🎑23)─1・②─人間以下の歌舞伎や浄瑠璃の役者を偏見と差別で「何匹」と数えた。〜No.44No.45No.46 

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 歌舞伎は、反権力のアウトローであった。
 幕府の御上は、儒教価値観で華美な歌舞伎など庶民の娯楽を弾圧していた。
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 2025年3月17日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「役者のことを「何匹」と数えた醜悪な差別 歌舞伎・浄瑠璃役者が偏見にさらされた江戸の闇【大河ドラマ『べらぼう』】
 鳥居清長筆『二代目市川門之助と遊女』/東京国立博物館蔵:ColBase
 大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」第10回「富本、仁義の馬面」では、物語が新たな局面を迎えた。蔦屋重三郎(演:横浜流星)は、巷で人気の富本豊志太夫/午之助(演:寛一郎)を吉原で行う俄祭りへ呼ぼうと直談判するが、あっさり参加を拒まれた。そこで浄瑠璃の元締めである鳥山検校(演:市原隼人)を訪ねるも、反応は芳しくない。実は“馬面太夫”が吉原を避けていたのには理由があり……という展開だった。今回は作中でも触れられた江戸における役者の身分と差別について取り上げる。
■歌舞伎や浄瑠璃が盛り上がっても役者は差別された
 馬面太夫こと午之助は、江戸浄瑠璃の歌い手であり、歌舞伎の出語りとして一世を風靡している「富本節」の太夫である。その美声で多くのファンを獲得していた。ちなみに出語りとは、浄瑠璃太夫と三味線弾きが舞台上(観客の眼前)で演奏をすることをいう。
 共に芝居小屋で活躍したいた市川門之助(演:濱尾ノリタカ)は若手の歌舞伎役者で、 「二代目市川門之助」の名跡を継いでいる。
 さて、作中ではこの2人が共に売れていなかった時代に素性を偽って「若木屋」にあがり、遊んでいたという過去があった。正体がバレると若木屋の主人は2人を裸で放り出し「二度と大門をくぐるんじゃねえ」と吐き捨てたのである。これが、午之助が吉原への祭りの参加を拒んだわけであった。
 りつ(演:安達祐実)が語った通り、当時の江戸では歌舞伎役者や浄瑠璃役者が卑しい存在として差別されていた。とはいえ、これは幕府側の都合や線引きであって、周知の通り江戸の町人たちは歌舞伎や浄瑠璃を熱狂的に愛していたし、現代でいうアイドルや俳優を対象にした“推し活”のように、役者のファンになった。
 「千両役者」と呼ばれる稼ぎの良い役者もいれば、ファッションリーダーとして江戸のトレンドを牽引する役者もおり、江戸文化を支える重要な担い手だったのは言うまでもない。それでも彼らは四民(士農工商)の外、さらに下の人間として位置づけられていたのである。庶民からも羨望の眼差しを向けられただけでなく「河原者」などと極めて差別的な呼び方をされていたこともまた事実だ。
 役者への差別はその後も長く続く。天保期には既に外出時の編笠の着用の強制、居住地の厳格な制限、ギャラの制限、一般の町人との交遊の禁止など様々な取り締まりがなされており、幕府は役者公私に渡って鋭く目を光らせていた。違反した者は厳しく罰せられた。
 木谷蓬吟の『文楽史』によると、天保13年に諸藝人達が家屋田畑を所有することができないというお触れが出た際、それを不服とした浄瑠璃太夫(筆太夫)の申し立てによって大阪・西町奉行所の阿部遠江守の命で太夫や芝居関係者(太夫曰く「外の藝人」)が集められたという。奉行所では太夫を縁側の板間に座らせ、一方の役者たちを白洲の砂上に座らせた。さらに、太夫に対しては「竹本筆太夫外何人」と呼びかけたのに対して、役者たちへは「中村歌右衛門外何匹」と呼び捨てたのだという。木谷は「特に上方において太夫達の地位が優遇されている」とも記している。
 一見煌びやかかつ華やかにみえる世界、豊かな江戸文化の陰にも、こうした差別意識が深く根を張っていたことを、『べらぼう』はドラマとして描き出したのである。
 ※画像は二代目市川門之助と遊女を描いたもの。
 歴史人編集部
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 3月21日 YAHOO!JAPANニュース Lmaga.jp「吉原の門すらもくぐれない? 役者の厳しい現実…蔦重にもつながる芸能と検校の意外な関係とは【べらぼう】
 『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第11回より。鳥山検校(市川隼人)の手を頬に寄せる瀬以(小芝風花)(C)NHK
 江戸時代のポップカルチャーを牽引した天才プロデューサー・蔦屋重三郎の劇的な人生を、横浜流星主演で描く大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(NHK)。3月16日放送の第11回「富本、仁義の馬面」では、実は非常にしいたげられていた役者たちの状況と、検校と芸能のつながりが描かれた。また「富本節」という、今ではレアな浄瑠璃についても触れられていた。
 【写真】蔦重と鳥山検校、瀬以を巡る三角関係
■役者の襲名を鳥山検校に依頼する蔦重…第11回あらすじ
 吉原を誰もが憧れる場所にする一歩として、重三郎は当代随一の浄瑠璃の人気太夫・富本午之助(寛一郎)の直伝の正本(公式パンフレット)を作ることを思いつく。しかし商売敵の鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助)も、同じことを目論んでいた。そこに大文字屋市兵衛(伊藤淳史)が、いろんな妨害に遭って「富本豊前太夫」の名を継げないでいる午之助の襲名を実現させれば、説得することができると重三郎に教える。
 そこで浄瑠璃の元締「当道座」を仕切る鳥山検校(市原隼人)の元を訪れた重三郎は、一度午之助の富本節を聞いてほしいと検校に訴える。検校の妻となった「瀬川」改め瀬以(小芝風花)の口添えもあり、太夫浄瑠璃を聞いた検校は「富本豊前太夫」襲名を認める。重三郎の働きかけに感謝した午之助は、市中で売り出されないことを承知で、重三郎の元で「直伝」を出すことを約束するのだった。
 江戸時代の闇を描く…地位が低かった役者たち
 『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第11回より。富本節の浄瑠璃を語る人気太夫・富本午之助(写真中央、寛一郎)(C)NHK
 今回の『べらぼう』を観て、視聴者がもっともショックを受けたのは、江戸時代の役者は吉原の出入り禁止なほど、地位が低かったという現実だったと思う。ドラマのなかでりつ(安達祐実)や次郎兵衛(中村蒼)が解説していたが、当時の役者は身分の外・・・現代の感覚で言えば、ほぼ動物扱いといえる。そんななかで、多くの人たちに愛されるペットのような存在となるか、石を投げられる野良のような存在となるか。現代とは比べ物にならぬほど厳しく、よっぽど芸への愛着と覚悟がなければ飛び込めない世界だっただろう。
 そんなわけで、江戸時代から始まって現在までつづいている歌舞伎の名跡は、どれだけ先人たちが理不尽な境遇を耐え抜いて芸を磨き、様々な工夫をこらして庶民たちの感心を引きつづけた結果、現在に至っているのか・・・ということを自然と考えた。そして今回出てきた二代目市川門之助(濱尾ノリタカ)も、実は現在八代目が活躍中だ。とはいえ二代目の直系ではなく、いったん途切れながらも「門之助にふさわしい」と認められた役者が受け継ぐというリレーがつづいた結果となっている。先日の八代目のブログには、二代目の登場を喜んでいる記述があったのが微笑ましかった。
 そして富本午之助が語る「富本節」だが、これは浄瑠璃の流派の一つ。ドラマでも寛一郎が見事に再現していたが、柔らかくて艶っぽい語り口が特徴で、特に女性で学ぶ人が多かったという。しかし富本節から派生した、よりエモーショナルな語り口の「清元節」の方に人気が移り、残念ながらこのあとは廃れていってしまう。実際現在の歌舞伎や文楽でかかる作品も、清元節と違って富本節が使われたものはほぼ観られないし「富本豊前太夫」の名前も十一代を最後に途絶えている。とはいえ、YouTubeにはわずかながら富本節の動画が上がっているので、気になったら検索してみて。
 歴史の本では気づかなかった、意外なつながり
 『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第11回より。鳥山検校の屋敷を訪れた蔦重たちを出迎える瀬以。写真左から、蔦重(横浜流星)、瀬以(小芝風花)、大文字屋市兵衛(伊藤淳史)(C)NHK
 さてそんな浄瑠璃の世界を仕切っているのが、鳥山検校というのはちょっと意外なつながりに思えたかもしれない。しかし浄瑠璃の起源をさかのぼると、盲人たちに行き当たる。平安時代初期、仏教行事の際に盲目の僧が琵琶を演奏することが慣習となり、鎌倉時代に琵琶法師が語る『平家物語』が大ヒットすると、一気に庶民にも浸透。やがて琵琶が三味線となり、盲人以外も参入するようになり、さらに近松門左衛門作の人形浄瑠璃がブームになると、そこからいろんな流派が生まれるようになる。
 ・・・という風に広がりを見せても、その浄瑠璃界の中心となるのは、依然として盲人たちだった。これは以前にもコラムで触れたけど、中世から存在していた盲人たちの自治組織「当道座」は、江戸時代になるとさまざまな特権を受けるようになる。そのなかには、もともとは盲人たちの文化だった浄瑠璃も当然含まれており、当道座のなかでもトップの地位にある「検校」が、太夫の襲名に影響力を持っているのはそういうことなのだ。
 『べらぼう』を見ていると、歴史の本を読むだけではつながりが見えなかった人物たちに、実はこんな意外な接点があったのでは・・・という、ノンフィクションのようなフィクションにしばしば驚かされる。今回も、重三郎がここから浄瑠璃の正本で板元として力を付けていく過程と、鳥山検校と瀬以をめぐる三角関係がこんなにドラマティックに重なっていくことに感心しきりだ。
 しかし、視力以外のあらゆる感覚の鋭さがケタ外れな(だからこそ、検校まで上りつめることができたのかも)鳥山検校だけに、重三郎と瀬以の楽しげな会話や、重三郎と会ったあとの瀬以の脈の早さで、もうこの2人がただならぬ関係であることはほぼほぼ察知したのではないかと思う。三味線を弾く鳥山検校の、光と影がくっきり分かれた姿が、瀬以への慈しみ(光)と嫉妬(影)をはらんだ、彼の分裂した心を表すようだった。どうかこのあと、検校がDVに走ることがありませんように・・・と祈るばかりだ。
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 大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』はNHK総合で毎週日曜・夜8時から、NHKBSは夕方6時から、BSP4Kでは昼12時15分からスタート。3月23日放送の第12回「俄(にわか)なる『明月余情』」では、俄の祭で吉原が2つに分かれて争う一方、重三郎が謎の戯作者「朋誠堂喜三二」との対面を果たすところが描かれる。
 文/吉永美和子
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 3月23日 YAHOO!JAPANニュース 歴史コラムニスト・イラストレーター「【大河べらぼう】江戸時代の歌舞伎役者は差別される存在だった。幕府の仕組んだ「枠外」の人々の哀しみ
 NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』。
 蔦屋重三郎(=蔦重・演:横浜流星)渾身の彩色摺絵本『青楼美人合姿鏡』を売るために、大文字屋(演:伊藤淳史)が吉原での俄(にわか)祭りの開催を思いつきました。
 浄瑠璃の人気太夫「馬面太夫」こと富本午之助(演:寛一郎)を呼ぼうと言い出します。
 しかし馬面太夫からは「吉原は好かぬ」と断られてしまいました。大黒屋のりつ(演:安達祐実)によれば、それには事情があるといいます。
◆庶民に愛された役者たちの光と影
◎なぜ馬面大夫は吉原嫌いだったのか
 馬面太夫が「吉原嫌いになった」のはなぜか。
 それは、馬面太夫と友人の歌舞伎役者・市川門之助(演:濱尾ノリタカ)が身分を隠して吉原で遊んでいたのがバレてしまい、若木屋(演:本宮泰風)に手荒に追い出された苦い経験があったからでした。
 しかし、お忍びとはいえ、きちんと料金を払って遊んでいた彼らがなぜそんな目に遭わねばならなかったのでしょうか?
◎スーパースターだが身分は低い歌舞伎役者
 江戸時代の歌舞伎役者は、町人文化の中心的存在として経済的・芸術的な影響力を持っていました。人気と実力次第で成功を収めることも可能でした。
 しかし、社会的には身分が低く、「河原者(かわらもの)」とも呼ばれ、武士や町人といった正式な身分制度の枠外に置かれていました。武士や町人と異なる生活様式を持つ人々は、統制しやすくするために「身分の外」として扱われたのです。
 また、幕府は歌舞伎役者を「風紀を乱す存在」として考えていたため、吉原への出入りに制限をかけました。公には役者の吉原通いは禁じられていたのです。
 一方、馬面太夫浄瑠璃語り部である太夫です。太夫も枠外の芸能の担い手ですが、役者と異なり町人階級だったため、吉原への出入りは問題ありませんでした。
 それなのに、若木屋がきちんと調べもせずに、役者と太夫を一緒に追い出してしまったのです。
◆枠外の身分の哀しみ
◎「枠外の悲しみ」は吉原も同じ
 大黒屋の女将・りつ(演:安達祐実)が、「歌舞伎役者を卑しい存在として差別するのは、お上の都合や線引きだ」と語ったように、これはすべて幕府の政策です。 
 「枠外の人々」を作ることによって、幕府は一般庶民の不満を抑え込もうとしたのです。
 りつは「ひんむきゃ(一皮むけば)みんな、人なんて同じ」とも言っています。
 吉原の人々も身分は町民ながら、役者同様「枠外の存在」です。地本問屋・鶴屋(演:風間俊介)から「吉原の人々に出てきてほしくない」と蔑まれるほど、市井の人々の偏見は根強かったのでしょう。
 忘八と後ろ指をさされ、女郎を搾取する存在である女郎屋の哀しい横顔が垣間見えた場面でもありました。
◎粋な馬面太夫と蔦重の間に生まれた関係性
 馬面太夫に一度は俄への出演を断られたものの、蔦重は女郎たちと共に彼をもてなし、最終的には太夫の信頼を勝ち取りました。
 何よりも馬面太夫の心を動かしたのは、自分の富本節を聴いた女郎たちの涙です。
 蔦重の「籠の鳥である女郎は本物の芝居を見ることなく死んでいく者もいる」。涙とこの言葉で、大夫は俄への出演を決めてくれたのです。「こんな涙を見せられて断れる男がどこにおる」
 さらに蔦重の太夫の直伝が欲しいという申し出にも太夫は快諾。
 直伝を狙っていた鱗形屋(演:片岡愛之助)は「あやつにまかせれば市中に売り広めができなくなります!」と必死に説得を試みます。
 「らしいね。だったらなおさらあいつを助けてやりたいね。それが男ってもんだろ?」
 これぞ江戸っ子、どこまでも粋な馬面太夫
 しかし、太夫をそんな気持ちにさせたのは、我らが蔦重の心意気あってのこと。
 江戸の名プロデューサー、蔦重はこのようにしてて市中の人々の心をつかんでいったのです。
 (イラスト・文 / 陽菜ひよ子)
◆主要参考文献
 「大吉原展」(東京藝術大学大学美術館・東京新聞 編)(東京新聞/テレビ朝日
 「蔦屋重三郎と江戸文化」(伊藤賀一)(Gakken)
 「江戸庶民の娯楽」(竹内誠)(Gakken)など
 陽菜ひよ子
 歴史コラムニスト・イラストレータ
 名古屋出身・在住。博物館ポータルサイトやビジネス系メディアで歴史ライターとして執筆。歴史上の人物や事件を現代に置き換えてわかりやすく解説します。学生時代より歴史や寺社巡りが好きで、京都や鎌倉などを中心に100以上の寺社を訪問。仏像ぬり絵本『やさしい写仏ぬり絵帖』出版、埼玉県の寺院の御朱印にイラストが採用されました。新刊『ナゴヤ愛』では、ナゴヤ(=ナゴヤ圏=愛知県)を歴史・経済など多方面から分析。現在は主に新聞やテレビ系媒体で取材やコラムを担当。ひよことネコとプリンが好き。
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 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士・悪党・野伏せり、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民{海女、海人})、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、相撲取り・力士、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持ち命を犠牲にして天皇を守ろうとした「帰化人」は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否し自己益で天皇を殺そうとする「渡来人」は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中には過激な無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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 同じ儒教価値観で卑賤視され差別される部落民や賤民(非人・穢多・散所{さんじょ}・河原乞食・他)とでは、何故・どういう理由で偏見をもって差別されるかが違う。
 マルクス主義共産主義階級闘争史観やキリスト教最後の審判価値観では、日本の部落民や賤民を解釈できないし説明できない。
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 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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 戦後のマルクス主義者・共産主義者は敗戦利得者となって、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳し、民族主義天皇主義を日本から消滅させるべくメディア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。
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 少数の超難関高学歴出身のAI強者・裕福資産家の勝ち組 vs. 多数の中程度高学歴出身のAI弱者・貧困労働者の負け組。
 日本を動かしているのは学閥である。
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 保守には、正統保守やエセ保守など数多くの保守が存在する。
 現代日本では、急速に新保守の守旧派とエセ保守が増えた。
 正統保守は古保守として守旧派ではない、もし正統保守が守旧派であったら日本民族に見捨てられとうの昔に消滅していた。
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