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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、芸人、芸妓、舞妓、その他)は、天の岩屋戸(あめの‐いわやと)神話から生まれていたが、軽蔑され、差別され、虐げられていた。
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2025年7月8日 MicrosoftStartニュース Léa Michel「日本で最も魅力的な女性の伝統の一つが消えつつある
© jcomp / Freepik
芸妓は、古くから優雅さ、芸術、そして神秘の象徴として、日本文化を象徴する存在の一つです。しかし今日、この何世紀にもわたる伝統は消えつつあります。特にソーシャルメディア上では、芸妓は今もなお称賛を集めていますが、京都や東京といった大都市には、わずか数人の芸妓しか残っていません。
洗練された、あまり知られていない生活の芸術
海外ではしばしば誤解されるが、芸者は遊女でも古典芸能者でもない。彼女たちは、伝統音楽、舞踊、談話、茶道、華道といった分野で長年の訓練を受けた、高位のホステスである。
豪華な着物を着て、定められた化粧と髪型を身につけた彼女たちは、江戸時代(1603~1868年)から受け継がれてきた日本の生活芸術を体現しています。
自由落下する数字
芸妓の減少は深刻な問題です。20世紀初頭には日本全国で約8万人の芸妓がいましたが、文化庁の統計によると、現在では300人以下しか現役ではありません。京都では、祇園が芸妓の歴史的な拠点として今もなお活動していますが、芸妓(地元では芸妓の呼称)と舞妓(芸妓見習い)はわずか数十人しか残っていません。
高い訓練費用、厳しい生活スタイル、そして需要の減少が、この衰退の一因となっています。また、意識の変化や現代的な娯楽の普及も、この職業が日本の若い女性にとって魅力を失わせている要因の一つです。
デジタルへの関心が再び高まっているが…まだ十分ではない
逆説的に、芸妓はデジタルプラットフォームのおかげで、世界的な注目を集め続けています。舞妓さんが踊ったり、伝統的なパフォーマンスを披露したりする動画は、TikTokやInstagramで何百万回も再生されています。コメント欄には畏敬の念、そして驚きの声が溢れています。インターネットユーザーからは、「日本で芸妓さんに会えるのが夢」や「芸妓さんって本当に優雅で素晴らしい!」といったコメントが寄せられています。
しかし、こうしたオンラインでの熱狂は、具体的な支援や持続的な伝播には繋がっていません。ほとんどの芸者屋(置屋)は新規の客の確保に苦労しており、中には閉店するところもあります。
生きた遺産を保存するための取り組み
こうした消滅の危機に直面し、いくつかの取り組みが生まれています。置屋の中には、その手法を現代化したり、一般向けにワークショップを開いたり、高級ブランドとコラボレーションしたりするところもあります。また、文化的な支援に頼って後進の育成に取り組んでいるところもあります。日本政府は芸妓関連の特定の慣習を無形文化遺産に指定していますが、割り当てられる資源は依然として限られています。
芸妓は人々を魅了し、刺激を与え続け、そして今もなお人々を魅了し続けています。しかし、現代日本の比較的無関心な状況の中で、彼女たちは徐々に姿を消しつつあります。ソーシャルメディアは彼女たちのイメージ維持に役立っていますが、積極的な文化政策と地域からの真の支援だけが、彼女たちの存続を確かなものにするでしょう。
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芸妓と舞妓の多くは貧困の下層民の出身であった。
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芸妓は、幕末期には勤王の志士・尊皇派らの書生論的天下国家論議に共鳴して命がけで彼らを助けて倒幕・明治維新・近代化を成功させ、明治初期には政治家・官僚・軍人・財界人の妻として鹿鳴館文化を生み出して諸外国の外圧から日本天皇・日本国・日本民族を守る為に外交を陰で支えていた。
ある意味、日本が欧米列強や中華帝国の植民地化されず、日本人が外国人の奴隷にさせずにすんだのは、愛国・憂国・忠誠の芸妓がいたからある。
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日本民族の歴史では、日本人女性は賢く度胸があって政治・外交・軍事・経済そして社会など多方面で重要な働きをしていた。それが、本当の意味での「内助の功」である。
男尊女卑の儒教価値観で、「女性を家庭の中に閉じ籠もって夫に下婢の如く隷属して家庭を守っている」事が内助の功ではなかった。
女性が男性に代わって緊急事態に重要な決断をした時代は、戦国時代から江戸時代初期にも見られた。
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時代と共にグローバル的な新しいモノを有り難がる現代日本が増える事で、日本民族の古き良き伝統・文化・宗教が消えていく。
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現代のエリート・富裕層・文化人・企業経営者は、昔のエリート・お大尽・財界人とは全然違う。
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儒教価値観の中国・朝鮮では、「傾国の美人」を教訓として男尊女卑を国家・社会・家の基本理論としていた。
神道価値観の日本は、天孫降臨神話=天皇神話に基づき最高神を皇室に祖先神である女性神の天照大神であった。
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歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士・悪党・野伏せり、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民{海女、海人})、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、相撲取り・力士、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、芸人、芸妓、舞妓、その他)、その他である。
日本民族には、天皇への忠誠心を持ち命を犠牲にして天皇を守ろうとした「帰化人」は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否し自己益で天皇を殺そうとする「渡来人」は含まれない。
儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中には過激な無政府主義やマルクス主義に染まっていった。
江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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同じ儒教価値観で卑賤視され差別される部落民や賤民(非人・穢多・散所{さんじょ}・河原乞食・他)とでは、何故・どういう理由で偏見をもって差別されるかが違う。
マルクス主義・共産主義の階級闘争史観やキリスト教の最後の審判価値観では、日本の部落民や賤民を解釈できないし説明できない。
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現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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戦後のマルクス主義者・共産主義者は敗戦利得者となって、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳し、民族主義・天皇主義を日本から消滅させるべくメディア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。
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少数の超難関高学歴出身のAI強者・裕福資産家の勝ち組 vs. 多数の中程度高学歴出身のAI弱者・貧困労働者の負け組。
日本を動かしているのは学閥である。
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保守には、正統保守やエセ保守など数多くの保守が存在する。
現代日本では、急速に新保守の守旧派とエセ保守が増えた。
正統保守は古保守として守旧派ではない、もし正統保守が守旧派であったら日本民族に見捨てられとうの昔に消滅していた。
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4月12日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「日本人にとって「お笑い」とは何だったのか…その「知られざる起源」
「わび・さび」「数寄」「歌舞伎」「まねび」そして「漫画・アニメ」。日本が誇る文化について、日本人はどれほど深く理解しているでしょうか?
【写真】日本人にとって「お笑い」とは何だったのか…その「知られざる起源」
昨年逝去した「知の巨人」松岡正剛が、最期に日本人にどうしても伝えたかった「日本文化の核心」とは。
2025年を迎えたいま、日本人必読の「日本文化論」をお届けします。
※本記事は松岡正剛『日本文化の核心』(講談社現代新書、2020年)から抜粋・編集したものです。
笑いの原点にいる神々
笑いの起源も神々とともにあったということは、ミコトモチの話よりはよく知られていることだろうと思います。アマテラスがスサノオの乱暴に呆れて岩戸の中に隠れてしまったときに、アメノウズメノミコト(天鈿女命)が陰部を見せるようなエロティックな踊りをして、それを取り巻いて見ていた神々たちの「笑ひえらぐ」声に、アマテラスが気になって岩戸から顔を出したという例の話です。
アメノウズメは巫女やシャーマンのような役割の人物だったのだと思います。当時のシャーマンには人を鼓舞し笑わせる才能も役目もあったのです。彼女はニニギとともに天孫降臨したメンバーの一人で、神楽神祇にかかわった猿女の始祖ともいわれます。
アメノウズメについては「おかめ」や「おたふく」のルーツではないかという説もあります。里神楽の定番になっている「おかめ・ひょっとこ」踊りは、笑い顔のおかめと口をとんがらせた「ひょっとこ」が2人でおかしく踊ってみせるもので、おかしな仕草や少し猥褻な仕草をします。「ひょっとこ」とはいかにもおもしろそうな名称ですが、火吹き竹を吹いている「火男」を象ったキャラクターで、「ひおとこ」の発音が訛って「ひょっとこ」と言われたものです。
おかめは実在の「お亀」さんのふっくらした容貌から発したものとも、のちの狂言の乙御前の面が似ているところから、乙女の典型的な表情ともいわれるのですが、定説はありません。定説がわからなくなるほど広がっていったのでしょう。そのぶん現代にまでつながっています。小太りで眉毛を太くして頬を紅く強調した「おかめ」や「おたふく」は、今日なおコウメ太夫などをはじめとする太り目のお笑いタレントの「顔」や「仕草」に反映しています。日本人はあの福笑いのような表情になぜか気がゆるむのだと思います。あるいは気を許すのでしょう。
熱田神宮に「酔笑人」という神事があって、通称「オホホ祭」といわれています。一七名の神職が白装束で神面が入った箱を提げてしずしずと別宮の影向間社に向かい、そこで箱から面を出して代表がそれを三度叩いて「オホ」と言うと、笛を合図に全員が「オッホッホッホ」と笑うのです。これを神楽殿・別宮八剣宮・清雪門でもくりかえすという、なんとも変わった奇祭です。
漫才の誕生
笑いは神々や世間にふるまうものでした。柳田国男は笑いをふるまう者を、まとめて「烏滸の者」と名付けました。烏滸とは「おかしみ」とか「滑稽」という意味です。「おこがましい」も烏滸から出た言葉で、「出過ぎている、さしでがましい、あまりもばかばかしい」といった意味をもちます。
この烏滸が日本芸能にひんぱんに採り入れられてきたのです。里神楽の烏滸だけではなく、猿楽や田楽に入りこみ、ついでは狂言になり、さらに千秋萬歳や近世の漫才芸や俄に及んだのです。
千秋萬歳は正月の言祝ぎの芸能で、扇子をもった太夫と小鼓を鳴らす才蔵とが二人一組になってめでたい芸をするもので、三河萬歳とも尾張萬歳ともいわれてきました。烏滸の「ことほぎ」ですから、当然におおげさです。ただしこのおおげさはバサラやかぶき者のおおげさではなくて、笑いに向かって出過ぎていったのです。
それが明治になって寄席や演芸場に呼ばれるようになると、しだいにスタンドアップ・コメディアンやダブルアクトのお笑い芸に転じていきます。
それを昭和初期に吉本興業の社長の橋本鐵彦や総支配人の林正之助が「漫才」と呼ぶようになり、ここに横山エンタツ・花菱アチャコが出現して、大ブームをおこした。それでも私の子供時代の寄席では、たとえば砂川捨丸・中村春代のコンビが小鼓をもち、昔ながらの萬歳の仕草で当世風の「ぼやき」をしゃべっていたものです。
けれども捨丸・春代では戦後の日本人は笑えない。そのころ京都でラジオにかじりついていた子供の私も、中田ダイマル・ラケット、ミヤコ蝶々・南都雄二、夢路いとし・喜味こいしに大笑いするようになり、なんだかもっと徹底的に笑いたくなっていたものでした。その後にやってきたのがテレビが火をつけた漫才ブームで、横山やすし・西川きよし、西川のりお・上方よしお、オール阪神・巨人、ツービートでした。大いに笑わせてもらいましたが、さあ、そのあとがどうだったのかというと、少し心配です。
漫才が「ボケ」と「ツッコミ」に爆走していったのはよいとして、そのツッコミ役が次々に司会に転じていったのは(島田紳助→浜田雅功→上田晋也というふうに)、お笑いを拡散させ、テレビを一様にし、その後のお笑い芸人を「仕切り役やりたがり病」に向かわせすぎたように思います。
松岡 正剛(編集者)
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京の五花街
京の花街文化
芸妓について
舞踊、三味線(しゃみせん)、お囃子、唄、などの芸や茶道、行儀作法を5、6年修業し、お座敷での振る舞いも適性と認められた舞妓が芸妓になります。芸妓になると、舞妓のように置屋に頼れず、自分の芸と才能で自前(一本立ち)にならなければなりません。このため、芸を日々磨き、お座敷での振る舞いをさらに洗練させ、また、育ててもらった置屋、お座敷のかかるお茶屋や贔屓筋(ひいきすじ)とのきずなをしっかり強めていくこともますます大切になってきます。自前の芸妓に定年はなく、生涯芸妓を続けることができます。
芸妓には、「立方(たちかた)」と「地方(じかた)」という二つの役割があります。舞妓時代からの修業で、舞踊、三味線、鳴り物、笛、長唄や浄瑠璃(じょうるり)、清元(きよもと)、小唄などの唄を身に付けていきますが、その中で、舞踊を専門に担当する芸妓を立方。三味線や太鼓、小鼓(こつづみ)、笛(能管(のうかん)、篠笛(しのぶえ))などのお囃子を演奏したり、唄を担当する芸妓を地方といいます。元々は、芸妓になる時、それぞれの適性を見て、立方と地方に振り分けていました。もちろん、きめ細やかな気配りや美しい京の花街言葉、正統の行儀作法でお座敷を盛り立てる役割は、立方も地方いずれも変わるところはありません。ただ、特に地方はかなりの年季と才能、技術を必要とするので、一朝一夕にはなれません。このため、近年、地方は減少傾向をたどっています。
こうした中で、五花街のうち祇園甲部は、現在もはっきりと立方、地方の役割を分けていて、最近は、最初から地方を目指す女性を受け入れています。他の花街も、積極的に地方育成に力をいれていて、立方、地方両方をこなせるオールラウンドタイプを目指す芸妓も増えてきているようです。
芸妓について
立方について
舞踊は芸妓舞妓の必須科目。各花街それぞれ日本舞踊の流派が決まっていて、仕込み時代から各流派お師匠さんから手ほどきを受け、厳しい稽古を重ねます。芸妓になるころ、舞踊の適性があるとされると、その芸妓は舞踊を専門にする立方になっていきます。立方一人が持っている舞踊のレパートリーは、誰もが知っている京の花街を象徴する「祇園小唄」や四季それぞれにふさわしい演目など、数十曲にも及ぶといいます。さらに、地方さんと一緒になって昔から伝わるお遊びや、当意即妙の話術で座敷のお客さんの相手をし、その心をそらしません。厳しい稽古で日々磨いた舞踊の成果は、毎日のお座敷はもちろん、各花街が毎年、春や秋に開催する公演舞台で披露されます。また毎年6月に開かれる京都五花街合同公演「都の賑い」は、五つの花街の芸妓舞妓が一堂に会し芸を競う舞台。各花街それぞれの流儀による舞踊の特色や違いを見比べることができる絶好の機会となります。
立方について
地方について
三味線を弾き、鼓や太鼓で囃し、能管や篠笛などの笛も吹き唄をうたって立方の舞踊を引き立てる。さらにお客さんのリクエストに応え三味線の伴奏をするのも地方の役目です。白塗りであでやかに舞い踊る立方とは違い、白塗りをせず、髪も鬘(かつら)はもちろん髷(まげ)も結わず華やかさこそ控えめながら、舞踊を導き、その場を華やかに盛り上げていくのが地方の役割。まさに芸一筋に生きる芸妓の気概を感じさせるのが地方であり、お座敷や舞台で立方が生えるかどうかは地方次第といってもいいくらいです。立方を務めた後、途中から地方に変わる芸妓もいて、そうした地方は舞踊のことがわかるので、立方は非常に舞ったり踊ったりしやすいといいます。また、舞妓修業もなく年齢にもこだわらず地方を目指す女性に門戸を開く祇園甲部のような花街もあり、それに呼応するように、邦楽や和楽器に興味を持つ志願者が花街に入ってくることも珍しくはなくなっています。地方不足の心配もやがて解消することになるかもしれません。
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ウィキペディア
江戸時代から昭和前期に掛けての芸妓(げいぎ、げいこ)は、色街で売春を生業とした売春婦の中でも、技能を有した比較的好待遇の者の呼称。舞踊や音曲・鳴物で宴席に興を添え、客をもてなす女性。芸者・芸子のこと。酒席に侍って各種の芸を披露し、座の取持ちを行う女子のことであり、太夫遊びが下火となった江戸時代中期ごろから盛んになった職業の一つである。
江戸時代には男芸者と女芸者とがあった。江戸時代には京都や大坂で芸者といえば男性である幇間(太鼓持ち)を指し、芸子が女性であったが、明治になると芸者が男性を指すことはなくなり、以降は大阪でも女性を芸者というようになった。京都では芸妓(げいこ)とよばれる。現代では料理屋(料亭)、待合茶屋に出入りする芸者が職業として確立されている。地方の温泉地等コンパニオンと呼ばれる派遣とは、本職の芸妓とは大きく異なる。また、俗に枕芸者と呼ばれるものもは一部の特殊な売春であり、職業としての芸妓・芸者とは全く異なるものである。
呼名・異称・用字にはさまざまなものがある。下記「名称」の項目を参照のこと。
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2025年7月12日 YAHOO!JAPANニュース NEWSポストセブン「京都祇園の花見小路通りで芸舞妓の撮影を巡る問題が深刻化しています。京都では、約10年前から観光客が芸舞妓につきまとって撮影する行為が問題視されていました。
また、約2年ほど前からはYouTuberによる被害も表面化しているようです。
芸舞妓を待ち伏せてカメラを回しながら跡をつけたり自宅の前までつきまとう撮影者もおり対策として防犯ブザーを携帯する芸舞妓も出てきたということです。
芸舞妓が所属する祇園甲部組合は「被害を把握している」とし、「収益目的の模倣者が増えることを懸念している」と回答しました。
こうした問題に現地では戸惑いの声があがっています。
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2025年6月26日 YAHOO!JAPANニュース 集英社オンライン「「タバコの吸い殻を首元に…」「かんざしも盗まれた」元舞妓が明かす迷惑外国人観光客たち…「盗撮も日常茶飯事」“舞妓ハント”の実態
京都・花街で増える迷惑行為の実態
街を歩けばカメラを向けられ、着物を引っ張られ、装飾品を盗まれることすらある……。16歳の頃、京都・花街で舞妓として過ごした元舞妓・桐貴清羽(きりたか・きよは)さん(25歳)。6月5日、京都・花街の舞妓たちに対する未成年飲酒や性行為強要、賃金未払いなどが横行しているとして記者会見を開き、実態調査や改善を求めて訴えたことでも注目を集めている。そんな彼女が外国人観光客の急増によって深刻化する“舞妓ハント”の実態を明かす。
【画像】10万円のチップをもらったこともある桐貴さんの舞妓時代
ほんの数分歩いただけでも被害に
わずか16歳にして親元を離れ、京都・花街で舞妓として過ごした日々。その中で、「外国人観光客との接点も少なくなかった」と語るのは、元舞妓の桐貴清羽(きりたか・きよは)さん。
京都・花街の舞妓たちに対する未成年飲酒や性行為強要、賃金未払いなどが横行しているとして、6月5日、東京・永田町で記者会見を開き、実態調査や改善を求めて訴えた桐貴さん。
今回のインタビュー取材で、桐貴さんは外国人観光客が増加する花街のリアルを明かした。
――近年、SNS等の影響もあり、舞妓さんを盗撮する外国人観光客が増加しているとニュースになっていましたが、当時から街中でのトラブルはありましたか?
桐貴清羽さん(以下、同) 私が現役の頃も盗撮されることは日常茶飯事でしたよ。急いでいるのに外国人観光客の方に道をふさがれて通れなかったり、追いかけ回されたりすることもよくありましたね。そのせいで遅刻してしまっても、怒られるのはもちろん私たち。
私が舞妓をしていた2015年から16年にかけては、ちょうどインバウンドブームが始まって、外国人観光客が一気に増えた時期だったんです。
現役の舞妓さんたちからも、同じような被害に遭っているという話をよく聞きます。「コロナ禍は人が少なくて快適だったけど、すっかりもとに戻った」と話す舞妓さんもいますね。
ひどいときは袖をつかまれて、着物が破れたこともあります。高価なかんざしを後ろから抜き取られたこともありましたね。そのことを報告しても、「あんたがしっかりしてへんかったからや!」と怒られるばかりでした。
外国人観光客に後ろから着物の首元にタバコの吸い殻を入れられて、泣きながら帰ってきた同期の舞妓もいました。
そういったことをする方は、日本人の観光客よりも圧倒的に外国人観光客の方が多いと聞きます。
――京都市を訪れる外国人観光客は年々増え、昨年は初めて1,000万人を超えたとのこと。今後ますます増えることを考えると、本当に心配です。
実際、ほんの数分歩いただけでも被害に遭うことがあるので、できるだけ外を歩かず、タクシーで移動するようにしていました。それでも、タクシーの窓ガラスにカメラを押し付けて、写真や動画を撮られることもあって……。逃げ場がないと感じている舞妓さんは今でも多くいます。
――インバウンド増加の影響で花街の雰囲気は変わりましたか?
花街の中に普通の飲食店が増えてきていて、外国人の方がお茶屋さんに間違えて入ってきちゃうという話をよく聞きますよ。
外国人客からのチップ事情は……
――お座敷で外国人の接待をすることもあるんですか?
もちろんお座敷に外国人のお客様が来られたり、イベントで踊りを披露する場に呼ばれたりすることもあります。
――外国人とのお座敷はどんな雰囲気なんですか?
私、実はお座敷での外国人の方への接待は好きだったんです。街で迷惑行為をする外国人観光客とは違って、基本的にみなさんお上品で、気を遣ってくれました。
今でも花街には「一見さんお断り」と言って、初めてお茶屋を利用するお客様は、お座敷経験のある方と一緒でないと利用できない決まりになっているんです。
お座敷に来られる外国人のお客様は、政治家や芸能関係者、会社役員などの富裕層ばかりで、舞妓に対してリスペクトしてくれる方が多かったです。「あなたたちはこの道のプロなんでしょう?」って対等に話してくれたり、日本文化を心から楽しもうとしてくれていたり……。
――お座敷で外国のお客さんとのコミュニケーションはどうするんですか?
ノリです(笑)。あとは、通訳の方がつくこともあります。でも、通訳の方がいてもちゃんと伝わっているのかわからないときもありましたね。感覚でみんなワイワイ楽しんでくださっている感じでした(笑)。
――お座敷でチップをもらうこともあるんですか?
外国人のお客様はチップ文化の国の方が多かったので、そのまま現金で渡されました。日本人のお客様はポチ袋に入れてそっと渡す方が多かったので、文化の違いを感じて、楽しかったですね。
――外国人のお客さんからもらうチップの金額は?
だいたい1人1万円くらいでしたね。多いときで1人のお客様から10万円くらいもらうこともありました。でも、お座敷でいただいたお金は、お茶屋さんと置屋さんにお渡しする決まりになっています。
――外国人のお客さんから枕の誘いを受けることもあるんですか?
私の知る限りで、外国人のお客様からそういった誘いを受けたという話は聞かないです。舞妓の姿をしていると、外国人のお客様はそういう発想にはなかなかならないんだと思います。
――今後、京都の街はどうなっていくべきだと思いますか?
京都って、観光で支えられている部分も大きいと思うんです。だからこそ、これからはインバウンドを受け入れる体制をちゃんと整えていくことが必要だと感じています。例えば、外国人観光客向けのイベントをもっと増やすことで、街中での盗撮など迷惑行為も減るんじゃないかなと。
そもそも、『京・花街の文化』は京都市が選定する“京都をつなぐ無形文化遺産”に指定されている大切な伝統です。だったら、閉じた場所で守るだけじゃなくて、正しい形で広く見てもらう努力があってもいい。文化を守るためにはちゃんと伝えて、理解してもらうことも大事だと思います。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
集英社オンライン編集部ニュース班
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2024年3月21日 YAHOO!JAPANニュース イット!「「舞妓パパラッチ」・のれんで手を拭く・無断トイレ侵入…京都・祇園で外国人観光客が“迷惑行為” 私道の立ち入り禁止へ
本来は撮影禁止エリアで“迷惑行為”の数々
春分の日の20日、京都の人気観光地の祇園は、多くの外国人観光客らでにぎわっていた。
花見小路では、お座敷などに向かう舞妓さんに出会うことも
祇園の中心にある花見小路では、お座敷などに向かう舞妓さんに出会うことができる。
小路からたくさんの外国人観光客が出てくる
ガイドが付いているのか、小路からたくさんの外国人観光客がゾロゾロと出てくる様子もうかがえる。
その花見小路を1本入った路地で今、ある問題が起きていた。
外国人観光客たちが横に広がり、細い道をふさいで写真を撮影している。
町家が並ぶ風情ある路地(小路)だが、その狭さゆえ、本来は撮影禁止。
さらに近隣から聞こえてきたのは、耳を疑うような“迷惑行為”の数々だった。
近隣の店の人も外国人観光客の迷惑行為に嘆いている
近隣の店の人に聞いてみると「勝手にトイレに入る方もいらっしゃる。気づいたらここ(小路)で寝てはったりとか…」とやはり困っているようだ。
近隣住民も外国人観光客の迷惑行為に困惑のようす
また、近隣住民は「何でも触ったりしはるし、のれんで手を拭いたりとかね。『なんで、のかなあかんねん、いうような(態度で)』、かなり迷惑されている…思いますよ」と語る。
このあたりは、公道と私道が混在していて、迷惑行為が相次ぐ私道には、住宅や店がずらりと並ぶ。
それでも私道の通り抜けは地元の人たちの厚意で認められてきたが、そうもいかなくなってきたという。
祇園町南側地区協議会・太田磯一幹事:
これ(自転車に乗った外国人観光客の車列)がこんだけ来ると道自体が通れなくなりますからね。(小路でガイド付きのグループが足を止めて)滞留されると、お茶屋さんにしろ、もう出てこられない状態になりますから。
祇園町南側地区協議会・太田磯一幹事:
(舞妓が店から)出たら逆にシャッターチャンス!と思って、みんなが写真を撮ったり取り囲んだりしますからね、もうそこは大変やと思います。
一部私道への観光客の立ち入り禁止が決定
こうした事態を受け、祇園の私道を管理する協議会は、原則、観光客の立ち入りを禁止とすることを決め、4月以降、私道に看板を設置することになった。
違反した場合には罰金1万円を科すとしている。
インドネシア人観光客
祇園を訪れていたインドネシア人観光客:
もうこれを体験できないなんて、とても残念です。ここはすごくきれいで、ほかでは見られないので。
アメリカ人観光客
祇園を訪れていたアメリカ人観光客:
良い考えだと思うわ。SNSが広がった今こそ考えるべきよ。
祇園一帯では約10年前から”舞妓パパラッチ”が問題化
祇園一帯では10年ほど前から、観光客が舞妓さんを追いかけて撮影する、いわゆる“舞妓パパラッチ”が問題化している。
過去には着物を引っ張られ破れたり、袖にたばこの吸い殻を入れられるなどの被害が発生している
着物を引っ張って破られたり、袖にたばこの吸い殻を入れられるなどの被害まであったという。
5年前から私道での撮影が原則禁止に
そうしたトラブルを防ごうと、5年前から私道での撮影が原則禁止となっていた。
しかし迷惑行為はあとを絶たず、今回の立ち入り禁止に踏み切らざるを得なくなったのだ。
祇園町南側地区協議会・太田幹事
祇園町南側地区協議会・太田幹事は「住民の人たちが困っていることを対処しようというのが一番ですので」と語る。
“おもてなしの心”が受け継がれる、京都・祇園が迫られた苦渋の決断。
迷惑行為に悩まされてきた側からは、歓迎の声が上がっている。
祇園の店の方:
色々と助かります。
祇園町南側地区協議会・太田幹事:
ここ(小路の入り口)に、言うてはった立て看板付けるし。
祇園の店の方:
本当、助かる。
祇園町南側地区協議会・太田幹事:
舞妓ちゃんも(道に)出れへんしな。
祇園の店の方:
そうやねん、かわいそうにな。
祇園町南側地区協議会・太田幹事:
おおきに~
祇園の店の方:
おたの申します~(頼みます)
祇園の協議会は今後、ほかの私道も通り抜け禁止にしていく考えだ。
(「イット!」 3月20日放送より)
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2019年12月3日 東洋経済ONLINE YAHOO!JAPANニュース「京都市民が嘆く「舞妓パパラッチ」の悪行三昧
観光客は舞妓にとって「危険な存在」でもある
中井 治郎 : 社会学者
京都にはつねに多くの観光客が押し寄せているが、そこにも住む人の生活があることを、観光客は少しでも考えたことがあるのだろうか(写真:chimps/PIXTA)
毎年5000万人以上の観光客が押し寄せる京都。暴走する外国人宿泊客によるトラブルが、さまざまな方面にダメージを与えている。「舞妓パパラッチ」も、その1つ。
社会学者の中井治郎氏による、京都を襲う「観光公害の今」を明らかにした新書『パンクする京都 オーバーツーリズムと戦う観光都市』から一部抜粋して、お届けする。
この数年で、ガラッと変わった京都の風景。四条通もずいぶん様変わりした。数年も京都にご無沙汰している人が再訪したなら、その変わりように驚くのではないだろうか。なによりも四条通の景色を一変させたのは「世紀の愚策」とまで言われた京都市の「英断」である。
そもそものきっかけは京都の名物である交通渋滞だった。長年の課題であったこの問題を解決するために、この街の交通のあり方そのものの抜本的な改革に着手することになった京都市は、ついに大英断を下す。それは慢性的な渋滞に悩まされる目抜き通り・四条通の車線を「あえて」削減し、「逆に」歩道を拡幅するという、まさに「その発想はなかった」という歩道拡幅事業であった。
四条通の主役は「外国人観光客」に
当然といえば当然なのであるが、その結果、当初は悪夢のような大渋滞と大混乱を引き起こすことになり、京都市のこの歩道拡幅事業の顚末を「“世紀の愚策”か」と書き立てる新聞記事まで出るほどの事態となった。
しかし、結果的には、この「英断」によって京都の目抜き通りの主役が見事に交代することとなった。車線を減らすことで、四条通は自動車にとって「不便な道」になった。そのおかげで、これまで通りをわが物顔に占拠していたマイカーたちをこの目抜き通りから遠ざけることに成功したのである。
そして代わりに新たな主役たちがこの四条通にやってくることになった。新しい主役たちはカラフルなリュックサックを背負い、巨大なキャリーケースを転がしながらやってきた。道いっぱいの外国人観光客たちである。
この歩道拡幅が行われたのは2015年。これは外国人観光客による「爆買い」が流行語となり、45年ぶりに訪日外国人旅行者数が出国日本人旅行者数を上回った年である。そして、世界で最も影響力があるといわれるアメリカの旅行雑誌『トラベル+レジャー』において、バルセロナ、ローマ、フィレンツェなどキラ星のような世界的観光都市を押さえて、2年連続で京都が人気観光都市ナンバー・ワンに選ばれた年でもある。
つまり四条通の主役交代劇は、世界的な京都観光ブームの盛り上がりと、奇跡とも必然ともいえる絶妙なタイミングでシンクロした出来事だったのである。これは京都にとって象徴的な転換点といえるだろう。
京都は今や「史上空前の観光ブーム」
この四条通は京都の中心部であり、京都駅に次ぐ交通の要衝である。今や通り自体が大きなバスターミナルの様相を呈し、多くのバス停のルーフが軒を連ね、そろいのゼッケンをつけた係員に誘導されながら、長い行列に並んだ大荷物の観光客たちが次々にバスの中に吸い込まれていく。ひっきりなしにバスはやってくるが、運んでも、運んでも、運ばれるために集まってくる観光客の行列は絶えない。
窓越しにバスの車内をのぞくと、ラッシュアワーでなくとも立錐の余地もないすし詰めである。そうして毛細血管を走る赤血球のように京都の隅々にまで観光客を送り込んでいく。
「乗れないし、1度乗ったら降りられない」そんなふうにもいわれるバスの混雑と、それをさばく手際のよさ。京都の顔・四条通は、今や史上空前の観光ブームに立ち向かう京都の奮闘ぶりが垣間見られるスポットの1つとなっている。
とはいえ、歩道を歩いていると、人の波である。たった数年前までは歩道の幅がこの半分ほどしかなかったことなど、今となっては到底信じることはできない。
「歩いて楽しめる」という京都市の掲げたコンセプトどおり街を楽しみながらゆったり歩く観光客たちを(視界の死角から膝を攻めてくる彼らのキャリーケースに注意しつつ)追い抜き、すり抜けながら、懐かしの縦スクロール・シューティングゲームのように進んでいくことになる。
四条河原町の交差点を渡って鴨川を目指す。そうすると次第に歩道の幅は狭くなり、すり抜けも追い抜きも困難になる。なすすべもなく、ただ人波に流されるまま東へと運ばれていく。
京都を代表する近代建築であり、森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』で全国の文化系男女に広く知られるところとなる東華菜館の美麗きわまる玄関の前を素通りすると、四条大橋にさしかかる。
夏に先斗町(ぽんとちょう)のお店が出す川床と河川敷に等間隔で座るカップルが名物である鴨川にかかる橋である。「ああ、川面を走る風が気持ちいい」などと思いながらも、鴨川をバックに肩を寄せ合う観光客の自撮り棒をわれながら慣れた身のこなしで避けつつ対岸を目指す。
このまま川端通を越えると歩道に地元住民らしき人の姿はぐっと少なくなり、歩道沿いの商店もお土産物屋や観光客向けの飲食店がほとんどになる。「観光客が多くておっくうな」四条通もこの辺りまで来ると、「観光客が多い」どころではなく、ほぼ「観光客の道」となる。
舞妓さんに伸びる「怪しげな手」
そして京都を代表する花街として有名な祇園に差し掛かると、時代劇でよく見かける高札のような看板が目に入る。歩き煙草禁止やゴミ捨ての注意などが示されており、外国人観光客に対してマナー周知のための「御触書」ということなのだろうとわかる。そしてとくに印象的なのが舞妓さんに伸びる怪しげな手である。
マナー啓発を呼びかける「高札」(写真:『パンクする京都 オーバーツーリズムと戦う観光都市』より)
この辺りは、舞妓さんや芸妓さんが座敷を行き来するお茶屋さん、そして彼女たちが寝起きする屋形がある地区であり、この花見小路はいわゆる京都五花街といわれるうち最大の花街である祇園甲部のメインストリートである。とくに景観の整備された南側を中心にここ数年は多くの観光客でにぎわう通りだ。
しかし、聞くところによると観光客による舞妓さんへの迷惑行為が問題化しているという。
この界隈に外国人観光客が押し寄せるようになったのは5年ほど前、2014年前後からとのこと。その頃から単なる人の多さのせいだけにはできないトラブルが数多く起きているようだ。
日が落ちる頃、舞妓さんたちはそれぞれ呼ばれたお座敷へと向かう。よく見てみると舞妓さんや芸妓さんの名札がかけられた屋形の前に、カメラやスマホを持った外国人観光客が人だかりをつくっている。どうやらここから舞妓さんが「出動」することがわかって待ち受けているらしい。
また通りを見ていると、10センチ以上もの高さになるおこぼ(下駄の一種)を履いた舞妓さんが駆け抜けるように歩いていくのを(忙しい彼女たちはとにかく歩くのが速い)、24時間テレビのマラソン中継さながらに並走しながら動画を撮影している観光客も1人や2人ではない。
そしてタクシーが止まるたびに、今度こそは舞妓さんが乗り降りするのではないかと期待した観光客が集まってきてタクシーを囲み、バシャバシャとシャッターを切る。
花街とはそもそもどのような場所であったかを知っている人間からすると、あぜんとするような光景である。こんなふうに舞妓さんを執拗に追いかける観光客たちの様子を見た誰かがこう言ったらしい。
「まるでパパラッチじゃないか」
近年、祇園で問題となっているのが、このような舞妓さん目当ての外国人観光客による数々のマナー違反行為である。
無遠慮な撮影攻勢に始まり、声かけ、着物にさわる、カメラやスマホを向けてのつきまといなどその種類はさまざまであるが、いつしか、これら舞妓さんを襲う外国人観光客のマナー違反行為の数々を総称して「舞妓パパラッチ」と呼ぶようになった。さきほどの高札が警告していたのは、このような、舞妓パパラッチに対する注意喚起なのである。
舞妓さんの着物を破られた、衿元に煙草の吸殻を投げ入れられたなど、にわかには信じられないようなひどい話を耳にする機会も増えた。この界隈に押し寄せている外国人観光客たちの存在は、彼女たちにとってもはや迷惑どころか「危険」な存在になっているといえるだろう。
舞妓さんも「生身の人間」だ
もともと歴史的景観地区として花街らしさを生かすように整備され、伝統的な花街の風情を残す建物が並ぶ通りなのだが、通りを埋め尽くしてわが物顔で座り込んだり舞妓を追いかけているのは花街には場違いな観光客たちである。
『パンクする京都 オーバーツーリズムと戦う観光都市』(書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします)
例えばディズニーランドは、セットからスタッフまで完璧に統一された世界観を構築していることで有名だが、あの空間で唯一、ディズニーの世界観に合致していない場違いな存在は客である。祇園・花見小路の町並みと、通りを埋め尽くすカジュアルな観光客たち。このちぐはぐさを見ていると、まるで自分がテーマパークの一角にいるような錯覚を覚える。
はるばる京都まで非日常を体験しに来た彼らも、自分が今テーマパークにいるように感じているのかもしれない。ディズニーランドでミッキーの登場を待つように、彼らはこの通りで舞妓さんの「登場」を待っているのかもしれない。
しかし、京都で暮らす人々にとってこの街は生活の場であり、日常であり、紛れもない現実である。日々の暮らしのなかで、昼夜を問わず「舞妓パパラッチ」の猛威にさらされる彼女たちは、テーマパークで客を楽しませる着ぐるみのキャストではない。ここで仕事をし、生活をしている生身の人間なのである。
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中井 治郎 社会学者
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