✨3)─3・E─昭和天皇と反天皇反日親中国アメリカ・キリスト教会。キリスト教による宗教侵略。~No.12  

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   ・    ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 戦前の日本は、被害者であって加害者ではない。
 昭和天皇や近代天皇には、道義的戦争責任はあるが法律的戦争犯罪はない。
 昭和天皇には、人道貢献と平和貢献がある。
2025-01-09
💖目次)─8─近代天皇A級戦犯靖国神社による人類史的人道貢献。皇室外交。~No.1 * 
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 関東教区「日本基督教団罪責告白」
 わたしたちの日本基督教団は、第二次大戦下の1941年6月、「宗教団体法」のもとに、30余派の福音主義教会の合同によって成立し、今日に至っています。教会合同は、早くからの日本の教会の願いでしたが、この合同は、当時の国家の宗教統制によるものであり、教会的な祈りと決断によるものではありませんでした。それによって、組織としての教会は保たれましたが、教団は、天皇を中心とする国家に奉仕する教会となり、神ならぬものを神とし、戦争に協力する数々の過ちを犯しました。
 敗戦後、教団は、まず主なる神の前に悔い改めて、新たな出発をすべきでしたが、戦後復興の道を急ぐあまり、過去の清算がなおざりにされました。
 戦後22年を経た1967年3月、教団は「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を、鈴木正久議長の名で公にしました。この「戦責告白」は、アジアの諸教会との和解の道を開き、敗戦によって分断された沖縄キリスト教団との合同の契機となりました。しかし、教団の罪責は、戦争責任だけはなく、教会のあり方全般に関わるものであり、なによりも主なる神の御前(みまえ)に、主体をかけて懺悔告白しなければならないものです。
 わたしたちは、日本基督教団に属する「肢(えだ)」として、教団の犯した罪を、主なる神の御前に心から懺悔告白し、共に、明日の教区・教団の形成のために祈り努めたいと願います。
 1) わたしたちは、聖書に証しされた唯一の神を信じ、イエスを主と告白する信仰に立ちながら、天皇を神とする国家体制を容認し、天皇を拝し、神社参拝をするなどの過ちを犯しました。ことに、神にのみ献げるべき礼拝において、君が代斉唱、宮城遥拝などを「国民儀礼」として取り入れ、これらの「偶像礼拝」を朝鮮・韓国・台湾・中国等、アジアの諸教会及び在日のアジアの隣人に対しても強要する罪を犯しました。
 2) わたしたちは、天に国籍を持つ「神の民」であるにもかかわらず、天皇制国家の臣民であることを誇りとし、主の御心に従うより、天皇の意思に従うことを優先させました。その結果、天皇中心の国家主義をアジアにまで広げようとする国策を、「神の国」の実現であるかのようにみなし、植民地支配に協力する罪を犯しました。
 3) わたしたちは、聖書を通して、人の命の尊さ、隣人を愛することの大切さを教えられながら、「敵」を憎み、皇軍の勝利のために祈り、軍用機の献納など、戦争に協力しました。また、多くの若者を戦地に送り出し、占領地に教師を派遣し、軍部への協力を呼びかけました。あの戦争で流された多くの血の責任は、わたしたちにもあることを懺悔告白します。
 4) 「教会はキリストの体であり、一人一人はその部分です」。わたしたちは、同じ教団に属する旧6部・9部の教会が、国家から弾圧を受けたとき、これを見放して、教師職を剥奪し、教会の解散処分を黙認しました。また戦後24年間、かつて教団の一部であった沖縄の教会を、米軍統治のまま放置し続けました。1969年、教団は沖縄キリスト教団と合同しましたが、沖縄戦の傷跡と米軍基地のもとで呻く沖縄の人々の苦しみを真摯に受け止めることができませんでした。同じ「主の体」に属する一つの部分の痛みに対して無感覚なわたしたちの罪を懺悔します。
 わたしたちが、主なる神と隣人に対して犯した罪は、計り知れません。主よ、どうかわたしたちの犯した罪をお赦しください。わたしたちの愛する日本基督教団が、再び同じ過ちを犯すことがありませんように。わたしたちが、常に主の御言葉に聴き従い、「地の塩」・「世の光」として、この国と世界に対する使命と責任を果たしていくことができますように。わたしたちが、主にあって一つとなり、共にこの世に和解と平和を生み出す働きができますように。主よ、わたしたちを助け導いてください。
 アーメン。
 罪責告白の関連資料 ※クリックしてご覧ください。PDFファイルです。
① 罪責告白 総会議案第21号
② 罪責告白 リタニ―
③ 罪責告白 用語解説
④ 罪責告白 礼拝式文。使用ガイド
⑤ 罪責告白 韓国語
 ※ 罪責告白Q&Aを見る ⇒ ここをクリック
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 近代日本は、江戸時代後期からのロシアによる軍事侵略に対する日露戦争勝利・韓国併合後、新たに出現した、反宗教無神論・反天皇反日マルクス・レーニン主義共産主義)によるイデオロギー侵略に対して1カ国で孤独に戦っていた。
 日本軍の大陸進攻戦争は、大陸勢力から天皇・国・民族を守る為の積極的自衛戦争であった。
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 戦国時代、日本は中世キリスト教会・イエズス会伝道所群による宗教侵略を受け、白人キリスト教徒商人は「日本人を日本人から購入し」買い取った日本人をアフリカ人同様に世界に輸出していた。
 中世キリスト教会・イエズス会伝道所群とは、敬虔なキリスト教徒でありキリスト教原理主義者である。
 近代日本は、キリスト教による宗教侵略に対抗する為に非宗教の国家神道を新設した。
 国家神道新設には、天皇を中心とした日本民族の宗教・精神・心を護るという正しい目的があった、それ故に国内外から靖国神社同様に「悪の権化」として否定されている。
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 総人口約1,000万人を誇っていたインカ帝国が滅んだのは、中世キリスト教会・宣教師が帝位継承権を持つ皇族をキリスト教に改宗させて抱き込み、皇帝に即位させる為に叛乱を唆して帝国を弱体化させ、皇帝を捕らえて「神の名」で処刑し、インカ帝国キリスト教国家に改造する為にインカ人をキリスト教に改宗させ、改宗を拒否する民族派を反皇帝派として弾圧したからである。中南米の宗教は、キリスト教で土着宗教や民族宗教は消え、伝統・文化そして言語は消滅した。
 改宗させる皇族とは、皇帝に即位できる継承権を持っていれば、男性皇族でも女性皇族でも誰でも良かったのである。
 インカ帝国滅亡と日本へのキリスト教の宗教侵略は、近い時代であった。
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 20世紀は、宗教と反宗教イデオロギー共産主義)の戦争が始まった。
 ローマ・バチカンカトリック教会)は反共産主義であり、アメリカ・キリスト教会(プロテスタント)は親共産主義であった。
 反共産主義国家であった満州国を、バチカンは承認し、アメリカ・キリスト教会は否定した。
 ローマ・バチカンは親天皇親日であり、アメリカ・キリスト教会は反天皇反日であった。
 キリスト教徒の靖国神社参拝を、ローマ・バチカンは認め、アメリカ・キリスト教会は禁止している。
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 日本陸軍は、ソ連共産主義勢力を封じ込めるべく、中央アジアからトルコのイスラム教と共闘するべく防共回廊(宗教長城)を目指していた。
2022-04-26
🎹35:─3─スターリン日本陸軍の防共回廊と中央アジアのパン・モンゴリズムを恐れた。~No.224 ㉜ 
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 戦前のローマ・バチカンカトリック教会)は、絶対神への信仰を反宗教無神論で宗教弾圧をするマルクス・レーニン主義共産主義)を否定し地上から排除する為に、ヒトラーホロコーストを知りながら目を瞑り、ソ連と戦争をしているナチス・ドイツとの友好を維持していた。
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 キリスト教朝鮮人テロリストは、日本人の共産主義者無政府主義者テロリスト同様に昭和天皇と皇族を惨殺すべく付け狙っていた。
 中国共産党は、ソ連コミンテルンの指示に従って、日本人の共産主義者無政府主義者テロリストを支援していた。
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 戦後日本の宗教・神秘・精神・心を共産主義化する為に、共産主義を信奉する赤い神父・赤い牧師・赤い僧侶が暗躍していた。
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 戦前のキリスト教会の大半が親天皇神道親仏教であったが、戦後の一部のキリスト教会は反天皇神道反仏教である。
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 明治天皇昭和天皇は、正統性男系父系天皇制度の継承と存続、日本国の平和と繁栄、日本民族の幸福と平穏の為にローマ・バチカンカトリック教会)との国交を重要視し、ユダヤ人との友好に腐心していた。
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 日本民族は、数万年前の旧石器時代縄文時代から日本列島に住んでいた先住民(日本土人)であった。
 日本天皇は、数千年前の弥生時代古墳時代から存在する。
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 CHRISTIAN TODAY
 昭和天皇キリスト教 実録公開で関心高まる
 2014年11月7日17時36分
関連タグ:国際基督教大学(ICU)天皇
 昭和天皇キリスト教 実録公開で関心高まる+
 昭和天皇キリスト教の関係について特集を組む『週刊朝日』(11月7日増大号、10日3日号)
 昭和天皇の生涯をまとめた「昭和天皇実録」。その約1万2千ページの内容の写しが、9月9日から11月30日まで、皇居東御苑内皇居内書陵部庁舎で公開されている。実録には、1901年から89年まで、第2次世界大戦や戦後復興を含む、昭和天皇の激動の生涯の日々が記されている。
 NHKの報道によると、実録には、これまでの歴史観を変えるような新たな情報は含まれていないというが、今回の公開を受けて、各報道機関は特集を組み、歴史研究者などによる考証をさまざまな形で報じている。朝日新聞出版『週刊朝日』でも、「『昭和天皇実録』を読み解く」と題して連載が組まれた。
 連載2回目の記事で、執筆者の政治学者・原武史氏は、「昭和天皇と宗教」と題し、昭和天皇キリスト教への傾倒とその狙いを分析している。
 昭和天皇キリスト教の関わりの始まりと考えられるのは、天皇の皇太子時代。摂政になる直前の1921年、半年かけて欧州各国を訪問したが、その最後にイタリアでローマ教皇ベネディクト15世と会った。この時の出会いが、若き昭和天皇に強い印象を与えたようで、第二次世界大戦開戦直後の41年11月2日、天皇ローマ教皇を通じた時局収拾の検討を東条英機首相に提案したという。開戦直前から、戦争終結の手段を考え、その際に頼みとなりうるのがカトリック教会であると考えを巡らせていたということだろうか。
 敗戦後の占領期、天皇はさらにカトリックに接近。戦前からキリスト教徒と親密にしていた香淳皇后の影響もあってか、女性牧師の植村環(たまき)から皇后とともに聖書の講義を受けるなどして、キリスト教に親しんだ。外国人神父などとも頻繁に会い、側近に各地域のキリスト教事情も調べさせていたという。実際、49年に九州を訪れたときには、長崎県大分県カトリック施設を訪れ、予定よりも30分長く留まったり、予定にない聖堂の視察をしたりしたことが、実録から確認できる。
 一連の行動を受けてか、当時は天皇キリスト教に改宗するといううわさが広まるほどだったが、外国人記者の、キリスト教に帰依するかという質問に対して、「外来宗教については敬意を払っているが、自分は自分自身の宗教を体していった方が良いと思う」と答え、うわさを打ち消した。
 原氏は、天皇カトリックに接近した背景には、戦中の神道に対する反省や、戦後日本国内の不安定な情勢、米国への対抗策といった、戦争責任と米国からの相対的自立という大きな2つの課題があったのではないかと分析している。だが、非常に興味深いのは、どのような歴史的、政治的背景があったにせよ、昭和天皇カトリックへ改宗する道を探っていたと原氏が推測している点だ。
 このほど、秋篠宮家の長女眞子さまに続き、次女佳子さまも国際基督教大学(ICU)への進学が決まったことが報じられ、「皇室とキリスト教」の関係について改めて注目が集まっている。日本の象徴として、神道の祭祀に深く関わる存在としての天皇や皇室という側面からではなく、一人の人間としての天皇を見直すとき、キリスト教との関係は決して遠いとは言えなさそうだ。
 関連タグ:国際基督教大学(ICU)天皇
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 日本の福音派について記述する。キリスト教プロテスタントにおいて日本の福音派エキュメニカル派は、明白に分かれている。両者は前提が異なるのであり、リベラルが人間理性を最終権威とするのに対し、聖書信仰の福音派は神の言葉である聖書を最終権威とする。

 聖書信仰
 →詳細は「聖書信仰」を参照
 福音派の聖書観は聖書信仰であり、これは「福音派全体の共通した恵みの絆」と呼ばれる。 「聖書信仰は、ただJPCだけではなく、福音派全体の共通した恵みの絆であり、伝統的キリスト教教理の敷石であり、救霊と伝道への情熱の源泉である」
 新生の教理
 自由主義神学新正統主義は「洗礼による新生」の理解をとるが、福音派は、その思想を異端として排除し、聖霊によって生まれ変わった者のみが洗礼(バプテスマ)を受け教会員となる資格を持つ。
 偶像問題
 戦前からあった問題であるが、特に戦後の福音派は異教の玉串、焼香、神社参拝など異教の行為を偶像崇拝であるとして、禁じてきた。日本キリスト改革派教会は1951年の第6回大会で「すべての神道神社は偶像であり、我々はそれを礼拝する事を拒絶する。神棚、仏壇その他どのような宗教的事物に対しても頭を下げて礼をしない」と決議した。
 聖書信仰の教会は1959年11月18日の日本宣教百年記念聖書信仰運動大会において、偶像崇拝の罪を、神の御前に悔い改め、告白した。「我らは過去百年間、キリスト者として、個人生活的にも、亦国民生活的にも、一切の偶像崇拝を廃棄すべき聖書の命令に応えることに於いて、 欠けたところの多かったことを神の前に反省し、痛切なる悔改めを告白する」

 世界宣教東京大会
 →詳細は「世界宣教東京大会」を参照
 2010年5月11日-14日世界宣教東京大会が開催される。クリスチャンの一致のためとしてマーティン・ロイドジョンズの『栄えに満ちた喜び』が紹介された。閉会式では尾山令仁牧師が同じ聖書信仰に立ちながら溝のある福音派聖霊派の一致について語った。また尾山牧師は日本がアジアに対して犯した罪を謝罪し、さらに、キリスト教会がユダヤ人を迫害してきた罪を謝罪しなければならないと語った。これに対してアメリカの教会の代表は日本に原爆を投下した罪を謝罪した。
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 月刊いのちのことば社
 ホーリネス弾圧事件からの継承 天皇中心の神の国思想と真の福音化
 掲載号:2000年08月号
 教会堂
 本間義信
 ウェスレアン・ホーリネス教会連合 連合ホーリネス中央教会 牧師
 一国の首相が「日本は天皇を中心とする神の国」と発言して物議を醸した。個人の思想信条の自由はあるだろうが、総理大臣として発言した自分の言葉の重大性が分かっていないということの方が、日本の将来のためにずっと心配である。五十八年前にあったホーリネス弾圧六・二六事件の頃と比べて日本人の意識は成長したのだろうか。
 一 ホーリネス弾圧事件の背景
 【1】その歴史的背景
 明治政府が、大教院を日比谷に建て、神道をもって国家の理念にしようと決意した。一八六八(明治元)年神仏分離令が出され、全国に廃仏毀釈運動が起こり、仏僧に還俗か神官になることをせまり、仏寺仏像が破壊された。
 【2】その民俗的背景
 稲作国家日本は、米を作るために水の管理を村落共同体で行わねばならなかった。その結合の中心になるのが氏神で、先祖を一つにする共同体は、和を優先的に大切にした。和を乱す者やよそ者は排斥された。国家神道によってこの精神が国家的に拡大したのである。
 一八九一(明治二四)年一月の内村鑑三不敬事件がその例である。第一高等中学校の始業式で内村が教育勅語に拝礼しなかったので、キリスト教信仰が非難され、彼は学校を追われた。一種のキリスト教迫害であった。
 【3】その法制的背景
 一八八九(明治二二)年明治憲法が発布され、信教の自由についても規定されたが、「国の安寧秩序を乱さない限り」という枠がついていた。常識的には「淫祠邪教」でなければ大丈夫だとされていたが、「安寧秩序」をどう理解するかで、信教の自由にいくらでも制限を加えることができたのである。
 【4】当時の政治的背景
 日清・日露の戦役を耐え抜いた日本は、遅く出てきた帝国主義国家として、韓国を併合し、中国大陸に侵攻しつつあった。
 一九二八(昭和三)満州某重大事件。
 一九三一(昭和六)年満州事変。
 一九三二(昭和七)満州国建国宣言
  五・一五事件(犬養首相暗殺)。
 一九三三(昭和八)日本の国際連盟脱退。
 一九三六(昭和一一)二・二六事件(斎藤内大臣、高橋蔵相暗殺)。
 一九三七(昭和一二)日中戦争始まる。
 一九三八(昭和一三)国家総動員法発動。
 一九三九(昭和一四)第二次世界大戦開始。
 一九四一(昭和一六)太平洋戦争始まる。
 国家は国民に命も財産も全く献げることを要求し、思想信条など人間の内面まで支配しようと望んだ。
 【5】国家の宗教対策
 一九二五(大正一四)年制定の治安維持法共産党への対策であり、全七箇条であった。
 一九四一(昭和一六)年には、それが六五箇条のものに改正されたのである。改正第七条には「国体を否定し、または神宮もしくは皇室の尊厳を冒涜すべき事項を流布することを目的として結社を組織したる者……役員……指導者……無期又は四年以上の懲役……加入者、目的遂行者は一年以上の有期懲役……。」
宗教も弾圧される条件は整った。また一九三九(昭和一四)年宗教団体法が成立したが、宗教団体の中に神社は含まれない。神社はどんな宗教者も拝むべきものとされたのである。
 神道系の大本教は、天皇支配の教義たる記紀神話と異なる教義を持っていたため、大正、昭和の二度に及ぶ激しい弾圧を受けた。
 二 六・二六ホーリネス弾圧事件
 【1】その前兆としての小山宗祐の死
 一九四一(昭和一六)年一月、函館聖教会の牧師補小山宗祐は憲兵隊に検挙され、三月二三日に獄中で自殺したとして死体で返されてきた。彼は神社参拝をしなかったことで隣組によって密告されたのだ。日本人の異分子排斥である。
 【2】旧ホーリネス教会三派弾圧
 一九四二(昭和一七)年六月二六日、日本基督教団第六部(元日本聖教会)、同第九部(元きよめ教会)、宗教結社・東洋宣教会きよめ教会に対する一斉検挙が行われた。第二次及び外地での検挙で合計百三十四名の教職が投獄された。このことで七名の牧師が殉職した。
 【3】特高によるホーリネス信仰の評価 「宗教関係犯罪の検挙取締状況」によれば「我国体を否定し、神宮の尊厳を冒涜すべき内容の教理を信奉宣布し来れる不穏結社」とされている。一九四三(昭和一八)年三派教会は、神宮への不敬、国体変革を企図せる罪によって宗教結社禁止となった。
 一九四五(昭和二〇)年一〇月二七日大審院治安維持法廃止による免訴を判決した。同種の告発を受けていた無教会の浅見仙作は、同年六月大審院で三宅正太郎裁判長より無罪の判決を受けた。司法の良識を喜びたい。
 自己と異なる者に対する日本的和の立場からの反発は、今日も克服されていない。私の内に日本的和との妥協はないのか。自己の真の福音化こそこの国の新生の糸口となろう。
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 KiriShin
 悔い改めの決意、次世代へ 戦後70年にあたり日本福音同盟が声明 2015年6月20日
 日本福音同盟(JEA、中台孝雄理事長)は6月1~3日、第30会総会を静岡県掛川市のホテルで開催し、「戦後70年にあたってのJEA声明」を採択した。
 声明は、戦後の日本で福音派キリスト教会が結集した原点には、「聖書の規範性と基本教理をないがしろにする自由主義神学との対峙」と「戦時下でイエス・キリストだけを主とする信仰告白を弾圧懐柔した天皇制・国家神道体制を標榜するナショナリズムとの対峙」という二つの軸があったことを示し、1968年にJEAが設立されるまでの経緯を説明。
 95年の「戦後50年にあたってのJEA声明」でアジア諸国への侵略加害に加担したキリスト教会の罪責の悔い改めと謝罪を表明したこと、また2005年の「戦後60年にあたってのJEA声明」で平和を造り出す者となる決意を言い表したことに言及し、「しかしながら、この10年の歩みを振り返るとき、それらの言葉の内実を問い、具体化することにおいて十分であったとはいえません」として、悔い改めを新たにした。
 戦後70年を迎え、歴史修正主義が台頭し、ヘイトスピーチ問題などにみられる民族差別が顕在化していることを指摘。また、国旗・国歌の強制、一部閣僚による神社参拝の常態化など、信教・思想の自由を脅かし、天皇制・国家神道体制の復活につながるような動きがあることにも言及。特定秘密保護法制定、沖縄の米軍基地問題閣議決定のみによる集団的自衛権行使容認の流れの中で、安全保障関連法案が国会で審議されていることに触れ、「キリスト教界においては、戦前と同じような日本的キリスト教を標榜し、皇国史観ナショナリズムに迎合するような動きが再びみられるようになってきています」とも述べた。
 そうした中で、「戦時下における日本の教会の罪の歴史と悔い改めの決意」を次世代に伝えることを表明。「聖書を誤りなき神のみことばと信じる聖書信仰のゆえに、神の似姿として創られた人間の尊厳といのちを脅かし、敵意と争いを生み出すあらゆる力に抵抗し、イエス・キリストの十字架にあらわされた神の愛を人々に伝えると共に自ら生き、家族・地域・社会でその愛による平和と和解が実現していくように努力します」と述べ、国家と教会の正しい関係を指し示し、平和を造り出す者となることを表明した。
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 日本福音同盟
 日本福音同盟(JEA)は、聖書信仰に立つ福音的諸教会の交流・協力機関です。
 「戦後70年にあたってのJEA声明」を採択しました
 2015年06月04日
 2015年6月1日~3日に開催された第30回JEA総会で、以下の「戦後70年にあたってのJEA声明」を採択しました。
 戦後70年にあたってのJEA声明
 私たち日本福音同盟(以下JEA)は、主である神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思って、戦後70年を迎えた日本と世界に福音を証し、平和を造り出す者となるため、以下のように声明します。
 第二次世界大戦後の日本において、聖書を誤りなき神のみことばと信じる、私たち福音派キリスト教会が結集した原点には二つの軸がありました。すなわち聖書の規範性と基本教理をないがしろにする自由主義神学との対峙、そして戦時下でイエス・キリストだけを主とする信仰告白を弾圧懐柔した天皇制・国家神道体制を標榜するナショナリズムとの対峙です。
 1959年の「日本宣教百年記念聖書信仰運動大会宣言」は「聖書、即ち万物の創造者であり、又人類歴史の支配者である神の誤りなき御言葉によって、我らは…次の宣言をなし…証しの言葉とする。」として、以下のように述べています。
 「一、我らは…一切の偶像崇拝を廃棄すべき聖書の命令に応えることに於いて、欠けたところの多かったことを神の前に反省し、痛切なる悔改めを告白する。
 二、我らは聖書によって、国家と教会が、共に神の主権の下に立つ、二種の相異なる正当な秩序であることを認め、政教分離の原則に基づき、信教自由の基本的人権を保護する現行憲法を、その点に関して聖書的と認めて支持する。
 三、我らは我が国に於いて、右の政教分離の原則が無視され、信仰の自由が甚だしく圧迫された過去にかんがみ、今後国家行事の中に、宗教的要素の混入することのないように監視し、かかる過誤の排除に積極的に努力する。…
 以上の三点を貫いて、国家と教会との正しいあり方のために、我らは一つの聖書信仰によって協力して信仰のよき戦いを戦うことを誓う。」
 翌年の1960年、この流れの中から、後にJEAの設立三団体の一つとなる日本プロテスタント聖書信仰同盟(JPC)が成立し、特別委員会として聖書翻訳委員会と伊勢神宮対策委員会が設けられました。前者の働きを受けて1961年に新改訳聖書刊行会が設立され、1970年に新改訳聖書が出版されました。後者は1967年以降の靖国神社国家護持反対運動につながっていきました。そして1968年、「聖書はすべて誤りなき神のみことばであり、信仰と生活の唯一の基準である。」(JEA規約第3条1)との信仰によってJEAが設立されたのです。
 私たちJEAは、1995年の「戦後50年にあたってのJEA声明」の中で、第二次世界大戦時下に、皇国史観ナショナリズムに迎合して神社参拝という偶像礼拝を犯し、皇国の道に従うことを第一としてアジア諸国への侵略加害に加担したキリスト教会の罪責の悔い改めと謝罪を表明しました。2005年の「戦後60年にあたってのJEA声明」では、その土台の上に第四回日本伝道会議(2000年)の「沖縄宣言」を引用し、和解の福音の使者として、遣わされた所で福音を宣べ伝え、平和を造り出す者となる決意を言い表し、それぞれの場所で取り組みを進めてきました。しかしながら、この10年の歩みを振り返るとき、それらの言葉の内実を問い、具体化することにおいて十分であったとはいえません。そのことを率直に認め、主の御前に悔い改めを新たにします。
 戦後70年を迎え、戦時下の生の証言を聞くことが難しくなりつつある今、自国中心の歴史修正主義が台頭し、アジア諸国の人々へのヘイトスピーチ問題などにみられる民族差別が顕在化しています。国旗・国歌の強制、一部の閣僚による神社参拝の常態化など、信教・思想の自由を脅かし、天皇制・国家神道体制の復活につながるような動きもみられます。また特定秘密保護法制定、沖縄の米軍基地問題閣議決定のみによる集団的自衛権行使容認の流れの中で、戦後日本のあり方を大きく変更しようとする安全保障関連法案が国会で審議されています。キリスト教界においては、戦前と同じような日本的キリスト教を標榜し、皇国史観ナショナリズムに迎合するような動きが再びみられるようになってきています。
 このような中で、私たちJEAは、戦時下における日本の教会の罪の歴史と悔い改めの決意を次世代に伝えます。そして戦後日本の福音派キリスト教会結集の原点を改めて心に刻み、現在の日本において、聖書を誤りなき神のみことばと信じる聖書信仰のゆえに、神の似姿として創られた人間の尊厳といのちを脅かし、敵意と争いを生み出すあらゆる力に抵抗し、イエス・キリストの十字架にあらわされた神の愛を人々に伝えると共に自ら生き、家族・地域・社会でその愛による平和と和解が実現していくように努力します。また、国家と社会に対して聖書の規範性とイエス・キリストの主権性を告白し、信教・思想の自由を守り、イエス・キリストだけを主とする信仰に生きることを通して、国家と教会の正しい関係を指し示します。そして、聖書信仰に立つアジアと世界の諸教会と連帯・協力してキリストの福音を世界に満たすと共に、なおも諸外国との和解を妨げている課題に取り組むことを通して和解の福音を生き、さまざまな虐げの中にある人々、社会的弱者、小さくされた人々と共に立ち、平和を造り出す者となることをここに表明します。
 「見よ。ひとりの王が正義によって治め、首長たちは公義によってつかさどる。」イザヤ書32章1節
 2015年6月3日
 日本福音同盟第30回総会
 理事長 中台孝雄
 総会議長 梅田登志枝
 戦後70年にあたってのJEA声明(PDF版)
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 © 2025 Christianity Today
 日本の福音派はかつて国家主義的だった
 Kazusa Okaya
 政治的統制によってキリスト教を再び偉大にするのは魅力的です。しかし、私の国ではうまくいきませんでした。
 A dove on a red background
 Christianity Today
 May 25, 2025
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 イラスト:Christianity Today / 画像出典:Pexels
 日本で生活していた頃、私は自分のことを「福音派(evangelical)」と名乗ることに特段の抵抗を感じたことはありませんでした。しかし、2016年にドナルド・トランプアメリカ大統領に初めて選出されて以降、その言葉が日本の中で政治的な意味合いを帯び始めるにつれ、「福音派」を自称することに違和感を覚えるようになりました。
 その違和感は、トランプの2期目が始まってからさらに強まりました。あるとき、ある日本人の未信者の友人から「あなたもトランプ支持者の福音派なの?」と尋ねられたときには、戸惑いを覚えました。
 このような「福音派」の呼称に対して違和感を感じている日本人のクリスチャンは私だけではありません。
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 昨年11月、日本のある福音派系のYouTubeトーク番組に、信仰を持って間もない一人の女性から手紙が寄せられました。彼女は最近、福音派の教会に通い始めたといいます。「ニュースでは、福音派はトランプを支持している過激な人たちだと言っていました。クリスチャンになると私もトランプを支持しないといけないのでしょうか?不安です。」という内容の質問でした。
 日本では、キリスト教徒は人口の1%にも満たず、私のような福音派はそのうちの約4分の1程度です。しかし、一部のアメリ福音派が自国を「キリスト教国家」と位置づけ、信仰的敬虔さの見られない大統領を熱烈に支持し、軍隊を賛美し、銃所持を自らの権利として訴える姿を見るとき、私たちは本当に同じ意味で「福音派」を名乗っているのだろうかという疑問が湧いてきます。
 「福音派(evangelical)」という言葉は今や、アメリカのナショナリズムと結びついています。それは2017年にトランプの最初の任期が始まって以降、徐々に醸成されてきた傾向です。このような傾向は、日本の福音派アイデンティティーと、アメリ福音派が体現しているとされる政治的・文化的方向性との間に、深刻な断絶を生み出しています。
 私たち日本の福音派は、福音宣教の歴史においてアメリカの福音派から大きな影響を受けているのは事実です。しかし同時に、多くの日本人信徒が、アメリカ的キリスト教のあり方に対して、次第に強い困惑を抱くようになってきています。日本のキリスト教は、ナショナリズムと信仰の混同を拒絶し、第二次世界大戦前後における自国の妥協の歴史の反省から、基本路線として平和主義を擁護しています。
 日本の福音派は、20世紀のアメリカの宣教運動の影響下で発展してきました。1967年に東京で開催されたビリー・グラハムによる大規模な伝道集会では、およそ1万5千人がキリストへの何らかの決心をし、日本の福音派にとって大きな転機となりました。この集会は、福音派諸教会が教派を越えて初めて一堂に会する画期的な出来事であり、後に日本福音同盟(JEA)の設立へとつながる基礎を築いたのです。
 しかし、ビリー・グラハムが来日する以前から、数多くのアメリカ人宣教師たちが何十年にもわたって日本で宣教活動を行っていました。第二次世界大戦後、アメリカを拠点とする2つの宣教団体——センド国際宣教団(Send International)とTEAM宣教団(The Evangelical Alliance Mission)——は、日本各地に多数の教会を設立しました。これらの教会の多くは、後に日本最大の福音派教団である日本同盟基督教団(255教会)および日本福音キリスト教会連合(JECA)(194教会)の土台となりました。
 また、TEAMの宣教師たちは1950年に日本のキリスト教出版社「いのちのことば社(Word of Life Press)」を設立し、インターバーシティ(InterVarsity)の宣教師だったアイリーン・ウェブスター・スミスは、後に「お茶の水クリスチャン・センター」として福音派教団および宣教団体の中心拠点となる学生宣教センターの基礎を築きました。さらにスミスは、「キリスト者学生会(KGK)」として知られる今日の学生福音運動を学生たちが形成する手助けも行いました。
 しかし、アメリカの福音派の影響は単に教会や機関の設立に留まらず、日本の福音派の「思考様式」そのものの形成にも大きな影響を与えました。
 将来の日本の福音派リーダーたちは、神学教育を求めてアメリカへと渡り、そこで学んだ知識と視座を携えて日本に戻り、自国でのキリスト教神学の土壌を耕し始めました。著名な例としては、フラー神学校を卒業し、1958年に聖書神学舎の創設者の一人となった羽鳥明氏、また、ウェストミンスター神学校を卒業し、1970年に日本福音主義神学会の設立に関与した宇田進氏などが挙げられます。
 アメリカのキリスト教文献も、日本の信徒にとって極めて重要な資源となりました。私の多くのクリスチャンの友人たちは、10代のころにジョシュア・ハリスの『聖書が教える恋愛講座』を読み、大学卒業後にはティム・ケラーの『結婚の意味』を読んで育ちました。ミラード・エリクソンの『キリスト教神学』の日本語訳は2000年に初めて出版されましたが、今日でも福音派の神学校で最も広く使用されている教科書の一つです。
 当然のことながら、日本の福音派は歴史的にアメリ福音派の教義を多数受け入れてきました。中でも特に重要な展開の一つが、1987年に採択された「聖書の権威に関する声明」です。この文書は、アメリカで起こった聖書無謬性をめぐる論争に由来し、1980年代に多くの日本人リーダーたちがアメリカの神学校で学ぶ中で、その議論が日本にも波及しました。日本の福音派は、「聖書の無誤性に関するシカゴ声明」(Chicago Statement on Biblical Inerrancy)から深い影響を受け、聖書のすべての言葉が神によって与えられたものであると明確に宣言しました。
 しかし、日本の福音派アメリ福音派の影響を深く受けていることについて、必ずしもすべての人が好意的に見ているわけではありません。たとえば、藤本満氏による2019年の論考では、アメリカによる神学的押し付けを問題視し、日本の福音派が単にアメリカの「ファンダメンタリズムの問題・課題を引き継いでいるのでしょうか?」と問いかけています。
 上記のように宣教の面でも神学の面でもアメリカから多大な影響を受けてきた日本の福音派ですが、少なくとも二つの重要な相違が存在してきました。それは、日本の福音派ナショナリズムを拒絶し、平和主義を積極的に受け入れてきたという点です。これらの価値観は、2015年に日本福音同盟(JEA)が第二次世界大戦終結70周年を記念して発表した声明の中で、明確に表現されています。
 第二次世界大戦後の日本において、聖書を誤りなき神のみことばと信じる、私たち福音派キリスト教会が結集した原点には二つの軸がありました。すなわち聖書の規範性と基本教理をないがしろにする自由主義神学との対峙、そして戦時下でイエス・キリストだけを主とする信仰告白を弾圧懐柔した天皇制・国家神道体制を標榜するナショナリズムとの対峙です。
 この声明における聖書の権威と反ナショナリズムへの強調は、第二次世界大戦前および戦時中における日本の教会の二重の失敗に由来しています。当時、日本の教会は神学的リベラリズムナショナリズムが結びつき、帝国主義的拡張を神の国の建設と解釈する、独自の「日本的キリスト教」を形成していました。
 たとえば20世紀の著名な神学者・海老名弾正は、日本による朝鮮の植民地化を神の国の前進とみなしています。1910年、朝鮮併合直前に韓国のキリスト教青年に向けて行った講演では、福音の前進として神が日本人と朝鮮人をひとつにすることによって、神の国を建設していると語りました。
 このような神の国と国家を結びつける試みは、日本の教会堂の中にも浸透していきました。1941年、政府は複数の日本プロテスタント教派を統合し、日本基督教団を創設します。礼拝では宮城遥拝(皇居の方角に向かって拝礼すること)が行われ、「君が代」が讃美歌集に収録され歌われるようになりました。これらの礼拝慣習は、1945年の敗戦まで続きました。
 山口陽一氏によれば、こうしたナショナリズム的傾向の背景には、多くの日本人キリスト者が抱えていた「マイノリティ・コンプレックス」があったといいます。キリスト教が日本でおよそ250年にわたって迫害されてきた歴史を背景に、日本のキリスト者たちは、国家に積極的に「奉国」することで、社会的評価を得ようとする動機を抱えていたのです。
 しかし、第二次世界大戦後に状況は一変します。日本の福音派は、信仰の表現のあらゆる側面に影響を及ぼしていた軍国主義ナショナリズムに対し、明確に反旗を翻し始めます。そして軍国主義とは反対に平和主義を基本に据(す)えることになります。福音派の諸教会は、キリストを唯一の主と告白し、和解の使者となることを使命としてきました。
 教派によっては数十年にわたる内省の末、多くの日本の教団が、国粋主義と信仰の混合と戦争への加担に対して公的に悔い改めの声明を発表するようになりました。たとえば、日本ホーリネス教団が1997年に発表した声明では、こう記されています。
 「まず、私たちの教会は、神社参拝や天皇崇拝などの偶像礼拝に墜ちてしまった罪を、神の前に悔い改めます。そして、私たちの教会のアジア諸国への宣教が、日本の侵略戦争に追随するものであったことと、さまざまな戦争協力を行ってきたことを、アジア諸国の人々とその教会に謝罪します」
 この戦後の平和主義的立場は、今日に至るまで日本の福音派に根強く残っています。多くの日本人クリスチャンにとって、平和を追い求め、ナショナリズムに反対することは、聖書的動機からきています。「天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子にあって造られた」(コロサイ1章16節)のであり、キリスト以上の権威は存在しません。キリスト者は、壊れた世界の中で「平和をつくる者」(マタイ5章9節)、「和解の使者」(第二コリント5章20節参照)として召されているのです。多くの日本の福音派にとって、キリスト教国粋主義と結びつくものではなく、戦争や暴力の手段は、少なくとも崇拝の対象ではなく、むしろ嘆きと悔い改めの対象であると理解されています。
 しかし、太平洋を隔てたアメリカでは、軍国的ナショナリズム福音派との間に、聖ならざる同盟が形成されつつあるように見受けられます。これは、日本の福音派が経験した、歴史的に、危険な道筋です。
 もちろん、アメリ福音派の中にも、キリスト教ナショナリズムの非両立性に警鐘を鳴らす声はあります。例えばポール・D・ミラーは、「クリスチャニティ・トゥデイ」の記事で、近年のキリスト教ナショナリズム運動を紹介し、次のように述べています。
 「キリスト教ナショナリズムは、キリストの名をこの世の政治的アジェンダのために利用し、それをすべての真の信者にとっての政治的プログラムとして宣言する。しかしそれは、そのアジェンダの内容が何であれ、原理的に誤っている。なぜなら、キリストの名を宣べ伝え、その旗を掲げて世界に出て行くことを許されているのは、教会だけだからである」
 私は、アメリカの多くの福音派の人々が、自国がもはや「道徳的多数派(moral majority)」としてのキリスト教を維持できなくなりつつある重大な局面にあると感じていることを理解し、共感しています。建国の歴史にキリスト教的要素が多く含まれている以上、政治的権力によって「キリスト教を再び偉大に(Make Christianity great again)」とする誘惑は、極めて自然で、かつ容易なものでしょう。
 しかし、山口陽一氏が指摘しているように、キリスト者の「マイノリティ・コンプレックス」と政治的影響力への渇望こそ、戦前・戦中の日本において、キリスト者国家主義的信仰へと傾斜する失敗を招いた要因でした。
 日本の教会が経験したこの痛みの歴史——そしてそれが、今、アメリカの装いをまとって繰り返されようとしているかのように見える現実——が警鐘として受け止められることを願います。
 岡谷和作さんは、ダラム大学の博士課程在学中であり、ローザンヌ日本YLGen(Lausanne Younger Leaders Generation Japan)の運営委員です。
 翻訳:岡谷和作 編集:立石充子
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 『キリスト教天皇(制)』は、2001年に行われたお茶の水クリスチャン・センターでの公開討論会「日本宣教と天皇(制)」と編纂者笹井大庸の見解を中心に、日本のキリスト教天皇制の関係が論じられた書籍である。書名において「天皇制」は共産主義の用語であるという理由で「天皇(制)」と括弧付けになっている。副題を含めた書名は『キリスト教天皇(制) : キリスト教界を揺るがす爆弾発言!』である。
 笹井大庸は、『キリスト新聞』や『クリスチャン新聞』に「左翼的な反天皇論」があると考え、問題を提起したことが、討論会に繋がった。
 第一部の「クリスチャンの天皇論」では内村鑑三、中田重治、ウィリアム・グリフィス、グイド・フルベッキの天皇論を紹介している。
 第二部は美濃ミッション代表の牧師である石黒イサクと笹井大庸の討論である。他の発言者は東京基督教大学教授の櫻井圀郎、ハーベストチャペルの渡辺ミドリ、政教分離の会事務局長で長老の西川重則、東宏社長の古澤三千雄、ホーリネス教会の牧師の上中栄である。司会はクリスチャン新聞編集長の根田祥一とリバイバル新聞編集長の谷口和一郎が務めた。笹井大庸は日本の贖いの賜物は「天皇(制)」だと主張しているが、石黒イサク、櫻井から反論を受けている。
 二部の後半には宣教師の木村公一による本書編纂者笹井への反論が載っている。木村は「天皇制と妥協する道はない」としながらも、笹井の見解は笹井ら右翼出身者が右翼に向けて伝道する際に有用であることについては評価している。
 第三部には「宣教の接触点としての天皇(制)」と題して笹井と牧師の行澤一人との討論が収められている。ここで笹井は日本キリスト教協議会NCC)と『キリスト新聞』を左翼と見なしている。行澤自身は新正統主義ではないが、新正統主義カール・バルトとエミール・ブルンナーの神のかたち論争、パウルティリッヒらの神学を紹介して、議論を進めている。
 第四部はこの討論の反響とそれに対する本書編纂者笹井の反論である。キリスト教界での議論と一般紙の『朝日新聞』に取り上げられたことについて書かれている。
 福音派の『クリスチャン新聞』は「日本宣教と天皇(制)をめぐり激論」として報道し、内容のあらましを紹介した。ここから発生した議論から、2001年の4月から7月にかけて『クリスチャン新聞』紙上で公開の論争がなされた。
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