✨5)─4・③─124代昭和天皇は歴代天皇の中でも優れた能力を持った天皇だった。〜No.18 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 昭和天皇を祭神として祀る神宮、神社は存在しない。
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 昭和天皇には、天皇の戦争責任も天皇戦争犯罪もない、むしろ国家元首として人道貢献と平和貢献をおこない、大元帥として陸軍の原爆開発に猛反対し廃止を厳命した。
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 2025年1月25日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「昭和天皇が「驚くほどすぐれていた能力」をご存知ですか? 側近がまぢかで見ていたこと
 冷や汗をかいた侍従長
 日本という国の現在のあり方を知るためには、その歴史を学ぶことが重要です。
 とりわけ、近代化を遂げた日本が、なぜ太平洋戦争という無謀な戦いに突入したのか、その戦争のさなかにはどのようなことが起きていたのか、そして、いかにして戦争が終結したかを知ることには、大きな意義があることでしょう。
 戦時中、国家の意思決定に大きな影響を与えた一人として昭和天皇があげられますが、その昭和天皇が戦中どのようなことをしていたかを知るのに便利なのが、『侍従長の回想』(講談社学術文庫)という本です。
 著者の藤田尚徳は、海軍兵学校海軍大学校を出たあと、海軍省人事局長、海軍省次官などを経て、1944(昭和19)年の8月に天皇の最側近である「侍従長」となった人物です。本書は、藤田が1961年に侍従長時代のことを振り返ったもの。
 本書では、藤田の目から見た昭和天皇の戦時中の日々がつづられており、そこからは天皇の知られざる姿が見えてきます。
 たとえば本書には、昭和天皇の非常な能力の高さについて記述したところもあります。侍従長に就任したてだったころの、少しきまりの悪い思い出を振り返るのにつづけて、昭和天皇のとある能力を詳述しています。本書より引用します(読みやすさのため、改行などを編集しています)。
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 それが職務である陛下への奏上は、新米の侍従長を慎重の上にも慎重にさせる。しくじるまいとして、奏上の際には必ずメモを手にして申上げることにしていた。いわばカンニングペーパーである。これが見事に陛下に裏をかかれてしまった。
奏上は、表御座所をノックすると、陛下がドアをあけて廊下に出て来られる。そこで一メートル程はなれて直立して奏上するのだが、メモを見ながら申上げていると、陛下はだんだん私との距離をちぢめる。
 私は後に退くわけにいかないから、なおも言葉を続けていると、陛下は私のメモをのぞきこみながら、一項目ごとに「ウン、ウン」とうなずかれる。何のことはない、メモを読んでおられたのだ。
 私がすっかり冷汗をかいていると、
 「ご苦労だった」
 と、にこりとされて御座所にもどられる。メモ奏上をやる新米侍従長の堅さを、自然な仕草でもってほぐされたのだった。飾らぬ陛下の態度に恐縮しながら、ほっと心がなごんで来る。どうやら侍従長職が板につきはじめたのは秋になってからであった。
 陛下は祭事にはことのほか御熱心であったし、祭事に関して記憶のよさも抜群であった。新嘗祭は宵の祭と暁の祭と二日間にまたがって行われるが、ある時宵の祭で数ある供物の中、その一つの順序を采女(うねめ)が取りちがえてお供えした。直ちに陛下は指摘されて、
 「暁の祭には、なおすよう」
 と采女におっしゃっていたが、どのように複雑なことでも陛下は整然と記憶されていて取違ったためしがないという。
 古い伝統と複雑な習慣をもつ宮中に於ては、なれた侍従でも、判断に迷うことが間々起きて来る。その時の頼みの綱は、きまって、
 「お上に伺ってみよう」
 ということになる。陛下にはあらゆる事柄を整理して秩序だてる特殊な才能があって、その一ヵ所にプラグを差し込めば、どこへでも電流が通じて前後の事情が明らかになる——ちょうどこのような精巧な機械、陛下の記憶力のよさは、それを連想させた。海軍時代にも岡田啓介、井出謙治両大将のような、抜群の記憶力を誇る人を知っていたが、陛下に比べると劣るのではあるまいか。
 また祭事にご熱心であることは、とりも直さず祖先への崇敬の念となり、明治、大正両陛下、御母君の皇太后陛下への御孝心は、私たちにもひしひしと身に迫るものがあった。
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 抜群の記憶力。天皇の「仕事」である数々の儀式ゆえにその能力が鍛えられたのだろうか……と、その背景への想像を豊かにさせてくれる一節です。
 さらに【つづき】「昭和天皇が「泥酔した侍医」を目の前にして発した「驚きのひと言」…そこから見える人柄」の記事では、藤田から見た天皇のパーソナリティについてくわしく紹介しています。
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 3月30日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「広島に原爆が投下されたとき、昭和天皇が東郷外相に示した「何よりも優先すべき問題」
 日本という国の現在のあり方を知るためには、その歴史を学ぶことが重要です。
 とりわけ、近代化を遂げた日本が、なぜ太平洋戦争という無謀な戦いに突入したのか、その戦争のさなかにはどのようなことが起きていたのか、そして、いかにして戦争が終結したかを知ることには、大きな意義があることでしょう。
 【写真】昭和天皇が「驚くほどすぐれていた能力」
 戦時中、国家の意思決定に大きな影響を与えた一人として昭和天皇があげられますが、その昭和天皇が戦中どのようなことをしていたかを知るのに便利なのが、『 侍従長の回想 』(講談社学術文庫)という本です。
 著者の藤田尚徳は、海軍兵学校海軍大学校を出たあと、海軍省人事局長、海軍省次官などを経て、1944(昭和19)年の8月に天皇の最側近である「侍従長」となった人物です。本書は、藤田が1961年に侍従長時代のことを振り返ったもの。
 本書では、藤田の目から見た昭和天皇の戦時中の日々がつづられており、そこからは天皇の知られざる姿とともに、終戦が近づくなかでの政府中枢の動向が見えてきます。
 たとえば、8月6日に広島市原子爆弾が投下された際、昭和天皇はどのような思いを抱いていたのでしょうか。
 同書より引用します(読みやすさのため、改行などを編集しています)。
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 〈8月6日午前8時ごろ、歴史的な原子爆弾第一号が広島市に投下された。内閣から宮中への報告では、広島市の被害は甚大であるという第一報から、数時間経ても適確な報告はなかった。そのうちに広島市に侵入した米機は三機だけで、しかもその中の一機がわずか一発の爆弾を投じただけであることが報らされてきた。その一発の爆弾で広島全市が壊滅状態にある!
 《これは大変なことになった。どのような爆弾であろうか》
 私は3月、5月の東京大空襲を思い出した。百機をこす大編隊が繰り返し繰り返し東京の空を覆い、焼夷弾を投下した夜間空襲に比較して、広島にはB29一機が一発の爆弾を投下しただけである。想像も及ばぬ強烈な爆弾であることは、私にも理解出来た。
 陛下には蓮沼侍従武官長から奏上したが、第二総軍に勤務しておられた李鍝(りぐう)公殿下も、この爆弾で戦死されていたので、この報告も合せて行われた。新型爆弾について、特別な御たずねはなかった様子だったが、広島市全滅の報に、陛下は深い憂愁の色をうかべておられた。
 翌7日朝、私はとりわけ早く御文庫へと急いだ。それは米側のラジオ放送がトルーマン大統領の声明として、「6日、広島に投下した爆弾は、戦争に革命的な変化を与えるものだ。これは原子爆弾である。日本が降伏に応じないかぎり、更に他の都市にも投下する」と伝えていることを、外務省筋から知らされていたからであった。
 陛下は広島市の状況を詳細に報告するよう政府と陸軍に御下命になったが、なかなか報告はされない。しかも、この米側の放送についても陸軍では謀略とする空気が強かったらしく、「原子爆弾」でなく「新型爆弾」という言葉を使って被害を小さく見せようとしていた。7日は詳細不明のままに暮れた。
 8日朝、東郷外相が決意の色を浮かべて参内してきた。そして御文庫地下壕の御座所に進んだ外相は、原子爆弾に関する米英の放送を詳細に言上すると、陛下は原子爆弾の惨害をよく知っておられ、次のように、一刻も速かに和平を実現することが先決問題である点を外相にお示しになった。
 「このような新武器が使われるようになっては、もうこれ以上、戦争を続けることは出来ない。不可能である。有利な条件を得ようとして時期を逸してはならぬ。なるべく速かに戦争を終結するよう努力せよ。このことを木戸内大臣、鈴木首相にも伝えよ」
 東郷外相は御前を下がって、内府、総理にこれを連絡、至急最高戦争指導会議が開かれることになって、準備が進められたが、同日中に間に合わず翌9日朝から開かれることになった。〉
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 さらに【つづき】「 昭和天皇が「驚くほどすぐれていた能力」をご存知ですか? 側近がまぢかで見ていたこと 」の記事では、藤田が昭和天皇と接していて驚いた「能力」について紹介しています。
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 正統保守は、昭和天皇を命を犠牲にしても護ろうとした。
 エセ保守とリベラル左派は、昭和天皇戦争犯罪者と断罪して歴史からその偉業を抹消している。
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 昭和天皇は、親ユダヤ派、差別反対主義者、避戦平和主義者、原爆は非人道的大量虐殺兵器であるとして開発中止を厳命した反核兵器派、難民・被災者・弱者などを助ける人道貢献を求め続け、戦争には最後まで不同意を表明し、戦争が始まれば早期に講和して停戦する事を望むなど、人道貢献や平和貢献に努めた、勇気ある偉大な政治的国家元首・軍事的大元帥・宗教的祭祀王であって戦争犯罪者ではない。
 同時に、日本の歴史上最も命を狙われた天皇である。
 昭和天皇や皇族を惨殺しようとしたのは日本人の共産主義者無政府主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストであった。
 昭和天皇は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本のマルキシズムボルシェビキ、ナチズム、ファシズムの攻撃・侵略から日本の国(国體・国柄)・民族・文化・伝統・宗教を守っていた。
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 日本民族は、数千年前の弥生時代から天皇を中心にまとまって日本国を作り、天皇に忠誠を誓い、日本国に愛国心を抱き、国内外の反天皇反民族反日勢力と戦っていた。
 日本国民は、日本民族とは違う。
 帰化人は日本民族の一員であるが、渡来人は日本民族の一員になる事を拒絶した余所者・他国者である。
 渡来人は、忠誠心も愛国心でもないので、日本民族ではなく日本国民である。
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2017-08-24
✨4)─1─レーニンが発案した日中全面戦争と日米全面戦争。日本の転向組と革新官僚。~No.13No.14・ @ ② 
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 日本人の共産主義者無政府主義者テロリストは、ソ連中国共産党・国際的共産主義勢力の支援を受けて昭和天皇と皇族を惨殺すべく付け狙っていた。
 27年テーゼ。32年テーゼ。
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 昭和天皇「本土決戦を行えば、日本民族は滅びてしまう。そうなれば、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることができようか。自分の任務は祖先から受け継いだ日本を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本人に生き残ってもらいたい、その人たちが将来ふたたび立ち上がってもらう以外に、この日本を子孫に伝える方法はない。そのためなら、自分はどうなっても構わない」(1945年8月10日聖断)
 天皇にとって民(日本民族)は「大御宝(おおみたから)」である。
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 昭和天皇東条英機松岡洋右松井石根A級戦犯達の靖国神社、軍部・陸軍は、反ユダヤの宗教的人種主義が支配する世界から助けたユダヤ人に裏切られた。
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 昭和天皇肖像画の写真を燃やす動画が日本の現代アートに、賛成する日本人が多数で、反対する日本人は少数であった。
 昭和天皇は、歴代天皇の中で最も日本人に嫌われている天皇である。
2020-02-18
🦲4〕─18─表現の自由。日本の現代アートは「人の写真(例えば皇族の写真)を燃やす」こと。〜No.19  
2020-11-07
🦲4〕─21─あいちトリエンナーレ2019。愛知県知事リコール運動敗北。〜No.22 
2021-10-14
🦲4〕─24─昭和天皇肖像燃やす動画と「表現の不自由展かんさい2021」。〜No.25   ・   ・   ・   
 韓国・北朝鮮中国共産党アメリカ、ロシア、その他、多くの国々は昭和天皇ヒトラーと同罪の非人道的戦争犯罪と認めている。
 アメリカの一部では、昭和天皇が住んでいる東京・皇居の上に原爆を投下して焼き殺す事を望んでいた。
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 日本人の共産主義者無政府主義者キリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇や皇族を惨殺する為につけ狙っていた。
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 共産主義の5%支配理論。
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 有能な共産党員教師が3人いれば、日本の学校イデオロギー支配できる。
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 昭和49(1974)年 虹作戦。極左テロリストグループの東アジア反日武装戦線は、日本政府に対する反乱の一環として昭和天皇を爆殺する計画を立てたが実行されず未遂に終わった。爆弾は、昭和49年8月から昭和50年5月にかけて三菱重工爆破事件など連続企業爆破テロに使用した。
 革命思想家・太田竜の窮民(きゅうみん)革命論。
 極左テロリストの反天皇反日思想は、朝日新聞朝日ジャーナルの左翼的論調の影響を受けていた。
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2017-09-28
✨21)─1─昭和天皇は、原爆は非人道的大量殺戮兵器であるとして開発中止を厳命した唯一の国家元首。~No.89No.90No.92・ @ ⑰ 
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 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士・悪党・野伏せり、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民{海女、海人})、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、相撲取り・力士、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持ち命を犠牲にして天皇を守ろうとした「帰化人」は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否し自己益で天皇を殺そうとする「渡来人」は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中には過激な無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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 同じ儒教価値観で卑賤視され差別される部落民や賤民(非人・穢多・散所{さんじょ}・河原乞食・他)とでは、何故・どういう理由で偏見をもって差別されるかが違う。
 マルクス主義共産主義階級闘争史観やキリスト教最後の審判価値観では、日本の部落民や賤民を解釈できないし説明できない。
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 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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 戦後のマルクス主義者・共産主義者は敗戦利得者となって、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳し、民族主義天皇主義を日本から消滅させるべくメディア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。
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 少数の超難関高学歴出身のAI強者・裕福資産家の勝ち組 vs. 多数の中程度高学歴出身のAI弱者・貧困労働者の負け組。
 日本を動かしているのは学閥である。
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 保守には、正統保守やエセ保守など数多くの保守が存在する。
 現代日本では、急速に新保守の守旧派とエセ保守が増えた。
 正統保守は古保守として守旧派ではない、もし正統保守が守旧派であったら日本民族に見捨てられとうの昔に消滅していた。
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