在、琉球神道は民間信仰に形を変えて残っている。ニライカナイ信仰、御嶽信仰とも称する地域もある。
解説
民俗学者の折口信夫は著作「琉球の宗教」の冒頭で、琉球の宗教を袋中以来の慣用によって琉球神道の名で話を進めたいと断った後、琉球神道は日本本土の神道の一つの分派、あるいはむしろ巫女教時代のおもかげを今に保存していると見る方が適当な位であると述べた。
鳥越憲三郎は『琉球宗教史の研究』の中で、琉球宗教の二大潮流をなすものは御嶽信仰と火神信仰であるとし、やがて火神(ヒヌカン)は日神(テダ)と同一視され、按司(アジ)や国王の実権の所在を表徴する役割を持つに至ったと述べている。
宮里朝光「琉球人の思想と宗教」によれば、琉球の固有宗教は、個人的な幸福を祈願するのではなく、社会及びそれを支える生活や生産について祈願し祝福するもので、社会が平和になれば個人は幸福になれると考えたのだと言う。その固有信仰は、祖霊神、祖先崇拝、火神、ニライ・カナイ、おなり神、水のセジ、万物有霊などがあるが、拝む対象の日月星辰を通して現世に益をもたらす祖霊に報本反始するものであると述べている。
このように琉球は特有の信仰を有している。以下、その固有信仰などについて解説する。
信仰の由来
琉球神道は自然発生的に生まれたと考えられている。ノロが世襲型、ユタが原始的な召命型のシャマニズムであること、御嶽は古代集落が原型と考えられ御嶽信仰は祖霊崇拝が変化したものと考えられること、またおなり神信仰は古代の母系社会や女性上位社会の変化と考えられること、これらのことから古代信仰の形式をとどめていると考えられている。
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